柳田正太郎(45歳) 医業経営コンサルタント
柳田正太郎事務所 代表
HP http://sirakaba.sunnyday.jp/
北海道オホーツク海に近い小さな田舎町で生まれる。
道内私大を卒業後、内資系製薬会社で勤務、後、外資系製薬会社へ転職。
病院から開業医までたくさんの医療機関を担当して(見て)きました。
製薬会社勤務時代は全国各地を巡り暮らす。
一念発起し北海道へ戻り、医業経営コンサルタントへ転身。
終わりなき東奔西走南船北馬な日々。
僕のはじまり ⑨
~「お前、年下だったの?」~
私は比較的、若い頃から年齢以上の年に見られていた。
言っておきますが「老けている」のではなく、「落ち着いて」見えるのである。
独りよがりの言い訳ですが...
若い頃、よく訪問していた釧路の病院があった。
薬局長は見た目、若く見えていた。
私は訪問を開始した頃より、当然のごとく「丁寧語」で薬局長とは面談するわけです。
それは、お世話になっている医療機関だもの当たり前の当たり前。
「先生、いつもお世話になっております。 ○○製薬の柳田でございます。
本日は、前回紹介させていただきました製品の別のデータをお持ちしました。
お時間、少々、宜しいでしょうか...。」
こんな具合。
「ああ、こんにちわ。いつもご苦労様です。 それではどうぞお座りください。」
薬局長はこんな具合。
そんな丁寧な関係を半年ほど過ごした頃、私も随分と病院と薬局長に慣れてきた頃。
世間話てきにお酒の話とか、ゴルフの話とか始まるわけ。
フランクに会話も弾むようになってきました。
薬局長がふと
「ところで、柳田さんはお幾つでいらっしゃるのですか?」と丁寧に聞きました。
「私ですか? 私は老けて見えるかも知れませんが26歳です。」
「なあにィ~っ!!!」突然、薬局長の顔が豹変。
「年下だったのかあ~!!。
絶対に年上だと思って、ず~っと丁寧語で接してきちゃったじゃないか!」
「なあんだ、そうだったのか。 何だかほっとしたな。 柳田さんは何歳くらいか分からなくて
どきどきしていたぞ!」
「老け顔ですみません。 気をつけます...と言ってもどうしようもないのですが...。
じゃあ、先生はお幾つですか?」
「俺はもう30歳だ。」
「ひゃあ~、そうだったのですか。 私のような若者にも丁寧に接してくださる先生だな...と
思っておりましたでありまする~。」
「年下とわかっていたら、少しは態度もちがうさ。」
二人でわっはっはっは!
今、私は46歳。 薬局長は50歳。
今でもたまに飲みに行く仲良しさ。
あれから20年か。
ぼくのはじまり ⑫
-いいから、まずは行ってこい!-
若かりし頃の僕はいろいろな経験をしてきた。
そして、何度となく「いいから、まずは行ってこい!」と言われたことがある。
新人営業マンの頃。
地方の町立病院や診療所を訪問することが日課であった。
当時、勤めていた製薬会社は町の薬局部門の薬が主だった。
(そうそう、ある可愛い動物がキャラクターで...跳ねる耳の長い...)
豆知識1:
町の薬局で売る薬のことを"OTC医薬品"と言ったりします。
"Overe The Counter"のことで、客と販売員がカウンター越しにやり取りする
ところからきています。
豆知識2:
薬には大きく分けて「薬局で買う大衆薬」と「病院や医院で使う医療用医薬品」に
分けられます。
その比率は12%vs88%ほどあり圧倒的に医療用医薬品の使用率が上回ります。
話がそれましたが、その会社では何品かの「医療用医薬品」の販売も開始。
テレビや商店街ではお馴染みの当社でも「病院・医院」ではまったく相手にされなかった。
「○○○のマークの会社がどうして病院に来るんだ?」とか
「町の薬剤師を相手にしていろよ」とまでいう病院薬剤師まで。
ちっくしょ~! だよね。
会社名はたぶん、日本中の人が知っているけど実績のない医薬品部門では
苦労をしたな。
今、思い返せば面白かったかな。
飛び込みで病院やクリニックに入っていって薬局長や院長に面談する。
うん、面白かったんだろうな。 今、考えると無鉄砲だったよな。
そのころいつも心には
-いいから、まずは行ってこい!- が、繰り返されていた。
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ある病院で、昼休みに総合医局へ行くと消化器内科部長が「ニヤニヤ」しながら
僕に向かって、「おい、正太郎、ここに来る前に裏玄関に行ったか?」。
「えっ!何のことでしょう?」。
-いいから、まずは行ってこい!-
部長に命令され(笑)、半信半疑で病院の裏玄関へ行くとそこには「献血車」。
「はいはい、なるほど、判りましたよ。」
たっぷり400の血液を提供し、再び医局へ。
「はっはっは。 行ってきたか! よしよし。 珈琲でも飲め!」と部長自ら
カップに珈琲を注いでくれた。
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出張先の帯広市で朝を迎えた。
特約店へ顔を出して喫茶店で遅めの朝ごはん。
ポケットベルが鳴る。
東の最果ての町の代理店所長からだ。
急いで公衆電話から電話をかける。
「何かありましたか?」
「○○市立病院の薬局長がすぐに来なさい と言っているぞ。
いますぐ、行きなさい」
「え~。 今、帯広ですよ。 明日でいいんですかね。」
「ダメダ、いますぐそこを出なさい。 走りなさい!」
-いいから、まずは行ってこい!-
そこから250km。 走る走る。 兎にも角にも到着。
急いで病院に飛び込み、薬局長室へダッシュ。
「先生、何かありましたか!」
「おお、来たか。 遅いぞ。」笑いながら薬局長。
「いろいろと大手のメーカーの競合品もあったけど、今回は
君のところの薬を採用することにしたよ。」
「おおおおお。」
まずは、何でも
-いいから、まずは行ってこい!-
だな。
ぼくのはじまり ⑪
-だから、嫌だって言ったのに-
帯広市の総合病院。
20年前。
夕方、医局訪問をしていた私。
この病院は大きな総合医局が2つあった。
第2医局で、うろちょろしていると(こう表現しているがキチンと仕事もしてるのよ)、循環器内科の部長がいた。
目と目が合った ...
「おお、正太郎、いいところに居たなあ。」
不思議なことに不埒で適当な私であったが、いろいろな医療機関で "下の名前" で呼ばれることが多かった。
中堅以下の弱小国内メーカーのMRの私だったがそれなりの先生達は
私のことを 「正太郎!」 と呼んでくれることが多かった。
若手や少し年上の先生は「正ちゃん」などと呼んでくれていた。
目が合ったのは私に良くしてくれていた部長だ。
「これからさ、○○ホテルで△△製薬の勉強会があるんだ。
悪いけど、正太郎の車でホテルまで送ってくれないか?」
まずい! かなりまずい!
送ること事体はさほど問題は無いが、問題は営業車。
グッチャグチャ。
基本的に綺麗好きなぼくだけどたまたまこの時はね...
「いやあ、先生、ぼくの車、ひどい状態なんですよ」
「ああ、俺なら全然、構わないから...。」って部長、タクシーで行ってくださいよぉ。
「あっ!先生、ぼくらもそろそろ向かいたんですけど」
若手医師2名登場。
あちゃあ~。 万事休す。
「正太郎に送ってもらおうぜ。」
「あ、ラッキーですね。」
「じゃあ、一足先に駐車場へ行って、準備します~(急げ)」 冷や汗。
「いやあ、俺達ももう行くから、いっしょに行こう。」
----- 病院の駐車場-------
「ほんとに汚いんですよ」
「うわあ、ほんとだああ」
あらゆる荷物をかきわけて乗り込み、出発。
ほんの10分程度の移動距離。
「あっ!先生、ここにビリヤードのキューがあります!」
「なにい~」
「ここに、ゴルフのパターが転がっています!」
「なにい~」
「おお、ルアーがたくさん箱に入ってるぞ!」
「だってここに川釣りの長靴が隠してあります」
「漫画の本もたくさんありますよ!」
「お前は、仕事をしてるのか!」
だから嫌だっていったのに...
僕のはじまり ⑩
「いまの誰だ?」
20年前のこと。
道東の都市を担当していた私はホテルをねぐらにしながら仕事に勤しんでいた。
私が担当していたある病院は当然、医師は輪番に「当直」していた。
総合医局には「今月の当直一覧表」が貼り出され、MR(製薬会社営業マン)は
それを確認して「今日は○○先生が当直だから夜遅くでも院内で会えるな」とか
「今朝は△△先生は当直明けだから疲れているだろう」と情報源のひとつにしていた。
私は大変、仲がよかった消化器科部長先生が当直の日は夜遅くに病院の医局を
訪ねて深夜のおしゃべりなどをして時間を潰した。
先生も急患が来ていつ緊急に呼ばれるか解らない。
実際、一晩に何度も呼ばれるのであった。(医師の当直はホントに大変だ)
医師用の仮眠室で横になるも、睡眠など充分に取れる状態ではない。
私たちとおしゃべりしているくらいが気晴らしになったりするらしい。
そこそこ夜が更けるころ我々は遠慮してそれぞれ病院をあとにしていく。
あるとき、いつものように深夜、医局の応接で談笑をしていた。
何人かが帰り、私もそろそろ帰ろうとした時、何を思ったか医師が
「なんなら病院に泊まっていったらどうだ?」と声をかけてきた。
「いやあ、先生、ちゃんとホテルも取ってありますから。」
「医局の酒を飲んでもいいぞ。 俺は飲めないけど。 話をしよう。」
そんなことで私は一人、医局に残り高級であろう日本酒をまるで自分の物のように
ぐびぐび飲みながら医師とおしゃべりしていた。
そろそろ眠くなった頃、医師は医局の隅を指差し「あそこに寝ろよ」。
そこは畳3帖ほどのスペースで囲碁や将棋が出来る小部屋。
アコーディオンカーテンで仕切れるようになっており、布団も一組置いてあった。
「でも、あそこに泊まっていく薬屋はいないでしょ?」
「何言ってるんだ、みんな泊まっていくんだよ。遠慮するな。」
「へえ~、そうなんですか。じゃあ、ちょっと横にならせてもらいます。」
旨い日本酒でふらふらとした私はスーツを脱いで布団を整え眠りについた。
深い深い眠りだったと思う。
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朝になり、軽く二日酔いで朦朧としている私はぼんやりと「ここはどこだっけ?」、
「何だか向こう側がうるさいなあ」と眠い目をこすりながらと立ち上がり
何の気なしに、アコーディオンカーテンを勢いよく開けたのだった。
医局のソファには白衣に着替え、間もなくはじまる外来に向けてコーヒーを
飲んだりしてリラックスしている医師たちが10名ほど。
私はパンツ一枚で太った腹を突き出しながら畳スペースで仁王立ち。
全員の視線を集めて固まる私。
手に持ったコーヒーカップを落としそうになる医師。
あわててカーテンを閉めなおした。 勿論、気を失いそうになりながら。
「だれだ?」 「なんだ?」 「泥棒か?」 「見たことあるぞ!」
「ああああ、正太郎だあああ。」
「どわっはっは」 医局内に湧き上がる笑い声。
私は真っ赤な顔でスーツに着替え、ボサボサ頭のまま医師の前に出た。
頭をカキカキ。 下を向きながら...。
皆さん、優しい声をかけて下さり、「おお、コーヒーを飲みなさい。」
「ホントにすみません...」
昨日の当直の医師がサンドイッチを手に医局へ入ってきた。
「おお。起きたか。サンドイッチを買ってきてあげたぞ。」
部長先生はわざわざ、売店まで行ってサンドイッチを買ってきてくれたようだ。
サンドイッチとコーヒーをもらいながら
「部長先生が、泊まっていいっておっしゃるものですから。
お言葉に甘えてしまいました。
よくここに薬屋が泊まられると聞いたものですから。」
先生達は顔を見合わせ大声で笑い始めた。
「はっはっは。 そんな奴、居ないよ。 お前が初めてさ。」
「部長先生!」
僕のはじまり -9
「先生、彼女、送ります?」
20年前。
やっぱり、北海道の道東地区のこと。
釧路湿原が見える国道沿いの「山小屋風(ログハウス)」の
喫茶・レストラン。
周りには本当に何も無く、ポツリとあるレストラン。
釧路の町からも何十キロも離れている。
僕は町から町への移動の途中で、その店で遅めの昼食を
とっていた。
広い店の中に、他に客は綺麗な女性がひとり。
「ははん。駐車場にあった高そうな赤いスポーツカーは
彼女の車か。ひとりでドライブか? かっこいいなあ。」 と思っていた。
僕は確かお店自慢の「ハンバーグランチ」か何かを食べたはず。
しばらくして、さっきの女性は珈琲代を払い店を出て行った。
しかしほんの2分後、その女性は店に戻ってきた。
「電話を貸して下さい」
まだ、携帯なんて無い時代だからね。公衆電話だからね。
彼女は電話をかけた。
「すみません、○○総合病院ですか? 精神科の○○先生、お願いします。」
あれ?○○先生を呼び出したぞ。 まだ若い○○総合病院の精神科医師だ。
どうしたんだ?
店のカウンターにある公衆電話だから聞きたく無くても聞こえてしまう。
「ああ、○○?ごめんなさい。車、鍵を付けたままドアロックしちゃった。
お願い、迎えに来て。診察が終わったら来てくれる? それまで待ってるから。」
「おおおおお、○○先生の彼女だったのか!!彼女が居るとは知らなかった。
へええ、○○先生の彼女ねえ。それにしてもまだ2時だ。
先生が診察を終えて釧路からここに来る頃は7時を過ぎるだろうさ。」
「うん、わかった。 待ってる。 ごめんね。」
バスも電車も何も無いからなあ。
じゃあ、仕方がないな。
「すみません、○○先生の知り合いの者です。電話、替わってもらって
いいですか?
彼女から電話を受け取り、「○○先生ですか?○○製薬の柳田です。」
電話の向こうから「おおおおおおおおおおお!!柳田サンだああ!」
「偶然、近くで食事をしていたんです。話が聞えてしまいました。
僕、これから釧路に戻るんです。良ければ、先生、彼女 送りますか?」
「あああああああ、有難いですう。 車は今度の週末にでも取りに行くから、
宜しくお願い致します。 あああ、居てくれて良かった~」
お店には、週末に合鍵を持って車を取りに来ることを彼女が告げて、
僕の(かなり)汚い営業車に彼女を乗せ、釧路へ戻った。
詮索も野暮なので会話はあまり弾まないようにしながら。世間話で。
それはそれは感謝されましたよ。
釧路に着いて、彼女はマンションの前で降ろし、僕はそのまま○○病院へ。
精神科の医局へ行き○○先生に報告。
「柳田サン、ホントに申し訳なかったです。有難う御座います。
何かで御礼はしますので。
ところで、もうひとつお願いなのですが…。
僕に彼女が居る事は誰にも言わないでいてくれませんか。
秘密なんです。」
「ほっ、ほっ、ほ~!」ニヤリの柳田。
「大丈夫っすよ。誰にも言いませんから。」
その後、○○総合病院の精神科で当社の採用されている医薬品が
爆発的に伸びたことは言うまでもない。
会社から伸び率の理由を聞かれるが、言えるはずもなく。
「謎の前年伸び率260%」と、言われたものさ。
へへん。
僕のはじまり ⑧
-5時間後の財布-
本当に広かった。
本当に遠かった。
20年前、北海道 道東地区をひとりで担当していた私。
大きな総合病院から小さなクリニック、果ては遠くの町立病院まで。
そのエリアのあらゆる先を訪問していた。
あるとき、帯広市にいた私は急遽、国立弟子屈病院へ行く用ができた。
(知らない方へ:弟子屈=“てしかが”って読むのです。)
(その病院は今は統廃合で既に違う経営体になっていますが)
どうにも、こうにも距離感とか景色感とか掴みにくいと思います。
距離にして120~140km、果てしなく続く広い大地と遠くに連なる山々。
そうそう、松山千春の地元(足寄:“あしょろ”と読みます)を抜けてまさしく彼の“♪果てしない~大空と~広い大地のその中で~♪の世界です。
何処までも続く長く真っ直ぐな道の北海道の風景を見た事があると思いますがその通りです。
時に私は大急ぎで弟子屈町へ向かっていたわけです。
(何の用か忘れたが、薬局長が帰宅する前に病院に着かなくてはならなかった)
何にも無い。
草原と牧場と畑と。
携帯電話も無い。
ポケベルの電波も届かない。
何十キロおきかにポツリと電話ボックスがあったりする。
弟子屈へ向かう130kmの間に会社へ連絡することがあり、ようやく見付かった
電話ボックス脇に車を止め、会社へ電話連絡。
その後、更に車を飛ばして数十kmを爆走!
何とか夕方には到着し、薬局長と面談を済ませ、事なきを得た。
「さあて、これからまた100kmほど走って今夜は釧路市に泊まるか」
何気なく国立弟子屈病院の駐車場で尻ポケットに手をあてがうと…
!!!うあっ!財布が無い!!!
!!!やっべ~!!!
場所はあそこに違いない。
そうだ、あの電話ボックスだ。
財布を電話の上に置いて、テレフォンカードを出したのだ。
早く移動しなければと、慌てて、そのままに…。
少し意識が遠くなるような気がした。
とにかく、走れ。
ともかく、目指せ!
ここから確か60kmくらい向こうの国道沿いの牧場の
防風林のところにポツリとあった電話ボックスのはずだ!
日も暮れて暗くなる。
すれ違う車もほとんど無く、さびしい一本道をただひたすら…
祈りながら…
あった、あそこだ!
車から飛び出し、電話ボックスに飛び込む。
なんと、私の折りたたみの財布はだらしなく開いたまま、電話ボックスの中の電灯に照らされてそのまま、ぽつねんと鎮座していた。
電話ボックスの中には蚊や蛾、虫がぶんぶん飛び交う。
体から力が抜けたが先ずは一安心。
とにかく助かった。
面倒なことにならずに済んだ。
この数時間、誰もこの電話ボックスを利用しなかったようだ。
随分と、帯広市方面へ戻ってきてしまった。
これからさらに140kmほど走って釧路市へ移動しなきゃ。
走った、走った思い出。
お腹が空いたな…。
忘れものには気をつけましょう とあらためて感じた日。
僕のはじまり-⑦
何が聞きたい?
どう答えて欲しい?
新年を迎えるにあたりこんなオイラでも一年を振り返り、
新しい一年の展望を考えたりする。
年末の「忘年会」は「望年会」と文字を変えて
年明け「新年会」は「信念会」と意味を変えて
そんな事を思いながらの年末年始に思い出したこと…。
今から思えばその裏にある恣意的な係長の作戦なんて
いとも簡単に見透かせられたのに。
22年前。
国内製薬会社の営業マン。
社会人として1年が経過して“何となく”仕事が解かって来たような時期。
少し緊張の糸が緩む頃。
当時の会社は数字にとても厳しくて目標達成への執着は
とても厳格だった。
何が何でも数字は詰めて来い!(何をやっても)
目標が達成出来るまで会社に来るな!…の世界。
そんな折、担当地区を変更されて目標と実績にかなり大きな
ギャップのあるところをを担当させられた。
「君ならこの地区をきっと盛り返してくれると思う。」
「期待しているからな。頼んだぞ。」
でも、数ヶ月たっても実績の上向き傾向は見られなかった。
(それなりに頑張っていたんだけどね)
会社で係長が言い放った
「おい、部長が部長室でお前を呼んでいるぞ!」
-軽くエキサイトする予感-
「失礼します」部長室に入り部長の前に出た。
部長は静かに私を見て
「最近、なかなか数字に成果が現れていないようだね。
やっぱり、あのエリアは厳しいか?」と口を開いた。
「色々と努力をしているのですが…。」
「うむ。そうか。」
「………のか?」
?何か聞えたような気がした
「……あるのか?」
?声のするほうをチラリと見てみると、ついて来た
係長が何かを言っている
「お前は仕事を真剣にやる気があるのか?」
?なぜ、係長はこのような事を口にする?
(おおおお!ここで、それを言うか!)(ちくしょう!)
かなりカチンときた私は「やる気はありますよ。真剣にやっています!」
「じゃあ、どうして数字が悪いんだ!?説明してみろ!」
「それはですね… … 」と、現状を説明し今後の展開を
私なりに説明した。
それを聞き終えた係長が更に一言
「お前の言い訳を聞きたいんじゃないんだよ!」と怒鳴った。
オイラ
「え~っ!今のは言い訳じゃ無くて現状報告って言うんだ!」
「これを“言い訳”と言うのなら何を説明して欲しいんだ!」
と、頭の中に血を登らせながら思いながら「はァ」と元気なく
答えるしかなかった。
何が聞きたい?
どう答えて欲しい?
こっちが聞きたい。
また、係長と私の関係はおかしくなった。(笑)
「去年の出来なかったこと」を思い出しているうちに
「出来なかった理由」を考えているうちに
「これからどうする」を模索しているうちに
こんなエピソードを不意に思い出した。
言い訳?弁解?弁明?釈明?
いいえ、分析による問題抽出と課題発見である!
僕のはじまり ⑥
「トホホな夜」
今だから言えることとか、
今だから話せることとか、
“今なら、ガッツリ文句を言ってやる!”とか あるよね。
オイラは若い頃は、何も考えず「不条理」を「不条理」と
感じることもなくただ「何か変だな?」程度に思っていた人間だ。
論理的な思考を試みようともせず自己のパラダイムの中で、それは
それでよしとしてきた。
つまり、一言で言えば「面倒臭がり」なだけだったかもしれない。
社会人になったとはいえ、少し前まではコンパに明け暮れる不真面目な
学生だった訳だし、サラリーマン(社会人)と一言で括ってみたところで千差万別な
有り様の殆んどは知らないのだ。
会社はテレビで爽やかなCMを流し、企業イメージの向上に一所懸命だった。
しかし、オイラの最初の会社は「軍隊的」なチームカラーだった。
「売って来い!」すべてはこの一言。
それでも、「サラリーマンの営業ってこういうものなんだろうな」と自己納得。
「俺の言うとおりにしろ!」と上司が言えば、それに従うものなんだろうなと。
いつもこころの何処かでほんの少し「???」と思いながら。
ある日、お得意様の親族が亡くなられた。
遠い町での葬儀。
新人の私は都合で行けない係長の替わりに呼び出されてその町へ向かった。
翌日の葬儀に間に合うように前の日に移動をしたのだ。
(この時点で、夜遅くに“お前が俺の代わりに行けっ!”という命令に
「???」をあまり感じてもいなかった)
夜遅くに疲れた体で海の近くの旅館に到着した。
空腹の私はコンビにもない町のひなびた居酒屋に入った。
魚とつまみとビールとお酒を楽しみ、遅くに旅館へ戻った。
翌朝、会社へ定時連絡の電話を入れる。
(ポケベルも携帯もない時代だからね)
「お前、昨日の夜、何処へ行ってた!」怒鳴る係長。
「連絡したいことがあったから旅館へ電話したら出掛けたって言うじゃないか!」
「食事に行っていました」
「まさか、酒を飲みに行ったんじゃないだろうな」
「いえ、食堂です!(本当は居酒屋ですが)」
「お前に連絡が付かなくて腹くそ悪いぞ!」
「すみません…」
「???」なんで、オイラ、謝っているんだ?
夜の9時過ぎのプライベートな時間を好きに使ったオイラは
なぜ、謝っているんだ? 何に対して謝っているんだ?
「すみません、係長、どうして夜に出掛けて、怒られなくてはならないのですか?」
「うるさい、お前は会社の出張で移動しているんだ」
「業務終了後も係長の指示で生活しなければならないということですか?」
「・・・・・」
ちょっとづつ、自己主張がはじまりかけたオイラでした。
オイラと係長のバトルのはじまり。
僕のはじまり ⑤ -「100円やるから」
冬の朝にたまに思い出すことがある。
私がまだ20代前半の頃、道東地区を担当していた時。
まだ、“現地駐在”をしている製薬会社営業マンは殆んど居なかった。
ほとんどの方は、札幌に住んでいて、月曜日に地方へ移動し金曜日の
夜に札幌へ戻る生活 ---。
当然、その間はホテル暮らし
当時は釧路市内のあちこちのビジネスホテルには製薬会社の社員が
常駐していたものだ。
“○○ホテルは○○製薬と△△製薬と□□薬品が使っている”
“××ビジネスホテルには--薬品と▽▽製薬が泊まっている”
などと色分けされていたのだなあ~。
私もとある安ビジネスホテルを釧路に来たときには利用していた。
そこにはやはり数社の製薬会社社員が利用していた。
私はまだ若僧で、会社は違うものの先輩達には服従していた(笑)。
そのホテルの駐車場は道路を挟んだ向かいの広場にあった。
私たちの朝は何となくみんな、食堂(レストラン)に集まり、朝ごはんを食べたり、
コーヒーを飲んだり二日酔いの人は牛乳を飲んだりしながら朝の出発までを
過ごしていた。
寒い寒い冬の朝。
外はキンと冷え込んで白いもやがあたりに漂う。
車の窓は凍り、結晶が浮かび上がる・・・そんな日が何日も続く。
「おい、正太郎、駐車場に行って車の雪を降ろして、エンジンをかけてきてくれないか」
「ひえ~!なんちゅうことを言いなさる!」
「寒いべや! 冷たいべや! 50円やるから暖気運転にしてきてくれ」
「頼むからよお。寒いの嫌いでよオ。」
「それは、私とて同じこと」
「お、それなら俺の車も頼むわ。」
「おれのもやってきてくれえ。」
食堂のテーブルの上には数枚の50円玉。
お金ではなく、言われたらやらなきゃって感じ。
寒い日の朝の行事。
辛い朝。
今じゃあ、さすがにこんな風習は残っていないよなあ。
釧路の安ホテルの薬屋さんたちのオリジナル風習(笑)。
そうか、今は「オートスターター」があるか。
20年前。
北海道は、今より寒かった。
贅沢が何だかよく解からなかった時代。
何でも素直に聞けた新人の頃。
22歳だったけど社会人では1歳。
「道東地区を担当してくれないか?」
「はい。わかりました。」
一般薬(町の薬局)部門ではかなり有名な当社も
医療用医薬品(病医院の薬)部門では“超”が付くほど弱小。
病医院などを訪問しても
「○○○(かわいい動物)のマークがどうして病院に来るんだ?」と
嫌味までいわれる始末だった。(ちくしょうめ!)
当時はJRでの移動も許されていなかった。
営業車には促進用の資材が山のよううに積み込まれていた。
(整理整頓が出来ていないともいいますが)
常にオンボロのバンで「ガラガラ・ゴロゴロ」と北海道を
駆けずり回っていたのである。
根室市内で仕事を終えて釧路の街へ帰る途中。
ただひたすらに真っ直ぐで平らな道で。
眠気覚ましに車を止めて。
背伸びをしながら空を見上げた時、
「ああ、星ってこんなにあるんだ」と驚いた夏の暑い夜。
雪が降り始めた頃。 町から町を結ぶ林道で。
近道を選んで、国道を走らず林道へ向かった。
すれ違う車もなく。 シンシンと雪が降る山道で。
道路にはうっすらと雪化粧。
道端にキツネを見つけた私は食べ残しのサンドイッチを
持ってキツネに近付いた。
怯えながらも投げるパンに食らいつくキツネ。
何気なく足元に目を落とすと私の周りには数え切れないほどの
動物の足あとがある。
この林道を横切る“ケモノ道”にいるらしい。キツネ、鹿、ウサギ。
その中に私の顔ほどある巨大な足あとを発見。
間違いない!ヒグマだ。まだ新しい。
ゆっくりと後ずさりしながら車に戻り、肩をこわばらせながら
走り逃げたあの日。
秋の十勝川。
営業車にはいつも釣竿と長靴が入っていた。
ルアーだから餌はいらない。
いつでも竿を振ることが出来る。
ちょっぴり時間が余ったので(決してサボリではない!)
とあるポイントでスーツ姿に長靴で釣りをしていた。
ランドクルーザーがブルブルと河原にやってきて
独りのおじ様がばっちりと釣り師のいでたちでやってきた。
「釣れますか?」
「いえいえ、仕事をサボって遊んでる程度で」
「近くで私も…」
「どうぞどうぞ」
世間話や雑談をしばし。
「おじさんは、仕事、何してるのですか?」
「私? 私は医者です。」
「!!!!!おお~、ノオ~!!」(会ったことはない医師)
「あなたは?」
「私、私は…しがない、営業マンです…」
「あ、会社に戻らなきゃ。それでは!」
その先生と、私の次の出会いは…。
またまた、そんなある日の思いで。
カテゴリー【僕のはじまり:MR】その3
ホテル
…副題「ぶしゅるるる…」
まだまだ、23年前の話さ。
先輩について仕事を見習う「先輩同行」は続いていた。
札幌市内にみんな住んでいて担当地域によって、日帰りだったり、
場合によっては、遠方の町に連泊しながらの営業活動。
次は、旭川・網走地区を担当している先輩との同行だった。
あまり大手ではなく中堅の下くらいの規模の当社は
移動はもっぱら「営業車」。
さすがにその頃は、他の会社は普通の「乗用車」だったが、
何とも当社は「バン」だった!(悲)
朝、会社で待ち合わせをしてまずはご挨拶。
「今日は宜しくお願い致します。」
「おお、こちらこそ。」
先輩は、体格もよく出っ張った腹をゆすりながら
のそのそと歩いてきた。(年は35歳くらいだったか?)
「お前はさ、車の運転は得意なのか?」
「はい。」
「普段は何に乗ってる?」
「私は、カローラレビン1600GTアペックスツインカムに乗ってます。」
「ふ~ん。知らないなァ。」
「(先輩!車のこと知らないんじゃないですか!)」
「じゃあ、たっぷり運転させてやるよ。
まずは、旭川へ向かいなさい。」
「(え~、いきなり?)はい。わかりました。」
旭川は今でこそ高速道路が通じているが、当時はたしか
そんなに遠くまで高速道路はまだ無かったような…。
「俺さ、昨日、飲みすぎてよ。 具合が悪いんだ。
旭川に着いたら起こしてくれよな!」
そう言うと先輩はあっという間に座席を倒し、ひとつ
大きな背伸びをしたあと両手を頭の後ろに回し
一瞬で眠りに落ちていった。
「(そりゃないぜ、先輩!)」
ものの数分で不謹慎にも先輩は大きなイビキをかき始めた。
それが大音量。 驚くほどの。
押しては返す荒れた海のように、時にはやく、時に遅く。
時々は呼吸が止まってしまう。
「(そりゃないぜ、先輩!気になるぜ!)」
気が付いたら、先輩は太っているせいか、何回かに一度、
「ぶしゅるるる…」と唇を震わせながら息を吐く。
まさしく、漫画に書いてある効果音のように「ぶしゅるるる…」という。
口から「ぶしゅるるる…」という活字が出てくるようだ。
「(そりゃないぜ、先輩!)」
旭川に数時間の地獄を通り抜け到着した。
先輩は大きな背伸びをして、「ああ、気持ちいい」と言い放った!
こちらは大変な思いをしていたというのに。
先輩を起しては気の毒だと配慮してラジオも音楽も聞かずに
ひたすら運転に没頭していたのだ。
「ぶしゅるるる…」のリズムにのたうちながら。
地獄はこれだけではなかった!
当時の私たちはホテルの宿泊代(出張費)は、定額制になっており
1泊すると8000円か9000円くらい貰えたんだったかな。
(金額はさだかではないが)
つまり、安いホテルに泊まればその差額はちょっとしたお小遣いに
なる訳だ。
安ホテルに泊まれば居酒屋代くらい浮くんだな。
「今日は、安いホテルを取ってあるからな。」
「はい。有難う御座います。」
「それもさ、シングルで取るより、ツインの部屋のほうが
一人当たりの宿泊代は安いだろ?
だから今日はツインで同じ部屋にしておいたから。」
きゃあ~~~!!
何が悲しくてこの先輩と同じ部屋で枕を並べなくてはならないのだ。
神に捨てられたか!
ホテルに到着後、早速 近くの居酒屋へ。
先輩は食べる食べる、飲む飲む、語る語る。
上機嫌だったな。
「もう一軒、行くぞ!」真っ赤な顔の先輩は「何とか会館」という
怪しいビルの奥にあるお安いスナックに連れて行ってくれた。
8トラックのカラオケをガチャンとデッキに差し込んで歌詞本をベラベラ
とめくりながら演歌をがなっていた記憶がある。
千鳥足で歩く先輩をそっと支えながらホテルへ。
ようやく服を脱ぎ、隣あわせのベッドへ潜り込む。
安いホテルのカーテンはしっかり閉まらず夜の星が隙間から見える。
「はあ~。疲れたなァ。ゆっくり休むか…。」
その刹那、隣りから一瞬、「ぶしゅるるる…」と、聞えた気がした。
まさか、まだ3分も経っていない。
耳を澄ませば間違いなく「ぶしゅるるる…」。
「ああああ、しまった。先輩に先に寝られた!!」
どんどん大きくなる「ぶしゅるるる…」
短い間隔でしきりと「ぶしゅるるる…」
ああ、今日は眠れないのかな…
窓の外に見える満月が妙にきれいだな。
そんな23年前。
安ホテルの思い出。
このコラムの第1回 「僕のはじまり」より続く
製薬会社営業の新人だった私。
-とある、地方都市の市立病院-
皮膚科部長の個室へ上司係長の企みでひとりで無理やり入室させられた。
背中を押されつんのめりながら、部長先生の前にこの顔を曝け出した。
強面の皮膚科部長はゆっくりと文献から顔を上げ「何のようだね?」。
心の準備はおろか、製品紹介の準備すらままならない状態の私。
"笑顔"を作る余裕もなく、額に汗をかき口元は引きつった薄ら笑い。
「あああ、俺はダメだあああ~」 こころの叫び。
部長 「君は、どこの製薬会社だね?」
私 「××製薬で御座います。」(弱々しく)
部長 「ここでは、何が採用されているのだね?」
私 「はい、○○と、○○で、大変 お世話になっております。」
(気絶しそう)
部長 「ああ、○○と○○か」
私 「はい。 そうで御座います。」(倒れそうになりながら:笑)
部長 「いい薬だよな。私も処方しているよ。
私 「有難う御座います。」(必死の形相)
部長 「ところで、今日は何の用事だね?」
私 「(白い灰)」・・・
あああ、しまった!! 用事が無い!!!
どうなる 私!!
白い灰となり立ち尽くす私に部長先生は、「まあ、座りなさい」と
応接のソファを指さした。
(ええ~。座るのぉ~。早く出て行きたいっすよぉ。許してぇ~。)
部長は緊張している私を見て軽く笑いながら...。
「新人だな?」
「はい、そうです。 初めてひとりでDr.の前に来ました。」
「ほう、そうか。私がデビューになるのか。光栄だな。」
そして大きな声で笑った。
「生まれはどこだ?」
「大学は?」
「両親は?」
「どうして薬屋を選んだ?」
部長は面白がるように私に質問を浴びせた。
時間の経過とともに少しずつ私の緊張が緩むのを感じた。
後半は笑顔で向かい合っていた。
しばらくの雑談ののち、「また、いつでも来なさい。」と
優しく微笑みながら立ち上がる私に声を掛けてくださった。
「有難う御座いました!」
深々と頭を下げて、感謝しながら部長室をあとにした。
「ふう~っ!緊張したああ。」そう思い感慨に耽っていると後ろから
「いつまでおしゃべりしてるんだ。」と低音が響いた。
おっと、そうだった。
随分と長い時間、係長を薄暗い廊下で待たせちゃっていたんだ。
う~む。 失敬、失敬。
そんな23年前の思い出。
ひとりの力は弱いけれど、多くの力が集まればそれは大きなうねりに
なると考えています。
「ネガティブ」に考えるより「ポジティブ」に。
私は力のない人間です。
でも、仲間が集まったならば。。。
北海道が元気でありますように!と願っています。(皆さんがそう思うように)
それには道民の健康が保たれていること。
その実現のためには健康を守ってくれる医療機関が元気であることが必須です。
医療機関の「知りたい(何処かにいない?)」を満たせるようにサイトを作りました。
『ノースポケット』 と言います。
「手を入れたら何かがつかめる北のポケット」です。
少しでも何かのお役に立ちたい人々が集まっています。
まだまだ集まってきます。
更新され進化していく予定です。
もっとお役に立つサイトになればと考えています。
http://www.northpocket.com/
私たちは「北海道病医院環境向上委員会」と
勝手に自負しています。
何年前に現われたのか ・・・「ポケベル」
何時頃消えていったのか ・・・「ポケベル」
画期的でしたな。 あの仕組みは。
まだ誰も「携帯電話」なんて持っていない時代だもの。
だいたいにして、電話を持ち歩くなんて! その頃は気付きもしない発想だった。
当時、名刺大のポケットベルを多くの営業マンは持っていた。
(いや、持たされていた!)
(そうではない!腰につけさせられていたのだ!)
会社が私に用事があると、腰に付けた(革のホルダーだったよね)ポケベルが "ブルブルッ" と
震えるのさ。
そうすると、慌てて公衆電話へ移動し「何かありましたか?」と、用事を聞くのである。
音も出るのだけれど、医療機関を訪問している私たちには御法度。
みんな、基本的に「消音モード」だったね。
病院の廊下などでポケベルの呼び出し音を"ピーピー"鳴らしている営業マンはみんなからひんしゅくを買っていました。
(おいおい、音は消しておけよ!)
当社は確か、通常の連絡事項は10、急ぎの用事は20、緊急は30 と数字で小窓に表示されていたよう
に記憶している。
どのような番号であれ、腰が "ブルブルッ" となれば、心が "ドキドキッ" ってなるのです。
会社からの呼び出しって幾つになっても慣れないものだね。
当時、山の方(奥)へ仕事に行くと「電波」が届かないエリアがたくさんあった。
「すみませ~ん、今日は奥に行きますので、終日、ポケベル、届きませんので宜しくお願い申し上げます。」という台詞が、
呪縛から解き放たれる魔法の言葉だった。
「ふう、これで今日は上司からの電話がこないぞよ。」だった。
群馬県にいて、新婚だった私は(そんな時代もありました)妻の手作り弁当を持って仕事をしていた。
そんなある日、自宅からポケベルへ着信があった。
表示窓を見ると 8471 と、謎の数字の羅列。
私 「なんだ、なんだ、なんだ、なんだ こんな暗号、決めていたっけ?」
いくら考えても、どう考えても意味が解からない。
もしかしたら、随分前に 8471 が表示されたらこういう意味だから・・・と話し合ったっけ?
いや、そんな記憶はないのだけれど。
でも、もしあったら妻に怒られるか? 悲しませるか?
どうにもこうにも行かなくて、勇気を出して公衆電話から家に電話をかけた。
私 「あのさ、8471って・・・」
妻 「ああ、あれ? 今日のお弁当にお箸を入れるの忘れちゃって!」
私 「ん?」
妻 「8471 ・・はちよんなないち ・・はしない ・・<箸無い> でしょ!」
妻 「わからなかった?」
わかるわけないでしょ!
そんなポケベルの思い出。
12年前の群馬県。
暑い暑い夏の日だった。
私が国内製薬会社に入社したのはもう23年前のこと。 23年といえば長い時間なのか、そうでもないのか、感じる尺度は様々だ。
その頃生まれた赤ちゃんは23歳になり、 23歳の私は45歳に。
長い時間だ
そんな昔を思い出していた・・・・
当時、私は札幌に家がありながら、帯広・釧路・根室管内を担当していた。 うん、確かにそうだった。 当時の私の会社は非常に厳しくてある意味有名でもあった。 営業マンの事などあまり真剣に考えていなかったのではないかと思うほどであった。 (その厳しさを、当たり前と思っていたのは私が鈍かったからなのか?辛抱強かったからなのか?)
現在の一般的な企業の雇用環境(勤務条件)などと照らし合わせると、雲泥の差があると思う。 それが、20年くらい前までは当たり前だったんだ・・と、顧みれば、この年月は短いような・長いような 不思議な感覚に囚われるのである。
変化のスピードが速いから錯覚を覚えるんだな。
まず、週休2日制では無かった。 今でこそ当たり前の"週休2日制"など、世にほとんど存在せず、土曜日はお父さんがお昼で帰ってきてくれる、という時代がずっとあったわけだ。 それがようやく隔週で土曜日も休みになった・・・という時代である。 一ヶ月のうち、2回の土曜日が出勤で2回の土曜日が休日という時代になった。 土・日と連続で休めるようになったことを心から喜んだものである。
"サタデーナイト・フィーバー" が "花金(花の金曜日)" にシフトしていったのだなあ。
しかし、その頃の私の会社は、出勤の土曜日は時間までギリギリ現地で営業をすること! 月曜日の朝には必ず、現地に居ること! が原則だった。 「月曜の朝に現地に居る」ということは、日曜の夜には移動しておきなさい ・・ という、今聞いたら卒倒してしまうような無茶な社内規定(法的根拠のないルール)だったのだ。 しかも、移動は「営業車」! 電車は贅沢だということでしばらくは認めてもらえなかった。 (さすがに数年後には電車移動の許可が下りたけれど) (他の製薬会社はこんな不思議なルールではなかったはずです)
ところで、当時は立派な高速道路もなく、道路環境もけっしてよくはありませんでした。 そこをえっちらこっちらと荷物を一杯積んだカローラのバンで走るのです。 その車も先輩からのお下がりで既に地球を何周かしたようなオンボロです。 (新人が入ったら新車が1台、来るのですが、なぜか先輩がそれに乗り、新人はお下がりを・・・という風習が残っていました)
北海道以外の方でこのコラムを読まれている方は、北海道地図をご覧になるとわかると思いますが、道東方面って札幌から随分と遠いところにあるのです。 私の担当エリアの一番、札幌に近い街、帯広からも相当な距離があります。 車で片道約4時間。
土曜日の昼過ぎまで仕事をして、札幌へ帰り始めると到着は大体、6時頃。 若い私は、じっとしていられず夜のススキノへストレス発散へ。 深夜(夜明け?)まで仲間と飲んで遊んで帰宅し一眠り。 目が覚めればもう日曜の昼下がり。 「さて、何をしよう?」 「あっ!!そうだ、帯広へ戻るんだった!」 母が済ませてくれた1週間分の洗濯物をカバンに詰めなおし夕方近くにまた帯広へ向かって走り始める。 日曜の夜には帯広のビジネスホテル。
今にして思えばよくこんな生活を続けていられたものだと我ながら感心します。 少しくらい、楽(ズル)をしてもいいようなものだけれど、月曜日の朝一番に現地から「コレクトコール」で会社へ連絡するという業務があって電話交換手のかたから『帯広にいらっしゃいます、柳田様からお電話ですが』と会社へ繋いでもらう訳です。
月曜の朝には現地に居なくてはならない理由です。
こんな営業マンの暮らしが、たった23年前にあったのだなあ。 随分と昔のことと言えばいいのか、ちょっと前までこうだったと言えばいいのか。 長いのか、短いのか・・・・
だって、まだ「ポケベル」も、世の中にはない時代だった。
随分前に雑誌で読んだコラムの話。
この話を人に伝えようと思う度に自分の鼻の奥がツンとなる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ふたり暮らしの老夫婦がいた。
ご主人が「癌」に侵された。
余命少ない事実を伴侶である老女に伝える事は余りに酷だった。
高齢のふたりがいつもと変わらない日常を過ごせるように
医師はあえてこの夫婦に「癌」の告知をしなかった。
暫らく後に老人は静かに命の呼吸を止めた。
老人の死後、妻は初めて死因が「癌」である事を知らされた。
穏やかな表情で老婆は医師に語った
「先生、主人がお世話になりました。
安心して召された事だと思います。
癌だったんですね。
さっき、聞かされました。
でも・・・
もう少し早くにわたしがそれを知っていたならば・・・
わたしは 毎日、主人の布団に添い寝して
わたしは 毎日、主人を抱きしめていたかった。
連れ添った永い永い年月の思い出話を・・・
ふたりが出会った頃の話から・・・
毎日、毎日
何時間でも、何時間でも
お父さんに話してあげたかった・・・」
人を好きでいるということ
「おまえさ、こんなふうに考えたことある?」
今から20年近く前、私は国内製薬会社のプロパー(営業)と
呼ばれる職業に就いていた。
現在はMRと呼ばれている。
北海道の「釧路」や「根室」地方の担当者だった。
月曜日の朝に1週間分の着替えを詰めた大きなバックを肩に背負い
ホテル住まいをしながら金曜の夜に札幌へ戻る暮らし。
20代後半だった私は「出張日当」とか「経費」とか云う恩恵に依存し、
毎日のように出歩いてはネオンに吸い込まれていた。
「おまえさ、こんなふうに考えたことある?」
年代の近い医師ともよく飲みに出歩いたものだ。
いつも飲み歩いては大笑いして馬鹿な話で盛り上がり、
何度、窓に夜明けを見たことだろう。
ある日、珍しくホテルの部屋で安い日本酒をちびちび飲んでいると
電話のベルが鳴った。
「ちょっと、街に出て来ないか?」
「珍しいっすね、先生のほうから呼び出しなんて」
30分後、港に近い釧路のBARの止り木で二人は
ハーパーのロックを飲んでいた。
バーボンのきつい臭いが鼻の奥を刺激する。
「入院していた患者が今日、亡くなったんだ。
ずっと、面倒を診ていたおばあちゃんなんだ。
何とか、助けたかったんだよなあ。
でもな、今日の夕方に容態が急に悪化してな。」
先生は少し遠くを見るような眼で、そう言った。
「何だか、飲みたい気分でさ。
でも、一人では飲みたくなくて。
悪かったな。」
「いや、先生の気持ち、わかるから。」
「おまえさ、こんなふうに考えたことある?」
『明日の朝も普通に眼が覚めるって
奇跡の連続なんだって・・・』
今年で45歳になった私は、今から23年前 国内の製薬会社に就職を決めた。
父が病院薬剤師という職業にあった関係で私自身は「製薬会社」へ就職することに対しては何ら違和感を感じる事も無くこの世界を選んだ。 父親は薬局長という仕事柄、薬局へ情報提供と称し日参する製薬会社営業マン(当時は、プロパーと呼ばれていた)に息子がなることに複雑な心境だったに違いない。
「だから、薬科大学へ行けと言ったのに…」ポツリと親父が呟いたのを覚えている。
今となってはその選択にどれ程の志があったのかも忘却の彼方というところだろうか。 しかし、「くすり」を通して社会貢献をして生きがいを得られる仕事であろうと信じていたことは偽りのない事実であった。
現在でもそうだろうと思うのだが、薬科大学出身ではない学生にとって(薬科大出身でも同じかも知れないが)、製薬会社の営業マン(現在はMRと呼ばれている)とは、一体どのような仕事をするものかいまひとつ明確ではないと思う。 病院や医院へ赴いて医師、医療従事者に対して自社医薬品の優秀性や有効性、更に副作用情報などを提供して歩くのだな … くらいの印象ではなかろうか。
また、概ね製薬会社は高収入を得ることができて、福利厚生も充実していて仕事の相手は医師ということから人気が高い職種でもある。
このコラムをはじめるにあたり、23年間の製薬会社勤務の間に体験してきた様々な出来事や感じてきたこと、そして、昨年、医業経営コンサルタントとして独立にいたる経緯、そして現在の仕事の様子などを順不同(思いつくまま)に書き連ねていくつもりでいる。
北海道で生まれ育ち、道内のあちらこちらを出張で走り回り、東京本社を経験したり本州勤務を経験したり、転職を経験したり、良い時も悪い時も、当たり前のように(誰でも経験するように)経験しそして今では45歳の『おやじ』になれた。
新人で製薬会社に入社した場合、そこから約半年間からそれ以上(会社により違いはある)、研修が行われるのが通常である。ホテルや研修センターと言われるところに「缶詰」にされて朝から夜まで勉強するのである。
人体の基礎から製薬会社の仕組み、倫理規定、添付文書、製品基礎知識、疾病、薬理 その他、多岐に亘る業界、製薬、医療に関する知識や情報をみっちりと頭に叩き込まれるのである。 実際、叩き込まれてはいるが、こぼれ落ちる量も同量に近いものがあったような気がしている。(実は私は真面目な新入社員ではなかった)
さほど運動をすることも無く、時間通りに「食事」が提供されて太る社員も多発した。
長期間の研修が終わり、配属が言い渡される。
私は予定通り地元、北海道勤務となった。
しばらくは先輩同行をしながらその仕事ぶりを学んでいく。
「解らないことや疑問があったら何でも聞いてね。」という優しい先輩がいたり、「俺は仕事のやり方を教えたりしないからな。 自分で盗むものだからな。」(って先輩、それは怠慢じゃないんですか?)という先輩がいたりとユニークな方が多かった。
先輩の後ろについて先輩がDr.と会話している姿を眺めている…そんな感じ。
製品の特徴や世間話や、ゴルフの話や夜のネオンの話などなど。
私はまだまだDr.と話なんてできる余裕も製品知識も乏しくひたすら先輩の後ろについていただけだった。
ある日、強面の係長と同行した時である。
「その黒い営業カバンにはいつでもDr.と話が出来るように資材を入れておけよ。」と言われ、「はい、わかりました」と準備をして係長の汚くてタバコくさい営業車に乗り込んだ。
ある地方都市の市立病院に到着。
「ここの病院はな… 」
ひととおり、採用製品や施設概要を聞かされたうえで病院内へ。
最上階にある医局。 面談のゴールデンタイムは昼休み。
各科の部長は個室を持っていて、廊下の左右にずらりと並んでいる。
「まずは、皮膚科の部長に会うからな。挨拶の名刺を用意しておけ。」
「わかりました。」
係長は突然、笑顔を作り皮膚科部長の部屋のドアをノックした。
「○○先生、○○製薬で御座います!」
中から野太い声で 「おお。 入っていいぞ。」の返事。
「失礼致します!」 係長は私を前にしドアを開けた。
すると突然、私の背中を思い切り突き飛ばして私を部長室の中に押し入れた。そのまま、係長は部長室に入ることなくドアを閉めて姿を消したのである。
前につんのめりながら私は一人、皮膚科部長の前に転がり出た。
大柄な皮膚科部長は文献からゆっくりと顔をあげながら私を睨み、そして静かに言った。
『君は、何者だね?』