
二神 敏郎 (ふたがみ としろう)
風月株式会社 代表取締役
HP http://www.fugetsu-sapporo.co.jp/
昭和18年大阪生まれ
昭和39年 ボーイズビーアンビシャスの精神を持って来道
昭和42年 当時の静修高校前に開店した3坪の小さなお好み焼屋から始まり、
現在、「風月」は北海道内に19店舗を展開。
北海道でお好み焼といえば「風月」というほど道民に親しまれている。
その他に、ファミリーレストラン、岩盤浴、天然温泉などグループ会社を統括する。
自らを『商人』と呼び、「念ずれば花開く」をモットーに、
「先議後利」の商人道を貫いている。

藤川賢治(ふじかわけんじ)
ファイナンシャルプランナー,リスクマネジャー,生命保険・損害保険業
平成元年、銀行員として社会人の第一歩を踏み出す。
損害保険会社に独立前提の研修生として転職。
ファイナンシャルプランナー資格取得、生命保険業務開始。
お金の面のみならず幸せな人生をおくるために必要なあらゆるお悩み解決
をお手伝いするライフナビゲーターという新しいカテゴリを創造すべく奮闘中。
現在、異業種交流会『北海道非凡塾』を主催するなど幅広く活躍。
本当に単純なことなんです。
キャベツと小麦粉と、具を焼いて食べるだけ。
単純なことを40年続けるのは、アタマが良かったらできないですよ(笑)
「お客さんがよろこんでくれている。嬉しいな嬉しいな…」この繰り返しですから
社長ご自身もお好み焼をよく食べるのですか?
はい。けっこう食べるんですよ。
最近は特に食べるようになりましたね。
他の店を研究に行く暇がなくなりました(笑)
あはは。そうなんですか(笑)
先日も友達が来て、昼食にイオンの苗穂店でお好み焼を食べたんですけど、夜はまた石山の店でお好み焼と焼きそばを食べたんですよ。
さすがに太ることを気にしましたが(笑)
それくらい好きですねえ
二食続けてお好み焼ですか(笑)
ええ。それも人よりもたくさん食べてるんですから(笑)
僕は大学が関西だったので、お好み焼もよく食べたんですが、
当時、ごはんのおかずにお好み焼を食べたりしてたんですね。
北海道は、あまりそういう人は見かけないですね(笑)
そういえばそうですね(笑)
社長は3坪のお店から始めて、同じことを毎日繰り返していたと仰いました。
ひとりで始める飲食店もたくさんあると思うんですが、なかなか社長のように大きくなれないですよね。それはどこに秘訣と言うか違いがあるのでしょうか?
それはですね…。
一歩前に踏み出したということなんですけど、それが出来たのは誰かが背中を押してくれたということもありますし、自分の思いもあったわけです。どちらがどちらとも言えないんですが…。
内心はもちろん店を大きくしたいと言う思いはありました。でも、思っているだけでは不可能なんです。
ところが、約20年ほど前に、商工会議所で「ニューリーダー塾」というものがあり、それを受けたんです。わずか6回の塾だったんですけど…。
それまでは、手帳や名刺などいらない人生だったわけです。しかも、毎日が立ちっぱなしの仕事ですから、2時間も座って人の話を聴くなどということもありませんでした。
まして、その塾を受けるために店を数時間閉めなければならない。「お客さんに迷惑をかけているんじゃないか」という思いもありました
はい
でも、結果として、当時の自分が1歩動いたから今の自分があると思ってます。
あの塾に行っていなかったら、今でも3坪の店でよぼよぼになりながら働いていたかもしれない。もしかしてカラダを壊して辞めてしまったかもしれない。
でも、ふと思ったとき動いてみるという気持ちが運命を変えたように思います。
もちろん、当時は「えらい場違いなところに入ってしまった…」と思いましたが、お金を払ってしまったので、行かなければならんなと
ええ
みんな社長とか、偉い人ばかりだったんですよ。
経済の話しなどを聞いてもわからないことだらけでしたし。
でも、あの時の先生を「師匠」と思うようになったんです。それまで、先生なんて近寄りがたい存在だったんですけど、僕の名前も覚えてくれて…。
その先生が「やってみなさいよ。やってみなければわからないじゃないか」と、口癖のように言っていたんですね。
ですから、「経済の先生が言うんだから間違いないだろう」と思って、店を拡大していったんです
はい
ですから、「1歩踏み出して、そこで見知らぬ人と知り合う」という気持ち。
そして、その方たちの生き様なりを見て、自分も変わっていったんです。
もしも、「俺も社長だ。皆と一緒だ」という気持ちだったら全く違っていたと思いますよ。皆さん素晴らしい方ばかりでしたから
謙虚で素直だから、沁みていったんでしょうね
そうかもしれませんね。
本当に何もない人間が、そこで変わってしまったわけですから
はい
僕の3人の娘それぞれに(系列会社の)社長をやらせているのですが、3女に「読書会」に行かせているんですね。そうすると、読書がとても面白いと言うんです。そのうちマーケティングにも興味を持ち出しました。吸収力があるんでしょうね。
いろいろな「セミナー」にも行くようになった。
普通は姉から学ぶんでしょうけど、3女の場合は姉が引っ張られて一緒に行くようになったんです。(笑)
ですから、この子達にとって「1歩踏み出す」ということは、もしかしてこういうことなのかな~って思いますね
はい。なるほど。
今度『非凡塾』にも是非いらして下さるようお伝えください(笑)
それでは最後にお伺いしますが、社長のこれからの夢、展開などをお聞かせ下さい
最近、石山通に(店を)出しまして。
東京にも店を出したいという夢もあります。
まあ、夢を言ったらキリがないのですが…。
とりあえず僕は、次年度の決算が終わったときに、次の後継者に店を譲りたいと思っています。
健康で長生きしながら、うしろから見ていてあげる。そうしたいなと。
長女は「私はそんなことできない」と言っているんですが、じゃあ3女を社長にしたらどうなのかなって考えると、3女はまだ21歳なのであと40年間は風月がつづくんじゃないかと(笑)
まあ、長女も次女も早く嫁に出さなきゃならないので、あまり重責を負わせないでもう少し伸び伸びとさせてあげたいですけどね。
21歳で(年商)12億の会社社長というのも面白いかなと(笑)
「人生遊びかな」という気持ちも大切ですよね
わかりました。
でも、引退はしないでまだまだ頑張ってください(笑)
ええ、そうですね。
まだまだやりますよ。(笑)
今日はお忙しい中、本当にありがとうございました
こちらこそ、ありがとうございました
はい。なるほど。
社長は、「ここが良い」という直感のようなもので、あまり調査をしないで「温泉」(施
設を)を借りたと聞いたことがあるのですが
『商人はどこからでも養分を吸い上げられる浮き草でなければならない』という言葉
があります。
この言葉は、商人として、あるいは人間生きていくために、当然のことだと思います。
ただ、新しいことに対応が出来ないとせっかくのチャンスを逃がしてしまう。かとい
って、あれもこれもとやっていると失敗します。
そこには「直感」のようなものがなければダメなんだろうなと思います。
そのお風呂(温泉施設)も、多分北海道で一番繁盛しているんじゃないかと思います。
いやそうじゃない、もっと繁盛している店があるよ、と怒らるかもしれませんが(笑)
大体今、(一ヶ月に)7千人から8千人くらいのお客さんが来るんです。土日だと一日
に三百人以上です。こんな小さな風呂屋にこれだけ多くのお客さんが来てくれる。し
かも銭湯なんて周辺の人たちだけでしょうからね。
それはなぜかというと、やっぱり、「自分がそこに入って嬉しいという気持ち」だと思
います。自分が嬉しいと思うからお客さんに喜んでいただきたい。
それはどの商売にでも通じることだと思います。
商売は「双方向」です。お客さんに対してはもちろんそうですし、従業員に対しても
そうです。
一方通行で「雇ってやっているんだそ」という気持ちではなく、「君たちがいなかった
ら、我々の商売は成り立たないんだよ。ありがという」という思いが大切なんですね。
得意先に対してもそう。お互いに利益を得ないとならない。だから凄く値切ったりと
か困らせるようなことを言っているとバランスが成り立たなくなります。
そこまで言っても「双方向」を忘れてはダメだと思います
「双方向」ですか。なるほど、そうですね
ちょっと話が変わりますが、今名寄でイオンの工事が始まっているんですね。
地元では反対運動が起きたのですが、認可おりて工事を進めている。
でももし僕が経営者なら、町から反対されているからやめようと思います。下がるこ
とも必要だと思います。
売り上げの目標が100億らしいのですが、今の名寄の市場は50億くらい。そこに
どうして100億の売り上げになるのでしょうか。
今、名寄の人口は2万人。周辺人口入れて7万人くらい。でも周辺といっても稚内と
か紋別とかその辺りまで含みますからね。東京の周辺人口とは全く違う。
地方になればなるほど老齢化が進んでいますから、お年寄りも多い。産業もないです
から低所得者も多い。
(イオンが)出来たらそれは見に行くかもしれない。オラが町の誇りになるかもしれない。でも、人口2万人の、しかも高齢者が多い町で、いったいどれくらいの集客があるのでしょうか。まして、ずっと続いてきた地元の商店がありますから、一時的には新しいところに行くかもしれませんが、やっぱり地元の商店に戻るかもしれない
はい。そうですね
無用な喧嘩を仕掛けたりとか、強者の驕りとか、なんでも「オレが一番」という気持
ちでいると「双方向」の商売ではなく一方通行ですよね。
グループが大きくなればなるほど、ウチのグループだけ儲かればよいということで、
見えなくなってくるものがたくさんあります。管理部門もサラリーマン化していきま
すから、気力もなくなってくる。
そう考えると「小さな集団」でいいな、と思います。「商人」は商人以上のことをして
はいけないな、とも思いますね。
決して人を批判することは本意ではないのですが、自分の肝に銘じていることは、「売
り上げだけを追求してはいけない」「店舗数の多さを追求してはいけない」と思ってい
ます。商人は商人らしくということです
経営者ではなく商人になるために大切なことはなんでしょう
そうですね…。
商人が成長して経営者になっていくのでしょうけど、「商人として根本にある気持ち」を忘れないということだと思いますよ。
最初が苦しかったら、簡単に忘れることはないと思います。
床屋さんだって、町の魚屋さんだって、商人ですよね。町の信頼を得ていかなければならないわけですから。
相手を騙すようなことは、1回はできるかもしれませんが、続いていかないですよね
確かにそうですね。
ここ最近、食品の偽装や不正表示などの問題が続きましたね。
二神社長のお考えになる企業の姿は、「お客さんに喜んでいただきたい」と言う気持ちがまず根本になければいけないということでしょうか?
そうです。経営者の姿勢を見せる。腰が低くなければならないと思います。
僕は、店をまわるときでも、できるだけ普通の格好をしています。
ネクタイは締めていますが、上着はできるだけ白衣でいるとか。
(上等な服などの)いい格好をいつもしていると、「そんな金があるなら、ウチらの給料あげてくれ」と従業員に思われるかもしれませんし。(笑)
「謙虚」だとか「素直」だとか、「双方向」という気持ちを忘れなければ、本当にいい経営者になれると思います。
僕は、次の経営者に申し送ることは、まず「人に感謝する」ということです。
これは口では簡単に言えるのですが、あらわすは難しい。
自分の実感として周りに示していく。これしかないのかなと思います
感謝という言葉がありましたので、「風月」さんのお店の名前の由来をお聞かせいただきたいのですが。
確か、人に感謝するという意味で付けられたお名前ですよね?
小さな3坪の店から始まりましたので、帆掛け舟に例えたんです。
帆掛け舟は風が吹かなければ前に進みません。
風というのはお客さんのことです。
お客さんという「風」が、日々月々大きく吹いてほしいという気持ちから
名づけた店の名前です。
今になって、良い名前を付けてよかったと思いますよ
お客さんあっての風月ですよ、という意味なんですね
はい。
それと、もうひとつ。(今の仕事が)自分の人生にぴったりだったと思うことがあります。
お好み焼は粉を混ぜて、ウラもオモテもまんべんなく焼きますね。
人間もウラオモテがない人が好かれますよね。それと似ているのかなと。
それに、焼いていると自然に(カタチが)円くなりますよね。円いものを暖かい鉄板の上で食べて、喧嘩する人はいないんですよ。
1杯のラーメンを3人でつついたら、なんだかいやらしいけど、お好み焼だったらみんなで食べられますよね。こんないい食べ物はないなーって思うんです
なるほど。そうですね
お好み焼は人生そのものかなって思います。
家族みんなで、おじいちゃんおばあちゃんにも食べてもらえる。
これは幸せなことです
ラーメンだとひとりですするだけだし、カニだと黙々と食べるだけですし(笑)
お好み焼はみんなでわいわいと楽しみながら食べることができますよね
そうですね。
家族みんなで食事に行こうというのは、誰でも持っている願望です。
家族で食事に行こうとするとき、「何食べに行く?」となったら、それぞれ違いますよね。子供はハンバーグが食べたい、おじいちゃんおばあちゃんは違うものがいい。
そんな時、お好み焼なら、みんなでまとまって食べることができます。
おじいちゃん、おばあちゃんは孫の顔を見ながら、話しをしながら食事をすることができます。
そういうひと時を提供できるのはとてもありがたいことだと思います。
本当にいい商売だと思いますよ
殆どよく見ないで借りてしまったというのも凄いですね
家もそうなんですよ。
以前の家が双子山にあったんですけど、買わないかという話が知り合いからあって、「いや、金ないから無理だよ」って言ったんですけど、その知り合いは、なんとかなるよと。まあ、売るほうも気楽だったんですけど(笑)
で、買ったんですけど、違法建築で買ったときから傾いているんですよ。そんなことは気づかない、というか気にしないで買ったんですね。
ですからひどいもんでしたよ。お風呂の配管が繋がっていないとか。テーブルの上の味
噌汁のお椀がズルズルと滑っていくとか。2階の窓を開けたらそのまま自然に閉まるとか(笑)
あはは。それは凄いですね
家を買い換えるときも、家族がたまたま見てきた売り家があって、じゃあ出勤のついでに一度だけ見にいったんですね。そのとき偶然に、売主さんが東京から来ていたんです。で、広い家だな~って思ってそれだけで終わるはずだったんですよ。
その後に、不動産屋さんが、「どうしますか?」って聞いてきて。
「いや~ ウチらではとっても…」って言ったんですね。大阪弁で「とっても」というのは「買えない」って意味なんです。でも、不動産屋さんはそう思わなかったみたいで、じゃあ値引きしますからと(笑)
7800万を6800万にしますからどうですかと。いや~、困ったなと思って、逃げ口上で、じゃあ今の家が2500万くらいで売れたら考えますって言ったんです。
まさか、そんな値段で売れるわけないですから。
ところが売れちゃったんですよ(笑)
差額も銀行が貸してくれるってことになって…。
たった1回しか見てないのに、買うことになったんですね。
だから、そんなもんなのかなーと。直感というか、何か引っ張られるものがあってのことなんだろうなと思いますね
普通ですと、一度欠陥住宅を買ってしまうと、次は気にしてしまうんじゃないかと思うのですが…
いや、気にしないですね。
最初の家も、次の家もそんな感じでしたから、まあ、気にしない性格なんでしょうね。
あまり気にしないというのも良くないのかもしれませんが(笑)
人に対する心遣いは気にしなければならないですけど、他は、失敗したなと思っても気にしませんね
過去のことをあまりいつまでも考えているとチャンスを逃がしてしまう、ということ なのでしょうか?
そういうこともあると思います。
マイナス思考ではなくプラス思考だったから良かったと思いますよ。
それと、もっと言えばアタマが(成績が)5くらいの人だと良いんですよ。通信簿で
いう5段階の5ですね。
5の人は頭が良いからそうそう判断を間違わない。
僕の場合は1とか2だからもっと良いんですよ。
それは、物事を単純に、というか純粋に考えるようにしてますので、裏をあまり考え
ない。判らないことは聞けばいいですし。
ですから、僕なりの論理でいえば、それはそれでいいのかなと。
でも、3とか4の人は、ある程度の知能があるから、一生懸命考えたり迷ったりしま
すよね。それはそれでも良いんでしょうけど、僕に言わせればアタマが悪いほうが一
番単純で良いよと。(笑)
商人には、アタマってもちろん必要なんですけど、数字を瞬間的に判断していく力が
必要なんですね
はい
それと、(商売を始めて)40年経った今になって思うことがあります。
あいだみつおさんの言葉に「私は弱い人間だから、喧嘩をしても負ける。だからなる
べく喧嘩をしないようにする」というものがあります。
そうだ。僕の生き方もその通りだなあ、と思ったのですが、お好み焼屋を一人で始め
てずっとコツコツとやってきたわけですけど、人の集団の中に入って、負けたりプレ
ッシャーをかけられるのが嫌なんです。でも一人でやっていくと全然問題がない。
始めた当時はそんなことは思わなかったですが、今になってみて、それはそれで自分の生き様だったのかなーって思います。弱い人間は弱いなりの道を歩んできたんだと思いますよ
う~ん。一人でやっていくことが弱いとは思えないのですが…
自分の身の丈にあった商売というのかな。
どうやったらお客さんが来てくれるか、満足してくれるか、そればかりを毎日一生懸
命考えていました。
朝、仕入れに行って、卵や小麦粉を量り売りで買ってくる。イカも一山百円で買って
くる。麺もスーパーで買ってくる。ソースは一升瓶で買ってくる。無くなったらまた
買ってくる商売ですから、売ったお金でまた仕入れをしてということですよね。
その中のわずかな蓄えの中から家賃や自分の生活にあてるわけです。
「夜鳴きそば」の商売と同じなんですよ。売ったお金でまた仕入れをするわけですか
ら、売り切るまで帰ることができない。朝まで売るしかないんです。
何も無い中から自分がやらなければならないという、まさしく「商売」の原点だった
のかなと思います
はい。なるほど
今は「経営」の時代ですから、資本金とか電話の手配とか準備が全て整ってから始めますよね。さらに、事業計画とか就業規則が必要になってきます。企業理念なども掲げて初めて大きな会社だと思われます。
今はみなさん「経営」でしょうけど、「商売」はそのようなものはいらなかったわけですよね。
北海道は「商人」が少ないな、と思います。
例えば、先代がやっていた商店を簡単にコンビニに変えてしまう。それが良いか悪いかの判断は別としても、商売への「こだわり」や「思い」がないから、コンビニになっても売れなかったらやめてしまいますよね
経営と商人とは違う、ということですね?
そうですね。違いますね。古い考えなのかもしれないですけど…。
例えば、ウチの息子が勤めていた会社を辞めて、何を考えているのか小さな小さなお好み焼屋を始めたんです。
ウチの店がロビンソンの8階で、息子が地下2階で…。当てつけだったのかなんなのかわかりませんが(笑)
「こんな店すぐ潰れるわ」と思っていたんですが、ちゃんと人を雇っているんです。しかも、息子は店には殆どいない。
商人の発想だと、小さい店なんだから自ら汗かきながら働かないと人件費も出ないだろうと思います。
でも、こいつ凄いなと思うのは、こんな小さな店に人を働かせて自分は出ないでいる。まあ、食えているかどうかは別としてですけど。
経営者なんだから、給料払っているんだから自分はそこで働く必要はない、ということですよね。息子の考えとしては、きっと。
僕らは商人ですから、汗水流して早くから遅くまで働くとこが当然だと思ってます。
今、店の数が多くなりましたが、自分ではあまり良くないことなのかな、とも思うんですね。というのは、自分の目に見える範囲が「商売」ですから。見えなくなったら「経営」ですよね
本日はよろしくお願いします
よろしくお願いします
以前、非凡塾でご講演いただいたことと重複してしまうかもしれないのですが、
まず二神社長の生い立ちから伺いたいのですが…
はい。生まれは大阪です。
祖父が船場で代々続いた薬問屋をやっていた「商人(あきんど)」でした。
残念ながら戦争で無一文になってしまったのですが…。
父親は丁稚奉公から始まって、一代で繊維問屋を築いたんですね。
それも戦争で全部失くしてしまったわけですけど。
そこから無一文になって、貧乏生活が始まってしまいました
はい
昭和20年。大阪大空襲があった時期に(一家は)四国の松山に疎開をして、小さな商いをしていました。そして昭和31年に大阪に戻ったわけです。
私が中学を出たのが昭和34年で、それからすぐ働きにでました。
働きながら定時制高校に通って、昭和38年に高校を卒業。
39年に自衛隊に入りました。
自衛隊員として北海道に来たときに「どうしてお好み焼屋がないのだろう?」と
思ったのが、今の商売のきっかけです
ああ、なるほど
お好み焼屋なんて全くの素人でしたし、店のつくり方どころか、(お好み焼の)焼き方すら知りませんでした。
ノウハウもない、知り合いもいない、お金もない、そんな中からの出発だったんですけれど、「商人」としてなら父や母を見ていましたので、何らかのかたちで受け継いだのかな…と思っていますね。
受け継いだといっても、父も私も無一文から商売を始めたわけですから、「起業家」っていうんでしょうかね。
まあ、小さな店からの始まりでしたけど、それが継続したわけです。
じゃあ何故継続したかというと、まあ、アタマが悪かったからじゃないでしょうか(笑)
いえいえ、そんなことは…(笑)
大阪には、例えばたこ焼きとか、大阪特有のものってたくさんあるわけですけど、「お好み焼」を選んだのはどのような理由なのですか。昔からお好み焼が好きだったとか?
え~と、貧乏でしたからお好み焼のようなものしか食べられなかったということもありますが…。
記憶にあるのは、定時制時代のことですけど、金曜日の夜8時に授業をサボってプロレスを観に行くんです。それがお好み焼屋だったんですね(笑)プロレスを観られる場所はお好み焼屋しかなかったんです。
プロレス、イコールお好み焼という感じでしたね(笑)
へえ~
そういう思い出があって、今のご商売を始められたのですか?
「ボーイズ・ビー・アンビシャス」に憧れて北海道に来たものですから、こちらに来て「何かを変えたい、人生を変えたい」という気持ちがありました。人生を変えるにはどうしたらいいだろう、なんて当時わかるわけないんですけど、たまたま導かれたとでも言うのでしょうか、見えない糸に引かれたというんでしょうか…。
ですから、お好み焼屋をやるとか、関係なかったんですよ。
若い頃から本を読んでいたので、松下幸之助さんですとか、宮本武蔵とか坂本竜馬の本などを読んで「強くなりたい」「金持ちになりたい」って思ったんですね。
当時の自分の気持ちを考えたら、ただの人間ですから、「本に出会った」ことで今日の自分があるのかな、と思います。
はい
人生を変えるのはどうしたらいいだろうと考えて、結果として自衛隊に入ったわけです。決して入って良かったとは思わなかったですが、結果としてはそれで北海道に来られたし、良かったのかなと思っています。
当時、別にどういう商売をしたいとか、なかったのですけど貧乏が長かったですから、自分を変えたいなという気持ちがあったということですね
もともと、何か商売をしたいな、と思っていらしたのですか
いえ、それはなかったです。
42年の1月に除隊だったものですから、「除隊したら大阪に帰らんといかんなー」っ
て思っていたんです。
ところが、その直前の12月のある日、静修高校の前で電車を降りたときに目に付い
た「貸し店舗」に思わず入ってしまったんです。
ですから、今考えると、節目節目で、「本を読んで人生を変えられた」、それから、「北海道にお好み焼屋がどうしてないんだろう…」と思っていたときに、貸し店舗が目に付いたと。
僕もどうして、その場所に借りようと思ったのかわからないんですよ。電車はススキノまで続いているわけですし。でも、あまり何度も見る事もしないで、「じゃあ、貸してください」って言ってしまったんです。今思えば無謀なことでしたけど(笑)
自衛隊にいらしたときに、「何で札幌にお好み焼屋がないんだろう?」とずっと考えていて独立をしたわけじゃなく、自然の流れで開店したということなんですね
そうですね。今考えるとね。
思いが通じて貸し店舗があったんですけど…、貸し店舗といっても3坪くらいの小さなものでしたが… やっぱり運命というか、思いがあってそれを掴んだということなんでしょうね。
たまたま、静修高校の前の家賃9,000円あの場所だったんですけど、今考えると「あの場所だから良かった」んですよ。
静修高校があって、裏に南高校がある。ちょっと行けば旭丘とか啓北商業とか、(学校が)たくさんあるところだったんです。
でも、そんなことは自分では意識していないであの場所に惹かれて行ったわけですけど、特に南高校の生徒がよく来てくれたんですよ。それは今になってみれば不思議だなって思います
めぐり合わせというか…
そうですね。めぐり合わせですね。
ですから、チャンスは自分で掴まなければならないというのはそういことではないかと思います。
お好み焼屋をやりたいなんて、冷やかし程度の気持ちだったら、(北海道には)ないから大阪に帰るわ、で終わっていたかもしれない。やりたいという思いが、結果として出てきたんじゃないかと思います