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第3回 株式会社北国生活社 内藤大輔社長

株式会社北国生活社 内藤大輔社長 プロフィール

内藤大輔社長
内藤大輔 1975年札幌生まれ。
父親の転勤で生まれてすぐに仙台へ引越し、その後10歳で長野へ引っ越す。昆虫少年、釣り吉、野生児として育つ。
北海道大学理1系入学とともに再び札幌へ。講義への出席率は著しく低く、登山や川下りに明け暮れ、日々大酒を喰らう学生生活を送る。過去5年間で最低席次といわれながら工学部をかろうじて卒業。
卒業と同時に総合商社(株)日商岩井(当時)への就職により東京へ。
2000年、北海道で就農を志し三度札幌へ。この間、亜麻事業構想を漠然と抱く橋本眞一氏と出会う。
2001年より橋本氏が代表取締役を務める(株)北海道技術コンサルタントに入社し、亜麻事業の調査、研究に着手。
2004年2月、橋本氏とともに(有)亜麻公社を設立。
2007年3月、(株)北国生活社を設立。
現在は、(有)亜麻公社の研究主任、(株)北国生活社の代表取締役。

亜麻の里HP http://www.amanosato.jp/
ブログ亜麻の里日誌 http://blog.livedoor.jp/amanosato/

僕は「田舎のおっちゃん」になりたいんですよ

なるほど~。学生時代からのお話しを駆け足でうかがいましたが、かなり人とは違う選択をされて来たんですね。(中村さんに)内藤さんはどういう先輩でした?


う~~~ん...

酔っ払って脱いで騒いでたよね(爆笑)


やはりリーダー的存在でしたね。部長でしたし



それでは、今の事業を山登りに例えたら何合目くらいでしょう?


え?難しいな。
なんだかルートそれちゃってる気が...(爆笑)
迷走中です。登山道を探してササ藪を漕いでます。なるべく頂上に近いところのルートに復帰できるといいんですが(笑)


それは例えばどういう?


今のしくみですと限られた畑でしか作れないので、原料の限度があるし販売も限られてしまうわけです。ボトルネックが二つあるようなビジネスモデルなんです。民芸品的に売るのであれば別のやり方があるでしょうし、大量に売るのであればまた別の方法があると思うんです。現状ではまだ中途半端な量なんですよ。そのあたりが厳しいですね。原価が中途半端に高くなっていって、そうするとある程度の量を捌かなければならないんだけれど、大手の流通さんはマージンが高くて使えない...。そんな状況ですね


まだまだ作付けが必要ということですね


そうですね。新聞記事や雑誌を見た農家さんから、「うちでも(亜麻を)やってみたい」という連絡をいただくことがありまして...驚いています。
農業って1年に一回しか作れないので、今年販売する1年分を前の年に作っておかなければならないですよね。そうすると原料の仕入れ1年分が一気に発生するわけです。それって資金的に凄く大変なんです。原料の保管場所なども必要ですしね。ですから一気に(作付けを)増やしたとしても、それに見合う資金の調達が厳しいですよね。農業ってそのあたりが大変だなって思います。必要なときに少しずつ仕入れていけたらいいんですけど、そうもいきませんから。
それから販売も、もっともっと必要ですね、当たり前ですが


亜麻事業の今後の展開についてお聞かせください


はい。亜麻に関しては、現在サプリメントとドレッシングを作っていますが、今後作付け面積が増えてもっと採れるようになったら、台所に亜麻という食材が入っていって「北海道から発信する食文化スタイル」に出来たらと思っています


「繊維」ではなくまず「食」ということですね


そうですね。繊維も利用しなければもったいないとは思いますが、繊維を取り出す作業ってとても大変なんです。設備も大掛かりなものが必要ですし、技術的にも難しいんです。職人技みたいなところがありまして...。既存の設備を借りようと思っても国内にもう無いんですよ。繊維産業って空洞化してしまっているので。繊維を取り出す設備は日本に一箇所も無いそうです


一箇所も...ですか?!


はい。商社時代の情報のネットワークでいろいろと調べたんですが、国内には無いみたいですね。僕が探した中ではゼロでした


そうなんですか...


亜麻っていうものが北海道の生活にもっと入っていけばいいなって思います。花も綺麗ですし観光資源になると思います。
ホームページで亜麻の「フォトコンテスト」をやっているのですが、もとはといえば、通りがかりの人が車を止めてよく写真を撮っていたんです。「これ、何の花ですか?」「亜麻の花ですよ」という感じで。じゃあフォトコンでもやってみようか、というのが始まりなんです。今年もたくさんの方が車を止めて写真を撮って行きますね。「畑の横でトウキビ焼いて売ったら儲かるかも」なんて冗談を言ってたくらい(笑)


ベンチャー企業と言われることについてはどう思われますか?


ベンチャーではないよ!って思ってます。バイオというよりは農産加工の方ですから。
ベンチャーというとどうしてもホリエモンさんみたいなイメージを持ってしまうんですが、僕自身は「田舎のおっちゃん」になりたいタイプなんで(笑)


それでは北海道の起業家に何かアドバイスをお願いします


僕がアドバイスいただきたいくらいなんですが(笑)
北海道って新しく事業を始めるために有利な環境が整っていますよね。支援制度も充実しているし、土井さんのようなアドバイザーもいますから。東京から来てわざわざ会社立ち上げる人もいるくらいです。
僕は最初に仕事を覚えたのが商社なので、商社的なカラーが強いのかなって自分でも思うことがあります。それが自分で気に入るときもイヤだなって思うときもあるんですが...。
商社ってよく「人材の材は財産の財だ」って言うんですね。何も作っていないで商品を右から左、つまり人で商売するのが商社ですのでそういうことを叩き込まれたというのはあります。結局商売って、会社の看板を背負っていても最終的には人と人との繋がりですから...。まあ僕の場合それしかないというか、自分で出来ないことばかりなので皆さんに助けてもらっているんですが(笑)
今一番自慢できるのは人脈とか友達ですね


ありがとうございます。では亜麻事業以外で御社の今後の展開などを最後にお聞きしたいのですが


まだ企画中なんですが、フリーペーパーのような情報発信の事業をやりたいと思っています。北海道、札幌の自然や食というものを、子供や親たちに楽しく伝えるようなものを...。北海道、札幌ってとても良い所なんですが、意外と見えてこないものがあるような気がするんです。どうしても日本って東京中心の文化ですよね。でも自然や食って地域によって違うはずなんですよ。
ウチも3歳の子供がいるんですが、例えば『カブトムシを捕りにくぬぎの樹液を探そう』なんてことが本に書いてあったりします。でもくぬぎなんて北海道に生えていないし、カブトムシもいませんよね、今は国内外来種としているようですが。カマキリの特集号があっても、カマキリもいませんね。サツマイモも北海道ではほとんどできませんし。
東京の中央発の情報と地方が発信すべき情報ってあると思うんです。そのあたりのことはオトナになってくるとある程度見えてくるんですが、子供はそうは行かない。せっかく北海道、札幌に生まれ育っているんですから、自分の土地のことを子供のころから良く知ってもらって、大きくなったときに「やっぱり北海道が好きだ」って思ってくれたら北海道も大分変わると思うんです。人が東京ばかりに集中することもなくなると思うんですね。
そういうような情報発信の事業をしたいと思っています


わかりました。本日はお忙しい中本当にありがとうございました


ありがとうございました


大学時代は山に登って酒を飲んで、そんな毎日でした

学生時代のお話を伺います。北海道大学を卒業されてますね。農学部でしょうか?


いえ、工学部です


工学部? 工業の方ですか?!ご専門は


はい。土木工学科というところに所属はしてました。あまり学校行ってませんでしたが...
子供の頃から昆虫とか魚が好きで、自然児というか野性児だったんです。
土木の方に進んだのは「ぶっこわす側」の立場にたってものを考えてみたらどうだろうか、と高校の時に思ったんですね。大きな構造物を造るということは環境が破壊されるわけで、そういう立場にたって自然というものを見てみると、またちょっと視点が変わるのではないかと思ったんです。高校生の考えることなんで、その程度だったんですが...
そういう意味で土木だったんですけど、同じライン上に農業もあったというか、自然の延長として農業とか食というものに興味があったんです


大学時代は講義に出席しないで何をされていたのですか?


山登りばっかりです(笑)「歩く会」というサークルに所属していまして。中村(北国生活社の主任)もサークルの後輩なんですよ。学生時代から山に登って酒飲んでは騒いで、そんなことばかりしてました。北海道の山は殆ど登っていますね


北大の土木を卒業されて、商社に就職した方はあまりいらっしゃらないのではないかと思うのですが...?


在学中に、土木関係の有名な方の講演を聴く機会が多かったんです。その方々の話しを聞いていていたらなんだかバカらしくなってしまって...。この人たちの仲間になりたくないないな~って思ったんです(笑) 技術者って、視野が狭くて周りが見えなくなっているような気がしたんですね、その時は。まあ、たいして勉強もしない放埓な学生の考えてたことですが(笑)。自分の考えたことをアウトプットして形にすることに至上の喜びを感じていて、土木は本来市民のための技術のはずなのになあって。そんな話しを聞いているうちに(土木関係の仕事が)イヤになってしまったんですね


はい


そんな時期に、バックパッカーみたいな感じで東南アジアを旅行していたんです。
大学3年と4年の間の春休み、2ヶ月くらいですが...。その旅行中にタイのバンコクだったかカンボジアのプノンペンだったか、たまたま日本の商社マンと出会ったんです。なんで商社マンがバックパッカーが来るような汚い食堂にいたのかわからないんですが(笑)その人といろいろと話しをしているうちに、面白いな~って...。世の中金で回っている、経済とか流通って面白いなって思ったんですね。流通のしくみが解れば何をやるにしても便利なんじゃないかと。そういう世界に行こうかと思ったんです


はい。なるほど


で、就職活動をしまして。他の誰も就職活動なんてしていない中、どうせ商社に入るなら大きなところが面白いだろうと思って、総合商社を受けて東京に行ったんです


え?他の方は就職活動はしないんですか?


だいたいは教授の推薦などでゼネコンとかに決まっていくんです。大学院へ行く人も多いですし。だから100人ほどいた同期の中で、就職活動をしていたのは僕一人だけでした(笑)


商社に入社されて、海外とか周ったのですか?


いえ、僕は英語が苦手で、102人いた内定者の中で英語の成績が101番だったんです。(笑)もっと勉強しなさいってことだと思うんですが、会社から『生き生きTOEIC』という教材が送られてきたりして...(爆笑) まあ、そんなこともあって、国内の「鉄板」を扱うセクションに配属されました。橋梁とかビルなどに使う材料です


商社には何年?


2年です。商社にいると一通りのことが勉強できるんですよ。僕がいた会社は、6科目の社内試験があって、経理や商法、英語や決算書の見方とか...それらの試験をクリアしないと管理職になれないとか社内的にいろいろありますので、勉強しなければならない。お陰で(スキルを身につけて)独立していく人も多いのですけど...。会社が傾きだした時でしたので、辞めていく人も多かったですね。
商社全体が傾きかけている時期でしたし、僕のいた会社は重厚長大系に強い商社だったので、ますます厳しかったようです


そうしますと、内藤さんもそろそろ独立の時期と思ったのですか?


仕事自体は面白いんですが、ゲームみたいな感覚になってくるんです。鉄板を仕入れて売るって言っても、ただ伝票上で通っているだけで商品を見ることもあまりありませんし...
ゲーム感覚としては面白いのですが、先ほども言いましたように僕は自然屋なので「僕がやらなくてもいいんじゃないの...」っていう気がし始めていましたね。仕事は面白いけど、この先どうしようかと...。あの時会社にいた若い人はみんな先行きを心配していた社内状況だったので、辞めていく人も多かったし、「そうか別の道もあるんだな~」って思って、農業をやろうと北海道に来たわけです


何かツテがあったのですか?


いえ、全くないです(笑)それから1年間、あちこちの農家を回りまして、橋本と出会うわけです

(第4回につづく)

一緒に走って下さる方々に助けられてばかりです

農場は当別町が中心なんですか?


ええ、今は八割方当別町ですね


農家の方や研究機関の方に協力を依頼するときは、好意的に迎えてもらえました?


いえ、大塚さんにたどり着くまでに、知り合いの知り合いみたいな農家さんから回ったのですが、全然話しをきいていただけなくて...。20件目くらいだったと思います(笑)
やはり新しいものを始めるって、農家の方は嫌がりますよね。リスクがありますから


大塚さんを口説き落としたのはどうやって?


大塚さんは先進的な農家さんですので、新しいものをいろいろ研究したりしていたんですね。農業全体としても、米が作れなくなってきているとか、「地域づくり奨励金」も将来的になくなるだろうとか、この先どうしようか...というタイミングではあったようです。
そんなときに「なんだか変な、はんかくさいヤツが来たから、一緒にやってみるか...」みたいな感じじゃないでしょうか(笑)


大塚さんは新しい農業への意識が高い方だったのでしょうね


そうですね。大塚さんが実家の農家を継いだとき...今から20年くらい前だと思いますが...その頃まだ有機とか無農薬とかあまりなかったのですが、その当時から「農薬を減らす」とか「堆肥から土をつくる」とかいろいろとやられていたようです。
当時は「大塚のバカ息子」と言われていたらしいですが、今当別町で大塚さんを知らない人はいませんよ。
新しい作付け農家さんを探しに行くときでも、「大塚さんのところで作ってもらっています」って言うと玄関から先に入れますから(笑)


大塚さんが事業の次のキーマンなわけですね


そうですね。
僕の結婚式のときにも、本来であれば上司の橋本が新郎側代表挨拶をするべきなんでしょうけど、大塚さんにお願いしましたから。橋本がいなくてもこの仕事はできるけど、大塚さんがいないとどうにもなりませんから(笑) そういう関係の人ですね。
僕のことを大塚さんの農場の社員と思っている人もいるみたいです(笑)


そうしますと協力いただく農家を探すときも大塚さんを中心に、ということで?


はい。大塚さんを中心に当別の生産地組合を作ろうとしています。今年のオフシーズンには出来ると思います


事業を始められて6年目ですが、手ごたえはいかがですか?


最近ようやく物が周りはじめるという...「きざし」を感じますね(爆笑)
もちろん以前に比べれば実際に物は動いていますが、まだ実感は湧かないですね。
お蔭様で方々で取材していただく機会が増えましたし、雑誌などでも掲載されるようになったので、「流れ」は来ているのかな~という感じはあります。
今、ウエブでの「直販」に力をいれていまして、そのためのとても良いチームが出来ています


それは新連携でのチームですか?


いえ、新連携とは別で、販売のためのプロモーションチームを作っています。とても力のある方々ばかりで。特に販売代理店のウィズコーポレーションの濱田社長にはすっかりお世話になってます。
濱田さんの前にも健康食品販売会社の方が「代理店になりたい」って言ってきたんですが、お断りしていたんですね。なんとなくですが「売ればいい」みたいな雰囲気があって...。
濱田さんにお会いしたときは、哲学を共有できるな~って感じたんです


濱田さんもキーマンのお一人ですね


そうですね。他にもヒューマンキャピタルマネジメントの土井社長ですとか...
「さっぽろベンチャー支援事業」は合格したときに助成金だけでなく、いろいろな指導をしていただけることになっています。そのときに土井社長がウチの会社についてくれたのですが、土井さんのおかげでいろんなことが勉強になりましたし、人脈もワーッと広がったんですね。北海道の経営コンサルでは群を抜いてナンバーワンの方ですから。 土井さんがいなかったら...というか皆さんいなかったら出来なかったという方ばかりですね(笑)僕はたいしたことはないんですが、一緒に走ってくれる方々が皆さん超一流なので...
他にも、亜麻の種の選別をしてくださっている石狩の会社の方とか、キューズというマーケティングコンサルをやっている鈴木社長とか、WEBのスペシャリストであるトレイスという会社をやっている吾妻社長とか、デザイナーさんとか。道立の研究機関の方々、札幌市役所の方々・・・。まあ、家族の理解もないとできませんよね。挙げていくときりがない。いつか恩返ししなくては。・・・なんだかホント他力本願ですね、皆様のお陰でやってます。...(笑)


そのような方々が集まってくるというのは、内藤さんのお人柄プラス亜麻という商材の面白さでしょうか?


どうなんでしょうか...。なにせ一人では出来ないので。ほっとくとヤバそうだと思うんじゃないでしょうか(笑)

(第3回につづく)

亜麻は「北海道開拓使」が広めたものなんです

今日はお忙しいところ恐縮です。よろしくお願いします


こちらこそ、よろしくお願いします


「亜麻」って歌のタイトルでは耳にしますが、僕も含めて実際にはよく知らない人も多いと思いますので、どのような植物なのかをまずお聞きしたいのですが


はい。
亜麻は中央アジア原産の一年草です。「麻の仲間でしょ?」とよく言われるんですが、ちょっと表現が難しいんです。というのも『麻』ってすごく曖昧な表現でして、茎や葉から繊維がとれる草のことをみんな麻って言ってしまうんですね。亜麻も苧麻(ちょま)も大麻もみんな麻といってしまうのですが、植物分類上では違います。亜麻はアマ科、苧麻はイラクサ科、大麻はクワ科ですから、全然違います。
大麻と一緒のものだと誤解されて「大丈夫なの?」と言われることがあるんですが、全く違う植物ですので(笑)


はい(笑)


一般的に、タネを食用にする麻といえば大麻のことなんですね。七味唐辛子の中にある「麻の実」というのは大麻の実のことです。
ただ繊維名でいうと、例えば衣類に「麻100%」と書いてあればそれは亜麻か苧麻のことです。大麻は「ヘンプ」と表示しなければならないので...。そのあたりがややこしくて誤解されやすいところですね。
世界的には、亜麻は紀元前8千年のチグリスユーフラテス文明のころから利用されてきたという記録が残っています。古代エジプトでも、タネを食用にしたり繊維を採ったり...。ミイラを巻いている繊維は亜麻を使っていたんです


ミイラですか?! 耐久性に優れている繊維なんですね


そうですね。多分、「手軽に採れて丈夫な繊維」が亜麻だったんじゃないかと思うんです。それ以降、食用、繊維用として、ヨーロッパの文化の中では脈々と続いてきました。
日本では江戸時代に幕府の植物園に試験的に入れたようですが、当時、亜麻は亜麻仁(あまに)という名の漢方として比較的簡単に中国から輸入できたようで、栽培は定着しなかったようです。
日本で本格的に栽培されるようになったのは、明治時代の北海道です。北海道開拓使が茎から繊維を採るために導入し、広まって行ったということです


北海道の気候に合っていた、ということですね?


そうですね。冷涼な気候が適していますので。世界的に見ても『ミュンヘン・札幌・ミルウォーキー』というビール?のCMがあったように(笑)、亜寒帯の地域が栽培地となっています


内藤社長の亜麻との出会いはどのようなものだったのですか?


僕はもともと自分で農業がやりたかったんですね。東京での仕事で流通を覚えてこちらに戻ってきてから、あちこち農家の手伝いで回っていました。自分でやるつもりだったので、一箇所に住み込みというのはイヤだったんです。いろんな形態を見たいと思っていましたので...
でもそうすると食えないわけです。それで、魚類調査のアルバイトをしていまして...。魚も好きなので(笑)川で魚を捕って調査するというバイトです。その会社の社長が橋本(株式会社北海道技術コンサルタント社長)だったんです。
橋本の会社が公共事業を主体とした会社でしたので、北海道に還元して恩返しできるような何か新しい事業がないか、ということで亜麻の繊維を使った事業計画をずっと温めていたわけです


キーマンの登場ですね


そうですね(笑)
ある日突然「おまえ、商社にいたんだから企画書を書いてみろ」って言われまして...で、書いたわけです(笑) そうこうしているうちに、北海道技術コンサルタントの会社の中に、僕の居場所を無理やりつくってくれまして、調査を始めました


それが2001年のことですね


はい。その後、繊維を利用するということではなく、まず亜麻のタネを食用として利用する方法からスタートすることになったわけです。企画書もそのように書き換えて、調査や研究を進めて行きました。それで2004年に橋本と二人で会社(有限会社亜麻公社)を立ち上げて、事業を進めて行きました。
その年に「さっぽろベンチャー支援事業」の助成といただくことになりまして、サプリメントが開発でき、翌年には札幌市の「食産業振興プロジェクト」のモデル事業に採択していただきまして、亜麻仁油ドレッシングの開発などを進めました。
現在は、いろいろな調査研究をしながら、仲間になってくださっている方々と連携を組んでプロジェクトを進めているところです


「新連携」ですね?


はい。北海道経済産業局の新連携事業です


この間、亜麻栽培や亜麻の種を使った商品開発の研究などは、実質は内藤さんおひとりで研究機関を回られていたのですか?


ええ。道立農業試験場さんとか、商品開発では道立食品加工研究センターさんとか...。試験場の正式な検査項目には上がらない場合もあるのですが、「ちょっと興味あるし、個人的にやってみるよ」という感じで試験して下さって...(笑)
他にもいくつかの研究機関にお願いしたり、後に新連携チームとなる大塚農場さんでもやっていただきました。大塚さんはスーパー農場ですから凄いですよ


はい


一番最初は自分ひとりで亜麻栽培をやっていたのですが、どうしても農業の世界にアダプトしていかなければならないので、2年目(2002年)から大塚さんに手伝っていただいています。最初はどうすればいいのか全くわからなかったのですが、最近ではある程度の収穫量が期待できるような栽培体系ができてきました。まだまだ課題はあるんですが、ある程度は計算できるかなってところまでは来ました


(第2回につづく)

亜麻畑-花