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第5回 札幌中央形成外科 院長 武藤英生さん

第1回 医者ではなく建築家に憧れたこともありました

武藤先生、お疲れ様です


お疲れ様です


今日は「週刊コラナビ」の対談ということで、リラックスした中でいろいろとお話を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします


こちらこそよろしくお願いします


先生は今、おいくつでしたか


今、40ですね


40といいますと・・・大学を卒業されてから何年になるのかな。
医学部は6年制でしたっけ?


ええ、6年制なんですけど、僕の場合(大学に)入るのに1浪して、6年生を2回やりまして・・。で、卒業したけれども国家試験ダメで、国試浪人を1年やっているので、1浪1留1浪なんです(笑)
ですからストレートでいったら24で医者になるんですけど、僕は27でした


ああ、そうなんですか。先生は(出身が)札幌ですよね?


高校卒業まで札幌です


お父様がずっと美容外科をされていて、聞くところによると北海道で一番最初の美容外科だったと伺ってますが


そうですね


「美容外科」とか「美容形成外科」とか種類はいくつになるのですか?


「美容外科」「美容整形」「美容形成」この3つに分かれると思います。
形成外科というものが、昭和50年代くらいまで無かったんですよ。そういうカテゴリーがなく、全部「整形」だったんです。
ですから今でも整形のDr.が「整形外科です」なんて言うと「じゃあ、目を二重にしてもらおうかしら」なんていう事を言われてしまうんですが、整形外科は(まぶたの)二重の手術はやらないし、シワとりも施術内容には入らないんです。整形は主に骨折とか捻挫とか骨や関節に関して治療する分野ですからね。
「美容整形」というのは「形成外科」というカテゴリーがなかった頃の名残なんです


ああ、なるほど


美容外科をやるためには形成外科的な技術も凄く必要になってくるんです。ですから形成外科をやった医者じゃないと美容はできないと言われています。
先月まで耳鼻科でした、という先生がいきなり美容の手術をしているクリニックが一部ありますが、美容形成とはちょっと言い辛かったりします。ですから美容外科という分野が独立して出てくるようになった、という状況があるような気がします


クリニックの標語で、治療の内容が違うのかなと思ってしまうんですが、「美容外科」も「美容形成」もカテゴリーとしては同じと考えていいのですか?


そうですね。
ただ、形成外科医が、美容外科ができるかというとまた違った話しになってきますし、美容外科のうまい医者が全員形成外科医なのかというとそれもまた違うと思います。
美容外科というのは形成外科の一部、みたいなところがあったのですが、形成外科にも入っているけど、むしろそれ以外の部分のウェイトも少なくありません。
重なり合ってる「ベン図」のような感じですね


僕たちも、解っているようでいて明確な定義づけがしにくいという所がありますね


新しいところでは「美容皮膚科」なんていうものもありますね


あー、ありますね。皮膚科の美容?
美容皮膚科は、皮膚科という以上もちろんドクターですよね。
肌を綺麗にする専門の皮膚科とうことでしょうか?


多分、美容外科から「手術」を除いた部分でしょうね。
だから、レーザーとか注射とか…。でも手術はしません、というのが美容皮膚科だと認識しています


う~ん。なるほど…。
話しを戻しますが、お父様が札幌で美容クリニックをされていたのですよね?


最初は「札幌中央整形」だったんです。形成ではなくて…。なにしろ形成ってコトバがない頃ですから。
しかも、うちの父も初代院長ではないんですよ


あ、そうなんですか


ええ。父の前にクリニックを設立された先生がいて、体調を崩して療養することになったんです。で、「その間、代わってくれないか」と言われて札幌に来たんですよ。ですから、半年か1年で帰るつもりだったんじゃないかな。当時は。
でも、その先生が亡くなってしまったらしくて、(東京に)帰るに帰れなくなってしまった。父としては不本意ながらも札幌に居ざるを得なくなってしまったようです


それはいつ頃のことですか


えーと、昭和36年です。ですからウチのクリニックは創業46年になりますね。
あと4年で50周年ですよ


あー、その時は盛大に焼き鳥でもご一緒に…(笑)


はい。ビールも一緒に是非(爆笑)


お父様の頃の「札幌中央整形」は、美容のことをするクリニックだということを皆さんに知られていたのですか


そうらしいです。当時から父はテレビとかラジオとか雑誌とか、たくさん出ていたらしいですから。
北海道で唯一、というか北日本でも5本の指に入るほど、個人美容クリニックが少なかった時代じゃないでしょうか。
当時のクリニックの場所も、今の「ロビンソン」のあたり。ススキノの中にあるといってもいいくらいの場所ですよね。
ですから、ススキノで働いていらっしゃる方とか、「その筋」関係のお姐さんですとかが多かったようですよ


二重にするとか、顔を変えるとか、まだまだ抵抗がある時代だったんじゃないですか?


それはもう、「親から貰ったカラダに勝手に傷をつけて…」みたいな時代だったでしょう。ですから、こっそりと来てこそこそと帰っていく感じだったようです


先生は、医者の子供として生まれて、必然的に医者の道を選んだわけですか


そうですね…。運命ですから(笑)
もう潜在的に医者になるしかないんだろうな、という環境になってましたね


僕も仕事がらお医者さんにたくさん会うんですけど、「医者の子は医者」という、遺伝子とは違うんでしょうけど、そうならざるを得ないようなものがあるような気がしますが…


医学部の同級生でも、医者の息子・娘が多かったですね。「ブラックジャック」全巻持っているのが当たり前でしたし(笑)
小さい頃からいつも「いやー、いい跡継ぎができたね」みたいなことを言われるわけです。こっちの意識に関係なく周りがそう言って来るんですよ


勤務医の息子より、開業医の息子のほうが跡継ぎの使命感みたいなものが強いのでしょうか?


開業医は、自分が終わったらそのクリニックがなくなっちゃいますから…。
ですから、自分もプレッシャーありましたね。「あんたがやらなかったらこの病院潰すしかない」って言われますから。
自分としては「違うドクター雇えばいいじゃん」みたいな思いもありましたけど(笑)


ウチの父は病院の薬剤師だったんです。田舎の方の小さな病院だったんですけど…。ウチの隣が院長先生のお宅。その隣が副院長先生のお宅だったんですね。で、ウチが薬局長の家だったわけです。そうするとやっぱり、院長、副院長の子供は医者になってるんです。僕は薬剤師ではなく薬屋になりましたけど。
小さいころ、ぼっこで叩いていじめていた隣の子たちは、今頃はいいところの医者になってるんだろうなーって。今会ったら俺なんか怒られるだろうなーって思いますけど(笑)


高校の頃、僕は勉強が嫌いだったんで、成績も良くなかったんです。「進路相談」の時にも、最後の最後まで自分の進路希望を(記載用紙に)書けなかったんです。周りは医学部に行かなければならないような事を言うけど、自分の成績で医学部なんていけるわけないし…。
当時の担任が、察してくれたみたいなんですね。「お前、建築家なんてどうだ?」って言ってくれたんです。その時に初めて、医者以外の選択肢を与えられたんです。「あー、建築家かぁ。多分その仕事、俺好きかも…」見たいな事を思いましたね


はい


で、一時期父に言ったことがあるんです。「もう俺、医者になるの辞めるよ。建築家になろうかと思う」って。当然父はすごくがっかりしてるわけです。   でも、やっぱり時間が経つと、「ああ、やっぱり医者になるしかないのかなー」みたいな感じになって…


(連載第2回に続く)


(2007年11月08日)

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