本日はよろしくお願いします
よろしくお願いします
以前、非凡塾でご講演いただいたことと重複してしまうかもしれないのですが、
まず二神社長の生い立ちから伺いたいのですが…
はい。生まれは大阪です。
祖父が船場で代々続いた薬問屋をやっていた「商人(あきんど)」でした。
残念ながら戦争で無一文になってしまったのですが…。
父親は丁稚奉公から始まって、一代で繊維問屋を築いたんですね。
それも戦争で全部失くしてしまったわけですけど。
そこから無一文になって、貧乏生活が始まってしまいました
はい
昭和20年。大阪大空襲があった時期に(一家は)四国の松山に疎開をして、小さな商いをしていました。そして昭和31年に大阪に戻ったわけです。
私が中学を出たのが昭和34年で、それからすぐ働きにでました。
働きながら定時制高校に通って、昭和38年に高校を卒業。
39年に自衛隊に入りました。
自衛隊員として北海道に来たときに「どうしてお好み焼屋がないのだろう?」と
思ったのが、今の商売のきっかけです
ああ、なるほど
お好み焼屋なんて全くの素人でしたし、店のつくり方どころか、(お好み焼の)焼き方すら知りませんでした。
ノウハウもない、知り合いもいない、お金もない、そんな中からの出発だったんですけれど、「商人」としてなら父や母を見ていましたので、何らかのかたちで受け継いだのかな…と思っていますね。
受け継いだといっても、父も私も無一文から商売を始めたわけですから、「起業家」っていうんでしょうかね。
まあ、小さな店からの始まりでしたけど、それが継続したわけです。
じゃあ何故継続したかというと、まあ、アタマが悪かったからじゃないでしょうか(笑)
いえいえ、そんなことは…(笑)
大阪には、例えばたこ焼きとか、大阪特有のものってたくさんあるわけですけど、「お好み焼」を選んだのはどのような理由なのですか。昔からお好み焼が好きだったとか?
え~と、貧乏でしたからお好み焼のようなものしか食べられなかったということもありますが…。
記憶にあるのは、定時制時代のことですけど、金曜日の夜8時に授業をサボってプロレスを観に行くんです。それがお好み焼屋だったんですね(笑)プロレスを観られる場所はお好み焼屋しかなかったんです。
プロレス、イコールお好み焼という感じでしたね(笑)
へえ~
そういう思い出があって、今のご商売を始められたのですか?
「ボーイズ・ビー・アンビシャス」に憧れて北海道に来たものですから、こちらに来て「何かを変えたい、人生を変えたい」という気持ちがありました。人生を変えるにはどうしたらいいだろう、なんて当時わかるわけないんですけど、たまたま導かれたとでも言うのでしょうか、見えない糸に引かれたというんでしょうか…。
ですから、お好み焼屋をやるとか、関係なかったんですよ。
若い頃から本を読んでいたので、松下幸之助さんですとか、宮本武蔵とか坂本竜馬の本などを読んで「強くなりたい」「金持ちになりたい」って思ったんですね。
当時の自分の気持ちを考えたら、ただの人間ですから、「本に出会った」ことで今日の自分があるのかな、と思います。
はい
人生を変えるのはどうしたらいいだろうと考えて、結果として自衛隊に入ったわけです。決して入って良かったとは思わなかったですが、結果としてはそれで北海道に来られたし、良かったのかなと思っています。
当時、別にどういう商売をしたいとか、なかったのですけど貧乏が長かったですから、自分を変えたいなという気持ちがあったということですね
もともと、何か商売をしたいな、と思っていらしたのですか
いえ、それはなかったです。
42年の1月に除隊だったものですから、「除隊したら大阪に帰らんといかんなー」っ
て思っていたんです。
ところが、その直前の12月のある日、静修高校の前で電車を降りたときに目に付い
た「貸し店舗」に思わず入ってしまったんです。
ですから、今考えると、節目節目で、「本を読んで人生を変えられた」、それから、「北海道にお好み焼屋がどうしてないんだろう…」と思っていたときに、貸し店舗が目に付いたと。
僕もどうして、その場所に借りようと思ったのかわからないんですよ。電車はススキノまで続いているわけですし。でも、あまり何度も見る事もしないで、「じゃあ、貸してください」って言ってしまったんです。今思えば無謀なことでしたけど(笑)
自衛隊にいらしたときに、「何で札幌にお好み焼屋がないんだろう?」とずっと考えていて独立をしたわけじゃなく、自然の流れで開店したということなんですね
そうですね。今考えるとね。
思いが通じて貸し店舗があったんですけど…、貸し店舗といっても3坪くらいの小さなものでしたが… やっぱり運命というか、思いがあってそれを掴んだということなんでしょうね。
たまたま、静修高校の前の家賃9,000円あの場所だったんですけど、今考えると「あの場所だから良かった」んですよ。
静修高校があって、裏に南高校がある。ちょっと行けば旭丘とか啓北商業とか、(学校が)たくさんあるところだったんです。
でも、そんなことは自分では意識していないであの場所に惹かれて行ったわけですけど、特に南高校の生徒がよく来てくれたんですよ。それは今になってみれば不思議だなって思います
めぐり合わせというか…
そうですね。めぐり合わせですね。
ですから、チャンスは自分で掴まなければならないというのはそういことではないかと思います。
お好み焼屋をやりたいなんて、冷やかし程度の気持ちだったら、(北海道には)ないから大阪に帰るわ、で終わっていたかもしれない。やりたいという思いが、結果として出てきたんじゃないかと思います
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