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酒の一滴は血の一滴

第89回 僕が脳外を辞めたわけ②

1998年4月、シニアレジデント最終年、
この時期に「チーフ」という役職に約4ヵ月間従事するのが恒例です。
自分の担当期間は8月から12月まで。

「チーフ」と呼ばれる人間が何をやるのか。

答えは「全て」です。

病棟の入院患者の把握、ベッド確保、手術スケジュールの管理のほか、救急外来に患者が運び込まれてきた際、その患者さんがくも膜下出血であれば全例チーフ症例として割り当てられます。
この時期に症例を稼いで経験値を一気に引き上げなくてはなりません。
なんせチーフが終わってしまったら、次回から指導に回らなくてはならないのですから。

くも膜下出血の患者さんがいつ運び込まれてくるか、もちろんわかりません。
1日に二人来ることもあれば、1週間来ない事もあります。
来たら来たで時間との戦いになるわけですから、おちおち家になんか帰れません。
いつ運び込まれても真っ先に立ち会えるよう、病院泊まりは必須なのです。

チーフに就く2か月前、6月9日 長女誕生。
予定日より1週間遅れ、出生体重2300g
カミサンが臨月の2か月前まで働いていたせいもあるのか、お腹の中でなかなか大きくならず、エコー検査上の推定体重が2000gを超えるのを待っての出産でした。
勤務先の大学病院内での出産だったので入院中は毎日会いに行けるのですが、退院されてしまうとなかなか会えません。
チーフ前という事もあり、チョコチョコ抜け出して彼女の実家へ顔を出し、愛娘の顔を見がてら晩ご飯をごちそうになり、夜9時までに再出勤という毎日を送っていました。

8月1日、チーフ初日。
入り過ぎていると言っても過言ではない程の気合を胸に出勤。
「ま、2ヶ月くらいは帰れないでしょ!」などと周囲に宣言し、先輩の通った道のりを思い返しながら業務に励みます。
実際、見るのとやるのとでは大違い。
「おいおい、マジでこんな生活4カ月も続けるの?」
たった最初の2週間でいきなり弱気モード突入です。
「別にチーフだからって、帰っても良いんだぞ。」
「気合い入れ過ぎてると身体もたねぇぞ。」
なんて先輩方から優しく声をお掛けいただきますが、
"あんた達だって帰って無かったでしょうが!"
と心の中で反論しながら
「大丈夫っす、全然平気っす!」
と隈の浮き出た顔でニッコリとお応えさせていただくのがマナー。

泊まりこみが続いている間、シャワーは浴びる事が出来るのですが
問題は洗濯物。
医師として「清潔」が最重要課題であるのに襟ぐりの汚れたワイシャツや、微かに匂う下着はかなりヤバい。
結果として週に一度はカミサンが幼子を胸に抱え、1週間分の下着とワイシャツを紙袋に入れて出前してもらう事となりました。
1週間ぶりに再会するわが子。
毎回会うたびに顔が変わっていて、反応も違います。
「え?もう笑うの?」
「あら、首が座ってる!」
「寝返りできるの?コイツ」
もう成長の度合いが階段状。
抱っこして、目ぇ合わせながら「ぱぁ」なんて言われたもんなら、
「うわぁ、帰りてぇ!」
「一緒に風呂入りてぇ!」
「オムツ交換とかやってみてぇ!」
もう、これは、依存性のある危ないお薬みたいな物かも知れない。
一回知ってしまうと、2回目・3回目への要求が強くなり
長期間の離脱により禁断症状さえも現れてしまうのです。
たまにカミサンが一人で洗濯物を持って来ようものなら超不機嫌。
「あれ?姫は?」
「あ、お母さんが預かってくれた。」
「なんだ...、帰っていいよ。ありがと。」
あと3カ月、あと2ヶ月半、と始まったばかりの癖にカウントダウン開始。

病院泊まりが当たり前といわれるチーフ生活の中で、この感情は致命的。
今日は帰れるか、
明日は帰れるか、
何時くらいなら帰れるか、
最も経験を積まなくてはならない時期に、帰る事を望んでしまう。
理性と感情の葛藤。

"たった4カ月、何で我慢できない!"

判っているんだけどねぇ...、
けど、精神的にも肉体的にも極限の状況が続くと、
逃げ道を模索してしまうのだよ...。
弱いなぁ、自分。
こんなへっぴり腰でこの先やって行けるんだろうか...。

そんな揺れ動く感情の中、更なるエピソードが追い打ちをかけてきた。


(2009年10月29日)

コメント(1)

わが子を置いての、監禁状態(笑)苦しすぎます…

次回にまた続くのですね。楽しみです!!

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