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第8回 一級建築士 山本亜耕(やまもとあこう)さん

一級建築士 山本亜耕(やまもとあこう)さん プロフィール

一級建築士 山本亜耕

1963年 札幌市生まれ
1987年 北海道東海大学芸術工学部建築学科卒業
同年    株式会社柴滝建築設計事務所入社/旭川
      都市計画:美瑛町本通地区際開発事業
      公共施設:庁舎、ホール
1993年 吉田建築設計事務所入所/旭川
      設計担当:民間施設:邸宅、戸建て住宅、店舗、医療施設、自動車ショールーム等
1998年 山本亜耕建築設計事務所開設
     住宅施設:永山の家、旭神町の家、東光の家、鷹栖の家、西野の家、岩内の家、宮の沢の家、星置の家など
     店舗施設、医療施設など多数

<作品の特徴など>

<企業講習会>

<その他所属団体>

6. 「環境技術」への消費者ニーズがとても大切です

ニセコの家は何坪あるのですか


約50坪くらいです


50坪!かなり大きいですね。
それでも、ペレットストーブ1台で、しかも光熱費は灯油の3分の1くらいということですね


だいたいそのくらいです


ニセコの家のような建築は、家を建てるコストは(一般のものよりも)割高になるのでしょうか?維持費や光熱費を考えると、相対的に安くなる、という発想なのでしょうか?


コスト的にいうと建築費自体が安価な都市部と割高な郡部では違いがありますが、平均的な坪単価+1割程度の予算でかなりしっかり断熱できるとお考え下さい。北海道の一軒家の場合、1年間で平均2000リットルの灯油を消費します。 ちなみに、EU各国では40坪程度で年間暖房灯油消費量400L以下の家が標準になりつつあります。
北海道の場合、やはり冬場が多くて月に約300リットル。内陸部の地域ではもっと使いますが、原油価格が高騰した今年は、月あたり3~4万円くらい灯油代がかかった家庭も多かったと思います。ニセコの家ではそこを月あたり1~1.5万円くらいでなんとかしようと、既に地場の技術蓄積として可能なんですけど、まあ残念ながらまだまだ一般的ではありません。(笑い)渡邊さんにはそういう点を是非、いろいろな場面で取り上げていただきたいなぁと思います


マスメディアには、まだまだそのような情報が見えてこない、足りない気がします。
なんだかモノゴトの本質が見えないですし...
「冬は一枚多く(衣服を)着込んで、部屋の温度を下げましょう」というキャンペーンでしかないですよね、現実は


そうですね、もっともっと周知のための報道は必要だと思います。しかしすぐ方法論に行く前に私たち自身が日々のエネルギーの無駄を意識することも大切ですね。というのは、真冬に部屋の温度を30℃にして平気なのは、全国的に見ても北海道だけなんです。短パンにTシャツで、ビール飲んだことあるでしょ?(笑)
こっちの冬の室内に東京や大阪の人を呼んだらほとんど全員のぼせちゃう。(笑)
私も北海道人だから暖かさに飢える気持は分かります。でもはっきり言ってすごく無駄ですよね。全国平均に比べて4割もCO2が多いのも分かります。冬は一枚多く着込んで、室内は20℃くらいで十分なのに30℃でビールになっちゃう。(笑い)
発想の出発点があまりに『防寒』偏重だったのでは?と最近思いますねぇ~。
防寒技術って「寒さの排除が目的」だからとかく「必要以上」に陥りやすいんです。無駄の有無より暖かさ優先に走りやすいのもそのためです。
一方『環境技術』は「無駄(負荷)を抑えることこそ目的」です。必要以上の暖かさをどうやって抑えよう?と考える。一見似ているようで発想はずいぶん違います


なるほど。そうですね


先ほどの報道の話もそうですが、実はそこのところがしっかり説明されていないと思います。だから消費者が勘違いしてしまう。住まい手の意識改革にはメディアにもっと協力してもらいたい。理想は学校で子供のうちから「住育」をしっかり教えてほしいと思います。無駄を見直すことこそ環境技術の本質なんですから

過去3ヶ月分の電気使用量を記録できる積算計。山本設計の標準仕様。PCで管理可能な優れもの

大阪に住む知人の話ですが、むこうは夏がひどく暑いので冷房をガンガン入れますね。
でも、住居の断熱や気密性が悪いので、冷房もどんどん抜けていくんだそうです。
ということは、北海道の技術を向こうに持っていけば、冷房費も減る、ということな んですか?


はい。そう思います。
「ニセコの家」は、通常の家の3倍くらいの断熱性と気密性で設計しました。
コンセプトは「しっかり着込めば、小さなカイロ一つで大丈夫!」です。
冬の暮らしを防寒的に解決しようとする限り「暖房に投資せねば」という既成概念から抜け出せません。「寒い=暖房設備こそ命!」という発想は、断熱性の悪い室内で大きなクーラーをガンガン使うのに似ていると思いませんか?
まずしっかり着込んで建物側でエネルギーを食わないようにしてあげる。
使うエネルギーを電気にしようかペレットかで悩むなんてその後で十分。ここの勘どころをとばしてしまうと、今までの灯油がペレットや電気に換わっただけのまったく環境的とはいえない住宅ができちゃう。(笑い)
そんなこともあってニセコはすごくシンプルな考えで行きました。「しっかり断熱と気密をすれば、中で動かす暖房でも冷房でも、すごく小さくても効率よく働きます。」
なんだか抽象的なんで分かりやすく行きますね。(笑)


このグラフは今年の2/15~3/1まで室内温度を計測したものです。ピンクの線が室温、ブルーは外気温です。2/15.16(計測器を取り付けた日)以降は無人で暖房は切った状態。室内に発熱するものがまったくなくてもお昼には室温が+10℃を越え、日によっては+15℃にもなります。一方外気温は-10℃以下。えっ!なぜ?ってこれ太陽の光のおかげなんですよ、しっかり断熱をすれば厳寒期の北海道でも窓から入る光だけでここまでいけます。たとえば+20℃の室温にしたければ足りない分の10℃少々にだけお金を払ってエネルギーを補えばよいと思うんです。まあ現実は「CO2を減らそう!」なんていうとまず断熱材より暖房器具の方に関心が向きがちですけど...。残念ですよね


あー。なるほどそうですね。
でもそのような構造を変えるのはなかなか難しいような気がするのですが


もちろんそうです。暖房器具も北海道の大切な産業ですから、声を荒げて「時代に合わないからもういらない」という問題ではないと思います。
むしろ防寒技術の実績が環境技術に応用できたように、例えば「北国=暖房器具優先」的な観念から少し離れる。CO2を出さずに、冬ばかりでなく夏も冷房に使えるボイラーとか、ペレットを燃やすことで燃焼熱の他に温水も作れて、床暖しながらお風呂も沸いちゃうとか(笑い)、いままで石油一辺倒だった研究の情熱を自然エネルギーに向ける。要は暖房分野のグリーン化ですね。そういう発想に変えて行く必要があると思います。
そのためには、建築家もさることながら、もっと消費者のみなさんからクレバーなニーズを発信してほしいと思います。もちろんマスコミや学校も質の高い報道や授業で応援してほしい。そうやって地域社会が協力して賢い消費者をたくさん育てることこそCO2大国「北海道」を緑の環境大国に変える大きな力になると思います


(つづく)

5.「防寒技術」から「環境技術」への転換が大切です

資料をいただいた「星置の家」(ほしおきのいえ)はとてもかっこいい住宅ですが、これは暖房費などのエネルギーのランニングコストもかなりお得な設計なのですよね?


はい。
なんとか冬場のエネルギー消費を減らすことをテーマに取り組んだものです。1階の床暖と温度調整用の電気ヒーターのみで、3階全ての暖房をまかないます。晴天だと暖房はいらなくなります。ガラス張りの2重バルコニーの内側は冬場でも晴天時+27℃にもなります。内戸を開けると太陽で温められた空気がふわっと室内に入ってきて気持のいいものです。直近のデーターでは照明、炊事、暖房、給湯、全て合わせても1ヶ月3万円少々くらいですから悪くないと思います。今年なんか暖房の灯油代だけでこのくらいいった人多いんじゃないでしょうか?(笑い)
先ほど申し上げたように北海道では様々な防寒技術を研究してきました。しかしこうした取り組みも見方によれば寒い特定の地域の都合を研究しているに過ぎません。日本の大部分はそこまで寒くありませんから。(笑)
でも最近はそんな寒地生れの断熱や換気、太陽光の利用といったノウハウが環境技術に簡単に応用できることも分かってきました。防寒技術のうちは単なるローカルノウハウでも環境技術となればニーズは全国区です


北海道には、そのような技術が蓄積されている、ということですか


はい、昔から伝統的に蓄積されてきました


(以下、パソコンの画面を見ながら)

これは日本郵船の小樽支店の建物です。
1906年に完成した建物ですから今から百年以上も前のものです。
設計者は佐立七次郎という日本で最初の建築家の一人です。
今あらためてこの建物を見ると驚くべきところが随所にあります


例えばこの窓枠の、緑のビロード。ビロードがなんでこんなところに付いているのかというと、窓を閉めた時の「気密パッキン」なんです。外気が窓の隙間から入るとすごく寒いばかりでなく、結露や湿気で建物の寿命も短くなりますよね。
もっと凄いのは、この窓の、外の景色との間に白っぽい隙間があるのがわかりますか?


これ、当時のペアガラスなんです。百年前にすごい知恵だと思いませんか。
ガラスを2重にしたことでこの建物は百年もったと思います。結露が少ないから


あー。なるほど


もうひとつ、建物をお見せします。僕がとっても好きな建物なのですが。
小樽市市民会館です。これはまだ築45年です


ご覧のように、当時のモダンな感覚が伝わってきます。今見てもかっこいい。
銀色の窓枠が見えますが、本来はこっちがオリジナルの写真です。
鉄の枠にパテを入れて、ガラスは単ガラスでした。工業化が進み強靭な鉄でシャープな窓が量産できるようになったので設計者はきっと勇んで採用したのでしょう。しかしこれがどうなったかというと、あっけなく全部錆びて、現在ではアルミサッシに替っています。銀色に見えるのはそのせいです


なるほど、そうなんですね~


こちらの写真は1877年(明治10年)に建てられてた、北大のモデルバーン(畜舎)です。(当時は札幌農学校)
今でも北大構内にある建物です


明治10年というと。日本人がちょんまげを切って10年目くらいですね。近代農業の付帯技術として、建築が入ってきました。それも日本で一番早く、近代的な建築が入って来たんですよ。
よく、「北海道は歴史がない...」とか「奈良や京都に比べると負ける」とか言いますが、それは和風建築の歴史であって、近代建築に関しては、北海道は一番早いくらいです。
明治元年から10年後にはもうこんな近代建築が建っていたんですから。
130年前なのに、窓にはガラスが入っていて屋根は板金で葺いてある。つまり、材料は基本的に今とかわらないんです。もちろん耐久性や性能は当時より良くなっていますけどね


はい


ですから昔からあるそういう技術を洗練し発展させながら、地域色豊かでモダンな建物を創りたいな~って思ってるんです。それを僕の個性にしようと。
先ほど紹介した星置の家なども、カタチを見ると北海道っぽいでしょ。バターやチーズの箱に書いてあるような(笑)


ああ、そうですね


でも、よく見ると、壁面が全部ガラスとか、極力モダンなデザインでまとめました。
シルエットだけ見ると、北海道を連想させる記号性があって、ディティール(細部)に寄って見ると最新の省エネとか環境技術などにきちんと答えていると。
そういうものの両立が、今の時代には必要なんじゃないかなと。そう思ってつくったのが、2005年の星置の家です


はい


次の「ニセコの家」は退職後に誰もが向き合う第二の人生に取り組んだ設計です。
2007年に完成しました。
この家のクライアント(施主)は、60歳少し前で、ずっと東京都庁にお勤めでした。18歳まで、となりまちの倶知安で暮らしていらしたんですね。
そんなこともあって、退職される数年前から、「北海道に帰りたくて帰りたくて仕方がなかった」と。
で、たまたま僕とご縁がありまして、「実は、退職したら北海道に帰りたいんだ」という先方のご意向を伺って、土地も一緒に探して2年越しでできたのがニセコの家です。
(クライアントは)もと北海道人ですけど、東京暮らしが長かったわけですから、北海道に帰ってきて、奥様と二人でこちらで暮らすということはどういうことなのか、ということをもう一度確認する必要がありました。
主にメールを通して打ち合わせをしていました。まず建築の条件ですとか、希望などを伺いまして


インターネットで遠距離で打ち合わせですか!


はい。そういうことも可能なんです。
ニセコは豪雪地帯ですから、やはり雪の対策などで随分話し合いましたね。例えば、屋根には雪を載せられないので落雪帯が必要です。でも、「書斎から羊蹄山が見たい」から雪の落ちる方向に窓もほしいとか、そういう先方の希望もたくさんありましたから。
しかし一番の問題はニセコという地域コミュニティに後から参加するわけですから、地域の人たちと自然に交流しやすい間取りを作りましょうと。で、考えたのが、風除室を作らないで、玄関ドアを開けたらいきなり書斎のような、いわば近所の人の居間みたいなスペースを玄関にしたわけです。これでご近所さんや友達が、気軽に家に来ることができます。ストーブなんか置いてその場所は土足で計画しました。日本人は靴を脱ぐとどうしても構えちゃうから。(笑)


1階はパブリックな感じでご近所さんOK、反対に2階はプライベート中心のスペース。親しい友人などは靴を脱いで2階の居間に上がってもらう。
つまり、子育て中心の家ではなくて夫婦二人でどうやって周囲の人たちと付き合って行こうかと、そういう家の設計をしています。
2階の間取りも、朝起きて、顔を洗うことから始まる一日の生活の行動順に、部屋の配列をしています。
ここは50坪の大きな家ですが、中心にある吹き抜けを介して、1階にあるストーブ一台で、全館を暖房する仕組み。エネルギーにお金をかけないようにしています。
出力は1時間あたり4000Kカロリーのペレットストーブ一台で、家中を全部まかないます。ちなみに、標準的な家庭用の灯油ストーブは1時間当たり12000Kカロリーくらい。ですから、3分の1くらいのエネルギー消費を目指しました


ペレットストーブなんですね


はい。1階の吹き抜けの近くに置いたペレットストーブ1台で充分に暖まります。ペレットは地方でも木屑から簡単に量産できますし、CO2を吸収した植物を燃やすので地球にも優しいです。星置の家以上にしっかり断熱したのでこの家も昼間は暖房がいりません。
結果、年金暮らしになってもお財布にも優しいの。(笑)でもこれからは大事だと思います。僕の建築の大切な考え方として、「知恵を駆使して、無駄を抑える」。『両立の美』って僕は最近言っているのですが、(両極にある)二つの難しいことを同時に解決する工夫。それが建築の設計なんです


(第6回につづく)

4. まちづくりのお膳立てをすることも僕たちの仕事です

以前、教えていただいた話に、「物価や人件費が高くなると、製造業や農業が発展途上国に依存するようになる。そんな中で、先進国がどうやって生き残っていくかというと、自らの歴史や文化を使うしかない。」という話がありました。誰もが行ってみたいと思う「観光国家」になっていかなければダメなんだと...
これって今各地で起こっている「まちおこし」にもつながる視点だと思います。
でも自らのまちを観光資源の観点から眺めたことなんてないですよね?(笑い)
住民にとってはそんなことどうでもよいことで。利便性とかの方が喜ばれます。
でもだれが考えたって両立できるほうがいいに決まっています。特に地方はそれで悩んでいるわけですから。これからはそういうことも含めてまちの価値を判断するべきで、「便利に住めればいい」とか「街並みは建売でいいんだ」とかいうことではなく、「ワクワク感」とか「見ているだけでいい気分になる」そんな家やまちづくりが必要だと思います。それは北海道でも可能なはずです


う~ん...。
一般的なイメージとしては、可能ではなかったと思うんです。
だから、「建売でいいや」とか「マンションで充分だ」という気持ちになってしまってきたと思うんです。オリジナルな家作りを諦めてしまっている部分がある。
それは、選択のチャンネルが足りなかったのか、僕たちが勉強していなかったのか、なんともわかりませんけども...
でも、これからだと思うんです。
これからは、人口が減って家が余ってきますよね。しかも高齢化社会ですから。
消費者がこれからどのような選択をしてゆくかということだと思うのですが...


僕が最近お薦めしているのは、「受け継ぐこと」なんです。
ここ発寒のまちもそうなんですが、住民が高齢化しますとおじいちゃんとおばあちゃんが二人で45坪の家にすんでいる。子供たちは独立していますから。
ここは駅も近いし商店もあるし、子育て世代にはとても便利なところです。
一方で、今現在子育てをしていて、仕事や生活に便利なまちに住みたい世代が、ここにはなかなか住めない。
そういう逆転現象がおきているんですよ。
そういう現実をビジネスに生かさなければいけないんです。
つまり、広い家に二人で住んでるおじいちゃんおばあちゃんに今必要なのは介護であったり、間取りにしてもずっとコンパクトなものです。そのような場所は民間借家も含めてたくさん施設ストックがありますね。
ですから、おじいちゃんおばあちゃんはそこに移る。そのかわり、空いた家を子育て中心世代に安く貸し出すわけです。それも3年契約など一定期間以上の契約条件で。
そうすると、おじいちゃんおばあちゃんにとっては資産を維持したままお金も生むようになりますし、若い世代にとっては必要な期間、子育てに有利な街に安く住むことができます。新築以外にもそんな選択肢を増やすことで本当に必要な世代が家を受け継いでくれるという、循環がもう一度もどってくるわけです


あー、なるほど


今までは、(家を建てても)自分たちのローンが終わって子供らが出て行ってしまったら、壊してもいいか...となっていたわけです。その結果、地上げされてそこに新しいマンションが建って、なんだかよくわからない人たちがまちにいきなり増えてくる。まちの雰囲気が変わってしまう。中には居住ではなく投機目的の住人もいて即完売のはずのマンションに夜灯がともらないとか(笑い)
そんなことの繰り返しだったわけですよね


そうですね


ですから、家を建てるだけではなく、まちづくりのお膳立て、地域の都合に合わせたコーディネートをするのもこれからは大切な仕事になります。
そうしなければ、高齢化したまま元気のないまちが増えてしまう。でもインフラをみたら、駅は近い、病院も学校もある、都心には近い。いいところなんですけどもね~。という矛盾からいつまでも抜け出せない。
人が減って、家が余ってきたときに、どうしていけばいいのか非常に大切な問題だと思いますよ。工夫次第で新興住宅街がどんどん郊外に広がるドーナッツ化現象も抑えられますしね


そういう循環型社会の発想は、行政には期待できないのでしょうか


東京などは、(住宅)問題が深刻ですから(行政が)けっこうやっていますね。
北海道では道庁が「社会実験」と称して古い建物を、断熱や耐震など現在の技術でリフォームしてお役所の「お墨付き」を与え、もう一度不動産市場に流す。そうして住宅の価値を再生させようという試みを行なってます。
簡単に言うと、不動産屋さんが便利な地域にある古い住宅を仕入れて、それを建築家や構造技術者を使って、最新の耐震や断熱、設備にして価値を再生をして売る、ということをしています。
そのほうが、新築よりもはるかに安いわけですから


それは、行政の事業としてやっていることなのですか?


行政のみならず民間からも参加者を募っています。
意外と知られていませんが北海道は冬の環境が厳しいので、道の研究機関なんかでいろいろな防寒技術の研究をしていたんです。
ところが、「住宅金融公庫」がなくしてしまいましたから、技術の行き先がなくなってしまった。「せっかく確立したこのノウハウをどこに使うんだ?」ということになってきた。
その技術ストックは『寒い家を暖かくする方法』であったり、『古いものを蘇らせる技術』だったり様々です。
それをもう一度どう使おうか?となったときに、今言ったような便利な地域にある古い住宅が余りだした。そちらにその技術を活用し再生リサイクルさせよう、ということになったわけです。地場の技術も一村一品ですから。(笑い)


なるほど


行政なので営利目的で全てできませんので、蓄積した技術をオープン化し提供する。それに地元の金融機関が参加し資金の面倒を見る、不動産業者は販売チャンネルを構築するといった具合に各界から参加者を募り、随時問題点を修正しながら進んでいるようです


(第5回につづく)

3. 家を建てるというのは「手工業」なんですよ

山本さんが現在手がけている仕事、あるいはこれからの仕事の、山本さんの特色はどういったものなのでしょうか


はい。まあ~あえて言うなら「地域共存スタイル」ですかね。
仕事をしていて感じるのは自分の仕事も「地域経済の一部」なんだということです。
僕に仕事をいただくと次に地元の工務店に仕事が行って、それから大工、鳶(とび)、土工、鉄筋、型枠、左官、塗装、家具、(長くてごめんなさい/笑い)建具(窓.ドア)、設備屋、電気屋、建材屋、地元商店、社寺、保険業、登記代行といった地域全体に少しずつお金が落ちます。(ふう~っ)そんな意味で今の僕のやり方だと「地域共存」なくしては成り立ちません。そんなふうにみんなで支えあった後、ぐるっと巡ってまた僕のところに紹介や依頼に姿を変えて戻ってくるようになるといいなと。人づきあいと仕事の地域循環みたいな。(笑)


ああ、なるほどそうですね~


大手ハウスメーカーの住宅はCMが上手で買いやすいかもしれないけど、お金の大部分は東京の本社に落ちる仕組みです。建築本来の姿である地産地消には程遠い。お金持ちの方だと、ハウスメーカー以外にもいろんな選択肢がありますよね。でも建築って本来は各人なりの普請事(注:1)なわけだから、「低予算=無理」ではありません。豊かな人は豊かなりに、厳しい人はそれなりに内容を加減すれば家は建ちますし、ハウスメーカーが住宅の主な供給元になる以前はむしろそっちが普通でした。ただ木造住宅なんかはその加減の部分を建築士ではなく主に大工さんがやっていましたけど


注:1普請事:ふしんごと
広くお願いして作るもの事の意。近年は普請=住宅を買うといった意味で使われがちだが、本来は広くたくさんの人にお願いすることを指す。

今、北海道の経済は良くないですから、高所得者は少ないですよね。
そのような地域経済の現状もあって、あえて今のスタンスで仕事をされているということですね


はいそうです。
ニュースで知ったのですが、今は日本の労働者の3人に1人がいわゆるパート。サラリーマンの年収は企業とは裏腹に毎年下降続きだそうです。一説には平均年収360万円の時代に入っているとも聞きます。さらに、年金不安やら、少子高齢化で増税もということになると、マイホームに今までのような月10万以上のローンは組めませんよね。組んで半分の5,6万で長期35年返済が世の中の普通になる。サラリーマンも地域の自営業も厳しい時代。でも本来両者は需要と供給の関係にあるわけだから僕が上手に結びつける工夫をすれば逆に、ビジネスチャンスかなと思います


あ~、そういうことか


先ほどの話しに戻りますけど、なぜ経済のことをもっと勉強しておけばよかったと思ったかというとそういう理由もあります。
僕なんかが知るよしもない、どんな力学で経済が動いているのかということは、建築の本を読んだりいくら図面を書いてもわからないんです。それがわからないから、「お金のないお客さんだな」とか「せこいこと言う人だな」とか勘違いしてしまう。でも決してそういうことじゃないわけですよね。社会がどんどん変化している結果なんですから


注文住宅は高いというイメージがあるのですが、例えば札幌で建売住宅を買う資力がある方は、注文住宅を買うことができるということなんですか?


もちろんそうです。
例えばハウスメーカーが取っている単価を考えるなら、設計料を入れた坪単価でも充分に競争できます。ブランド力はあってもコストと中味を比較すると日本の住宅産業は、まだまだ住まい手にとって改善の余地があると思います。
クライアントによくこんな説明をするのですが、「世の中には工業的に作ったほうがいいものとそうでないものがあって前者の代表が車、後者の代表が建築ですと。」やはり世界のトヨタがワールドワイドに何万台と生産してこそカローラがあの値段で買えるわけですから、車は工業的に作ることが理にかなっていると思います。
一方、大手メーカーの家も工業的に大量生産で作っています。でも地域で作るよりもずっと高い。これでは工業化の意味がどこにあるのか疑問です。日本のハウスメーカーはこうした方法を40年以上も続けていますが、いっこうに家は安くなりません。反対に大手になればなるほど価格は高くて、工業的につくらざるを得ない自動車に比べるとずいぶん曖昧に感じます。(笑)


なるほど、それで工業的じゃなくて手工業的となるわけですね


極論すると建築ってコアとなる部分にハイテクは必要ないんです。今はどうしても身の回りにハイテク工業製品が溢れているからイメージが難しいけど、大工さんの技術だって400年前に確立されたものだし、コンクリートなんかローマ時代の発明です、ハイテク製品と違って寿命の長いものをつくるわけだから、すぐに廃れるかもしれない技術はつかえません。むしろずっと後に残る知恵のほうが大切です。北海道であれば雪や風、地震、暑さ、寒さなんかをよく研究してそれに備えるとか、実際に100年長持ちしている建物の理由を研究観察するとか


地域ごとの歴史や気候、地盤に対する知恵の結晶が本来の建築ということですね


はい。そうです。
ですんで建築というのは短期間で全て評価できないんです。
千年経って「ああ、法隆寺は正解だった」と判るし納得もするわけです。
まあ「弊社の○○工法は素晴らしく丈夫ですよ」というのは、言うだけタダなんで。検証のしようもないし。(笑)


ああ、そうか(笑)
丈夫であることはもちろん必要ですけど、その上で、楽しさとかワクワクする感じとか、そういう家を安価で作ることも可能だということなんでしょうか?


ええ、充分に可能ですよ。出来ます。でもそのためには条件がある程度厳しい方がいいですね~。極端でなくある程度ですが~(笑)


はー それはなぜですか?


プロの僕らがよっぽど間取りを考えないと光がうまく入らないとか、そのまま南に窓を付けただけだと隣から覘かれそうとか、要は設計者の苦労が多ければ多いほどそれを解決したときの喜びも大きい。きっとクライアントは図面が早く実現しないかとワクワクすると思いますよ


なるほど


もうひとつは、クライアント側の問題もあります。建築家としての経験で言えば、古い家を新しく建替える場合と新規に土地を購入、新築する場合では圧倒的にクライアントの満足度は前者が高いんです。長年その土地に住んで不便や苦労を知っている分、憂いが晴れたときの喜びも大きいのだと思います。よく家は3軒建てなきゃ良いものはできないなんていいますが、あれはクライアント自身の成長も含めた格言です。けして世の中の大工や設計者の多くがダメで、めったにいい人に出会えないよ、ということではありません。
でもここ最近はぜんぜんダメなのや問題も多いですが~(笑)姉~


ははは、そうですよね~


せっかく楽しさとかワクワク感のお話が出たのでもうすこしそちらのお話をしようと思いますけど、たとえばトキメキとか楽しみとか、まずそういうものがないと、(家を)作ろうとか、住もうとかいう動機が生れないんじゃないでしょうか。ただ育児とか、炊事洗濯とかの機能をよりよく満たすだけの箱ならきっと家ってそれほど面白くないですよね。そんな意味で暮らしや住まう事を学校で子供たちにもっと教えてほしいんです。食育が大切なように住育もあるべきだと思うんです。子供にもっとワクワクしてほしい


ほ~「住育」ですか~。確かに使い勝手は大切だけど中味がそれだけしかない建物であればなんだかつまらないですよね


世界の観光地で人気が高いのはフランスとイタリアだそうで、その理由はまちなみが素適だからなんだそうです。
「家なんて住めればいいや!」っておっしゃる日本人でも、まちの良さはわかるんです。じゃあ、まちの良さって何?というと、この場合何百年も変わらないまちなみのことですよね。あのまちなみは、観光用につくったものではなくて、普通の庶民の生活そのものです。じゃあ日本の場合ハウスメーカーが区画整理した団地を見て、「ああ、ここに観光に来たいな~」って思います?(笑)
同じ庶民のまちなのに、片方はお金を払っても行ってみたくて、もう片方はそんなことぜんぜん思わない。
でも、日本のメーカーがつくるまちなみだって、一流デザイナーが考えたマスプロの最先端のデザインだと思うんです。なぜかは分からないけど、両者の間に決定的な違いがあって日本のまちのほうがねじれているのは分かる。自分が設計をすることでそこに答えがほしいのかな?と自問自答しますね~


うーん言われて見ればそうですね


(連載第4回に続く)

2. 建築家は誰のために働くのか?が問われる時代だと思います

そして98年に独立されるわけですね。
勤め人時代に、もっとこれをやっておけばよかったな、と思うことはありますか


ありますねえ。
建築が通常のアート物と大きく違うのは、実現にはスポンサー、つまり資金を出す人や、その実行力をもつ人との連携が不可欠なんです。
通常と違うというのは、例えば画家の方であれば、最初は自分で画材を買って紙に描くことから始まるわけです。彫刻家であってもそうですが、必ず小さくても「本物を一回自費で創る経験」から入りますよね?
しかし、建築学科の学生はといえば、よほどの人じゃない限り卒業設計で自前で家を建てちゃう人はいないです。(笑)
学生時代を比べると「バーチャルで始まってバーチャルで終わる」というところが他とは決定的に違います


なるほど、そうですよね


ですから、実現にはまず仕事として成り立つ環境づくりが必要なんです。流行の言葉で言うならマネージメント(経営)とコーディネート(全体調整)をもっと学んでおくべきだったと思います。
(建築設計の仕事には)美的センスや技術、法の知識などの他に、人づきあいとか経済の仕組み、どういうところにクライアントがいて、どこからお金が生まれるのかといった感覚も大切になります。
例えば、『建築家が参加してまちおこし』なんて言いますよね。でも実際は「建築家を雇う資金をどうしよう?」とか「そもそも古いものを残すにはどうしてよいか分からない」とか、そういったことにまずクライアントはぶつかります。
ですから、僕ら建築家が入ってすぐ図面が書けるわけではなくて、残すことを支援する世の中のシステム(例:行政支援等)とか、住宅ローンや各制度資金なんかの選択肢を暗中模索することから始まります。要はデザイン以前の基盤整備なのですが、近年はここら辺のニーズを強く感じるようになりました。
もう「設計職人」でやってゆくのは困難ですね。少し寂しいですが(笑い)


はい


そんなこともあって、今は物事をまとめる力をさらに磨きたいと思っています。 しかしこういったことは、いわゆる丁稚奉公的な設計事務所の中では得ることが出来ないですからね


そうかぁ~
特にバフルの頃は、スクラップアンドビルドの時代でしたよね。
それが良いかどうかの判断って当時は誰もわからなかった。結果として、残すべきものをみんな壊してしまったということなんでしょうね


はい。
そういうことですね


設計事務所を退職して独立をされてからは、どのような営業をなさっていたのですか?


札幌で開業したのですが、それまでは大学も就職も13年間旭川だったわけです。
建築業というのは地元密着型の産業なので、ちょっとしたものを直してほしい、見積もりがほしい、知恵を借りたいといったときに、地元の工務店さんや外注業者さんなどの、ブレーンが必ず必要になるわけです。分業の世界ですから。
ところが、こちら(札幌)にポンと帰ってきてさあ仕事をしましょうとなったときに、見積もりひとつ頼むにしてもなじみの工務店ひとつありません。カタログ1冊頼むにしても、代理店ひとつ知りませんでしたから。
今となっては笑い話ですけれど、最初の3,4年は仕事のたくさんある札幌に住みながら、旭川まで営業に行ったものです。(笑)


ああ、そうなんですか


というのは、飛び込みで「設計屋でーす。図面おひとついかがですか~」と言っても、初対面で「じゃあこれ頼むわ...」みたいなことにはなりませんよね。
最初は誰でも以前のつながりから仕事を請けることが多いのですが、つながりがないところから始まりましたから...。
ですから、最初の数年は非常に厳しかったですねー。
とにかく建築関係の図面は全部やりました。細かい部品図とか、アルミの曲げ物の図面とかなんでも(笑)


ということは、いわゆる下請け仕事ということですね


そうそう。
下請けの下請け、といった感じですかね。
当時の笑い話なんですが、独立して間もないころ、下請けの下請けの下請けくらいの仕事で「タイル割り」という図面を書いていたんです。
タイル割りというのは、タイルをキチンと壁面に割り付ける寸法を出す仕事です。 建築の図面を見ながら「なんだこの設計屋、タイルのことも考えないでこんな図面書きやがって」とブツブツいいながら図面を書いていたんです。
でも、どこかで見覚えがあるな~と思ってよくよく見たら、元の事務所で書いた自分の図面だったんですよ(爆笑)
「もっと考えて図面かけよ~」なんて、自分で自分に文句言いながら仕事をしていたのを憶えています


あはは。
そんなこともあったのですか(笑)
初めてオリジナルで家の設計をされたのはいつだったのですか


98年ですね。
幸運にも、独立した次の年に依頼をいただきまして。
99年に完成したY邸です。
旭川で建てまして。それが最初ですね。
今年で独立して10年になるのですが、ありがたいことに住宅に関しては1年に1棟のペースで設計をさせていただいた計算になります。現在10棟、今年は11.12棟目が完成します。
今までスケジュールや予算的に厳しい仕事が多かった反面、自分を表現するチャンスを毎年いただいたということはとても幸運なことだと思います


それらは個人住宅建築依頼のお仕事ですよね


はい。そうです


住宅の場合、一般の方は住宅メーカーに依頼するケースが多いような気がするのですが...。建築家に依頼するという選択肢があるということは、意外と皆さん知らないんじゃないですか?


以前のバブル時代に、公共建築とかビルとか、そういう大きなものを建てるのが建築家の仕事で、個人住宅などの庶民の建物は、地元工務店やハウスメーカーの仕事なんだと...。
なんとなくそんな差別化をされてしまったんですね。それがずーっと今まで来ているように思います


一軒家であっても建築家に依頼する方というのは、凄い大金持ちで大きな邸宅を建てる人なんだろうな、というイメージがあるような気がするのですが...


「ものづくり」というのは、一生懸命やればやるほど手間と時間とお金がかかります。その兼ね合いが非常に難しいところで、当然クライアントにも工期や支払いの限度があります。建築家には一生懸命やってほしい反面、芸術家のように、「いや、それは納得できない」と理想ばかりを追求されても成り立たないわけです。
バブルの時代にスター建築家のような人がもてはやされて、例えばどこそこの企業の社長の別邸を手がけたとか、それが雑誌等で立派なエピソード付きで掲載されたとか...
そこで、ある種の(建築家のイメージの)色が付いてしまったような気がします


そうですね。確かにそんな気がします


「建築家ってそもそも誰のために働くんだろう?」というもっと根本的な問題にそろそろ答えなければならない、そういう時代に来ていると思います。
お金持ちをさらにリッチにするのが建築家なのか、それとももっと違う道があるのか、 そんなことを最近考えます


(連載第3回に続く)

1. 地域に密着したところから仕事を請けたいと思いました

本日は宜しくお願いします


宜しくお願いします


山本さんとは、よくお会いする機会があるのですが、改めてお仕事の話などをゆっくりお訊きしたいと思います。
早速ですが、山本さんが建築に興味を持つようになったのはいつからなのですか?


僕もよく憶えていないのですが、子供の頃から建築が好きで...ということは全くなかったんです。
(札幌の)新川高校を第一期生として卒業した後、どのような道に進もうかと考えていまして...。
その頃は、料理人になりたかったんですよ(笑)


料理人?! 板前さんですか?


板前さん、というよりはシェフですね。
『包丁人味平』という漫画がありまして、かっこいいな、と(笑)


あ~、ありましたね。僕も読んでました(笑)


でも、当時の空気というか、流れとして「上の学校に進んで、男はキチンとした技術を身につけなさい」みないな雰囲気がありまして。
それで、旭川の東海大学建築学科に入ったんですけども、それも2浪した後の春にぎりぎり決めたという、まあ、無軌道な選択だったんです。
それが建築に触れるきっかけでしたね


憧れの建築家がいる、とかそういうことではなかったんですね?


そうです。
入学してから「建築の勉強って、自分に合っていて意外と好きかも」と思ったくらいで(笑)


もともと、図面を引くなどの作業が好きだったのですか


高校は普通科でしたので、図面を引いたりすることはなかったですね。絵を描いたりものを創ったりすることは好きだったかもしれませんが


なるほど。
そうしますと、大学の建築学科を卒業されて、建築設計事務所に就職されてから本格的に...ということなんでしょうね


そうですね。旭川の会社に就職してサラリーマンだったんですけど、上司曰く「給料をもらいながら仕事を覚えられるんだ。ありがたく思うように!」と、そんな時代でしたね(笑)


建築設計の業界は、皆さん独立される前にどこかで修行というか、お勤めをされるのが普通なんですか?


そうですね。一度勤め人の経験をされて、その後独立される方が多いです


建築設計といっても様々な分野があると思いますが、山本さんは最初の職場でどんな仕事をされていたのですか


僕が最初に入った会社は公共建築などを広く受注する、いわゆる「建築設計会社」でした。カリスマ設計士がいるというような職場ではなかったです。
そこではまず、図面を理解できるようになれと。
次に、図面を描けるようになれと。
ぶっつけで仕事をしながら憶えていくような感じでした。「習うより慣れろ」の世界だったと思います


「営業」の仕事もされたのですか


机に座ってばかりいるのもあまり好きではなかったですし、根がわりとこういう(社交的な?)タイプだったものですから(笑い)当時の営業部長にかわいがってもらいまして、連れ出されるというか、営業の現場に行くことが多かったです。
営業の人と一緒に現場に行って図面の説明をするとか、営業のサポートとして同行するようなことが、入社2年目くらいから増え始めましたね


喋りが上手いとか、プレゼンが巧みなクリエイターは重宝されますよね。それは建築の世界でも同じなのでしょうか


そうですね~...
建築が一般的なクリエイティブの世界と大きく違うところは、スケール的な問題で、現物を持ってくることが出来ないということです。
最後は想像していただくしかない、という世界なわけです。
その手がかりとして図面なり模型があるだけで、お金を出す方やそれを使われる方は、最後の最後まで皆目わからない。(笑)
ですから、言葉で完成状態を説明できる能力というのは確かに重宝されるかもしれないですね。お客さんも安心しますし


主にどのような建築設計のお仕事だったのですか


最初の会社に6年いたのですが、そこでは主に公共工事です。市庁舎とか病院。
当時は「ふるさと創生資金」等で地方にお金をばら撒いた時期がありましたし、旭川をはじめ近隣市町村でも100年記念事業があったりとか。
建設省や通産省からも地域振興の名目で随分お金が出た時代でした


バブルの頃...ですね


はい。
ですから最初の会社では、都市計画や、箱ものの大きなコンクリート建築などを手がけていました。住宅のような小さいものは全く経験がなかったです


あ~、そうなのですか。
93年に転職されますが、住宅設計を始めたのはそれからですか?


そうなんです


会社を移られたのはどのような理由からでしょうか


6年も企業の中にいると、漠然とですが「そうか俺のポジションはこうなんだな...」とか、いろいろと判ってくるわけです。
当時の社長を超えることはできないかもしれないけど、自分も一度は経営者としてやってみたいと。
でも、いくらなんでも独立したその年に文部省から「こんな小学校を造ってくれないか」なんて依頼はまずないだろうと。それくらいは勤め人の僕にもわかりました。(笑)
じゃあどうしたらいいのかなと考えたときに、例えば近所のおばちゃんから「お母さんを引き取るので家の離れを増築してほしい」とか、そういう生活に密着したところからなら仕事が来るだろうと。
今自分がやっている、大規模ないわゆる「箱物」と呼ばれる仕事ではなく、もっと民間に近い仕事をたくさんこなしている事務所でもう一度勉強をし直そうと思いました。
恥ずかしながら、転職した事務所で初めて木造の図面を書きました。(笑)


あーなるほど。それまではコンクリートなんかが多かったんですね?


はい。
コンクリート造や鉄骨造の図面しか書けませんでした


コンクリート造の図面と木造図面の違いは、専門的な話しになってしまうのかもしれませんが、かなり違うものなのでしょうね


ええ、全く違います。
コンクリートは、型枠の中にドロドロのコンクリートを流し込んで造るものですよね。
木造は柱を1本1本立てていく建築ですから。
製造方法が全く違うので、当然、力の加わり方や考え方なども全く違ったものになります


なるほど。
2件目の事務所で木造建築の仕事をしながら、いずれは独立を、と考えていたわけですね


はい。そうです。
4年そこで仕事をしました