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図書館司書ケイトのであってしまったんだ備忘録

第8回 トルストイは、六畳一間に何を運ぶのか?

一日かかって歩きまわった土地の広さがおまえのものになると云われて、
日の出から日没までを歩きとおし、余命尽きた農夫の寓話がトルストイに
あります。身の丈をこえた欲は持つな、ということのようです。
小生、この話を読むといつも、うすら寂しい気持ちになります。
誰もがいずれは墓穴に埋められるとしても、墓穴のサイズを測って生きよ
というのでは、生きながら死んでいるようなものではないでしょうか。

先日、要介護でもう自宅へは戻れなくなったひとり暮らしの伯母の部屋を
片付けに行きました。高齢者住宅への入居が決まったのです。
転居先は、六畳一間とのこと。伯母の今日までを支えた家財は、とうてい
運びこめない広さです。いや、これは狭さというべきか。ベッドをひとつ
置けばもう、家具らしい家具は入らないというのですから。

そんなわけで、現在入院中の病院から外出許可を取り、家財整理のために
久々の我が家へ帰った伯母は、亡くなった連れ合いの思い出にひたる間も
なく、「要るもの」と「要らないもの」との選別作業に終始しました。
それは、「作業」と呼ぶよりほかに呼びようのない、粗い、見切り発車の
ような選別でした。荷物の量が半端ではないのに、その大半は置き去りに
しなくてはならないのです...。

いつの頃から飾り棚にあったものか―細々とした人形や、観光地の名前が
記された木彫りの置物。幾つあるんだとあきれるほどのもう被らない帽子
の数々。(かつてはご婦人も紳士も、帽子を被っていましたっけ...)
化粧を落とすためのオリーヴ油に、薄い眉毛を補正強調するための眉墨、
こんな?!と絶句する色合いの使いかけたまんまの口紅が何本も...。
確かに老いても洒落っ気はある人でしたが、それにしてもの品々です!
これら【衣】の領域はどうにも手には余るため、早々に妹と入れ替わった
小生は、まだしも判断のつく【食】の整理を請け負いました。
台所のシンクの下に人知れず保管されていた賞味期限切れの「はちみつ」
や「上白糖」なら、小生にだって「要らないもの」という判断がつこうと
いうものです。(たとえ、その大量さに胸が痛んだとしても...)

思えばこの伯母は...、村で初めて「ライスカレー」を食した家の長女なの
でした。祖母の血を受け継いでか、ハイカラな料理が得意だったのです。
小生が、欧米の物語の中でしか見たことがなかった「詰物をした七面鳥」
を食べたのも、ナプキンリングという代物を初めて見たのも使ったのも、
みんなこの伯母の家でのことです。

しかし、そんな思い出のよすがとなる一切合切は、未来には不要のものと
みなされ、「要らないもの」のゴミ袋が、どんどん増えました。
「要らないもの」が本当に「要らないもの」だったかどうかという検証は
たいてい、後になって、あきらかになるものです。
伯母の思い出の再生装置であるかもしれない品々は、いま、手放せばもう
再生機能が失われてしまうだろうと思われました。それなのに六畳一間へ
運ばれる荷物には、思い出よりも、日常必需品が優先されるのです。


かつての我が家で、見せてはもらえなかった『8時だよ!全員集合』も、
札幌祭りの頃にやってきたキグレサーカスのオートバイの曲乗りも、象が
踏んでも壊れない筆箱も、衛生的でないからと禁止されていた夜店の買い
食いも―、みんな見せてくれ、買ってくれ、体験させてくれたのが、この
伯母でした。
「お母さんには黙っていようね」という蜜が滴る「要らないもの」は、
小学生だった小生にとっては、どれもこれも「要るもの」だったのです。
なのに次第に無口になっていった伯母の後押しをすることができなかった
先日の小生は、恩を仇で返す裏切り者のようでした。
誰かが急かさなくては先へは進めない現状だといえ、たった五時間足らず
で、伯母の大切な思い出を、○×で仕分けさせてしまった後ろめたさが、
拭いがたく小生には残りました―。
しかたがないことです。狭さはどうしようもありません。

そうして山のようにあった荷物もあらかたやっつけた頃、小生は伯母から
一枚の油絵を譲りうけました。
以前ここで、「ソーラン節」が好きだった祖父については触れました。
その祖父が遺した油絵です。ちょうど単行本くらいの大きさのキャンバス
地に積丹半島のローソク岩が描かれています。そう、周辺はそのむかし、
ニシンが獲れたといわれる宝の海です。

この絵は飾る壁が無いからという理由で、実は「要らないもの」の箱の中
にありました。小生が手にとり眺めていると、伯母がうれしそうに
「生前贈与するよ」といったのです―。
祖父は素人の日曜画家ですから、売れるような絵ではないのです。
伯母の冗談でした。

「認知症だってみんないうけどね、認知症がこんな冗談を云えるかい?」

伯母は妙に得意気でした。小生、思わずぷっと吹き出してしまいました。
そうして伯母は、父の形見を要る者の手に託したことに安堵したのか、
それきりもう、絵のことは忘れました。

さて、人にはどれだけのモノが要るのか―。
トルストイなら...六畳一間に何を運ぶでしょうか?正直、小生にはわかり
ません。
ただ、人生の最後期に辿りついた棲みかにはせめて、一枚の絵を飾る壁の
すきまくらいは、残されていてほしいなぁと思うのです。
「要るもの」だけで構成された社会は、窮屈ではないですか。
誰が見たって「要らないもの」が、実は一人の人間の生きる意欲を支えて
いることだって、無くはない。

そんなわけで―
伯母の手から託された祖父の形見は今、小生の六畳間にかかっています。



(2009年11月19日)

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