小生、短歌が好きです。下手ながら自分でも詠みます。
出あいは『サラダ記念日』でした。俵万智さんの第一歌集です。
1987年刊行。いちばん有名なのは、カンチューハイの歌でしょうか。
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
(by 俵万智)
同世代の方なら、説明は不要かと思います。
この歌集は当時、空前のベストセラーでした。
なにより小生が驚いたのは「へ~え、短歌ってふつうの言葉で作っても、
よかったんだ」という一点です。それだけでも彼女の作歌は革命でした。
百人一首熱が高じて和歌はもともと好きだった小生です。朗詠するときの
リズムが心地よいと感じていました。石川啄木の音読も然り―。
しかし、読むだけでなく、自分にも作れるかもしれない―なぁんてことを
考え始めたのは、この歌集を読んだことがきっかけです。
口語もアリなんだ...という認識は、小生の短歌への興味を一新しました。
『サラダ記念日』の刊行以降、短歌は身近な文学になったと云われていま
すが、まさしく、小生にとってはその通りだったのです。
以来、声に出して詠みたくなる、いろんな口語短歌に出あいました。
小生が気づかなかっただけの話で、俵万智さん以前にも、日常のことばで
詠う歌人はたくさんいたのです。そうして愉しんでいるうちに、口語だ、
文語だという区別もあまりしなくなりました。要は詠んで気持ちがいいか
どうか―。いま小生が親しんでいる短歌は、そんな評価に拠るものです。
さらに付け加えるなら―、短歌のいいところは持ち運べることじゃないか
とも、小生、思っています。
何度か入院生活を経験したのですが、一冊の本を読みとおす気力・体力が
ないときでも、短歌なら胸の裡に開くことが可能でした。
大皿一杯のご馳走は食べられなくても、ひとくちなら、味わい、咀嚼する
ことができたのです。
なんなら歩きながら唱えることだって短歌は可能です。三十一文字の長さ
までなら、誰もがきっと憶えられるでしょう。五七五七七の奏でるリズム
は、歩く速度にちょうど合う。小生はよく、諳んじて病棟を歩きました。
たてがみにまず触れむとす褒められたし褒められたしとさもしきわれは
(by 大口玲子)
大口玲子さん作。深く共感する一首です......。
次に驚愕のカンタン短歌(←命名は糸井重里氏)も揚げましょうか。
愚痴くらい言えばいいじゃんミス・ミナコ・サイトウだって泣くことはあ
る (by 枡野浩一)
因みにミス・ミナコ・サイトウとは、辛口の書評でも知られる文芸評論家
の斎藤美奈子さんのこと―。作者は枡野浩一さん。
次は、こんな食事もあるよなぁと、シンとした河野裕子さんの一首......。
一碗にはいく粒の飯があるのだらうつぶりつぶりと噛みながら泣く
(by 河野裕子)
そして最後に小生の暗誦頻度第一位、吉川宏志さんの歌を。仕事を終え、
帰宅途中にぼんやりと他人さまの家の窓を見ながら唱える一首です......。
夕闇にわずか遅れて灯りゆくひとつひとつが窓であること
(by 吉川宏志)
くちびるに歌を持て―とは、ドイツの詩人、フライシュレンの言葉です。
確かに、思わずくちびるへのぼらせたくなるそんな一首を唱えることで、
小生は、一日一日を更新する力をかき集めてきたような気もします。
ひとつひとつが窓であること。そこに明りを灯す人が暮らしているという
こと。小生もまた、小さな灯の点る窓の住人であるということ―。
唱えると、肯定できるのです。誰に褒められなくたって、こうして生きて
いる自分の存在を―。
そんなわけで小生、忙しくて一冊の読破もままならないという諸士には、
気になる短歌を一首憶えて、こっそりと唱えてみることを薦めています。
またあした頑張ろうと思える一首は、祈りのようなものかもしれない。
祈るとすこしだけ、心は落ちつくのです。
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