だから、あまり苦労することなく就職は決まったんだ。
就職活動は4時間程度で終わった訳だから...
不真面目な学生で、留年したという負い目もあったけれど。
大学では遊び仲間に就職がそそくさと決まった話をすると「お前って奴は!」とか「俺たちの苦労も知らないで!」「今にきっと痛い目に遭うぞ!」などとあられもない酷い言葉を口にしていた。(笑)
そんな言葉に耳を貸さず僕はせっせとセブンイレブンの深夜のアルバイトに勤しみ、昼間は大学の近くにある「麻雀荘」に朝から入り浸り、バイトのない日はススキノの安い居酒屋で胡坐をかいてくだなど巻いていたのだった。
残す単位はあと2科目だけだから。
大丈夫、大丈夫。
なんてね。
試験も近くなり少し教科書を眺めたりしていたんだ。
何かの教科と"労働法"の二つを選択していたんだ。
中間の面倒な話は割愛しますが、とにかく、一つの試験はすんなりと終わったのだ。
これは問題が無かった。
なぜなら、あれから30年経った今となっては「何の教科」すら覚えていないのだからそんなに意識しないほどの安易な教科だったに違いない。
さて「労働法」。
試験を終えて真っ青。
頭をよぎったマンガの吹き出しのようなセリフは 『しまった!やっちまった!』
思いもよらない難しい試験だった。
絶対に及第点まで至っていない!
これはまずかった。
就職は決まり、春には東京で新人研修も始まる。
放蕩息子にも職が決まり親も安心しているようだ。
このままでは1教科を落として2留の可能性が出てきた。
これが「痛い目に遭うぞ!」の具現化か!?
さてさて僕は考えた。
流石に2留はまずい。
窮地に追い込まれているか!
ここは教授にいいところを見せなければならない。
(とはいうものの、この一年間、一度も労働法の授業には出たこともなくどんな教授が担当なのかも知らないという、とんでもない生徒だったのだが)
5日間、ほとんど眠ることなく労働法のレポートを作成した。
制作日数5日、およそ100ページ近くのレポートを作成した。
もちろん、今となってはテーマや内容なんて覚えてもいない。
何らかの方法で僕は労働法の教授の自宅住所を調べ上げたのだ。そして自宅近くまで出掛けて行き表札を確かめたうえで玄関の呼び鈴を押したのだった。
奥さまが対応に出られ、事情を話すと僕は笑顔で応接室に迎えられた。
僕の力作のレポートのことはさておき、「なぜ留年したのか」などの話題に流れて行き、ついぞ世間話のような自宅訪問となってしまった。
珈琲をいただきながらしばらくの時間が経過した。
教授と奥さまと。笑顔で大笑いしながら...
帰り際に玄関先まで見送ってくださった教授は一言、「君の気持はわかりました。安心して会社の新人研修に行ってらっしゃい。」と。
茶封筒に入れられた僕のレポートは結局、開けられることもなく。
春、僕は大学を卒業することが出来たんだ。
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