
「インターネット的」という表現は、糸井氏らしい実に巧みなコトバを使っていると思います。インターネット的とは『インターネット自体がもたらす社会の関係の変化、人間関係の変化みたいなものの全体』を意味すると、書いています。しかし、インターネットというオペレーションが社会を変えるのではなく、何を伝えどんな情報を運ぶのか、というクリエイティブこそが大事なのだと糸井氏は言います。
『天然資源の少ない日本を支えるのはクリエイティビティしかありません。資源的にはビンボーなんだしビンボーだからこそ頭を使うしかないと思うのです』(著書本文より引用)
「ほぼ日刊イトイ新聞」が、驚異的なアクセスを得るようになった理由は、結局のところ、コンテンツの多様性と面白さに尽きます。糸井重里というビッグネームがあったらこそ、という意見も当然あります(実際にそういう側面もあるでしょう)。しかし、有名無名を問わず様々なコンテンツを「惜しみなく」「公平に」「繋ぎ続ける」ことは、ビックネームであるかどうかとは直接関係はありません。糸井氏が常に描いていた『リンク・シュア・フラット』という3つのキイワードを愚直に守り、発信し続けた結果でしょう。
『たくさん出す人、いっぱいサービスする人のところに、いい情報が集まってくるのですから、みんなによろこんでもらうことを、完成形など待たずにひっきりなしに提供していくことが、いい情報を集める方法でもあるのですね』
『文章がヘタなのに面白いということが成り立つのがネット社会なんです。チョーでも何でもその書き手が楽しくイキイキと生活をしていれば書いたものは面白い』
(同本文より引用)
「インターネット的」とは、実は新しいアナログ社会の事を語っているのではないかと思うことがあります。多くの人がより自由に表現し、パーソナリティを発揮する社会になった今、人と人との垣根が取り去られ、距離感がよりリアルに近くなっているからです。
もちろん匿名性というものもまたネット社会の特質でもあり、暗闇から吹き矢を吹いているような輩も多くいます。しかし、匿名であるということと、ウソつきであるということはイコールではありません。ネット社会には多くの悪意と英知が混在しています。まさに「パンドラの箱」を開けてしまったのかもしれません。
そして「悪意」ではなく「英知」の側でインターネット社会と付き合いたいと思っている人にとっては、本書「インターネット的」は羅針盤となる一冊と言えるでしょう。
『これからの時代は、大きさは別にして、あらゆる場所で立候補しないと生きていくことが、困難になるのではないでしょうか。どっちの道に行きたいのか、何がいやで何がしたいのか、何を美しいと感じ何をみにくいと思うのか、そういったことを自分なりに生きるための「軸」として持っていないと、他人とリンクしたり、他人の協力をえられたりができないでしょう。(略)立候補するということは、より自由になることだと、僕は思っています』(同本文より引用)
連載おわり
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