前回の拙コラムを読んだという友人に、「俳句はどうなの? 」と、質問
されました。小生、短歌も俳句も好きです。現代短歌との出あいが俵万智
さんだったとすれば、俳句との出あいは黛まどかさんです。1994年、
話題の第一句集『B面の夏』を読みました。
当時、彼女を有名にしたのは、タイトルにもなっているこの句でしょう。
旅終へてよりB面の夏休 (by 黛まどか)
レコードを知らない世代には「B面の感じ」が、もう伝わらないかもしれ
ませんね。
表裏に一曲ずつ収められたシングル・レコードというものは、表(A面)
に収録された曲だけがラジオやテレビに流れ、B面はかえりみられること
のあまりない曲。紙面でいうなら、埋め草のような存在でした。
この句は、泊りがけで海水浴へ出かけたなら、あとはもう、絵日記に描く
こともなくなった小生の夏休みそのものに思えたのです。
とはいえ、これは小生の感慨―。
旅もさまざまです。たとえば次にこんな句が並んでいたなら...旅の印象は
かなり変わってくることでしょう。
会ひたくて逢ひたくて踏む薄氷 (by 黛まどか)
そう―。短歌・川柳と違って、通常、俳句には季語を入れる決まりです。
この句の季語は、「薄氷:うすごおり」。薄い氷を敢えて踏む逢瀬とは、
いかなるものや......。妄想がふくらむ切ない一句です。
加倉井秋をさんにも、こんな句があります。
これ以上行けぬところでさくら見る (by 加倉井秋を)
なぜ、これ以上は行けないのか? 行けない理由は何なのか?
あれやこれやと考え、そこに咲いているさくらとはどんなさくらだろう?
と想像するこの一句......、口にするたび、寂しさを味わう一句です。
一説によると―
俳句人口は、短歌人口の3倍いるんだそうです。
それだけに、さまざまな俳風があります。小生は五七五の音韻が好きなの
ですが、そうとは限らない、自由律俳句というのもあります。
これは、季語にも縛られない句です。自由律と聞いてピンとこないという
方も、山頭火(サントウカ)や放哉(ホウサイ)と聞けば、ああ、アレか
と、思い当たるのではないかと思います。
どうしやうもないわたしが歩いてゐる (by 種田山頭火)
ああ、何だか切ないだの寂しいだのという句ばかり揚げてしまいました。
もちろん、たのしい俳句もあります。
春の風ルンルンけんけんあんぽんたん (by 坪内稔典)
もう、何が何やらわからない句です。でも、口に出すと笑いたくなる。
作者は文学部教授としてはトシノリ、俳句を作る時にはネンテンを名乗る
人気俳人、坪内稔典さんです。著作には300の季語を解説した岩波新書
『季語集』もあります。
歌壇で若手と謂えばまず20代30代の歌人を指しますが、かなりご高齢
のセンセイ方も多い俳壇では、羨ましいことに40代までは【若き俳人】
などと称されるそうです。俳句は、実に息のながい遊びなのですねぇ。
そういえば、いま話題のツイッターにも尾崎放哉の俳句を呟くアカウント
があり、人気を博しています。小生も覗いてみましたが、ふっと目に入っ
てくる放哉の一句は、なんだかその時々の占いのようでもありました。
堅苦しい教科書ではなく、こんなふうにツイッターで放哉に出あうという
のもおもしろいなぁと、小生は感じています。
日が少し長くなり夕煙あかるく (by 尾崎放哉)
短歌が祈りになるなら、一息で呟ける俳句には、おまじないの効用がある
かもしれません。口にして淋しさを味わい、口にして淋しさをしずめる。
いつでも、また、どこでだって呟ける、十七文字のおまじないです。
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先日、本屋さんで坪内稔典さんの『季語集』見つけて購入
ぱらりと開いては読んでみてます(^^)
で、坪内稔典さんのお名前は、こちらの記事で初めて知ったと
ばかり思っていましたが、
毎日新聞の一面「季節のたより」で、毎日、
句を紹介してくださっているのが、坪内稔典さんでした。
「季節のたより」氣にいって読んでいて、
毎日、お名前、見ていたであろうに、私の目は節穴か。苦笑
今後ともお世話になります、稔典さん♪
春の兆しを感じつつ、これからが楽しみな季節ですね。