『かあさんのいす』ベラ B.ウィリアムズ作・絵 佐野洋子訳
(あかね書房)

絵本が子どもたちだけの喜びではないことは、今ではよく知られている。
誰かに本を読んで貰ったという記憶は、子どもにとっても大人にとっても
仕合わせなものだ。その効力は、ときを越えて持続する。
ページを繰るたびひそめた吐息、のっかって聴いたひざの温もり...。
漠然と思い出すだけで、本の内容は忘れてしまっていても笑顔になれる。
あたたかなひとときを共有した思い出が、力をくれるのだ。
クリスマス―。ちまたにはオモチャがあふれかえっている。一体いつまで
大切にされるだろう?疑りながら思うのは、カタチあるものだけが、記憶に残るとは限らないということ。
今年はひとつ大切な人へ、絵本を読みあうというカタチにならない【時間】をプレゼントしてみてはいかがだろう?
参考までに静かな口コミでロングセラーになっている絵本を紹介しよう。
日本での初版は1984年。たんたんとした名訳は詩人の佐野洋子さん。
そのタイトルを、『かあさんのいす』という。
かあさんの職業はウェートレスだ。それも絵を見るかぎり、まちがっても
一流レストランなどではない。
鉄板に目玉焼きがのっていたり、小さな子どもが大人と一緒にスツールに
腰かけていたりする気楽なお店だ。訳には「ブルータイル食堂」、挿絵に
は「BLUE TILE DINER」とある。
主人公の女の子「わたし」は、かあさんが持ち帰るこまかいお金(たぶん
チップ)を、大きなガラスのびんにためている。おばあちゃんも、安売り
でとくしたお金を入れてくれる。(どんなおばあちゃんかというと―今も
『3びきのくま』に出てくる小っちゃい女の子の気持を、ぜんぜん忘れて
いないおばあちゃんだ...。)
アパートの1階にあるピサ゜屋さんや、食料雑貨店などを描いた下町の絵があったかい。いや、住んでいる人たちがいちばんあったかいのだが...。
かあさんとわたしとおばあちゃんの女3人所帯、火事で焼け出されたと時
だって、ご近所は助けてくれた。ベッドやじゅうたんやカーテンをくれた。
つつつましく暮らしている家族を、労わる気持がそこにある。
労わりに応えておばあちゃんが、「ごしんせつに、ほんとうにごしんせつ
にありがとう。」といえば、パチパチと拍手をしてくれるようなコミュニティだ。
やわらかな絵からもそんな思いが伝わってきて、ページを繰るこちらまで
誇らしい気持になる。
物語は、びんの口いっぱいまで小銭がたまり、かあさんのいすがアパート
にやってきた様子を伝えて終わる。
どんないすを買うんだったかって?
「わたし」の説明によればそのいすは―
「すごくふわふわで、すごくきれいで、すごく大きい」
「バラのもようがついたビロードが、かぶってなくてはいけません」
この描写はどこか、かあさんと、かあさんのかあさん、つまり「わたし」
のおばあちゃんの雰囲気を伝えているようだ。
使いふるされた常套句のようだが、『かあさんのいす』を読むと―
貧しくとも自分らしく毅然として生きていれば、いつかいいこともあるさ
という明るい気持に満たされて、胸がいっぱいになる。
そして、実はこのお話は、三部作の一編なのだ。
『かあさんのいす』で「わたし」としか語られなかった女の子の名前は、
ふたつめのお話、『ほんとにほんとにほしいもの』で、あきらかになる。
するとかあさんのいすのもようがなぜ、バラのもようでなくてはならなか
ったのかも腑に落ちる。
三編め、『うたいましょうおどりましょう』では、成長した「わたし」の
姿に目頭が熱くなる―。
とにかくこの物語は急いで読んではいけない。
「わたし」が辛抱強く時間をかけてためたお金を吟味するように、
一冊一冊、声に出してゆっくりと味わってほしい絵本―。
やがて、物語に読みひたったカタチにはできないその【時間】が、大切な
思い出になることは、この私が約束しよう。


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