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図書館司書ケイトのであってしまったんだ備忘録

第11回 後日談。六畳一間で伯母と語らったこと。

第8回で紹介した伯母が転居した高齢者住宅に行ってきました。

どの部屋も六畳一間。明るくて清潔です。伯母の部屋は3階にあり、窓の
下には小川が流れています。今朝、洗濯したという下着と靴下が、洗面台
の小さな取っ手にひっかけて干してありました。
その工夫が、切なくもほほえましい。すぐに持参したタオルかけに移し、
一間のクローゼットに押し込められた荷物(主に衣類)を、妹と整理しま
した。

実は小生、母や妹ほどには手伝いに来ていません。つまり転居に係る疲労
度が二人より少ないということです。二人よりも、認知症がすすんでいる
といわれる伯母が繰り返すおなじ話を、まだ聴ける余力を残している身と
いうわけです。

だからでしょうか―。
まる一日、伯母の話に耳を傾けてみて、伯母はまるで理解力がないわけで
はないのだなと実感しました。
ただ―
一つの話を理解して返答するまでに、とてもとても時間がかかるのです。
きっと伯母の頭の中のスクリーンには、いま話されている場面が映し出さ
れるまでに、3,2,1というカウントダウン・フィルムも差し挟まれて
いるに違いありません。それからやっと本編が始まるのです。本編を観て
ああと伯母が腑に落ちた頃には、質問は次の場面に移ってしまっている。
だから、伯母の受け答えはつねに、「いま現在」の、一つか二つ前の場面
なのかもしれないと感じました。
傍からはトンチンカンに聞こえることでしょう。
でも、ひっかかったジッパーの噛んだ部分に辛抱強くつきあえば、そんな
に外れたことも云ってないのです。ほぐせば話はちゃんとジッパーの線上
にある。少なくとも小生にはそう思えました。

つまり、問題は、話を聴くこちら側にあるのかもしれません。
余裕がないのです。噛んだジッパーにつきあう余裕が。
しかもこの余裕のなさは、伯母のためにと成される行為によりもたらされ
たものなのです。皮肉としかいいようがありません。

介護する者は、役所へ行って、さまざまな手続きを代行します。
申請、契約、解除に係るあれこれです。
手配。相談。調整。確認。書類記入。確認。押印。訂正。再記入。押印。
変更。相談。再記入。確認。押印―。
そうして、それらの一つ一つを、また伯母に説明するのです。繰り返し、
繰り返し、一枚のレコードを、お互い、違う回転数で聴いて話をしている
ような具合であっても...です。
これがたぶん、母や妹が云う「話が噛み合わなくなった...」という嘆きの
全容です。
いや、たまにしか手伝えない者が全容だなんていうのは不遜でしょうか。
ほんの側面...?


帰りがけになって伯母は、「ご飯は美味しいよ」と言いました。
「は」というのが気になりました。「が」では、ない...。

また伯母は、「お茶の葉がなくて...」とも言いました。
伯母は我われに、お茶をふるまいたかったのです。

元来、社交的な人です。
施設はできたばかりで、まだ入居者は数えるほどしかいません。
本当は、話し相手のいない食事にも張り合いがないのでしょう。
お湯は共有スペースにありました。でも茶葉はありませんでした。
このささいなことが、なんだか妙に小生の印象に残りました。
働く職員の方々はとても親切です。でも、皆さん、びっくりするくらい若いのです。コーヒーはともかく、毎日お茶を入れる習慣はもうない世代なのかもしれないなぁと、小生、帰宅してお茶をいれる段になって思いいたりました。自分の習慣にないことは、なかなか思いつくことができません。

ただ何ということのない会話を、お茶を飲みながらふつうに楽しめるような環境を老後につくるには、何をどうすればいいのでしょう?

想像してみてください。ある日とつぜん、まるで知らない場所にある六畳
間で暮らすことを―。
部屋はきれいです。ご飯もあたります。快適ですよと周りは云い、それは
その通りなのです。でもその暮らしはこれまでの自分の延長線上にはない
ものです。習慣だとも思っていなかった習慣を、やむなく変更することに
なるかもしれません。あんまり変更事項が多いと、これまで歩いてきた道
が立ち消えになったようで、不安になるのではないでしょうか?

高齢者住宅は、郊外に多くあるようです。
かつて小生は大通りの公団に暮らしていました。その時に知りました。
老後は田舎で、というのはウソだなと―。
世の中には長く都会に暮らして、都会の方がくつろげるというご老人だ
っているのです。人それぞれなのです。

そんな個人のアイデンティティの問題が、高齢者住宅に関する議論では、
画一的に処理されているような気がします。
まずはセイフティネットの確立だろう、という論もわかっています。
だから今回小生が感じたことは、「いまはまだ―」という脈略での話なの
かもしれませんが。

ともあれ―

母が奔走したおかげで、伯母は翌日からまた、以前通っていたディケア・
センターへ通えることになりました。
顔見知りの○○さんと会話ができる。
何よりのごちそうでしょう。本人もそう云っていました。
【入居者】だから親切にされる―のではない間柄の継続も必要なのです。
何を着て行くか、どの帽子を被ろうかと思案する伯母は嬉しそうでした。

そうなんです。誰の目にも見えはしませんが―、
これでまた伯母は、自分が歩いてきた道の延長線上に、運よく復帰できた
のです。


(2009年12月10日)

コメント(7)

いつも楽しく拝読させて頂いてます。

当方、月に2回の割合で高齢者共同住宅の訪問診療にあたるようになり2年半になります。

最近できた施設はどこも綺麗で、暖かく、明るく、食事も美味しそうで、もちろんバリアフリー。
思わず自分も入居したくなるような設備の整ったところが少なくありません。

ただ、全室個室であるがゆえに入居者さん同士のコミュニケーションは希薄なようです。
もちろん干渉されたくない方もいらっしゃいますが、中には気軽に訪室して茶飲み話の一つもしたいのに、それが儘ならない。
下手に訪室しようものなら「泥棒扱い」される恐れさえもあるのです。
『物取られ妄想』に捕らわれてしまうと自分ら医療従事者までもが容疑者にリストアップされてしまう恐れがあり、必然的に(保身のために)接触時間を短くせざるを得ない現状も存在するのです。

「自分が歩いてきた道の延長線」に戻るお手伝いは極めて長い時間と強い精神力とそれなりの経済力が必要です。
ただそれ以前にケイトさんの様な河口に近い川の流れのようなゆったりとした気持ちの持ち様が基本なんでしょうね。

勉強になりました。

>H.Mutou様

丁寧なコメント、本当にありがとうございます。

小生、色んなお立場の方の、様々なお考えが聞きたいと感じています。


今回の小生の考えはただ一点、
「老後、自分ならこれで嬉しいか?」というところに根ざしています。


今の小生なら下宿したくなるような快適な六畳一間でした。
ただバス停からは遠い立地で、正直「隔離」ということばが胸をよぎったことも事実です。徘徊することを危惧してのことなのでしょうか―。あるいは土地が安い?

ではでは、若者がお年寄りと共同で暮すコーポラティブハウス(?)のような住宅はどうだろう?と、少々調べてみました。けれども既存のそのような施設はどれも高額で、小生のイメージする共同住宅からは、ほど遠い印象でした。

また、別のスジから、高齢者住宅で働く若いスタッフの低賃金についても聞き及んでいます。
本来ならば、一生の仕事にしようと秘めていた志も、所帯を持ったら続けることが難しくて萎えてしまうだろうというような金額でした。


苦労してまじめに働きつづけて高齢になったあかつきに、
急にハイここで暮らしましょうと、新しいステージに連れて行かれることが、はたして仕合せだろうか?

自問していたのはそのことです。

ご指摘くださったように、『物取られ妄想』をはじめとする、対処が難しい色んな「現実」問題があるとは思います。それもたくさん。医療面でも、人員配置面でも、金銭的にも―。

ここにきて小生、

先日、中島岳志氏が話されたホームレスの【再路上問題】も、

奇しくもここでコラムを書かれているカタヒラカコさんが広州の物乞いの子ども達について綴られた話も、

同じく『こころの絵日記』で、竹内千加子さんが解説してくださった心理学者フランクルの話も…

実は、おんなじことを仰っているように感じています。


誰かが、ここに居る自分という存在を「承認」してくれなければ、いくら衣食住が足りても本当に生きていることにはならないのではないか?という問題提起です。

中島さんが「社会的包摂」と云い、カタヒラさんは「話してみると、彼女たちはそのへんにいる普通の子供だった。」と云い、竹内さんが「選択の自由」についてご指摘されていたことごと―。

誰かと自分が「繋がっていたい」という人間にしかない欲求?
その問題が、後回しにされているように感じるのです。

からだと心は本当はひとつです。
画一的なセイフティネットを整えてから、やおら心の問題について考えはじめるのではなくて、小生はどちらも一緒にすすめていくのがいいのになぁ、と考えます。

理想論かもしれませんが、司書は理想を追うのが好きです。
理想の老後には、具体的には何をすれば近づけるのか?を、ただいま模索中です。

伯母はなにより、人と話したいのです。


伯母の姿は、独り者の小生の近未来図でもあります。
ひきつづき、このことについては、折りをみつけて書いていきたいと思っています。

ぜひまた、「現場の声」を聞かせてください。
誇れる街に暮らしたいです。

え~と。
コメント長すぎます(笑)

というか、
コメントにするにはもったいない内容。
別建てで、特集組みましょうか?

お年寄りの問題は、
僕もいろいろ言いたいことがあります。

子供手当もいいけれど
まずは「長生きして良かった」と
思う社会を作ることが先決だろうと…。

BY変酋長

ええと、変酋長さま でいいのかな?

あえて長くお返ししました。

小生もですが、ここにコメントするのは、なかなか気がひけるものです。
でも、本当はここに色んな方が思ったことをくださると嬉しいのでは…?
特集になると、なんだか身構えてしまいます。
距離もあきます。

だから、あえていただいた分量に、おこたえしました。
もっと気軽にみんなが参加できたらと思い…。
むずかしいですね。

編集方針から外れていたならごめんなさい。

いえいえ、編集方針というほどのこともないのですが(笑)

コラムのテーマが普遍的であるからこそ、
そして語りたいことがたくさんあるからこそ、
楽屋裏ではなく、ステージ上で語るべきなのでは?

そう思っただけですよ。

でも楽屋裏の盛り上がりは素の意見が多いから
どとらも大切だということも
よくわかってますけどね。

変酋長

ディスカッション、大好きです!

高齢化社会と福祉制度、

負担と供与、

医療技術の進歩に裏にある現実、

尊厳と見極め、

一日では終わりそうにないですな。

>尊厳

それがたぶん、いまのセイフティネットに小生が裏打ちしたい問題です。

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