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酒の一滴は血の一滴

第72回 帰宅拒否症?

大学病院の救急といえど、24時間365日戦争のような状況が続いている訳ではありません。
ホンの極僅かな時期ではありますが救急病棟に自分の所属する科の患者さんが居なくなる時期もあります。
本来であれば救急の現場に脳外科の患者さんが居ないという事はHappyな事なのですが、たとえ3日でも平和な日が続くと、あの夜も寝られず食事も摂れないような地獄の日々が懐かしくなります。

ある日、自分が当直という日の夕方、病棟の患者さんも安定しており、
「今日くらいは早く帰っても良いんじゃないですかぁ?」
と周囲に声をかけるも、なぜか皆なかなか理由をつけて帰ろうとしません。
「いや、書類が貯まっているから...。」
「あぁ、ただこんな時間に帰ってもやる事ないんだよね。」

悲しきかな、

仕事に忙殺される事に慣れてしまった人間は、突然Freeな時間を与えられても何をやっていいのか解らないのです。

当直でもないのにダラダラと院内に留まり続け、
行く宛てもないまま病棟をうろつき、
晩御飯の出前注文リストに自ら名を連ね、
医局のソファで学会誌を読みながら居眠り。

「あぁ、今夜も平和だなぁ...。」と思いかけた時
突然当直用のポケットベルが鳴りました。

ディスプレイには救急蘇生室の内線番号。

「脳外当直、武藤です。」

「お疲れ様です。ERの●です。
○○歳、男性、夕方の◎時頃に突然の頭痛を訴え嘔吐、その後意識低下。
現在、意識レベルJ.C.S.10、G.C.S.は3,5,6で14点です。」

「バイタルはどうですか?」

「血圧は180/90、レート90でレギュラーです。」

「今行きます。CTのセッティングお願いします。」

「よろしくお願いします。」

電話を切って、蘇生室へ足早に歩きながら考えます。

年齢から言ってくも膜下出血は十分あり得るけど、その割には意識が悪くない。
単なるけいれん発作か?
バイタルも微妙なんだよなぁ。
高血圧とか心不全の既往歴の確認できてるかな。
出血じゃなくて梗塞の可能性もあるよな。
あぁ、麻痺の有無を聞くのを忘れちゃた。
ま、CT見りゃ解るか!

救命センターに着くと既にCTの撮影が始まってました。

「あ、先生、お疲れ様です。こっちの椅子どうぞ。」

「どうですか?」
搬入時より患者さんの処置にあたっていたERスタッフに尋ねます。

「う~ん、明らかな出血巣は見当たらないし、これと言って梗塞ってわけでもなさそうなんだよね。」

「ここら辺、白っぽくないですか?」
(CT上、出血は白く梗塞は黒く写ります。)

「ま、白いって言えば白いけど、正常って言えば正常に見える。」

「外傷って訳でもなさそうですね。」

「家族の話だと1週間くらい前にも同じような頭痛があったんだってさ。」

「予兆っすか...、今の意識はどんな具合ですか?」

「ごめん、来てすぐにセデーション(鎮静)かけちゃった。」

「じゃ、最終がさっきの電話のレベルって訳ですね。」

「ま、そーゆー事なんだけど、どうする?ムトちゃん。アンギオ(血管造影)行く?」

「まぁ、それが一番確実ですけどね、とりあえずルンバール(腰椎穿刺)しますか。」

「お~~~、やさしいね。」

血管造影となると動脈瘤の位置や大きさ、また脳腫瘍に見られる異常血管が診断できますが、その間患者さんは長い時間にわたり検査台に寝かされ、煩い機械音にさらされます。
造影用のチューブがかなり深いところまで入り込んでいくので、ただでさえ吐き気を覚えている患者さんに余計な気分不快を与える危険があります。
これに対して腰椎穿刺の場合、動脈瘤の位置や大きさなどは解りませんが、少なくともCTにも映らないような少量の出血があったかどうかを判別する事が可能です。時間も慣れた人間であれば5分程度。患者さんに与えるプレッシャーも最小限です。
もしこの検査で出血が確認されれば、それから血管造影に行っても構わないのです。

「○○チャン(夜勤の看護婦)、ルンバールのセット準備お願い。」

「先生、麻酔は?」

「0.5プロEキシ(0,5%のエピネフリン入りのキシロカイン)」

「先生、準備できました。」

「サンキュ!あれ、髪の色変えた?」

「先生、余計なこと気が付かなくていいから早くやって!」

患者さんを前にして不謹慎だと思わないでください。
腰椎穿刺はそれなりに難しく、下手をすると脊髄に傷を付けてしまうという危険な検査です。緊張を強いられると余計な力が入ってしまいます。リラックスさせて肩の力を抜いているんです。

「ちょっと痛いですよぉ。」

チクッ、グググ、ググ、グ、プチ

入った!

ポタ、ポタ、ポタ...

滅菌スピッツの中に髄液が滴り落ちていきます。
白いシーツにかざすと綺麗な透明、血清の欠片もありません。

「キサントもねぇなぁ...。」

気が付くと、とっくに帰ったと思っていた先輩・後輩が後ろに勢揃い。
緊急の匂いを嗅ぎつけてワラワラと誰に誘われるでもなく湧いてきていたのです。

「ま、とりあえず緊急opeではないな。」
「うちの担当でもないんじゃないですか?」

手術適応でない事が解るとそれこそ蜘蛛の子を散らすようにサァーーーっと居なくなってしまいました。

「ま、そういう事で、明日もう一回CT撮りましょう。」

「しかし何だって脳外の連中はこう手術好きが集まってんだ?」

「いや、手術好きって言うより皆でワイワイやるのが好きなだけなんじゃないっすか?」

「ただのお祭り好きかよ!」

「ていうか、寂しがり屋ってとこですかね。」

所見をカルテに記載した後、救命スタッフに患者さんをお願いし
自分は当直室へ引き返します。

「ふぁぁ、もうこんな時間か。悪いけど今日は帰るわ。」

まだ居たのかい!
既に日付変わってますけど...。

「お疲れ様でしたぁ!」

「なんかあったらすぐ呼べよ。」

「へぇぇぇい!」

呼ばねぇよ!
さっさと帰ってください。
じゃないと、先輩が当直の時、こっちが帰れないじゃないっすか。
帰って、風呂入って、パジャマ着て、奥さんと一緒に寝てください。
何だったらそれ以上の事も(以下自粛)
その代り、今度の週末には早く帰らせてもらいます。

床屋行きたいんで(家じゃねぇのかよ!)。


(2009年05月14日)

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