なるほど情報ウェブマガジン【週刊コラナビ北海道】毎週木曜日更新

週刊コラナビトップ『営業カバン』と『病院』と

『営業カバン』と『病院』と

確かに昔は・・・

私が国内製薬会社に入社したのはもう23年前のこと。 23年といえば長い時間なのか、そうでもないのか、感じる尺度は様々だ。

その頃生まれた赤ちゃんは23歳になり、 23歳の私は45歳に。

 長い時間だ

そんな昔を思い出していた・・・・

当時、私は札幌に家がありながら、帯広・釧路・根室管内を担当していた。 うん、確かにそうだった。 当時の私の会社は非常に厳しくてある意味有名でもあった。 営業マンの事などあまり真剣に考えていなかったのではないかと思うほどであった。 (その厳しさを、当たり前と思っていたのは私が鈍かったからなのか?辛抱強かったからなのか?)

 現在の一般的な企業の雇用環境(勤務条件)などと照らし合わせると、雲泥の差があると思う。  それが、20年くらい前までは当たり前だったんだ・・と、顧みれば、この年月は短いような・長いような   不思議な感覚に囚われるのである。

 変化のスピードが速いから錯覚を覚えるんだな。

まず、週休2日制では無かった。 今でこそ当たり前の"週休2日制"など、世にほとんど存在せず、土曜日はお父さんがお昼で帰ってきてくれる、という時代がずっとあったわけだ。 それがようやく隔週で土曜日も休みになった・・・という時代である。 一ヶ月のうち、2回の土曜日が出勤で2回の土曜日が休日という時代になった。 土・日と連続で休めるようになったことを心から喜んだものである。

 "サタデーナイト・フィーバー" が "花金(花の金曜日)" にシフトしていったのだなあ。

しかし、その頃の私の会社は、出勤の土曜日は時間までギリギリ現地で営業をすること! 月曜日の朝には必ず、現地に居ること! が原則だった。 「月曜の朝に現地に居る」ということは、日曜の夜には移動しておきなさい ・・ という、今聞いたら卒倒してしまうような無茶な社内規定(法的根拠のないルール)だったのだ。 しかも、移動は「営業車」! 電車は贅沢だということでしばらくは認めてもらえなかった。 (さすがに数年後には電車移動の許可が下りたけれど) (他の製薬会社はこんな不思議なルールではなかったはずです)

ところで、当時は立派な高速道路もなく、道路環境もけっしてよくはありませんでした。 そこをえっちらこっちらと荷物を一杯積んだカローラのバンで走るのです。 その車も先輩からのお下がりで既に地球を何周かしたようなオンボロです。 (新人が入ったら新車が1台、来るのですが、なぜか先輩がそれに乗り、新人はお下がりを・・・という風習が残っていました)

北海道以外の方でこのコラムを読まれている方は、北海道地図をご覧になるとわかると思いますが、道東方面って札幌から随分と遠いところにあるのです。 私の担当エリアの一番、札幌に近い街、帯広からも相当な距離があります。 車で片道約4時間。 

土曜日の昼過ぎまで仕事をして、札幌へ帰り始めると到着は大体、6時頃。 若い私は、じっとしていられず夜のススキノへストレス発散へ。 深夜(夜明け?)まで仲間と飲んで遊んで帰宅し一眠り。 目が覚めればもう日曜の昼下がり。 「さて、何をしよう?」 「あっ!!そうだ、帯広へ戻るんだった!」 母が済ませてくれた1週間分の洗濯物をカバンに詰めなおし夕方近くにまた帯広へ向かって走り始める。 日曜の夜には帯広のビジネスホテル。

今にして思えばよくこんな生活を続けていられたものだと我ながら感心します。 少しくらい、楽(ズル)をしてもいいようなものだけれど、月曜日の朝一番に現地から「コレクトコール」で会社へ連絡するという業務があって電話交換手のかたから『帯広にいらっしゃいます、柳田様からお電話ですが』と会社へ繋いでもらう訳です。

月曜の朝には現地に居なくてはならない理由です。

こんな営業マンの暮らしが、たった23年前にあったのだなあ。 随分と昔のことと言えばいいのか、ちょっと前までこうだったと言えばいいのか。 長いのか、短いのか・・・・

 だって、まだ「ポケベル」も、世の中にはない時代だった。


(2007年08月30日)

コメントする


画像の中に見える文字を入力してください。

(画像が表示されない場合、画像のところでマウス右クリック-[画像の表示]を実行してみてください[Windows InternetExplorer, FireFoxの場合])

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 確かに昔は・・・

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://spiritlink.80code.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/704