こんにちは。
患者満足度向上コンサルタントの柳田です。
今年最後の「コラナビ」となりました。
しばし更新が思うように進まない時期がありました。
私のとりとめのない駄文、拙文を、もしかしたら居るかも知れない
「楽しみ」にしている方にはとても申し訳なく思っています。
実はその頃、父が体調を崩し、しばしの入院後、他界したのです。
いつかはやってくるだろうと予測していた事ですが、"的中しなければいいな"と思う予測でもありました。今回の入院はちょっと厄介で、最悪の事態が予測されました。父が入院し群馬に嫁いでいる姉も長期間になることを予測しながら札幌に戻ってきて、母を交えて何度も話したこと、それは「本人の幸せ」と「家族の幸せ」について。
これから起こりえるかも知れない「予測」。
入院加療の父は黄疸から呼吸器疾患を患い、間実性肺炎を併発し最後は多臓器不全になり意識がないまま10日ほど経過した後、生きることを止めました。
その時に考えた様々な事
・父が元気になって明るく帰宅すること
・意識が戻っても体が動かず長期療養生活に入ること
・意識が戻らないまま器械の力で生き続けること
いちばん考えたこと。
それは 「本人の幸せ」 「家族の幸せ」
あまり多くの方に言ってはいないのですが、実は病室で意識が薄れ行く父は何かを話そうと口を少しだけ動かしたことがありました。「どうした?何か言いたいの?」声をかける私。父は弱々しく左腕をあげて「ポンポン」と顔を近づけた私の頭を叩きながら消え入るような声で、本当に小さなこえで「正太郎...」と私の名前を言って、すぐに腕を下ろし、その目はまた虚ろに天井を見つめていました。
それが父が残した最後の言葉でした。
周りには誰も居なくて、私だけに聞こえた言葉でした。
それから父は一言も言葉を発することもなく、意識が戻ることもなく。
意識が戻らないまま10日が過ぎゆるやかに父は生きることを止めて行きました。
私も医療関係で仕事をしていた人間です。父の容体や検査結果から「これから起こりそうなこと」は十分に予測がつきます。「かなり現実性の高い予測」になりました。
今となっては私に声をかけたあと、父の肉体はもう終わっていたのかと思います。多くのチューブや人工呼吸器や人工透析によって「ただ生きていた」時間だったと思います。きっと「精神」というものがあるのならば(私はあると思っています)父は既に高いところで穏やかに微笑んでいたのだろうと思います。医師からは何度も経過について説明も受けました。私は心の中で「親父、もう無理をするな。わかってるから。」と何度も唱えていました。
眠れずにいた深夜、病院から「お父様の脈拍が下がり始めました」と。
病院に到着して2時間後、ICUにいる父は私と姉と最愛の母の3人に手を握られながらすべての機能を停止しました。
夜が明けるころに消えた76年の父の人生。
そうして私たちの2009年の夏は終わりました。
「お父さんは幸せだったと思う?」
「当り前だろう。俺たちが家族で不幸な訳が無い!」
「それもそうね。」
2009年の最後のコラナビが少し湿っぽい話になってしまいました。
僕らはいろいろな経験を積んでいく。
「起こって欲しくないこと」「期待していること」。
だからこそ僕らは未来について語らなくてはならないんだと思う。
『これからのこと』をたくさん語り合わなくてはならないんだと思う。
みんなで解り合わなくてはならないんだと思う。
生き方も、生きる方法も。
過去を思いながら未来を語らなくてはならないんだ。
それが2010年を迎えることが出来る私たちの使命のはずだ。
今年一年間、有難う御座いました。
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はじめまして。
お名前を呼んでいただけたとのこと―。
何よりだったと小生は感じます。
誰あろう、お父様が命名されたお名前なのでしょうから。
魂と肉体とは、同時に逝くことが叶わない。
それが現代のかなしいところですね。
お互い、大きなものを失った一年でした。
自分の場合、ほとんど話をする事はありませんでした。
ただ、親父の傍らで黙々とプラモデルを作り、
途中経過を見せ、
お互いニヤリと笑う。
小さい頃に教えられたプラモデルを
その成長度を見せるかのように
一心不乱で作っていたのが昨日の事のようです。
(ガンダムでしたが…)
今は自分が子供たちにプラモデルを教えています。
こんな感じで繋がっていくのでしょうかね。