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酒の一滴は血の一滴

第62回 バイト当直

若かりし頃、まだ月のお給料が手取り10万円を切っていた頃、
もちろん生活なんかできません。
医者になって6カ月が経過すると、ようやくアルバイト解禁となります。

大抵のバイトは企業の健康診断か外病院の当直業務。

健康診断は胸に聴診器をあてて、呼吸音とか心音を聞いて
明らかな異常がなければカルテに「n.p.(no problem)」と書くだけ。
非常にお気楽ではありますが、1日に100人以上の診察となりますと
終わり頃には耳が痛くて聴診器をあてていられなくなります。

次に当直ですが、これが曲者。
初めて当直先に赴くときは不安いっぱい。
「入院中の患者さんが急変したらどうしよう。」
「救急車で重症の患者さんが運び込まれてきたらどうしよう。」
1年目のひよっこ研修医の赴く先は、たいていの場合落ち着いた病院ですから夜間緊急で高度の医療を要求される所になんか行くわけないのですが、カバンの中には「当直医マニュアル」とか「ポケット小児診療マニュアル」「今日の治療指針」といった本を詰め込み、
「なんかあったらすぐ連絡するんで助けてくださいよ~」と先輩医師に声を掛けて、当直先へ向かいます。
病院に着いたら、事務長に挨拶して、ご飯食べて、夜の回診。
各病棟の看護婦さんから容体の急変しそうな人や、何かあった場合の対処法を確認し、あとは当直室で待機です。
とは言っても、入院しているのは痔で手術した人とか、虫垂炎の術後、軽い脱水のために点滴のみを目的に入院している元気そうなおじいちゃん。
ほとんど朝まで起こされることなく当直業務は終了します。

これが2年目、3年目と経験と知識、技術が上がって行くに従い、当直先もsevereな病院へと変化していきます。
「武藤、来週の金曜日、俺の代りに○○病院の当直行ってくれ。」
「え!?先生、あそこってバンバン救急車来るところですよね?」
「大丈夫だって!武藤なら(根拠なし)」
「この前、そこの病院で夜間緊急で開腹手術やったって言っていませんでした?」
「そん時は専門の先生に連絡すりゃいいんだよ。」
「一晩で救急車が6台来たって...、」
「武藤...、」
「はい...、」
「当直代、○○円だぞ...。」
「やらせていただきます。」

忙しい病院ほど、アルバイト代が良いのは当然ですが、
結婚を控えているとはいえ、引き受けてしまう自分が情けない。

X-dayが近付くにつれて、不安は大きくなるばかり。
『俺の医者人生、この日で終わるかも...。』
『離島の診療所で爺婆相手に訪問診療の日々を過ごすのもいいかな...。』
『もうちょっと、大学に居たかったなぁ...。』
どんどん鬱になっていきます。

当直当日、
「お、武藤か、今日の当直よろしくな」
「はい...。」
「なんかあったらさ、」
「すぐに連絡していいんですよね!」
「がんばれよ。」
「はぁ...。」
「言っとくけどぉ、」
「はい、」
「中途半端なまま、こっちに転送するなよ。」
ここまで言われちゃったら、ほとんど脅迫じゃん!
「がんばります...。」

結局は何とか自分の裁量の範囲内で処理する事が出来た訳なのですが、予想通りほとんど寝ることなく、当直の看護婦さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら朝を迎える事となりました。
大学に戻り、調子に乗って「大丈夫でした!」なんて言ってはいけません。
次からはレギュラーのローテーションに組み込まれてしまうのです。
今回はたまたま何とかなったけど、次回は解りません。

2004年の医師法改正によって初期研修中の医師は単独での診療行為を禁止されており、バイトを含む当直業務は医師免許取得後2年間はもちろんできなくなりました。経験の浅い研修医による医療ミスを予防する事を目的とした改正ですが、自分的には研修医時代の当直は早い時期から責任感と経験と度胸をつけるのに大変役立ったと思っています。何と言ってもその時は死に物狂いでしたから。
一概に何でも禁止するのではなく、段階に応じて対応を変える柔軟性があってもいいのではないでしょうか。


(2008年12月18日)

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