
武藤英生
札幌中央形成外科 院長
HP http://www.chuokeisei.or.jp/
1967年2月1日、札幌市生まれ。
「ブラックジャック」に憧れ医師を志す。
東海大学医学部を卒業後、94年東海大学医学部脳神経外科学教室に入局。
脳外科医としてハードな日々を過ごす。
99年に帰札し、北海道大学医学部形成外科学講座に入局。
2003年より札幌中央形成外科の医師として診療にあたる。
今年3月、父親である先代を継ぎ、院長に就任。

柳田正太郎
医療コンサルタント「柳田正太郎事務所」所長
HP http://sirakaba.sunnyday.jp/
北海道オホーツク海に近い小さな田舎町で生まれる。
道内私大を卒業後、内資系製薬会社で勤務、後、外資系製薬会社へ転職。
病院から開業医までたくさんの医療機関を担当する。
製薬会社勤務時代は全国各地を巡り暮らす。
一念発起し北海道へ戻り、医業経営コンサルタントへ転身。
自ら企画開発した「シマフクロウ・コール」は全国へと広がっている。
正確な情報は伝わってないってことなのでしょうね
そう思います。
でも、ただ単に僕の勉強不足だけなのかもしれない。もしかしたら本当に腫れなくて、凄く自然で、速攻で終わるような方法があるのかもしれない。でも、僕はそんな技術持っていないので、出来るとは言えないですよね
う~ん…
例えば(二重手術の)埋没法を希望して来た方に対して、「切開という方法もあるんだよ」と伝えます。「埋没法の欠点に対して切開はこういうところが優れているんだよ。そういう選択肢もあるんだよ。それをわかってるかい?」と患者さんに訊きます。「もしかしたら切開の方があなたの求めてるものかもしれない」そういうこともちゃんと教えてあげなければならないですよね。
その患者さんが希望している施術のメリットデメリット。その方法に対抗している施術のメリットデメリット。その両方をキチンと伝えたうえで、「さあ、選んでください」と患者さんに言います。
自分の方から「あなたはこれをやりなさい」とは絶対に言いません。言ったら誘導になっちゃうから
はい。なるほど
普通のお医者さんは、一度マイナスに落ちたところをプラスマイナスゼロに戻すのが仕事ですよね。僕たちはゼロの部分からいかにプラスに持っていくか、ですから
そうなると、患者さんが自分で判断してもらうしかないということですね
そうです。誘導は絶対にしてはいけないので。
カウンセリングのあと「そうですか。じゃあちょっと考えてきます」とよく言われますが、「ちょっとじゃだめです。じっくりと考えてきてください」と伝えます。
なんだったらもう一度カウンセリングに来てもいいんですから
それが患者さんにとって一番ありがたいことでしょうね
ん~~。まあ、事務長は怒りますけどね(笑)
でもやっとウチのスタッフも、僕のこのスタイルをわかってきてくれたのかな、という気がします
武藤先生は、カウンセリングから施術、もちろんその後のフォローまで、全てご自分でなさいますよね。クリニックによっては、カウンセラーや施術、フォローなど、和分けているところもありますが
そうですね。そういうところもありますが、僕はあまり人に任せたくないですね。
だって、人がやった手術なんてわからないですから。もし、トラブルがあったとして、何とかしてくださいと言われても、なんで俺がやった手術でもないのに処理しなければならないの?って思いますし
そうすると、患者さんとしては最初から最後まで一人の先生に診てもらっているという安心感がありますよね
人によっては「分業化しているほうが近代的だ」って思う方もいるでしょう。でも、ウチでは僕が全て診させてもらいたいと思ってます
患者さんのことが気になるんでしょう?
そりゃ、凄く気になりますよ(笑)
でも、ウチに来る患者さんって、結果に満足している方は術後の経過を見せに来ないんですよ。もうそこで治療はおしまいですから
カウンセリングをしているうちに気持ちが変わってくる患者さんっていますか?
やっぱり(手術を)考え直します、とか、私って意外とこの顔でいいのかもね、とか
はい、いますね。そのままお帰りいただきます。
事務長は怒りますが(笑)
例えば「おなかを少し細くしたい」という治療の相談でいらした方が、カウンセリングが終わる頃にはお肌がツルツルになる施術の希望になっていた、なんてこともあります。
美容のクリニックに来る女性って勇気がいることですし、行動力も必要ですよね。ですから、「勢い」で来る方もいるんです。
その勢いを、受け止めつつ流すか、あるいはドーンと受け止めるかで、また(対応が)違ってくるんですよ。ですからカウンセリングに時間が掛かるんです
なるほど…。
先生が思う「美しさ」ってなんでしょう?
『自信』でしょうね。
自信のある人って綺麗ですよね。お顔の見た目に限らず、仕事とかスポーツとか、自信を持ってやっている時ってその姿は凄く綺麗じゃないですか。
ですから「鼻のカタチは気に入らないけど自分のこの目は気に入っているの」って思っている人は凄く綺麗ですし。
結局は精神的なところに行ってしまうのかもしれません。精神的なところをバックアップしてあげるというのが僕たちの仕事ですから…。
父のセリフですけど『美容外科は精神外科なんだよ』ということなんです。
(からだの)表面を治療しているわけですけど、実際には表面からは絶対に見えない深いところを触っているのと同じだと思います。美容外科は精神外科というのはそういう意味です
例えば、一重まぶたを二重にすることで、その人の自信が凄くみなぎるとすれば、それは目を変えたということよりも気持ちを変えた、ということですね?
そうです。ほんの少し(気持ちを)押してあげるだけで、その人の自信に加速度が付きます。とっても良い循環になってくるんです。
ですから僕の仕事は、表面を治すことによって、内面から湧き出てくるような自信を持たせてあげるということ。眠っていたものを呼び起こしてあげるということなんです
女性の人生観がガラっと変わるというか、街行く姿も変わるというか…
今までうつむきがちで歩いていた人が、上を向いて歩けばそれだけで綺麗ですよね。背筋も伸びるし、歩幅だって広がる。自信を持つことが綺麗の根源だと思います
武藤先生は、美容形成外科という道を選んで、これからも…多分この道を行きますよね?(笑)
ええ、多分…(笑)
美容外科医でなくなっているときは、オーストラリアあたりで絵を描いてるかもしれませんが(爆笑)
それはそれで素敵ですが…(笑)
美容外科医として、先生がこれから目指しているのはどのような世界でしょうか?
「一人一人に質の高いものを提供していく」ということが絶対的に必要だと思っています。ですから、流れ作業的に患者さんを回転させたりするようなことをするつもりもありません。
例えて言えば『名店の頑固オヤジ』みたいなイメージです。「一日限定6人、スープがなくなったらおしまい」みたいな(笑)
そうする事によって、一人一人に提供するサービスの質が保たれるわけです。必要以上に時間に追い回されたりせず、自分が納得できる医療を提供してゆきたい。
それが理想ですね
なるほど。
それでは最後に読者の方にメッセージをお願いします
今、情報が氾濫しすぎていると思います。
正しい情報もあれば間違っているものもある。どんなに素晴らしい機械であっても使い方によってはかえって悪さをすることもあります。
氾濫している情報のウラを知らないで、美容形成を受けたがる人が凄く多いと感じるんですね。ですから「まず訊いてください」と言いたいです。
疑問に思うこと、わからないことは訊いてくれたら全て教えますから。それから施術するかどうかを考えてください。
広告だけで決めてしまうのではなく、自分の目と足でしっかりと情報を確かめてほしいですね。
僕たちももちろん勉強しなければならないですが、患者さんも情報に惑わされず、しっかりと勉強してほしいと思います
わかりました。
是非これからも、女性男性問わずいろいろな方にクリニックに来ていただいて、自信をつけて帰っていただきたいと思います。
今日はお忙しい中、長い間ありがとうございました
こちらこそ、ありがとうございました
でもねー、健太郎やご両親にはしばらく報告できなかったですね。あと何ヶ月で辞めるんです… なんてこと… 言えなかったなぁ…。
言わなきゃ言わなきゃって思ってた時に、病棟の看護婦がうっかり喋っちゃったもんだから、も~~大変でした。「先生!!辞めるんですか~~!!!」って
そうですか…。本当に苦渋の決断ですもんね
まあ…。でも言い出せなくて本当にごめんなさいって感じで…。
実はこれこれの事情があって…って伝えたら、「そうですか…。先生はそちらの方がいいかもね…」なんて言っていただいて…
それはおいくつの時ですか?
99年ですから、32歳ですね
32歳のときに、脳外科医武藤先生が、形成外科医武藤英生になって札幌に帰ってきたんですね。お父様の下について勉強することになったわけですね?
当初はその予定だったんですが、北大という組織の医局に所属することになりました。当然1年目扱いですから、当直もありますし大学での勤務もこなさなければならない。ですから父の病院での勤務は週に1回くらいでしたね
なるほど、メインは北大の方だったんですね
そうですね。美容の仕事する前に形成をまずちゃんとやれ、ということでしたから。
北大に4年間籍を置かせていただいたわけでその間、北見や美唄でも勤務しました。
だた、その4年間の間にも何度か父が血を吐いて倒れたりしてるわけです。父ひとりのクリニックですので倒れたらストップしてしまいますよね。
ですから、その時はなんとかお願いして、1日だけこちらのクリニックの方に出張という形で患者さんの診療に当たらせてもらっていたわけです
なるほど。それもまた大変でしたね
本当はもっと長く北大の医局にいさせていただきたかったんですけど、父の体調が芳しくなくなってきたんですね。ですから最低必要期間の4年間を北大の形成外科に所属して、5年目からはわがままを言わせてもらって、こちらのクリニックの専従ということになりました。
それからは、岐阜の先生のところに1週間泊り込みで教えてもらったり、東京の先生のところで手術を見せてもらったりとか…それが今でも凄い役に立っているんですよ
自分が美容形成外科医に転身ことに関して抵抗はなかったんですか?
うん。結局レールはここに繋がっていたんだなって感じですね。
抵抗はなかったですし、なんだかんだ言っても決めたのは自分ですから…。
自分が出した結論で後悔しないためにも一生懸命やるしかないな、と。誰かのせいには絶対にしたくないですから。
「あの時誘わなければ俺は今頃…」なんてのは最低ですからね
先生が札幌に帰ってきた頃というのは、プチ整形とか美容形成とか、世間の意識は変わっていたのでしょうか?
そうですね。かなり受け入れられる時代になってきた頃だと思います。
目を二重にするとか、ピアスとか。ヒアルロン酸注射はその頃はまだありませんでしたけど…
昔に比べて、女性の意識も変わっているとは思うのですが、「綺麗になる」という定義って難しいんじゃないですか?
そうですね。定義は無いですね。人の好みもそれぞれありますし
女性は特に、自分の中で「綺麗の定義」を作るのでしょうかね?だから、顔を変えてみたいと思うのでしょうか?
それが適度なものであればいいんですけど、その意識が過剰なものになってしまうと始末がつかないというシーンは凄くあるんですね。鏡を見ても「これは私の顔じゃない!」って思い込んじゃうとか。
「じゃあ、どれがあなたの顔なの?」って訊いても「もうなんだかわからないから先生が決めて」みたいになってしまったりとか…
やはり悩まれるんですね、女性の方は
女性って鏡を見ている時間が長いじゃないですか。
でも僕ら男は、歯を磨く時とヒゲを剃るときとトイレで手を洗うときくらい。トータルでも10分もないですよね。でも女性の方は1時間とかざらにいますよね。その分、気になるところが見えてくるんでしょうね
はい
ですから、僕もこの仕事をしていて思うのですが、「男の目」で見ちゃいけないんですよ。彼女の(患者さんの)目というフィルターを通してその人を見なければいけない。
彼女に鏡を持たせて、僕はその彼女の頭のうしろから彼女の瞳を通して鏡に映った顔をみている、そんな感じですね。
それがとても大変です。それでも意識のズレはありますし、時間的なズレもあります。
あの時はこうだったけど、今はこう思っているとか。
もう、二次元三次元四次元の世界ですから…。とても難しいですよ
オトコの場合は、顔に何か不満があったとしても、見れば見るほど「まあ、これはしょうがないや…」って思いますけど、女性の場合は、見れば見るほどイヤになったりするんでしょうかね?
そうですね。鏡見る度に凹むという感覚でしょうね。
ただ、最近は若い男性の感覚が女性化してますよ。
「(顔の)この傷が気になるんです…」ていう男性の方がいたんですが
「え?どれ? この傷?!」って思うくらい凄く小さな傷だったりとか
先生のクリニックで、男性で美容形成に掛かる方の割合はどれくらいなんですか?
パーセンテージはまだ少ないですが、でも以前に比べて確実に増えていますね。
ヒゲの脱毛とか…
え?!ヒゲですか?
うん。「頬が青々をしているのが凄く気になるから永久脱毛してください」とか。
朝、ヒゲを剃っても夕方には伸びてきてるのがイヤだとか…。
でも、それを「そんなの気にするな」とは言えないですよね
そうですね
ですから、脂肪吸引とはまた違う治療で、おなかの脂肪の部分に炭酸ガスいれて凹ます方法があるんですが、そういう話題に男性も凄く興味を持ってますよ。
男の人って女性に比べて凄く臆病じゃないですか。痛いのがイヤなんですよね
先生のカウンセリングを受けるときは、予約制ですか?
はい。基本的には予約をいただいてます。
飛び込みでカウンセリングに来られる方もいますけど、時間的に充分お話できないんですよ。
例えば、4時に飛び込みでカウンセリング希望の方が来たとしても、4時半には次の方の予約が入っていたりします。そうすると正味20分くらいしかないんですよ。
僕の中で、20分のカウンセリングなんて滅茶苦茶短いんです。言いたいことが全部伝わらないうちに時間になってしまうので。
たっぷりと話を聞くのでこちらの話もたっぷりと聞いてくださいね、というカウンセリングですから、誰にも邪魔されないその時間をつくってくださいね、とお願いしています
そうしますと、1時間以上は必要ですね
そうですね。カウンセリングに1時間かけることはザラにあります
カウンセリングですが、まず患者さんの希望を訊くわけですよね?
「二重にしたいんです」とか「まぶたが腫れぼったいのを治したいんです」とか…。
そこからはどのようなお話をするのですか?
とにかくまず、その人の持っている情報がちゃんと正しいものなのかどうか、ということ聞いて正すことから始まります。
例えば、よく(まぶたを二重にする)広告にあるような『手術直後から腫れずに自然で誰にも気づかれず…』『クイックナチュラルで…』とか。そんな情報を持っているわけです。
そんなことあるわけないんですよ。誰だって、目をちょっとぶつけただけでも腫れますよね。それが、針刺して注射して糸通して中で結びつけて、それで腫れないわけないでしょ?
ですから、「術後最初の3日間は誰が見ても変だとわかりますから」と言っておきます。
1週間くらいたつと、知らない人が見るぶんにはあまり違和感はなくなりますけどね。
でも、「親兄弟、友達は気が付くよ。普通になるまで2週間はかかるけど、その2週間を過ごせる?」ということを本人に確認します
先生は、小さいころ何になりたいと思ったんですか?
タクシーの運転手、ですね。
あーなるほど。
僕はね、魚屋さんになりたかったんですよ(爆笑)
それはまたなんで??(笑)
子供の頃、ウチの近所の魚屋さんがあって、そこのおばちゃんが凄くかっこよかったんですよ。お店に並んでる魚を鉤型の棒でさっと引っ掛けて、袋にいれてさっと包む姿とか、アサリをざざっとすくって竹の皮の包みに流し込むところとか…。(笑)
先生はなぜタクシーの運転手?
やっぱりかっこよかったからですね。帽子かぶって白い手袋をして…
それは小さい頃のことでしょうけど、もう小学校の高学年くらいになると、お医者さんになるって思うようになるわけですか?
それはもう、だって周りから洗脳されてますもん(笑)
時間をかけた洗脳ですよね
じゃあその頃にはもう違う職業に憧れたりはしなくなっちゃうわけですか
だって他の選択肢がないんですよ
子供心に、自分はもう医者になるしかないんだって、思っちゃってるんですよね
あー。やっぱりそういうものなのかもしれませんね
結局、最終的には医学部に行くと自分で決めて、医学部入学して、卒業して、医師免許とって…。
でも、最初に形成外科に行かなかったのは、僕のせめてもの抵抗だったんですよ
え!?脳神経外科に行ったのは「抵抗」だったんですか!
はい。とにかく親の言うことをきいて医者にはなった、と。でも、ここから先は自分が決めてもいいよな…と。
神奈川県の大学でしたけど、札幌には帰らなくていいやって思ってましたし、父がつくった病院なんだから自分がたたみなさいよ、みたいなことを思ってましたね
はー、そうなんだ。あとを継ぐのは俺だ、みたいな使命感があったんじゃないかと思うのですが?
その頃は若いし、とんがってるし…。
あの頃一番思っていたのは「父と正反対のことをやろう」と。
美容外科は病気というよりは比較的健康な方が来るわけですけど、脳外は一分一秒遅れると死んでしまうこともあるわけです。手術も、頭開いて顕微鏡で覗いてとか凄いダイナミックですよね。それこそ「救命救急24時」みたいな生活をずっとやってきたわけです
先生、そもそも脳外科を選んだのは、やはり救急の第一線で働きたかったからですか?
いえいえ。かっこいいと思ったんです(爆笑)
その一言につきます。
救命救急の学生実習のとき、例えばくも膜下出血の患者さんが来ると、サーっと扉が開いて脳外の先生が颯爽と入ってくるわけです。かっこいいなーと(笑)
それに、学生の頃とてもお世話になった先生が、「お前、脳外科に来ないか」と言ってくださったことも大きいですね。
他の科からもいろいろと誘いがあったのですが、思いっきりハードなところを選ぼうという気持ちがありました。
ああ、そうなんだ
ええ。
意外だったのは、脳外に行くことを父は反対するかと思ったら、凄く喜んでくれたんですよ。「俺、脳外にいくから…」って言ったら 「おお、そうか。大変だぞー」っていいながらも喜んでいたんですね。
実は、父は若い頃に結核にかかったことがあるので、肺も腎臓も片方取ってしまって無いんです。だから、体力の必要な仕事ができないので長時間に及ぶ手術をするような外科はもちろん無理。結核の薬の副作用で耳が遠いので、聴診器が必要とされる内科もできない。で、眼科とか耳鼻科に行って、最終的には美容外科になったんです。
後日、母に聞いた話ですが、父はテレビのドキュメンタリーなどで救命の現場を見たりすると「ああ、これが医者の本来の仕事だよな」って言っていたらしいんです。ですから、自分がやりたくても出来なかった仕事を息子がやっているという事は、これはこれで親孝行なのかな、とも思うんです
そうですね。
なるほどそういう事情があったんですか…
脳外科で働いてチーフにもなって、ハードな毎日で、月に数日しか家に帰れないような生活になってきて…。ちょうど最初の子が生まれた頃ですが
おいくつで結婚されたんですか?
30になったばかりの頃です。医者になって3年目です。
ウチのカミサンも救命救急で看護婦として働いていたので、家で会うよりも職場で顔を会わせてる時間の方が長かったですね
そうしますと、奥様とは夫婦であると同時に救命救急の職場のチームであったわけですね
はい。チームの同僚です。
夫婦最初の共同作業が、患者さんに点滴を入れてる、みたいな(笑)
同じ職場にいらしたということは、当然先生のハードな仕事ぶりをよくご存知なわけですよね
はい。2週間ウチに帰れなくても全然怪しまれないんですよ。それは普通な事なので。それに、職場の看護婦からカミサンに連絡が入ってるんですよ。「昨日重症の患者さん来たよ」とか「ダンナ、昨日はICUの床で寝てたよ」とか(笑)
受け持ちは、救急ですか
救急外来と入院病棟、それと手術室です
そうとうハードな生活ですね?寝る時間なかったでしょう
寝てなかったですねー。あの頃はよく動けていたと思いますよ。2日間徹夜とか普通にありましたから
MR時代、よく思ったのですが、お医者さんて器用ですよね。医局のソファで10分とか15分の間眠っていて、それでもパッと起きてすぐ行動できるのが凄いなと
それが出来ないと生きていけないんですよ。エレベータの中でも一瞬寝ます。チーンってなると起きて出て行くとか(笑)
脳外の先生をされていたのは何年間ですか
トータルで5年です
脳外科というと、かなり細かい作業をされるイメージがありますが
顕微鏡を使って脳ミソの細かいシワをかきわけかきわけ、という作業は確かに細かいんですけど、でも、それを言うなら形成外科だって「血管吻合」で1ミリ2ミリの血管を顕微鏡を使って繋いだりするわけですからかなり細かい作業ですよね。ですから脳外だけが突出して凄いかというと決してそんな事はないと思いますよ
脳外の先生を5年間やられて、それから札幌に戻ることになるわけですが、それは何か大きなライブイベントのようなものがあったのですか?
長女が生まれたときに、札幌から両親が初孫に会いに来たんです。職場の先輩が気を利かせてくださって、せっかくご両親が来ているのだから、ゆっくり食事でもしてこいと言ってくれたんですね。
その食事の席で、父が、「札幌に戻ってくるつもりはないか」と言いまして…。
「(息子は)俺と違うことをやった」と脳外科医をやっていることを喜んでくれてはいたんですけど、やっぱり父も年をとってきて、クリニックを今後どうするかを悩んでいたんでしょうね。自分が作ってきた病院を人手に渡すのもなぁ…という気持ちだったんでしょう
お父様にそのように言われていかがでしたか?
いやーー、むちゃくちゃ迷いましたね。
もともと自分は子供が大好きでしたので、ものすごく当時産まれたばかりの我が子に会いたいわけです。でも、脳外をやっている以上そうそうは会えないんです。家に帰れない生活ですから。周りの同僚も家に未亡人を作っているような状態でしたし。
「ああ、帰りたいなぁ」って思ってしまったら脳外科医はお終いなんですよ。家に帰ることを前提に仕事をするようになってしまったらアウトなんです。判断にブレが出てきますから。一生懸命自分を誤魔化し続けるしかないんです。
そんな時に父の言葉があったので、半年以上悩みましたね
なるほどそうでしょうね。やっぱりお医者さんは、辞めるにしても半年、1年前から勤務先に打診しておかなきゃならないでしょうから…
当時、脳外科で自分のライフワークと思って治療にあたっていた患者さんも何人もいましたし、特に健太郎は絶対に自分が最後まで診るという気持ちでいましたから…。
(編集部注 コラム「師匠」に健太郎君との暖かい繋がりが書かれています)
で、当時の医局長に相談したんですね。「医局長、実は今こういう状況でいろいろと考えているんですが…」と言ったら、「バカか!お前は」って凄く怒られました。
「家庭と仕事とどっちが大事だと思ってるんだ。家庭に決まってるだろう!! お前な、気持ちはわかるけど、お前にしかできないなんて事はないんだぞ。健太郎の事もちゃんと俺が診ているから。」って言われまして…。
それはもう目からウロコが落ちた瞬間でしたね
ああ。なるほど…
でもねー、健太郎や親御さんにはしばらく報告できなかったですね。あと何ヶ月で辞めるんです… なんてこと… 言えなかったなぁ
武藤先生、お疲れ様です
お疲れ様です
今日は「週刊コラナビ」の対談ということで、リラックスした中でいろいろとお話を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします
こちらこそよろしくお願いします
先生は今、おいくつでしたか
今、40ですね
40といいますと・・・大学を卒業されてから何年になるのかな。
医学部は6年制でしたっけ?
ええ、6年制なんですけど、僕の場合(大学に)入るのに1浪して、6年生を2回やりまして・・。で、卒業したけれども国家試験ダメで、国試浪人を1年やっているので、1浪1留1浪なんです(笑)
ですからストレートでいったら24で医者になるんですけど、僕は27でした
ああ、そうなんですか。先生は(出身が)札幌ですよね?
高校卒業まで札幌です
お父様がずっと美容外科をされていて、聞くところによると北海道で一番最初の美容外科だったと伺ってますが
そうですね
「美容外科」とか「美容形成外科」とか種類はいくつになるのですか?
「美容外科」「美容整形」「美容形成」この3つに分かれると思います。
形成外科というものが、昭和50年代くらいまで無かったんですよ。そういうカテゴリーがなく、全部「整形」だったんです。
ですから今でも整形のDr.が「整形外科です」なんて言うと「じゃあ、目を二重にしてもらおうかしら」なんていう事を言われてしまうんですが、整形外科は(まぶたの)二重の手術はやらないし、シワとりも施術内容には入らないんです。整形は主に骨折とか捻挫とか骨や関節に関して治療する分野ですからね。
「美容整形」というのは「形成外科」というカテゴリーがなかった頃の名残なんです
ああ、なるほど
美容外科をやるためには形成外科的な技術も凄く必要になってくるんです。ですから形成外科をやった医者じゃないと美容はできないと言われています。
先月まで耳鼻科でした、という先生がいきなり美容の手術をしているクリニックが一部ありますが、美容形成とはちょっと言い辛かったりします。ですから美容外科という分野が独立して出てくるようになった、という状況があるような気がします
クリニックの標語で、治療の内容が違うのかなと思ってしまうんですが、「美容外科」も「美容形成」もカテゴリーとしては同じと考えていいのですか?
そうですね。
ただ、形成外科医が、美容外科ができるかというとまた違った話しになってきますし、美容外科のうまい医者が全員形成外科医なのかというとそれもまた違うと思います。
美容外科というのは形成外科の一部、みたいなところがあったのですが、形成外科にも入っているけど、むしろそれ以外の部分のウェイトも少なくありません。
重なり合ってる「ベン図」のような感じですね
僕たちも、解っているようでいて明確な定義づけがしにくいという所がありますね
新しいところでは「美容皮膚科」なんていうものもありますね
あー、ありますね。皮膚科の美容?
美容皮膚科は、皮膚科という以上もちろんドクターですよね。
肌を綺麗にする専門の皮膚科とうことでしょうか?
多分、美容外科から「手術」を除いた部分でしょうね。
だから、レーザーとか注射とか…。でも手術はしません、というのが美容皮膚科だと認識しています
う~ん。なるほど…。
話しを戻しますが、お父様が札幌で美容クリニックをされていたのですよね?
最初は「札幌中央整形」だったんです。形成ではなくて…。なにしろ形成ってコトバがない頃ですから。
しかも、うちの父も初代院長ではないんですよ
あ、そうなんですか
ええ。父の前にクリニックを設立された先生がいて、体調を崩して療養することになったんです。で、「その間、代わってくれないか」と言われて札幌に来たんですよ。ですから、半年か1年で帰るつもりだったんじゃないかな。当時は。
でも、その先生が亡くなってしまったらしくて、(東京に)帰るに帰れなくなってしまった。父としては不本意ながらも札幌に居ざるを得なくなってしまったようです
それはいつ頃のことですか
えーと、昭和36年です。ですからウチのクリニックは創業46年になりますね。
あと4年で50周年ですよ
あー、その時は盛大に焼き鳥でもご一緒に…(笑)
はい。ビールも一緒に是非(爆笑)
お父様の頃の「札幌中央整形」は、美容のことをするクリニックだということを皆さんに知られていたのですか
そうらしいです。当時から父はテレビとかラジオとか雑誌とか、たくさん出ていたらしいですから。
北海道で唯一、というか北日本でも5本の指に入るほど、個人美容クリニックが少なかった時代じゃないでしょうか。
当時のクリニックの場所も、今の「ロビンソン」のあたり。ススキノの中にあるといってもいいくらいの場所ですよね。
ですから、ススキノで働いていらっしゃる方とか、「その筋」関係のお姐さんですとかが多かったようですよ
二重にするとか、顔を変えるとか、まだまだ抵抗がある時代だったんじゃないですか?
それはもう、「親から貰ったカラダに勝手に傷をつけて…」みたいな時代だったでしょう。ですから、こっそりと来てこそこそと帰っていく感じだったようです
先生は、医者の子供として生まれて、必然的に医者の道を選んだわけですか
そうですね…。運命ですから(笑)
もう潜在的に医者になるしかないんだろうな、という環境になってましたね
僕も仕事がらお医者さんにたくさん会うんですけど、「医者の子は医者」という、遺伝子とは違うんでしょうけど、そうならざるを得ないようなものがあるような気がしますが…
医学部の同級生でも、医者の息子・娘が多かったですね。「ブラックジャック」全巻持っているのが当たり前でしたし(笑)
小さい頃からいつも「いやー、いい跡継ぎができたね」みたいなことを言われるわけです。こっちの意識に関係なく周りがそう言って来るんですよ
勤務医の息子より、開業医の息子のほうが跡継ぎの使命感みたいなものが強いのでしょうか?
開業医は、自分が終わったらそのクリニックがなくなっちゃいますから…。
ですから、自分もプレッシャーありましたね。「あんたがやらなかったらこの病院潰すしかない」って言われますから。
自分としては「違うドクター雇えばいいじゃん」みたいな思いもありましたけど(笑)
ウチの父は病院の薬剤師だったんです。田舎の方の小さな病院だったんですけど…。ウチの隣が院長先生のお宅。その隣が副院長先生のお宅だったんですね。で、ウチが薬局長の家だったわけです。そうするとやっぱり、院長、副院長の子供は医者になってるんです。僕は薬剤師ではなく薬屋になりましたけど。
小さいころ、ぼっこで叩いていじめていた隣の子たちは、今頃はいいところの医者になってるんだろうなーって。今会ったら俺なんか怒られるだろうなーって思いますけど(笑)
高校の頃、僕は勉強が嫌いだったんで、成績も良くなかったんです。「進路相談」の時にも、最後の最後まで自分の進路希望を(記載用紙に)書けなかったんです。周りは医学部に行かなければならないような事を言うけど、自分の成績で医学部なんていけるわけないし…。
当時の担任が、察してくれたみたいなんですね。「お前、建築家なんてどうだ?」って言ってくれたんです。その時に初めて、医者以外の選択肢を与えられたんです。「あー、建築家かぁ。多分その仕事、俺好きかも…」見たいな事を思いましたね
はい
で、一時期父に言ったことがあるんです。「もう俺、医者になるの辞めるよ。建築家になろうかと思う」って。当然父はすごくがっかりしてるわけです。 でも、やっぱり時間が経つと、「ああ、やっぱり医者になるしかないのかなー」みたいな感じになって…
