NPO法人こころの郷の代表をしています。
ダライ・ラマ法王をこよなく愛し(でも仏教徒ではありません)
ダライ・ラマ法王のような人と結婚したいと思っていたら、
いつの間にか婚期を逃し現在に至る。
それは小春日和の日でした。
「心理学を通して心のトレーニングの場を創ろう」とお告げ(笑)
があり、23年勤めた銀行をあっさり退職し、貧乏になる。
退職したはいいがお金は無い仲間はいないの無い無いづくし。
そんなある日、本屋さんで立ち読みをしていたらNPO法人という
言葉が目に飛び込んできた。
それから出会う人出会う人が協力者となってくれて法人が設立
された。まさしく「シンクロニシティ」
座右の銘は「花には水を人には愛を」「失意泰然得意淡然」
派遣社員のかたわら「こころの郷」の活動をしている私です。
休日のその日は、朝から掃除ばかりしていました。
特に汚れているという訳でもないのに掃除機をかけ、拭き掃除をし、トイレ掃除、お風呂掃除、そしてガスレンジの掃除。
もう意思の力で掃除を止めることができなくなっていて、そんな自分がただ可笑しい。
掃除をしている時は何も考えていないし、ただ、ひたすら無心になって掃除をするだけ。
ふっと、森田療法という言葉が浮かんできました。
森田療法は神経症の専門療法であり、神経症とは、不安神経症、強迫神経症(対人恐怖症、不潔恐怖症など)などで、例えば、ある日混雑している電車に乗って動悸がしたとすると、次に電車に乗るとき、同じような動悸が起こるのではないかと不安になり電車に乗れなくなるとか。そしてその症状を取り除こうとするが、症状を取り除くことが出来ない自分に意識が集中してしまい、益々症状に過敏に反応し、悪循環に陥ることになります。
森田療法は、症状を治療するのではなく、不安をあるがままにし認め、行動を変えていくようにします。そして人間が本来持っている「純な心」を育成します。
入院療法のカリキュラムの過程に軽い作業療法(庭掃除、部屋の掃除、食事の仕度など)があります。無心になって作業をすることで、囚われから解放され、あるがままの自分を認めることができるようになります。
創始者の森田正馬氏は、これらの症状の背景には「死の恐怖」と「生の欲望」があるとおっしゃっています。
私自身、神経症の方のお話を伺っていると、自分まで神経症になってしまいそうになります。
私にとっての「掃除」は本来の自分を取り戻す手段だったのです。
自宅から会社まで約30分の距離を毎朝歩いて通っている。
それは、私のお気に入りの散歩コース。
北1条通りを東に向かって歩いていくと、美術館の木々が見えてくる。
美術館の横の歩道で立ち止まり、大きな木に向かって「短い祈り」を唱える。
そこに佇む木々は、私を優しく包んでくれる。
そして、信号を渡ると知事公館。そこには絵の風景になりそうな美しい小道が望める。
角にある交番では、時々若い女性の警官が警備をしていて、挨拶をしてくれる。
その角を曲がった頃から、私の頭の中は思索の旅に入る。
人通りの少ない北2条通りは、思索をするのにとてもいい。
植物園の蒸せた草の香りやラベンダーの香りで、思索の旅は終わり、現実に引き戻される。
そして、最後は道庁の難関を通り抜ける。
なぜに難関かというと、道庁に向かってくる職員の方々は歩道を埋め尽くして、こちらに向かってくる。まるでオリンピック開会式の行進のように誰一人列を乱さない。
その人々の波をかき分けて、私は前に進まないといけない。
これがたいへん。
ある日、ふと気がついた。
「そうだ、待てばいいんだ!」
そう、信号が赤になった時に、その行進は止まり、列がきれる。
その時に、私が進めばいいんだ。
問題が発生したとき、いろんな方策を試してみても八方塞のときがあるが、そのような時は、少し待ってみるのもいいかもしれない。
無理に進もうとすると疲弊し、身も心もボロボロになってしまう。
待てばいいんだと気がついた翌日からは、不思議なことに、行進に遭遇することがなくなった。なぜか、その歩道を進む時は赤信号で行進がきれている。
これが開き直り、腹が据わるということか。
人生、開き直りが必要だ!
笑いには免疫力を高める効果があるらしく、新聞に「笑い療法士」という記事が掲載されていたが、私には「笑い療法士」は必要ない。
だって、マイケルがいるもの。
まぬけでおしゃまなマイケルという猫が登場する漫画にちなんで、私は密かに彼女のことを「マイケル」と命名したのである。
マイケル「あっ、書類を送るの忘れてた~、ごめん、速達で書類送って~」
私「あらら、たいへんね。ワハハ」
私「手続するのに書類が足りないんですけど…」
マイケル「あら、事前に調べなかったわ」
私「困ったものね、ワハハ」
マイケル「数字が合わない、どうしよう」
私「どれどれみてあげるよ、ワハハ」
毎日がこんな調子。でも、一歩間違えば・・・・
マイケル「あっ、書類を送るの忘れてた~、ごめん、速達で送って~」
私「え~自分のミスなのになんで私が送るの!」
マイケル「あら、事前にしらべなかったわ」
私「ちゃんと事前に調べるのが当たり前でしょ。きちんと仕事をしてよ!」
マイケル「数字が合わない、どうしよう」
私「だから言ったじゃない、その方法で本当にいいのって!」
一歩間違えば、こんな風に毎日が怒りの日々となってしまう。
自分の感情がマイナスのスパイラルに落ちていってしまうか、それともプラスのスパイラルに昇っていくかは、その問題が発生したときの心の受け止め方次第かもしれない。
この受け止め方を変えていく心理療法を認知行動療法という。
子どもの時から培われてきた認知(受け止め方)を変えるわけだから、そう簡単にはいかない。認知は習慣化されている。
それで、認知行動療法は、認知を変えるためにトレーニングをすることになる。
毎日怒りの日々で、そんなに笑えないわよ!という方も、よろしければお試しあれ。
「笑う角には福来る」
笑っているうちに幸せが来ますよ!
企業年金の運用は、ほとんどが株式か債券で運用している。最近はリート(不動産投資)のようなオルタナティブ(代替)運用をする企業もあるが。
いきなり固い話になってしまったが、銀行に務めていた時代、年金業務を担当したことがある。
企業は年度初めに年金の運用スタイルを決める。株式比率が高いと積極運用、債券比率が高いと安定運用となる。
当初設定した運用スタイルの比率通りに運用するが、相場によって株式や債券の価格は変動するため、株式と債券の保有比率がぶれる場合がある。その場合は一度もとの比率に戻すために売買をして調整をする。これをリバランスと言う。
この一ヶ月、私はある事に力を注いで活動をしてきたが、なんだか最近疲れてきた。
うまくいかないことを、自分の力不足と思っていた。
二日前に、『リバランス』という言葉が急に頭に浮かんできて、「バランスがぶれている」ということに気がついた。
現在、力を入れている方向は、私の生き方のスタイル(私が私らしくいられる)とは違うこと、なので、無理があるということ。
決して力不足なのでは無く、力を入れる方向や力の入れ方が、ぶれていたんだ。
「リバランス」をするために必要なことは、頭を空っぽにすること。
人それぞれ、空っぽにする方法はあると思うけど、私は料理をしたり、ぼ~とテレビを見たり、好きな音楽を聴いたり、映画を観たり、と一人になる時間が「リバランス」。
カウンセリングや心理療法は特別な人が受けるのでは無く、「リバランス」の方法の一つと思って、気軽に受けるようになったら、幸せな人がたくさん増えるのに、と思ったりする。
そんなことで、この二日間は「リバランスディ」。
皆さんも、時には「リバランス」をしてみたらいいですよ。
東京で看板が落下し女性がケガをする事件が記憶に新しい。
テレビのニュースでその原因を探っていたが、それぞれの言い分は次のようなもの。
お店:今まで点検したことは無い、ビルの所有者:管理会社に任せていた、管理会社:看板は管理業務の範囲外、と。
最終的にニュース番組では、ある一定の大きさ以下の看板の法律での規制が無いというところに落ち着いていた。
なんか変だぞ。
会社では、コピー機が壊れたら壊れっぱなし、用紙が無くなったら補充しない、電話はたらい回し、自分のことしか考えていない。
なんか変だぞ。
ゲシュタルト心理学で「群化の法則」というものがある。例えば、
○ ○ ● ● ○ ○ ● ● ○ ○ ● ●
↑これは、ひとつひとつは白丸と黒丸とそれぞれ独立した丸だけど、このように並ぶと、白丸同士、黒丸同士が仲間のように見える。また、
【 】 【 】 【 】 【 】 【 】 【 】
↑これも、それぞれ独立した括弧だけど、このように並ぶと閉じられた括弧がひとつの仲間のように見える。
ひとつひとつは独立して存在しているが、どこに並ぶか、どの色になるか、どの向きになるか、によって全体に与える影響は変わってくる。先程の丸も、
○ ○ ○ ● ○ ○ ○ ● ○ ○ ○ ●
となると丸の数は同じであっても異なったイメージを受ける。
そう考えると、自分の存在は、誰かに影響を及ぼしているということになる。
自分がその人と関わらないから影響がないとは言えない。全体的に観ると、どこかで誰かに影響を与えているし、また、どこかで誰かの影響を受けているということになる。
社会全体で観ると自分が白丸になるか黒丸になるかは、自分一人だけの問題ではなくなる。
私一人くらい…という私一人が変わることによって、やがては社会が変革していく。
今の社会を嘆く前に、まず自分に出来ることから始めよう。
大海も一滴の水から始まった。
なにげにテレビをつけたら、藤田まこと主演の「はぐれ刑事純情派」が放映されていた。
結構、こういうドラマにハマッテしまう私。
ある事件を追っていた若手刑事に、藤田まことがひと言。
「手がかりというものは目に見えたものだけではないんだ。音や匂いもあるんだ」と語っていたのを聞いて、本当にその通りだなぁと思った。
その若手刑事は、手がかりとなる女性の人相や持っていたものを一生懸命に思い出そうとするが思い出せずに苦しんでいたのである。
そして、若手刑事は「あっ、そういえば消毒の匂いがした!」と新たな手がかりを思い出し犯人を見つけ出し番組は終わった。
ゲシュタルト心理学という心理学の分野がある。ゲシュタルトとはドイツ語で、日本語にすると形態と訳すらしい。全体性を持ったまとまりのある構造のことをゲシュタルトと呼び、ゲシュタルト心理学の基本的な考え方は、人間の精神は部分や要素の集合ではなく、全体性や構造こそ重要視されるべきというもの。なんだか、難しい表現だけど、子どもの時に遊んだパラパラ絵(一枚一枚の紙に絵を書き、その紙を重ねてパラパラとめくっていくとその絵が動いているように見えるもの)を思い出すとわかりやすい。
また、メロディもそう。ひとつひとつの単純な音をつなぎ合わせると美しい旋律となる。
人は問題が起こると、その出来事のみを考えがちである。そして、若手刑事のように悶々と考えて考えて、どんなに考えても糸口がつかめない。例えば、子どもの問題行動。案外、それは子どもの問題ではなく家族の問題(夫婦関係の問題や嫁姑の問題など)であったりすることがある。
そういえば、「木を見て森を見ず」ってことわざがあったけ。
なかなか解決できない問題があったときは一歩さがって「ながめてみる」と何か新たな発見があるかもしれない、なんて思いながらテレビを見ていた私。
「次は西11丁目~西11丁目~」
会社帰りの地下鉄の中は仕事に疲れたサラリーマンが多い。
「間もなく宮の沢行きが発車しま~す」
そのアナウンスが流れた瞬間、席に座っていたサラリーマンが慌てて出口に駆け出していった。その瞬間、「荷物忘れているよ」と茶髪の若者が呼びとめた。サラリーマンは荷物を取り、お礼を言う暇もなくホームに飛び出していった。
最近の若者は自分のことしか考えないとよく言われるが、この茶髪の若者のように優しさや思いやりを持った若者もたくさんいる。イタリア人は陽気だとか、フランス人はお洒落だとか、ある集団の一般的なイメージを社会心理学ではステレオタイプと言うが、社会やマスコミはステレオタイプで人々を判断することが多い。しかし私はその人の本質を見つめたい。
最近私の周りでは環境問題に関心を持つ若者が多い。「このままじゃ地球が危ない、私達にできることをしなくっちゃ」都会に星空を蘇らせる星空プロジェクト、森林を守るために割り箸を使わないMy箸運動など、環境問題に取組むことが彼らの社会での達成感に繋がるのだろうなぁと思ったりする。
カール・ユングという心理学者は「人生の正午」という論文の中で、人生を太陽の運行になぞらえて、人生の前半で大切にするものと人生の後半で大切にするものとが変わると論じている。
東から昇った太陽に向かって私達は歩んでいる。太陽に向かっているため自分の影は自分の後側にできるから自分から影は見えない。それが人生の前半であって、夢や希望に向かって歩み社会での地位や社会での達成感が大切となる。やがて太陽は頭上を通過しながら背後に移行するため自分の影は自分の前にできる。これが人生の後半であって、人生の後半では自分の影と向き合い、自分の内側の声を聴きながら個性化、自己実現のプロセスを歩むことになる。
個性化とは失っていた自分を取り戻し自分らしく生きることである。この生き方や価値観の転換期が、人生でいえば40歳前後の時期であると言われている。40歳前後??
この年齢もステレオタイプでイメージした年齢なのだろう。生まれながらに自分らしく生きている人もいる半面、亡くなる直前に本当の人生を生きることが出来る人もいる。地球の緯度によって太陽の高さが異なるように、人それぞれ人生の位置が異なり人生の正午の時期も異なると私は思っている。
人生の後半では朝にプログラムした通りに過ごすことができなくなる。今まで気にならなかったことが気になるようになったとか、いつも上手くいっていたのに上手くいかなくなったとか、急に病気になったとか、何か変化が訪れた時は案外人生の正午の時かもしれない。それは自己実現のプロセスへの扉を開いた瞬間でありチャンスの時でもある。そんなふうに考えると、人生の危機といわれていることも本当の自分を生きるための転換期であって、その後歩む人生を想像するとワクワクしてくるのは私だけではないはず。
人生の前半と後半、一粒で二度美味しい、そんな人生って嬉しいものですよね。