ただ今30歳。8年間、ハンディのある子ども達に関わる仕事をしていましたが、夫(のびた)の夢を叶えるため退職。英語オタクの夫にくっつき、9月からはニューヨークで生活します。現在はムショク(無職・夢職・無色)を堪能しながら、この先の家族の幸せや自分の幸せについて再考中。
自然が好き、子どもが好き、手作りが好き、お酒とお喋りが好き。自身のタイプでいえば、情に流されやすい野心家。いつか環境と手作りが一体化したようなお店を持ち、ハンディのある人たちを雇うことが今のところの野望。(まだ先だけれどね。)「動けば変わる」「すべてはやるかやらないか」をキーワードに生きています。
相方のびたの次なる進学が決まった。
次の行く先はミシガン州。五大湖のあたり。
気候も雪の少ない札幌のような感じ。
田舎の方が好きな私にとっては、そっちの方が合うと信じてる。
だけれども。
それはイコール、NYを離れることになる。
好きではない都会、NY自体から離れたいのは山々だけれど、
今となっては友達がたくさんできたからやっぱり寂しい。
振り返ると渡米してからの7ヶ月間。
色々なことに悪戦苦闘していたけれども、楽しかった。
苦手な英語も、毎日一喜一憂しながら、
少しずつ力を付けていったのも事実。
今日、韓国人の友人とお喋りをしてきた。
思えば、彼女と最初はこんな風に英語でやり取りなんかできなかった。
私。のびこ。
明るい性格だけれども、最初だけは人見知りをしてしまう。
しかも小心者。おまけに英語が苦手。
だから日本語を話せる人以外とやり取りをしていると
うっすら壁を感じて時折閉口してしまっていた最初の頃。
でも今は違う。
アジアから来た人の英語なら、少しは理解できる。
話し合って分かり合える。楽しめる。
そんな自信がかすかにだけれど付いた。
私はもっともっと色んな人たちと繋がり合いたい。
次のステップはもうすぐです。
(あ!でもその前に!!
一時帰国の2ヶ月間は日本でバイトして稼がなくっちゃ!笑。)
春なので(笑)、今日は少し軽めな話題です。
先月。実を言うと、なかなかタチの悪い風邪を引いていました。
アメリカの病院は日本と違い、
普通の風邪くらいでは診てくれません。
あくまで「緊急の場合」に行くものなのだそうで、
こちらの人も風邪で病院へ行くことはほとんどないそうです。
そんな訳で、私も日本から持ってきた市販の薬と、
よく言う昔からの知恵(お婆ちゃんの知恵ってヤツですね。)で治していました。
病院の薬で治していない分、治るのも遅かったですし、
イコール、主婦仕事も放棄して過ごしていたのです。
そんな中、有り難かったのはやはり相方のびたの存在。
久々のびたの作る味噌汁を飲み、お粥をすすっていました。
こういう時に改めて感じる、一人ではない心強さ。
元気になってしまった今、
うっかり忘れてしまうことも度々あるのですが、
感謝の心を忘れてはいけないなぁ〜という気持ちです。
久々相方のご飯を食べ、
そしてその後、偶然にも我が家の料理を
手伝うことになった男の子の友達を見ていて・・・ふと、
「料理ができる男性って、いいかも♪」
と思っちゃった訳です。笑。
もちろん女性の母性本能をくすぐるのは、
「料理なんて全くできないんだよね〜」
という男性の方なのかもしれませんが、
たとえ料理が万能にできなかったとしても、
お味噌汁など、ちょっとしたものを作れたり
包丁使いが人並みにできていたり
ある程度の食材や調理器具の使い方を知っていたり
そういうことがサラリとできる男性は
女性の目からして決して悪いものではないなぁと思うのです。
先日行われたパーティ。
私はいつものごとく、日本食をたくさん作って行きましたが
パーティの主催者の彼もまた
たこ焼きをみんなに振る舞ってくれました。
思い出せば、その彼。
以前行った七面鳥パーティでも
誰も知らなかった「タイ米」をサラリと炊いてくれたのです。
女性の社会進出が当たり前になってきている今の世の中。
私も以前は男性並に、いや時には男性以上に働いていました。
仕事は男性と肩を並べて働いても、体力だけはやはり女性。
案の定、毎日ぐったり疲れて帰っていました。
そんな過去を振り返っても、料理のできる男性は
やはり得点が高いですね。
「料理男子」これからますます増えたらいいな。あはは。
アメリカで暮らすようになって知ったことはたくさんあるけれども、
宗教についてもその中の一つ。
特にNYは「人種のるつぼ」と言われている場所だから
人種の多様さと同じように宗教も様々あるのだとか。
宗教違えば、食べ物や習慣なども様々。
多くの日本人も知っているイスラム教の人は
豚肉を食べてはいけないし
キリスト教の宗派によっても、
金曜日は肉を食べてはいけない日なのだとか。
そうなると、宗教の違いによる課題や問題がもちろん出てくる。
私の住む留学生の寮で定期的に行われる「お食事会」では
「ベジタリアン」or「ノンベジタリアン」と食事を選べるのだが
それはベジタリアンの人のためだけではなく、
宗教によって異なる要望を汲み取っていくためでもあると思っている。
こんなこともあった。
クリスマス・・・日本ではごく当たり前に祝っているイベントだけれども、
あれは本来キリスト教のお祝いであり、
つまり実はユダヤ教の人には関係ないのである。
私の日本人の友人にユダヤ教に改宗した女性がいるが、
「みんな簡単にメリークリスマスと言う。でもそれは宗教上関係ない私たちにとっては悲しいのよ。」
とガッカリした表情を見せていた。
そんな宗教上の問題があって、近頃のNYでは
クリスマスシーズンに「メリークリスマス」ではなく
「ハッピーホリデー」と言い合うようになっている。
しかしながら、慣れない私のような日本人も含め、
クリスマスになるとついつい「メリークリスマス」
と言ってしまいそうになるのも事実・・・。汗。
他にもこの前の「セントパトリックデー」という名前の
アメリカの祝日。
そんな日本人の彼女から、「St. Patrick's day!」と
祝日を祝うメッセージが届いた。
しかしまた翌週の「イースター」のお祝いでは
私がメッセージを送ると「ユダヤは違うのよ」と言う。
・・・「St.〜」がつくけれど、この祝日は一緒に祝えるのね。
・・・でも「イースター」は違うのね。
宗教について何ら関心を持たないまま生きてきて、
信仰心を持つような環境で育ってきた訳でもない私にとっては
ユダヤ教だけでも難しいことだらけ。
でも正直なところ、
大変なことも多いけれど、嫌な気分ではない。
むしろ興味深く感心させられる。
ユダヤ教に改宗した彼女。
日本人として生まれ、その後ユダヤ教の旦那様と結婚し
そして自らも改宗してユダヤ教徒となった訳だが、
驚くほどユダヤ教に対する誇りを持って生きている。
旦那様を愛するように、旦那様の家系を愛するように
その宗教も心から愛しているのが分かる。
日本では少ない、この背筋を伸ばして胸を張って
毅然と宗教を愛する感覚。
今までの私はどちらかというと、
信仰心というものを堅苦しくて面倒くさいと感じ
宗教を鬱陶しいものとして見ていたように思う。
もちろん今の私にとって宗教はすぐには必要ないと思うけれども
宗教を想う心は素敵なことだと思うようになったのです。
最近、ますますNYでの生活が楽しくなってきています。
何故って・・・?
英語の力が付いてきているから?
友達がたくさんできたから?
色々と細かな理由ももちろんあるのだけれど
「これ!」って言える一番の理由があるのです。
それは、主婦の仲間がたくさんできたから。
私の通う英語の学校。
私は午前のクラスに通っている。
何故か日本人が多い。そして主婦が多い。
その主婦仲間の力がすごいのだ。
こちらで暮らす主婦。
旦那さんの仕事のためだったり
我が家のように留学のためだったり
そういう理由で来ている人が多い。
なので、ビザの関係上、私たち主婦は働けない。
すると、専業主婦であるゆえ、
「如何に、こちらの生活を楽しく快適に過ごせるか!?」
が大事な仕事になってくる。
とはいえ、NYはお金をたくさん出せば、それなりに快適に過ごせる場所。
日本食のレストランもたくさんあるし、日本食だってお金を出せば手に入らないものはないと言っても過言ではない。
しかし、我が家のように旦那が留学で来た家庭は、お金もない。
仕事でこちらに来ている家庭だって、
大活躍しているNYヤンキース、ゴジラ松井ではないのだから
自由に使えるお金がたくさんあるわけではないだろう。
だから、「お金がないなら脳みそを使え」ではないけれども
お金をかけずに楽しく快適に暮らす方法を日々模索している。
そしてその主婦が3人集うならば、その主婦のパワーは3倍ではなく、
何十倍にもなって力を発揮していくのです。
「3人集まれば文殊の知恵」とはこのことを言うのでしょう。
NYに来て、主婦同士の話で、
魚なんて生で食べることが皆無だった我が家も
安くトロを買って食べられるようになった。
道産子には恋しい(?)ウニを安く食べることができる
レストランを教えてもらった。
日本じゃ高くて食べられなかった「キンキ」を安く買って煮付けで食べた。
「バタースカッシュ」「マヒマヒ」など、
日本では見ない野菜や魚の調理方法を教えてもらった。
そしてその主婦の情報は、食べることばかりに限ったことではない。
安くミュージカルやオペラのチケットを手に入れる方法も伝え合うし
最近は「かぎ針編み」の集いが繰り返されていて、
互いに教え合い、ちょっとした「習い事」になっている状態。
マンハッタンでは高い毛糸だって、「ここが安いよ」と誰かが調べては
伝え合い、そして安く毛糸をゲットしてしまう。
主婦の仲間のお陰で、
移り住んで以来、家の事であれ娯楽であれ、
今までできなかったようなことが次々とできるようになってきている。
先日は相方のびたの誕生日。
お金を以前のようにたくさんかけることはできない。
だから知恵をしぼって、ケーキを焼いた。
でも、実は私はお菓子作りが苦手。
でもやはり心強い主婦仲間。
お菓子作り上手な主婦仲間の指導の下、納得の誕生日ケーキが焼けた。
そしてそのお陰でのびたも私も想い出に残る
素敵な誕生日を過ごすことができたのだ。
みんな異国の地で、家族のために生きることで一生懸命。
そしてその中で自分なりの楽しみを見つけて暮らしている。
そんな主婦仲間の姿を見ていると、
たまに「世界を変えるのは、実は主婦の力なのかも・・・」
なんて思ってしまうのです。

アメリカに来てから、お金を拾うことがとっても多くなった。
お出かけすれば必ず拾うと言っても過言でないくらい。
この前なんて、驚く無かれ、
1セント硬貨(「ペニー」と呼ぶ)を4枚。
5セント硬貨(「ニッケル」と呼ぶ)を1枚。
計9セントを持ち帰ってきた。
しかも、いっぺんに拾ったのではなく
全て1日のお出かけの中で、それぞれ見つけたのだ。
見つける場所も道に限ったことではなく、
住まいの中に設置されている共同ランドリーでも、
その辺のお店の中でも、かれこれ数回はペニーを拾っている。
日本にいた時はこんなに拾うことなんてなかったのに
「何故、NYではこんなにお金を拾うのか。」
・・・その秘密。ある日とんでもない場面に遭遇して気付く。
のびたと二人、某有名コーヒーショップで休憩していた時のこと。
目の前にいた若い女性が支払い中。
彼女がお財布の中を探っているうちに、
コロリとこぼれ落ちた、一枚のペニー。
彼女もフッと下を見て確認したようだけれども、
支払いが終わると、コーヒー片手に友人の元へ。
あれ?拾わないの?
そう。そうなのです。
皆さん、ペニーは落ちても拾わない。
自分の財布から落ちたお金ですら拾わないのだから、
道に落ちているペニーを拾う人なんて、
きっとほとんどいない。
「ペニーはお金と思わない人が多い」
「お店でペニーを出すと嫌がられる」
という話を聞いたことがあるけれども・・・納得。
この前はお店の前で、手の平の硬貨の中から
ペニーだけをあえて道に落としている
(きっとその人にとっては捨てている)人も見かけてしまった。
ペニーを捨てていく環境がある・・・
そのお陰で街中のホームレスの人たちは助かっているらしいのだけれども、
「1円を大事にしないものは、1円に泣く」
そんな風に育てられてきた日本人にとっては
ビックリ仰天もいいところ。
昔々見た、CMかパンフレットだったか・・・
6円あれば、発展途上国では
そこに住む子どもたちのワクチン一人分になったはず。
お金を落としても何とも思わない人々に
落としたお金が有り難い人々に
そのほんの少しのお金で命が助けられる人々。
そして拾わずにはいられない私たち。
複雑な心境です。
以前、コラムに書いた
「今に見ておれ。ふん!」な彼女。
私のライバルだった、あのメキシコ人の彼女。
実は驚くほど早く、彼女とのお別れがきてしまいました。
聞けば彼女、コロンビア大学の学生だったのですが
いわゆる「研修」で短期留学してやって来たのだそうです。
その研修期間。たったのヒト学期。
学期が終了し・・・そして、年末帰ってしまったのです。
実は彼女と私、同じ住まい(留学生を対象とした寮)に住んでいました。
いつもは見かける度に「いつ見返してやろうか」と
鼻息荒くしていた訳ですが、
彼女が離れるという数日前、偶然にも食堂で会い
彼女とのびたと私と、3人で一緒にランチをすることになったのです。
何を話せばいいものやら・・・という私の想いとは裏腹に
メキシコ人の彼女は国柄もあってか、陽気でお話上手。
英語を一緒に学んでいる仲間とは思えないほど、
英語の達者なのびたと英語で喋り渡っていました。
一緒に過ごした英語クラスのことを振り返り、
「英語がもっと上手になりたい」という話になると、
「せっかく旦那さんがこんなに英語を喋れるのだから
もっと旦那さんと英語で喋るべきよ!」
「旦那さんを使って、ぜひ英語を学んだらいいわよ!」
と彼女。
さてまた途中、何度か二人の会話が聞き取れなくなっていた私に
(やはり私のリスニング能力はまだまだです。苦笑。)
にっこり笑って「頑張って!」
と彼女。
そんな彼女の様子はというと、
明るく振る舞い、本当に心から何の嫌味もなく・・・。
実はいいヤツだったのかも。
あの時の「こいつめ!」と彼女に対して思った私。
私こそがあの時、心に鎧を着けて周りを見ていたのかもしれません。
最後、席を離れる際、
「じゃあ、最後だものね」と彼女からハグされました。
あったかさを感じる中、ふんわりと彼女の香水の香りが
私の鼻をくすぐります。
女同士なのに、何だかドキッとしちゃうのと共に
何となく切ない気持ちになりました。
彼女の良さを感じ始めた時には、
彼女はもういません。
そして、きっと一生会うことはないでしょう。
それが「留学生」の(私は留学生の妻なのだけれど。汗。)性なのですね。
「一期一会」
改めて噛みしめた言葉です。
とっても遅くなりましたが、
あけましておめでとうございます。
私にとっては、生まれて初めて実家以外での年越しをしました。
よく聞く話ではありますが、「親の有難さ」ってのは
離れてみると分かるものですね。
アメリカで「年越し」というイベントは
「クリスマス」ほど重要なものではないので、
「クリスマス」は家族と密着して過ごしても、
「年越し」となると、あのテレビで目にする
タイムズスクエアのカウントダウンの映像のように、
友達とわいわい盛り上がって過ごすことが定番のようです。
私たちも今年、日本人の友達と楽しく過ごす年越しをしましたが、
やはり何処に住もうとも心が日本人である我々。
おせち料理まで立派なものを作らないまでも、
何かしら正月を感じる物を食べたくなるものです。
なので作りました。「うま煮」。
お恥ずかしながら、私の人生上初めてとなる「うま煮」です。
親に任せっきりの煮物。作り方はもちろん知りません。
ネットであちこち検索し、苦労しながら作りました。
そんな中思い出されるのは、
実家の母が毎年作ってくれた「うま煮」に対して
「しいたけは嫌い」だの「にんじんが大きすぎる」だの
生意気なことを言っていたことです。
・・・色々手間をかけて、材料を揃えて作ってくれたんだよな。
文句を言っていた自分を反省し、
作ってくれたことに改めて感謝したのは言うまでもありません。
そんなことを考えながら出来上がった「うま煮」。
自分で言うのもこれまたおかしな話ですが、上手にできました。
(苦労の分だけ美味しく感じられたのかもしれません。笑。)
「明日の年越し。みんなで食べよう♪」
ほくほくした気分で、「うま煮」作りを終了しました。
そして翌日。
楽しい年越しパーティの始まりです。
手巻き寿司の準備もできたし、お酒もある。
さあ、「うま煮」の出番です。
ちょっと火にかけて温め、お玉ですくい器に盛ります。
たら〜ん。
ん・・・?
3回繰り返した時、全てが分かりました。
私、「うま煮」腐らせました。
苦労して作った「うま煮」、本番を迎えずして腐りました。
そうです。ここはNY。
北海道とは違います。
暖房設備は、「凍死を無くす」という市の決まりで
ボロの我が家であれども素晴らしくあったかいのです。
真冬でも半袖&半ズボンでいられるほどです。
時には暑すぎて窓を開けなくてはいけなくなるくらいです。
つまり・・・、
冷蔵庫に入れず、そんなあったかい場所に置いておけば、
腐るのも当然です。
がっかり・・。
後日、お義母さんに話すと、
「煮物は腐りやすいから、冷蔵庫にいれなさい」とご指導が。とほほ。
主婦3年目。未熟者。
まだまだ修行が必要です。
今年は主婦業、頑張ろう。
この前、のびたの学校の先生からお誘いがあった。
「CARNEGIE HALL」で有名なフォークシンガーが
オーケストラをバックにして歌うコンサートがあるのだそうだ。
そのフォークシンガーのことも
なぜオーケストラをバックにして唄うのかということも
いまいち分からなかった私たちだけれど、
のびたいわく、「CARNEGIE HALL」ってところは
伝統的なホールで有名な場所らしい。
せっかくの機会なので、お誘いにのることにした。
とはいえ、緊張していた私。
だって、のびたの学校の先生からのお誘いだもの
失礼があっては困る。
英語だって上手に喋れないし・・・。
当日。どきどきしながら、待ち合わせ場所へ。
ちょっと素敵な感じのcafeで
のびたの先生、ウィリアムズ先生に会う。
話をするたびに、私と目を合わせてニッコリ笑う、その先生。
英語が話せない私のことを気遣っているのがよく分かる。
話す英語も、私に分かるようなやさしい英語が多い。
のびたと学業についての専門的な話になっても、
必ず私も巻き込んで話をしようとしている。
注文する時だって、私たちが決まる様子を
静かにプレッシャーを与えずに待ってくれている。
これが「ジェントルマン」と思わずにいられない。
ガチガチだった私の心も、ほろほろと解けていく。
そして、支払いもかっこいい。
無職の私たちにお金は一切払わせない。
でも、「おごるね」とも絶対に言わない。
トイレに立った隙に、いつの間にか支払いを終わらせておく。
(とはいえ、その辺をかなり気にして観察するのが日本人!?
・・・すぐに「今払うんだ!」って気づいたのですが。笑。)
いくらかかったのかを相手に知らせない、その粋な心遣い。
さすが、ジェントルマン。
待ち合わせを兼ねた、たった1時間半過ごしたカフェの時間だけで
私はすっかりウィリアムズ先生の虜になったのでした。笑。
そしてその後。
メインイベントとなるコンサート。
ホールの立派さはもちろんのこと、演奏も唄も、本当に素晴らしいものでした。
ちなみに、オーケストラの最初に演奏した曲は
私が学生時代にもやったことのある楽曲。
(私、生粋の吹奏楽部員でした。)
そんなわけで、私は懐かしさまで味わっちゃった次第。
懐かしい音楽と先生の柔らかな会話のお陰で
私がさっきまで感じていた緊張はどこへやら・・・。
途中の休憩に交わす、先生とも会話も楽しく
すごく良い時間を過ごせたのでした。
こんなにも、人に緊張感を与えない
温和で楽しい、粋な人もいるのですね。
本当に本当に素敵な人に出会いました。
相手への気遣いや言葉遣い、おごり方・・・
私たち自身も見習わなくちゃなぁ〜と思うのでした。
今度は先生から頂いた「あったかい気持ち」を
私たちから誰かにプレゼントしていこうと思ってやみません。
これぞ「ペイフォワード(Pay it forward)」の世界です。
・・・世界を変えることできるかな。

以前、私はハンディのある子に携わる仕事をしていました。
思えば、小学校高学年の頃、家に届いた郵便物を何気なく見ると
それは、一番下の弟が近隣の通級学級に通うとの通知だったのです。
直接母親には尋ねなかったけれど、
(尋ねちゃいけないと、子どもながらに感じていたのかもしれません。)
徐々に気付き始めました。弟の吃音に。
まだ就学前の小さい弟だったゆえ、そんな問題があろうとも
姉としては大した気にならなかったのですが、
一番気になっていたのが、母親の悩み戸惑う姿。
今思えば、あの時の母は弟のハンディについての受容をしていたのでしょう。
そんな母の姿を見ていたからか、私は物心ついた頃から
将来の自分の夢に「福祉」というキーワードを抱えてきました。
そして、馬鹿真面目だった私は、その後も変更することもなく、
夢に向かって一直線。そして仕事に就いたという訳です。
なりたかったものになれたのだから、
大変なことはもちろんたくさんあったけれど、
仕事は充実していて楽しいものでした。
しかし実際に働いてみて、意外だったことがありました。
知り合った人たちから、私の仕事を聞いて掛けてくる「えらいね」の言葉。
「何のお仕事ですか?」
私「ハンディのある人たちと関わる仕事です」
「えらいね」
ん?えらいって・・・?
20代前半。
若かりし頃の私は、その言葉に何度となく怒りまくったものです。
ハンディのある人たちと関わることは、えらいのか!?
当たり前のことじゃないのか?
差別じゃないのか?
バリアフリーなんて言葉が盛んに出てきた頃でもあり
「まだまだ心のバリアは解けないんだなぁ」とも思っていました。
私は自分の経験から、ハンディのある人たちやその家族の
お手伝いをしたいだけなの。
少しコツが必要なこともあるけれど、人付き合いには変わらないの。
自分のやりたいことを仕事として持てた私は、
「えらい」じゃない、「幸せ」なの。
相手の言葉を真っ向から否定はしなかったものの、
何度も何度も心の中で叫んでは、障がいのある人々に対する
社会の見る目に悲しんだものでした。
今でこそ、ほんの少し私も考え方が大人になったのか、
「えらい」という人にとっても、これまでの生き方や感じ方があったり
時代背景があったりしているからこそ出てくる言葉だと
思えるようになりました。
だからこそ私たちが、一歩ずつ社会を変えていく必要があるのだと
前向きに捉えられるようにもなりました。
とはいえ、今でももちろん想いは変わりません。
ハンディのある人たちとの仕事は「えらい」仕事ではないのです。
「素敵な」仕事なのです。
前回も書いた英語のスクールですが、
始まってもう1ヶ月ほど経ち、同じクラスの友達とも大分仲良くなりました。
ちなみに、私のいるクラスですが、16名中、半分は日本人。
次に、5名ほどが「ヒスパニック」と呼ばれる、
スペイン語を母国語としている人々。
そして残りが、韓国人、タイ人、中国人などです。
やはり国が違えば、人の感じも変わります。
もちろん個性は人それぞれなので、
一概に「この国の人は、こういう人!」とはなりませんが、
よく聞く「日本人は真面目でおとなしい」に代表されるように
やっぱり地域によって、人の感じが違います。
そして最近私が惹かれるのが、クラスの中でも日本人の次に多い
「ヒスパニック」という人たち。
メキシコや南米の人たちは、本当に明るくて陽気です。
そして、とてつもなくお喋りです。
明るい人は見ていて、やっぱり気持ちが良い。
時にじっくりと答を言おうとする日本人の横で口を挟むので
授業としては「うるさいよ!」なんて思われる場面もありますが、
日本人にはあまり見られない明るさは素敵です。
とはいえ、はっきり物も言う。
それゆえお恥ずかしながら、子どもみたいなのですが、
「くそー!おまえっ!!」と思う敵が現れました。
ヒスパニックの彼女です。
多分誰よりもお喋りの発音・スピード、どちらも共に上手で、
活気もあり知識もあり、授業で活躍することもしばしばです。
だからなのか・・彼女の態度は、
喋れない私たちをバカにしているように思えてならないのです。
授業後、遠くで先生に話しているのが聞こえてきました。
「私とクラスメイトたちとは、英語の話をする技能が釣り合ってない。」と。
ディスカッションをしていても、
「分かってる?あなた?」「もう一回言うわ。」などと、
彼女が意見を主張した後には、さぞ私たちが彼女の意見を
聞き取って理解してないのであろうと思っているような質問をしてきます。
何なんだ!
あのバカにしたような、高いところから見下したような態度!!
・・・あたまにくる★! 怒。
「おまえっ!おまえよりも私の方が、少しは文法できるんだよ!
人の主張をよく聞いていないくせに、自分のことだけ分かれっていうな!」
なので、私負けません。
英語、彼女より上達した暁には、
私から彼女に、彼女がタジタジしちゃうくらいに話し掛けてみせる!
「日本人は確かにおとなしいけれど、意見は熱く秘めているの。
英語に直すのに時間がかかるだけ。待つことだって大事なのよ。」
って、最後に言ってやる!!
今にみておれ。ふん!
英語修行中と前回のコラムで書きましたが、
今、3ヶ月ほどの英語のスクールに通っています。
この英語のスクール。
最初に必ずテストで実力を調べ、受講コースが決められます。
テスト分野は全部で4つ。
Listening (聴くこと)
Spaeking(話すこと)
Writing(書くこと)
Grammar(文法)
私にとっては、質問文が英語である以上、
何をすべきか、何を答えれば良いかも分からぬテストに
「一番、初心者のクラスに違いない。(そっちの方がいい!)」
と思っていました。
ですが、結果は「中級コース」。
ビックリしたのは言う間でもなく・・・。
そして、真っ青になって尋ねてみました。
教えてくれた話。
確かに私は、Listening&Speakingのテストでは
周りと比べても、ダントツで悪かったそうです。
でも、これぞ日本人。
Grammarだけは、むちゃくちゃ良かったとのこと。
だから、トータルスコアでは上のクラスに行かざるを得ないのだとか。
今では単なる酒飲みか〜!?なんて言われることもしばしばありますが、
思い出せば、学生時代、私って人間はバカが付くくらい、
先生の言うことを聞いて、真面目に勉強していたのです。
先生が「ここ覚えなさい」「ここテストに出ますよ」って言えば、
寝る間も惜しんで、血眼で覚えていたのです。
よく言えば、真面目。
悪く言えば、要領が悪い。
とはいえ、こういう姿こそが、典型的な日本人なのかなぁ~と思います。
英語の文法は分かるけれど、単語も知っているけれど、
実際は聞き取れない、喋れない。
・・・これって日本の英語教育の歪みじゃないかしら・・・!? 苦笑。
でもこれからの頑張り次第で、いくらでも取り返せる!
そう信じて前へ進むのみです。
ニューヨークに来て1ヶ月経ちました。
色々な所へ出かけては、色々な人たちと関わっています。
その中で、ご縁があり今「ベビーシッター」をさせてもらっています。
私はもちろん、英語修行中。
英語が喋れないので色々なことに制約が出てきます。(涙)
でも今回有り難いことに、お世話する8歳の彼女は英語が母国語ながらも、
お父さんはポルトガル、お母さんは日本のハーフ。日本語が上手なのです。
お母さんの要望も、「日本語を教えてくれる女性」とのこと。
そんな訳で週に1回、2時間ほど、可愛い彼女と二人で
日本語の宿題をしたりお喋りしたりしています。
彼女と関わるようになって、まず最初に思ったのは
国は違えども、人種が違えども、母国語は違えども、
子どもは子どもなのですね。
8歳、小学校3年生。
日本の3年生女児もアメリカの3年生女児も変わらない!
そんな印象です。
可愛い文房具が好きだし、
自分でオリジナルキャラクターのイラストを描いて見せてくれるし、
勉強に対する集中力の持続具合いも、同じです。笑。
またこの前、オーストラリアから旅行で遊びにきているという男の子と
お喋りする機会がありました。
年齢を聞いたところ、「多分12歳。そう教えてもらった。」というので、
何らかの理由で自分の出生については知らず、
今は一緒に来ていたご年配の女性の「里子」として
暮らしているのではないかと思います。
そんな彼とも、
「日本って、刀を持って歩いている人がいるんでしょう?」
「日本の漫画、知ってるよ。」
「サッカーが好きなんだ。うまいかどうかは分かんないけれどね。」等々
お喋りを楽しみました。
見知らぬ外国人の私たちとの会話、行ったことのない異国の話に
ドキドキ・モジモジしていた彼ですが、
その目は絶えず純粋にキラキラ輝いていました。
どこの国も子どもは変わらぬものなのかもしれませんね。
そう思うとやはり、
世界中の子ども達が、皆笑顔で暮らせるといいなと思って止みません。
先週、旦那のびたの学校にイランの大統領が講演にやってきました。
辺りは色々な主義がぶつかり合い、ポスターが貼られています。
その是非は私には述べられませんが、
何かしらの理由で学齢期後半の子ども達が処刑を待つ事実がイランにはあるようです。
子ども達が、平和に暮らせる世の中。
今の自分にできること。
一体なんなのか?
・・・改めて問いかけました。
皆さんは大人になって、友達と喧嘩したことってありますか?
私はこの前、親友と大きな喧嘩をしました。
私の小学校1年生からの親友、3人組。
小中は部活も含めてずっと一緒でしたが、もちろんのこと進路は様々。
一人は高校から違い、大学では3人それぞれ学校へ進むことになりました。
そして、そんなブランクがありつつも、社会人になってからまた集まるようになった仲の友人です。
友達歴25年。
ブランクを経ても繋がるようになったので、いつしか「腐れ縁」と呼ぶようになりました。
そんな彼女たちと、先日喧嘩しちゃったんです。
この歳になって。
原因は、9月にあったライブのチケットを巡ってのトラブル。
最初に私がカチンときました。
言おうか言わまいか迷いました。
大事な「腐れ縁」です。
喧嘩のせいで、付き合いが途絶えるようなことはしたくありません。
自分がぐぐっと飲み込めば、全ては何事もなく終わるはずです。
もうすぐアメリカにも飛び立つのだから、時間が経てば「時効」となってこの嫌な気持ちがなくなっていくのかもしれません。
でも本当に自分は飲み込みきれるのか?
・・・しつこい性格ゆえ、そんな自信もありません。
また「嫌だ」と思った気持ちを伝えないことが、
友達関係にとって、本当に良いことなのかどうかも疑問に感じます。
しかしながら、カチンときた一連のことには、それなりに理由があって起きていることも分かるのです・・・。
そんなこんな考えていくと、堂々巡りの渦へ入っていきました。
そんな中、読んだ本の一節をふと思い出しました。
「怒っていると言うことは、誰かを傷つけることとは違うんだよ」
かなり迷いつつ、大きな決断をしました。
頑張って、私の怒っている気持ちを伝えようと。
傷つけるためではないことを念頭に置いて、
言葉を慎重に選んで・・・。
結果。
色々な紆余曲折はありましたが、
私の「嫌だな」と思った気持ちは何とか伝えることができたのです。
私自身の反省すべき点も、(全部じゃないのだろうけれど・・・)気づくことができました。
また改めて、友達の良さに気づくこともできました。
今、落ち着いて振り返ってみると、大人になったからなのでしょうか・・・
私は友達の前ではよっぽどのことがないと怒りを表に出さないようにしていたように思います。
笑顔でいるだけが、本当の友達ではない
心から話し合えてこそ、本当の友達なのだ
とても勉強になりました。
ただ一つ、最後に心残りに思ったこと。
今回の喧嘩、全て携帯のメールでやり取りされました。
顔と顔を付き合わせてぶつかれたら、どんなにスッキリしたことだろうか。
互いに結婚していたり仕事が忙しかったり、
生活のペースが異なっている現実ゆえ、直接会って話し合うのは難しく、
携帯のメールに頼らざるを得ませんでした。
でもその分、相手にうまく伝えきれずに、細かなすれ違いがあったのも事実。
日本とニューヨーク。
今は離れてしまっていますが、
これからも大事な親友「腐れ縁」との付き合いは大事にしていくつもりです。
・・・皆さんは友達とざっくばらんに言い合えていますか?
ゆっくり目覚めた今日。
ネットを開いて、友達のブログやニュースを読む。
・・・そうだ、今日は「9.11」の日だ。
私の住む寮の中を歩く。
周りを見渡すと、黒い服を着ている人が多い。
ここはニューヨーク。
今もなお残る、「9.11」の傷跡を感じずにはいられない。
5月のNY旅。
私もグラウンドゼロ・・・「9.11」事件の現場へ行ってきた。
大きく囲われた金網の横には、「9.11」の日の様子が
時間を追って、写真と共に記されていた。
読む人、誰もの顔が強ばっていた。
涙を流している人もいた。
そして金網の奥。
貿易センタービルの跡地には、
今もっと大きなビルが建とうとしている。
新しいビルの建設。
難しい国際的な問題や理由があってのことなのだろう。
でも、これは非常に個人的な思いではあるけれど・・・
大きなビルを建てることより、私たちが大事にしていくことって
もっと他にあるのではないだろうか。
「慰霊を込めて、公園が建てられる案もあったらしいよ」
のびたが教えてくれた。
・・・ずっとずっとそっちの方が良かったな。
とてつもなく大きな工事現場を目の前に、
西表島と大阪を中心に、三線片手に平和を祈り、唄を唄う
「南ぬ風人(ぱいぬかじぴとぅ)まーちゃん」の唄が、私の頭の中を流れていました。
自然の少ない都会だけれど
コンクリートだらけの都会だけれど
心地よい風だけは、ここにも吹いています。

いよいよ始まった、私のニューヨーク生活。
今日は4日目。
部屋の片付けもほぼ終わったし、インターネットも繋がった。
今回暮らし初めて、まず最初に思ったこと。
「思ったよりも、アメリカの皆さんって、優しいかも!」
でも、5月に2週間、遊びに行った時には思わなかったのに
何故、今回はそんな風に感じられるのだろう・・・?
そして気づく。
私が原因なのだ。
私がみんなに心を開いているからなのだ。
前回のニューヨーク旅行の自分は、どちらかというと
失敗しないためには
危なくないためには
そんなことを前提にしながら、2週間楽しむことを「頑張って」いたのだ。
だから、人も物事も全て身構えながら取り組んでいたに違いない。
もちろん、苦手で初めてなニューヨーク。自分の姿勢は身構えて当然だ。
2度目ということ。そして5ヶ月弱の英会話レッスン。
そのお陰なのかどうかは分からないけれど、
4日目、まだ着いて間もないのに、私はとても穏やかに暮らしている。
ここは都会。札幌より大きい都会だけれど、都会は都会。
肌の色、目の色、髪の色、話す言葉
本当に様々な場所でもあるけれど、
その違いさえ飲み込めれば、後は札幌と変わらない。
・・・実は私、今まで外国に対して偏見を抱いていたのかもしれない。
地味に人見知りのするタチな私ではありますが、
できる限り先入観を脱ぎ捨て
心を開いて
色んな人たちと関わっていければいいなと思うのです。
いよいよ渡米が近付いてきました。
ビザの申請や諸々の手続きもしたし、
英語の勉強もしたし(ちっとも上達はしないけれど...)、
しばらく住む間の必要な化粧品も買い込んだし...。
大分準備も出来上がっています。
英語苦手ゆえ、海外生活に恐怖も感じていたけれど、
ここまで来ると、気持ちは前向き。
「人生、何があるか分からないから面白い!」
今はそう信じて進むのみです。
しかし、ただ一つ、心残りなこと。
...父のこと。
私の父、実は病気です。
末期癌。
3年ほど前に見つかった時から、
「治らないから、やれるまで働きなさい」と言われ、ここまでやってきた。
家族が再び力を合わせ、ここまでやってこれた。
父の調べた情報では、3年後の今、生きている可能性は30%。
まだ若い父の年齢を考えれば、
その30%に入れたこと自体が奇蹟だったかもしれない。
父は今も働いている。
旅行に関わる仕事をしているけれども、
香港や台湾から北海道に来るお客さんたちを、
どうやって喜んでもらえるのかを生き甲斐にして頑張っている。
身体の中は、正直なところ、もうどの薬も気休めでしかないそうだ。
もちろん、強い薬を飲むゆえに副作用も出てくる。
身体はむくんでだるいらしい。
毎月の病院で出てくる検査結果も、悪化の一途を辿っている。
それでもやっぱり、父は働いている。
そんな父を見た病院では、「ビックリ人間」として扱われているらしい。
思う。
人間ってのは、科学云々のデータや技術なんかでは計り知れない
未知の力があるのだろうって。
今の父にとっての、科学で計り知れない未知なる力。
...生き甲斐 笑い。
父にとって、きっと仕事が生き甲斐となっているに違いない。
そんな60歳間際になる父は、今でも海外からくるお客さんたちを喜ばせるため、日本の文化「折り紙」を最近になって覚え始めた。
そして海外からのお客さんたちに喜ばれたことを、家に帰って報告する父は
心から笑って喜んでいる。
そんな生き甲斐のある父だから、私はアメリカに飛び立てる。
父なら大丈夫と信じて。
でも...。
信じていても、やっぱり切ない。
私も父に負けずに頑張らなくっちゃ...。
勢いづいて、一生懸命に書いていたコラナビ北海道のコラム。
すっかりこの1ヶ月ほど、手が止まっていました。
(「書きたくても書けない」・・・プロの物書きみたい。笑。)
なぜ、書きたくても筆が(パソコンが)進まなかったのだろう?
...理由が分かったのはつい最近。
巷のブーム、「mixi(ミクシー)」。
知っている方も多いと思います。
やっている方も複数いると思います。
そして私もやっており、表現したり吸収したりしています。
でも最近、嫌な思いをすることが多いのです。
多くの人たちが参加しているマンモスなサイトの一つ「mixi」。
参加する人だって、十人十色。
人の性格も様々ですし、「mixi」をする目的も様々あると思います。
ですが、その中での書き込みを見ていると、
無神経というと語弊があるのでしょうが、
ことばを選ぶならば、相手の気持ちを考えずに発している
ことばが数多くあるように思うのです。
これは、ほんの一例だけれど、
「どうやって勉強したらいいですか?」という投げかけに対して、
多くの人たちは、きちんと誠意を持って答えているように思うけれど、
「こんなところで聞くより、勉強する方がマシじゃない?」
なんて答えもある。
言っている中身は、間違いではないことが多いのですが、
ものは言い方。
同じことを言うにも、もっと優しい言い方があるんじゃないかなぁ、と思うのです。
傍から読む私が悲しくなっているのだから、
投げかけた本人は、もっと悲しい気持ちになっているに違いない。
少なくとも、本人は問題を抱えていたからこそ、尋ねたのだろうから・・・。
現に色んな所で、その辛辣なやり取りゆえ、退会する人もいる。
でも、これって、「mixi」の中に限ったことじゃないのでしょう。
インターネット世界に存在する問題なのだろうと思います。
顔が見えないからって、好き勝手書いていいのかな。
顔が見えないからこそ、ことばを大事に書いていくべきなんじゃないかな。
そんなことを考えると、
書くことに、少しだけ臆病になり億劫になっていた1ヶ月間。
重い筆(ならぬ、パソコン)をようやく持つことができました。
改めて...、自分のことばに責任を持たなくちゃいけませんね。
近頃、私の周りでは「幸せ」ラッシュ。
妹の結婚がほぼ決まり、
続いて私の仲良しの同僚も電撃(に近かった!)入籍し、
そして、二人の友人が妊娠しました。
嬉しいこと。
重なると、さらに嬉しくなるものです。
結婚といえば、思い出す経験談があります。
実は私、大学生時代に(親には内緒で。笑。)
バーみたいな飲み屋さんでバイトしていました。
もっぱら、宴会の2次会で使われるような場所で
黒のパンツとサテンのシャツ(あの頃、流行していたっけ・・・)で
注文をとってはお酒を運ぶ・・・みたいな仕事でした。
そんな団体の中には、「結婚式の2次会」ももちろんありました。
何組ものカップルや参会者を見てきました。
すると、面白いことに気づくのですよ。
新郎新婦って、大抵は披露宴の片付けを終えてくるので、
後からやってくる場合がほとんどですが、
新郎新婦がいなくとも、大体のお客さん(お友達)の雰囲気を見ていると、
新郎新婦のご職業や趣味、雰囲気なんかが分かるんです。
公務員のカップル 医療関係のカップル
市場関係で働くカップル 大学のサークルで知り合ったカップル
「類は友を呼ぶ」
その通り!と思ったことが何回あったことか・・・。
でも!
その後に登場する新郎新婦。
新婦さんを見ると、先に来ているお友達がどんなに美人であっても、
お嫁さんにはかなわないんです。
不思議なくらい、必ずお嫁さんが一番キレイなんです。
何というか、「美人」とも異なる
柔和で穏やかな、女性特有の美しさ。
幸せを感じると、こんなに女性って人って輝くものなのですね。
思い出せば、高校生時代の家庭科の授業で
女性ってのは、恋愛したり結婚が決まったりすると、
不思議なことに、おのずとピンクを選んだり
ピンクが似合ったりするようになるのだと教えられました。
その時はただ「へぇ~」としか思いませんでしたが、
学生時代その言葉を、身をもって感じたというわけです。
幸せで満たされている脳って、すごい。
そんな私も、結婚してまもなく2年になります。
年数経つほど、色んなことも起きていくものなのですね。
それゆえ、その分、不平不満も口にします。
でも思えば2年前。(式は1年前だったか・・・)
私もそんな風に美しく輝いていたハズなのです。
「結婚」「出産」なんて言う、人生のハッピーイベントは
そうそうあるものではないけれど、
「幸せ」ってのは、自分の発想一つで変わるもの。
脳の「幸せ」パーセントを、自分で増やしてあげて
女の美しさに磨きをかけなくっちゃあ・・・なんて思います。
目指すは、「2次会のお嫁さん」です。 笑。
前回のコラムに引き続き、
5月に行ったニューヨークでのお話です。
ニューヨークで、「AIDS WALK」なるものに参加してきました。
AIDSの撲滅を願い、同じ志をもつ人たちが、セントラルパークをスタート&ゴールとして10Kmの距離を歩く・・・というものです。
AIDS(エイズ)問題。
アメリカではとてつもなく大きな国の問題なのですね。
街をあげての一大お祭り!というくらい、たくさんの人が集まり
本当に大きなイベントとなっていました。
(雰囲気だけは北海道でいうと、
「北海道神宮祭」か「よさこいソーラン」か・・・なんて感じです。)
誘われるがまま、社会勉強・社会貢献の一つとして行っただけに
AIDSについての知識や意識はほとんど変化なく・・・。(汗!)
しかし、アメリカという国が・・・ニューヨークという街が・・・、
少し見えたようにも思いました。
それは「ゴミ問題」!
「AIDS WALK」の途中、参加者に配られるお水やジュース、アイスにスナック類。
もらったはいいけれど、ゴミ箱がたくさんあるのに
多くの人たちが食べたゴミを道へぽーん!
「ちょっと、落ちましたよ〜。あなたのゴミ。」
と何度言いたかったか…。
しまいには、もらった袋のままの新品のスナックまで
あっちこっちに落ちている。
「もったいなーーーーーい!!」
拾っているのは、日本人の私たちだけ。
不思議な光景でした。
(他の参加者からすれば、拾っている私たちの様子こそ、不思議だったのではないかと思います。)
正直、アメリカの社会事情も大いに絡んでいる事柄なのかもしれません。
だけれども、
「道にゴミを捨てない」
「必要な分だけもらう」
「食べ物を粗末にしない」
日本で当たり前に行われている「しつけ」と言われる事柄。
大事にしなくちゃいけない、素晴らしい風習なのだと思います。

「人生って何が起こるか分からない」
よく聞く言葉だけれど、最近自分の中ではこの言葉通りのことがたくさん起きています。
プロフィールにも書いていますが、私、9月からアメリカで暮らします。
旦那(のびた)にくっついて生活するために。
もちろん、私は英語ができない。
大学センター試験でも200点中98点。がっかりした覚えがある。
だから英語が嫌いだった。外人から避けて生きてきた。
旅が好きなのに、海外旅行に行かなかったのも「喋れない」が理由の一つ。
でも、仕事を辞めてアメリカに住む自分。
びっくり仰天、人生の転換期としか言いようがない。
そして5月、生まれて初めての米国の土地を踏んだ。
先に旅立った、のびたを尋ねての旅。
でも実は、海外旅行経験も2回目、かなりのビギナー旅行だった。
しかしながら何事も興味津々な自分の性分か・・・!?
自由な空気。おおらかな雰囲気。
本当に心地よかった!色々な心の蓄えを貰ってきた。
でも、ただ一つ、心残りなこと。
「言葉の壁」
のびたの住む建物には食堂がある。
地元に住む、おじちゃん・おばちゃんがそこで働いている。
そしてその中に、レジでいつも優しく陽気にかまってくれる、有色人系のおばちゃんがいた。
すごく感じが良くて優しくて素敵な人だ。
喋れない私にも、笑顔で声をかけてくれる。
いや多分、オドオドした日本人の私を見て、気遣ってくれていたんだと思う。
帰る前日の食堂で、「明日彼女は日本に帰るんだよ」とのびたが話した時もおばちゃんは「さびしいわ」と私の目を見て言ってくれた。
でも・・・、私はいつも答えられない。
答えるのは、英語が達者なのびただ。
あの食堂のおばちゃんと、1対1でコミュニケーションしたい。
仲良くなりたい。
だから、最近の私は英語の勉強に力を入れ始めた。
そして、いつか言おう。あのおばちゃんに。
「あなたと仲良くなりたいから、私は英語を喋りたいと思うようになったの!」
って。
世界平和のために。
言葉の壁を乗り越えることも一つの方法なのだろう。
そんなことも思う、今日この頃。