以前、私はハンディのある子に携わる仕事をしていました。
思えば、小学校高学年の頃、家に届いた郵便物を何気なく見ると
それは、一番下の弟が近隣の通級学級に通うとの通知だったのです。
直接母親には尋ねなかったけれど、
(尋ねちゃいけないと、子どもながらに感じていたのかもしれません。)
徐々に気付き始めました。弟の吃音に。
まだ就学前の小さい弟だったゆえ、そんな問題があろうとも
姉としては大した気にならなかったのですが、
一番気になっていたのが、母親の悩み戸惑う姿。
今思えば、あの時の母は弟のハンディについての受容をしていたのでしょう。
そんな母の姿を見ていたからか、私は物心ついた頃から
将来の自分の夢に「福祉」というキーワードを抱えてきました。
そして、馬鹿真面目だった私は、その後も変更することもなく、
夢に向かって一直線。そして仕事に就いたという訳です。
なりたかったものになれたのだから、
大変なことはもちろんたくさんあったけれど、
仕事は充実していて楽しいものでした。
しかし実際に働いてみて、意外だったことがありました。
知り合った人たちから、私の仕事を聞いて掛けてくる「えらいね」の言葉。
「何のお仕事ですか?」
私「ハンディのある人たちと関わる仕事です」
「えらいね」
ん?えらいって・・・?
20代前半。
若かりし頃の私は、その言葉に何度となく怒りまくったものです。
ハンディのある人たちと関わることは、えらいのか!?
当たり前のことじゃないのか?
差別じゃないのか?
バリアフリーなんて言葉が盛んに出てきた頃でもあり
「まだまだ心のバリアは解けないんだなぁ」とも思っていました。
私は自分の経験から、ハンディのある人たちやその家族の
お手伝いをしたいだけなの。
少しコツが必要なこともあるけれど、人付き合いには変わらないの。
自分のやりたいことを仕事として持てた私は、
「えらい」じゃない、「幸せ」なの。
相手の言葉を真っ向から否定はしなかったものの、
何度も何度も心の中で叫んでは、障がいのある人々に対する
社会の見る目に悲しんだものでした。
今でこそ、ほんの少し私も考え方が大人になったのか、
「えらい」という人にとっても、これまでの生き方や感じ方があったり
時代背景があったりしているからこそ出てくる言葉だと
思えるようになりました。
だからこそ私たちが、一歩ずつ社会を変えていく必要があるのだと
前向きに捉えられるようにもなりました。
とはいえ、今でももちろん想いは変わりません。
ハンディのある人たちとの仕事は「えらい」仕事ではないのです。
「素敵な」仕事なのです。
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