甥が二人、姪が二人います。たまに会って彼らと話すと、かつての自分が
そこにいるかのようで、非常に面映い。
先日は甥の一人と骨董市へ行ってきました。小生、古本・古道具が大好き
なのです。ちょっと昔のふつうの人が、ふつうの生活で使っていた道具に
興味があります。よく、誰が使ったのかもわからない品なんて気持が悪い
という人がいますが、小生は平気です。気になるのなら磨けばいい。傷も
汚れも誰かが生きていた証。古道具は暮らしの痕跡がいとおしいのです。
そこで、第4回大生活骨董市です。開催場所は札幌市琴似のその名も生活
支援型文化施設コンカリーニョ。骨董にではなく、生活に「大」を冠する
このセンスが侮れない。小生、三年通っていますが、甥と来たのは今回が
初めてです。いまどきの中学生は、いったい何に興味を示すものやら―。
玩具箱をひっくり返したようでわくわくする会場をまずは一巡し、あとは
てんでに見て歩きました。
見わたせば、小生の部屋にある雑貨を買ったお店も随分出店しています。
東洋陶器のお皿を買った店、琺瑯の飯盒(現レターラックとして使用)を
買った店、プラスチックの水差しを買った店、平たい引きだしの整理棚を
買った店、卓袱台をさがしていた友人に紹介した店―。

今回はいつも看板猫のいる店で、藍色の地に「北の誉」と白抜きされた前
掛け(これをエプロンとは呼べない...)を求めました。「マルダイミソ」
とどちらにしようか迷ったのですが、異動する日本酒好きの同僚へ贈ろう
と思い、「北の誉」に決めた次第。
昭和のスーパーマーケットではこんな前掛けを腰に締めたおじさん達が、
威勢のいい声を張りあげていたものでしたっけ...。
店主としばし談笑し、看板猫とも戯れて、そうだ、ヤツはどうしたろうと
探しに行くと―
いました。zippoのライターの前に―。
煙草は吸わない小生ですが、zippo(ジッポ)のライターは美しいと
思います。蓋を開け閉めするときの音も、点る炎の大きさも、シンプルな
ものも細工が施されたものも、それが手の中におさまる「感じ」も―。
煙草に火を点けなくったって、見ているだけでも嬉しくなるのが炎という
ものです。手のうちに点る光が、何ともいえず好ましいのです。
小生も甥のような中学生だった時分には、そう思っていたものでした。
いや、違うな、今だってそうかもしれない。
というわけで―、甥とあれこれ手にとって見ていると、コンカリーニョの
仙人がやってきました。仙人、実は旧友。この骨董市の仕掛け人です。
奇しくも彼は、甥と(小生の独白と)おんなじセリフをいいました。
「こういうのは、見ているだけでも好いんだよ」と―。
小生の部屋には祖父の形見の油絵が掛かっていますが、ただ眺めているだ
けで、仕合わせな気分になれます。眺めるだけで仕合わせだなんて、心が
豊かだとはいえませんか?身近にある物を知らぬ間に愛でている喜び。
手触りを確かめられる物なら、なおのこといとおしいでしょう。
とはいえ今回のモノはライター。中学生が持つには非常に相性のよくない
シロモノです。母の顔がよぎったかどうか...甥は迷った末に買いませんで
した。よからぬことを教えると妹にはあまり評判のよくない小生としても
敢えて薦めはしませんでしたが「あぁ~ただ見ていたいだけなのになぁ」
と、胸には呟いていたふたり―。
ほかにもさしこみ式のカギや(甥、小生)、ゴムで玉を飛ばすパチンコや
(甥)、昭和の給食室にあったような四角いアルミのトレイ(小生)等、
心惹かれるモノをたくさん愛でましたが買うには到らず。会場内でラム肉
のキーマカレーを食し(これがまた美味!)、甥の骨董市初体験は終了。
して、後日―。
仕事で仙人に会った帰りがけ、「あ、彼にこれをあげよう」と手渡された
のが件のzippoのライターでした。どうやら最後に仙人が買い占めた
うちの一つを譲ってくれたもよう。持つべきものは友、あるいは悪友。
大喜びの甥でしたが意外なことには母(小生の妹)も懐かしがったこと。
「百円ライターが出てくるまでは、ライターって、もっと重みがあるもの
だったよねぇ。zippoのライターって憧れだったじゃない?」
あぁ、確かにそうでした。この母は、憧れを解する母であったかと小生も
なにやら嬉しく...。たかがライター、されどライターの重みをあらためて
感じることができた、仕合わせな春の大生活骨董市でした。

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