三越で行われていたマザー・テレサ展に行ってきました。
インドのカルカッタには多くの路上生活者がいて、誰からも見放され、そのまま路上で息絶える人もいます。
マザー・テレサが作った「死を待つ人の家」には路上で息絶えそうな人が担ぎ込まれます。
死を迎える人の命の尊厳、心安らかに死を迎えるための「死を待つ人の家」です。
そこでの宗教は自由で、担ぎ込まれた一人一人に信仰している宗教を聞き、亡くなったときはその宗教でお葬式をします。
すべての行動が愛に包まれたマザー・テレサの言葉には、いつも勇気と希望を頂きます。
今回は「マザー・テレサ日々のことば」から抜粋させていただきました。
<以下抜粋>
愛とは分かち合うこと、
わたしたちにある最善のものを与えることです。
あるとき、高価なサリーを身につけた女性が訪ねてきて、
こう言いました。「マザー、わたしにも、
あなたのお仕事をさせていただきたいのです。」
わたしはその瞬間に祈りました。
わたしの働きを手伝いたいという彼女の申し出に対する、
答えを求めて祈ったのです。そしてこう言いました。
「そのサリーから始めましょう。
あなたが毎月安いサリーを買うことで貯めたお金を、
貧しい人たちのために持ってきてください。」
そこで彼女は、安いサリーを買うようになり、
いつの間にか彼女の生活自体も変わった、と言いました。
こうして彼女はほんとうの分かち合いの意味を知り、
こう言ったのです。
自分が差し出したよりもずっと多くのことを、
貧しい人たちから受け取った、と。
「子どもの家」で、
お砂糖がまったくなくなってしまったことがありました。
すると、小さな男の子が、
どこで、どうしてなのかわかりませんが、
マザー・テレサのところにお砂糖がない、と聞いたのでしょう。
その子は、うちへ帰って両親に言いました。
「ぼくはこれから三日間、お砂糖はいらないよ。
そのお砂糖をマザー・テレサにあげるんだ。」
三日後、両親はその子を連れて、
わたしたちを訪ねてきました。
彼の手には、小さなお砂糖のびんがありました。
その子はわたしの名前すら発音できないほど、小さな子でした。
けれど、その子は教えてくれたのです。
大切なのは、どれだけたくさんあげるのではなく、
どれだけ愛をこめるかなのだ、ということを。
<抜粋以上>
6月12日~25日、シアターキノで「マザー・テレサ映画祭」が行われます。
マザー・テレサの言葉は慈愛に満ちていて、人間として生きる原点に立ち返ることができます。
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