前回はかつて暮らした札幌北大通(キタオオドオリ)団地について書きました。所在地大通西10丁目、今はもう無い建物です。
そこから歩いて5分とかからない北1条西5丁目の角に、これまたかつては美術館がありました。
故・三岸好太郎の作品220点を収蔵する北海道立美術館です。
昭和42年開館の壁式レンガ造り3階建(1部4階)で、近代美術館が誕生した昭和52年に、北海道立三岸好太郎美術館と改称されました。(ちなみにここ、美術館になる前は、道立図書館でした。意外と知られていない...)
さて小生、この三岸好太郎美術館には格別の思い入れがあります。高校2年の夏から卒業するまでの放課後、よく訪れていたのです。
いわゆる「部活」は美術部ではありませんでしたが、熱心にしていた別の部活動での人間関係があまりに濃密で、ときに息苦しくて、疲弊もして...。
普通の高校生の顔と頭に戻って帰宅するには、少しクール・ダウンの時間が必要でした。
そんな時間かせぎにと、ふと立ち寄った美術館で出あってしまったのが、三岸好太郎だったのです。
当時、入館料は無料でした。
小生が通った頃は、1階と2階が展示室だったと記憶しています。入り口を入ってすぐの階段の手摺を、いつも左手で撫でながらまず2階へ上がりました。
仕合わせなことに、高校生が一人でぶらぶらしていても学芸員さんは放っておいてくれた...。
だから自由に、存分に逢えたのです。
31歳で夭逝した、南7条西4丁目生まれのモダンな道産子画家、三岸好太郎に。
あの夏から、現在に至るまで...。何度衝撃を受けたかしれないのが「飛ぶ蝶」です。
虫ピンで止められた蝶が並ぶ標本から、真昼間、いままさに一匹が脱け出し、飛びたとうとしている一瞬をひっそりと、しかし真正面から捕えた一枚。
時間がないときでも、この画の前では必ず立ちどまりました。打たれた虫ピンをどうかして外すことに成功した1匹の蝶の姿を、目に焼きつけたかったからかもしれません。
「道化役者」も飽かず眺めた作品です。ぴんと張られた1本の綱の上に片足をのせ、両手を掲げ、バランスをとっている三角帽子の一人の道化と...固唾をのんでいるかのような背景の観客...。自分が危うい高校生だということを、途方に暮れた17歳だということを、小生はきっとその道化に観ていたのでしょう。
小品ですが「横向少年」という画も好きでした。坊主頭で、頬が赤い横を向いた少年の心は、まさに小生だと思われました。
三岸好太郎の絵画を通して、小生は学校では気づけない小さな発見を、いくつもいくつもしたような気になっていたのです。
(「兄および彼の長女」に描かれている「兄」が、時代小説作家、子母沢寛その人であると知ったのは、ずっと後のことでしたが...)
そんなわけで、美術館が知事公館裏に移転してしまった今でも、北1条西5丁目に現存する建物は、小生には特別な建物です。
そばを通るたび、あの手摺にもう一度さわれたら、きっと17歳にタイムスリップできるのになぁと夢想します。
現在は道の文書の保管庫だとかいうことで一般人は入れないのですが、もったいない気がしてなりません。それこそ耐震強度が足りているのなら、もっと建物を生かす余生があってもいいじゃないか、と感じるのです。
ノスタルジーが過ぎるでしょうか?
「オーケストラ」「コンポジション」など、音楽に題材を求めた作品も多く遺している三岸好太郎ですが、当時の美術館では小さな音楽会も開催されていました。
後年『北海道立美術館報』を紐解いた小生は、行きたくて行けなかったその音楽会「第3回弦楽三重奏の夕べ」の曲目を確認することができました。
富岡雅美(ヴァイオリン)
馬場順子(ビオラ)
土田英順(チェロ)
若かりし頃の札響の皆さんの演奏...分けても英順氏のチェロを聴けなかったことが悔やまれます。
いまでも英順氏の演奏を聴くと、「飛ぶ蝶」と「道化役者」をみつめていた17歳の横顔が、瞬時に胸によみがえる小生です。
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