なるほど情報ウェブマガジン【週刊コラナビ北海道】毎週木曜日更新

週刊コラナビトップ第4回 イラストレータ・絵本作家 佐藤正人さん

第4回 イラストレータ・絵本作家 佐藤正人さん

第2回 なんとなくフリーランスになっちゃったんです

プロフィールを拝見すると、いきなり1983年にグランプリを受賞しますよね


あ~そうですね。それは昔から書いていたメルヘン調の絵だったので、受賞することができました


'83年といえば、まだ働いて2年目くらいですよね。これって、とんでもなく凄いことなんじゃないですか?


うん、そうですね。やっぱり自分の中では凄く嬉しかったです。それまでは賞とか殆ど意識したことはなかったんですけど、たまたま公募のものがあったので、わりと気軽に応募してみたんですけど


そのときは、24歳ですか?


そうですね。それまでは自分以外の作品を見る機会があまりなかったのですけど、(受賞作などの)作品展が銀座であったんです。そのとき初めて、他の人達の作品を見てすごく刺激を受けましたね。それからはいろいろなものを見るようになりましたね。
当時の会社が銀座にあったんですが、ギャラリーとかたくさんある場所ですよね。他にも原宿や表参道とか。かなりのギャラリーを見て周りました。見るとやっぱり勉強になるんだな、という気持ちは当時からずっとありました


なるほど。そういう積み重ねがあったということですね。
その3年後に札幌に戻ってくるわけですが、ひとつのターニングポイントですよね。なぜ札幌に戻ろうと思ったのですか?


う~ん、やっぱり子供のことですね~


東京で結婚されていたのですね


はい。その時はちょうど、2番目の子が生まれる頃だったと思います。会社は銀座だったんですが、住んでいたのが神奈川県の大和市というところで、通勤に2時間くらいかかるんです。大和市もとってもいい場所なんですけど、子供を育てる環境を考えたら北海道の方がいいのかな~って思って。カミサンも札幌出身なので、じゃあ二人目が生まれるのを機会に札幌に戻ろうかって考えたんですね


仕事のマーケットは東京のほうがはるかに大きいわけですから、札幌に戻ることで不安はありませんでした?


多少はありましたけど...まあどうにかなるんじゃないか、みたいな気持ちだったかな(笑)いろいろな情報を集めて変に考えすぎたりしていたら、むしろ戻れなかったかもしれないですね


それは(グランプリを)受賞していて、ある程度自身もあったということでしょうか


そうですね。やっぱりいろいろな仕事をしてきて、会社の中でも実力が認められているという自信はありました。札幌に戻ってもある程度通用するだろうという意識はありました。ただ北海道の状況がどうなっているのかはわからなかったので、その点は少し不安はありましたけど


はい


ウチのカミサンが以前、読売広告社の札幌支店で経理をやっていたんですね。それで広告業界のことは多少は知っていたんです。札幌に戻ってきてから、読広の支店長とかプロダクションの社長とかを紹介してもらうことは出来ました


佐藤さんの場合は、札幌に戻ってからフリーランスで仕事を始めましたよね。どこかに所属しようとは思わなかったのですか?


最初はどこかに就職しようと思っていたんですよ。なので、自己紹介もかねて自分の作品を持って広告代理店とかを回っていた時期があったんです。で、ウチにこないかって声をかけてくれたところも何社かあったんでけど...


ああ、もう内定というか、就職しようと思えばできたと


そうそう。それでどうしようかと迷っているうちに、もうイラストの仕事が入り始めてきたんですよ。これからもやっていけるかどうかはわからなかったけど、まあ、フリーでやってみてダメだったらどこかでお世話になろうと思って、誘っていただいた会社はお断りさせていただいたんです


それから20年、フリーランスで通しているわけですよね


そうですね~。だから「完全にフリーになる!」という目的だったわけじゃなくて、なんとなくそうなっちゃった、みたいな(笑)


羨ましいですけどね。なかなかそんな人いないでしょう?(笑)
メルヘンの分野、というかそのような作品を創るエキスパートが札幌にはいなかったというニーズもあったのでしょうか?


それはあったかもしれませんね。今みたいにいろいろなバリエーションがあった時代ではなかったので。イラストレーターという人もある程度数が限られていましたし...。その割には、当時バブルの前くらいでしたけど仕事はどんどんある時代だったんです。ちょうど時期的にも良かったのだと思います


なるほどそうですね。80年代中盤というと広告業界が活況の時期でしたよね


そうそう。僕はデザインの学校を出ているわけでもないし、美術の大学を出ているわけでもない。それでも東京のデザインプロダクションに就職できたというのは、時代の流れのようなものだったのかもしれないです。札幌に戻ってからもイラストレーターとして仕事が出来たのはいい時代だったと思いますよ


そうですね~ 佐藤さんとは、当時僕が印刷会社の営業をしているときに、共通のクライアントを通じて知り合ったわけですけど、本当に仕事はたくさんありましたよね。寝る暇がないくらい(笑)


そうですね。それでも、東京から札幌に戻ってきたときに、作品の料金というかギャランティの格差には驚きましたけど...


どれくらい違うものなのですか?


倍以上はちがいますね、当時は。3分の1、4分の1とかそういう世界でしたから


ちなみにイラストを一枚描いてギャランティはどれくらいですか


当時、東京でそこそこのイラストレーターがB全版のポスターのイラストを描くとしたら、だいたい50万から150万の間くらいだったんです。こっちだと、10万から70万くらいでしょうか


そんなに違うんだ...


東京だと月に数本仕事をしたら生活のお金は充分確保できるわけですけど、札幌ではある程度数をこなさないといけない。そういうのはありました。当時は一番(格差が)ひどい時期で、今はそれほどまでの違いはなくなっていていますけどね


(第3回に続く) 北方四島のいきものたち・佐藤正人
(2007年10月11日)

コメントする


画像の中に見える文字を入力してください。

文字は半角英数字で入力してください。
(画像が表示されない場合、画像のところでマウス右クリック-[画像の表示]を実行してみてください[Windows InternetExplorer, FireFoxの場合])

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 第2回 なんとなくフリーランスになっちゃったんです

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://spiritlink.80code.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/798