誕生日当日、面会時間が始まると同時に彼女のお友達が大挙して押しかけてきました。もう個室には入りきらないくらい。みんなが笑って、彼女に声をかけて、手を握って、頬に触れて、泣きながら笑ってます。
布団の下はパジャマの代わりにお母さんが持ってきてくれた振袖を看護婦と共同で着せておきました。顔にはうっすらとお化粧もしてあります。ベッドの上にはプレゼントがいっぱい。乗り切れません。
3時になりました。婦長が会議に出かけていきます。これを見計らってシャンパンを取り出したら、お友達数人も同じシャンパンを持っていてお互い苦笑い。音が出ないようにコッソリ栓を抜いて、紙コップに注いでまわります。大声を出す事と酔っ払う事は厳禁!と確認を取った上でその場の人間全員で乾杯。彼女にもグラスの縁から唇が濡れる程度にご賞味いただきます。勤務中の看護婦も味見だけさせてもらいました。ケーキを焼いてきた看護婦が居たり、クッキーを焼いてきた女医さんが居たり、ちょっとしたパーティー会場です。気が付くと天井にも飾りつけがしてあります。深夜勤の看護婦達の仕業でした。
お父さん、お母さんも嬉しそう。ニコニコしています。
時計の針が4時を指し、シャンパンのボトルを隠します。もっと飲みたい奴は病院の敷地外で続きをしていただくお約束。誰も帰らなかったけどね。帰りたくても、帰れないんです。みんな。
お化粧のせいでしょうか、シャンパンのせいでしょうか、何か彼女の顔色がいいので眼を覚ますんじゃないかという錯覚が部屋の中に充満していたのです。
仕事柄、一つ所にじっとしていられる訳も無く、パーティーの最中だと
いうのに何回もあらゆる所から呼び出され満足にお祝いする事もできませんでしたが、面会時間終了後、着物を片付けているお母さんに挨拶する事ができました。
「先生、おかげさまで着物が無駄にならずに済みました。まさかこの着物に袖を通す事ができるとは2週間前までは思いもしませんでした。ありがとうございました。」
“着物”と言うものに対する思い入れ。彼女と始めて対面したあの日、救命の看護婦の放った一言はまさに真理を突いていたんです。男の感覚では解る事が無かったであろう“女心”を思い知らされた瞬間でした。
その2日後、彼女の心臓は何十回目かの心停止を来たしましたが、今度こそ無理に動かされる事も無く、静かにその生涯を全うされました。
死に行く身体を無理に現世に引き止める事はもしかしたら重大な犯罪なのかもしれません。神に対する冒涜といってもいいでしょう。けど、時間を稼ぐ事で周りの人間が事実を受け入れる事ができるのであれば、神様も許してくれるのではないでしょうか。
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