柳田正太郎(45歳) 医業経営コンサルタント
柳田正太郎事務所 代表
HP http://sirakaba.sunnyday.jp/
北海道オホーツク海に近い小さな田舎町で生まれる。
道内私大を卒業後、内資系製薬会社で勤務、後、外資系製薬会社へ転職。
病院から開業医までたくさんの医療機関を担当して(見て)きました。
製薬会社勤務時代は全国各地を巡り暮らす。
一念発起し北海道へ戻り、医業経営コンサルタントへ転身。
終わりなき東奔西走南船北馬な日々。
ぼくのはじまり 34
最初で最後の...
私に転勤が決まった時の話。
(このシリーズの最後ということではありません)
18年ほど前の暑い夏の頃
何度も言ってまいりましたが私はお茶らけ営業マンだったのだ。
28歳の時に東京の本社企画室へ転勤が決まってしまった。
決して本意ではなかったがそこは悲しきサラリーマン。
転勤決定の話があっという間に広がったようだ。
行く所、行く所でその話題。
帯広市のとある総合病院。
「転勤なんだって? それは駄目だぞ。 お前がいなくなったら正太郎の会社の薬はもう使わないからな!」(もちろん冗談)
「わかった、俺が会社に電話してその転勤を阻止してやる!」までおっしゃってくれる先生まで。(ありがたいお話で)
「それは淋しいなあ。よし、正太郎の転勤を兼ねてゴルフ大会をやろう!」と部長先生。
私「またまたあ、そんなこと言っちゃって~」
*******************************************************
数日後に再び訪問すると部長先生が私にメモを渡した。
「この内容で、ポスターを画いてこい! そしてここに貼りなさい。」
第1回 柳田正太郎 送別 ゴルフコンペ"ファイナル"
勝手に日時とゴルフ場の場所が記載されていた。
「来週、ゴルフをするからな。決まったからな。第1回だけどファイナルだからな。(笑)」
のちに、言われたとおりに私は数種類のマジックを買いポスターを描いて
医局へ持って行った。
部長は医局にそれを張った。
「参加者はここに名前を書くように」
ポツリポツリと医師やメーカーの名前が連なって行った。
(えええ~、参加してくれるのォ~!)
なんということになってしまったのだろう!
単なるお遊びだが大がかりなゴルフ大会になってしまった!
(心の中では冷や汗)
みんなは面白がっていたようだけれど...
ホントにいいのだろうか...
参加者が20名近かったように記憶している。
問題は
そのゴルフ大会は平日の昼からスタートだったのだ
ゴルフ場は町から15分も走れば到着できる距離ではあった。
(そのあたりが北海道)
わざわざ有給休暇をとった営業マン。
「大丈夫、大丈夫!」と豪快にさぼる営業マン。
今日は午後から休みなんだ...と参加された数名の医師。
「さあ、正太郎! 第一打を打ちなさい!」
部長の一声から至極の時間は始まったのだった。
ぼくのはじまり 33
眠っているとメモが...
20年前。
当時の私の営業車は確かマツダファミリアのバンだったと記憶している。
気になったのでネットで検索すると間違いない。 これこれ、この形。
![250px-Mazda_323_front_20080220[1].jpg](http://www.colnavi.info/2009/05/28/250px-Mazda_323_front_20080220%5B1%5D.jpg)
たいていの製薬会社の営業車はこの時代でも通常の乗用車。
私の会社は一般薬(大衆薬)がメインだったので製品の運搬などにも利用できるようにと"バン"タイプの営業車を与えられていたのだった。
私たちは"医療用医薬品(病院とかクリニックで処方する薬)"部門だが右にならえですべての営業車がこのタイプだった時代がある。
つまりは、製薬会社の営業車の中でも「ちょっと目立つ」のだった。
いや異質だったと言ったほうがいいかも知れない。
う~ん、違うなあ。"わかりやすい" と言おうか。
「柳田さん、昨日、○○町立病院にいたでしょう。」とか
「この前、あの峠に止まっていたでしょ。」とか
「先日、お見かけしましたよ。」とか...。
時に「いやあ、柳田さん、この間、女の子を乗せてあの陸橋を超えて走っていたでしょ。ふふ。」なんていうこともあったが、絶対にそれは私ではない!
町から町への営業活動。
人間だもの 眠くなることもしばしばあるのさ。
どこまでもまっすぐな道をひたすら走っていると睡魔が襲うこともある。
ある日、あまりの睡魔に耐え切れず道路の駐車帯に車を止め、おもむろにシートを倒して短い時間、目を閉じた。
そのまま深い眠りに落ちて行ってしまったことは言うまでもない。
「15分だけ目をつぶろう...」と思っていたが、結果1時間以上、眠ってしまったようだ。
「おっと、まずいまずい」と起きだしてシートを立て直すとフロントガラスのワイパーに何か紙が数枚挟み込まれていた。
何の悪戯かと思い外へ出てそのメモを手に取ると...
「正太郎さん、ぐっすりとお眠りですね。 ○○製薬 ××××」というメモ。
ほかに「通り過ぎてから何をしているかと見に来たら爆睡中でした。起こさずにいきますね。○○製薬 ××××」
中には自分の名刺の裏に「いつまで寝ているんだ!早く仕事へ行け!○○製薬 ××××」というものも挟まっていた。
しまったあ。 他の製薬会社の人たちに見られていたようだ!
「なぜ?」
あとから聞いた話だが
「だって柳田さんの車は"バン"だし、後ろの窓の所にいつも赤い傘を挟めているでしょ?誰が見ても分かる人にはすぐにわかるんですよオ~」と。
翌日から赤い傘を黒い傘に変えたのでした。
(嘘です)
そんな思い出。
ぼくのはじまり 32
本当に帰るの?
昔の北海道は今よりも雪が多かったような気がする。
それはまだ私が帯広・釧路を担当していた頃(20年前)。
出張生活の私は一週間の仕事を無事に終え、帯広市から札幌市へ
帰ろうとしていた。
その時は営業車で移動していたのだった。
時は2月。
北海道も、最も寒く冷え込む時期である。
最後の医療機関を出たのがもう8時ころ。
金曜日の夜。
多分、出張組の製薬会社の営業達はもう札幌へ帰り着くころでは
ないだろうか?
そんな中、私はオンボロ営業車で大雪が降る帯広の街をあとにした。
道路状況が悪く、スピードも出せないまま低速で"日勝峠"を目指す。
私は俗に言う「裏道」を知っていてまともに「国道」を行ったりはしない。
皆さんもイメージできるかと思いますが「広い広い北海道」です。
そのずっと向こうに「大きな山並みが連なる北海道」です。
吹雪の夜、横殴りの雪に目を凝らしながら裏道を突き進む。
どこからどこまでが「道路」で、どこから「畑」か区別もつかない。
これ以上左に寄ったら下の畑に車ごと転がり落ちるかも知れないという
緊張感たっぷりのままどこまでも続く道を...
私は気付かなかった。
「裏道に除雪車がそうそう入っては来ない」ということを。
進めば進むほど
行けばいくほど
山に近付けば近付くほど
「雪が深くなる!」
車が雪を踏む音が
ブルブルブル ... が
ブロブロブロ ... になり
バフバフバフ ... となり
ボフボフボフ ... になった。
雪が深い!
そろそろ危険である。 車体が雪に隠れ始めている。
これ以上進むのは正しい判断ではない。
しばらく走れば国道と合流し、そこからはまだ道路環境も
良くなるのだろうが。
そこに着く前に車が埋まるかも知れない。
もう走ることにもくたびれた。
ここから札幌まで220kmある。
残念であるが勇気ある撤退を余儀なくされた。
外は真っ暗。 横殴りの猛吹雪。 街灯も何もない裏道。
行き交う車も1台もなく。
「ビュウッ」という風の音。
ゆっくりと方向展開し帯広の街へ20kmほど戻った。
常宿のホテルへ10時ころに再度チェックイン。
疲れた体を休め翌日の土曜日に晴れた国道を札幌へ向かった。
月曜日の朝、札幌の支店に集まり月曜ミーティング。
金曜日と土曜日の顛末を上司に報告。
「よし、その判断は正しかったぞ。 何かあったら大変だからな。
でも、国道や峠が通行止めになったというニュースは聞いていないぞ。
除雪も入らない裏道なんか走るからだろ! バカ者!
普通に国道を行けばよかっただけの話じゃないのか?」
はい。 おっしゃる通りです。
申し訳ありませんでした...。
これからは真っ当な道を歩んでまいります。
ぼくのはじまり 31
ぼくの意識をかえた言葉
若い頃は何時までも走り続けていられた。
若い頃はどんな遠くの街へも疲れを知らずに移動出来た。
何かあっても気にならなかった。
失敗を失敗と思わない気楽さ(鈍感さ)があった。
それなりに元気があって(それが取り柄)、私は日々を楽しんでした。
ある時に上司が替わり営業所内の雰囲気は一変した。
今に思えば上が変わるとそれだけで全てが変わる典型だった。
さほどの能力もないハリボテの管理職に私達は翻弄された。
当時はもともと軍隊的な会社で「目標数字が達成できないなら帰ってくるな!」「1時間おきに現状を電話で報告しろ!」というような恐怖政治を始めた輩だ。
純情(笑?)な私は取り合えず上司の指示に逆らうことなく、たんたんと自分の業務をこなしていた。 つまりそれなりの実績を出していた。
期が変わり業績が順調だった私のエリアに「ドン」と目標が上乗せされた。
その時は「期待されているのなら仕方がないことか」とその話を受けた。
翌月から簡単には達成できない目標に対してとてつもなく厳しい追及が始まった。
この辺りは、それはそれで面白いエピソードが一杯ある。
(20年前の話だけどね)
なんだかんだ言いながらもゆっくりと私の顔にも疲労感や悲壮感が現れていたんだろうな。朝早くに卸へ行って実績の詰めをお願いしたり、夜遅くまで医療機関で発注をおねがいしたり...。
ある朝、卸の支店長が私を見かねて応接セットに呼び招いた。
支店長にも今度の上司の話は十分に伝わっていたようだ。
「どうだ、ヤナちゃん、調子は。 ん?。」
「まあ、大変ですが何とかやってますよ。大丈夫っす!」
「ちょっと、最近、きつそうだぞ。」
「いえいえ、何の何の」
「俺は立場上、あまり、こういった話をしてはダメなんだろうけど、
前から思っている事があるんだ。」
(もう時効だからいいよね)
「製薬会社の使命って何だと思う?」
「なんですかねェ。 やっぱり人々の健康を守るための...」
「そんな事は当たりまえさ。」
「製薬会社の最大の使命は、"黙っていても売れるくらいの素晴らしい
医薬品を開発すること"だと俺は思っている。
営業マンが頭を下げたり、接待したり、競合品をあれこれ言ったり、
朝早くから、夜遅くまで馬車馬のように駆けずり回らなくてもいいほどの
薬を開発して世の中に出す事が製薬企業の使命だ。
そんな事をしなければ売れない薬を売ってこいというのは苦しいのはただただ営業部隊だ。」
「ヤナちゃんが、これだけ頑張っても厳しい薬ならきびしいんだって。
大手メーカーが同じものを売ってるじゃないか。」
「よく営業マンの努力が足りないとか、資質が低いとか、知識が足りないとか言うけれど、それも確かに良く解る。 無いとは言わない。
でも、その前に「それは売れる薬か」じゃないか?。
会社は営業マンのお尻をたたいたり、脅したり、ボーナスで釣ったりするけれど、その前に開発部門に対して「良い薬を開発せよ!」が先にあるはずだ。
「おっ!これは!」という薬を開発することさ。」
わたしの中で何かが変わった...
(ほんの少しのうねりだけれど)
この内容をこのまま鵜呑みにすると誤解を生じる事もあると思う。
製薬企業は奥が深くてひとつの事柄だけで判断できないことが本当に多いから。
まずは「サラリ」と受け流していただきたい。
ただ、「ものが売れない」=「営業が悪い」ではないことを言いたかった。
これは全ての市場原理に当てはまると思う。
ただ医薬品の場合は「生」とか「死」とか「治癒」に関わる事だからそれは尚更なんだろうと思うわけ。
それぞれに役割があるということ。
みんなの理解と努力が必要だということ。
ぼくのはじまり 30
気まずい瞬間 3題
ずっと前の事だから。
今よりずっと穏やかな時代だから。
多くの事がある意味、許される時代だったから。
【気まずい瞬間 その1】
北海道帯広市 私 26歳のころ。
昼休みに、ある大きな病院を訪問した時。
消化器部長から「ちょっと用事があるから4時頃、もう一度来てくれないか。
私も4時頃には外来が一段落して、医局に戻って来るから。」と言われた。
その時、メーカーが4社いた。
多分、話は講演会などに関することだったと記憶している。
「今、1時半ですねえ。」
「そうですねえ。」
「あと、2時間ほどありますねえ。」
「ありますねえ。」
「違う病院へ行くには半端ですねえ。」
「半端ですねえ。」
「そこに麻雀荘がありますねえ。」
「ありますねえ。」
「行きますか。」
「行きましょう。」
皆でほんのちょっぴりの時間潰し。
喫茶店に行くような気分でもなかった。
(ここまで書いて、いいのかしら?と思う今の私)
2時間ほど遊んで「戻りますか」「戻りましょう」
麻雀荘を4人でゾロゾロと出てきた瞬間!
その病院の薬局長が目の前を歩いていた!
【気まずい瞬間 その2】
今は随分と減りましたが、当時(20年前)は、年末が近づくと各社、
カレンダーを医療機関に配っていた。
その時期、薬局や医局には溢れんばかりのカレンダーが配布される。
(最終的には看護婦さんたちへまわったりするのだな)
当社のカレンダーは海外の女子プロゴルファーの大判のカレンダーで
毎年、楽しみにしていてくれる方も多かった。
ある総合病院の薬局長。
「おっ!今年もこのシリーズか。いいよな。気に入ってるんだ。有難く使わせて貰うよ。」
当然、カレンダーの下には大きな文字で「〇〇製薬株式会社」と「ロゴマーク」が
入っているわけです。
カレンダーを褒められて、雑談後、薬局長室をあとにしました。
その後、伝え忘れていたことがあり急遽、薬局長室へ引き返した。
「先生。忘れていたことがありまして...」
その時、まさしく薬局長が!
裁断機の前で、たった今私が提供したカレンダーの会社名が入った部分を
切り落としているところだった!
「ジャキリッ!」
薬局長 「あっ!」
わたし 「あっ!」
【気まずい瞬間 その3】
朝一番で病院の薬局長に用事があった時。
「先生、お早うございます。」
「うわあ。酒くせェ~!」
気まずいことだらけ。
ぼくのはじまり 29
それは言わない約束でしょ!
会社は違えど、同じ製薬会社業界。
同じホテルに数社の製薬会社の営業マンが宿泊。
釧路では古い古いビジネスホテルを定宿にしていた。
(ホントに古いのです)
朝に昼に夜に顔を合わせる人たち。
そうだなあ、大きなメーカーさんは1社で3人とかいたから総勢、
15人くらいの製薬会社営業マンがいたのだなあ。
大手メーカーさんは釧路市の担当者として何人かで釧路エリアを受け持っていた。
だから、札幌で会議とかない限り、ほとんど月曜日の午後(それまで移動)から金曜日の夕刻までその地に居るわけです。
私のような弱小メーカーは営業マンが少ないので一人で帯広エリア・釧路エリア、根室エリアまで担当していたのです。
移動範囲や走行距離は驚くほど。
たいがいの場合、私が釧路に居なければ何となく「正太郎は?」
「帯広にでも行ってるんじゃないの?」となり帯広に居なければ
「釧路にでも行ったんじゃないの?」と予測されるわけ。
ここで、便利なのは...(時効だからね。)
行方不明になっても誰にも怪しまれない!
いやっほ~!!
だからといって...仕事中に...
釣り竿を持って河原に降りて行ったり
ゴルフ練習場へスイングをチェックしに行ったり
公園の駐車場でシートを倒して二日酔いの体を回復させたり
噂の湯治場へ行ったり
ビリヤードの腕を上げたりはしていません...!
私達の朝は医薬品の卸へ行くことからはじまります。
卸のセールスさんと自社の薬の売れ行きや情報交換へ行くのです。
幾つかある卸さんを回って実績を確認したりもするのです。
朝の卸には大勢の製薬会社の営業マンがワサワサと集まります。
まあ、ひとつの儀式みたいなもんだな。
ある日の朝
...はじまりは前の日の夜...私はしこたまお酒を飲んだ...
(楽しかったからね)
翌朝は起きられなかったのだ。(寝たのも朝方だったような)
酷い二日酔いでね。自業自得だった。(今ごろ反省中)
同じホテルの皆は元気よく、そして爽やかに朝の卸へ行ったようだ。
そんな事は露知らず。
とある卸であるセールスさんが同じホテルに泊まっている某大手製薬会社の課長さんへ聞いたそうで。
「今日〇〇製薬の柳田さんは?ホテル、泊まっていなかったですか?
釧路じゃないのかな。 話があったんだけどなあ。帯広に行ってるのかな。」
「いや、車があったから釧路に来てるんじゃないかなあ。
それならホテルに電話して聞いてあげるよ」という話があったそうな。
(余計な事をををを!)
セ-ルスさんの席からおんぼろホテルへ電話をしたそうな。
携帯なんてないからね。
ホテルも身内みたいなもんでしたから。
その課長さん、「正太郎はいないの?」と尋ねたらしい。
フロントの返答にその課長は大勢の人がいる中で!
セールスさん達がいっぱいいる中で!
他の薬屋さんたちがワサワサいる中で!
「え~っ!!!
正太郎、まだ寝てるって~!!!」
あとで聞いた話によると卸の中がざわめいたらしいよ。
あちらこちらで笑い声もあがったらしいよ。
課長、それは言わない約束でしょ。
(まあ、約束もしていないけれどね)
後日談だが、そのあといろんな会社の営業マンから
「〇〇さん、それは言っちゃあ、いけないよォ~」といたく
責められたらしい。
こんなこと白状しちゃっていいのかなァ...
20年前のことでした。
ぼくのはじまり 28
-ウチ、ラブホテルですよ-
私が会社に入った24年前。
うら若き血気盛んな若者であったのだ。
入社したての新人のころの担当地区は札幌から日帰りで移動できる
近隣の町々だったのさ。
毎日、自宅に帰れるのは有難いけれど、中途半端に遠いので朝が早くて、
夜は「さあ帰ろう」と思ってから車で1時間とか2時間近く走らなければ
ならないこともよくあった。
そんなとき、夜遅くて、朝の早い仕事があり、どうしても宿泊しなければ
ならないことになった。
数年後には1週間、すべてホテル暮らしの生活になるのだが、この時は
小さな冒険のようでとても楽しく思えたのさ。
わくわくもんだったね。
泊まる町は「夕張市」。
そう、昔も今も有名な町だよね。
私は張り切って夕張の街に泊まることを楽しみにしていた。
「ホテルをとらなくちゃ」
昔のことだからね。
パソコンなんて無い時代だからね。
インターネットなんて「何?」の頃だからね
会社で内勤しながら電話帳を持ってきた。
夕張... ホテル... ページをめくりながら探しました。
「おっ!数件、ホテルがあるじゃん。よし、順番に電話していこう!」
電話のベルが鳴っている
「はい。○○ホテルでございます。」
「ああ、こんにちは!」(明るい声で)
「はあ。」
「明後日なんですけど、部屋、空いてますか?」
「ええ、大丈夫だと思います。特に予約も入っていないですし・・・。」
「え~っと、予約したいのですが」
「え?予約します?」
「はい。」
「予約しなくても大丈夫だと思いますけれど...。」
「え?そうなんですか?でも、一応。予約します。」
「はい...。」(かなり不思議そうに)
「え~っと、大人一人なんですが。」
「え?お一人なんですか?」
「はい。そうです。」
「○○製薬の柳田と言います。」
「はあ。」
「あ、そうそう、夕食と朝食を付けてください!」
少し経って
「あのう、柳田さま...ウチ、ラブホテルなんですけど...」
きゃあ~
ぼくのはじまり 27
せ、先輩!いったい何を!
22年前。
私がまだ24歳のころ。
まだまだ新人。
「君、道東地区を担当してくれないか?」という上司の言葉から
私の遥か長く遠い出張生活が始まったわけだ。
今までは10歳も年上の先輩が担当していて、おおきな商業圏に力を入れるために
そこへ先輩は異動になった。
時期的にじっくりと「引き継ぎ」をしている場合ではなかった。
人手不足のこともあり短期間でさっさと終えなければならなかった。
道東地区へ趣き、地域の重要かつ取り引きの大きな施設を重点的に挨拶を
して回ることにならざるをえなかった。
細かな引き継ぎはノートにメモをしながら、会話をしながら...。
北海道の東の果ての背伸びをすると北方領土が望める街にも
少し前まで当社の主力品をそれなりに処方してくださる医院があった。
最近はほとんど処方が出ていない。 何かあったのだろうか?
「先輩、○○市の△△医院は最近あれだけあった処方が止まってますね。
何かあったのですか?
それで、引き継ぎには行かなくてもいいのですか?」
「あ、ああ。 あそこはいいや。 まあ、機会があったら行ってみてよ。
今回は時間もないしな...。 挨拶は...しないで行くわ...。 うん、まあ。」
(歯切れの悪い報告)
「ふ~ん。 そうっすか。 わかりました...。」
***********************************************
その後、私が担当者になりしばらくたって道も分かり始めたころ。
「そうだ、○○市の△△医院でも行ってみるか。
処方が他社品に切り替わったのなら理由もきいてみたいしな。」
初夏の爽やかな風を受けながら私は走った。
目的の医院のたたずまいは少し古ぼけていたが近所の人々に
頼りにされているだろうな...という感じが伝わってくる。
木造の医院。
開け放しの玄関。
心地よい風が院内を吹き抜ける。
昼も近く受付に人影もなかった。
診察室から談笑が聞こえる。
「失礼します! ○○製薬ですが!」 玄関先で叫ぶも反応乏しく。
さらに大きな声で「失礼します! ○○製薬ですが!」 ・・・
こちらの声が院長には届きにくかったようだ。
「おお~い。 誰だあ。 入ってきていいぞ」と渋くて太い声。
靴を脱いでスリッパに履き替え診察室の前に。
中には椅子に座った院長らしき人物とスタッフと思われる女性たち。
「どこの薬屋だ?」
「○○製薬と申します」
一瞬走る緊張感。 院長の顔が変わった。
「よし、そこから動くな。 そしてそのままUターンをしてまっすぐ出て行きなさい。
そして二度と来なくていい。」
「新任の柳田と申します。 何かありましたでしょうか?」
「前任者に聞け。 話す気にもならん!」
事情がわからないまま「出入り禁止」の私。
"可哀そうに" という目で私を見るスタッフ
***********************************************
私は長い営業経験のなかで、この一度だけ「出入り禁止」を経験した。
しかも 「私のせいではないのに!」(笑)
先輩にすぐ連絡。
「△△医院で何があったのですか!教えて下さい。えらい目にあいました!」
「まあ。聞くなや。人には事情ってものがあるべ。じゃあな。」
一方的に電話を切る先輩。
帰り道の遠いこと。
帰り道の辛いこと。
その日はいくら飲んでも酔わなかったな。
なんだか切ない夜だったな。
理由? 22年たった今でも知らないよ。
教えてくれないんだから。
とほほ。
ぼくのはじまり 26
~ほら だいじょうぶ~
昔々の話だよ。
今、46歳の私が28歳のころ。
北海道のとある地方都市にて・・・
病院の駐車場で/夕方で
大手製薬会社の若い営業マン(MR)と会った。
「ああ、正太郎さん。 いいところで会えました。
今晩、これから時間ありますか?」
「今日はこれで終わりだけど...」
「僕に接待をさせてください!」
「はあ?」
「今日、僕、7:00から△△病院の○○先生をはじめて接待するんです。
上司が勝手に話を決めてしまいました。
不慣れで...。 何を話していいかわからないんです。
ああああ、緊張しています!
7:20分ごろに、偶然を装ってひとりでふらりと店に来てくれませんか。
私が気付いて、正太郎さんを仲間に入れますので! お願いします!」
○○先生なら私もかなり親しい間柄である。
その営業マンはまだ入社して間もないがなんだかんだと私に寄ってきてくれる。
そんなに言うなら...と、とりあえず「気が向いたらね」と軽く返事。
「お願いしますよ! 待っていますよ! 一度だけエ~っ!」という悲鳴にも
似た声を背中に私はホテルへ戻った。
時間は8:30
店にふらりと顔を出してあげた 約束の1時間10分遅れで!
彼は私を見つけるなり
「もう!」という顔をしていたが、そこはもう十分に場は和み、
彼は先生と楽しそうに談笑していた。
ほらね。
そんなもんでしょ?
合流してその後は楽しく語り合ったのである。
ぼくのはじまり 25
~ 手ぶらかよ ~
製薬会社の営業(昔はプロパー/今はMRと呼ばれる)は自社の薬の有効性や安全性を製品パンフレット(製品情報概要)や文献、データを手に医師へ紹介(説明)して適正使用を促進することが仕事である。
よっていかに会社から提供される資材を活用して医師へ上手に伝達するかがその営業マンの資質やスキルにかかってくるわけである。
ホントはね。
私は昔ながらのすっとこどっこい営業マンで、とても "学術肌" とは、ほど遠い "オチャラケ営業"。
当時は国内の中堅製薬会社に勤務していたのですが、時々、羨ましいと思う大手製薬会社の「カッコイイ」製薬会社営業マンも存在していた。
細身のスーツで体を包み、明るい色のネクタイがまぶしい。
黒い営業鞄はアタッシュケース。
さっそうと病院の廊下を歩いている。
病院によってはスリッパに履き替えてから院内に入るところもあったが、そんな営業マンは自分専用のスリッパを携帯し玄関でちょっと高級そうな「自分のスリッパ」に履き替えてから入ってくる。
廊下や医局で医師に自社製品のディテールをする姿も麗しい。
左手に文献、右手に銀色のボールペンを持ち、データを刺し示しながら面談している。
「彼はね、英語の文献を原本のまま読めるんだって」
「へえー、すごいねェ」
彼=学術的な製品(疾患領域)の説明 という公式がなりたち、とても信頼されていた。
私=??????という公式かな。
だんだん慣れてくると訪問するたび「薬」の話ばかりでなくなる。
私のような生半可(不勉強)な性分では逆に提供する「薬」のテーマが無くなってくる。結局、医師に面談はするものの「世間話」で終わることも多くなる。
時には営業鞄すら持つことなく手ぶらでぶらりと病院に入り、ふら~っと医局へ行き、そこに居る医師と談笑(内容はくだらないこと)し、離れ際に「あっ、先生、うちの〇〇〇の処方、宜しくお願いしますね。頼みますよ。」なんてことを言う。
これで「処方促進活動終了!」って会社に報告したりしていた。
(許される時代だったの!)
ある日、ある病院の薬局長を訪問した時に(手ぶらだったのさ!)、珍しく製品の難しい話になってしまった。
「柳田さん、その薬剤の血中濃度AUCはどうなるの?資料ある?」
「(汗)え~っと、いまその資料は持ち合わせていないのですが...」
「製品情報概要(基本パンフレット)に書いてあるでしょ。見せて。」
「(汗)え~っと、それが無いんです。」
「基本パンフレットも無いの?どうして無いの?」
「鞄が無いの」
「どうしたの?」
「営業車に置いてきたの」
「どうして置いてきたの?」
「う~んと、今日はいいかなって思って...」
「バカ者!手ぶらかよ。それでもお前は営業か?何しに病院に来ているんだ!」
「気を付けます...(しょぼん)」
でも薬局長がひとこと
「手ぶらで病院に来れるようになったら、お前も一端のうちの病院担当の営業になったもんだな。病院に入り込んでいるってことだからな。ここを担当して何年になる?」
「3年ですかね」
「先生たちもお前の事は可愛がってくれてるようだしな。頑張ってるな。」
怒られながら、
褒められながら ... 私は年を重ねていた。
そんな20年前。
ぼくのはじまり 24
あの先生は...
今まで多くの医師と関わってきた。
本当にいろいろな先生がいらっしゃった。
思いで深い人たちばかり...。
やっぱり20年前さ。
道東の小さなちいさな町立病院。
外科の院長と内科の副院長の2人しかいないような病院。
建物も古く廊下の電気も煤けていつも医局への廊下は薄暗かった。
その病院に私の好きな先生はいた。
そんなに頻繁に訪問できるような町ではなかったけれど、行くのが
楽しみな病院だった。
いつも優しく微笑んでいる先生だった。
「僕はね、本当は、一度、北海道大学の法学部を卒業したんだ。
でもね、どうしても医者になりたかったんだよ。
地域のお年寄りや病気の人を助けたくてね。」
「フィリピンの医科大学を受けて、留学して勉強したんだ。
全部、英語の授業でね。
結構、苦労したよ。
卒業してから日本に帰って来て1年かけて国家試験の準備をしてね、
ようやく医者になれたんだ。
その時は、もう30歳を軽く超えていたけどね...。」
優しく笑いながら話す先生だった。
「僕は街には行かないんだ。
ずっと地域医療にかかわっていくつもりなんです。
都会の病院は、僕には無理だな。」
なんてことを言う先生だった。
「君はこの町に泊まることはないの?」
「一度、ゆっくりと君と呑みたいもんだな。」
「先生、私は街に戻ります。次の機会にでも...」
暫く訪問する機会を逃してしまった私。
2~3か月の間を空けて次に訪問した時に、その先生はもう
違う町に異動されていた。
それからお会いする機会もなくなってしまった。
あれから20年。
きっとどこかの小さな町の病院でご健在なのだと思う。
そんなことをふと思いだした。
【ぼくのはじまり】
~フルートを吹く人~
今から20年も昔の頃、製薬会社の営業(プロパーと呼ばれていた)だった
私は道東地区の担当者だった。
広範囲を移動しながらの生活は大変と言えば大変だが、のんびりと言えば
のんびりした時間が流れていたと言えるだろう。
何時でも何処でも出なければならない携帯電話も無い時代。
毎日の営業報告を細かくパソコンで報告する事も無い時代。
ポケットベルが唯一の"お目付け役"だった頃...
私たち製薬会社の営業は医師の診察終了後や昼休み、夕方、夜に
面談し自社の薬の情報を提供するのが生業。
その地方都市で1、2の大きな総合病院は科や医師によって面談方法が異なる。
たまたまその日、私は目的の医師と面談を終えたあと、普段
あまり通らない昼下がりの外来廊下を歩いていた。
診察を終えた外来は午後の診察が始まるまでのしばらくの間
ひっそりと静まり返る。
ふと、耳を澄ますと、外来診察室の奥の奥から綺麗なメロディが聞こえる。
「誰かがラジオでも聴いているのか?」足を止めて聴いていた。
どうやらそれはラジオではなく誰かがフルートを吹いているようだ。
外来診察室と言っても堅固な扉で仕切られている訳ではない。
カーテンや薄い扉があるだけだ。
何気なく中を覗くと、いつも厳しくて評判の「麻酔科部長」。
ピンと背筋を伸ばして、目を軽く閉じ、少しだけ体を揺らしながら
涼やかにフルートでメロディを奏でている。
日頃の医療に対する厳格な姿勢の部長の意外な一面を見た。
毎日の緊張をこうして、時折、ひと気の無い診察室の奥でフルートを
吹きながら「静」と「動」を切り替えているということを僕はその時
初めて知った。
とある町立病院。
核になる都市から車で2時間近く走らなければ到着しない町。
途中の町立病院で予想以上に時間がかかってしまった私はその町に
ようやく着いた時には営業マンと医師との面談時間が終了していた。
「せっかくここまで来たのに...残念。」
取り合えず医局の前まで行ってみた。
外科部長が一人、机に向って作業をしている。
「ん?誰?」外科部長は私に気が付いた。
「あっ!すみません。時間、過ぎちゃいました。」
「おお、いいぞ。入っておいで。」
部長は誰もいなくなった医局でただ一人、紙で「鶴」を折っていた。
それもキャラメルの包み紙程度の小さな紙で。
消しゴム程度の大きさの「鶴」がいくつも部長の机の上に。
「先生、これって...」
「私たち外科医は手先の器用さが人の命を左右することがある。
このような地方の町では手術件数はそれほど多くはないんだ。
だからこそ時間があれば鶴を折ったりして、常に指先の訓練を
して緊張感を与えているんだよ。」
ここでも、ある医師の違う一面を見た。
2008年現在、若い医師は地方の勤務を敬遠する傾向にある。
地方都市では最新の医療を学ぶ機会が少ないというのも理由の一つ。
大都市で3年医療に従事するのと地方都市での3年ではインプットされる
医療知識に各段の差が付くという。
問題が存在するのは否めない。
でも、20年前に出会った医師達は素敵だった。
そんな思い出。
時代が人を変えるのか
人が時代を変えるのか
ぼくのはじまり22
~ ああ、それは違います! ~
これまた二十数年前の話。
私は一般大衆薬のほうが断然有名な国内製薬会社の「医療機関向け薬部門」の営業マンだった。可愛らしいキャラクターの会社である。町の薬局部門においては知らない人はいないほどの知名度。
道東地区をひとりで担当していた私は端から端まで駆けずり回って営業をしていた。でも、なかなか頑張っても物理的に訪問できない施設(医療機関)も出てくるのは仕方がないところ。新規開拓...と言いながら訪問していけばよいのだろうがその時間がなかったり、その施設に行くために半日以上が費やされるなどの理由がある。
ある時、一般大衆薬部門から「いびき」を抑制する薬が発売になった。
当時、日本初ということもありそれなりに話題になった商品である。
「いびき」とは漢字で「鼾」と書き、鼻が乾く~という意味がある。
鼻の粘膜を塩化ナトリウムとグリセリンで潤いを保持しておこうというもの。使い方はノズルを鼻に入れて数滴、滴下するというものだった。
時、同じくして医科向け部門からアレルギー性鼻炎の薬が新発売になった。副交感神経を亢進させるアセチルコリンという物質をおさえる作用がある。使い方はノズルを鼻に入れて数回、噴霧するというものだった。
根室の代理店の課長から連絡が入った。
「ヤナちゃん。 ○○町立病院の薬局長が△△△△△の製剤見本とパンフレットが欲しいと言っているんだ。急いで持っていってくれる?薬局長には言ってあるから。」
その町立病院は当社とは何の取引も無く、また地理的なことから私も訪問をしたことがなかった。(かなり遠いのさ)
「いい機会になればいいね。チャンスだよ。向こうから関心を示しているから。」
課長の言葉に期待を寄せながら朝からその街へ向かって急いだ、急いだ。
その街は道東に位置する町で人口が17,000人程度に比べて牛が120,000頭いるというのが自慢の町。濃くて美味しい牛乳が自慢の町。面積は全国2位。夕暮れに近い頃、その町にようやく到着。とにかく広い。「ここから○○町」という看板を過ぎてから人家が見えるまでややしばらく平らな牧草地をまっすぐに走り続けなければならない町。町立病院の場所すらよくわからず探しながら到着。初めて院内に入り、薬局を探す。薬剤室をノックし薬局長へ面会。始めてみる薬局長の顔。うん、よかった。優しそうな顔だ。
「はじめまして。○○製薬の柳田正太郎です。本日はお話のありました△△△△△のサンプルを持って参りました。」
「ああ、ありがとう。 お疲れ様でした。 わざわざすみません。」
「こちらが製剤見本になります。」
「ほほ~。これが噂のイビキを止める薬かあ~。」
・・・ち、ちがいます
帰り道は遠かった。
来た時よりも遠かった。
ぼくのはじまり 21
~ 月がきれいなんだな ~
20年前。 私は札幌市に住んでいた。
毎月、月初めに営業所会議が行われていた。
今、考えるとあれは意味のある会議だったのだろうか。
46歳になった今なら、「こんな不毛な会議は止めたほうがいいのではないか!?」「会議をするいじょう、それならば...」ときちんと代替案も提示できるだろう。 「会して議せず、議して決せず」という、目的が不明確な集まり(集会)にすぎなかったあの時代。遅くまで会社に残ることが美徳とされた時代。仕事をテキパキ終わらせても帰りにくい雰囲気。アナログの時代だから、資料などは全て手書き。先月の目標達成に関する結果や今月の目標数字や何でもかんでも手で計算(電卓)、そして膨大な数字や文字を手書きで資料に書き込み、コピー。翌月にはただの紙くず。 要領だけは良かった私はルーティンワークもサクサクと済ませていつでも帰れる体制にありながらも、何かと無理やり仕事を見つけて上司や先輩が重い腰を上げる頃まで時間を潰すというパターン。
懐かしいなあ、でも戻りたくないなあァ~。
そんな ある月始めの会議の夜。
期待の喘息薬(抗コリ薬)が発売される前日のこと...
夜の9時近くに釧路市の医薬品代理店の課長から電話が入った。
「あ、正ちゃん?」
「あれ、課長、こんばんわ。遅くにどうしました?」
「明日って○○○薬の新発売の日じゃないの?」
「ええ、そうです。」
「うちの支店で説明会、やったっけ?」
「いえ、まだです。 日程が他のメーカーさんでかなり埋まっていたようですしもう少し日にちが経ったら会議の時間をいただこうかと思っていました。」
何とものん気な営業マンであった。 普通はこんなふうには考えないものだ。
(冷静に考えると焦りますな/かなり適当な営業マンです)
「何考えてるんだ、正ちゃん。ダメだって! 朝一番で8時から15分、時間あげるからセールスに新薬の説明をしなさい!今すぐ釧路に向かっておいで。」
「え~っ!今、札幌ですよ。400km近くあるんですよ。え~っ?。」
「いいからいいから、必ずおいでよ。 じゃあね。」
会社を飛び出したっぷりとガソリンを入れて、深夜の日勝峠越え。
高速道路も無かった頃の話。
走れ走れ。
急げ急げ。
400km。
釧路市には早朝6:00に到着。 もちろん、睡眠はとっていない。 今ここで目をつぶると本気で寝てしまいそうだ。
ウトウトする間もなく早朝の代理店で説明会。 課長は「ほんとにもう、おまえは!」という顔をしていた。15分ほどの説明会を終えたあと、若いセールスが「柳田さん、それじゃあこれから新薬の紹介に数件、同行してもらえませんか?」。
課長が「正ちゃんなあ、寝てないのよ。徹夜で札幌から移動してきたんだ。少し寝させてやれ。」
代理店で昼寝の許可をもらうなんて変なの。
そう言われてホントにホテルへ行って数時間、昼寝をする私も私だが。
(午後から、びしっと仕事はしましたよ)
翌日、代理店へ行くと課長が一言。
『○○総合病院に昨日の新薬、採用して貰ったからな。 俺が入れておいたぞ。』
課長は私のために一肌脱いでくれた。
総合病院に採用させる条件に、面白半分で徹夜で私を走らせたようだ。
課長は「へへ、眠かったろ。ざまミロ。」と言いながら私のお尻を叩いた。
そして悪戯っぽく笑った。
日勝峠のてっぺんから見た月がきれいだったことを今も覚えている。
大好きな課長だったな。
今、何処でどうしているんだろう...。
ぼくのはじまり 20
~生と死の狭間に近く~
私のような製薬会社の営業は直接的に患者と接することは殆ど無い。
病院にしろ医院にしろ、Dr.と面談できる時間に訪問し名刺を出して外来、若しくは医局などでお会いする事になる。その場合、患者と接することはほとんど無いに等しいのである。
病院内で患者とすれ違う程度である。
外来で診察終了後に面談してくださるDr.や開業医のDr.に会う時に、患者と同じ空間に居ることはあるがそれも所詮、近くに座ったりするというだけのことである。
私達は、エンドユーザー(この場合、患者)の事を知ることが少ない。 Dr.から間接的に「君の会社のあの薬、いいねえ。効果あるよ。患者も喜んでいたよ。」程度に評価をきくことがあり、その言葉が嬉しくて生き甲斐でもあった。
しかし、そんなことを言っても、悲しいことに病院には「死」という結果が付いてまわる。
懸命の努力や貪欲なまでの"生"への欲求があっても叶わぬことがある。
そのようなことが大きな病院の中で繰り返されていることにあまり関心を奪われることなく当たり前のように、そして毎日のように営業のために足を運んでいるのだった。
20年近くの昔。
ある時、親しいDr.が当直の日、医局で深夜まで話し込み、すっかり遅くなったことがあった。
「それではそろそろホテルに帰ります。」とDr.へ告げ、私は一人、とぼとぼと玄関へ向かって歩いていた。病院内の廊下の照明は薄暗くなり、シンと静まり返った廊下をコツコツと。「昼間は賑やかな病棟も深夜ともなると静かなんだな。少し怖いくらいだな。」などと思いながら歩いているとひとつだけ明るい病室があり、煌々と明かりが廊下まで溢れていた。「はて?」と思いながらその病室の前を通りかかった時に何気なく部屋の中へ目がいった。ベッドに横たわる老人。その傍らで「お父さん、死んじゃいやだあ!」と泣き叫ぶ女性。老人の体にしがみつきながら泣いている男性。そしてまわりで涙を流して泣いている人々...。
まさしく臨終のときであったようだ。
「そうなんだ、ここは病院なんだ。」
あらためて自分の仕事を考え直した時だった。
ある老人病院を訪問したとき。
私たち業者は裏玄関から出入りするように言われていた。
小さな裏玄関を入り業者用のスリッパに履き替えて院内へ入ろうとしたとき前方からストレッチャーを押しながら数名の人々がやってきた。押しているのは知っている看護師。その横にはいつも面談しているDr.。そして患者の身内だろう。ストレッチャーに寝ている人の顔には白い布が被せられていた。 裏玄関には迎えの車が来ていて、まわりの人々は手を合わせ、神妙な面持ちで深く頭をさげ、小さな鐘を鳴らしたあと、死に至った老人は病院を出て行った。
「そうなんだ、ここは病院なんだ。」
自分の仕事場を考え直した時だった。
たかが薬...?
されど薬...?
私たちは自分の会社の薬を実際に処方されている患者のことをほとんど知らない。
知る由もない。 知る術もない。
多くの患者が救われますように...
そんな孤高な精神で...
私たちは「死」に近いところで仕事をしている。
ぼくのはじまり 19
~無くなるんだ~
20年前に担当していた釧路市。
港町特有の風の匂いがする街。
朝もやの中で目を覚まし夜霧に眠る街。
製薬会社営業マンの殆んどが札幌に家があるので釧路担当者はJRや飛行機で釧路へやってきて1週間のホテル暮らしが定番だった。
当時は「宿泊経費1日○○○○円」と規定されているパターンが多くその金額範囲内のホテルに泊まれば問題はない。
安ホテルに泊まれば差額はちょっとしたお小遣い。
酒飲みにはたまらなく魅力的な設定だった。
いくつもある釧路市内の宿泊施設。
それなりのビジネスホテルから、駅裏の安ホテル、和風旅館まで...
私はもちろん「駅裏の安ホテル」。
浮いた出張旅費でちょっと駅裏の居酒屋でなんていう暮らし。
6社ほどの製薬会社が常宿としていたそのホテルは宿泊費が安い分、当時から建物は古くお世辞にも「素敵・快適」とは言えなかった。
(20年前で!)
建物自体は昭和初期の洋館風の作りで絨毯敷きのロビーや廊下には得たいの知れない油絵が整然かつ無秩序に飾られていた。
風呂は共同風呂。
大きな家族風呂という雰囲気を醸し出していて、必ず大量の「バスクリン」が投入されていた。
刺激臭に近い芳香とどぎついほどの緑色のお湯を私たちは使っていた。
ベッドはスプリングが強すぎて身体を横たえると「ギギギ...」と悲鳴を上げる。寝返りを打てば「ギシギシ」と文句をたれる。
仲間で夜の繁華街へ繰り出し、深夜に酔って帰れば玄関は施錠されていて、私たちは庭にある非常階段を「ミシミシ」と這い登り2階の非常扉からホテルへ侵入(?)。
フロントに並べられている自分の鍵をむんずと握り締め、軽く挨拶をしてそれぞれの部屋へ。
無理を言い。
無茶をして。
おおらかに許され。
心地よく過ごせて。
今年の10月でホテルを閉めると風の便りに聞こえてきた。
今でも数社の製薬会社が常宿として利用しているとの話も。
ああ、当時の支配人はどうしているのか。
フロント係りをしていた娘はどうしたか。
あのホテルは、これからどうなるのか。
浅き夢みし
時の流れ
ぼくのはじまり 18
~「お前、年下だったの?」~
私は比較的、若い頃から年齢以上の年に見られていた。
言っておきますが「老けている」のではなく、「落ち着いて」見えるのである。
独りよがりの言い訳ですが...
若い頃、よく訪問していた釧路の病院があった。
薬局長は見た目、若く見えていた。
私は訪問を開始した頃より、当然のごとく「丁寧語」で薬局長とは面談するわけです。
それは、お世話になっている医療機関だもの当たり前の当たり前。
「先生、いつもお世話になっております。 ○○製薬の柳田でございます。
本日は、前回紹介させていただきました製品の別のデータをお持ちしました。
お時間、少々、宜しいでしょうか...。」
こんな具合。
「ああ、こんにちわ。いつもご苦労様です。 それではどうぞお座りください。」
薬局長はこんな具合。
そんな丁寧な関係を半年ほど過ごした頃、私も随分と病院と薬局長に慣れてきた頃。
世間話てきにお酒の話とか、ゴルフの話とか始まるわけ。
フランクに会話も弾むようになってきました。
薬局長がふと
「ところで、柳田さんはお幾つでいらっしゃるのですか?」と丁寧に聞きました。
「私ですか? 私は老けて見えるかも知れませんが26歳です。」
「なあにィ~っ!!!」突然、薬局長の顔が豹変。
「年下だったのかあ~!!。
絶対に年上だと思って、ず~っと丁寧語で接してきちゃったじゃないか!」
「なあんだ、そうだったのか。 何だかほっとしたな。 柳田さんは何歳くらいか分からなくて
どきどきしていたぞ!」
「老け顔ですみません。 気をつけます...と言ってもどうしようもないのですが...。
じゃあ、先生はお幾つですか?」
「俺はもう30歳だ。」
「ひゃあ~、そうだったのですか。 私のような若者にも丁寧に接してくださる先生だな...と
思っておりましたでありまする~。」
「年下とわかっていたら、少しは態度もちがうさ。」
二人でわっはっはっは!
今、私は46歳。 薬局長は50歳。
今でもたまに飲みに行く仲良しさ。
あれから20年か。
ぼくのはじまり 17
-いいから、まずは行ってこい!-
若かりし頃の僕はいろいろな経験をしてきた。
そして、何度となく「いいから、まずは行ってこい!」と言われたことがある。
新人営業マンの頃。
地方の町立病院や診療所を訪問することが日課であった。
当時、勤めていた製薬会社は町の薬局部門の薬が主だった。
(そうそう、ある可愛い動物がキャラクターで...跳ねる耳の長い...)
豆知識1:
町の薬局で売る薬のことを"OTC医薬品"と言ったりします。
"Overe The Counter"のことで、客と販売員がカウンター越しにやり取りする
ところからきています。
豆知識2:
薬には大きく分けて「薬局で買う大衆薬」と「病院や医院で使う医療用医薬品」に
分けられます。
その比率は12%vs88%ほどあり圧倒的に医療用医薬品の使用率が上回ります。
話がそれましたが、その会社では何品かの「医療用医薬品」の販売も開始。
テレビや商店街ではお馴染みの当社でも「病院・医院」ではまったく相手にされなかった。
「○○○のマークの会社がどうして病院に来るんだ?」とか
「町の薬剤師を相手にしていろよ」とまでいう病院薬剤師まで。
ちっくしょ~! だよね。
会社名はたぶん、日本中の人が知っているけど実績のない医薬品部門では
苦労をしたな。
今、思い返せば面白かったかな。
飛び込みで病院やクリニックに入っていって薬局長や院長に面談する。
うん、面白かったんだろうな。 今、考えると無鉄砲だったよな。
そのころいつも心には
-いいから、まずは行ってこい!- が、繰り返されていた。
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ある病院で、昼休みに総合医局へ行くと消化器内科部長が「ニヤニヤ」しながら
僕に向かって、「おい、正太郎、ここに来る前に裏玄関に行ったか?」。
「えっ!何のことでしょう?」。
-いいから、まずは行ってこい!-
部長に命令され(笑)、半信半疑で病院の裏玄関へ行くとそこには「献血車」。
「はいはい、なるほど、判りましたよ。」
たっぷり400の血液を提供し、再び医局へ。
「はっはっは。 行ってきたか! よしよし。 珈琲でも飲め!」と部長自ら
カップに珈琲を注いでくれた。
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出張先の帯広市で朝を迎えた。
特約店へ顔を出して喫茶店で遅めの朝ごはん。
ポケットベルが鳴る。
東の最果ての町の代理店所長からだ。
急いで公衆電話から電話をかける。
「何かありましたか?」
「○○市立病院の薬局長がすぐに来なさい と言っているぞ。
いますぐ、行きなさい」
「え~。 今、帯広ですよ。 明日でいいんですかね。」
「ダメダ、いますぐそこを出なさい。 走りなさい!」
-いいから、まずは行ってこい!-
そこから250km。 走る走る。 兎にも角にも到着。
急いで病院に飛び込み、薬局長室へダッシュ。
「先生、何かありましたか!」
「おお、来たか。 遅いぞ。」笑いながら薬局長。
「いろいろと大手のメーカーの競合品もあったけど、今回は
君のところの薬を採用することにしたよ。」
「おおおおお。」
まずは、何でも
-いいから、まずは行ってこい!-
だな。
ぼくのはじまり 16
-だから、嫌だって言ったのに-
帯広市の総合病院。
20年前。
夕方、医局訪問をしていた私。
この病院は大きな総合医局が2つあった。
第2医局で、うろちょろしていると(こう表現しているがキチンと仕事もしてるのよ)、循環器内科の部長がいた。
目と目が合った ...
「おお、正太郎、いいところに居たなあ。」
不思議なことに不埒で適当な私であったが、いろいろな医療機関で "下の名前" で呼ばれることが多かった。
中堅以下の弱小国内メーカーのMRの私だったがそれなりの先生達は
私のことを 「正太郎!」 と呼んでくれることが多かった。
若手や少し年上の先生は「正ちゃん」などと呼んでくれていた。
目が合ったのは私に良くしてくれていた部長だ。
「これからさ、○○ホテルで△△製薬の勉強会があるんだ。
悪いけど、正太郎の車でホテルまで送ってくれないか?」
まずい! かなりまずい!
送ること事体はさほど問題は無いが、問題は営業車。
グッチャグチャ。
基本的に綺麗好きなぼくだけどたまたまこの時はね...
「いやあ、先生、ぼくの車、ひどい状態なんですよ」
「ああ、俺なら全然、構わないから...。」って部長、タクシーで行ってくださいよぉ。
「あっ!先生、ぼくらもそろそろ向かいたんですけど」
若手医師2名登場。
あちゃあ~。 万事休す。
「正太郎に送ってもらおうぜ。」
「あ、ラッキーですね。」
「じゃあ、一足先に駐車場へ行って、準備します~(急げ)」 冷や汗。
「いやあ、俺達ももう行くから、いっしょに行こう。」
----- 病院の駐車場-------
「ほんとに汚いんですよ」
「うわあ、ほんとだああ」
あらゆる荷物をかきわけて乗り込み、出発。
ほんの10分程度の移動距離。
「あっ!先生、ここにビリヤードのキューがあります!」
「なにい~」
「ここに、ゴルフのパターが転がっています!」
「なにい~」
「おお、ルアーがたくさん箱に入ってるぞ!」
「だってここに川釣りの長靴が隠してあります」
「漫画の本もたくさんありますよ!」
「お前は、仕事をしてるのか!」
だから嫌だっていったのに...
僕のはじまり 15
~「いまの誰だ?」~
20年前のこと。
道東の都市を担当していた私はホテルをねぐらにしながら仕事に勤しんでいた。
私が担当していたある病院は当然、医師は輪番に「当直」していた。
総合医局には「今月の当直一覧表」が貼り出され、MR(製薬会社営業マン)は
それを確認して「今日は○○先生が当直だから夜遅くでも院内で会えるな」とか
「今朝は△△先生は当直明けだから疲れているだろう」と情報源のひとつにしていた。
私は大変、仲がよかった消化器科部長先生が当直の日は夜遅くに病院の医局を
訪ねて深夜のおしゃべりなどをして時間を潰した。
先生も急患が来ていつ緊急に呼ばれるか解らない。
実際、一晩に何度も呼ばれるのであった。(医師の当直はホントに大変だ)
医師用の仮眠室で横になるも、睡眠など充分に取れる状態ではない。
私たちとおしゃべりしているくらいが気晴らしになったりするらしい。
そこそこ夜が更けるころ我々は遠慮してそれぞれ病院をあとにしていく。
あるとき、いつものように深夜、医局の応接で談笑をしていた。
何人かが帰り、私もそろそろ帰ろうとした時、何を思ったか医師が
「なんなら病院に泊まっていったらどうだ?」と声をかけてきた。
「いやあ、先生、ちゃんとホテルも取ってありますから。」
「医局の酒を飲んでもいいぞ。 俺は飲めないけど。 話をしよう。」
そんなことで私は一人、医局に残り高級であろう日本酒をまるで自分の物のように
ぐびぐび飲みながら医師とおしゃべりしていた。
そろそろ眠くなった頃、医師は医局の隅を指差し「あそこに寝ろよ」。
そこは畳3帖ほどのスペースで囲碁や将棋が出来る小部屋。
アコーディオンカーテンで仕切れるようになっており、布団も一組置いてあった。
「でも、あそこに泊まっていく薬屋はいないでしょ?」
「何言ってるんだ、みんな泊まっていくんだよ。遠慮するな。」
「へえ~、そうなんですか。じゃあ、ちょっと横にならせてもらいます。」
旨い日本酒でふらふらとした私はスーツを脱いで布団を整え眠りについた。
深い深い眠りだったと思う。
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朝になり、軽く二日酔いで朦朧としている私はぼんやりと「ここはどこだっけ?」、
「何だか向こう側がうるさいなあ」と眠い目をこすりながらと立ち上がり
何の気なしに、アコーディオンカーテンを勢いよく開けたのだった。
医局のソファには白衣に着替え、間もなくはじまる外来に向けてコーヒーを
飲んだりしてリラックスしている医師たちが10名ほど。
私はパンツ一枚で太った腹を突き出しながら畳スペースで仁王立ち。
全員の視線を集めて固まる私。
手に持ったコーヒーカップを落としそうになる医師。
あわててカーテンを閉めなおした。 勿論、気を失いそうになりながら。
「だれだ?」 「なんだ?」 「泥棒か?」 「見たことあるぞ!」
「ああああ、正太郎だあああ。」
「どわっはっは」 医局内に湧き上がる笑い声。
私は真っ赤な顔でスーツに着替え、ボサボサ頭のまま医師の前に出た。
頭をカキカキ。 下を向きながら...。
皆さん、優しい声をかけて下さり、「おお、コーヒーを飲みなさい。」
「ホントにすみません...」
昨日の当直の医師がサンドイッチを手に医局へ入ってきた。
「おお。起きたか。サンドイッチを買ってきてあげたぞ。」
部長先生はわざわざ、売店まで行ってサンドイッチを買ってきてくれたようだ。
サンドイッチとコーヒーをもらいながら
「部長先生が、泊まっていいっておっしゃるものですから。
お言葉に甘えてしまいました。
よくここに薬屋が泊まられると聞いたものですから。」
先生達は顔を見合わせ大声で笑い始めた。
「はっはっは。 そんな奴、居ないよ。 お前が初めてさ。」
「部長先生!」