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コラナビがオススメするこの一冊

『世界を知る力』寺島実郎 PHP新書

<活字のチカラを信じたい>タケダフミト

札幌では古書店がだんだんとなくなっていく。北海道大学前の通りに、数件頑張っているけれど、どうみてもあまり流行っているとは言い難い雰囲気。たまに覗くと面白いんだけどなあ...。最近では「本の状態」を見て古本を買い取るチェーン店が増えているけど、正直、店内はつまらない。ワクワク感がない。並んでいる本たちもなんだか「やさぐれて」いるぞ。本への愛情があまり感じられないからだろうな。
そこで今回は、世界を見る力と古本屋が関係しているというお話し。

「書を捨てずに街に出よう」

著者寺島実郎氏は、コメンテーターとしてよくテレビ画面に登場するのでご存じの方も多いでしょう。現在の肩書は「日本総合研究所会長」「多摩大学学長」「三井物産戦略研究所会長」など、凄いですね。寺島氏は北海道出身。そのためかどうかはわからないけれど、視点が大陸的でとても広い。
本書も、世界中を飛び回って見聞きしている情報をもとに、日本と世界の向かう先を詳らかにしています。
「時空を超える視界」
「相関という知」
「分散型のネットワーク」
3章を通して「全体知」のあり方を提示。
一貫しているのは視点と思考の柔軟性。「ああ、そういうことだったんだ」と気がつくことがふんだんに書かれている。凝り固まった歴史観の奥にあるものを明確にし、そこから、新しい日米中、3カ国の関係を導き出しています。

そして、第4章「世界を知る力」に古本屋が登場してくる。唐突に思うけれど、読んでみるとナルホド。

大量の情報にアクセスできるようになるにつれ、膨大な情報のなかから筋道を立てて体系化したものの見方や考え方をつくっていくことが、まずます難しくなってきている。メディアも、体系化した情報の提供からはどんどん遠ざかり、ちぎっては投げちぎっては投げで、断片的な情報ばかりと扱うようになってきた。
バラバラな情報と、いかにつき合えば、わたしたち自分なりの世界像~仮説といってもいいだろう~を構築していけるのだろうか。
わたしは、まず古本屋通いをおすすめする。いや、おすすめというよりは不可欠な話だと思っている。(中略)古本屋通いの何がバラバラな情報を統合していく上でのトレーニングになるのかといえば、目当て以外の、それまで意識しなかった、あるいは知らなかった本が同じ棚や近くの棚に並んでいるのを目にし、手に取ることで、わたしたちに思いもかけぬ相関の発見を促すからである。

ちなみに、新刊書店は「売れ筋のものばかりで発見がない」図書館は「検索型アプローチではトレーニングにならない」と、古本屋との違いを説明。
本の前に立って、じっと本を眺めて、手にとって考えることが重要だと書かれています。

本屋の話ばかりしていると、文献だけ読んでいれば世界はつかめる、と勘違いする人が出るかもしれない。わたしは、すでに述べてきたごとく、「世界を知る力」を養うためには、大空から見渡す「鳥の眼」と、しっかりと地面を見つめる「虫の眼」の両方が必要だと考えている。その「虫の眼」を鍛えるのは、なんといってもフィールドワークである。
だから、出張目的で海外に行っても、空港からビジネスの目的地に直行して仕事を終えて「さようなら」などということは、まずしない。(中略)必ずぶらぶらと地元を歩く時間をつくる。無駄といってもいいだろう。しかし「虫の眼」を鍛えるためには、これが大切なのだ。
生身の身体性を有した体験は、ネットを通じてディスプレイに表示される情報とは比較にならないほどの強い印象を、わたしたちの脳に刻み込む。それが、文献では得られない強い問題意識を熟成させる。ただし、それを熟成させていくには、文献の力が必要だ。深い知恵は、フィールドワークと文献の相関のなかでしか生まれないのである。

特定の職業を除き、世界各地を実際に見て回れる人はごく少ないでしょう。しかし、寺島氏が本書で説いているのはあくまでもバランス。世界情勢のみならず、ごく身近な世界のことであっても、深く知れば知るほど「不条理」と向き合うことになる。寺島氏は本書を通して、その不条理と戦うためには、「解説」するのではなく「行動」することだと説いています。

そういう情念をもって世界に向き合うのでなければ、世界を知っても何の意味もないのである。

ディズプレイを見るばかりで頭でっかちになりつつある現代人には、なんとも耳が痛い1冊でした。

『かあさんのいす』ベラ B.ウィリアムズ作・絵

『かあさんのいす』ベラ B.ウィリアムズ作・絵 佐野洋子訳
(あかね書房)

かあさんのいす

絵本が子どもたちだけの喜びではないことは、今ではよく知られている。
誰かに本を読んで貰ったという記憶は、子どもにとっても大人にとっても
仕合わせなものだ。その効力は、ときを越えて持続する。
ページを繰るたびひそめた吐息、のっかって聴いたひざの温もり...。
漠然と思い出すだけで、本の内容は忘れてしまっていても笑顔になれる。
あたたかなひとときを共有した思い出が、力をくれるのだ。

クリスマス―。ちまたにはオモチャがあふれかえっている。一体いつまで
大切にされるだろう?疑りながら思うのは、カタチあるものだけが、記憶に残るとは限らないということ。
今年はひとつ大切な人へ、絵本を読みあうというカタチにならない【時間】をプレゼントしてみてはいかがだろう?
参考までに静かな口コミでロングセラーになっている絵本を紹介しよう。

日本での初版は1984年。たんたんとした名訳は詩人の佐野洋子さん。
そのタイトルを、『かあさんのいす』という。

どんないすにすわれば、仕合せになれるのだろう? 中山 柊

かあさんの職業はウェートレスだ。それも絵を見るかぎり、まちがっても
一流レストランなどではない。
鉄板に目玉焼きがのっていたり、小さな子どもが大人と一緒にスツールに
腰かけていたりする気楽なお店だ。訳には「ブルータイル食堂」、挿絵に
は「BLUE TILE DINER」とある。

主人公の女の子「わたし」は、かあさんが持ち帰るこまかいお金(たぶん
チップ)を、大きなガラスのびんにためている。おばあちゃんも、安売り
でとくしたお金を入れてくれる。(どんなおばあちゃんかというと―今も
『3びきのくま』に出てくる小っちゃい女の子の気持を、ぜんぜん忘れて
いないおばあちゃんだ...。)

アパートの1階にあるピサ゜屋さんや、食料雑貨店などを描いた下町の絵があったかい。いや、住んでいる人たちがいちばんあったかいのだが...。
かあさんとわたしとおばあちゃんの女3人所帯、火事で焼け出されたと時
だって、ご近所は助けてくれた。ベッドやじゅうたんやカーテンをくれた。
つつつましく暮らしている家族を、労わる気持がそこにある。
労わりに応えておばあちゃんが、「ごしんせつに、ほんとうにごしんせつ
にありがとう。」といえば、パチパチと拍手をしてくれるようなコミュニティだ。
やわらかな絵からもそんな思いが伝わってきて、ページを繰るこちらまで
誇らしい気持になる。

物語は、びんの口いっぱいまで小銭がたまり、かあさんのいすがアパート
にやってきた様子を伝えて終わる。

どんないすを買うんだったかって?
「わたし」の説明によればそのいすは―

「すごくふわふわで、すごくきれいで、すごく大きい」
「バラのもようがついたビロードが、かぶってなくてはいけません」

この描写はどこか、かあさんと、かあさんのかあさん、つまり「わたし」
のおばあちゃんの雰囲気を伝えているようだ。

使いふるされた常套句のようだが、『かあさんのいす』を読むと―
貧しくとも自分らしく毅然として生きていれば、いつかいいこともあるさ
という明るい気持に満たされて、胸がいっぱいになる。


そして、実はこのお話は、三部作の一編なのだ。

『かあさんのいす』で「わたし」としか語られなかった女の子の名前は、
ふたつめのお話、『ほんとにほんとにほしいもの』で、あきらかになる。
するとかあさんのいすのもようがなぜ、バラのもようでなくてはならなか
ったのかも腑に落ちる。

三編め、『うたいましょうおどりましょう』では、成長した「わたし」の
姿に目頭が熱くなる―。

とにかくこの物語は急いで読んではいけない。
「わたし」が辛抱強く時間をかけてためたお金を吟味するように、
一冊一冊、声に出してゆっくりと味わってほしい絵本―。

やがて、物語に読みひたったカタチにはできないその【時間】が、大切な
思い出になることは、この私が約束しよう。

ほんとにほんとにほしいもの
ほんとにほんとにほしいもの
うたいましょうおどりましょう
うたいましょうおどりましょう

『装丁物語』和田誠 白水社

<活字のチカラを信じたい> タケダフミト

書店のレジで「カバーはおかけしますか?」と訊かれることが普通になった。エコの時代だし正しいオコナイだろうけど、それってカバーのカバー、つまり包装紙のことだよね?
なんてつまらん揚げ足取りはともかく、レジでの答えはもちろんNOです。せっかくのカバーのデザインが見えなくなるじゃないですか。
本を購入した時、僕は装丁をじっくりと眺めたあと、おもむろにカバーも腰巻も取り去ってハダカにしてから読み始めます。
「ええい。良いではないか」「ああ、お代官様、そんなごムタイな。あ~れ~」という声も聞こえてくるけど(くるか?)だって、装丁を汚したくないんだもん。
ということで、今回は装丁のお話し。


「装丁は小説と拮抗する仕事。包み紙じゃない」

装丁物語

遠藤周作氏の「ぐうたら人間学」を読んだのは、確か小学校低学年の時だったと思う。当時、とっても売れていた本。遠藤氏には申し訳ないけど内容は全く覚えていない。でも、表紙のイラストはすごくよく覚えている。
それが、和田誠氏とのたぶん初めての出会い。もちろん当時は、その装丁が和田誠氏の作品だなんて知らなかったわけだけれど。

遠藤さんて面白い方で、仲間の作家に外国人の声色で電話をかけたり、変装して酒場に出かけたりするんですね。(中略)遠藤さんの得意な変装は老人で、ご本人はその老人に狐狸庵山人と名付けてました。で、その狐狸庵山人の姿を、ぼくはカヴァーに漫画っぽく描いたわけです。
(装丁で忙しくなり始めたころ)より

装丁を愛でるというフェチな僕は、「そういえば、本にオビがかけられるようになったのはいつからだったろう?」と思っていた。
昔の本にはオビはついていなかったと思う。今は、単行本はもちろん、文庫にまでオビがついている。オビって、装丁家はどう考えているんだろう?

オビも、昔はなかったものです。ぼくが装丁をやり始めたころ、カヴァーはとっくに当たり前になっていましたが、オビはない方が多かった。当時のオビは、その小説が賞をとったとか、最近の事件を緊急取材したものだとか、とりわけ廉価版であるとか、特別に謳いたいことがある時だけかけるものだった。(中略)
オビも、ある意味では装丁の一部なんだけど、もともとそうではなく、オビの出発点は広告の要素の強いものだった。あるいは広告そのものだった。装丁の一部と考えて装丁にあまりなじむデザインをすると、書店でオビ本来の目的を果たせなくなるんじゃないか、と考えてしまうんですね。
(装丁と装幀)より

書店の平積み書籍を眺めていて、「ああ、これは和田氏の装丁だなあ」と気が付くと妙に安心する。本の内容まで安心できるような気がするから不思議。まさにそれこそ装丁家の真骨頂なのだろうな。
和田氏はデザインのバリエーションがとても豊かだけれども、タイトル文字をみて「和田さんだな」と気が付くことが多い。和田文字と言ってもいいんじゃないかと思うくらい優れたカリグラフィクリエーターの元祖。

活字というのは、どんな文字がどうならんでもおかしくないように設計されてます。(中略)カリグラフィの方はどうか。書道の先生が「初日の出」と見事に書いたとします。これを一字ずつ切って横に並べたらどうだろう。上手に見えるかどうかよくわからない。(中略)つまりカリグラフィの場合は、一字ずつではなく、言葉なり詩なり、ひと続きの文字のバランスが勝負、というところがあります。
(文字について)より

和田氏が質実ともに、装丁家として大御所であることは間違いない。未だにコンピュータなど使わずペンを駆使して作品を編み出す職人は、きっと今では「古いタイプ」の装丁家なのだろう。和田氏が残した作品はいったいどれくらいの数になるのか見当もつかない。でもそれら全てに絶対に手抜きをせず、頑固にポリシーを貫いてきたことは、この本からも十分に垣間見ることができる。

初めて頼みに来る編集者の中にはスケッチを出してくれ、とかA案B案を示せとか言う人もいますが、これは困ります。(中略)スケッチを描いてそれが気に入られるかどうか、A案B案出してどっちが選ばれるか、なんてのは他人の裁定です。大事なのは自分がどれだけ頑張るかということなんですよね。
(装丁の依頼)より

そんな和田氏が、近年一番困ったというのが「バーコード」。今では当たり前になっていて僕も気が付かなかったけれど、確かに装丁家にとってバーコードなどデザインの邪魔者でしかない。
装丁にバーコードを入れてくれという編集者からの依頼に、彼はずっと抵抗してきた。その経緯が本書に書かれている。依頼が来るたびに担当編集者と話し合い、バーコードを拒否すると伝えてきた。当初、編集者は見方してくれるだろうと和田氏は思っていたらしい。だけど編集者は「会社でもう決まったことですから」の一点張り。
和田氏はカヴァー裏だって裏側とは思っていない。あくまで表紙の一部と考えている。カヴァー裏に何も書かなかった装丁もあったとしても、それは和田氏にとってはデザインの一部。無地がふさわしいと思ったからあえてそうしている。
そこにバーコードが入るというのだから、和田氏は納得できるわけがない。

僕は本が好きです。本好きにもいろいろあって、いい内容の文章が刷られていれば表紙なんてなくたっていい、という人もいるかも知れません。でもぼくも含めてたいていの本好きは、内容も外側も一緒になった本の総体が好きだと思うんです。だからブックデザインがあるんだし、きれいな装丁が喜ばれるんですね。いいものを美しく装う、という当りまえのことをやっているわけ。
(バーコードについて)より

和田氏がバーコードを拒否している、という情報が業界に伝わり、和田氏への仕事の依頼が激減。バーコード問題に疲れ、一時期は「もう装丁の仕事なんて辞めてしまおう」とまで思っていたほど。旧知の作家丸谷才一氏から説得されてなんとか踏み留まったそうな。

毎年毎年、膨大な数の書籍が出版される。少しでも目に留めてもらおうと、装丁家は知恵を絞り、書店の平積み台はさしずめ百花繚乱。
昨今の気鋭なデザイナーは、本のカタチそのものを変えてしまうという「荒技」も駆使して表現していたりする。そのような本も、一時期僕の本棚にあったけれど、気がつけば消えていた。処分してしまったのだろう。僕にとってはその程度の本だったということ。
何年も何年も書棚に残っている本は、間違いなく装丁も美しい。しかも出しゃばらない。
「書籍とは孫の代まで受け継がれるもの」そんな思いで、今でも和田氏は頑固なスタイルのままに仕事をしているのだろう。
ちなみに、この本の裏表紙にバーコードはない。そのかわりオビに印刷されている。オビは外れやすいので、バーコードを入れるのを出版社が嫌がるらしいけれど、さすがに和田氏の意向を通したのだろうな。

便利なもの、ということはもちろんぼくにもよくわかっているんです。でも便利が美しいもの、面白いもの、洒落たものを犠牲にしていいのか、それが僕の根本的な疑問なんですね。
(バーコードについて)より

和田氏のこの言葉は、書籍に限らずグラフィックデザインに係る全ての人に問うているような気がする。

『ともしびマーケット』朝倉かすみ著(講談社)

今回からコラナビ書評に参加することになりました中山柊(ナカヤマ・シュウ) と申します。先輩のタケダフミトさんに負けないように、おススメの良書をどんどん紹介して行きたいと思います。よろしくお願いします。

小気味よいのに「せづなく」なるのはなぜだろう  中山柊

ともしびマーケット

あぁ、なんだろうこの気持ち...。

読み終わった時、泣きたいような笑いたいような、いわくいいがたい「あぁ」を喉元に感じさせる小説がたまにある。

胸のうちから、あたたかな、あかるいものが無尽蔵にわいてくる。このあたたかさをなんといおう。目には見えず、手で触ってたしかめられないこのものを。
(帯に引用されている短篇「いい日」の一節より)

著者朝倉かすみは道産子だ。小樽に生まれ、石狩、稚内に住んだことがあり、いまは札幌で暮らしている。

だから「ともしびスーパーマーケット鳥居前店」は、円山第一鳥居前にあるあのストアがモデルなのかもしれない...と、札幌に住む者は思ったりする。
が、こんなスーパーは、日本全国どこにでもあるものだ。どこにでもあるふつうのスーパーで、エコバッグを肩にかけて、夕げの献立をみつくろっているお隣りの客の日常...。

本書はそんなふつうの人々のささやかな仕合わせが連鎖する、連作短篇集だ。
読むとこちらも仕合わせになる。

思いを寄せる佐藤ミガクに「なんだよ、カトゥー」と呼ばれて一歩前進と思いながらも...
しかし、「カトゥー」と呼ばれているうちは友情以上のものは育たない気がしてならない。
加藤シズクの十四歳の恋心とか...。(「ピッタ・パット」より)
八月サなったら、せづなくなる。テンコテンコと祭り囃子が胸の鼓動をぐんぐん速め、「ヨーイヨーオイ」のかけ声が地鳴りみてたに肚んなかを突きあげてくる。帰りたくて帰りたくて、いてもたってもいられねぐなる
後町広蔵(ウシロマチ、コウゾウ)のふるさと江差への郷愁とか...。(「流星」より)

小気味いいリズムでたたみかけるように綴られた描写なのに、いつのまにやら「せづなく」なるのはなぜだろう。
なにか点すものを...あるいは点るものを切望している自分の姿に気づかされてしまうからだろうか。

この、何とも云えないイタガユイ感じ...それがどうにも気になってならず、新刊が出ると必ずチェックしてしまうのが、朝倉かすみの小説だ。

今回は気になるポイントが他にもあった。
朝倉かすみはこれまであとがきを書かない作家だったのに、本書にはこれも作品だろうか?と思わせるような、胸を打つあとがきがあるのだ。

読めばなるほどとわかる。
書いてはボツにされる確率が高かった新人時代に、掲載されるあてもない連作短篇を書かせてくれた編集者への謝辞がせつせつと述べられている。
その語り口は「思い入れ」が嫌いだとしてきたこれまでの著者の弁とは別のもので、俄然興味がわいた。

これに触れ、書評家の豊﨑由美は『本の雑誌』10月号で、

『ともしびマーケット』は
「あとがき」から読んで下さい。

と、まで言及している。

作家と編集者と書評家の関係って何なのだろう...?


そんな疑問に応えてくれそうな絶好の機会が10月に札幌である。

札幌市中央図書館が、秋の図書館フェスティバルで催す文字・活字文化の日制定記念トークショー
『三つの読書』が、それだ。

作家朝倉かすみと、編集者木村由花、書評家豊﨑由美の講師三人が、それぞれの本の読み方を語り合うトークイベント。

木村由花はYonda?パンダでおなじみの新潮社の文芸雑誌『yom yom』の編集長。

トークショーに先んじて、10月1日からは講師三人に関連した展示もあるという。
『ともしびマーケット』の生原稿や、豊﨑由美20代の写真、木村由加花編集長からは雑誌のゲラなども供出される。

こんな鼎談は滅多にない。
しかも入場無料。
秋のひと日を図書館で過ごすのはどうだろう?

●文字・活字文化の日制定記念トークショー
『三つの読書』
~作家・編集者・書評家、それぞれの本の読み方~

日時:2009年10月31日(土)
15:00-16:30(開場14:30)
会場:札幌市中央図書館3階講堂(札幌市中央区南22条西13丁目 )
入場無料・定員180名
*応募要項、詳しい内容は札幌中央図書館までお問い合わせください
(申込締切10月9日消印有効)
札幌市中央図書館管理課普及係 電話:011-512-7330

『一葉のめがね』高山美香 (猫の事務所)

<活字のチカラを信じたい> タケダフミト

昔々のことだけれども、小学校の図書館に「世界の偉人たち」シリーズが並んでいたと思う。その頃「めいたんてい明智小五郎と小林少年」シリーズばかり読んでいた僕は、珍しくファーブル伝を借りて読んだ。ファーブルと昆虫たちの世界の素晴らしさに引き込まれ、ワクワクと胸を躍らせた...なんてことはまるでなく、「ふ~ん、えらいひとってえらいなあ」とアホな少年(ボクのことですが)はやっぱり明智小五郎シリーズに戻っていったとさ。
どうやら僕は、昔から伝記ってやつの「良いとこ取り」がどこかウソっぽくて好きではなかったらしい。
今回紹介するこの本は、偉人・文豪たちのミニチュア人形の写真と、彼らの知られていないエピソードをまとめた「写真集+エッセイ」です。偉人たちの生活がリアルに膨らんで、とても面白い一冊。これならアホな少年(ボクですが、なにか?)もワクワクしていたのになあ...。


石川啄木は「バカ王子」だった?!

事の始まりは、イラストレーターでもある作者高山美香さんが芥川龍之介のミニチュア人形を粘土で作ってみたこと。

 「楽しそうだなぁ」がきっかけで作った作品だったとしても「何を表現したいのか」という大切な部分が欠けているとまったく魅力のないものになってしまうという事を痛感...。そこで今度は「似せよう」の前に作りたい人物がどういう人物だったのかを「知る」というところに重点を置いて制作開始!!(「はじめに」より)

そこで高山さんは、作りたい人物の関連本を大量に借りてきて机に積み上げ(伝記タワーと言っていたそうです)、それらを次々と読破。読み終わる頃にはすっかりその人物のファンになってしまっていたそう。
人物を理解してからやっと人形を作り始めるという手の込みよう。
本がたくさんあるとはいえ、じゃあその人物のどの時代、どの面を切り取るのかを決めるのががまた大変。肖像画がたくさん残っていたとしても顔が全部違っていたりしたらしい。肖像画というより想像画が多かったのですね。
そうして作り上げた人形が80体(2009年6月現在)。本書はその中から54体の人形の写真と、その人物にまつわる意外なエピソードがエッセイとして掲載されています。

その一部を紹介してみると...

 ○王子様のように溺愛されて育てられました。欲望のままやりたい放題!友人が自分の大切なコートを質に入れてまで援助してくれてもそのお金で女遊びをしに行き、帰りは人力車に乗って帰ってくるというバカ王子っぷり(石川啄木)
 ○人生50年と言われていた江戸時代から考えるとなんともエネルギシュ! さぞや健康で頑丈な人物なのでは?と思いきや喘息持ちで痔もち。体も弱く常に歯の痛みに悩まされていたとか。(伊能忠敬)
 ○周りの人からは狂人扱いされる事も多かったゴッホ!日本の浮世絵に心酔し「日本人はまるで花のように自然の中で生きる人々に違いない!あ~日本へ行きたいよぉ」と頭を丸めてお坊さんヘアーにしていた時期もあったようです(ゴッホ)
 ○成績優秀だったので26歳という若さでケンブリッジ大学の数学教授に就任!しかし社交性ゼロで自分本位な講義に生徒たちからは嫌われてしまい、誰もいない教室で一人講義をしていた(ニュートン)

などなど。
思わずへえ~そうだったんだと言ってしまうエピソード満載。偉人だって人間なんだもんなと思いますね。現代の偉人イチローだってWBCで胃潰瘍になったわけだし。

文字だけ見ると、偉人や文豪たちのイメージを悪くさせているようにも思えるけど、全くそうではない。それは、愛情豊かに創られた人形たちのおかげ。
手のひらサイズで作られたこの人形たちのことを、作者は「ちまちま人形」と呼んでいる。小さいながらも細部にまで凝った温かい人形たちが、偉人・文豪の「人間性」をより膨らませている。
「超がつくほどの潔癖癖だった」という泉鏡花の人形の足もとに、さりげなく除菌スプレーが置かれているあたり、イタズラ心も満載で楽しい。

作者高山美香さんは札幌在中のクリエーター。発行所<猫の事務所>は小樽。アマゾンなどではまだ扱っていないようです。僕は紀伊国屋で買いました。まさに地産地消の名著でしょう。おススメです。

お問い合わせはこちらまで。
<猫の事務所>
小樽市梅ヶ枝町21-2
電話FAX 0134-22-1354

『面白南極料理人』シリーズ 西村淳 (新潮文庫)

<活字のチカラを信じたい>タケダフミト

今年の日本は梅雨前線がどっかと居座り、北海道でさえ日照時間が平年の半分以下とか。曇り空を恨む日々。ところが晴れたら晴れたで、暑いようと太陽を睨む。まあ、人間なんて勝手なものです。
今回紹介するシリーズは、暑いだの寒いだの言ってる場合じゃないほどの過酷な世界を明るく照らず人のお話。なんせ南極ですから。

マイナス40℃でジンギスカン!

マイナス40℃でジンギスカン!

「南極観測隊」というコトバはずい分昔から耳にするけれど、では現地で実際にどんな生活をしているのか、まして何を食しているかなんて殆ど知らない。
昭和基地からさらに1000kmのかなたの南極ドーム。標高3800メートル。冬は太陽が昇らない。平均気温マイナス57度。そんな場所での越冬生活はどんなものだろうなどと一般人には想像するだけ無駄ですね。

食事はさぞや味気ない簡単なものばかりだろうと思っていたらさにあらず。こんなに豪華なもの食べてるの?と言いたくなるほどのメニュー。でもそうでもしないと、精神的に参ってしまうでしょう。美味しいものを食べることだけが数少ない「喜び」なんだろうな。それだけに、料理人西村淳隊員の役割はとても重要。
たとえば某隊員の誕生日会のメニュー。

  • 牛もも肉のカルパッチョ
  • 鯛のロースト、香草風味
  • スカンビのソテー、ブラックオリーブ風味
  • タンステーキ、バルサミコソース
  • ブルーチーズのラビオリ、サワークリームソース
  • ペペロンチーノ
  • フェットチーネ
 味はともあれ、食い過ぎた盆、確実にこの夜だけで8kgは増えた
 (「面白南極料理人」盆の誕生日、より)

盆暮れに限らず、隊員たちは何かと理由をつけては宴会をしていた様子。まあそうでもしなければ「やってられない」過酷な世界なんでしょう。
ヤケクソってわけじゃないでしょうが、この隊員たち、マイナス40℃の世界で、「ソフトボール大会」をしたり「露天風呂」に入ったり、「ジンギスカン(もちろん野外)」を楽しんだり(?)してしまうほどの猛者ばかり。

 マイナス40℃でジンギスカンパーティーを行うと、どんな風になるか説明しよう。まず焼けた肉や野菜は皿に盛って、その後おもむろに口に持っていく通常の過程は不可能。焼けたら速攻で口に投入しなければ、たちまち、ほんとにガチガチの冷凍状態に逆戻りしてしまう。(中略)
 飲み物類は、缶ビールは空けてから1分以内に空にしなければただの苦い氷になってしまうし、日本酒は紙コップにいれてものの数分でシャーベット状に変身。かろうじてウォッカやウィスキーは持ちこたえるが、これも20分くらいで瓶の中に氷の柱が立ってくる。
 (「面白南極料理人」作業と宴会の日々、より)

何もそこまでして...とも思うが、狭いドームに籠っているよりはストレス解消になるのだろうね。

シリーズ第2作「面白南極料理人 笑う食卓」になると、料理のレシピまで書かれている。いったいなんの本なのか一瞬わからなくなる。
レシピは略すけど、材料から作り方まで書かれているこんなメニューの数々。
 

 鮭のブイヤベース
 キャバラ鍋(キャベツの豚バラの鍋)
 手羽水炊き
 豚バラちり鍋
 最後のお楽しみカレー
 (「笑う食卓」南極名物2泊3日鍋、より)

う~ん。美味そうだなあ。

南極生活がユーモアたっぷりに描かれているこのシリーズは現在4作目。最新作「面白南極料理人 名人誕生」は、作者西村淳氏が料理人として越冬隊に参加するまでのエピソード。
ちなみにこの方、北海道出身です。

 我が故郷北海道では、頭の良い奴が行くのはまず北海道大学で、たとえ早稲田、慶応に現役合格したとしても「そんなに頭が良いのなら何で北大に行かないのだろう?」の言葉で片づけられる。
 ついでに言えば、京都大学や大阪大学など現在暮らす関西で、地元の秀才が泣きながら目指している超一流大学といえども、道産子の頭の中では、北大の下に位置づけられている。
 (「名人誕生」東大が現れた、より)

なんとも豊かな郷土愛で笑えます。

ようやく夏らしくなってきた北海道。短い夏の避暑に怪談を読むのもいいけれど、このシリーズを読んで笑いながら涼しくなるのも楽しい。
「南極料理人」
「笑う食卓」
「お料理なんでも相談室」
「名人誕生」
の4作品。どれもオススメです。

『1Q84』村上春樹(新潮社)

<活字のチカラを信じたい>タケダフミト

完結していない作品を論じるなどと、本来はもっての外なのだけれども、ハルキストの僕としては、やはりこの作品はスルーできない。但し、まだ読んでいない人もたくさんいると思うので、内容については一切書きません。あしからず。

春樹文学とは「酸素ボンベ」なのだなぁ。

1Q841Q84

出版不況と言われる中、この作品は別格。大変よく売れているらしい。早くも100万部突破を突破し、在庫切れの書店も続出とか。発売初日に購入しておいてよかった...。
あまりの売れ行きに、販売するまで本の内容を秘密にしておいて「飢餓感を煽った」ような報道がされているけど、著者にずいぶん失礼な話しではないか。「何の先入観もなく本を読んでほしい」という著者の思いを実現しただけのことだ。そもそも、村上春樹は多作な作家ではない。煽るまでもなくファンは春樹作品に飢えているのだから。

「先入観を持ちたくない」のは、多くの春樹ファンの共通の思いだろう。
僕がこの本を読むにあたって、自ら出来るだけ「情報」を排した。ネタばらしなど絶対にされたくなかった。「1Q84」に関しての情報は、メディア報道もネットニュースも一切見ないようにした。ミクシィのコミュさえ覗かなかった。それでも今の時代、情報を完全に遮断するなんてことは難しい。
「名作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のような、二つの世界が絡み合う物語」であることだけは事前に知っていた。本当はそれすらも知りたくなかったのだけれど...。

村上春樹の作品を読むとき、僕は異なった3つのイメージが浮かぶ。

村上春樹自身、トライアスロンやフルマラソンを走るほどのアスリートであることはよく知られている。彼の小説を読むたびに、文章を書くということはとてつもなく「体力」が必要な作業なのだと思い知らされる。
文章の「脂肪」そぎ落として行く作業を、果てしなく繰り返す日々。あれだけの長編作品を、緊張感を緩めることなく描き挙げることは、日常の鍛錬による体力がなければとても不可能な作業だろう。
その推敲の作業は、鍛冶屋が熱く焼けた鋼を打ちつけてカタチにしてゆく作業に似ているのではないか。
完成した作品は、熟練の宮大工が鉋で削った「木柱」のように淀みない。
ことに、今回の作品「1Q84」の滑らかさは見事だ。小さなトゲひとつ存在していない。

本作品が前作から7年も経っていたとは気が付いていなかった。その間エッセイや翻訳本などが出版されていたこともあるが、折に触れて村上春樹の作品を読みなおしていたためだろう。
「なんだかアタマの中の空気が薄いな」と思う事がある。そんな時、僕は決まって「春樹欠乏症」だ。書棚の前で若干迷いつつ、氏の作品を選んでは読みなおす。とても幸せな時間である。さながら酸素を吸引するような安堵感がアタマに広がってゆく。

村上作品を読むと、文学とは人々に酸素を送るようなものなのだと思い知らされる。書店に平積みされている「1Q84」は酸素ボンベなのだ。多くの読者は「新鮮な空気」が欲しくて、「深呼吸」がしたくて、村上春樹の作品を求めている。

『大きな約束』椎名誠(集英社)

<活字のチカラを信じたい>   タケダフミト

デビューの頃からン十年読み続けている作家、椎名誠。今回は椎名氏の新作『大きな約束』の紹介です。正・続の2部作品。椎名氏はやたら世界中を駆け回っているルポ作家のイメージが強いけれど(それも正解ではあるけど...)、僕はこのシーナ的「私小説」の各作品が好きです。

「父と息子とマゴ2人、シーナ家三代の物語」

大きな約束 続・大きな約束

椎名作品は大きく分けて3つの世界がある。
・世界中をタフに旅する旅行記
 「砂の海」「パタゴニア」など
・摩訶不思議なSFワールド
 「アド・バード」「武装島田倉庫」など
・シーナ的私小説
 「岳物語」「銀座のカラス」など

私小説といえば、川端康成の『伊豆の踊り子』とか、壇一雄の『火宅の人』とか、文壇の重鎮のわりと重たい作品が思い浮かぶ。ところが椎名誠は、日々の何気ない出来事を「文学」にしてしまう独特の優れた才能がある。
有象無象の人々が日々のくだらない出来事を書き散らかしている<ブログ>を本にまとめたところで、絶対に文学にはならない。当たり前だけど...。

シーナ的私小説は、椎名氏の初期のヒット作「哀愁の町に霧が降るのだ」にその源流がある。彼が20代の頃、友人らと共同生活をしていた怠惰な日常を小説にした作品。
源流はここから二つに分かれる。
ひとつは、椎名氏が業界紙に入社し、編集長となり、やがて作家として独立してゆくまでの一連の作品。「新宿烏森口青春篇」「銀座のカラス」そして、「本の雑誌血風録」などへと続いてゆく。高度成長期の最中、モーレツ社員としてガシガシと働いていたシーナ氏と仲間たちの姿は痛快。
もうひとつは、椎名誠とその家族・友人たちとの日々の出来事を描いた暖かい作品。「岳物語」「菜の花物語」「もう少しむこうの空の下へ」「かえっていく場所」など名作が目白押しだ。
「大きな約束」は、その流れを汲む最新2部作になっている。

椎名氏が「岳物語」を出版したのは1985年。実名で登場する岳くんは、保育園児。

私の息子の名前は岳という。両親ともに山登りが好きだったので、山岳の岳というのを名前にしたんだよ。と、本人にはじめて教えてやったのは保育園に通っているころであった。「ふーん、そうかあ」と、息子はたいして面白くもなさそうな顔ですこしだけうなずいてみせた。(岳物語「きんもくせい」より)

岳少年は、やがてカヌーイストの野田知佑氏をアウトドアの師と仰ぎ、釣りの世界に没頭してゆく。まさにわんぱくな少年期を過ごすことになる。
そして、小説の一節が教科書に載ってしまうほどの評価を受け「続岳物語」へと続いていく。でも椎名氏はその評価に戸惑っていたようだ。

子育て、教育をベースとしにした物語というふうに、一部ではとらえられてしまったのだ。このモノガタリは、そんなものじゃなくて、オヤバカをベースにした、男たちの友情物語のつもりである。(続岳物語 あとがきより)

岳少年の物語は、小学校を卒業すると同時にいったん終了する。シーナ的私小説はその後も続いていくが、岳少年はほとんど登場してこない。それは、家族を小説のテーマにすることについて、私小説ならではの難しい問題があったのだろう。

「岳物語」から25年。本書「大きな約束」に再び岳青年がしばしば登場するようになる。19歳でアメリカに渡り、結婚し、父親となった岳青年。
椎名氏はこの著書の中で、私小説を書いたことから始まった岳少年との確執を初めて明かした。

ある日彼はわたしの部屋に飛び込んできて、その本を床に叩きつけ「こんなことを二度と書くな。いますぐ日本中の本屋からこの本を無くしてくれ」と叫んだ。目に涙があった。(中略)以来そのシリーズを書くのはやめた。(中略)書きたいことだらけの日々だったのだが、彼との約束を守り、わたしはそれ以来何も書いたりしなかった。(大きな約束「アゲハチョウ」より)

この本のタイトルになっている「約束」とは、椎名氏とマゴの風太くんとの「釣りに行く」約束のことである。しかし本当は、「自分のことを二度と書くな」と泣いていた少年岳くんと、父親椎名誠との「約束」=親子の関わりを書いた作品なのだろう。
本書「大きな約束」は、15年間のアメリカ生活にピリオドを打ち、岳ファミリーが日本に帰ってくる空港のシーンで終わる。

風太くんがわたしを見つけた。両手を広げてまたとびはねた。坊主頭だった。風太くんの頬が紅潮している。夜明けのように、そのあたりの風景がぴかぴか光っている。 (大きな約束「湾岸道路」より)

それは四半世紀に渡って続いていた「岳物語」がようやく完結した、そんな思いさえする感動のラストシーンだった。

『なぜ君は絶望と闘えたのか』門田隆将(新潮社)

<活字のチカラを信じたい>   タケダフミト

「なぜ君は絶望と闘えたのか ~本村洋の3300日」
1999年。日本を震撼させた<光市母子殺害事件>の被害者、本村洋さんが事件後どのように裁判と関わり、司法の大きな山を動かしていったのか。そして何より、生きる力を失った本村さん支えたのは何だったのか。
そのルポルタージュ記録です。

「君は社会人として発言していってくれ」

君は社会人として発言していってくれ

事件からまもなく10年が過ぎようとしています。
<母子殺害事件>というあまりにも重たい現実。事件当時、臆することなくテレビカメラの前で、犯人に対し、司法に対し、烈火の如く怒りの言葉を発していた本村氏。月日が過ぎるごとに、まるで修行僧のように凛として穏やかに変わっていったのはなぜだろう?
僕はずっとそう思っていました。

ライターの門田氏は、事件直後から本村氏と会い取材を開始します。事件直後から、2008年に死刑判決が出るまでの道のりを、ノンフィクションライターらしく、淡々と事実を詳らかにしてゆきます。
最大の被害者でありながら自分を責めつづける本村氏。
その被害者をカヤの外に置いて裁判を続ける司法の壁。
過去の判例からの「相場主義」に徹しようとする裁判官。
少年法に守られている犯人。
そして
絶望の淵にある本村氏を支えていた周囲の人たち。

当時、まだ23歳の本村氏が背負った過酷な現実と苦しみは、毎日怠惰に生きている僕などには到底想像できないもの。想像することすらおこがましいかもしれない。
でも、彼を気遣う周囲の人の気持ちなら、少しは想像することができます。
事件後、生きる希望も仕事への意欲も全て失った本村氏は、会社の上司に『辞表』を提出します。
上司は静かに本村氏に語ります。

「君は、この職場にいる限り、私の部下だ。その間は、私は君を守ることができる。裁判はいつかは終わる。一生かかるわけではない。その先をどうやって生きていくんだ。君が辞めた瞬間から、私は君を守れなくなる...」 「この職場で働くのが嫌なのであれば、やめてもいい。君は特別な経験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は、社会人たりなさい」

(本書、第6章「破り捨てられた辞表」より抜粋)

独りで抱えきれない苦しみを背負っている部下に対し、僕ならこんな発言ができるだろうか?できないだろうな。あなただったら?あなたの会社の上司なら、なんて言いますか?

事件から10年の間、本村氏の様相は穏やかに変わっていたけれど、本村氏の心の中はなんら変わることなく一貫していました。だからこそ、あんなに冷静な発言をすることができるのだと、本書を読んでよくわかりました。それは筆者のこんな一文に記されています。

本村は、死刑制度というものは、人の生命を尊いと思っているからこそ存在している制度だと思っている。残虐な犯罪を人の生命で償うというのは、生命を尊いと考えてなければ出てくるものではないからだ。 (本書 第16章「辿り着いた法廷」より抜粋)

マスコミでは、センセーショナルの報じられることが多かったこの事件。
ノンフィクションというフィルターを通してもう一度冷静に、「罪」とは何か、「罰」とは何かを、自らに問わなければならない。それは答えが出ない問いかもしれない。でも、この社会に生きている以上考え続けなければならないのだと、思い知らされた一冊です。

『ゴルフの神様』夏坂健 (講談社)

<活字のチカラを信じたい>   タケダフミト

3月の声を聞くとわらわらと登場してくるのがワラジ虫とゴルファーたち。北国の春はまだまだ遠いというのに、少し気温が上がると反応してしまうそそっかしさがよく似ている。(ああ、のっけからゴルファーを敵に回してしまった)
今回ご紹介する本は、そんなそわそわゴルファーはもちろん、クラブを握ったことすらない人も楽しめる名作エッセイです。

「人生にゴルフがある幸せ」

ゴルフの神様

「ゴルフは紳士のスポーツ」だと言う。ホントかなあ。
ぼくはお付き合い程度のダッファー(へたくそなこと)だけど、それなりにいろいろなゴルフ場でラウンドしてます。でも、傍若無人なおとっつぁんは何人も見たけど、紳士には会ったことがない。そもそも夏坂健を読んだことのある人に出会ったことがない。

夏坂健氏の職業は「ゴルフ史研究家」。世界各地のゴルフ場を巡り、自らラウンドし、資料館や図書館でその歴史を紐解いていくという、ゴルフ好きには羨ましい職業。でも相当タフじゃないと務まらないだろうけどね。
夏坂氏は取材で得た過去のエピソードや現地で出会った人たちとの交流を、たくさんのエッセイに書き残しています......。


夏坂氏がかつて、たった二日だけ一緒にラウンドした友人アンソニーと再会するため、スコットランドの名門ロイヤル・マッセンバラを再び訪れた時のこと。
二人でもう一度ゴルフの腕を競い合い、パブで美味いビールを酌み交わすはずが、アンソニーは、すでに交通事故で亡くなっていた。
夏坂氏の再来を待ちわびていた彼の息子が言った。
「父は何度も言っていました。あなたが見えた翌朝、また窓の外で目覚まし時計を鳴らしてやる。ド肝を抜いてアドバンテージを取るのもゴルフの戦法だと。子供みたいな人でした」
アンソニーは地元のバッグパイプ奏者。夏坂氏が宿泊していた部屋の外から、早朝いきなりバッグパイプを凄まじく吹き鳴らし、夏坂氏を驚かせたいたずら者だった。
息子はさらに続けた
「僕は父ほど上手に吹けませんが、明朝、窓の外で演奏することを許してください」と。

翌朝、6時前から目覚めた私は、一着だけ持ち歩くスーツにネクタイを締め、窓に近い壁に寄りかかってバッグパイプの到着を待ち受けた。午前7時きっかり、いきなり哀愁に満ちた朗々の祖国賛歌が早朝の古い町並みに響き渡った。旋律は高く低く流れ、私は直立不動の姿勢で窓の前に立って、わずか二度だけ戦った友人のために泣いた。
(『ゴルフの神様』の第一章「すばらしい目覚め」より引用)

夏坂氏は、ゴルフ史の研究者としてはもちろん、エッセイストとしてもシングルプレーヤー。本書をはじめ『ゴルフの風に吹かれて』『ゴルフへの恋文』『王者のゴルフ』『アンプレアブル』など、著書が多数あります。
どの本も痛快で楽しく、そしてゴルフとはこんなにも豊かで奥深いものなのだなあと思わせてくれる、唯一無比の才人でした。(研究家として志半ばながら2000年没)

今、ゴルフ場からどんどん人が減っているらしい。不況のせい?そうでしょうとも。
接待ゴルフと現金掛けゴルフに明け暮れていたゴルファーたち。スコアだけを競い、競技の素晴らしさを伝えようとしなかったおっさんたち。あなた達の姿を、部下は、若者たちは見ていたのだよ。少しもカッコイイと思われていないのだよ。

これからゴルフを始める若い人たちに必要なものは「ルールブックと夏坂健」。ここからスタートすると、君も紳士になれるかも...ね。

『さしつさされつ』中田耀子・土倉裕之(柏艪社/星雲社)

<活字のチカラを信じたい>    タケダフミト

こんにちは。タケダです。このウエブマガジンは酒飲みが多いような気がするのですが、どうなのでしょう?編集長が呑んべだからだな、きっと。
そんな皆様のために、今回のご案内は酒場の粋なエッセイです。北海道新聞に連載されていたのでご存じの方も多いでしょう。

 「持つべきものは、良いバーと悪い友人たち」

学生時代、深夜のドーナッツショップでバイトをしていたぼく。
カウンターに座ってネクタイを緩め、酔いざましのコーヒーを注文する「オトナ」たち。彼らにコーヒーを淹れながら、カウンターとは「オトナが素に戻る場所なのだなあ」と思っていた。
当時巷にはAORが流れ、オトナがカッコ良かった時代。BARのカウンターが似合う人こそオトナなのだと憧れてあの頃。もう四半世紀以上も昔のことだけど。

時代は変わり、オトナは若者からウザイといわれるようになってしまった。でもBARカウンターでくつろぐ人たちはきっとあの頃と変わらないような気がする。
例えばこんな風景。

お客様からテーマをいただいて、カクテルを創作する緊張感は良いものです。 Sご夫妻はとてもすてきなカップル。お酒を楽しみながら、音楽や映画、本、日々のことなど、実に楽しく会話を交わしていて、私も時々仲間入りをさせてもらいます。 春間近のある夜、一杯目を飲み終えたS氏に注文をうかがうと、『なごり雪』とお題をいただきました。「そういえば、昨夜の雪もきれいでしたね。結晶が一つ一つ輝いて、雲母のようにフワフワ、サラサラ。そう、イルカのなごり雪もいい歌ですよね」こんな話をしながらイメージをふくらませます。 出来上がったカクテルは、白くてふわりとしたみぞれのよう。スッキリした味わいの中に、春の訪れが近いことを感じさせる、やわらかな甘みがあります。「ウン!こんな感じ」とS氏。隣では奥様もニコニコ。飲む側と作る側、一つのテーマで同じように感じ、共有の時を重ねていくことができるのはとても幸せなことです。また一つ、思い出のカクテルが生まれました。 「アッ、そうだ。忘れないうちに、ちゃんとレシピを書いておかなければ、ウオッカを五分の二、アニゼットを五分の一で...と」だって、次にいらっしゃった時、なごり雪ならぬ、あわ雪となって消えてしまっていたら、物語になりませんものね。

(中田耀子「なごり雪」 本文より転載)

著者中田耀子さんは、札幌のバー「ドゥエルミタアヂュ」のオーナーバーテンダー。その暖かい人柄と上質なカクテルに魅かれ、いつもたくさんのオトナが集う酒場。
そんな常連客の一人が、共著者でもある土倉裕之氏。

かすかに聞こえるモーター音とともにエレベーターが上昇する。通過するフロアごとに、魚を焼くにおいや、歌声、笑い声などが伝わってくる。と、軽いショックを残してエレベーターは停止し、ドアが開く。  ビルの最上階。そこが目指すバーである。ドアが開くまでは満席かなと少々不安。壁越しに空席が見え、オーナーの笑顔がいらっしゃいと呼んでいる。快適な空調と照明。見事なバックバー。いつもながらカウンターに着くとほっとする。一杯目、今日は暑かったからモヒートにしようか...。  学生時代、有名ホテルのバーを追い出されてから、バーは苦手で落ち着かず、肩が凝ってたまらない場所だった。社会人になり、飲みに行く場所は、焼き鳥、居酒屋、スナックてなコース。だが二十年ほど前にカラオケなる機械が登場し、歌うのが大の苦手である私には、だんだんと居場所がなくなりつつあった。そんな時、先輩がまぁまぁとバーに誘ってくれ、この店のオーナーと出会ったのだ。  一回で気に入った。くつろぎと、適度な緊張感が交った雰囲気の良さになじんじゃったのだ。マティーニを飲んだと思う。そのうまさにも感激した。  初めはそれでも、やや緊張して飲んでいた。しかし常連客が知人になり、やがて友人になったころには滞在時間も長くなり、今では平気で酔っぱらいおやじと化し、皆で騒いでいる。  持つべきものは、良いバーと悪い友人たちである。

(土倉裕之「苦手から大好きへ」 本文より転載)

土倉裕之氏は「お茶の土倉」の前社長。忙しく世界中を飛び回り、本書に散りばめられた各国の酒場のエピソードも楽しい。オーナーなのに下戸の中田さんと、バーが苦手だった土倉氏。オーナーと常連客の枠を超えて、大切な友人だったであろうことが著書からもしっかりと伝わってくる。


今でこそ気の置けない酒場が好きなぼくも、若かりし頃はバーなど苦手。覚えたてのカクテルを呪文のように繰り返し、カウンターでスカしていたっけ。
流れる月日は確実にぼくをおやじ化し、はじめてのバーに入っても「おまかせでテキトーに」などとコザカシイことも言えるようになった。
でも、この本を読むと、人生経験も酒場修行も土倉氏には遠く及ばないなあ。
昨年、届かない場所に旅立ってしまった土倉氏。もしも偶然に中田さんの店で隣り合っていたら、ぼくは少し年下の悪友候補になれたでしょうか?カッコ良いオトナの資格があるでしょうか?「十年早いよ」と言われるかな...。
 
カウンターでくつろぐ土倉氏の笑い声と、中田さんの優しい笑顔に出会えそうな、珠玉のエッセイ集。酒好きな人はもちろん、下戸の人にもオススメの1冊です。
(本文からの転載部分は、都合により改行せずに記載しております)

『科学者の9割は「地球温暖化」CO2犯人説はウソだと知っている』丸山茂徳著(宝島社新書)

<活字のチカラを信じたい>   タケダフミト

こんにちは。タケダです。3回目は新書にしてみました。今回の本のカテゴリーは「評論」になるのかな。それにしてもタイトル長過ぎ。ワクに納まりますかね?編集長。

CO2を魔女狩りすると解決するのか?

札幌雪まつりですねえ。1月は記録的な暖かさで、雪像造りも大変だったでしょう。テレビでは相変わらず、流氷を踏みぬいて海に落ちるシカやら白熊やらの映像が、さも一大事のように流される。
これみーんな温暖化のせい、ということになってますけど、ホント?
何を隠そう(いや隠してないけど)ぼくは性格が悪いので、疑ってます。

1月4日の北海道新聞の記事にありましたが、北極海の氷が拡大しているとか。CO2による温暖化説が揺らいだそうです。地球の周期からみたら、むしろ寒冷化の向かっているのだという説もちらほら目にしますね。
かと思えば、南極の氷はやっぱり減っていて、そらみたことか温暖化の影響だという報道も。
いったいどっちやねん?と大阪弁になってしまうのは僕だけじゃないでしょう。

そこで目についたこの本。

いま日本国中でCO2の排出量をゼロにしても気温はたったの0.00004℃しか下がらない (中略) 理学研究流動機構の21世紀の気候予想では、温室効果ガスによる温暖化だけでなく、地球の気温に影響を与えると考えられる様々な要素を盛り込んでいる。その要素とは、影響の大きい順番に列挙すると、
  1.  太陽の活動度
  2.  地球の磁場
  3.  火山の噴火
  4.  ミランコビッチの周期
  5.  温室効果ガス
の5つである。

だそうです。こちらもやみくもに信じるつもりはないけれど、大学教授がそれなりにデータを挙げて解説しているのだから信憑性はありますね。

2035年に向かって太陽活動が落ち込む時期になるので、地球は寒冷化に向かうおそれがある。寒冷化は食糧問題に直結するので、温暖化よりもむしろ人間への影響が大きいと予想しています。

ナルホド。

そして、矛先はマスコミにも。

温暖化すれば生物の多様性が失われ、気温さえ一定であれば環境問題がなくなるとマスコミは合唱する。崩壊する南極の映像を流し、洪水の被害の原因を温暖化と決め付ける。これらは、通常の気象現象であり、過去150年間、0.75℃上昇した変化が主因であるかどうかはわからない。仮にいくらかの影響があったとしても、変化するのが自然であり、その中で自然に適応して生きていくのが肝要である。

温暖化=CO2ではないからといって、筆者は何もしなくてもよいとは言っていない。将来の人口問題や石油の枯渇の問題まで言及していてなかなか興味深い本でした。

世の中CO2を魔女狩りのように忌み嫌っている。CO2さえなくなれば解決に向かうのだと皆が同じ方向を向いているのは、バーゲンセールに突入するおばちゃんの集団みたいでなんだか怖い(ああ、おばちゃんを敵にまわしてしまった...)
地球の遙かな歴史から見れば、人類史なんてごく僅かなもの。そんな中で、本当に温暖化しているのか寒冷化しているのかなんて、きっと誰にも確定できないのだ。

なので、性格の悪いぼくのスタンスとしては、
「温暖化というキーワードではなく、いずれ枯渇する化石燃料を節約するために、CO2を減らす行動をとる」ということに決めてます。
暖房なしでは生きていけない北海道で、ほんの少しクレバーになるために、この本はおススメの1冊です。
(文中斜体の部分は本文より引用しています)

村上春樹・和田誠『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮社)

<活字のチカラを信じたい>   タケダフミト

こんにちは。タケダです。書評2回目もエッセイですが、編集長、何か...?

毎年、ノーベル賞発表の時期になると、文学賞候補に村上春樹の名があがる。ところが本人はいたって無関心らしい。もともと「権威」とか「賞」などに価値を感じない作家なのだろう。銀座の文壇バーなんて絶対に出入りしていそうもない。
でも、将来本当にノーベル文学賞を受賞したらどうするんだろうな。

私的世界。なのにユニバーサル

村上春樹氏は好き嫌いがはっきり分かれる作家だ。
「なんだか難しくてよくわからない...」
「ああ、あのいやらしい小説ね」
そんな声を聞くこともある。それでいいのだろう。全ての人に好まれる作品なんて、村上氏が一番望んでいないだろう。
少なくともぼくにとっては、新刊が出たとたん、書店で中身を1ページも見ることもなく速攻でレジに持っていく作家の1人だ。いや、そこまではっきりファンだと言えるのはこの作家だけかも。

緻密な文章を書く小説家は、エッセイも面白い。
村上氏の数あるエッセイの中でも「ポートレイト・イン・ジャズ」は秀逸。
和田誠の暖かい肖像画。そして村上氏のジャズミュージシャンへの想いが添えられる。
ジャズなんて全く知らなくたってかまわない。でも、この本を読むと、それだけでジャズがとても好きになるから不思議だ。

例えばこんな一節

『当時ブルーノート・レコードは日本でのプレスを認めなかったので、輸入盤でしか手に入らず、値段は2800円もした(1ドル=360円だった)。なにしろコーヒーが60円で飲めた時代だから、ずいぶんな金額だ。なかなか高校生には手が出せない。だから、1枚のレコードを手に入れると、心をこめて聴いた。ビクターの商標に使われている、蓄音機の中に頭を突っ込んでいる犬みたいに、文字どおり一音一音に深く耳を傾けた。ガールフレンドよりも大事に、とまではいかずとも、負けず劣らずレコードを大事に扱った』

(「ポートレート・イン・ジャズ」ホレス・シルヴァー 本文より)

あるいはこんな一節

『「フォア・アンド・モア」の中でのマイルズの演奏は、深く痛烈である。彼の設定したテンポは異様なばかりに速く、ほとんど喧嘩腰と言ってもいいくらいだ。トニー・ウィリアムズの刻む、白い三日月のように怜悧なリズムを背後に受けながら、マイルズはその魔術の楔を、空間の目につく限りの隙間に容赦なくたたき込んでいく。彼は何も求めず、何も与えない。そこには求められるべき共感もなく、与えるべき癒しもない。そこにあるのは純粋な意味でのひとつの「行為」だけだ』

(同じく マイルズ・デイヴィス 本文より)

ジャズを聴かずとも、アーティストの名前さえ知らずとも、村上氏が綴る「想い」を通して読者はとても幸せな(あるいは哀しい)旅をすることができる。

村上氏は昨年、新聞社へのインタビューでこんなことを語った。

『人というのは、そんなに上とか下とか、前とか後ろとかで決められるものではないんです。それぞれの人には物語があり、その物語の中で生きている。それが人を救うんです。僕の書きたいのはそういう物語。明るい物語ではないけれど、ある暗さの中で共振するものを見出すことで、救われるような物語です』

(2008年北海道新聞 「村上春樹氏に聞く」より抜粋)

村上氏の収入は、海外分が既に国内分を上回っているとのこと。
氏の物語から発する振動が、海外の多くの人たちにも「共振」している事実。ジャズファンとして個人的な想いを書いたこのエッセイでさえ、極めてユニバーサルな物語になっている。
ムラカミハルキを食わず嫌いしている人は、手始めにこの「ポートレート・イン・ジャズ」を読み、そこに「共振」できるかどうか気持ちを量ってみてはどうでしょうか。

沢木耕太郎『凍』 (新潮社)

活字のチカラを信じたい  タケダフミト

この1月から、コラナビの書評担当を仰せつかりましたタケダです。
皆さん初めまして。お手柔らかに、よろしくお願いしますね。

これまで先生方が書かれていた深みのあるコーナーを引き継ぐことになりますが、ぼくはただの本好きです。ビジネス書や自己啓発書よりも、小説やノンフィクションの紹介が多くなると思いますね。
深みもコクもありませんが、麻生内閣よりは支持率が高いコラムを目指します...。って、目標低すぎですかね?編集長。

不屈って、こういうことなのか...凄すぎる。

さて一冊目。
ノンフィクションの大御所、沢木耕太郎の凄い作品『凍』
なんで、このくそ寒い真冬にこの作品なのだー?と編集長の天の声は無視して、いや、無視できないか。え~と、寒中水泳みたいなもんです。修行です。ハイ。

かつて孤高のクライマーといわれた山野井泰史(やまのいやすし)。
無酸素ソロ登攀で数々の名峰を征服し、世界的に有名なアルピニスト。
ぼくはその名を知ったのはTBS「情熱大陸」で紹介された2002年。
番組が放映されたその時期、山野井氏は妙子夫人と二人で、ヒマラヤのジャチュンカン北壁(7952m)を目指していたとわかったのは、彼らが大きなダメージを受けながら帰国した後のことでしたが。

北壁登攀には成功したものの、下山途中で雪崩に巻き込まれる。
妙子さんはロープで宙吊り状態。山野井さんは酸欠で目が見えない。
安全確保のため、岩の割れ目にハーケンを打ち込まなければならないのだが、見えない。
山野井さんはマイナス30℃の岩壁で、覚悟を決めて手袋をはずした。まず左手の小指で岩をまさぐり、割れ目を探す。一箇所探すのに1時間。小指はもう使えない。次は薬指。右手の小指。薬指...。

猛吹雪の中、二人が自力で下山するまでの格闘を、まるでカメラを構えていたかのように、沢木耕太郎が緻密に文章にしている。さすが。いえ、凄すぎて怖かったけどね。

山野井さんはこの事故で手の指を4本。右足の指5本を失った。妙子婦人も手の指10本全てを失う。
でも、この人たちの凄いのは、今でもクライミングを続けていること。
グリーンランドの大岸壁を二人で登った様子が、昨年NHKスペシャルで放映されていました。なんでそこまでして...なんて野暮な意見はよしましょう。だって、楽しそうなんだもん。

世界的なクライマーって言ったって、要はただの山好き。すき好んで山に登ってるだけじゃん。何かを創ってるわけじゃないし。経済活動してないし...。などと思う輩もたくさんいると思う。
かつて植村直己さんが行方不明になったとき、そんなことを言っていたやつもいた。でも今のぐちゃぐちゃな世界を作ってしまったのは、痛みを知らず、ケイザイカツドウしかしてこなかった輩なのだよな。
いや、他人だけのせいにするつもりはない。ぼくだってみんなだって多分その一員なんだけどね。

文字通り、身を削って山に登り続ける山野井夫妻の姿は、ここまでくるともう脱帽するしかない。凄いな。

『125歳まで、私は生きる! 』

一冊の本との出会いで人生が変わります!!

NPO法人読書普及協会チーム札幌 内藤貴文

タイトルを見てちょっと驚く本を紹介します。「125歳まで私は生きる」なんていうタイトルは、なかなか付けることって、相当な自信がないとできないでしょうね。
著者は現在91歳で、極めて健康です。65歳で弁護士資格を取得し、弁護士事務所を運営する傍ら、英語の資格試験として有名なTOEIC会長をされています。
世の中は今、アンチエイジングブームで、若返り法に関する本が数多く出版されています。これらの本の多くは、40~50歳台の医者が、動物実験や高齢者の調査などの医療情報を基にして書いた本が多いのです。これらの本には、何故か説得力がありません。なぜなら、書いた人が若すぎるのです。「この本を読めば100歳になれる」と書いてあっても、著者が若いので、「本当に大丈夫なの?」と、疑ってしまうのです。しかし、本書の著者は91歳で、健康と若しい柔軟な体を維持しておられます。本書に書かれた内容は、若い方が書いた本よりも説得力があるように思います。
長生きしたい方、若返りたい方、是非読んで、実践してみてはいかがでしょうか?

<今日の一冊>

『125歳まで、私は生きる! 』 渡辺弥栄司 著、ソニー・マガジンズ新書 (2008/2)¥740

<これは名言>

「いくつまで生きるかは、自分で決めるのです」

■力強い言葉です。自分で寿命を決めることができたら、死を恐れることなく、精一杯生きることができます。

<私が惹かれた言葉>

「人間は夢を持てば、いくつになっても若返りが可能だ。今、何かを始めることが、人生に転機をもたらすこともある。それによって、生命力が盛んになる」
「125歳という人間の寿命の可能性に、なぜ挑戦するのかと問われれば、私は、生きることのすばらしさを身をもって味わいたいからだ、と答える」
「人間が生命あるかぎり成長を続けられるのなら、最大限に成長してみたい。そして、もっともっと魅力的な人間になるのだ」
「夢はこれまでの人生で育まれた自信と誇り、あるいは、これからも自信と誇りをもって生きていこうという気概から生まれる。自信と誇りがあるから、すてきな人生を歩むことができる。遠慮して生きていては、その自信と誇りを失っていく。そういう人には、夢を生み出す力がない」

■91歳になっても夢を持ち続けている著者の言葉には力があります。

「真向法と各部位を鍛える運動」「呼吸法」「逆立ちと青竹踏み」「ここまでに要する時間はだいたい30分」
「運動を終えると10分間のウォーキングに出る。一キロを歩く。天下を取ったような姿勢、明るい気持ちで、力まず美しく歩く。私は大股でグングン歩くが、風景を楽しみ、あたりを観察する余裕がある」
「まず、身体を柔らかくすれば、それだけ、人生観が変わる」
「心が硬くては、前向きで楽観的な人生観をもてない。身体が柔らかくなれば、心も柔軟になる。そうすれば、固定観念や経験則にとらわれることがない」

■著者は真向法という体操をしています。4つの内容からなる体操です。身体の柔軟性が増す体操です。評論家の渡部昇一氏も実践しています。身体の硬い私は、本法に何度かチャレンジしましたが、なかなか思い通りに柔らかくならず、すぐ諦めてしまいました。しかし、本書を読み、「身体を柔らかくすれば人生観が変わる」なら、再度チャレンジしてみようという意欲が湧いてきました。

「正心調息法」「正心とは正しい心を持ち、心の正しい使い方をすることを言う。①物事を前向きに考える②感謝の心を忘れない③愚痴をこぼさないーこの心の三原則を守って日常生活を送る。調息とは深い腹式呼吸だ。姿勢は正座、胡坐、仰臥。椅子に座ってもいい。背筋を伸ばすのだが、背骨はもともと緩やかに湾曲しているので、無理に伸ばす必要はない。ただ、左右に傾いてはいけない。身体の前で、両手の平でボールを包み込むようにして中空をつくり印を結ぶ(鈴の印)。指は利き手の親指を上に組む。呼吸法は『吸息』『充息』『吐息』『小息』の順に行い、これを一サイクルとして25回、行う。」

■本呼吸法は100歳を超えた医師 塩谷信雄氏が考案した方法です。いわゆる丹田呼吸法です。長生きの秘訣は「長い息」なのでしょう。

「私の幸福五原則 愚痴を言わない、なんとかなると前向きに、明るく親切に、感謝の念を忘れない、威張らない」
「人は人によって、人となる。よき人との出会いで、人は自分を磨く。そして、人生を拓いていくことができる。よき人との出会いこそ、良縁そのものなのである」
「自分の持つ体力、精神力、それに知力の限界が高ければ、それだけ自分の人生を楽しいものにできる。それだけではなく、その力を人のため世のために使うことも可能だ。そうなれば、もっと人生が楽しくなる」

■ 加齢により自分の足で歩けなくなると、人は元氣を失うことを、日々の診療で感じています。また他人からの介護を受けるようになると、積極性が失われるようです。何歳になっても自分の脚で歩き、運動によりいつまでも自分の足で歩き、自立しようとする人、夢をもち、好奇心が旺盛な人は、とても若く見えます。

「私は125歳まで成長の完成を見るつもりだから、完全なる成長を遂げ、最大限の可能性を蓄え、それを余すところなく社会のため、世界のために使い切る」
「高齢者がすてきな生き方をしていれば、若者は『いずれはあんな人生を送ってみたい』と、将来に希望を持つことができる」

■確かに高齢者が病気がちで家に閉じこもり、世の中を嘆き、衰えた自分の身体を嘆いてばかりいるなら、若者は人生に希望を持つことはできないでしょうね。何歳になっても、自分のことは自分で行い、夢を持って努力していくことで、若い人たちも「歳をとるって素敵なことなんだ!」と感じてくれるに違いありません。著者のようなかっこいい高齢者がますます増えることを期待しています。

『強運の法則』

一冊の本との出会いで人生が変わります!!

NPO法人読書普及協会チーム札幌 内藤貴文

春です。進級、進学、就職、転勤などで、多忙な毎日をお過ごしのことと存じます。
どんなに忙しいときも、時間を見つけては読書、読書!
今日は、今年4月13日(日)に開催される第7回北海道ほんのすすめで講演される、西田文郎氏の「強運の法則」を紹介させていただきます。

西田先生は数多くの経営者、スポーツ選手を育てあげた「強運開発」コンサルタントです。つい先日引退を宣言した元巨人軍の桑田選手も薫陶を受けた一人です。今回ご紹介する「強運の法則」は、実は西田先生が死後出版したかったという、西田理論の集大成なのだそうです。

一冊なんと15000円と高額ですが、成功を目指す人は一読の価値あり。それでもちょっと高すぎると思われる方は、4月13日の北海道ほんのすすめにご参加ください。参加ご希望の方は、以下のホームページからお入りください。

第7回北海道ほんのすすめ申し込み先 

<今日の一冊>

『強運の法則』 西田 文郎 著、 日本経営合理化協会 (2007/9)¥15000


<これは名言>

ツキはいかにして掴むことができるのか・・・
その秘訣は「ツキのある人に好かれ、ツキのある人と付き合う」ということに尽きる。

<私が惹かれた言葉>

マズローの第五の欲求のさらに上の欲求、「第六の欲求」を求める人たちがいる。その「第六の欲求」というのが⑥無欲になりたいという究極の欲求である。
成功を手にするということは、「世のため人のため」を本気で願い、自分の稼ぎを人と分け合う「無欲の欲」への階段を上ることとイコールなのだと理解して欲しい。

●ちなみにマズローの欲求の五段階説は、①生理的な欲求、②安全への欲求、③愛と帰属への欲求、④自尊心の欲求、⑤自己実現の欲求です。

「もうできちゃった」状態が脳にありありと描かれているということは、そのイメージを実現させるためには「何が必要であるか」「自分が今、何をしなければいけないか」が、自然とわかってくるからだ。
・ 成功者に共通する6つの資質
① 一般の人には思いもつかないような「大きな野望」がある
② 「強欲の熱意」があきれるほど長く持続する
③ 尊敬する人物や事業の協力者など「出会い」に恵まれる
④ 「ツキ」がある
⑤ 「徹底したプラス思考」の持ち主である
⑥ 「人を喜ばせる力」がある
「もの凄く大きく稼ぐ」成功レベルの成功を掴むには、6つの資質の他に、さらに⑦「使命感」、⑧「感謝」が必要になってくる。

●「ツキ」があることが成功者の資質とは、面白いですね。自分がツイテル人間になるにはどうすればいいのでしょうか?その秘訣は、本書に書かれていますよ。


最強の成功脳・メンタルヴィゴラス状態 大成功する経営者の脳とは、「思考」「イメージ」「感情」が全てプラスになった状態である。そして、この脳の状態を「メンタルヴィゴラス」という。

メンタルヴィゴラス脳ができる流れとは、目標を立てたら、その達成イメージを繰り返し鮮明にイメージする。そしてそれが脳幹に伝わり、脳内を活性化するホルモンが分泌される。



優秀な人間と、そうでない人の違いは、頭のデキではない。ただ、ウキウキワクワクしながら仕事をしているかどうか、それだけの違いである。

●この本の本質は、いかに自分がワクワクする目標を探し出し、達成した自分をイメージし、そのワクワクを維持するかの技術だと思われます。

付き合うべき5種類の人間
①自分より大きく儲けている人
②厳しい年長者
③能力の高い相手、自分にはない何かをもっている人
④自分を怒ってくれる相手、叱ってくれる人
⑤有り難い反面教師

●ある程度の年齢になってしまうと、④の自分を怒ってくれる相手、叱ってくれる人と付き合っていくことは中々難しいことと思いますが、是非そうした人物とお付き合いできる人間性を身につけたいものです。

感謝すればするほどに、また成功すればするほどに、潜在意識が変わり、人間としての器が大きくなる。
これまでの人生でお世話になった人、たとえばあなたの人生の師となってくれた恩師、お子さん、従業員の方々、それにあなたを産んでくれたお母様、お父様など、その恩に報いなければいけない人を10人思い出して、シートに名前を記入してほしい。さらには、「その人にどんな恩を感じるか」、「これからどのように恩返しをしているか」、さらには「その人に対するメッセージ」を具体化していただきたい。

●感謝の大切さが書かれています。感謝は今すぐにできます。今こうして生きていることに感謝。パソコンに向かい、文章を書いたり、編集できることに感謝。このようなIT機器が開発され、安価にだれでも使えるようになったことに感謝。健康に感謝。思考できる脳に感謝。仕事に感謝。○○に感謝・・・・。どんどん感謝できますね。ここまで読んで下さった方に心から感謝致します。・・・と、感謝は広がります。

いつ、どのような死を迎えたいかをリアルにイメージすると、脳はご自分が理想とする「死」を迎えるために、いま何をやらなくてはいけないか、これからどう生きるべきなのかを、全力で考え出すようになるからだ。
あなたは一般の方とは違うのだ。だから、どうか、あなたにふさわしい役割、あなたにしかできない役割に気づき、感謝と使命感という真の動機付けをエネルギーにして、命をかけてその使命をまっとうしていただきたい。

●西田理論の一部をご紹介いたしました。いかがだったでしょうか?私自身はすでにどのような死を迎えるが、具体的にイメージしています。死んだあとどこに埋葬されるかも決めています。こうしたことをイメージしておくと、世の中怖いものなし(妻以外!)です。あとは淡々と、自分の目標を目指し努力するだけ。ただし、B型の私は、新しいものが大好きで、とにかく熱しやすく冷めやすい。目標達成の前に、まず自分自身の性格を、熱しやすく冷めやすいものから、

「強欲の熱意」があきれるほど長く持続する
に変わる必要があるのです。まだまだ修行が続きそうです。

『病気にならない生き方 3 若返り編』

一冊の本との出会いで人生が変わります!!

NPO法人読書普及協会チーム札幌 内藤貴文

書評の更新が随分と遅れてしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今後も読書普及協会チーム札幌を代表して、読んでみるとためになる、とっておきの本を紹介させていただきます!!
健康本の中でこの数年ベストセラーといえば、新谷先生の「病気にならない生き方」シリーズです。
昨年末に、No3が出版になりました。書店に並んだ、黄色と黒の大胆な色彩の表紙にも惹かれて、購入してしまいました。

新谷先生は、胃相、腸相がその人の健康状態を示しているという、長年の臨床経験に基づいた仮説を大胆に展開し、健康になる秘訣を紹介しています。
仮説としての話題提供が多いためか、新谷先生の本の内容を批判する医学者が多いのです。しかし私は一臨床医として、新谷先生の考え方に共感できるのです。問題は、本書の内容を、全て実践するのが難しい!というところでしょう。

<今日の一冊>

『病気にならない生き方 3 若返り編』 
新谷弘美著 サンマーク出版(2008/1)¥1600 (以下 「 」は本文より引用)

<これは名言>

「心に問題を抱えている人は、いくら体をしっかりとメインテナンスしても、本当の意味での健康にはなれません。心配、不安、悲しみ、ねたみや怒りといったマイナス感情は、エンザイムパワーを低下させてしまうからです。人が健康になるためには、『幸せ』を感じることが必要なのです」

●世の中健康ブームです。美容や運動のための各種健康器具、サプリメントなど花盛り。でも、いくらこうした外からのメインテナンスをいくらがんばっても、健康にはなれない。心がマイナス感情に支配されているなら、健康ではないことを明言しています。「そのとおり!」と納得する言葉です。

<私が惹かれた言葉>

「老化とは、エンザイムパワーが衰えることである」
「エンザイムというのは(中略)生物の細胞内で作られるたんぱく質性の触媒の総称です。体内における物質の合成や分解、消化、排出、解毒など、およそ生命を維持するために必要な活動は、すべてエンザイムが関与しています。このエンザイムの力、エンザイムパワーが衰えると老化がいっそう進むと、私は考えているのです」
「老化を防ぐには、(中略)体が酸化しないような食生活を送り、エンザイムパワーの質の面でも量の面でも消耗しない生き方をしていくことに尽きます」
「あなたはなぜ若々しくありたいのでしょうか?私が若々しくありたいのは、予防医学を社会に根付かせたいという強いモチベーションがあるからです。(中略)いくら私の健康法が体にいいといっても、私自身がヨボヨボのシワくちゃでは誰も共感してくれないでしょう。私が若々しくあることは、予防医学のすばらしさを理解してもらうためにとても大切なことなのです」

● 私自身も「いつまでも若くありたい」と願い、日々努力しています。その理由は、新谷先生と同じです。健康を説く医者自身が若々しくなければ、説得力がないからです。私自身が健康で若々しくあれば、同じ生き方をしたいという方の目標になれるかもしれないと思うのです。そう言っても、実際の自分が若々しいのかどうか、自分で中々わかりませんが・・・。

「人相のよいひとは腸相もよく、腸相の悪い人は人相もよくありません」
「腸が年齢以上に老けてしまうと、その人の寿命は短くなります」
「エンザイムの体内保有量を多い状態に維持するもっともよい方法が、腸相をきれいに保つ食事と生活習慣を守ることです。腸相が悪化すると、腸内で発生した毒素を分解するために大量のエンザイムが消費されるため、エンザイムの体内保有量が減少し、抗酸化力そのものが低下してしまうからです」
「穀物を主体とした植物食中心の食事は、日本人のみならずすべての人間の腸にとって理想的な食事です」

●日本食を食べるのが腸によいことが説かれています。

「アルコールに関しては、動物食以上の節制が必要です。よく『酒は百薬の長』などという人がいますが、これは大きな間違いです。お酒は百害あって一利なし、とくにお酒に弱い人は要注意です」

● お酒に関して、新谷先生は厳しい見方をしています。お酒好きには、耳の痛い話ですね。

「いつまでも若々しくあるためには、体が脱水しないように、充分な水分を補給するとともに、脱水を招く要因を排除することがとても大切です」
「カフェインには非常に強い利尿効果があるので、水分補給のつもりでカフェインの多いお茶やコーヒーを大量に飲むと、かえって深刻な脱水を招くことになります」

● 水の大切さが説かれています。お茶やコーヒーは水分であり、水ではないと書かれています。コーヒー・お茶の好きな方にも、耳が痛い話です。

「腸によいものは、脳にもよいということです。(中略)お酒もたばこも動物食の食べすぎも、腸相を悪くするものはすべて、脳にも悪影響を与えます」
「たばこやアルコールやカフェインを摂るということは、脳の恒常性を損なう行為なのです」

●現代人が大好きな、タバコ、アルコール、そしてコーヒーなどカフェイン入りの飲み物などが、脳に悪いというのが新谷先生の考えです。私はタバコを飲みませんが、カフェイン入りの飲み物は大好きです。仕事の合間に飲むと、目が冴えます。でもカフェインが脳に良くないとは・・・。ちょっと残念でした。どうして脳に良くないのか?知りたいかたは、本書をお読みください。

「エンザイムの活性を妨げている要因はいろいろありますが、その最大のものは、『血行不良』です」
「血行をよくする方法は、充分な量の水を飲むことです」
「エンザイムパワーを低下させるもう一つの大きな要因は、体温の低下です」
「体温が低いと病気になりやすいだけでなく、老化が進むスピードが速くなってしまうと考えたほうがよいでしょう」
「低体温は、『正しい食事』と『充分な睡眠・休息』、『正しい呼吸』と『適度な運動』を行うことで改善できます。」

● 低体温が老化を進めること。低体温の改善に、運動が必要なことが説かれています。ただし激しい運動はエンザイムを消費するとのこと。果たしてフルマラソンを走ることはいい運動なのでしょうか?本書には書かれていないのですが、私の経験上から、マラソンは激しい運動に入りそうです。判っているけど、止められないのが、好きなスポーツです・・・。

「エンザイムを活性化させるのに欠かせないことがあります。それは自分自身が幸福だと感じることです」 「愛や感謝の念をもち、自分自身を幸福だと感じると、エンザイムはとても活性化します。何事にもプラス思考で、積極的に自分を幸せにするための努力を惜しんではいけません」
「『心力』は心を開き、自分の中の愛情を周囲の人たちに注ぐことで大きくなる『愛のパワー』だからです」
「いまからでもけっして遅くはありません。あなたのエンザイムパワーがもっとも高まるのは、愛し、感謝し、喜び、楽しんでいるときだということを心に刻み、幸せで楽しい人生を愛する人と味わう努力をしていただきたいと思います」

● 新谷先生は、健康になるためには心が大切であることを繰り返し説いています。体だけを治そうとする医者が多い現代、新谷先生のような優れた臨床家が心の重要性を説くことは、画期的なことであると思います。
● 本書を読み、実践すれば、間違いなく健康が得られることでしょう。では「健康になって何をしようとするのか?」そこが問題です。皆さんはどう答えられますか?

「きっと、よくなる 2 『お金と仕事』編」(本田 健)

一冊の本との出会いで人生が変わります!!

NPO法人読書普及協会チーム札幌 内藤貴文

読書普及協会チーム札幌から、とっておきの本を紹介します!!
「幸せな小金持ちシリーズ」で有名な本田健さんの最新作です。
前作の「きっと、よくなる」から2年。本書も前作同様、お金と人生に関する本田氏の考え方が豊富に散りばめられています。
お金があるだけで幸せであるというわけではありません。お金があることで、不幸になる人が世の中にたくさんいるのが現実です。
お金持ちであると同時に幸福でいるために、本書がきっと役立つはずです。
(とは言っても、私は未だお金持ちではありません。「将来お金持ちになったとき、きっと役に立つ」と思って読んでみました)

<今日の一冊>

「きっと、よくなる 2 『お金と仕事』編」 本田 健 著 サンマーク出版 
(2007/12)¥1600

 (以下 「 」は本文より引用)

<これは名言>

「人生は楽しむためにあります。どんなときも、楽しみましょう」

●こんな生き方ができたら、いいですね!

<私が惹かれた言葉>

お金と親友になれる人が、幸せなお金持ちになる
「あなたがお金と自由につきあいたいのなら、お金のことを忘れて、自分を自由に分かち合ってください。才能、お金、行動力を縁ある人と分かち合うのです。あなたが100パーセント分かち合えたら、社会も、あなたに必要なものはすべて返してくれるでしょう」
幸せなお金持ちが引き込む5つの流れ
「人・情報・チャンス・お金・感謝の流れ」
「長くお金持ちでいられる人は、まわりの人を大事にします。いい情報は人を介してやってくることを知っているからです」
「つき合っている人の質がよければよいほど、情報の質もあがります。ひとつの情報が人生を変えることがよくあります」
「人と情報の流れにのって、チャンスもやってきます」
「チャンスの流れを引き込めるようになると、それと一緒に、お金が流れてきます」
「うまくまわりの人に流せるようになると、あなたはまわりから尊敬され、感謝されるようになりますが、これが、最後の『感謝』の流れです」
ミリオネア・メンタリティを身につける
「ミリオネア・メンタリティを一言で言えば、『どんなときでも、豊かになれる』感覚です。現在どれだけ資産を持っているかは、関係ありません。大事なのは、世界中どこに行っても自分は豊かに生きられるという、“裏づけのない確信”です」

● ミリオネア・メンタリティという言葉をはじめて知りました。「世界中どこに行っても自分は豊かに生きられるという確信」を持つことは、結構難しいことかもしれません。私自身、もし自分の専門職がなくなったら、日本国内にいたとしても、どうやって生きるか迷うかもしれないと思います。ただ、せっかく良い言葉を知ったのですから、「どんなときでも、豊かになれる」と心にインプットしてみると、億万長者になれるかもしれません。


仕事がもたらす五つのすばらしい報酬

  1. 経験
  2. やりがい
  3. 感謝
  4. つながり
  5. お金 「これがなぜ最後にくるかというと、仕事のおまけみたいなものだからです。前の四つで心を満たされていたら、五つ目の報酬はなくても幸せになります。そういう思いで仕事をしている人は、不思議とお金にも恵まれます」
「お金だけが目当ての仕事は、五分の一の報酬しかもらっていない計算になります」

● 「仕事の目的はお金」と答える人が、世の中の大部分かもしれません。「お金」は五分の一の報酬だと知って、仕事に情熱を傾けると、きっとお金もついてくるのですね。

「幸せなお金持ちの多くは、お金よりも時間のほうが貴重な財産だと認識しています」
「多くを望まず、満たされることを知り、必要以上のものを人にも期待しないこと。これが、私が学んだ、幸せの秘訣です」
なぜ靴をそろえると成功できるのか?
「いいかい、普通の人は目の前のことに意識を100%集中できない。だから成功しないんだ。仕事をしているときは別のことを考えている。そこら中に意識が散っている状態なんだ。エネルギー漏れを起こしているわけだよ。一つひとつ物事を完了させる癖がついてくると、目の前に100%のエネルギーを集中させられるようになる。その象徴的な行動が、靴をそろえることなんだ」

● 斉藤一人さんや小林正観氏も、「靴をそろえること、玄関に靴をたくさん並べないこと、玄関を掃除してきれいにすること」を勧めています。靴をそろえるのは、「運が良くなるための方法だろう」と思っていました。目の前のことに100%エネルギーを集中させる日々の訓練だとは知りませんでした。靴を脱いだら、靴を並べることに集中する。こうした、一つひとつの行為を、しっかり集中しておこなうことが、成功するのに必要な考え方、行動なのでしょう。

運をコントロールする秘訣
  1. 自分のまわりを大好きなもので満たすこと
  2. 自分の大好きなことをやって時間を過ごすこと
  3. 運のいい人とつきあうこと
  4. 人を日常的に喜ばせること
  5. 感謝すること

● 運には上昇期と下降期があります。下降する時期を乗り切るには、運を自分自身でコントロールできるといいですね。この5つの秘訣は参考になります。

「これからのビジネスは、誠実に物やサービスを提供しているところが評価されるでしょう。どれだけ明快なビジョンをもち、お客さんのことを親身になって考えたかが利益に結びつき、尊敬されるようになります。お金も、人を喜ばせた指標として考えられるようになるでしょう」

● お金の専門家、本田氏のビジネス感です。昨今の食品偽装問題を考えると、問題を起こした会社は「誠実」と「お客さんのことを親身になって考えたが」の部分が欠けていたのでしょう。


子供には、お金より信用と感謝を残す

「子供や孫にお金を残そうと思うなら、信用と感謝を残すことも考えてみてください。あなたが残した信用と人からの感謝は、子供や孫の代まで続いていくのです。お金は途中でなくなる可能性がありますが、信用と感謝は、その人が亡くなって何十年という時がたっても、家族を幸せに、豊かにすることもできるのです」

●子孫に財産を残すことを考える人が多いと思いますが、信用と感謝を残すという考えを同時に持てると、子孫は益々繁栄するでしょう。

「私が大切にしていること。それは、一日を通して感謝を感じながら過ごせているかどうかです」
「『ありがとう』はすべての人の心をつなぐ魔法の言葉です」

● 本田氏は30台の若さで子育てのために仕事をセミリタイアし、昨年アメリカに移住しました。それでもこのような本を著し、お金と人生のあり方を多くの人に伝えようと努力しています。
● 「30台の若さで、仕事をセミリタイアするなんて、ちょっとどうかなあ。少なくとも50台までは、一生懸命働いたほうがいいんじゃないか?」と私は考えていました。しかし、本田氏は「人生は楽しむためにあります。どんなときも、楽しみましょう」という人生観を持っていますが、自分だけが楽しむのではなく、人のために生きる姿勢があります。こうした事実から、「若いけれど、本田氏のような生き方って、素晴らしいなあ」と思えてきました。皆さんはどうお感じですか?


『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』

一冊の本との出会いで人生が変わります!!

NPO法人読書普及協会チーム札幌 内藤貴文

読書普及協会チーム札幌から、とっておきの本を紹介します!!

前回紹介しました『ザ・シークレット』同様、本書も「引き寄せの法則」に関する本です。「同じことが書いてあるのなら、読むのは無駄だ」と思われるかもしれません。本書は「エイブラハム(愛に満ちた複数の存在)」という目に見えない世界からのメッセージになっています。スピリチュアルなことに違和感の無いかたは、こちらも読むと、「引き寄せの法則」の大切さと実際の使い方がより詳しくわかります。『ザ・シークレット』と共に本書を一読することをお勧めいたします。

<今日の一冊>

『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』 
エスター・ヒックス&ジェリー・ヒックス著、吉田利子訳、 
ソフトバンククリエイティブ (2007/10) ¥1700

(以下 「 」は本文より引用)

<これは名言>

「すべてはそれ自身に似たものを引き寄せる。それが宇宙を貫く『引き寄せの法則』だ」

<私が惹かれた言葉>

「『宇宙の法則』には三つある。第一は『引き寄せの法則』だ。この法則を理解して効果的に応用できるようにならなければ、第二の法則である『意図的な創造の方法論』と第三の法則である『許容し可能にする術』も活用できない」
「第一の『引き寄せの法則』というのは、『それ自身に似たものを引き寄せる』ということ」
「第二の『意図的な創造の方法論』というのは、『わたしが考え、信じ、あるいは期待したことは、実在する』ということだ」
「第三の『許容し可能にする術』というのは、「わたしがありのままのわたしで、他者がありのままの他者であることを許容し、可能にしよう」ということだ」
「この三つの強力な『宇宙の法則』を理解し、意識して応用できれば、あなたは喜びに満ちて自由に、思いどおりの人生経験を創造できる」

●第一の法則である『引き寄せの法則』は理解しやすいのですが、第二、第三を理解するためには、本書を読む必要があります。

「人生で出会う人は、あなたが引き寄せたものだ。信じられない部分もあるかもしれないが、その人たちとともにする経験も、すべてあなたが引き寄せている。人生経験はすべて、あなたが自分自身で引き寄せなければ起こらないのだから」
「他人に与えることができる最大の贈り物は、相手の成功を期待することだ」
「感情には2種類しかない。一つは心地よいという感情、もう一つは心地よくないという感情だ」
「自分がどんなふうに感じるかに注意していれば、それほど思考を監視する必要はない。心地よければ、その瞬間に語り、考え、行動していることは、あなたの意図に沿っている。心地よくなければ、あなたの意図と調和していない。要するに、暗いネガティブな感情が起こるときには、その瞬間のあなたの思考や言葉、行動を通じて誤った創造をしているわけだ。だから、何を望むかをもっと意識し、意図をもっと明確にして、そのうえで自分の感情にもっと敏感になれば、『意図的な創造のプロセス』は完成する」
「望まないことは考えないこと。望まないことに思考を向けないこと。大事なのは 自分が望むもののことを考えることだ」
「自分が磁石で自分が感じているのと同じ事を次々に引き寄せるのだと考えれば、『引き寄せの法則』はわかりやすい。孤独を感じていれば、ますます孤独を引き寄せる。貧困を感じていれば、ますます貧困を引き寄せる。病気だと感じていれば、ますます病気を引き寄せる。健康で活力があり生き生きと繁栄していると感じていれば、ますますそのとおりになっていく」
「相手を元氣づけるには、自分が幸せという実例を見せる」
「他人についてこういう意図を持つことだ。『彼らは彼らであり、彼ら自身の経験の創造者で、自分で自分の経験を引き寄せているが、私は私の経験の創造者で、私の経験を引き寄せている』これが『許容し可能にする術』だ」
「あなたが望ましいことだけを考えてその思考を伝えれば、子どもは望ましい思考だけを受け取るだろう」

● 「望まないことは考えないこと。望まないことに思考を向けないこと。大事なのは 自分が望むもののことを考えることだ」というフレーズで、自分の思考を「自分が心地よい」思考に変えることの大切さを知ることができました。

● テレビのニュースをつけると毎日暗いニュースばかりです。人殺し、汚職、ガソリン値上げ。数え上げたら切りがありません。こうしたネガティブな情報を見たり、聞いたりしていると自分の心までネガティブになってしまいそうです。このような時、本書では「自分が見たいものを見るという強い意志を持つこと」を勧めています。ネガティブな情報があれば、見ない、聞かないという態度が必要です。そしてネガティブな思考が浮かんできたら、それを意思の力で止めて、自分が心地よくなる思考へ対象を変えるのです。このような思考の変換は、「引き寄せの法則」が宇宙の法則であると知ったなら、きっとできるはずですね。

● 「引き寄せの法則」を理解し、実践することで、自分の人生が好転するならば、この法則を使わない手はありません。年末年始の休日を利用して、本書をじっくりと読み、『引き寄せの法則』を実生活に生かし、2008年を輝かしい一年にしていきましょう!

『ザ・シークレット』 ロンダ・バーン著

一冊の本との出会いで人生が変わります!!

NPO法人読書普及協会チーム札幌 内藤貴文

読書普及協会チーム札幌から、とっておきの本を紹介します!!

本書は2007年度のベスト5に入る一冊だと思います。古今東西の成功者が手にしていた人生を成功に導く一番大切な「秘密」が説かれています。本書を読み、理解し、実行できれば、成功は目の前にあるに違いありません。

<今日の一冊>

『ザ・シークレット』 ロンダ・バーン著、山川紘也・亜希子、佐野美代子訳、角川書店 (2007/11)¥1800
(以下 「 」は本文より引用)

<これは名言>

「歴史に名を刻んだ錚々たる偉人たちが手にしていた『偉大なる秘密』!!」

●帯書きの文章です。この文を読んだだけで、「本の中をぜひ読んでみたい!」と思ってしまうほどの名言です。

<私が惹かれた言葉>

「たとえどこにいようと、私たちはひとつの力で動かされています。たったひとつの法則です。それが『引き寄せの法則』です! その『秘密』とは『引き寄せの法則』だったのです」
「人生であなたに起きている事は、全てあなたが引き寄せています。あなたが思い、イメージすることが、あなたに引き寄せられて来るのです。それは、あなたが考えている事です。なにごとであれ、あなたが考えていることが、あなたに引き寄せられてくるのです」
「あなたが思っていることが現実となります(思考は現実化する)」
「引き寄せの法則は自然の法則です。それは万有引力の法則と同じように、公平、かつ客観的なものです。それはまた、厳密かつ正確な法則です」

● 今の自分に起きている事は、自分自身が引き寄せているということです。今座っているこの場所も、この家も、家族も。今の仕事も、友人、知人も、さらに毎日起こる諸問題も、全てを私自身が引き寄せた。仕事上や対人関係などの問題は、すべて自己責任。失敗はすべて自分で引き寄せていたことになります。

● 悪いことを引き寄せないために、自分の心をどうコントロールすれば良いのか、その具体的な方法が書いてあります。

「今すでにあるものに感謝しましょう。人生で自分が感謝できることを発見し始めると、感謝すべきことは次々に現れて、永遠に感謝したいと思えることに驚かされます。まず感謝することから始めなければなりません。すると、『引き寄せの法則』がその気持ちを受け取り、同じものをあなたに返してきます。すると、あなたは感謝の周波数に完全に同調し、良きもの全てが、あなたのもとにもたらされるのです」 「お金を引き寄せるには、豊かさに焦点を合わせて下さい。お金が不足していることにこだわると、お金はやってきません」
「人間関係を良くするためには、人の欠点ではなく、感謝できる点に焦点を合わせて下さい。その人の長所に焦点を合わせると、もっと長所が見つかることでしょう」
「良いものが底をついてしまうことはありません。良いものは全員に行きわたっても余るほど十分にあります。人生は豊かになるためにあるのです」
「この世の全てのものを賞賛し祝福して下さい。そうすると、否定的なことや不協和音が消滅し、あなたは最高の波動と同調します。最高の波動、それは愛です」
「あなたの力はあなたの思考の中にあります。だから、自分が今、考えていることにいつも気付きなさい。言い方を換えれば、「いつも思い出しなさい」(Remember to remember)ということです」
「あなたがしなければならないことは、今、心地よい気持ちになることだけです」

● 自分が今何を考えているのかに気付き、もし暗く否定的なことを考えているなら、その気持ちを良い気持ちにすることに焦点を合わせることが大切なことを学びました。これは簡単なようですが、「今考えていることに気付くこと」って、練習しなければ難しそうです。

● 本書は座右の書として、いつもそばに置き、何度も繰り返して読みたい一冊です。