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第4回 イラストレータ・絵本作家 佐藤正人さん

イラストレーター・絵本作家 佐藤 正人さん プロフィール

イラストレーター・絵本作家 佐藤 正人さん

1959年 札幌市生まれ。明治学院大学卒。
 出版社を経てメディアジャパン銀座製作室にてイラストレーターとして勤務。
1983、84年講談社童画グランプリ入選。アートサロン銀座にて作品展。
1986年札幌に帰郷後フリーランス、アトリエM設立。
1992年サッポロファクトリーデザイン大賞、イラスト賞受賞。
1994年M第34回全北海道広告協会賞。
1997年第6回KFCイラストコンテストスポンサー賞受賞。国民文化祭TOYAMA'96ポスター展入選。
1998年ふみの日切手デザインコンクール入選。第1回スマイリング大賞、奨励賞受賞。
 サッポロアートアニュアル'98北海道新聞社賞受賞。クリーニングハンガーリサイクル大賞グランプリ。
2001年けんぶちふるさと絵本賞大賞受賞。絵本原画展(剣淵絵本の館)北のTシャツデザイン大賞。
平成13年度幼児向け絵本コンテスト優秀賞受賞。デザインフェスタ2001出品(スカイホール)。
2002年新風舎えほんコンテスト金賞受賞。アートサークルMイラスト展開催(NHKギャラリー)。
2003年イラストカフェ展(カフェルネ)第1回国際環境絵本コンクール入賞受賞。

第3回北方領土四島とわたし絵本コンクール大賞受賞。

絵本「ムーニャとほしのたね」「羊かいのおどり」「北方四島のいきものたちー自然の楽園」他

(社)日本グラフィクデザイナー協会会員 北海道デザイン協議会理事 アートサークルM主宰

北海道イラストレーターズクラブα会長 
URL http://hc3.seikyou.ne.jp/home/m-illust

第4回 デザインの世界はもっとグローバルになっていくと思います

広告業界からの依頼も多いと思いますが、佐藤さんが本来やってらっしゃる仕事と、広告関係の仕事ではどのような違いがありますか。


広告の仕事は、相手が求めてくるものに対して自分の個性を出しながらイラストレーションを描きあげなければいけないという目的があるので、必ずしも自分のやりたいこと、描きたいことを出せばいいというわけではないですね。ある程度の制約の中でどう自分を表現するかですから…。自分の満足のいくものを創っていますが、ただ時間が経つと、自分のやりたかった方向性と違ってくることがあるんですね。ですから、個展を開くときは、広告で描いたような作品はまず展示しないですね。
個展はあくまでも自分のやりたいことを発表する場ですから、そういう発表の場を必ず年に1回は作るようにしてますので、そこで発散されてしまう部分もあるんですよ


あ、なるほど。個展が発散の場になるんですね


そうですね。個展は自分のやりたいことができるということですね。それだけに何を書こうかなと考えることもありますが…。でも仕事ではないので楽しみながら描けますし、自分にとってのいいステップになります


発注する側のクオリティというものもありますよね。僕も広告の仕事をしていた時代があるのでわかるんですが、せっかくの企画をクライアントにぐちゃぐちゃにされることってありますよね(笑)


ありますね。どこから企画に参加するか、いろいろなケースがありますけど、クライアントやディレクターなどと打ち合わせていくうちに、ぐちゃぐちゃになってしまうことはたまにありますね。最初の方向性はなんだったんだ、みたいな(笑)まあそれはそれで仕事として割り切っていますが…

えれくとーんぎゃらりぃパレットわーくぶっく





ここ10年で地場の広告代理店がバタバタ潰れましたよね。協同広告や経宣、パブリックセンターとか…。地元の代理店が潰れていって業界は変わりました?







う~ん。やっぱり変わりましたね。10年前に比べて代理店に元気がない状態ですよね。代理店のやるべきことが無かったり判らなかったり…。代理店のチカラが昔に比べて全然なくなりましたね。

札幌でも、有名な賞を受賞したようなレベルの高いデザイナーなどが増えてきているんですよ。そういう人たちは、クライアントと直で仕事をすることも多いようですね。そのような仕事のやり方が増えてくると、代理店って何だろうって思います。ですから、(直で仕事をする)30代のデザイナーが今元気が出てきていますね







それはフリーデザイナーさんということですか?







そうそう。フリーだったりユニットを組んでいたり…。以前は、デザインプロダクションに所属するかフリーかで分かれていたんですけど、今は個人でもいろいろなユニットを組んで活動している人も多いですね。プロダクションのデザイナーでも他の会社のデザイナーとユニットを組むとか。そういったやり方が増えているのでデザイナー自体は活気がありますね







イラストレーターは道内に何人くらいいらっしゃるのですか?







どれくらいだろう…。100名は超えるでしょうね。「自称イラストレーター」も含めてですけど(笑)







100名というと、この狭い市場の中では大変ですね







そうですね。札幌で20年もこの仕事をしていると、もうこれ以上間口が広がらないのが判るので、今は東京の仕事が多いですね。半々か…あるいは東京の仕事の方が多いかもしれないな~







あ~やっぱりそうなるんですね。20年札幌で仕事をしていらして、やっぱり東京にいってしまえ、とか東京に来ないかとか、そういうのはなかったんですか?







札幌の戻ってきてからも、以前の仕事関係との繋がりは続いていたんですね。今は全く違うルートからも仕事が来たりしていますが…。でも、完全に拠点を向こうに移してしまおうとは思わなかったですね。たまに仕事で1週間くらい東京のホテルで過ごすことはありますが、こちらにいるほうがいろんな意味で楽ですし…。今は電話とメールとFAXとで、どこにいても関係ないですから



パフォマーケット




専門学校で講師もされていますね。どんなことを教えているのですか







イラストレーションですね







生徒さんは「ゲーム世代」ですよね?







そうなんです。だから好きに描かせるとみんな漫画傾向になっちゃうんですよ(笑)確かに今、イラストレーションという括りも昔と違って広く捕らえるようになってきているんですね。だからゲーム的なもの、漫画的なものもイラストレーションの中に入ってはいるんですよ。アート的なものも入ってきていますし…。時代とともにイラストレーションの世界も広がっています。ただ、若い人がやりたいと思っているイラストレーションの傾向は漫画系が多いですね







具体的には彼らにどういったことを教えているのですか?







技術的な部分です。今イラストの世界ではアクリル絵具が画材として主流なんですね。アクリル絵具って様々なバリエーションを表現するのに適しているんです。ですからいろいろなタッチを教えたり、表現の完成までの流れ的な部分を教えたり、とかですね。実際の広告関係で描かれているようなモノの流れを実践的に教えています







ご自分の10代のころと違うなと思うことはありますか







描く内容はやっぱり違いますね。でも描きたいと思う情熱は昔とそんなに変わらないと思いますよ。ただ、イラストに関しては女性が殆どなんですよ。教室の三分の二、いや四分の三が女性なんですね







女性が多いんですか?!それはちょっと意外でしたね。半々くらいなのかと







いえ、今は殆どが女性ですね







北海道のデザインの世界、グラフィックの世界はこれからどうなっていくと思いますか?







今までは情報もデザイナー自身もあまり外に出なかったんですけど、これからは北海道という枠にとらわれないで、全国に、世界にとグローバルに考える人たちも出てきているので、北海道のデザインのポジションももっともっとグローバルになっていくと思います。いい意味で







インターネットの世界とか、いろんな意味で発信しやすくなっているということもあるんでしょうか







そういうこともあるでしょうね。よく『日本のデザイナー100人』のような本がありますが、かならず北海道のデザイナーも名を連ねていますからね







作品を作るうえでも北海道の環境はいいのでしょうか?







そう思います。四季がはっきりしていてメリハリがあるじゃないですか。仕事じゃなく遊ぶにしても、そういったことがとても大切だと思いますね







それでは、佐藤さんのこれからの活動についてお聞かせください







そうですね~。これからは自分の作品の発表の場をもっともっと増やして行きたいと思ってます。ちょうど今、『ムーニャとほしのたね』の原画展を富山でやっているんです。

東京のほうでも展覧会をどんどんやって行きたいですね。

今まで20年北海道で仕事をしてきて、北海道に育てられた、お世話になったという気持ちがあるんですね。もう自分も50近くなってきたので、今度は何か北海道にお返しするようなことをやっていけたらな、とも思っています。個人的なワークショップとか、ボランティア的なことで他の人たちと活動するとか。そんなことも考えていますね







わかりました。今日は長い時間ありがとうございました







こちらこそありがとうございました





第3回 札幌のデザイナーはもっといろいろな作品を見たほうがいいと思いますよ

当時、断った仕事ってあるんですか?これはできないよ、みたいな


札幌に戻ってからしばらくはいろいろな仕事を受けてましたから、断ったというのは殆どないと思います。
でも、ひとつ覚えているのは、「北大の教授が本を出すのでその本に載せるイラストを描いてほしい」という依頼が(プロダクション経由で)あったんですね。で、線画のサンプルを持ってその教授のところに行ってくださいと言われたので、その教授に会いにいったわけです。ところが、その教授の専門が「解剖」だったんです


あ~、医学部だったんですね


そうそう。その教室の案内されて絵を見てもらって「じゃあ、サンプルをもってきますからその絵を描いてみてください」といわれたんです。で、持ってきたサンプルが、なんていうのかな...、かなりリアルなサンプルで(笑)


人体模型みたいな?(笑)


そう。『人体の不思議展』にあるような...(笑)。子供か女性かわからないけど、顔の半分の皮膚がなくて、筋肉がよくわかるようになっているサンプルで...
えーっ!て思ったんですけど、まあその絵を描いていたわけです。お昼になって、教室の学生たちが、そんなサンプルの前で普通に昼飯を食べているのが凄いな~と(笑)


デザインイラストというよりも医学専門書のイラストだったんですね


そうですね。一応サンプルのイラストを書き上げて先方に渡して帰ってきたんですけど、後日こちらからお断りしました。
確かにかなり数がある仕事だったので、それなりの金額になったと思うんですが、サンプルが夢に出てくるんですよ(爆笑)。あそこに通うと思うとさすがに精神的に厳しいな...と。
これまでに来た仕事の中でも断った仕事の中でも、一番印象がありますね(笑)


プロフィールを拝見すると、これまでの数々の受賞歴がありますが、一番嬉しいと思ったものは?


自分の中で一番嬉しかったのは、2001年に受賞した「けんぶちふるさと絵本大賞」(上川郡剣淵町絵本の館)ですね。それが『ムーニャとほしのたね』というこの本です

ムーニャとほしのたね・表紙

あー。これはいい絵本ですよね~


剣淵町にいたイラストレーターさんと10年以上前からお付き合いがあって、何人かのイラストレーターが集まって「ドリーム展」というのを毎年春に開いていたんです。その10年記念だったと思いますが、剣淵町絵本の館で絵本を公募してコンクールをすることになったんです。
剣淵には毎年行っていたので、「ああ、じゃあ自分も何か絵本を創って応募してみようかな」と思ってたまたま描いた本が、大賞の受賞になったんです


たまたま応募して大賞を受賞してしまうあたりが凄いですよね(笑)


この本(ムーニャとほしのたね)は、応募しようかなどうしようかなと随分迷っていて、締め切りの一週間前に、やっぱり出そうと決めて一気にわーっと描いた本なんですよ


絵本ですから当然文章も書くわけですよね。文章から先に書くんですか?絵のほうですか?


これは文章ですね。というか、わりと平行して頭の中でビジュアル的なものも浮かべながら書いています


他にも絵本をたくさん創っていますが、だいたいその方法ですか


そうですね。あるいは何かビジュアル的なヒントのようなものがポンッとあって、そのビジュアルの組み立てを考えたり膨らませたあとに、後付のような形で文章をつけることもあります。でも、だいたいはビジュアルのイメージと文章のイメージが平行して出てきますね

ムーニャとほしのたね

イメージが沸くような普段からの訓練とか鍛錬とか、そのような方法ってあるんですか?


訓練とは違いますけど(笑)いつもスケッチ的なものを続けていますね。スケッチといっても普通のスケッチではないんですが...
今、自宅から事務所まで歩いて通っているんですが、その間にも四季折々の風景がありますよね。例えばドングリが落ちていたとして、そのドングリをモチーフにして何か描けるなっていうヒラメキをピンと感じるときがあるんです。そうするとすぐに小さなスケッチブックに、絵とか文章とかのラフ書きをして、そういったメモのようなものを貯めてあるんですよ


う~ん。なるほど


ですから、実際に何かカタチにしようとしたときに、貯めてあるスケッチを改めて見直して、ああ、やっぱりこのイメージがいいなと思ったら実際に本や作品にしていくわけです


そういった日常の訓練というか、習慣はずっと昔から続けていたのですか


そうですね。昔から「モノを見る」ってことをずっとしてきてます。 先ほどの銀座のギャラリーのこともそうですけど、今でもいろんな展示会やギャラリーに行きます。絵だけじゃなくていろんなジャンルのものを...
やっぱり見に行くと刺激をもらえるし、ヒントになるし...。個展などに行くと作家さんがそこにいることが多いので、作家さんと話しをしてそこから新しい繋がりができたりもしますよね。足を運ぶといろんな広がりがあるので、今でも時間があるとあちこちに行くようにしています


年をとると気持ちが汚れていくじゃないですか(笑)そうならないようにクリエーターとして気持ちを保つって大変な作業なんじゃないかって思うんです


う~ん。確かにそれはありますけどね。(気持ちに)アカがついたり錆びたり(笑)
今のクリエーターの人たちも新しいことにトライしたりしてますけど...
でも比較して申し訳ないけど、東京の人に比べてこちらのデザイナーやディレクターはモノを見ていないと思うんですよ。東京のデザイナーやディレクターは時間があればギャラリーに行ったり、いろんな情報を得るためにパーティに出たりとかしているんですね。
そこから新しいイラストレーターを発掘したり、デザインの勉強をしたりしてるんです。
でも、こちらに戻ってからずっと感じているのですが、そういう人が札幌は少ないですね


それは何故でしょうね?見る場所が少ないということですか?


いえ、そういうことではなくて、展示会などでも意外と一般の方はよく来てくれるのですが業界の人が来ないんですよ。なんででしょうね(笑)出不精なのか、あるいはそういうものを求めていないのか...


それはココロに水をあげるような作業ですよね。継続するかどうかで、随分違ってくるんでしょうね


そうですね。自分のポケットをたくさん持っていても、常にそこにモノを入れておかなきゃならないですよね。そのためにいろんなモノを見るということは必要だと思うんですけど...


イラストレーターの後輩などにも、そうしたほうがいいよって伝えているんですよね


そうそう。イラストレーターとかデザイナーって、横文字商売だから一見派手なイメージだけど、意外と地味な人が多いんですよね(笑)どうしても仕事場に引きこもってしまう。だから余計にいろんな場所に行ったほうがいいよ、とは言っていますけど、出不精な人が多いみたいで、もったいないなと思いますね


(第4回に続く)

第2回 なんとなくフリーランスになっちゃったんです

プロフィールを拝見すると、いきなり1983年にグランプリを受賞しますよね


あ~そうですね。それは昔から書いていたメルヘン調の絵だったので、受賞することができました


'83年といえば、まだ働いて2年目くらいですよね。これって、とんでもなく凄いことなんじゃないですか?


うん、そうですね。やっぱり自分の中では凄く嬉しかったです。それまでは賞とか殆ど意識したことはなかったんですけど、たまたま公募のものがあったので、わりと気軽に応募してみたんですけど


そのときは、24歳ですか?


そうですね。それまでは自分以外の作品を見る機会があまりなかったのですけど、(受賞作などの)作品展が銀座であったんです。そのとき初めて、他の人達の作品を見てすごく刺激を受けましたね。それからはいろいろなものを見るようになりましたね。
当時の会社が銀座にあったんですが、ギャラリーとかたくさんある場所ですよね。他にも原宿や表参道とか。かなりのギャラリーを見て周りました。見るとやっぱり勉強になるんだな、という気持ちは当時からずっとありました


なるほど。そういう積み重ねがあったということですね。
その3年後に札幌に戻ってくるわけですが、ひとつのターニングポイントですよね。なぜ札幌に戻ろうと思ったのですか?


う~ん、やっぱり子供のことですね~


東京で結婚されていたのですね


はい。その時はちょうど、2番目の子が生まれる頃だったと思います。会社は銀座だったんですが、住んでいたのが神奈川県の大和市というところで、通勤に2時間くらいかかるんです。大和市もとってもいい場所なんですけど、子供を育てる環境を考えたら北海道の方がいいのかな~って思って。カミサンも札幌出身なので、じゃあ二人目が生まれるのを機会に札幌に戻ろうかって考えたんですね


仕事のマーケットは東京のほうがはるかに大きいわけですから、札幌に戻ることで不安はありませんでした?


多少はありましたけど...まあどうにかなるんじゃないか、みたいな気持ちだったかな(笑)いろいろな情報を集めて変に考えすぎたりしていたら、むしろ戻れなかったかもしれないですね


それは(グランプリを)受賞していて、ある程度自身もあったということでしょうか


そうですね。やっぱりいろいろな仕事をしてきて、会社の中でも実力が認められているという自信はありました。札幌に戻ってもある程度通用するだろうという意識はありました。ただ北海道の状況がどうなっているのかはわからなかったので、その点は少し不安はありましたけど


はい


ウチのカミサンが以前、読売広告社の札幌支店で経理をやっていたんですね。それで広告業界のことは多少は知っていたんです。札幌に戻ってきてから、読広の支店長とかプロダクションの社長とかを紹介してもらうことは出来ました


佐藤さんの場合は、札幌に戻ってからフリーランスで仕事を始めましたよね。どこかに所属しようとは思わなかったのですか?


最初はどこかに就職しようと思っていたんですよ。なので、自己紹介もかねて自分の作品を持って広告代理店とかを回っていた時期があったんです。で、ウチにこないかって声をかけてくれたところも何社かあったんでけど...


ああ、もう内定というか、就職しようと思えばできたと


そうそう。それでどうしようかと迷っているうちに、もうイラストの仕事が入り始めてきたんですよ。これからもやっていけるかどうかはわからなかったけど、まあ、フリーでやってみてダメだったらどこかでお世話になろうと思って、誘っていただいた会社はお断りさせていただいたんです


それから20年、フリーランスで通しているわけですよね


そうですね~。だから「完全にフリーになる!」という目的だったわけじゃなくて、なんとなくそうなっちゃった、みたいな(笑)


羨ましいですけどね。なかなかそんな人いないでしょう?(笑)
メルヘンの分野、というかそのような作品を創るエキスパートが札幌にはいなかったというニーズもあったのでしょうか?


それはあったかもしれませんね。今みたいにいろいろなバリエーションがあった時代ではなかったので。イラストレーターという人もある程度数が限られていましたし...。その割には、当時バブルの前くらいでしたけど仕事はどんどんある時代だったんです。ちょうど時期的にも良かったのだと思います


なるほどそうですね。80年代中盤というと広告業界が活況の時期でしたよね


そうそう。僕はデザインの学校を出ているわけでもないし、美術の大学を出ているわけでもない。それでも東京のデザインプロダクションに就職できたというのは、時代の流れのようなものだったのかもしれないです。札幌に戻ってからもイラストレーターとして仕事が出来たのはいい時代だったと思いますよ


そうですね~ 佐藤さんとは、当時僕が印刷会社の営業をしているときに、共通のクライアントを通じて知り合ったわけですけど、本当に仕事はたくさんありましたよね。寝る暇がないくらい(笑)


そうですね。それでも、東京から札幌に戻ってきたときに、作品の料金というかギャランティの格差には驚きましたけど...


どれくらい違うものなのですか?


倍以上はちがいますね、当時は。3分の1、4分の1とかそういう世界でしたから


ちなみにイラストを一枚描いてギャランティはどれくらいですか


当時、東京でそこそこのイラストレーターがB全版のポスターのイラストを描くとしたら、だいたい50万から150万の間くらいだったんです。こっちだと、10万から70万くらいでしょうか


そんなに違うんだ...


東京だと月に数本仕事をしたら生活のお金は充分確保できるわけですけど、札幌ではある程度数をこなさないといけない。そういうのはありました。当時は一番(格差が)ひどい時期で、今はそれほどまでの違いはなくなっていていますけどね


(第3回に続く) 北方四島のいきものたち・佐藤正人

連載第1回 幼稚園の頃から、絵を描くのが好きでしたね

本日はよろしくお願いします


こちらこそよろしくお願いします


佐藤さんとは、もう20年くらいのお付き合いになりますよね


そうですね~~
28歳のときに札幌に戻ってきて、ちょうど今年で20年目...かな


2年ほど前に、北海道行政書士会の仕事(ホームページのイラスト)をお願いして、それからしばらくお会いしていませんでしたが、最近はどのような活動をされていますか


ここ最近は、イラストレーターズアルファとか日本グラフィックデザイナー協会、北海道デザイン協議会とか、いろいろな団体の役員になっているので、本来の仕事以外のそちらの仕事の方がなんだかやたらと忙しくなっていますね(笑)


イラストレーターズアルファの会長職などは、もうかなり長いですよね


そうですね。'90年からだから...もう17年になります


そのような団体の役職仕事って、具体的にどのようなものなのですか?


会の代表として、諸団体との交流とか会議に参加したり、あとは会をまとめる運営の実務ですね。それに、展示会や作品集の出版などの事業運営の実務です。たとえば出版でしたら、印刷会社との打ち合わせとか広告集めですとか...


え?会長自ら広告取りもやるんですか?!


ええ、やりますよ。大変ですよ(笑)
そのような、本来の仕事以外の雑用的な業務で時間をとられてしまいますね


そうなんですか~。
それでは、遡って本来のお仕事のことから伺います。
佐藤さんはメルヘンタッチの作品を制作されることが多いですが、昔からあのような作風のものを創られていたのですか?


そうですね。昔からメルヘン調のものが好きでしたし、方向性としてはそちらのものを創っていきたいな~と思ってしました。絵本なども昔からやりたかったことです。実現するまでに時間がかかりましたけどね。
でもそれ(メルヘンタッチ)ばかりというわけではなくて、いろんなタッチの作品も創っています。それはそれでとても楽しいですよ


おいくつくらいから絵を描いていたのですか?


それはもう、小さい頃からです。幼稚園くらいから絵を描くのが好きで、小学校のときは写生コンクールとか、児童画コンクールとか、いろいろありますよね。それで賞をもらってりしてどんどん絵が好きになっていって...。絵画教室にも、2年間くらい通っていたと思います


札幌の小学校ですよね


そうです。
中学校に上がってからはバレーボール部に入ったので、美術的なことはそんなにやっていなかったのですが、やはり絵を描くのは好きでした。なので、高校では美術部に入っていました


佐藤さんは高校の一年先輩でもあるんですよね。啓成高校の先輩だと判ったのは知り合ってから随分後だったと思いますが


そうそう


啓成高校に美術部ってありましたっけ?


あったよ!(笑)美術のT先生が顧問で


あー、T先生!ちょっと変わった元気の良い先生ですね


そうそう。啓成卒業生では(イラストレーターの)細谷さんが美術部の一年後輩です。旧姓は三浦さんですが


じゃあ僕と同期ってことですね


そうだね。他にも僕の同期で高橋ってヤツが現代アートで立体的なものを創っていますし、松田さんという女性の方がその後美術の先生になって、今は道展の会員になっているとか...意外とがんばってるんですよ。僕らの高校の卒業生(笑)


そうなんですね~ 啓成高校って美術に強いってイメージ、あまりなかったので(笑)


強いってわけじゃないんだろうけど、その頃の美術部仲間で今でも美術関係の仕事に就いている人多いですよ


当時の美術部の方たちと今でも集まったりしていますか?


ええ。たまに会いますね。展示会のときなども顔を合わせるし。高校時代の仲間って、結構今でも付き合いがありますよ


大学も美術の学部ですか?


いえ。経済学部です。美術系の大学に進んで油絵の勉強をしようと思っていたんですけどね。将来は美術の教師になれたらいいなと...。当時はイラストレーションとか全く知らない頃ですから。でも、武蔵野美大を落ちて、明治学院に受かったので、じゃあそっちに進学することにしたんです。
だけど大学のときもやっぱり絵は描いてましたね、ずっと。周りの目に付いたものをスケッチしたりとか、当時大学寮にいたんですが「寮誌」の表紙を描いていたりとか。
絵を描いたりモノを創ることが好きだったんですよね


大学を卒業されて就職したのが出版社ですね?


そうそう。出版社で経理の仕事をしてました


経理ですか!?クリエイティブの方じゃなくて


ええ。経済学部でしたから...。社会に出て働くってことを、大学時代から漠然とではあるけど考えますよね。で、実際に働いてみていろんな経験をしていくうちに、やっぱり自分には合わないような気がし始めたんですね。何か違うな~と


はい


そんな風に思い始めていたとき、友達が知り合いのグラフィックデザイナーに引き合わせてくれたんです。で、そのデザイナーさんがデザインプロダクションの社長を紹介してくれて、絵を見てもらったら気に入ってもらえて「ウチの会社にくるかい?」ってことになったんですね。
その時は、デザインとかイラストとか全然知らないので、アシスタント的な仕事をどんどんこなして実践しながら覚えていきました


その会社でデザインの基礎を学んだということですね


そうそう。ですから、最初はイラストというよりはデザインの部署だったんです。パッケージデザインとかポスターやパンフレットのデザインとか。その後に、イラストの部署に移って、それから本格的にイラストの仕事をするようになったんです (次週に続く)