
北海道雨竜郡沼田町出身。
東京デザイナー学院でグラフィックデザインを学ぶ。
卒業後、(株)イチカワ陶器に就職。陶器の美しさに魅せられ自らも制作をはじめる。
1998年より独立し陶芸作家として活躍。
現在「陶芸工房 微笑」を札幌市清田区で開き、陶芸教室も開催している。
作品出展・取り扱い店
(上記4ヶ所)に常設コーナーあり
コラナビスタッフ
佐藤さんの娘さんと同じ職場だったご縁で、今回対談の聞き手役となる。
「フクロウ」も見せていただいたんですけど、創られたきっかけはどのようなものだったのですか?
フクロウは、器を納めていた知床のホテルで頼まれたんですよ。
ホテルって、廊下の角とか物寂しいスペースが出来るんですよ。そういうところに置くようなものが何か出来ないかい?って訊かれたんです。
「じゃあ、キャンドルか何か置いたら?」って話しになって…。
それから創り始めたんです。
壁の照明も、フクロウの電気カバーのようなものを創ったり。
簡単に言ってしまったけど、大変でしたけどね(笑)
試行錯誤されたんですね
そうですね。
知床のホテルさんとは、(作品を)通りすがりに見て行って、それからの付き合いですから。縁ってどこにあるかわからないものですよね

今後の目標と活動予定を教えてください
やっぱり自分の作品を追求していくことですね~。
今、知床第一ホテルさんなどで、僕の創った器を使ってもらっているんですけど、せっかく北海道に来たのだから、器にも北海道の絵があって、食事をしながら北海道の風景を楽しめるようなもの創りはじめているんですよ
来年あたりには本格的に実現していきたいなって思っています。
これまでにも、いろんなデザインをおこすのに1年くらいかかっているんですよ
時間をかけていいものを、ということですね
そうですね。やっぱりいいものには時間がかかります。
ホテルのバイキング料理の器にしても、安い皿積み上げて食事するよりは、いい器を使わないと…。そんなに値段も違わないですから。
「せっかく北海道のホテルに来たんだからつまらないじゃないの?」って、ホテルの担当者と話しになって、今少しずつ手がけています。
ホテルの器の絵を、流氷の絵とか、北海道の風景とか作り始めています。
それが完成したら、壁掛けの「陶画」を創ったり、トータル的に考えていきたいと思ってるんですよ


個展の開催も、今後継続されるのですよね?
今年は個展を開かなかったので、来年あたりまた丸井でやりたいなって思ってます。
でも、個展をするとなると一年がかりになっちゃうんですよ。
未発表の新作の個展なので…。
そうすると1年間他の仕事が出来なくなるのでちょっと考えているところです
楽しみに待っている方もいらっしゃるでしょうから
そうですね~。
「次はいつ個展を開くのですか?」って訊かれたりしますけどね…。
個展の作品となると、例えばご飯茶碗にしても5個くらいしか作らないんですよ。
それくらい凄く手をかけて絵を描きますから、まるまる1年がかりになるんです。
これからギャラリーで展示会をするとしたら、もっともっと北海道に根ざしたような作品にしたいです。
ちょっと時間をかけながらでも、『北海道三十六景』に挑戦していきたいな~って思ってます
あ~、それは凄いですね
知床も何回も行ってますし、北海道は素晴らしい場所がたくさんありますから、写生をしながら周って、その風景を陶画にしてみたいですね。
ちょうど60歳くらいの僕らの年代が本格的にモノを創っていかないと、北海道に文化として根を張っていかないんですよ。
陶芸は、北海道では文化としてあまり認められていないんです。
北海道出身の有名な陶芸家は何人かいるんですよ。でも残念ながら北海道では陶芸を文化と思っている人は少ないと思います。
それが寂しいな~って思うんですね。だから僕らの年代がもう少しいいものを創らないと北海道の陶芸はダメになってします
はい。なるほどそうなんですね
北海道には有名な絵描きさんはたくさんいるんです。上の人がちゃんと教えてきたので底辺から育ってきたんです。
そういう状況や環境が北海道の陶芸にはないんですよ。そういう環境づくりをこれから僕らが頑張らなければならないな、と思っています。
どの世界も、ずっと勉強を続けなれければダメですから(笑)
そうですね~(笑)
でも、人に説明するってとても難しいですよね。
僕はかつて、19歳から21歳までの間、学校の先生の仕事をしたことがあるんですよ。そのころは工業の勉強をしていたので、先生の助手として教壇に立ったことがあったんです。あの経験は今でも忘れないですね。
ろくに勉強もしないで人前でものを喋っていたのですから、今でも冷や汗が出るような、ゾッとする思いがします。
だから、何か始めるときは「勉強しなければ…」といつも思うんですよ
でも、人前でものを喋るのは誰でも緊張しますよね
そうです。大事なことは聞いている人の何十倍も知識がなければならないってことなんです。それをしないで安易な気持ちで教壇にたっていたので、今この歳になっても夢に見るくらいゾッとします。
当時のそんな経験が今に生きている気もしますけどね。
いい物を創るためには勉強しないとダメです。なんでもそうですけど…
仰るとおりです。耳が痛いです
同じく、耳が痛いです(笑)
若い頃、東京で絵の学校に通ってましたけど、当時、紙やボールペンすら買うお金がなかったんです。学校に通うだけで精一杯で…。
じゃあどうやって絵の勉強をしていたかというと、電車で向えに座っている人を、頭の中に同じ状態で浮かぶまでジーっと5分くらい見るわけです。集中力ですよね。そんな勉強を何年もしていました
へえ~、凄い。その話し、今の絵の学生にしてあげてください。
きっと今ならケータイでシャッターカシャンですよね(笑)
そうかもしれませんね(笑)
頭の中に、それこそカメラのように事細かく写るまで、ジーっと見て覚えるんですよ。
きっと、電車の中で「変な人いるな~」って思われたんじゃないかな(笑)
点描で器に絵を描いたりしているんですが、その技術は当時グラフィックの勉強をしている時に身につけたものなんですよ

「点描画」ですか?
カラー印刷などを拡大すると、細かい点で描かれているのがわかります。3色の色の密集度で様々な色を表現している。
昔の新聞って、ドットが荒かったのでそれがよくわかったのですね。だから、当時、よく新聞を見て、点描を勉強してました。
本を買うお金がなかったこともありますけど(笑)
陶芸を始めて、絵のバックをどうしようかって考えていたとき思いついたのが、当時の点描だったんです
なるほど、そうだったんですか…
点のひとつひとつを考えながらの作業です。
人間ってどうしても、規則正しく点を描いてしまう習性があるんですよ。でもそれだと作品がつまらなくなる。
だから、いかにあちこち飛びながら、絵を頭の中に描きながら、表現の濃淡などを決めて点を描いていくわけです。
これは数多く作品を描かないと身に付かない感覚ですね。
僕らの時代は写真でも映画でも「白黒」の時代でした。だからこそ、ものを白黒で見て、でもその白黒の中から赤やグリーンを想像したり感じ取っていたんです。
三船敏郎の白黒映画を観ているのに、赤い色が見えた時代ですから(笑)
今の人とはそこが違うでしょうね。
ある意味いい時代だったと思いますよ
想像力を養ってきたことが今に生きているということでしょうか?
そう思います。
パターンとして描く絵なのか、器に陶画として表現していく絵なのか、やはり非常に難しいですよ。家庭で普通に使う器であれば、パターンで描いた絵でもいいんでしょうけど、だったら既製品でもいいのかなって思われてしまいますしね。
ですから、どこで手書きの良さをわかってもらうのか、陶画家という新しい分野で作品を創っていくことの難しさだと思います。
中には、「器にこんな絵を描いて、料理をのせられないから邪魔だね」なんて言う人もいますから(笑)
でも、楽しいです。本当に楽しいです。
楽しくてそこそこ生活できているのが最高ですね(笑)
わかりました。
本日は良い話しをありがとうございました
こちらこそありがとうございました

初めて個展を開かれたのはいつになりますか?
2001年だったと思います。
‘96年頃から本格的に陶芸を始めて、これ1本で飯を食おうを思うようになって間もなくの頃です。個展を開いたのが。
なんで丸井で僕の作品の個展をやらせてもらえたのか、よくわからないのですけど、あのような場があったから少しずつ絵が上手くなっていったんだと思いますよ
仕事をしながら焼き物をしていたときは、どこで焼いていたのですか?
新十津川の清水先生という方がいて、そこに通って焼いてました。
会社から帰ってきて玄関で作業していたんですよ。玄関先で粘土こねて(笑)
土からどうしても埃が出るでしょ。だから場所が玄関先になってしまう。
実は、そういう理由もあって、「土もの」をやってるんですよ。「磁器」だと埃をたてられないんです。磁器は埃があると、表面に鉄粉が付いてしまうんです
「陶器」と「磁器」はそんな違いがあるんですか!
そうそう。有田焼などは磁器です。石を粉にして粘土にしたものです。
陶器は土の粘土です。
磁器は管理も大変だし、作り方も陶器とは全然違いますよ
絵を描くのは筆ですよね
絵の筆よりは少し長いですが、普通の筆ですよ。
ただ、筆の数はたくさん必要です。色をつけるときに、筆を水で洗うことはできないので。少しでも他の色が混ざったら色が変わってしまいますからね。だから、色によって筆が決まってるんです
器に描く風景画は、どのくらい時間がかかるのですか?
お皿を作るより時間がかかるのでしょうか
そうです。凄く時間がかかります

この絵だと、真っ白いところにまず墨を塗るんです。墨を塗って4時間から5時間完全に乾燥するまで待って、次に、一番薄い水色を全体に塗るんです。そうすと、最初に墨を塗ったところには色が付かないで真っ白になるんです。
ろうけつ染めと同じ方法です。
その上にまた墨を塗って、色を調整していく作業を繰り返すんですよ。
絵を描くだけで、4日くらいかかりますね。
描きあがったら、一度窯に入れて焼いて墨を飛ばすんです。墨は燃えてなくなっちゃうから…。でも、完全になくならない程度に、墨の上に少し色が付くくらいに焼き上げて残りかすを筆で細かく剥がしていくんです。
そうすると、色と色との境目がわからなくなるんです。これを、ロウなどを使って色を抜くと、色の境目がはっきりしてしまうんです。そうならないように、微妙な感じにするために墨を使うんですよ。
色を出すための細かい技法は、説明するのがなかなか難しいですが(笑)
そうですね。でも、あまり聞く機会がないことなのでとても面白いです(笑)
いろいろな人が、「絵の描き方を教えてくれませんか」と言って来るんです。
僕の解っていることは全て説明するんですけど、10人いたら10人ともわからないですね。何故かと言うと、やっぱり何度も何度も自分でやってみて方法を見つけていかないと出来ることじゃないんですよ。
僕が教えたとおりにやってみても、同じような色がでてこないから。その微妙な加減が、紙に描く絵と違って凄く難しいところだと思いますよ

なるほど…。そうなんですね。
作りやすい作品とか、逆に作りにくい作品とかあるものですか?
う~ん…。やっぱり一番難しいのは「皿」ですね。
たくさんの陶芸家がいますが、轆轤(ろくろ)を回して皿を創っているところを見たら、その人の技量がわかりますよ。それくらい皿って難しい。
皿の原型を創るのが難しいんですよ。
例えば、湯のみなどはいろいろな形があってもいいですよね。でも皿は、真ん中が凹んだりゆがんだりしたものは使い物にならないわけですからね。
使っている道具を持ってきてみましょうか
(絵の道具一式を見せていただく)
これが顔料。呉須(ごす)っていいます。
これをお茶で溶くんですよ
お茶ですか?!
お茶に入っているタンニンが綺麗な色を出すんですよ。
お茶って優れものなんですよ。本当は番茶が一番いいんですけど、ウチでは番茶は飲まないので普通のお茶を使ってますが(笑)
本当は番茶の出がらしが一番いいんです
お茶で溶くというのは昔からのことなんですか?
そうですね。何でお茶で溶くようになったのか…。文献とかではわからなかったですけど、昔の人って凄いよね(笑)
(実際に、器に絵の具をのせる)
例えばこうやって筆を置く(色を塗る)でしょ。そうすると、重なったところと全然色が変わるでしょ。これが、焼きあがったら青になるんです。今の状態と全く違う色でしょ?
呉須(ごす)をもっと薄くすると水色になるんですよ。
どう色が変わるか、判るようになるまでが時間かかりますよ


へえ~~。凄いですね
昔の人は今のような色は使ってないんですけどね。昔はこんな色はないんですよ。
今は洋絵の具の顔料がたくさんありますから。
絵の具は粉を溶いているので、(粉が絵の具の底に)沈むんです。ですから、薄い色のときは上澄みを使ったりします。
同じ色を保つために、(絵の具を)継ぎ足し継ぎ足しで常に寝かして用意しておかなければならないんですよ。そうしないと全然違う色になってしまうので…。
寝かしておくと透き通った綺麗な色の顔料になるんです。
普通の人は、材料を買ってきて水で溶いてすぐ使うから、全然色の具合が違うんですよ。描く前までの過程を大事にしないと綺麗な色が出ないんですよ
作品を創っていて一番楽しいと思うときは、やはり絵を描くときですか?
そうだね~。絵を描いているときが一番楽しいね。
カタチを創るよりも、ウチは絵に力を入れてますから。
多分、僕だけだと思うんですけど、陶芸家ではなく「陶画家」って言ってるんです
あ~ なるほど~!
「陶画」という意識で作品を判断してもらえると嬉しいですね
佐藤さんは北海道のご出身ですよね。
作品を拝見すると北海道の風景なども多いのですが、やはり拘りがあるのでしょうか
そうですね。
身近にあるものを絵の対象にして作品を創っていますね
道外の方の反応はどうですか?
北海道以外の方って、素朴なものを求めているのかもしれないですね。
北海道らしいイメージのものとか。外から見た北海道のイメージってあるんじゃないでしょうか。
あとは、外人さんも気に入ってくれます。作品の「和」の感じが好まれるようですね。以前、面白いお客さんがいましたよ。
飛行機の整備の仕事で、千歳に1年間住んでいたアメリカの方がいたんです。たまたまどこかで僕の作品を見たようなんですが、自宅まで来ましたよ
えっ、ひとりで自宅までですか?
そうそう。殆ど日本語も喋れない方でしたけど、迷わないでここまでたどり着いてくるから驚きますよね(笑)
ロシアの方も来ましたよ。以前、江別の陶器市で来ていた方で、少し喋っていたら、『家に行ってもいいか?』って訊くので、いいですよって返事したんです。
そしたら、翌日の朝9時に玄関の前にいるんですよ(爆笑)
えー! 日本語でお話したのですか?
ロシアの人は少し喋ってましたけど、アメリカの人は全くわからなかったみたい。
だから、商品をだーっと並べて、身振り手振りで「これがいい?」とか(笑)
やっぱり芸術って国境を越えるんですね。外国の方って、日本の陶器が好きですよね
アメリカは今陶芸ブームですよ。
日本的な器を自分で作るのが流行っているみたいです。ある意味「癒し」になるんじゃないかな…

絵は、何度も重ね塗りをするんですか?
いろいろなやり方があります。
今は洋絵の具があるから、赤い色とかは1回(塗り)で済むんですけど。
本焼きは、1245度で22時間くらい焼きます。そうすると、このようなガラスのような感じに仕上ります
光っているような仕上がりはどのように?
これは、ガラス質の釉薬(ゆうやく)を、絵を描いた上にかけるんです。
釉薬をかけないで仕上げるのを焼き締め(やきしめ)っていいます。
「ふくろう」などは、釉薬をかけてない焼き締めですね。
全部焼きあがってからさらに色をいれるには、上絵(うわえ)といって、800度で4時間くらい焼かないといけないんです

出しにくい色ってあるんですか?
う~ん。今はいい絵の具がたくさんあるけど…。
どちらかといえば、黄色とか難しいかな。
洋絵の具で描くと色が透き通っていないんだけど、本来の絵の具(和絵の具)で描くと透明感が出るんですよ。そのぶん、黄色とか赤とかが難しいですね。相当絵の具を盛らないと色が出てこないんですよ
それも焼いてみないとわからないんですか
そうですね。焼いてみないと仕上がりの色はわからないです。
繰り返し焼いて、身につけていくしかないんじゃないかな
焼きあがって色が気に入らなかったらもう直せないのですか?
上絵だったら直せます。ちょっと違うなと思ったら、再度上絵を塗って焼きます。
ただ、何回も焼くと、溶ける温度も違うので、微妙に(窯の)温度を変えなければならない。それは熟練の勘になりますね。
例えば、赤い色が薄いからもう一度(絵の具を)のっけて800度で焼くと、今度は周りの色が焼きすぎて変わってしまうんですよ。だから周りの色の解け具合を考えながら、5度とか6度とか、温度を下げていくわけです
そのあたりの微妙な温度調節とかは、長年の経験で覚えるのですか
そうです。長いことやっていないとわからないですね。
だから久谷焼きの器に絵をかく職人さんなどは、相当な技術がないと描けないでしょうね
前にお勤めされていたときに九谷焼も勉強されたのですか
ええ、かなりの作品を見てます。友達もいましたから
顔料は主に日本の昔からのものを使っているのですか
久谷焼きなどは、殆ど国産のものですね。
ガラスの粉の中に色をいれて上絵で作るんですけど、昔と違って、今はいろんな規制が出来て使えない色がたくさんあるんですよ。鉛毒の関係で。
なぜかというと、色を綺麗に出すためには、どうしても亜鉛とか鉄がいるんですよ。でもそうすると鉛毒の問題が出てきてしまうわけです。
器の顔料として焼いたからといって、影響がでるとかあまり聞いたことがないんですけど、今は世界中でうるさいですからね。
微量でも(亜鉛や鉄が)入っていないと色が出ないんです。洋絵の具を使うようになってからは、昔のものとは変わってきてますね
佐藤さんが使っている絵の具も洋絵の具ですか?
今は殆ど洋絵の具ですね。
器として使うためには、検査のことなどを考えるとそうなってしまいます。
ですから、昔の古伊万里などは、飾りとしてはいいけど器として使うとなったら殆ど許可にならないんじゃないですか
顔料の鉛毒ということですか
そうですね。
そういう点では、この世界も難しい時代になりましたね。
初代の柿右衛門さんが、柿の色の赤を器に出すために何十年もかかったと言われています。それは何故かというと、酸化銅の焼き方によって、窯の中に酸素の量で、グリーンになったり赤になったりするわけです。それを発見したのは柿右衛門さんなんだけど、今の時代でそんなことをしたら検査で撥ねられてしまいます。
結局は洋絵の具を混ぜて、色を出すしかないわけですよ
日本の絵の具と洋絵の具とではそんなに違いがあるのですか?
アメリカなどで器に使ってる絵の具は、金属中心の顔料ではないんですよ。
でも、本来の綺麗な色を出すには金属が必要です。銅とか亜鉛とか…。そういうものを溶かすと色が出る。それは江戸時代からずっとやってきた方法です。
そのやり方の方が綺麗で透き通った色が出るんですけど、今の時代は許可にならないから科学的に安全な方法で作るしかない。そうすると、色は似ていても透明感などがなくなってしまいますね
昔の伝統工芸には殆ど使われていたんですね?
そうそう。昔のものはみんなそうですよ。だからあんな綺麗な色が出てるんです。
だから、当時と同じ色を現代に再現するのは凄く難しいですね。色自体が違いますから。
その中で、昔と同じようなものを追求していかなければならないので、大変ですけどね

制作過程の中で、一番手間がかかるのはどのようなところですか
やっぱり絵ですね。
絵を描くというより、構図というか…、何を描くかを決めるまでが大変です。それが一番時間がかかります。
例えば、「器に魚の絵を描いてくれませんか」と言われたときに、魚の絵をどういう風に描くか、決めるまで一番悩みます
下書きを紙に描いたりするのですか
そうです。必ず鉛筆で何度も描いて、その後に絵の具で色を入れたりします
紙に描いたものとは同じにはいかないのでしょうか
全く違ってきますね。でも、紙に描いてデザインを頭に入れておかないと実際に器に描けないですよ。筆一本の世界ですから…。絵を暗記するくらい何回も描きますね
洞爺湖の風景画(絵皿)がありますよね。スケッチしてきたのですか
そう。現地でスケッチしてきたものです。
風景を描くにしても、一部分だけじゃなくやっぱり全体がわからないと自分の書きたいものは描けないんですよ。そのへんのこだわりは大切ですね。そうしなければ「ごまかし」になってしまいますから
紙に描くのも大変なのに、器に描くわけですからよけいですよね
器に描くというのは、陶画以外は、まっ平らというのはないわけですから、慣れないと描けない世界です。
僕らは湯のみの中にも絵を描けるけど、筆先なんて殆ど見えないわけですから、いかに描きなれるかなんですよ。感覚だから
器の内側って描きにくそうですよね
そうですね。筆を長く持って描くんですけど、慣れですね。
不思議と手に持ってないと描けないんですよ。どんなでかいものでも、下に置いて描くってことが出来ないんです。
紙だったらイーゼルで固定して、とかでしょうけど、器は不思議と持っていないとダメですね。
上手くなるには、いろいろな人に見てもらうことだと思いますよ。人目にさらされるってことがとっても大事です。相手が何も言ってくれなくても、わかるものですよ。
ギャラリーなどでも、気に入った絵の前では立ち止まり方が違うじゃないですか。
丸井のギャラリーで最初に個展をしたときも、立ち止まって見てくれるだけで凄く感動したんです。そんな気持ちがあると、次ももっと上手くなれるんですよ
佐藤さん、本日は宜しくお願いします
宜しくお願いします
まず最初に、陶芸に興味をもったきっかけについて伺いたいのですが
僕は20代の前半に東京で絵の勉強をしていたんですよ。でも絵で生活するのはなかなか大変で、一旦はやめて普通のサラリーマンやってたんです。
家庭の事情で北海道に帰ってきて、自動車会社に勤めてたんだけど、たまたま飛び込みで入ったところが瀬戸物屋さんだったんです。その絵が凄く強烈な印象で、「いやー、こういう作品が創れたらなー」って。
全く瀬戸物のことはしらなかったんだけどね
はい
それで、今まで勤めていた会社を辞めて、その瀬戸物の会社に入れてもらったんですよ。本社が東京の会社だったので、当時の国宝級の陶芸家に何人も会う機会があって…。
それで、自分でも絶対やってみたいと思ったんですね。それが、29か30歳くらいの時かな~。
29で結婚しちゃったから、当時自分で何かを創って生計をたてるなんて、まるで考えられなかったから、(独立するまでには)かなり時間かかりましたけどね。
でも、独学でこつこつと創りはじめて、人間国宝の人の作品の創り方なんかを、だんだんとわかるようになっていったんですね。
だから、本格的に創り始めてからまだ15年くらいですよ。それまでは趣味でずーっと続けてました
勤めをしていたときに、人間国宝の作品をたくさん見て、目を養っていった、ということですね
そういうことですね。
やっぱり「いいものを見る」ってことの大切さが、実際に自分で創るようになってよくわかりましたね。
自分の作品と全然違うわけだし、自分の作品の度合いがどこまで来てるのかもわかりますし…。
他の人とは違って、とっても僕はいい環境でここまで来れたなって思ってます
その会社には何年勤めていたのですか?
24年間です
だから、日本の瀬戸物関係は殆ど知ってますよ。ありとあらゆる作品や品物を見てるし触ってきてますからね。
今思えば、独立するためにそんな環境にいられたのはラッキーだったですね
絵のご専門はデザインだったのですか?
そうそう。
僕はグラフィックデザイナーになりたくて東京に出て行ったんだけど、当時東京で絵の勉強をしてる頃は、石を投げたらデザイナーに当たるくらいたくさんいて(笑)
あの頃はブームだったんですよ。
横尾忠則さんが、デザイナーという部門で芸術家になったばかりの頃かな。それまではグラフィックデザイナーなんて芸術家として認められてる分野じゃないからね。広告のひとつの業務みたいなもので…。
そこに芸術性を見出した人が現れたということで、その世界に飛び込んでいったんだけどね。
でも、殆ど周りがみんな天才だったね。めちゃくちゃ絵のうまい人ばっかりで…。写真なのか絵なのかわからないくらいの絵を描くような上手い人たちだったから。
若いときはそんな時代でしたね
その当時学んだデザインの基礎が今でも生きている、ということでしょうか
やはりそうだと思いますよ。
知らないうちに基礎が身についていたんだなって気がしますね
グラフィックデザインと陶芸とでは、やはり通じるものがあるのですか?
絵については共通点がありますよ。
グラフィックデザインは、僕らの時代は壁に一発描きなんですよ。だからやり直しが利かない。
そういうところが、今の器に絵を描く作業に凄く役に立ってますね。途中で線が間違ったからといって、もう消せないですから。一発勝負だからね。
線が止まってしまうとのびのびとした絵にならないので、頭の中に描いていたものを一気に描かなきゃならないわけですから
陶器に描く絵は独学ですか?
独学です。どうやって描いたらいいかわからなくて…。
描けるようになるまで5年くらいかかったかな~。焼いてみても絵になってないんですよ。描いてる時と焼きあがった時とでは全然色が違うから。それがわかるまでに何年もかかったね。
もしも、下積みでどこかの先生に弟子入りでもしてたら、先生の作業を見ていてわかるかもしれないけど、独学でやっているとやっぱり時間がかかります。
だからプロになろうなんて、最初は全く考えてなかったですね。メシ食えるとは思ってなかったから(笑)
制作方法について伺いたいのですが、その手順を教えてください
僕は信楽(しがらき)の方から土を取り寄せます。信楽の土がベースです。
安定している粘土は、信楽とか京都とか…。いろいろありますけど、僕は信楽の土が一番使いやすいですね。
信楽の鉄っぽい感じの色が好きで…。鉄分が多いんです
土の質も良いんですか?
うん。ちょっと腰が弱いけど、土が凄く伸びるんですよ。だからコップとかは作りやすいんです。
ただ、慣れないと、腰が弱くて柔らかいから伸ばしてると(途中で)切れちゃうんですよ。その辺が慣れるまで少しかかりましたけど、今はこの土が僕にあってるな~って思います
コップもお皿も同じ信楽の土を使っているのですか
そうです。原料は同じです。
絵を描くときは信楽の白い粘土に鉱石などを混ぜて、「化粧土」ってものを作るんです。
例えば赤い土に白い粘土を流しこんで、その白いところに絵を描くわけです。
粘土にいろいろと混ぜて、絵にあうような白い色にするんです。ちょっと黄色味が買った白とか、真っ白とか…
粘土が白くなるというのが面白いですね
真っ白いものは、陶器っぽい感じになって絵が描きやすいんですよ。
焼く前はちょっとグレーなんですけど、焼いたら真っ白になります
絵を描く前に、カタチを作って一度焼くんですね?
そう。素焼きといって、800度で焼きます。
素焼きに絵をのせて行くんですけど、(素焼きに)絵を描くのは、紙に書くのと違って非常に難しいです。紙に描く様に表現できるようになるには、ものすごく勉強しなければならないですね
それは、図案を描くのが難しいのですか?それとも色を出すのが難しいのですか?
どちらもですけど、やはり色ですね~ (素焼きに絵を)のせると、濃淡がわからないんですよ。素焼きに描いてもすぐ絵の具が沁み込んでいっちゃうんです。だからどれもおんなじ色に見えちゃう。
今は洋絵の具とか、色をのせたらそのまま出てくる絵の具もいろいろあるんですけど、本来は焼かないと色が出てこないですから
焼かないと色がわからないんですね?
そう。ほとんどわからない。
これが800度で4時間焼いた素焼き。白化粧です

4時間も焼くんですか!
これを焼くと、こちらになるんですか?

そうです。
かなり縮んでますけど、作ってるときはもっと大きいですよ。
土の状態から完成品になると15%くらい小さくなります。
陶器だったら20%くらい縮まりますね。磁器ものは15%くらいかな。
絵も、縮まり具合を考えながら描いていくわけです
(第2回につづく)

| 大 | 8×8×14(高さ) | 税込\5,250 |
| 中 | 5×5×9 | 税込\2,310 |
| 小 | 4.5×4.5×7 | 税込\1,575 |