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褒められもせず苦にもされず

第87回 キング・オブ・ポップス

狭く汚い路地の突き当り。小さなジャズバーのマスターが、ある日、僕の顔を見るなり「これ凄いよ。観る?」と1本のビデオテープを自慢げに差し出した。ラベルにはマジックペンで『スリラー』となぐり書き。どこかでダビングしたものだろう。
家庭用ビデオデッキがまだ高くて買えなかった頃。僕はその店で初めて『スリラー』ノーカット版を観た。何人かの客たちと一緒に、モニターを食い入るように観た。14分間、誰も言葉を発しなかった。映像に圧倒された。
札幌の中心街が、バブルの魍魎たちに食い荒らされる前のこと。通称オヨヨ通りと呼ばれた路地の奥は怪しく古く、『スリラー』を観るには充分に効果的だったかもしれない。

その何年か前、僕は24時間営業のドーナツショップで夜勤のバイトをしていた。夜8時を過ぎると、店のBGMを夜間用に入れ換えた。明るく騒がしいコマーシャルソングが、大人の客向けのトーンになった。
そのドーナツチェーンは、洋楽のヒットソングをBGMに使っていた。片岡義男のショートストーリーがナレーションで語られ、合間にAORが何曲も流れた。
ホール&オーツ、クリストファー・クロス、シカゴ、ポール・マッカートニー...。そしてマイケル・ジャクソン。
深夜、誰もいない店内を黙々と掃除をしていると、エンドレスで流れるBGMが否応なしにアタマに刷り込まれた。当時の曲を聴くと、今でも一瞬であの深夜のドーナツショップへトリップする。

突然の訃報に、蜂の巣をつついたように騒がしい情報番組で、何十年ぶりに『スリラー』を観た。
少しも色褪せていないのはなぜだろう。
CGではなく、当時SFXと呼ばれたあの特殊メイクの方がリアルなのはなぜだろう。
情報がグローバルになっても、アーティストはミニマムになってゆくのはなぜだろう。

マイケル・ジャクソンに特に思い入れがあるわけではない。でも、思い出の多いアーティストだった。彼こそきっと、この地球で最初で最後の「キング・オブ・ポップス」だったのだな。


(2009年07月02日)

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