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酒の一滴は血の一滴

武藤英生 プロフィール

札幌中央形成外科 院長

40歳、男性。
札幌生まれ、札幌育ち
ブラックジャックに影響を受け医師の道を志す。
関東の大学の医学部を卒業した後、一時は脳神経外科医を目指すが
生まれた娘の可愛さに負けて帰札。
道内の大学で形成外科を学びなおし、4年前から美容外科クリニックの2代目として走行中。

第113回 人殺し

終戦記念日です。
この時期テレビではニュースを始めドラマなど、"太平洋戦争"一色です。
広島、長崎の凄惨さは65年たった今でも色褪せる事はありません。
沖縄の壮絶な光景は決して忘れてはならない歴史だと思います。

我が家では子供達に極力戦争の番組を見せています。
当初は戦車や戦艦、航空母艦等の雄姿に目を奪われていましたが、徐々に被害者の様子にも目が向き始め、"カッコいい"という言葉が適切ではない事に気づきます。

「ねぇ、ジェームスさ、目の前でパパやママが捕まっていてピストルで撃たれたら、どうする?」

「やめてって言う。」

「じゃあさ、その人がジェームスも撃とうとしたら?」

「そいつ殺す。」

「うん、正常な考え方だね。パパも同じ考えだ。」

「でもさ、人を殺すのって良くないでしょ。」

「当たり前だよ、どんな理由があっても許されないさ。」

「なんで戦争の時って殺しあうの?」

「みんな頭がおかしくなっているんだろうね。」

「嫌な気持ちにならないのかな。」

「戦争の時って、いっぱい人を殺すほど褒められるんだよ。」

「...」

「殺さなきゃ殺されるんだもん。」

「...」

「ついさっき、ジェームス言ってたじゃん。"そいつ殺す"って。」

「それが戦争?」

「それが戦争。」

「人を殺す時って、どんな気分なんだろう。」

「う~ん、パパは人を殺したことが...、」

この時、心に引っ掛かる物がありました。
"本当に自分は人を殺した事がないのか?"

赤色回転灯と共に滑り込んでくる救急車
ストレッチャーに横たわる患者さんの上を飛び交う連絡・指示。
患者さんを励ます看護師
鬼のような顔になって処置を続ける医師
下がり続けるバイタルサイン
指示を求める複数の視線
1分1秒を争う緊迫した状況
"どーすんだよ!死ぬぞ、この人!"
"先生!指示ください!"
考える時間も、迷う余裕もなく決断・指示

全員が知力と体力と気力を絞って治療にあたったにも関わらず
消えて行く命。

もう少し自分に知識があれば
もう少し自分に技術があれば
もう少し自分に勇気があれば
この患者さんは死なずに済んだのかもしれない

自分が殺したのか

戦争と医療を同じ土俵で語るのは不適切ではあるが
救急医療という戦場で
治療という名のもとに
その目的がかなえられる事無く
一人の人間が死に至る
それでも法の下に罰せられる事もなく
平気な顔をしてお天道様の下を歩き続けるのは
人間としておかしいのではあるまいか。

"医療ミス"とか、"やむを得ない"とか
そんなのじゃなくて
現場ではみんな一所懸命になって命の炎を途絶えさせないよう
自らの命を削って頑張っています。
「今度同じような患者さんが来たら、絶対に助ける」
「今度は躊躇しない」
「もっと早くできるようにトレーニングを重ねる」
けど患者さんにとって"今度"という言葉は存在しません。

医者って仕事は"人助け"であると同時に"人殺し"である事に変わりはないのかなぁ...。

だったら自分は今までに何人の人を殺したんだろう。

第112回 大大先輩

7月17日、札幌市内で第108回日本美容外科学会が執り行われました。

実はこの学会、自分が初めての座長を務める学会でもあり当日は純粋に楽しむ事が出来るか非常に不安でありましたが、セッションは順調に進行し最後にはフロアで「いい進行だったよ。」とお声も掛けて頂きました。

その後の懇親会では、お酒を飲みながら談笑するかのごとくセッション中に聞けなかった疑問をあらゆる先生に投げかけ、数多くの回答を得る事が出来たのは何よりの収穫でした。

懇親会終了後に多くの先生がススキノへ流れる中、神戸から来られた先生と二人っきりでお話しする機会を持つ事が出来ました。

「杉本美容外科」
院長 杉本孝郎先生

80に届かんばかりのお歳でありながら、そのアクティビティは衰え知らず。
いまだに毎日10000歩のエクササイズを欠かさないそうです。

その昔、父と二人でブラジルの学会に出席した話は何度聞かされた事か。
ただ、古き良き昭和の頃の話を聞いていると親父もそこにいるような印象さえ受けます。

懇親会の会場から杉本先生の泊まられているホテルへ移動。
一階のバーで飲み直し。

「先生、いつもは何を飲まれるんですか?」

「そやな、ワイン飲む事が多いかな。」

「じゃぁ、ボトルで取りましょう。」

「あんた、一人でそんなに飲めるんかい。」

「先生と一緒なら大丈夫ですよ。赤でいいですか?」

「安い奴や、チーパー、チーパー、チーペストでええねん。」

「そんな、せっかく札幌に来て頂いたんですから。」

「お前さん知っとるか?こんな店は3倍の値段つけてんねん。」

「先生、目の前にバーテンさんいますけど...。」

「あはは、すまんな、聞こえとったか。わし神戸の人間やねん。」

ボトルが残り少なくなるにつれ、話の内容もスカレートします。

「お前さんのクリニックでは○○術はやっとるんか?」
「あの手術はアカン!考えればわかるやろ!」
「この前、違うトコで△△やった言う患者が来てん。そりゃもうエライ事なっとったわぁ。」
「□□クリニックにいた◎◎、どこいってんねん。行方分からへん。」

「あんたの父さんはな、そりゃ手術になると凄かった。」
「初めて見学させてもらった時な、わしにはでけへん、って思ったわ。」
「またぎょーさんペーパー(論文)書いとるやろ。あんたも見習わな。」

腹抱えて笑える話から耳に痛い話のオンパレード。
時間はあっという間に過ぎて、気がつけば時計の針は12時近く。

「おお、すまんな、年寄りに付き合わせてもうて。」

「いや、大変勉強になりました。」

「勉強てあんた、昔話しただけや。」

「今度は秋に京都でお会いできると思います。」

「そやな、生きとったら行くわ。」

「先生、それシャレになりませんからw」

1995年の震災でクリニックの自社ビルに大きな被害を受け、未だに修復を重ねる毎日で、借金の清算も継続中との事。それでも心折れる事無く80近くまで毎日の診療に従事されている大大先輩には心より感服します。

先生、京都でもまたご一緒させてください。
今度はカミサンも一緒に。

大大先輩

第111回 『警察が来たよ』

それは、とある水曜日の午後の事だった。

「武藤英生本人だな。
動くな、令状だ。
手を頭の後ろに組んで伏せろ。
お前には黙秘権がある。
お前の証言は今後法廷で不意に扱われる事がある。
お前は弁護士と相談し、尋問中は弁護士を同席させる権利がある。
弁護士を雇えない場合、公費で弁護士を雇う事ができる。」

「あの、行政書士の人でも良いですか?」

「13時05分、被疑者確保!」

なんて話ではなくて、参考意見をお聞きしたいとの事でした。
ちゃんと前もって電話でアポイントを取られてからの訪問でした。

現在係争中の事件に関し専門家のお話を参考にとの事で、来られたのはジャックバウアーとはかけ離れた30歳過ぎ位の優しそうなお顔をした刑事さん。
銃口を向けられることなど無く、見せられたのも警察手帳ではなくて桜の代紋が入った名刺でした。

具体的にこの場で内容をお話しする事はできませんが、要は医療トラブルに関するセカンドオピニオンといったところ。
関わった人間や施設の名称を全て伏せた参考資料を見せて頂きながら、率直な感想を述べ、時にはこちら側から資料を提出し捜査の参考にして頂きます。

施術した施設側の落ち度か、それとも受療した側の言いがかりか。
資料が少ない中で客観的な見解を述べます。
ただ、ひとつ腑に落ちなかったのが、捜査する側が医療行為の範疇についてほとんど認識をされていなかった事。

医師法第17条:医師以外の医業の禁止
 第31条の規定により3年以下の懲役または100万円以下の罰金または併科。

医療行為とは治療を目的として他者の身体を傷つけたり体内に接触したりするものであり、正当な業務でなければ傷害罪や暴行罪に該当する違法行為と認識されます。
具体的に医療行為に該当する物としては
・レーザー脱毛
・刺青
・ケミカルピーリング
・ピアス
が含まれます。

つまり、医療関連施設以外の場所で脱毛を目的とした非医療従事者によるレーザー照射は違法行為に含まれるわけです。もちろんアートメイクやピアスの施術も医師の監督下に無いクリニック以外の場所で行う事は法律で禁止されています。

しかしながら、現在は多くのエステティックサロンや美容室で上記の行為が平然と行われているのは周知の事実。

「何で平然と行われているんでしょうね。」

「だって、婦人警官の方とかにもアートメイクとかエステでの脱毛とか受けていらっしゃる方は少なからず居ますでしょう。やっている方も警察の方に施術して怒られるどころかお金もらって感謝までされたら、"ああ、別にいいんだな"って認識してもおかしくないんじゃないですか?」

「つまり罪の意識が薄い、という事ですかね。」

「いや、犯罪であるという認識が最初から無いんでしょう。」

「先生方は何も言わないんですか?」

「だって僕達には彼らを取り締まる権利がありませんから。」

「う~~~ん、違法なんだ...。」

「だいたい言ったところで拡まんないですよ。向こうの絶対的に大きな広告にかき消されちゃいます。コラーゲン食べても意味がないって言ってるのに知らない人多いでしょ。」

「え!?意味無いんですか!?」

「ね、知らなかったでしょ。」

「でもテレビとかでは凄く効くような話してますよね。」

「そうそう、あくまでも"効くような"表現ですよね。"効く"とは言ってない。つまり嘘ではないから問題ない訳です。ちゃんと画面の片隅に"効果の実感には個人差があります"ってご丁寧に注釈までつけてくれてるじゃないですか。」

「どうしたらいいんですかね。」

「どうしたらもこうしたらも、ここまで市民権を持っちゃった業界を今さら無かった事にはできないでしょ。ただ今後もトラブルは絶えないと思いますよ。」

さぁ、警察の方、
知らなかったでは済まなくなっちゃったね。
知っちゃったからには動かない訳行かないよね。
これで動かなかったら、あえて目を瞑った事になっちゃったね。
ど~するのかなぁ?

ま、何も変わらないと思うけど。

第110回 Siteの中のPsychoで最高な住人(惨人目)

Siteの中のPsychoで最高な住人(惨人目)

第109回 Siteの中のPsychoで最高な住人(2人目)

Siteの中のPsychoで最高な住人(2人目)

第108回 Siteの中のPsychoで最高な住人(1人目)

Siteの中のPsychoで最高な住人(1人目)

第107回 サイトの中のPsychoで最高な住人(導入編)

サイトの中のPsychoで最高な住人(導入編)

第106回 歌舞伎

学生時代、よく銀座まで観に行きました。
いちばん安い席なら2000円くらい。
学生でも手の出るお値段です。
3階席の後ろの方で、役者の顔はほとんど解りませんが、それでもその動きには現代の映画やTVドラマでは決して見られる事のないリアリティがあります。
刀の動きなどはスローモーションなのに、それがまたリアル。
構えて見得を切る瞬間に絶妙なタイミングで場内に沸き起こる「音羽屋!(尾上菊五郎の屋号)」とか「成田屋!(市川團十郎の屋号)」の掛け声。
う~~~ん、このタイミングで声を掛けられるようになるにはあと100回は観に来ないといけないな。

今でもそうですが、歌舞伎座で観劇の際は同時通訳のイヤホンを貸してもらえます(有料)。
舞台の進行に合わせ、「今のセリフは...、」とか、当時の時代背景も解説してくれるので初心者でも充分に楽しむ事が出来ました。

そのうちに、当時の彼女を連れて歌舞伎座へ。
タイトルは忘れましたが、たしか玉三郎の演ずる幽霊もの。
その頃には勝手知ったる銀座歌舞伎座。
トイレはあそこ、後で向こうの売店でお土産買っていこうね、などと玄人気どりしつつ、彼女の分だけイヤホン借りて自分は素のままで席につきます。

舞台の中盤、玉三郎扮する女性が抱き寄せられた状態で腹を刀で刺され、男の腕の中でのけ反った瞬間、彼女の口から流れ落ちる一筋の血。
三階からは見えるはずの無い彼女の視線。
あまりの綺麗さと恐怖感に鳥肌が立ちました。

終盤では暗転した舞台上に「ヒュ~、ドロドロドロドロ...、」というベタな効果の中、井戸からゆっくりと現れる幽霊の玉三郎。
ああ、これが原点なんだなぁ...、と高を括っていてはいけません
ホンッッッットに鳥肌立つから!
怖くて!

初めて歌舞伎を見たのは、多分小学校5年生の頃。
演目は『義経千本桜』(だと思う)
四段目のクライマックスでは親を殺され、その皮で作られた鼓を取り返そうと侍に化け忍び込んだ狐が「そなた、狐じゃの?」の一言に、「コ~ン!」と反応したかと思えば一瞬にして舞台から消え去り、侍装束から狐の衣装に早変わりして別の場所へ登場。
その間、僅か1秒もないんじゃないか?
更には宙乗り、バク転といった"ケレン"と呼ばれる派手な演出。
特撮でもトリックでもない眼前の光景にチビるかと思いました。

他にも首が捥げるんじゃないかと心配してしまうほどの『連獅子』
チョット滑稽だけど、最後には〆る『助六』
女の執念というか怨念は今にも通じるぞ『娘道成寺』
「知らざぁ言って聞かせやしょう、浜の真砂と五右衛門に...(中略)、弁天小僧たぁ、俺の事よぉ!」でお馴染みの『白波五人男』

なんかね、男がみんな情けなくて、それでいてカッコいい。
『武士は食わねど高楊枝』なんて言うけど、意地はって、カッコつけて、無理して見栄を張る事に美学を求めるのが本当の大和男子なのかなぁ、と思う今日この頃。

何故にこの時期になって歌舞伎の話を始めたか。

まずは歌舞伎特有のメイクである「隈取」

隈取

皮膚表面のシワの流れる方向、
感情に合わせた表情筋の隆起、
骨格の起伏、
単純でありながらその表現は解剖学的にも一致しており、Botoxというシワ取りの注射をするうえで非常に参考となるのです。

そしてもう一つ。

平成22年4月末を持って、銀座歌舞伎座は取り壊しとなります。
ユネスコに世界無形文化財として登録されている建物も老朽化には抗えません。
正確には取り壊しではなく全面的な建て替えであり、2013年には再開されるものの、やはり当時親しんだ建物が無くなってしまうのは寂しいですね。

第105回 逃げろ!

その昔、外出先でパソちゃん(当時5歳)が便意を催した。

あいにく自分は取り込み中で一緒に付いていくことが困難。

やむを得ずカミサンが同行。

「女トイレ行ってね、ママ入れなくなるから。」

「うん、わかったぁ!」

パソちゃん、何の迷いもなく男トイレに入る。

個室に入ってしばらくすると、カラカラトイレットペーパーを回す音が響きだす。

その音がいつまでたっても止む気配なし。

カミサン、トイレの外から説教かます。

「パソちゃん!紙をそんなに無駄遣いしないの!」

「僕じゃない!隣の人ぉ!」

やっばい!
知らない人に説教しちゃった!
とりあえず、その場を取り繕わなくては!

「どおでもいいから、早く出ておいで!」

ウンコしている子供に「どおでもいい」は無いでしょ。

ズボンを上げきらないまま出てきたパソちゃん。

「もうちょっと出そうなのにぃ...。」

「いいから行くよ!」

何がいいんだか...。

結局手も満足に洗えず、
ウンコも出し切ることなく、
強制退去させられたパソちゃんが


一番の被害者か?

第104回 急ぎのメール?

その昔、「電子メール」と言われてこの世に出現して以来
既に20年くらい経過したでしょうか、イシカワサン。

当時はパソコンを持っている人でなければ利用する事が出来ず
また、そのパソコンの普及率も果たして何%あったのやら。
あ、パソコンじゃない、マイコンだ。
X1シリーズとか、FM-8とか、初代Macとか、
欲しかったなぁ...。

当時の値段をひも解けば、30万、40万円は当たり前。
チョットいじれば軽く10万円単位のお金が飛んでいく。
ソフト一つ購入するにも1万円前後。
「Mac貧乏」なんて言葉もありました。

それが今では10万円あればお釣りの来るような機種もあれば
性能もより速く、より綺麗、よりコンパクト。
計算速度だって桁いくつ速くなったんだろう。

これに伴い携帯電話でもメールができるようになってきた。
もう猫も杓子も暇さえあれば携帯片手にパチパチ、パチパチ。
みなさん、親指、腱鞘炎になりませんか?

何を隠そう、ウチのカミサンも1日に何通メールしているのやら。
ウチに帰っても晩御飯の支度を後回しにしてパチパチパチパチ...。
「すみませ~ん、ご飯まだですかい?」
「チョット待って、このメール送っちゃうから。」
なんて会話は日常茶飯事です。

ちなみに私、携帯電話のメールはあまり好きではありません。
i phoneに機種変更してからは文字入力の煩わしさが若干軽減しましたが
それでもチマチマ一文字ずつ入力する事に抵抗があります。
キーボードの方が何十倍も速いの知ってるからね。

先日助手席に乗車中、運転中のカミサンの携帯にメールが届きました。
「読んで。」
「え~とね、○○が△△で□□だから、◎◎を●●して下さいって」
「あ、そうなんだ。そしたら▲▲を◇◇しますって返しといて。」
「う~んと、▲▲を、◇◇し、ま、すっと。送信。」
「あ、また来た。」
「読んで。」
「▲▲は××だから、♭♭を♯♯にした方が良いんじゃないかって。」
「だったら※※の方がいいなぁ。」
「♭♭を、※※した方が、いいのでは、な、い、で、すか。送信。」
「お、もう返事来た。」
「何だって?」
「※※は★★だから、♪♪の方が...。」
「じゃぁ、◎◎を...、」
「だぁぁぁ!やってらんねぇ!」
「ちょっとぉ、急ぎだからメールしてよ。」
「急ぎなら直接話しなさいよ。」
「だって運転してるんだもん。」
「運転替わるよ。時間と電波とバッテリーの無駄!」

この急ぎの用事をいちいちメールでやり取りする意味がわからん。
お小言爺さんに変身させてもらいますよ。
メールってなぁ、"お手すきの時にご確認ください"ってもんだろ。
それをなんだい?
"早く返事頂戴"って変じゃねぇか。
急いでるんなら、で・ん・わ!
20個の文字が3秒で伝わるだろ。
メッセージ書いて、送信・受信に何分もかけて
非効率的ったらありゃしない。
その手に持ってるのは電話だろ!
なんで本来の機能を無視して、回りくどい事をしてるかね。

ただ、こういった傾向は既に常識になりつつあるのでしょうか。
自分の方が少数派なのでしょうか。

通常、当院ではメールによる患者さんからの相談や予約を受け付けております。
だいたい勤務終了後の18時から2時間くらいの間にお返事させて頂く事が多く、その後のやり取りに関しては、翌朝の診療開始前に一通り新しいメールをチェックするのがいつものパターンなのですが、先日こんな事がありました。

○○日 23時 ◇分
「●●が▲▲なのですが、□□した方が良いのでしょうか」
○○日 23時 ◆分
「メール送ったのですが、返事が来ていません。」
○○日 23時 ■分
「メール送ってるんですけど、見てないんですか?」
○○日 23時 □分
「さっきからずっと返事を待っているのですが、どうして返事してもらえないんですか?」
○○日 23時 ●分
「やる気ないんですか?」
○●日 0時 ◇分
「診療拒否ですか?サイテー!」
○●日 0時 ■分
「見ていないようなので、もう結構です。他の病院に行きます。」

あのね、基本的に患者さんからのメールは全て自分が一人で対応させてもらってるんです。
夜中の11時過ぎから日にちまたいでメールを頂いても対応できないんですよ。
24時間365日の即時対応はウチのような小さなクリニックでは無理なんです。
ご理解の程、よろしくお願いいたします。

第103回 今日のパソちゃん ~お肉編~

ウチ、"おにく"が大すきです。
よるごはんはまいにち"おにく"にしてほしいのに、
ママは「"やさい"や"おさかな"をたべなさい」っていって、
おねがいをきいてくれません。

あ、でんわがかかってきました。
このじかんは、パパからのでんわだとおもいます。

「はいもしもし、むとうです。」
「あ、パソちゃん?パパだよ。」
「いまどこ?」
「いま駅を出たところだから、もうすぐ着くよ。」
「きょうのごはんは、かれーだよ。」
「カレーか...、ツマミにならんな。なんか買って帰るわ。」
「"あいす"もかってきて。」
「アイスはダメでしょ。ママに何か買う物あるか聞いて。」
「ママー、なんかかうものある?」
「"ぱん"と"ぎゅうにゅう"と"たまご"かってきてって。」
「オッケー。じゃ、あとでね。」

ウチはしってるんです。
パパはおつまみにおいしいものをかってくるんです。
そして、びーるをのみながらひとりでたべるんです。
みじかいはりが8で、ながいのが12をすぎたら、やすくなるって、
まえにいってました。

ピンポーン...

あ、パパがかえってきました。
かいものぶくろのなかには、いろいろはいってます。
え~っと、
"ぎゅうにゅう"でしょ、
"たまご"でしょ、
"ぱん"でしょ...、
あ!"からあげ"がはいってます!
ウチの大こうぶつです。
パパがたべやすいように、びにーるをはがしてあげます。
おはしとこっぷもだしてあげます。
おてつだいしたから、パパはぜったい1こくれるとおもいます。

パパがてをあらって、もどってきました。
「あれ、パソちゃん。準備してくれたんだ。」
「ねぇ、パパ、いいでしょ?」
「何が?」
「おにく...。」
「パパのお小遣いで買ってきたオツマミだよ。」
「ねぇ、1こだけ...。」
「それが目的で準備してくれたんだぁ。」
「1こだけでいいからぁ...。」
「じゃぁ、1個だけな。」

やっぱりパパはやさしいです。
いちばん大きいやつをおさらにとってくれました。
いっただっきま~~~す!

「パソちゃん!歯磨いたでしょ!」

ママにみつかってしまいました。
さっきまでおふろにはいっていたのに。
おかおがあかくて、ゆげがでています。
おこってるのかな。

「寝る前にこんなの食べちゃダメでしょ!」

え~~~~!? たべたい~~~~~!

「もう8時半過ぎてるよ!寝る時間じゃないの?」

あと1ぷんおふろにはいっててくれればよかったのに...。
せっかくパパがくれたのに...。
パパのほうをみたら、かためをつぶってこういいました。

「明日の朝食べなさい。冷蔵庫に入れておくから。」

じゃぁ、がまんしてあげます。
ぜったいパパ、たべないでね。
ウチ、ちゃんとおぼえてるからね。
にぃにぃ(お兄ちゃん)にもひみつだよ。
にぃにぃががっこうにいってからたべるんだから。
じゃ、おやすみなさ~~い p(`ε´q)ブーブー。

あさになって、ママがおこしにきました。
"からあげ"、ちゃんとのこってるかな。
だいどころにいって、れーぞーこのなかをみたいけど、
にぃにぃにばれたら、はんぶんこにされちゃいます。
みじかいはりが8のまえ、ながいのが9になるまでがまんです。
あぁ、にぃにぃにしゃべりたい。

「ほら、いつまで食べてるの!? 遅れるよ!」
「いってきま~~す!」

ふぅ、やっとがっこうにいってくれました。

「ママ、パパ"からあげ"のこしてくれてる?」
「さぁ?自分で見てごらん。」

れーぞーこをあけると、いちばんしたのだんにありました。

「ママ、たべていい?」
「(レンジで)チンする?」
「だいじょうぶ、じぶんでできるから。」

カチャ(レンジの扉をあける音)
トン(小皿を置いた音)
バタン(扉を閉めた音)
ピッ(ボタンを押した音)
ブ~~~~~ン...

にぃにぃとねぇねぇはじゃむをつけたぱんと、
ぶろっこりーと、
めだまやきと、
そーせーじだったけど、
ウチは"からあげ"もたべられるのです。
あさから"からあげ"がたべられるなんて、
きょうはさいこうのひです。
あぁ、まだかなぁ...。

ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピ...

できた!
ママが「あついから」ってれんじからだしてくれました。
びにーるをはがすと、ゆげがでてます。
てでつかんだら、あつくておとしてしまいました。

「もう、何やってるの!」
「だいじょうぶ、3びょうたってないから。」

いそいでおさらにもどして、すわりなおしました。

「フォーク?お箸にする?」
「ふぉーく!」

ママ、あっためすぎです。
あつくて、なかなかたべれません。
はしっこからちょっとずつしかたべれません。
けど、
あぁ、
やっぱり"からあげ"はおいしいなぁ。


第102回 手術

外科医たる者、結果が全てです。

どんなに先輩だろうが、
どんなに立派な肩書を持っていようが、
どんなにたくさんの論文を書いていようが、

結果の伴わない手術には何の価値もありません。

言い方を変えると
今まで聞いた事もないようなクリニックで
特に肩書を持っておらず、
若くて、
頼りなさそうに見えても、
手術の上手な先生は、一発で尊敬の対象です。
どんなにいけ好かない人間であっても一目置かずにいられません。

どんなに小さな手術でも、毎回全力投球。
それも、いつも同じ事ばかりやっていては進歩がない。
より速く
より確実に、
より安全に、
より綺麗に。
毎日の勉強と練習は欠かせません。
可能な限り学会や勉強会に参加し、
色々な発表の中から"良いとこ取り"させてもらい、
可能であれば演者の先生に質問させてもらう。
更に可能であれば、その先生のクリニックで見学させてもらう。

「武藤君、いつでもいらっしゃい。」

美容外科という業界において、43歳はまだまだヒヨッコ。
自分が師匠と慕う先生が日本全国に7,8人います。
(弟子とは認識されていないとは思いますが...。)
行けば、その日に合わせて自分の勉強したい患者さんの手術を集め、
たっぷりと、濃厚な、生きた授業を
惜しげもなく披露してくれるのです。

「フフン、小僧にはまだできない芸当だろ。」

なんて思っているかはわかりませんが、
ヒヨッコとしては、これが何にも代え難くありがたい。
札幌に戻り、
シミュレーションを重ね、
いざ本番。
終わってから、また新たな疑問点の出現。

「先生、ここは判るんですが、こーゆー時は...。」
「うん、良く気づいたね。そーゆー時は...。」

文字通り、手とり足とり解説してくれるのです。
これが外国人の先生となると、さらに複雑。
また会いたくても会えるかどうかわからない訳ですから
その瞬間が必死です。
お互いに拙い日本語と英語と、時に韓国語で
箸袋の裏に絵を描きながら、
「あーじゃない、こーじゃない。」
時間の経つのが、あっという間です。

韓国の高先生と居酒屋で
(韓国の高先生と居酒屋で)
箸袋の裏を使って埋没法の検討
(箸袋の裏を使って埋没法の検討)

父が臨床の現場から退いて既に3年。
他界して1年。

訊きたい事、教えてほしい事が今になっていっぱいです。
当時は反発してあえて訊かなかったり
言われても却下したり、

勿体ない事してたなぁ...。

親父との最後の共同手術
(親父との最後の共同手術)

第101回 誰が辞めるって言った?

先週の記事を読み返してみてください。
一言も「最終回」とか「辞める」なんて言ってないですよね。
100回を迎えるにあたって読者の皆様に素直な感謝の気持ちを伝えただけなのですが、
何か?

閑話休題

「布団が吹っ飛んだ」
「電話に出んわ」
「肝臓の状態がイカンぞう」

巷では親父ギャグとも表現されますが、何気ない会話の中に絶妙に潜り込ませるのは鋭い頭の回転とテクニックを要します。またタイミングを間違えたりレベルが低ければ瞬時に軽蔑と嫌悪の視線を全身に浴びる危険があるため、表現する際には鉄の勇気をも必要とします。

この駄洒落、日本古来の正当な文化ですよね。
特にお正月なんかは駄洒落のオンパレードじゃないですか。

鏡餅は「鑑みる」から来ているわけだし、
上に載せている「橙(だいだい)」は「先祖代々」でしょ。
"昆布"は「喜ぶ」、
"鯛"は「めでたい」、
"黒豆"は「まめに暮らせる」
"きんとん"なんか「金団」って書くくらいでモロお金じゃん

そこの若い女子、オジサンのギャグを軽蔑してはいけません。
親父ギャグだって素晴らしい日本文化なのです。
英語の駄洒落って聞いた事ある?
中国や韓国語の駄洒落ってあるの?カタヒラサン!

医者になってすぐの頃、退院する患者さんからハンカチを貰う事が数多くありました。
先輩のDr.から「患者さんからお金を貰っちゃいけません。しかしハンカチだったらちゃんと頂きなさい。」と言われておりました。
その時は「ハンカチくらいだったら安いから良いのかなぁ」などと深く考えることなく過ごしておりましたが、ちゃんと意味があったんです。

ハンカチ = 手を拭く布切れ = 手の切れ = 手切れ

「もう先生のお世話になる事がないよう手切れしましょう」
つまり患者さんからの願いのこもったお礼がハンカチで、「元気になってよかったね。もう入院して来ないでね。」と心の中で思いながら受け取る事で手切れが成立するわけです。

なんと奥ゆかしいではありませんか。
この素晴らしい文化を絶やさないために、今日も夜な夜なオリンピックなんぞを見ながら一人で駄洒落を考え続けるのです。

夜な夜なキムヨナ

第100回 ありがとうございました

さて、今回でとうとうこのコラムも100回となりました。

開始当初は編集長である渡邊先生から「とりあえず3カ月」との依頼で、「じゃ、12,3回で良いのね」なんて気軽に始めたわけですが、まさかここまで続ける事になるとは夢にも思いませんでした。
ただ、いま読み返してみると
「つまんね~~~~~~~!」記事ばかりです。
特に開始当初は美容外科医を意識するあまりに肩肘張りまくってシャレの一つもない記事だったり、読んでも面白みのない記事で、明らかに「ネタ切れ」である事がバレバレ。
一時期は乾いた雑巾を絞るかのごとく原稿を書いておりました。

ここまで続ける事が出来たのは、クリニックに来られる患者さんからの
「いつも読んでますよ。」の一言であったり、
読者の方が書き込んで下さるコメントだったり、
そして何よりも原稿を送った後に返信されてくる編集長の感想でした。
また、以前に書かせて頂いた「お誕生日おめでとう」の時は、健太郎の家族の方がWEBをプリントして入院中のお爺ちゃんに読んでさし上げたところ、お爺ちゃんは涙を流して喜んでくれたそうです。
自分の書いた記事で楽しんだり喜んでくれる人がいる事に、何よりの充実感を味わう事が出来ました。

ひとつのサイトの中に多種多様な人間が、
一切の報酬を期待することなく、
それぞれの得意とする分野を公表する。
今では月に1万件以上のアクセスが続いております。
このユニークな企画に参加させて頂いた事を心から感謝したいと思います。

今までご拝読頂き、誠にありがとうございました。
では皆様、ごきげんよう。

第99回 節分

昨日2月3日は節分でした。
ちなみに鬼を追い払うのに、なぜ「豆」を用いるのか。
ひも解くと「豆」は「魔滅」だそうです。
今ではどのくらいのご家庭で豆撒きをされているのでしょうか。
小さいお子さんのいらっしゃる家庭でしかやられていないのが現状でしょうね。

この日に自分の年より一つ多く豆を食べれば身体が丈夫になり、風邪をひきにくくなると言われておりますが、我が家ではチョット趣が異なります。

① まず豆を蒔く際は、部屋を暗くして窓とドアを開ける。
② 部屋の隅から窓とドアに向かって「鬼は外、福は内」。
③ 豆を蒔き終わった部屋の窓はすぐに閉める。
(追い出した鬼がまた入ってくるからね。)
④ 隅から順番に豆を蒔いていき、最後の部屋まで鬼を追い詰める。
⑤ 家の中で一番大きな窓を開け、最後にもう一度「鬼は外、福は内」。
⑥ 全ての部屋で蒔き終えたら電気を付けて、豆を拾う。
⑦ 集めた豆から自分の年の十の位と一の位を足した数を和紙に包む。
(自分だったら43歳なので4+3で7個)
⑧ 和紙に包んだ豆を背中に通す。
(背中に隠れた鬼を抜きとる)
⑨ 家族全員分の豆をその家の当主と長男が四辻(十字路)に捨てに行く。
(十字路だと鬼がどの方向に行っていいのか分からなくなる)
⑩ 帰る際は決して振り返ってはならない。
(顔を見られたら、また鬼が付いてくるから)
⑪ 蒔いた豆を食べてはいけない。
(鬼が吸いついているから)

さあ、日本全国でこれほど面倒くさい豆蒔きをしている家庭が何軒あるでしょう。
小さい頃、親父と豆を夜の十字路に捨てに行くのが怖くてね。
特に豆を捨てるのは夜で、それもなるべく暗い十字路。
帰るときに後ろを振り返ると付いてくる鬼が見える気がして、足早に帰路についた記憶があります。

昨夜も長男と二人で豆を捨てに行きました。
外の気温はマイナス10℃を切っています。
ガッツリ着込んではいるものの容赦なく体温が奪われます。
家から若干離れた十字路に辿り着き、背中を向けた状態で豆をポイッ!

「さ、帰るぞ!」
「パパ、鬼、付いてきてない?」
「わかんない。」
「付いてきてたらどうしよう...。」
「よし、念のため遠回りして振り切ろう。」
「パパ、後ろ見ちゃだめだよ。」
「お前も振り返るなよ。」
「死んでも振り返らない。」
「(いや、死んだら振り返れないけど...。)」

いつまでこのイベントを続けられるのか。
帰りに見た星空が綺麗だったなぁ。

第98回「神の舞い降りた瞬間」

高齢者共同住宅の訪問診療を初めて2年半になります。
つい最近ではありますが、今まで勤めていたクリニックから違う所に移動しました。
そこでは高齢者共同住宅のみならず、在宅で療養されていらっしゃる方のお宅にも訪問するのです。

訪問診療用の車のトランクには一通りの診療器具が積み込まれ、簡単な処置であればその場で直ぐに対応できます。
予め予定されていたお宅を訪問し、問診・聴診・視診・打診・触診。
状態が思わしくないようであれば採血・点滴。
要請があれば緊急往診に伺う事も珍しくありません。

ピロロロロ...。
「はい、○○クリニック看護師の◎◎です。」
「...。」
「はい、お熱はどうですか?」
「...。」
「お食事はとれてますか?」
「...。」
「どこか痛がったりしていますか?」
「...。」
「判りました、先生に確認するのでチョットお待ちいただけますか?」

「先生、△□才のお祖母ちゃんで、もともと高血圧と糖尿病で診ている方なんですけど、昨夜からお熱が39度代でお食事も摂れてないらしんですよ。」
「血圧は?」
「上が130で下が70くらいだそうです。」
「う~~~ん、大丈夫そうな気もするけど、とりあえず顔見に行くか。」
「じゃ、家族にそう伝えます。」

「もしもし、今先生と相談してこれからお伺いさせて頂く事になりました。30分後くらいには行けると思いますので。」
「...。」

大抵の場合は大丈夫な事が多く、行ったら行ったでピンピンされてらっしゃる事も少なくありません。
ただ不安の中で手を拱くしかない本人や家族にとっては、白衣を着た医者と看護師が荷物を抱えて来てくれるのは非常に有難いものだそうです。

「なぁんだ婆ちゃん、元気そうじゃん。心配しちゃったよ。」
「ありがとねぇ、先生。来てもらっちゃって。」
「うん、いいのいいの。仕事だから。」
「なんか不安でさ。」
「そうだよね。ほら、今インフルエンザも流行っているから。」
「もうちょっと長生きしたいんだけどねぇ。」
「婆ちゃんならあと10年は平気だよ。」
「なんか昨日は夜も寝られなくて...。」
「大丈夫、そのうちずっと寝ていられるようになるから。箱の中で。」
「あはは、嫌だよ先生。」
「そん時は頭に付ける三角の布、プレゼントするから。」
「先生(怒)!!!!!」
「とりあえずお水飲めるかい?」
「トロミ付ければ、なんとかね。」
「じゃさ、ポカリかなんかを一生懸命飲んでね。」

こんな感じで軽く毒を吐きながら診療は終了するのですが、先日は事態が違いました。

「先生、94歳で在宅療養されているお祖母ちゃんなんですが2日前から眠ったまま一切水も食事も摂れなくなっているって、さっき家族の方から連絡来たんですけど。」
「ああ!94歳?!」
「熱は無いらしいんですが。」
「それは熱がないんじゃ無くて出せないんだよ。まずそこ行こう。」
「点滴、何持っていきますか?」
「とりあえず(ソリタ)T1とT3、あとグル(ブドウ糖)も。」

お部屋を訪れると、ベッドの上で動かなくなっているお婆ちゃんがいました。
声かけにも反応なく、肩をゆすっても反応なし。
血圧はいつもと変わりませんが、熱は39度代で心拍100弱。

「うわ、完璧な脱水だよ。点滴いくよ。」
「T1でいいですか?」
「うん、どこから入れよう。」

もともと高齢のために血管が脆く、更には脱水のせいで張りがありません。
まずは看護師がTry。
1本目、失敗。
2本目、失敗。
「よし、俺が変わる。」
3本目、失敗。
「先生、やっぱりあたしがやります。」
4本目、何とか成功!

「とりあえず水分を補給させます。水か足りてきた段階でまず熱が出てくると思いますが正常の反応なので慌てないでください。今繋がっている点滴が終わる頃にまた来ます。」

家族にそのほかの注意事項を伝え、いったん撤収。
他にも待っている患者さんは盛りだくさん。
一通り終わったのは夕方の5時を過ぎていました。

日もとっぷりと暮れ、最初に行ったお宅に再訪問。
チョットは元気になったかと期待していたのですが、予想は見事に外されました。
点滴がほとんど落ちていない。
熱と脈拍はさらに上がり、呼吸も苦しそう。
おいおい、このままじゃヤバいよ。

「点滴取りなおすよ。」
「先生、針があと1本しかありません。」

ここからクリニックまで、片道30分はかかる。
取りに行って戻るのに交通事情を考えると下手したら2時間近く。
この一本で決めるしかない。

やるっきゃない。

左手を手に取り、手背を何度も撫でつけ、血管を浮き立たせる。
針の角度に微調整を加え、一気に刺す!

入った!

「末梢確保OK!ルート頂戴!」
「え!入っちゃったんですか?まだルートできてません!」
「急いでぇ、今回は自信あるから。」
「できました!繋ぎます!」
「OK!漏れなし。落ちてる?」
「バッチリです。」
「このボトルは全開Rapidで、10%グル20ml混ぜちゃおう。」
「次のボトル、どうします?」
「もう一本はT1かな。連結管で繋いじゃおう。」

点滴が500ccも入った頃、お婆ちゃんの熱と脈拍が落ち着き始めました。
これに合わせて体動も出始めます。

「お、元気になってきた。これ以上動くとまた点滴外れちゃうから、軽く両手結わえさせてね。」

とりあえず一安心。
これで朝までに更に1000cc入れば落ち着くでしょう。

「明日の朝の状態も俺に教えてちょうだい。」

翌日は自分の当番日じゃないけど、やっぱり気になるから看護師に指示。
「今夜何かあったら先生に相談してもいいですか?」
「あったりきしゃりき」
「なんすか?それ。」
帰りの車の中は心地よい疲労感に包まれました。

翌朝、看護師からの電話報告。
「昨日のお婆チャン、熱は36℃代で脈拍も60台。呼吸も安定してます。」
「おお、良かった。これなら大丈夫そうだね。」
「あと発語でました。」
「なんて?」
「"痛い"って」
「あはは、それだけ回復してりゃ大丈夫だわ。お疲れさん。」
「はい、先生もありがとうございました。」

昨夜は久々に痺れるような状況でした。
最後の一本で点滴が取れた瞬間は、まさに点滴の神が僕に舞い降りてきた瞬間だったと今思うわけです。

第97回「この時期になると思いだす事」

今年の医師国家試験は第104回だそうです。
日程は2月13日から15日にかけての3日間。
6年間勉強してきた事の集大成が評価される最大のイベント。

この頃の医学部6年生は精神的にかなり擦り減ってます。
電話帳ほどの厚さのある過去問集を4回も5回も繰り返し、
友達同士で問題を出し合い、
苦手分野の教えを請い、
得意分野の憶え方を提供します。

医師国家試験に定員はありません。
合格ラインを通過すれば全員がDr.です。
この段階で友人はライバルではなく、同志です。

ただこの時期、どんなに勉強しても足りなく思えて仕方ありません。
同じ問題で何度も間違える。
引っかけ問題に何度も騙される。
隣で勉強されているテーマが気になって仕方がない。

「あ~、自分も循環器系苦手なのにまだ消化器から抜け出せない!」
「今日のノルマ、このままじゃ終わらないよぉ!」

大抵夜の12時までは大学構内の自習室で仲間と勉強。
帰宅してシャワーを浴び、缶ビールを飲みながらひと時の休息。
時計の針が2時を過ぎ、そろそろ寝なくてはと布団に潜り込むも
「あれ?エバンス症候群って何だっけ?」
一度頭の中に浮かんでしまった疑問は、時間の経過とともに膨れ上がり
もう寝てなんかいられません。
ごそごそと布団から這い出し電気をつけて、教科書を調べ

「あ、そうそう。よし!寝るぞ!」

温まった布団に再度潜り込み、電気を消して眼を閉じる。
「あれ?シャルコマリーって何だっけ?」
再度電気をつけ、教科書を開き確認。

「ふぇ~~ん、このままじゃ寝られないよぉ!」

毎晩がこんな感じ。
この時期に睡眠薬に頼る人間も少なくありません。

年が明け、生活時間帯の修正が始まります。
試験開始は午前9時。
この時間に思考回路が100%回るよう、それまで夜型の生活を朝型に切り替えるのです。
6時半に起床し、朝ご飯を食べ、9時から勉強スタート。
夜は10時に勉強を切り上げ、12時には眠る。
この切り替えがなかなか難しい。
身体がついてこない。
では、何をする?

答え:神様に頼る & 験(ゲン)を担ぐ

何の脈絡もなく
「あの信号が青のうちに渡り切ったら勝ち」とか
「デジタル時計の表示が11:11:11の瞬間を見たら勝ち」とか
"ミサンガ"が流行ったのもこの頃。
それまで立ち寄る事もなかった神社に赴き、何年かぶりの初詣。
学業成就のお守りを購入。
お神酒を持ち帰り、友人らと共に盃を傾けます。

そして1月7日、七草。
勉強部屋にカセットコンロと鍋を持ち込み、スーパーで購入した七草粥セットを広げます。
ここで全員の動きがぴたりと止まる。

「ねえ、お粥ってどうやって作るんだ?」

「知らねぇ、作った事ないもん。」

「ご飯にお湯かけて煮詰めちゃえばいいんじゃね?」

「それじゃ茶漬けじゃん。」

「お粥とオジヤって何が違うの?」

「それって国試出る?」

「たぶん出ない。」

「じゃ、回答は後回し。」

「鍋やった後にご飯入れて食うのって、あれとは違うよな。」

「だからそれはオジヤでしょ。」

「七草オジヤは却下です。ちゃんとお粥にしてください。」

「だったら自分で作れよ!」

「やっぱりお米の状態から作るのかなぁ...。」

今までお粥なんか作った事のない人間が集まったところで正解が得られるわけもなく、業を煮やした一人が強制的に調理に入りました。

「こんなもん、ご飯と葉っぱと水入れて煮込んじゃえばいいんだよ。」

「味付けは?」

「お粥に味付けなんかしたっけ?」

「う~~~~~~~~~ん...。」

「俺、とりあえず梅干し持ってきた。」

「偉い!おまえ国試合格決定!」

勉強の傍ら、全員がチョコチョコと蓋を開けては覗き込み

「そろそろ良いんじゃね?」

紙皿なんかじゃなくて、各自が自前の茶碗と箸を準備。
順番に鍋の中身をよそっていきます。

「ちゃんとお粥っぽくなってるじゃん。」

「お粥って言うか、糊?」

「ちょっと喰ってみ?」

「う~~~~~~ん、かなり微妙。っていうか不味い。」

「確かに、お粥ではないな。」

「どーすんだよ、まだこんなに残ってるぞ。」

「他の部屋の奴らに食わしちゃおうか。」

「それはそれで、ちょっと癪。」

「あ、醤油かけると食えるよ!」

「マジ?ほんとだ!食える!」

「卵かけたらもっと良かったかもね。」

「だからそれはオジヤだって。」

「醤油まだある?俺も欲しい。」

「な、ちょっと言っても良い?」

「なんだよ。」

「お前、泥食ってるみたい。」

「言うなよ!自分でもそんな気がしてたんだから!」

「はぁぁ、正月早々泥食ってる俺達って...。」

「だから言うなって!」

見栄えも悪く、決して世辞にも美味しいと言えるものではありませんでしたが、なぜかこの時期に七草粥を食べる度に、あの泥水のようなお粥を思い出してしまうのです。

第96回 DUTY(義務)

ウチの中は絶えず色々な声が聞こえます。
特に夜9時頃...。

「ママ、明日家庭科でエプロン持っていくの忘れてた!」
「何で今頃!もう9時過ぎてるよ!」
「宿題やったの!?」
「学校からプリント貰ってきてないの!?」
「今日の分のチャレンジやった!?」
「ランドセル片付けなさい!」
「この脱ぎっぱなしの靴下は誰の!?」
「明日の時間割そろえた!?」
「脱いだ服、ちゃんとたたみなさい!」
「歯、磨いたの!?」
Etc.etc.etc.....

子供達の学年が上がるにつれて要求される数とレベルが上がるのはやむを得ない事ではありますが、これがなかなか大変です。
要領良くやれば予定就寝時刻には余裕で間に合いそうなものの、"テレビ"とか"Wii"とか"ネット"とか"マンガ"とか、とかく誘惑が多すぎて抗う事が困難極まりない。
結果として寝る時間はとっくに過ぎているにも関わらず、やらなくてはならない事が山積み状態。必然的に21時の親(おもに母)子バトルの封が切って落とされるのです。

勉強をやらなくていいとは言わない。
自分の身の回りの事はちゃんと自分でやらなくちゃいけない。
当たり前の事を当たり前にこなす。
今この程度で処理能力を超えるようであれば、この先動作を立ち上げる度にフリーズするのは必至。
メモリを上げろ。
いらないファイルは消去して、定期的にデフラグかけろ。
バージョンアップを怠るな。
言いたい事は山ほどあるけど、なかなかどうして。

以前、朝方に子供達がカミサンの逆鱗に触れた時
煙の立ち昇る回路が制御不能に陥った彼女を奥の部屋に退避させ
トースト片手に固まったまま涙を流し続ける子供達に話しました。
静かに、ゆっくりと。

いいか、お前たちがやらなくてはいけない事は4つだけ。
ひとつ、良く寝る事。
ふたつ、良く食べる事。
みっつ、良く遊ぶ事。
よっつ、良く勉強する事。
この4つは車のタイヤみたいなもんだ。
全てのタイヤにちゃんと空気が入って、ちゃんと固定されて、ちゃんと回る事で車は真っ直ぐ進むんだよ。
どれか一個でも回らなければ、車も動かない。
学校の授業やチャレンジだけが勉強じゃない。
遊びの中にも勉強になる事はいっぱいある。
勉強の中にも遊びは隠れてる。
いいか、
嫌だからって逃げるな。
嫌だと思っていたものが実は楽しい物かも知れない。
まずは、やれ。
とりあえず、食え。
そして学校に行って来い。

本当はこの4つの他に
「約束を守る事」と「嘘をつかない事」を入れたかったんだけど
いきなり6つは無理だろうし、
タイヤが6個ある車は無いからね。
ま、昔のF1で「タイレルフォードP34」ってのがあったけど...。


(まだスーパーカーブームの名残が抜けません。)

追伸:
一年間、稚拙な駄文を拝読頂きありがとうございました。
今年は年明け早々に父が他界し、また6月には祖母が他界。
喪中につき新年のご挨拶が儘なりませんが、この場を借りてこの一年の感謝と来年に向けてのご挨拶と代えさせて頂きます事ご了承ください。
では皆様、良いお年をお迎えください。
また来年。

第95回 ご先祖様 その2

「真田幸村」

今、歴女(歴史好きの女性)の中で人気No.1の戦国武将が彼だそうです。
主君(豊臣秀頼)を奉りながらも稚拙な戦略に妥協を許さず独自に出城(通称「真田丸」)を構築。徳川軍を迎え撃ち壊滅的な打撃を与えたばかりでなく、撤退の際に追いかける事さえもしない徳川勢に対し「関東勢百万も候え、男は一人もなく候」と言い放ったのはあまりにもカッコ良すぎる。

両軍入り乱れて戦う最中、際だった力で敵軍をなぎ倒す赤い軍勢があった。
真田幸村旗下三千の赤備えである。
真田隊の通った跡は草木一本残りはしない。
それはまさに真っ赤な溶岩の流れであった。
(「真田十勇士」 岡村賢二/笹沢左保 著 リイド社)

また更に、ゲーム「戦国BASARA」において描かれる幸村が美青年ときた日にゃ歴女ならずとも惚れるってもんです。

先週のコラムで真田幸村を取り上げたのは、何も歴女に人気を博そうと思って書いた訳ではありません。
また、常日頃より先祖を奉り心に留め置き続けているわけでもありません。
とあるきっかけがありました。

先々週のコラム「大人買い」の中で一部訂正と追加がございます。
長男ジェームス(小3)とプラモデルを買うシーンの冒頭ですが、何も彼が最初から真田幸村を知っていたわけではありません。
実はこんなやり取りから始まったのです。

「パパ、この赤いガンダムなに?」
「あは、真田幸村だ。」
「誰?」
「戦国時代の有名な武将。」
「武将って?」
「お侍さんの偉い人。」
「大将ってこと?」
「まさにその通り。ちなみにこの人ウチのご先祖様だよ。」
「本気(マジ)?」
「真剣(マジ)。」
「凄ぇ!オレ、ご先祖様作りたい。」
「幸村はご先祖様だけど、ガンダムは先祖じゃないよ。」
「わかってるよ!」
「じゃあ、幸村だけじゃ寂しいから他のも買うか。」

かくしてガンプラ7個買いに至ったわけであります。
レジに持っていく途中もコラムでは7個と書きましたが、実は6個。

「ご先祖様はオレが持ちたい。」

彼の切なる願いで幸村ガンダムのみ別ルートで運ばれたのです。
それ以来、我が家はチョットした幸村ブーム。
とりあえずは子供がとっつきやすい「真田十勇士」から行きましょう。
最初は"猿飛佐助""霧隠才蔵"あたりのメジャーキャラ。
そのうち"根津甚八""筧十蔵""海野六郎"あたりの渋キャラ。
読み進めていくうちに"徳川家"とか"豊臣家"、そして当時の時代背景の移り変わりなんかに興味を持ってくれればいいんだけど。
ただただ年表覚えるより、ずっと楽しいじゃん。

第94回 ご先祖様

ここに一冊の家系図があります。

家系図

「人皇五十六代 清和天皇」に始まり、「貞保親王」、「善淵王」と続くのですが、七代目から姓が「武藤」に変わります。
途中から「海野」に変わりますが数代でまた「武藤」に戻り、38代目当主の欄に自分の名前があります。
ま、江戸時代には家の格式を上げるために「家系図の偽造」なんて事は日常茶飯事で行われており、この家系図もどこまで本当なのか疑わしい限りです。

ただ、チョット面白いのは26代目に「真田昌幸(真田安房守、後武藤喜兵衛)」、27代目に「真田幸村(真田左衛門佐)」の名前がある事。

家系図

真田幸村は息子の大助と共に慶長20年(1620年)大坂夏の陣において戦死しますが、本来の継承者である兄の信之が家督を継いで血脈を途絶えさせる事を免れたようです。

真田幸村

実際に武藤の家紋は「六連銭」。

六連銭

"六"という数字には死後、生まれ変わる行き先6か所(六道)である「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上」のそれぞれを現すとともに、三途の川の渡し賃として死者の棺に成仏するよう願いを込めて納められた史実もあり、地蔵尊信仰の象徴とされる数字のようです。

小さい頃より父から「ウチは真田幸村の子孫だ」などと吹き込まれていた記憶があります。
子供ゆえに疑う余地のあろう筈がなく言われるが儘に信じ込んでおりましたが、ここ最近になり色々読んだり調べているうちに様々な疑問点が浮上してきました。

先に述べた「家系図の偽造」の他、記載内容に関しても腑に落ちない。

なによりも「幸村」という名前は本来「信繁」だった筈。
この名前は武田信玄の弟である武田信繁から父である昌幸が譲り受けたものであるため、由緒正しき名前を生前に改名する事はまずあり得ない。
現存する直筆の書状の中でも「信繁」の名前を頻用しており、「幸村」と書かれた書状は見つかっていない。
「幸村」の名前は江戸元録期の歴史小説『真田三代記』において初めて使われ始め、後に『真田十勇士』の大ヒットによって定着した名前であると言っても過言ではないはず。
幸村の村の字は、徳川を呪い続けた妖刀「村正」から取られたなんて説もあるほどで、なんか如何にもフィクションぽくない?
であるにもかかわらず、家系図上では「信繁」の名前は端に追いやられ、大きく「幸村」と記載されているのはおかしくないか?

一方で真田は信濃の名族として知られる滋野家の流れをくむ海野家の傍流であり、これらの名前が家系図の中には多く散見されています。
と、言う事は、
歴史上史実と照らし合わせてみても褄の合う部分も少なくない、というよりもむしろ合致する部分がほとんどです。

百歩譲ってこの家系図が本物であるとすれば、江戸時代以降に継承を目的に改定したご先祖様が「真田信繁」と書くべきところを、余計なおせっかいで判りやすくするために「幸村」にしてしまったのでしょうか。

う~ん...、
歴史ミステリーって、面白い。