札幌郡手稲町字、の時代に生まれた札幌育ち。
小学生の冬は除雪の馬ソリに乗せてもらいたくて早起きした。
春は裏山でエゾサンショウウオの卵を掬ってきては、水槽で孵化させた。
夏はエゾ蝉の幼虫をレースのカーテンにとまらせてはひと晩の脱皮ショーを飽かず眺めた。
秋のお月見のすすきは、いつもその辺で調達した。
そんな昭和の小学生が長じて現在、活字と音楽とビールを愛する非常勤歴29年目の生涯一司書。
前回予告(?)した通り、先週は急遽、佐藤泰志(さとうやすし)原作の
映画『海炭市叙景』(かいたんしじょけい)のロケ現場函館に、実行委員
の一員として行って来ました。
18の短篇からなる原作の中で、何回読んでも小生がいちばん心うたれる
のは、いつも冒頭の一篇「まだ若い廃墟」です。
滞在中は、幾つかのシーンを見学させてもらえたのですが、この印象的な
タイトルの主役を演じる竹原ピストルさんの現場にも、幸運なことに立ち
会うことができました。
むろん小生、映画の現場に足を踏み入れるのは生まれて初めてです。
電車通りのとある交差点のシーンでは、撮影が済むまで通行人に待ったを
かける通称「人止め」なる仕事も手伝わせていただきました。
竹原ピストルさん演じる兄と、妹役の谷村美月さんを撮るこのシーンは、
台本にしてわずか6行(!)。この6行を撮るために何度も何度もまずは
テストを繰り返すのです。
木立に照明を仕込み、カメラの位置を決め、役者の動きを確認し、四方の
歩道を通る人には小生と三人の現地実行委員が頭を下げて待ってもらい、
東京からのスタッフが時には車道へ降りて「車止め」をして、兄妹が道路
をわたりきる場面と、撮影のためにチャーターした市電が走り過ぎる場面
の本番とを見守りました。その間、熊切和嘉(くまきりかずよし)監督と
スタッフは、いったい何度、目の前の坂を上り下りしたことでしょう。
わずか6行、されど6行の映像化を目の当たりにした2時間半でした。
この時期の函館、いや海炭市の風の冷たさは尋常ではありません。毛髪の
中に氷の指を差し込まれ、執拗にかきまぜられたような具合です。という
わけで、底冷えのする野外ロケの撮影がどんなものなのかも、身をもって
知ることとなった、海炭市初日の小生でした。
一日置いて翌朝。通常、関係者以外は立ち入り禁止という函館どっく内で
の撮影と、郊外の倉庫をにわか「海炭ドック」に仕立てたロケ現場に立ち
会うことができました。この日はかつての演劇小僧憧れの状況劇場、新宿
梁山泊の名優、黒沼弘己さんとお話できたことも嬉しかった小生です。
そしてドックの作業員食堂の場面では、映画のニュース等でよく見かける
移動するカメラを初めて見ました。幅広の2本のレールの上にカメラマン
のための足場を作って、ゆっくりと移動させながら撮影して行くのです。
このレールは組立式でした。撮影してはバラし、移動した場所でまた組立
て撮影してはバラして...という、これまた気の遠くなるような繰り返しを
経て、一瞬一瞬の思いを熊切監督はフィルムに焼きつけていきます。
撮影カメラマンは近藤龍人(こんどうりゅうと)氏。
実行委員に漏れ聞いたところによると、おだやかな語り口調とは裏腹に、
要求した「絵」は何としてでも手に入れる近藤氏のことを、東京スタッフ
は「やさしいヤクザ」と呼んでいたそうです。
実は小生も、その一端を垣間見ました。
一段高い足場から造船所の正門にカメラを向けていた近藤氏が、なにやら
ブツブツ呟いたかと思うと―次の瞬間にはもう飛び降りて駆け出して行き
ました。風は心底冷たいものの函館にはあまり積雪がありません。脇の方
にわずか融け残った雪を近藤氏自らがスコップでかき集め始めたのです。
欲しい絵を確実にその網膜に持つ彼が、指示を出すのももどかしく、今、
この光があるうちにと身体が勝手に動いているようにも見えました。
あっという間にスタッフが追随し、汚れた雪はもともとそこにあったかの
ように門扉の辺りに散らばり、要求を満たしたヤクザはまた、もとの柔和
な顔に戻ったのでしたが―。
そう、この映画はデジタルでなく16mmフィルムで撮影されています。
回想シーンは8mmフィルム。ワンシーンを撮り終えるごとに、フィルム
の確認をするカメラマン近藤氏の「OKです! 」という明るい発声を、
どれほど現場のみんなが待ち望んでいたことか―。
撮影の待ち時間に見上げた空に小生は幾度となくヒコーキ雲を見ました。
ヒコーキ雲はどこかへ行き着こうとする機体の軌跡です。白い二本の爪痕
のような線が薄れるまでじっと見ていると、いつのまにか別の爪痕が現れ
て、何だか一生分のヒコーキ雲を見たような気になりました。
また、視界の端にはいつも海か山がありました。ここは半島なのだなぁと
感じ入り、佐藤泰志の描こうとした海炭市を改めて意識した小生です。
実行委員の人達との関わりは、佐藤泰志という文学により結ばれた不思議
な縁です。本当に縁は異なもの。文芸誌に掲載された彼の小説と出あった
20代の頃には、作品の映画化に関わることになろうとは想像だにしませ
んでした。撮影は3月20日までの予定です。終着地点はまだその先―。
11月、映画が完成し公開になったら、小生は現場に敷かれていた2本の
レールとヒコーキ雲と、ヒコーキ雲の下に暮す人々のことを、きっと懐か
しく思い出すでしょう。想像するだけで、今からちょっと泣けてきます。

「海炭ドック株式会社」に挿げ替えられた倉庫の看板。

左の青いヘルメットが熊切監督。右のドカジャンが竹原ピストルさん。
函館どっくの社員食堂にて―。

カメラのレンズを準備する「やさしいヤクザ」こと近藤龍人氏。柔和な
顔が写っていなくて残念...。
※ブログ 映画「海炭市叙景」上映までの足跡
佐藤泰志(さとうやすし)原作の映画『海炭市叙景』(かいたんしじょけ
い)の撮影も、はやいもので残り3週間となりました。
加瀬亮さん、小林薫さん、南果歩さんの撮影シーンは、既に撮り終わった
ようです。あと一人、谷村美月さんは函館入りしたでしょうか―。
昨夜遅くにまわってきた製作実行委員会のメールの件名が、「チームドカ
ジャン」でした。ドカジャンとは、真冬の厳しい現場で働く人たちのため
に開発された防寒着のこと。いわゆるドカタの人たちが着ているからドカ
ジャンです。実行委の何名かが自宅に持ち帰り、日夜「着古し感」をつけ
てきたドカジャンが、いよいよ撮影に使われると、メールの記事は告げて
いました。
この「着古し感」をつけるための地味だけれども大事な作業は、実は小生
にも覚えがあります。高校時代の演劇部では「ヨゴシをかける」と云って
いました。日常生活で実際に使用されているものには、多かれ少なかれ傷
や汚れがあるものです。衣服も着る者の体型に合わせてしだいにカタチが
くずれてくるもの。そんなわけで当時、自分の衣装は持ち帰って着たまま
寝たりしていました。しわや汚れは生活の証しなのです。そうやって衣装
を体になじませると、自然と役柄にも気持ちがこもるようになったことを
小生、久しぶりに思い出していました。
それで元演劇部の血が騒ぎ出したのでしょうか? 撮影も終盤にはいった
いま頃になって、小生は函館に行きたくてしかたがありません。
寺尾実行委員のブログ、『映画「海炭市叙景」上映までの足跡』でも紹介
されていましたが、いよいよ竹原ピストルさんが撮影中ということも大き
な魅力です。
竹原ピストルさんは、熊切和嘉監督映画ではおなじみの俳優さんですが、
実は歌手です。大学にはボクシングで入ったという異色のシンガーソング
ライター。もう解散してしまいましたが、以前は、野狐禅(やこぜん)と
いうバンドで活動されていました。
ソロになった彼の『オールドルーキー』という一曲を聴いて、その歌詞に
ノックアウトされた小生です。
歌っている竹原ピストルを見たくてネットでライヴの映像を探しました。
そしてみつけた映像をみた小生、
「つみあげてきたもので勝負しても、勝てねぇよ」と搾り出すような声で
歌う竹原ピストルこそは、日本一ドカジャンが似合うヴォーカリストだと
勝手に確信してしまいました。
そんな竹原さんの演じる役が、連作短編が織りなす『海炭市叙景』という
物語の中で、小生が最もいとおしく思っている役かもしれないのです。
この機に年休を取らずして、いつ取れというのでしょう?
何ごともうまくいかない時、小生は全部投げ出して一からやりなおしたい
と思ったりします。ダメダメな自分を無かったことにし、そこを乗り越え
たところから、新たに出会いなおしたいものだと―。
しかし、実際はそんな都合よくいきません。「ダメな自分」が、もう一度
立ち上がるしかないのです。佐藤泰志の主人公たちがちょうどそんなふう
にあがくように。
今回、ドカジャンを持ち帰ったメンバーはいったいどんなことを思ったで
しょうか? 自分が袖を通したジャンバーが、海炭市という街の映像の中
に残るのです。低予算の市民参加型映画『海炭市叙景』には、こんなエピ
ソードがさまざまあります。どんな場面にも、きっと誰かの痕跡が伺える
ことでしょう。それは何も目に見えるものばかりとは限りません。映画の
中に動く人、置かれた物を辿れば、かならず誰か身近な一人に繋がるはず
です。
前回、ここで紹介したロケ弁当がいい例でしょうか。この映画を支援する
誰かの畑で丹精された野菜は、誰かの運転する車で運ばれ、食事班の誰か
が調理するロケ弁当になりました。そのお弁当を美味しい美味しいと絶賛
した南果歩さん。彼女の撮影場所まで車を運転した人も、車の手配をした
人も、みんなチームです。そう、チームドカジャンです。
(けっしてチーム「パイロットジャンパ」ーではありません...)
※ 映画「海炭市叙景」上映までの足跡 http://kaitanshi.dreamlog.jp/
※ 竹原ピストルさんのブログ http://blog.goo.ne.jp/pistol_1976
映画『海炭市叙景』の撮影が函館市内で始まりました。実行委員会の発足
から一年余。途中参加の小生も、感無量です。
原作者、佐藤泰志(さとう、やすし)との出会いについては、拙コラムの
第13回に書きました。彼の生み出した主人公達が、帯広出身の熊切和嘉
(くまきり、かずよし)監督のもと、いよいよ海炭市(=函館市)を歩き
出しました。本当にうれしいです。
東京の製作スタッフと共に準備をすすめる実行委員会メンバーの動向は、
函館に居ない小生のもとへも、毎日毎晩、共有メールで送られてきます。
逐一経過が知らされるこの数行のやり取り、何かに似ているなぁとずっと
考えていたのですが、先日ツイッターで会議の実況報告をする津田大介氏
のtsudaる状態に似ているのだとハタと気がつき、一人でニンマリとした
小生です。
クランクイン前日の夜、これまでのメールをざっと読み返してみました。
実にさまざまなやり取りがありました。
実行委員会本部からメールで発信された案件は、実行委員が各自心あたり
を探して返信し、ときには写メして画像で問いかけ、集約した本部が監督
やプロデューサーに打診します。
ロケ地候補の視察、建物所有者との交渉、ロケの食事と調理場所の手配、
機材と人を運ぶ車両の分配に運転手の見当、衣装・小道具の準備、食材等
寄贈のお願い、そして、係るもろもろの道具の管理や保管場所の確保―。
(この間に、一般オーディションもありました!)
一つの案件にGOサインが出ると、今度は誰が動けるのかをまたメールで
図ります。決定した情報は会議で整理され、その議事録もまたメールで配
信されます。気の遠くなるようなたくさんの事項を一つ一つ積み重ねて、
やっと一本の【映画】は完成するのだなぁと、いま、実感しています。
そして、これからの話です。役者も撮影隊も、起きて、服を着て、食べて
(排泄もし)、移動して、撮影をして、服を脱いで、眠ります―。
云うなれば、衣食住。それをスタッフは、ずーっとサポートするのです。
こう考えてみると―、何だか華やかに見えた映画を作ることも、結局は、
生活そのものなんだという気がします。
撮影初日報告のうち、小生がいちばん心惹かれたのは、ロケ弁の写メール
でした。もう実に、実に美味しそうなのです。
食事班からの報告と画像を、小生、文字通り、食い入るようにみつめまし
た。びっくりしたのは、昼食、夕食とも、野菜が豊富に使われていたこと
です。ロケ弁というものは、コンビニ弁当を少し豪華にしたものだという
小生の推測は、完全にくつがえされてしまいました。

観たところ、サラダだけでもレタス・ブロッコリー・ミニトマト・水菜・
れんこん・パプリカが入っています。新漬けには白菜・胡瓜が見てとれま
す。ニンジンとほうれん草のゴマ和えもあったなぁ。
天ぷらのネタもエビ・イカ・サツマイモ・マイタケ・アスパラの5種類。
ミートボールの酢豚、黒豚のシュウマイ、ホタテのマリネ、昆布巻、玉子
焼、鮭、煮物......。御飯にはミネラルを考えてか、雑穀も入っているよう
です。味噌汁の具は、豆腐と揚げ、ワカメとか―。
南果歩さんはとてもきさくな方で、「おいしい、おいしい」と何度も仰っ
ては、スタッフのカメラにおさまってくださったそうです。北海道には、
こんなに美味しい食材がありますよと、小生も誇らしい気持でした。

その一方、小説『海炭市叙景』の冒頭で、六畳ひと間のアパートの部屋中
を捜して、ありったけの小銭をかき集めていた兄と妹の姿を、思い出して
いました。除夜の鐘の音を聴きながら、あの兄妹は何も食べずにアパート
を出たのです。まだ若い20代の若者二人は、その後、どうなったのか?
映画『海炭市叙景』のロケ弁は、見知っただれかのお母さんが心をこめて
作ってくれた、ハレの日のお弁当のようでした。市民の心意気を象徴する
ロケ弁とも云えます。そう、この映画は住民参加による【市民映画】なの
です。このロケ弁当を、あの兄妹にも食べさせてやりたかった―。
映画はクランクインしました。次なる目標はクランクアップです。
撮影はあと一ヶ月続きます。今後はエキストラを交えての撮影も加わると
いうことです。
生きることは食べること―。
懸命に生きようともがいた兄妹の姿をスクリーンに確認したくて、今日も
海炭市の片隅で、食事班はロケ弁当を作り続けています。
※ 映画『海炭市叙景』実行委員会では、ロケで使う食材・寄付金を募っ
ています。お米でも野菜でも、ペットボトルの飲料水でも結構です。
問い合わせはこちらまで。 nisibori@ms7.ncv.ne.jp
前回の拙コラムを読んだという友人に、「俳句はどうなの? 」と、質問
されました。小生、短歌も俳句も好きです。現代短歌との出あいが俵万智
さんだったとすれば、俳句との出あいは黛まどかさんです。1994年、
話題の第一句集『B面の夏』を読みました。
当時、彼女を有名にしたのは、タイトルにもなっているこの句でしょう。
旅終へてよりB面の夏休 (by 黛まどか)
レコードを知らない世代には「B面の感じ」が、もう伝わらないかもしれ
ませんね。
表裏に一曲ずつ収められたシングル・レコードというものは、表(A面)
に収録された曲だけがラジオやテレビに流れ、B面はかえりみられること
のあまりない曲。紙面でいうなら、埋め草のような存在でした。
この句は、泊りがけで海水浴へ出かけたなら、あとはもう、絵日記に描く
こともなくなった小生の夏休みそのものに思えたのです。
とはいえ、これは小生の感慨―。
旅もさまざまです。たとえば次にこんな句が並んでいたなら...旅の印象は
かなり変わってくることでしょう。
会ひたくて逢ひたくて踏む薄氷 (by 黛まどか)
そう―。短歌・川柳と違って、通常、俳句には季語を入れる決まりです。
この句の季語は、「薄氷:うすごおり」。薄い氷を敢えて踏む逢瀬とは、
いかなるものや......。妄想がふくらむ切ない一句です。
加倉井秋をさんにも、こんな句があります。
これ以上行けぬところでさくら見る (by 加倉井秋を)
なぜ、これ以上は行けないのか? 行けない理由は何なのか?
あれやこれやと考え、そこに咲いているさくらとはどんなさくらだろう?
と想像するこの一句......、口にするたび、寂しさを味わう一句です。
一説によると―
俳句人口は、短歌人口の3倍いるんだそうです。
それだけに、さまざまな俳風があります。小生は五七五の音韻が好きなの
ですが、そうとは限らない、自由律俳句というのもあります。
これは、季語にも縛られない句です。自由律と聞いてピンとこないという
方も、山頭火(サントウカ)や放哉(ホウサイ)と聞けば、ああ、アレか
と、思い当たるのではないかと思います。
どうしやうもないわたしが歩いてゐる (by 種田山頭火)
ああ、何だか切ないだの寂しいだのという句ばかり揚げてしまいました。
もちろん、たのしい俳句もあります。
春の風ルンルンけんけんあんぽんたん (by 坪内稔典)
もう、何が何やらわからない句です。でも、口に出すと笑いたくなる。
作者は文学部教授としてはトシノリ、俳句を作る時にはネンテンを名乗る
人気俳人、坪内稔典さんです。著作には300の季語を解説した岩波新書
『季語集』もあります。
歌壇で若手と謂えばまず20代30代の歌人を指しますが、かなりご高齢
のセンセイ方も多い俳壇では、羨ましいことに40代までは【若き俳人】
などと称されるそうです。俳句は、実に息のながい遊びなのですねぇ。
そういえば、いま話題のツイッターにも尾崎放哉の俳句を呟くアカウント
があり、人気を博しています。小生も覗いてみましたが、ふっと目に入っ
てくる放哉の一句は、なんだかその時々の占いのようでもありました。
堅苦しい教科書ではなく、こんなふうにツイッターで放哉に出あうという
のもおもしろいなぁと、小生は感じています。
日が少し長くなり夕煙あかるく (by 尾崎放哉)
短歌が祈りになるなら、一息で呟ける俳句には、おまじないの効用がある
かもしれません。口にして淋しさを味わい、口にして淋しさをしずめる。
いつでも、また、どこでだって呟ける、十七文字のおまじないです。
小生、短歌が好きです。下手ながら自分でも詠みます。
出あいは『サラダ記念日』でした。俵万智さんの第一歌集です。
1987年刊行。いちばん有名なのは、カンチューハイの歌でしょうか。
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
(by 俵万智)
同世代の方なら、説明は不要かと思います。
この歌集は当時、空前のベストセラーでした。
なにより小生が驚いたのは「へ~え、短歌ってふつうの言葉で作っても、
よかったんだ」という一点です。それだけでも彼女の作歌は革命でした。
百人一首熱が高じて和歌はもともと好きだった小生です。朗詠するときの
リズムが心地よいと感じていました。石川啄木の音読も然り―。
しかし、読むだけでなく、自分にも作れるかもしれない―なぁんてことを
考え始めたのは、この歌集を読んだことがきっかけです。
口語もアリなんだ...という認識は、小生の短歌への興味を一新しました。
『サラダ記念日』の刊行以降、短歌は身近な文学になったと云われていま
すが、まさしく、小生にとってはその通りだったのです。
以来、声に出して詠みたくなる、いろんな口語短歌に出あいました。
小生が気づかなかっただけの話で、俵万智さん以前にも、日常のことばで
詠う歌人はたくさんいたのです。そうして愉しんでいるうちに、口語だ、
文語だという区別もあまりしなくなりました。要は詠んで気持ちがいいか
どうか―。いま小生が親しんでいる短歌は、そんな評価に拠るものです。
さらに付け加えるなら―、短歌のいいところは持ち運べることじゃないか
とも、小生、思っています。
何度か入院生活を経験したのですが、一冊の本を読みとおす気力・体力が
ないときでも、短歌なら胸の裡に開くことが可能でした。
大皿一杯のご馳走は食べられなくても、ひとくちなら、味わい、咀嚼する
ことができたのです。
なんなら歩きながら唱えることだって短歌は可能です。三十一文字の長さ
までなら、誰もがきっと憶えられるでしょう。五七五七七の奏でるリズム
は、歩く速度にちょうど合う。小生はよく、諳んじて病棟を歩きました。
たてがみにまず触れむとす褒められたし褒められたしとさもしきわれは
(by 大口玲子)
大口玲子さん作。深く共感する一首です......。
次に驚愕のカンタン短歌(←命名は糸井重里氏)も揚げましょうか。
愚痴くらい言えばいいじゃんミス・ミナコ・サイトウだって泣くことはあ
る (by 枡野浩一)
因みにミス・ミナコ・サイトウとは、辛口の書評でも知られる文芸評論家
の斎藤美奈子さんのこと―。作者は枡野浩一さん。
次は、こんな食事もあるよなぁと、シンとした河野裕子さんの一首......。
一碗にはいく粒の飯があるのだらうつぶりつぶりと噛みながら泣く
(by 河野裕子)
そして最後に小生の暗誦頻度第一位、吉川宏志さんの歌を。仕事を終え、
帰宅途中にぼんやりと他人さまの家の窓を見ながら唱える一首です......。
夕闇にわずか遅れて灯りゆくひとつひとつが窓であること
(by 吉川宏志)
くちびるに歌を持て―とは、ドイツの詩人、フライシュレンの言葉です。
確かに、思わずくちびるへのぼらせたくなるそんな一首を唱えることで、
小生は、一日一日を更新する力をかき集めてきたような気もします。
ひとつひとつが窓であること。そこに明りを灯す人が暮らしているという
こと。小生もまた、小さな灯の点る窓の住人であるということ―。
唱えると、肯定できるのです。誰に褒められなくたって、こうして生きて
いる自分の存在を―。
そんなわけで小生、忙しくて一冊の読破もままならないという諸士には、
気になる短歌を一首憶えて、こっそりと唱えてみることを薦めています。
またあした頑張ろうと思える一首は、祈りのようなものかもしれない。
祈るとすこしだけ、心は落ちつくのです。
先日、いつも仕事でチェックしている国立国会図書館の情報ポータルに、
200の職種を5つの基準で評価した、アメリカのあるランキングが紹介
されていました。
5つの基準とは職場環境、肉体的な負担、ストレス、収入、雇用の見通し
とのこと。このランキングはその総合評価で決めたもので、収入の順位で
はありません。それによるとわが図書館員は、46番目に良い仕事という
評価でした。46番目とはまた、ずいぶん微妙なランク・インです。
姪がまだ幼稚園児だった頃に、小生、こう聞かれたことがあります。
「ねぇ、大きくなったら何になるの?」
まったく意表をつかれた質問です。そのとき小生は(身長はともかく...)
もうじゅうぶんに大きかったのですからね。
大きくなったら何になるのか―、考えたものになれるとは限らないという
ことに気がつくのは、いったい何歳くらいからでしょう。
幸いにして小生、なりたかった図書館司書という職業には就いています。
しかし、今も身分は非常勤職という不安定立地のまま。仕事に夢中になっ
て熱中すればするほど、胸の裡にある空洞も意識せざるをえないのです。
雇用を打ち切られるかもしれないという不安が絶えず、その空洞をヒュル
ヒュルすり抜けるせいで―。
毎年いま時分になると、この音色に耳を傾けることが多くなります。
来年度も(非常勤として―)働く意思があるのかどうか、上司との面談が
あるからです。
この時期、決まって読み返したくなる一冊の絵本があります。
今から100年以上前のこと、ニューヨーク州ハドソンからそう遠くない
山あいの地方に、木のかごを編んで生計をたてる人たちがいました。
主人公の少年は父親のつくるかごを誇りに思い、はやく大きくなって、父
と一緒にハドソンまでかごを売りに行きたいと夢見ています。
しかし、9歳になってその夢がかなったとき、少年が聞いたかご職人への
町の人の評価は、彼をひどく傷つけるものでした。
母にその報告をしたあとの少年の独白が、小生は、忘れられないのです。
なにがあったか、ぼくがはなすと、かあさんはいった。
「山の木は、わたしたちのことをわかっている。ハドソンの人がわかっ てくれなくたって、かまわないじゃない」
かまわなくないんだと、ぼくはいいたかった。
この、かまわなくはない憤りを、少年はさらに成長して胸におさめること
になります。
しかし小生が、『満月をまって』というこの物語を何度も読み返してしま
うのは、切なくも彼がのみこんだ憤りをこそ、確認したい心境になるから
なのです。
非常勤でも司書の仕事ができるのならかまわない、と、小生、割り切った
つもりで働いてきました。が、かまわなくはなかった―。
非常勤では負えない責任が、やっぱりあるのです。
できれば小生は、今の仕事を正規に続けたい。冒頭にあげたランキングの
基準の1つである【雇用の見通し】が、まさに『大きな問題』なのです。
ほかの4つは、甘んじて受け入れてもかまわない。
米国の評価で46番目に良い仕事は、【雇用の見通し】さえ立つのなら、
小生のランキングではほかの基準を度外視して、堂々第1位なのです。
少年の父親がかごを編むように、小生は図書館で働いてきたのですから。
佐伯一麦さんの『ア・ルース・ボーイ』の一節もまた、いつもこの季節に
思い出しています。高校を中退して必死に職を探す主人公の思いが、こう
綴られているのです。
誰か、ぼくを雇ってください。
この世に自分の居場所がない思いに打ちのめされて、ぼくは心から 祈るような気持ちでつぶやく。
小生が昨年から、ホームレスの自立を支援する雑誌『ビッグイシュー』の
手伝いを始めたのは、明日はわが身かもしれないという思いに駆られての
ことです。常に勤務して責任を負う、正規の居場所が、ほしいのです。
※『満月をまって』(メアリー・リン・レイ文 バーバラ・クーニー絵
掛川恭子訳.あすなろ書房)
※『ア・ルース・ボーイ』(佐伯一麦著. 新潮文庫)
※図書館に関する情報ポータル:カレントアウェアネス・ポータルより
Best and Worst Jobs 2010
(2010/1/5付けWall Street Journalの記事。収入の数値一覧あり)
今冬、子どもたちの自由研究のテーマは、百人一首が人気でした。
小生、疎くて知りませんでしたが、火つけ役は漫画だそうで―。
『ちはやふる』末次由紀/作 講談社刊。
昨年のマンガ大賞の受賞作なんですね。遅ればせながら小生も読んでみま
した。競技かるたの頂点を目指す、高校生の群像劇なんですが...。いやあ
小生、久しぶりにわくわくドキドキする漫画にであってしまいました。
子どもの頃の小生―
お正月のお愉しみといえば、何といっても百人一首かるただったのです。
小生だけではありません。親戚一同が集まってお年玉を配り、ごちそうを
食べた頃合いで、みんながそわそわしだすのです。
そろそろやりますか―、と誰かが口にすると、それがかるたの死闘(?)
の始まりです。
まずは、実力が偏らないようなチーム分けをします。大人は大人、子ども
は子どもで二チームずつ。双方とも敵・味方に分かれたら、各陣営は札を
三段に並べます。
下の句のみが毛書のくずし字で描かれた木の札です。かろうじて拾い読み
できるひらがな―「あまの」「あしの」「うしと」「さしも」等の札は、
小さい子の前に置かれました。とはいえわが一族、百人一首に限っては、
手加減など一切せず、取れる札なら容赦なく誰がとってもいいお約束。
向かい合う相手の実力はいつも拮抗するよう組まれていましたから、敵陣
に得意な歌があれば密かにチェックし、奪いとる気満々で狙っていました
っけ...。
読み手は祖父でした。ふすまを外した二部屋(一方は大人対戦、もう一方
は子ども対戦)の真ん中に座り、まずは「からふだ一丁」と断りを入れて
一首読みあげます。そしてその歌の下の句をもう一度ろうろうと読みあげ
ると、次の札の下の句をまた読みあげるのです。
そうです。小生が夢中になったのは、下の句を読んで下の句をとる、俗に
【下の句かるた】と呼ばれる北海道地域限定の小倉百人一首かるただった
のです。下の句ばかりが連綿と読まれるのですから、意味などは関係あり
ません。耳を澄まして瞬発力と反射神経でとる―。北海道式かるたとは、
スポーツでした。おまけに紙でなく木札ですから、激しくぶつかってよく
爪が割れました。まさしく畳の上の格闘技だったわけです。
負けず嫌いでしたから「トランプでもしてなさい」とギャラリー席を指定
されるのには我慢がならず、必死で文字を憶えた小生です。
同年代のいとこの中でいち早く、大人チームに入ったときの嬉しさは忘れ
られません。絶対に手加減をしない大人たちに混じって挑む、かるた遊び
のなんとスリリングで、おもしろかったことか!
そんな小生の得意札、実は、身もだえするような切ない歌なのでした。
浅茅生の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき
作者は参議等(さんぎひとし)。あなたをひそかに思ってきたけれども、
忍ぶことも今はもう限界なのだと吐露する恋歌なのですが、小学生だった
小生にそんな心情、解るはずもありません。
「あまりて」という仮名を目の端に捕らえたら反射的に手が出たのです。
反発ばかりしていた父の真正面から奪い取った、初めての一枚でした。
だから意地になって死守するうちに、得意札になったともいえます。
先日は、過保護が頭のいい子を作る―と煽るテレビ番組を見ました。
冬休みの自由研究にと「百人一首」を所望した子らも、思えば小生と話を
したのは親の方でした。要望を小生に伝えるのも質問に応えるのも、子の
横に立つ親なのです。わが子に足りない言葉を補填するためでしょうか?
そういや最近では大学生の課題の資料までも、親が探しにやってきます。
小生の幼時期の大人たちは違いました。手とり足とり勉強の面倒を見ては
くれませんでしたが、先のように真剣な勝負は何度もしてくれました。
いつまでもかるたの子どもチームにいることに、小生は屈辱を感じました
が、あの頃の子どもたちはみな、早く大人になりたくて仕方がなかったと
思います。勝負に負け続けるのは悔しかったけれど、大人が子どもと対等
に向き合っている感じは、悪くなかった。だから小生は、たった一枚の札
にも、あんなに執着できたんだと思います。あの一枚には実は一枚以上の
価値があったということです。そんな小生の「あまりてなどか」的体験、
自由研究に『百人一首』を選んだ子どもたちも知っているでしょうか。
昭和の大人は、子どもを突き放すことにも繰り返しつきあったのだなぁと
最近思うのです。それは随時密着して世話を焼くことよりも、実は必要な
体験だとは思いませんか?
あけましておめでとうございます。
小生はこの新しい年を、杜のなかの友人宅で迎えました。
「トトロの家」などと噂される一軒家です。
友人は遊びに来るエゾリスのためにヒマワリの種を買い、ヒヨドリのため
のリンゴをベランダに用意しているような男です。
ひと呼んで仙人―。
そこに、南極観測のためご主人が不在の隣人一家、オペラのピアニスト、
落下傘部隊にいたこともある元自衛官、劇団主催者...などなどさまざまな
メンバーが集いました。
そんな大晦日―。
少し早めに着いた小生、友人の部屋でコーヒーを飲みました。
友人ご自慢のゆり椅子に背をあずけ、柱時計がときを刻むコチコチという
音を聴きました。なつかしい、心地よい音です。子どもの頃の我が家にも
祖父母の家にも、同じような柱時計がありました。一定周期でねじを巻か
ないと止まってしまう、当時はやっかいにも感じた手のかかる時計です。
ふりかえると―
昨年の後半は、実にめまぐるしい日々でした。
自宅にパソコンを持たなかった小生でしたが、仕事に必要な情報を集める
ことに限界を感じ、人並みに「電脳生活」を始めたのです。
ネットで情報を得ることの手軽さには目をみはるものがありました。
ちょうど話題になり始めていた【ツイッター】によるアンケートに参加し
たり、文学賞の予想にも一票を投じたりしました。
【ツイッター】では分刻みで新しい情報を得ることができ、集めた多様な
情報は瞬時に同業者と共有することも可能です。
ただ一方では、情報をこの身に留め置くという感覚を持てないまま、放出
し続けているなという所在なさも募りました。目の前を【文字】が次々と
エンドレスに流れていくのです。書いて、身体に覚えさせる時間などない
環境下で、すぐに判断を下さなければならないことに疲れも覚えました。
唐突ですが―
小生は運転免許も持っていません。通勤など歩いて行けない距離の移動に
は公共の交通機関を使いますが、一番好きな移動手段は、実は歩くこと。
かつてはロードレーサーに乗り、旭川あたりまでなら平気ででかけた小生
ですが、パンクしたチューブラータイヤ(ロードレーサー用の細いタイヤ
です)をうまく縫い合わすことができなくて億劫になり、乗り換えたマウ
ンテンバイクは、いつしか甥に譲ってしまいました。
以来、移動の基本は徒歩。方向音痴ですが、一度歩いた街ではなぜか迷い
ません。また、目的地まで、自分の足で自分を運ぶと達成感があります。
なぜかご高齢の方に道を聞かれることがよくある小生なのですが、ともに
歩く速度でまわりを観ると、色んなことがくっきりと印象に残ります。
また歩きながら考えると、だんだん焦点が定まるようにも感じる不思議。
思うに小生は、ひとつひとつ確認しながら物事をすすめたいタイプなので
した。融通がきかないといえばそれまでなのですが、ショートカットキー
で得た情報は、身につかない気がしてなりません。経過のいちいちを確認
した後でないと納得いく答えが出せない気がするのです。
しかし、ネットに流れる情報のすべてを掌握することなど不可能です。
どの情報を有効とし、どの情報をやり過ごすのか―。
要領よく効率よく情報を捌くことができなければ、これからの図書館では
取り残されること必定なのですが―。
さて、「トトロの家」に、話は戻ります。食べ疲れ、飲み疲れていつしか
新年になり、近くの神社へ皆で詣でて、空を仰ぐと満月でした。
小雪のふりかかる境内で足踏みしながら、小生はしみじみ思いました。
「しずかだなぁ」と...。
だいたい、テレビの音すらしない部屋で新年を迎えたのです。
部屋の中の物音といえば、ただ十人の話し声と、時おり鳴く猫の声のみ。
耳の奥に響いているのは柱時計の音です。コンピュータの稼動音がしない
ということが、こんなにも肩の力を抜いてくれるものだったとは―。
小生、柱時計のコチコチいう音を胸に刻みながら、これから迎える新しい
一年について考えました。
図書館では今後ますます、多様な情報が、迅速に求められるでしょう。
こう書くと、いかにも常套句ですね...。でも、本当のことです。
そんな要求に応えられる脚力をつける一方で、歩く速度で考える高齢者や
子どもの視線にもまた、個別に寄り添える司書でありたい―というのも。
コチコチとは、歯車のひとつひとつが噛み合う音です。
手をかけ、ねじを巻いてはじめて聴こえてくる音です。
例えるなら小生はこの一年を、そんなふうに仕事したいと願っています。
ぜひ、あなたの街の図書館をご利用ください。
本年も、どうぞよろしくお願いします。
9月第2週の「編集人・今日のコラム」で、渡邊編集長が小説『海炭市叙
景』(かいたんし・じょけい)の映画化について取り上げてくれました。
実は小生、映画化製作実行委員会の一員です。佐藤泰志(さとうやすし)
という道産子作家と、彼の遺作の映画化が進められている話を熱く編集長
に語ったのが縁で、このコラムへも投稿することになった次第です。
小生20代半ばで一度、いわゆる「雇い止め」を経験しています。生まれて
初めて、頑張っても報われないことがあるのだと思い知らされました。
自分の力を疑い、漠然とした焦燥感に苛まれて、ちょっとヤサグレかけた
ときに、佐藤泰志という作家に出会ったのです。
彼の出身地である函館は、エキゾチックな街並みが人気で、随分と映像や
雑誌に取り上げられてきた街です。しかし、「内地」からやって来る撮影
クルーが写し取るのは、曇りの日にも綺麗なライトを当てて撮るような―
どこかとりすました風景でしかないように、小生は感じるのです。
彼の小説は暗いです。予定調和的な「安易な希望」は、見当たりません。
読後にはささやかな、本当にささやかな「希望の兆し」のようなものが、
ポッと点るだけなのです。でも、だからこそ、小生は、信用できたのかも
しれません。佐藤泰志の描く主人公たちが、ことば少なに発する思いを。
人が一人立てばあたり前にできる影を、誰も敢えて撮ろうとはしなかった
その影を、佐藤泰志は凝視する作家でした。凝視して眼を逸らせなかった
ために、死んでしまったのかもしれません...。自殺でした。
頼みとしていた人に逝かれ、あとに遺された者たちは、事あるごとにふと
立ち止まって考え込むことになります。
―彼は、どうして死んでしまったんだろう?
―彼は、この続きをどうしたかったんだろう?
―彼が生きていたら、いまの小生をどう思うだろう?
―彼がいま生きていたら、いったい何をするだろう?と。
故人を思うことを、偲ぶと言いますが、佐藤泰志を偲ぶ人間が、函館には
何人もいました。あるいは、佐藤泰志が描こうとした海炭市という街の光
を読み解こうとし、その影をじっと凝視し続ける人たちが、函館以外の地方都市にもいっぱいいました。
映画『海炭市叙景』製作実行委員会のメンバーは、そんな人たちの集合体
なのです。遠い函館西高校時代に佐藤泰志とガリ切りの同人誌を作成して
いたという同級生から、映画化を知って、初めて小説を読んだという若い
読者まで、年齢も職業も実にさまざまです。
しかし小生は、このメンバーたちに共通する、ある思いを感じるのです。
その思いとは、この作品は、佐藤泰志の地元、函館(=海炭市)からこそ
発信しなければならないという、一地方都市の「気骨」です。
映画化の実現に向け、製作資金1000万円という大金を市民から募り、
調達しようという企画―。これは無謀な夢でしょうか?しかし、目標額に
あと200万円というところまでは、実際いま漕ぎつけたのです。
函館がモデルと云う「海炭市」を舞台に、18編からなる短編が交差する
連作小説。それが、原作の『海炭市叙景』です。職を失いひっそりと暮ら
す兄妹が主人公の「まだ若い廃墟」、経営難に苦しみながらプロパンガス
の配達を続ける若社長が主人公の「裂けた爪」、三十四年間、路面電車に
乗り続けた初老の運転士が娘の出産を待つ「週末」―。
監督は、帯広出身の熊切和嘉さんです。
キャストには、加瀬亮さん、小林薫さん、南果歩さん、谷村美月さんらが
内定しています。小生の周辺でも大変人気のある加瀬亮さんですが、彼は
熊切監督作の『アンテナ』で初主演をはたされたのですね。今回も、随分
早い時期から、出演表明をしてくださったと聞いています。
加瀬亮さんはいったい、どの役に惹かれて出演を希望されたのだろう?
南果歩さんは、この群像劇のどの役を演じることになるでしょうか。
想像するだけで、わくわくし過ぎて苦しくなる小生です。あの佐藤泰志の
主人公たちが動くのです。こんなセリフを云うかもしれないのです。
なぜ、山へ登ったのか。なぜふたりとも失業をしていたのか。なぜ、こん
なにも長い間待ったのか。 (「まだ若い廃墟」より)
ああ、しかし、それもこれも...
あと200万の製作資金を調達できなければ、クランクインはできても、
クランクアップはできないかもしれないのですが...。
クランクインの予定は来年の2月です。既に実行委員会では、ロケの食事
では暖かいものをお出ししたいと、人や場所の手配をすすめています。
また、エキストラの皆さんにはカイロを支給しようと、各自で知恵をしぼ
っています。
本当は、道内企業のどこかが協賛で現物支給をしてくれたら―という期待
もあるのです。しかし、自前でできることは全て試そうというのが、海炭
市民の「気骨」というもの。
そこで一人がみつけてきたのが【カイロ大賞】への懸賞応募です。いま、
実行委員は皆、賞金5万円とカイロ1箱(60個入り)の獲得を目指して、
カイロを貼ってあげたい人(あるいは物)と、その理由の作文推敲に余念
がありません。そういえば―
サンタの仮装で夢を語るイベントに、借りたセクシー衣装(!)で飛び入
り参加し、「海炭市叙景を素晴らしい映画にしたいです!」と叫んで優勝
してしまったお嬢さんもいました。(賞金は商品券だったそうです。)
小生、この報告をgメールで読んだときにはグッときました。
それぞれが、自分にできることは何か?と自問して行動に移している。
人こそが、地方は宝なんだと思わせてくれる仲間たちです。
そんな実行委員会のこれまでの取り組みをまとめたメイキング映像は、
You Tubeでも閲覧が可能です。ぜひ一度、ご覧になってください。
熊切監督が、今は無き函館のゴライアス・クレーンを背景に、先行ロケを
行っています。書評家の岡崎武志さんが、佐藤泰志が再評価されれば同じ
団塊の世代である村上春樹との比較研究もあり得ると煽っておられます。
評論家の川本三郎さんが、疲弊した地方都市という視点をかなり早い時期
にもう佐藤泰志は持っていたのだと評価しておられます―。
そして、もし、あなたの心が動いたら、一緒に映画を作りませんか?
危機感と夢を分かち合って、一歩進む...。そしてまた、一歩進む...。
それが、一地方都市、海炭市(=函館)が生み出すリアルな叙景だと、
小生の胸は奮えるのです。
You Tubeはこちら。
http://www.cinemairis.com/kaitanshi/maiking.html
『海炭市叙景』HPはこちら。
http://www.cinemairis.com/kaitanshi/
※募金にもご協力いただければ、幸いです。
今からおよそ100年前のこと―。ニューヨークに住む8歳の女の子が、
『サン』という新聞社宛てに、一通の手紙を書き送りました。そこには、
こんな質問が書かれていました。
「おしえてください。サンタクロースって、いるんでしょうか?」
女の子の名前はバージニア。ていねいな返信を「社説」欄に書いたのは、
ベテラン新聞記者のチャーチ氏―。これは、おそらく、司書ならば誰もが
知っているノンフィクション。今ではクリスマス時季になると必ずどこか
で取り上げられる、あまりにも有名な逸話です。
今年はサンタクロースが来るのか、来ないのか?
これはフィクションとノンフィクションの違いを意識しはじめた子どもに
とっては、かなりデリケートな話題でしょう。
かくいう小生のもとへは、サンタは小学校5年生までやって来ました。
その後も来るには来たのですが、残念ながら小5まで思い描いていた姿と
は、いでたちの違うサンタクロースになってしまいました。
しかし小生、実はもう、その前に知っていたのです。わが家における
サンタクロースの真実を―。
誰かに聞かされたわけではありません。ソレはある日突然、まるで天啓の
ように空から降ってきたのです。そして、「ああ、そうだったのか...」と
静かに胸に沁みました。そう―、小生はとてもラッキーな子どもだったと
思っています。そんなふうに、自らが納得できるまでは、サンタがやって
来ることを少しも疑わずにいられたなんて、ね。
さて、そんな小生、三人きょうだいです。妹とは年子で...彼女は小生より
よほど大人びていましたから、変わったいでたちのサンタを目撃した際に
も、さほどの動揺は見せませんでした。問題は―、弟でした。
弟の思い描くサンタさんは、まだ赤いコートを着て、白いひげをはやして
いたからです。そんなサンタ像を、暴力的な方法で払拭してはならないと
いうのが、当時、小生と妹が心に決めていたことです。
だからついに「サンタクロースはお父さんだって友だちが言うんだ...」
と不安げに弟がもらしたときにも、小生は慌てませんでした。
実は小生自身が、ずうっとサンタクロースの存在を信じてこられた理由が
あったからです...。
「考えてもみなよ。ウチは貧乏だよね?」
「うん」
「昨日だって、給食費が足りなくてみんなで10円玉をさがしたよね?」
「うん」
「自転車だって一台しかないよね。きょうだいは三人いるのに」
「うん」
「なのに―クリスマスプレゼントだけは、毎年もらえる」
「うん」
「すごく大変だって思わない?」
「たいへん?」
「うん。だって、貧乏なのに―」
「ビンボウなのに?」
「給食費をかき集めたりしてるのに―」
「―してるのに?」
「子どもにプレゼントを買ったりしてさ」
「・・・・・」
「それも三人分も」
「・・・・・」
「やっとやっと、買ってくれてると思うんだ」
「・・・うん」
「でも毎年、枕もとにはサンタさんからのプレゼントもあるでしょ?」
「・・・うん」
「こんなに貧乏なんだからさ、いくら何でもサンタさんの分と二つずつ、
きょうだい三人分の贈り物を父さんが用意するのは―、無理じゃない?」
「あ・・・」
「ね?」
「カードも、外国のだった・・・」(Merry Christmasのことか?)
「でしょ?」
「じゃ、やっぱりサンタクロースはいるんだ!」
「いると思うよ。少なくともウチにはね」
「だってほら・・・」(ここで妹も割り込んできて唱和―)
「ウチはウチ―」
「ヨソはヨソ!」
「そうかぁ。ウチはウチ、ヨソはヨソ!だもんね」
「ウチはウチのサンタを信じていればいいんだよ」(上ふたりは必死!)
記憶によれば―、弟にこの話をしたクリスマスから、サンタは小生には本
ではなく、図書券(!)をくれるようになりました。
読む本を、自分で選んでもいいよと、サンタクロースが認めてくれた格好
です。今のようなプリペイド式図書カードなど、まだない時代の話です。
サンタの国に、かぐや姫の模様が印刷された図書券があるというのも、実
に奇妙な話ではありましたが―小生、気にしませんでした。
新聞記者のチャーチ氏は、うたぐりやは、目にみえるものしか信じないの
だと、バージニアに説いています。
そして、こんなふうにも―。
目にみえない世界をおおいかくしているまくは、どんな力のつよい人に
も、いいえ、世界じゅうの力もちがよってたかっても、ひきさくことは
できません。
ただ、信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンをいっとき
ひきのけて、まくのむこうの、たとえようもなくうつくしく、かがやかし
いものを、みせてくれるのです。
小生はクリスマスが近づくと、いつも給食費の袋のことを思い出します。
小銭をかき集めて入れたために、ジャラジャラいったあの袋の重さ―。
それから、教会で母が貰ったのであろうクリスマスカードの手触り―。
(小生が、光沢のある紙よりもつや消しの紙質を好むのは、その感触が、
枕元に発見したクリスマスカードの手触りに似ているからでしょうか?)
妹と結託して弟に話した「ウチのサンタクロース」が、いつまで彼のもと
を訪れていたのか、あらためて聞いてみたことはありません。
いつのまにか、みんな大人になりました。
小生は、目にみえない世界を手わたしたくて、図書館で働いているのかも
しれません。
弟はコックになりました。
食べてなくなってしまうもののために心をこめて、今日もイタリア料理を
作っています。
※『サンタクロースっているんでしょうか?』改装版
中村妙子・訳 東逸子・絵 偕成社 840円
第8回で紹介した伯母が転居した高齢者住宅に行ってきました。
どの部屋も六畳一間。明るくて清潔です。伯母の部屋は3階にあり、窓の
下には小川が流れています。今朝、洗濯したという下着と靴下が、洗面台
の小さな取っ手にひっかけて干してありました。
その工夫が、切なくもほほえましい。すぐに持参したタオルかけに移し、
一間のクローゼットに押し込められた荷物(主に衣類)を、妹と整理しま
した。
実は小生、母や妹ほどには手伝いに来ていません。つまり転居に係る疲労
度が二人より少ないということです。二人よりも、認知症がすすんでいる
といわれる伯母が繰り返すおなじ話を、まだ聴ける余力を残している身と
いうわけです。
だからでしょうか―。
まる一日、伯母の話に耳を傾けてみて、伯母はまるで理解力がないわけで
はないのだなと実感しました。
ただ―
一つの話を理解して返答するまでに、とてもとても時間がかかるのです。
きっと伯母の頭の中のスクリーンには、いま話されている場面が映し出さ
れるまでに、3,2,1というカウントダウン・フィルムも差し挟まれて
いるに違いありません。それからやっと本編が始まるのです。本編を観て
ああと伯母が腑に落ちた頃には、質問は次の場面に移ってしまっている。
だから、伯母の受け答えはつねに、「いま現在」の、一つか二つ前の場面
なのかもしれないと感じました。
傍からはトンチンカンに聞こえることでしょう。
でも、ひっかかったジッパーの噛んだ部分に辛抱強くつきあえば、そんな
に外れたことも云ってないのです。ほぐせば話はちゃんとジッパーの線上
にある。少なくとも小生にはそう思えました。
つまり、問題は、話を聴くこちら側にあるのかもしれません。
余裕がないのです。噛んだジッパーにつきあう余裕が。
しかもこの余裕のなさは、伯母のためにと成される行為によりもたらされ
たものなのです。皮肉としかいいようがありません。
介護する者は、役所へ行って、さまざまな手続きを代行します。
申請、契約、解除に係るあれこれです。
手配。相談。調整。確認。書類記入。確認。押印。訂正。再記入。押印。
変更。相談。再記入。確認。押印―。
そうして、それらの一つ一つを、また伯母に説明するのです。繰り返し、
繰り返し、一枚のレコードを、お互い、違う回転数で聴いて話をしている
ような具合であっても...です。
これがたぶん、母や妹が云う「話が噛み合わなくなった...」という嘆きの
全容です。
いや、たまにしか手伝えない者が全容だなんていうのは不遜でしょうか。
ほんの側面...?
帰りがけになって伯母は、「ご飯は美味しいよ」と言いました。
「は」というのが気になりました。「が」では、ない...。
また伯母は、「お茶の葉がなくて...」とも言いました。
伯母は我われに、お茶をふるまいたかったのです。
元来、社交的な人です。
施設はできたばかりで、まだ入居者は数えるほどしかいません。
本当は、話し相手のいない食事にも張り合いがないのでしょう。
お湯は共有スペースにありました。でも茶葉はありませんでした。
このささいなことが、なんだか妙に小生の印象に残りました。
働く職員の方々はとても親切です。でも、皆さん、びっくりするくらい若いのです。コーヒーはともかく、毎日お茶を入れる習慣はもうない世代なのかもしれないなぁと、小生、帰宅してお茶をいれる段になって思いいたりました。自分の習慣にないことは、なかなか思いつくことができません。
ただ何ということのない会話を、お茶を飲みながらふつうに楽しめるような環境を老後につくるには、何をどうすればいいのでしょう?
想像してみてください。ある日とつぜん、まるで知らない場所にある六畳
間で暮らすことを―。
部屋はきれいです。ご飯もあたります。快適ですよと周りは云い、それは
その通りなのです。でもその暮らしはこれまでの自分の延長線上にはない
ものです。習慣だとも思っていなかった習慣を、やむなく変更することに
なるかもしれません。あんまり変更事項が多いと、これまで歩いてきた道
が立ち消えになったようで、不安になるのではないでしょうか?
高齢者住宅は、郊外に多くあるようです。
かつて小生は大通りの公団に暮らしていました。その時に知りました。
老後は田舎で、というのはウソだなと―。
世の中には長く都会に暮らして、都会の方がくつろげるというご老人だ
っているのです。人それぞれなのです。
そんな個人のアイデンティティの問題が、高齢者住宅に関する議論では、
画一的に処理されているような気がします。
まずはセイフティネットの確立だろう、という論もわかっています。
だから今回小生が感じたことは、「いまはまだ―」という脈略での話なの
かもしれませんが。
ともあれ―
母が奔走したおかげで、伯母は翌日からまた、以前通っていたディケア・
センターへ通えることになりました。
顔見知りの○○さんと会話ができる。
何よりのごちそうでしょう。本人もそう云っていました。
【入居者】だから親切にされる―のではない間柄の継続も必要なのです。
何を着て行くか、どの帽子を被ろうかと思案する伯母は嬉しそうでした。
そうなんです。誰の目にも見えはしませんが―、
これでまた伯母は、自分が歩いてきた道の延長線上に、運よく復帰できた
のです。
北海道大学公共政策大学院准教授、中島岳志さんから、ホームレス関連の
お話を伺いました。翌日、小生は早速、北大生協2階の書籍売場へ―。
ここで、ホームレスの自立支援雑誌『ビッグイシュー』のバックナンバー
フェアをやっているのです。
レジ前に設営された『ビッグイシュー』コーナーの一冊一冊をたんねんに
見ました。この雑誌は、ホームレスが販売しているという点を抜きにして
も、注目される内容だろうか?という検証をしたかったのです。
まず表紙がカッコイイ。ローリング・ストーンズ、バイク姿のニコラス・
ケイジの号などは、小生、迷わずジャケ(?)買いです。
それから、特集記事の多彩さが、いい。「フリーターの今と未来は?」と
いう予想通りの特集もありましたが、その一方「ドラマなき日常を生きる
僕らの演劇生活」、「スペシャルインタビュー、エリック・カール」、
「ようこそ児童・YA文学の世界へ」!などなど、意外なタイトルもあり
びっくりしました。読めば分かることですが、この雑誌はホームレスの人
達が作っているのでもなければ、ホームレスのことばかりが書かれている
わけでもない―。まさに『ビッグイシュー』が謳う雑誌コンセプトの一つ
【意外性を極めるポストエンターテインメント雑誌】そのものです。
また、記事の中で一番人気だという「今月の人(販売人)」ページ。
これには思わず引きこまれました。特に同世代の販売人紹介は飛ばし読み
できません。小生だって一年ごとに雇用更新をされる非正規職員です。
来年はこのページに載っている可能性も...いや、雑誌を売る展開だって、
無いとは言いきれない。
一冊300円の『ビッグイシュー』をホームレスから買うと、160円が
彼らの収入になるというビジネス。そう、これはチャリティーではないの
です。思わず自分が販売人になった気になり、6冊を購入した小生。これ
で960円が、販売人の収入になりました。大変だなぁという実感が、
手にした40円のお釣りからふつふつ湧いてきます。
実はこの雑誌については、渡邊編集長も以前コラムで触れています。
2008年7月3日『褒められもせず苦にもされず』「ホームレスはどこへ」
編集長は北海道庁北門前で『ビッグイシュー』を購入していたようです。
ひるがえって小生、これまでにこの雑誌を、直接、販売人の方から買った
ことがありません。今回はバックナンバーを入手して、それで終わっては
いけない気がしました。販売人を探さなくては―。
『ビッグイシュー』は、販売人の手から購入してこそ、何かが伝わる雑誌
なのだと感じ始めていました。
北大生協の方に販売所と販売人を紹介したチラシのコピーをいただいて、
小生、道庁北門周辺をぐるっと回りました。編集長が買ったであろう菊池
さんを探して―。しかしまだ時間が早いのか、見つかりません。
次に、大通りのジュンク堂へと向かいました。ここの四辻も販売所です。
果たしてジュンク堂書店札幌店前販売所に販売人、村田さんはいました。
近づいてみると、周辺にたくさん人はいるのに、誰も村田さんをちゃんと
見てはいません。信号待ちをしながら、遠巻きです。
「村田さんですか?」
声をかけると口角が上がって笑顔になった人がこちらを向きました。想像
していたよりずっと若い。同世代かもしれません。
「『ビッグイシュー』の最新号をください。」
「ありがとうございます」
小生の声で、立ち止まった人が見ています。
1000円札を出しました。
何だろうと横目で見て行く会社員風。
「ありがとうございます」
村田さんは小型のプラスチックケースから、
ジョニー・デップが表紙の『ビッグイシュー』132号を
大事そうに取り出して、わたしてくれます。
それから腰につけたポーチから、700円のお釣りをくれました。
「ありがとうございます」
吐く息が白い。村田さんが着込んだアノラックが擦れる音がしました。
外はかなり冷え込んでいるのです。
小生、暖かい地下道に降りてから、村田さんは「ありがとうございます」
しか云わなかったことに気がつきました。
それは、とてもシンプルで美しい「ありがとうございます」でした。
『ビッグイシュー』のサイトで読んだ、創始者、ジョン・バード氏の言葉
が、ふっと胸を掠めます。【仕事は人々に平等を与える一番のツールだ】
という一文。
「ありがとうございます」は、ほどこしに返す言葉ではないのです。
それは、物を売って対価を得たことに対する、ビジネスの礼儀なのだ、と
思い到りました。
冒頭の、中島さんのお話に戻ります。
北海道には実数にして200人のホームレスがいるそうです。しかしその
数を想像できる道民は少ないでしょう。身ぎれいにしないと追い出される
土地柄(?)なので、一見してホームレスだとはわからない格好だからと
中島さんは云います。そこにいるのに、見えていないのです。
家を得て、ホームレスではなくなった方々の【再路上問題】も増えている
そうです。
用意された自立支援施設が街の中心部にはないため、誰とも話せない安全
な環境より、危険をともなっても仲間のいる路上の方がいいという心情に
よるものなのだとか―。
この【再路上問題】が示唆するものは、いったい何でしょう?
12月15日(火)、地下鉄大通駅コンコースで、冬季期間限定のブース
売り場が設置されます。地方自治体が、路上ではなく、ブースで売らせて
くれるだなんて、全世界的にも前代未聞だそうです。
中島さんは、見えないものを、見えるようにすることが、ホームレス問題
解決の第一歩だと云いました。このブースも、その一歩だと感じます。
期間中、まず一度、このブースに足を運んでみてください。
小生も実感しましたが、手わたしでなければ伝わらない何かがあります。
目の前にいるその人に、菊池さん、村田さん、原田さんという名前があり
ます。呼びかけて300円を支払い、興味津々の雑誌を一冊と、シンプル
な「ありがとう」を受け取ってほしいのです。
それが小生にもできた、ささやかにも具体的な一歩です。
この一歩を愚直に何度も繰り出すことを、共に「歩む」というようです。
『ビッグイシュー』とは、売る側も、買う側も、人間としての礼節を知る
―ごくごく基本的な、コミュニケーション練習なのかもしれません。
『ビッグイシュー』は、毎月1日と15日の発売です。
※ 北大生協×ビッグイシュー"バックナンバーフェア"
期間: 11月24日(火)~12月19日(土)
場所: 北海道大学生協 書籍部Clark(生協会館2F)
問い合わせ先: 011-736-0916(北大生協書籍部)
※ 12月15日~3月31日(冬季期間限定)
札幌市営地下鉄大通駅コンコース(福祉ショップ「元気ショップ前」)
に『ビッグイシュー』ブース売り場を設置。
最新号(バックナンバーも)こちらで購入できます。
※ 『ビッグイシュー日本版』についてはこちらをどうぞ。
ホームページ http://www.bigissue.jp/
※ビッグイシューさっぽろ についてはこちらをどうぞ。
ホームページ http://bisapporo.web.fc2.com
メール big.issue.sapporo@gmail.com
Tel 080-4040-1914
名曲だと思います。かまやつひろし作曲、園山俊二作詞のアニメソング。
「やつらの足音のバラード」
70年代に小生が見ていたテレビアニメ、『はじめ人間ギャートルズ』の
エンディング・テーマなんですが―。
なんにもない、なんにもないと繰り返される歌詞が印象的でした。
アニメの主人公は原始人の少年です。狩りをすること以外にこれといって
なんにも起こらない暮らし。唐突なナンセンスギャグ。でも、これが楽し
くて笑いました。小生は子どもの頃、ここに出てくるマンモスの骨付き肉
のことを、「ビフテキ」と呼ぶのだと思ってましたっけ...。
その懐かしいテーマ曲を、久しぶりに聴きました。このコラムの第1回目
でもご紹介したキコキコ商店主催のライヴでのことです。
ウクレレを弾きながら歌っていたのは、川口義之さん。チューバとリコー
ダーを吹く関島岳郎さんと、サックス、クラリネット、パーカッションを
演奏される中尾勘二さんとの堂々壮年三人衆によるセッションです。
小生、何の予備知識もなく出かけたのです。キコキコ商店店主である末木
夫妻が、自分たちはこの人たちを呼ぶために店をやっている!とまでいう
ものですから、どれどれ、それでは検証せねばというわけで...。
やぁやぁ、これが実に楽しかったのです。
キコキコ商店は小さなお店です。店内の広さは8畳ほどでしょうか。
そこへサックス、ウクレレ、クラリネット、リコーダー、パーカッション
に大きなチューバまで並んだのです。
小生、クラシックのコンサート会場以外でチューバの音を聴くのは初めて
です。
高らかに歌い上げるだけではないのですねぇ。リズムも刻むし、ハモりも
する楽器でした。今回は、アイリッシュ・トラッドの「シーベック・シー
モア」が、管楽器のみで演奏されましたが、これがまた新鮮で―。
新鮮といえばリコーダーの音色もそうです。ウクレレとともに奏でられた
「本多工務店のテーマ」の素朴な味わいに、小生すっかりヤラレました。
川口さんと関島さんは、【栗コーダーカルテット】というリコーダーをフィーチャーしたユニットにも参加しておいでです。
帰ってから少し調べてみたのですが、彼らのレパートリーの一つ、スター
ウォーズの「ダースベーダーのテーマ」などは、「やる気のないダースベ
ーダーのテーマ」という名で知られているらしいです。
同様にリコーダー・バージョンの「ハイウェイ・スター」なんてのもあり
まして―。
以下は、11月22日のライヴのメモから―。
「ピタゴラスイッチのテーマ」
「川口くんのおすすめトラッド」1、2
「ジャパニーズ・ルンバ」
「やつらの足音のバラード」
「鳥の歌」~パブロ・カザルスで知られる
「平和に生きる権利」~チリの詩人、ビクトール・ハラの作
「ハバナギラ」~イスラエル民謡
「月下の一群」
「夕景」
そしてアンコールは...
チンドン業界では締めの曲だという「四丁目(シチョウメ)」~ヨーイの
かけ声とともに―。
とにかく、まず、三人がなんだか楽し気でした。たんたんと、大まじめに
ふまじめを演じているかのような風情で。技量の確かな三人だからこその
【余裕】のノリなのでしょうか―。いやぁ、とにかく愉快なライヴだった
のです。
帰り道、「やつらの足音のバラード」を鼻歌で歌いながら、小生しみじみ
思いました。音楽って「学」じゃない。「楽」と表記するんだよなぁと。
キコキコ商店店主、末木さんの言葉が胸を過ぎりました。
「うちは、ライヴハウスじゃないんで―」
初めてお会いしたとき、確か彼は三回そう言ったのです。
ライヴハウスじゃないのにライヴを企画する―。
なぜなんだろう?と思っていました。彼が聴きたいからなのだと、今回、
腑に落ちました。まず、思いありき、なのです。末木さんがおもしろいと
信ずるものを、おもしろいと伝えたいからやっている。
それがキコキコ商店スタイルなんですね。
だからライヴハウスじゃない。ライヴそのものです。
一日かかって歩きまわった土地の広さがおまえのものになると云われて、
日の出から日没までを歩きとおし、余命尽きた農夫の寓話がトルストイに
あります。身の丈をこえた欲は持つな、ということのようです。
小生、この話を読むといつも、うすら寂しい気持ちになります。
誰もがいずれは墓穴に埋められるとしても、墓穴のサイズを測って生きよ
というのでは、生きながら死んでいるようなものではないでしょうか。
先日、要介護でもう自宅へは戻れなくなったひとり暮らしの伯母の部屋を
片付けに行きました。高齢者住宅への入居が決まったのです。
転居先は、六畳一間とのこと。伯母の今日までを支えた家財は、とうてい
運びこめない広さです。いや、これは狭さというべきか。ベッドをひとつ
置けばもう、家具らしい家具は入らないというのですから。
そんなわけで、現在入院中の病院から外出許可を取り、家財整理のために
久々の我が家へ帰った伯母は、亡くなった連れ合いの思い出にひたる間も
なく、「要るもの」と「要らないもの」との選別作業に終始しました。
それは、「作業」と呼ぶよりほかに呼びようのない、粗い、見切り発車の
ような選別でした。荷物の量が半端ではないのに、その大半は置き去りに
しなくてはならないのです...。
いつの頃から飾り棚にあったものか―細々とした人形や、観光地の名前が
記された木彫りの置物。幾つあるんだとあきれるほどのもう被らない帽子
の数々。(かつてはご婦人も紳士も、帽子を被っていましたっけ...)
化粧を落とすためのオリーヴ油に、薄い眉毛を補正強調するための眉墨、
こんな?!と絶句する色合いの使いかけたまんまの口紅が何本も...。
確かに老いても洒落っ気はある人でしたが、それにしてもの品々です!
これら【衣】の領域はどうにも手には余るため、早々に妹と入れ替わった
小生は、まだしも判断のつく【食】の整理を請け負いました。
台所のシンクの下に人知れず保管されていた賞味期限切れの「はちみつ」
や「上白糖」なら、小生にだって「要らないもの」という判断がつこうと
いうものです。(たとえ、その大量さに胸が痛んだとしても...)
思えばこの伯母は...、村で初めて「ライスカレー」を食した家の長女なの
でした。祖母の血を受け継いでか、ハイカラな料理が得意だったのです。
小生が、欧米の物語の中でしか見たことがなかった「詰物をした七面鳥」
を食べたのも、ナプキンリングという代物を初めて見たのも使ったのも、
みんなこの伯母の家でのことです。
しかし、そんな思い出のよすがとなる一切合切は、未来には不要のものと
みなされ、「要らないもの」のゴミ袋が、どんどん増えました。
「要らないもの」が本当に「要らないもの」だったかどうかという検証は
たいてい、後になって、あきらかになるものです。
伯母の思い出の再生装置であるかもしれない品々は、いま、手放せばもう
再生機能が失われてしまうだろうと思われました。それなのに六畳一間へ
運ばれる荷物には、思い出よりも、日常必需品が優先されるのです。
かつての我が家で、見せてはもらえなかった『8時だよ!全員集合』も、
札幌祭りの頃にやってきたキグレサーカスのオートバイの曲乗りも、象が
踏んでも壊れない筆箱も、衛生的でないからと禁止されていた夜店の買い
食いも―、みんな見せてくれ、買ってくれ、体験させてくれたのが、この
伯母でした。
「お母さんには黙っていようね」という蜜が滴る「要らないもの」は、
小学生だった小生にとっては、どれもこれも「要るもの」だったのです。
なのに次第に無口になっていった伯母の後押しをすることができなかった
先日の小生は、恩を仇で返す裏切り者のようでした。
誰かが急かさなくては先へは進めない現状だといえ、たった五時間足らず
で、伯母の大切な思い出を、○×で仕分けさせてしまった後ろめたさが、
拭いがたく小生には残りました―。
しかたがないことです。狭さはどうしようもありません。
そうして山のようにあった荷物もあらかたやっつけた頃、小生は伯母から
一枚の油絵を譲りうけました。
以前ここで、「ソーラン節」が好きだった祖父については触れました。
その祖父が遺した油絵です。ちょうど単行本くらいの大きさのキャンバス
地に積丹半島のローソク岩が描かれています。そう、周辺はそのむかし、
ニシンが獲れたといわれる宝の海です。
この絵は飾る壁が無いからという理由で、実は「要らないもの」の箱の中
にありました。小生が手にとり眺めていると、伯母がうれしそうに
「生前贈与するよ」といったのです―。
祖父は素人の日曜画家ですから、売れるような絵ではないのです。
伯母の冗談でした。
「認知症だってみんないうけどね、認知症がこんな冗談を云えるかい?」
伯母は妙に得意気でした。小生、思わずぷっと吹き出してしまいました。
そうして伯母は、父の形見を要る者の手に託したことに安堵したのか、
それきりもう、絵のことは忘れました。
さて、人にはどれだけのモノが要るのか―。
トルストイなら...六畳一間に何を運ぶでしょうか?正直、小生にはわかり
ません。
ただ、人生の最後期に辿りついた棲みかにはせめて、一枚の絵を飾る壁の
すきまくらいは、残されていてほしいなぁと思うのです。
「要るもの」だけで構成された社会は、窮屈ではないですか。
誰が見たって「要らないもの」が、実は一人の人間の生きる意欲を支えて
いることだって、無くはない。
そんなわけで―
伯母の手から託された祖父の形見は今、小生の六畳間にかかっています。
旅先では、必ずその街の図書館へ行きます。旭川でも遠軽でも東京でも。
仕事ではありません。趣味です。見知らぬ土地でちょっとした時間が空く
と、小生、図書館へ行きたくなるのです。
それもできれば小さな図書室が望ましい。調べ物をするためにバスを乗り
継いで出かけるような大きな図書館ではなくて、地元の常連の拠りどころ
となっているような図書室が好みです。
そのむかし、母と母の友人を引率(?)してオーストラリアへ行きました。自慢じゃありませんが小生、英語は不得意です。パン屋へ入り、このパンの中身は何か聞いてくれと母に頼まれて、「バイコン」が「ベーコン」であると解るまで何度「パードン?」を繰り返したことか...
しかしながら母はそんな状況には何ら頓着せず、意気揚々と新たな窮地に小生を追い込むのです。疲れました。シドニー滞在最後の日、オプション・ツアーに参加する母らとは別行動を取り、小生は、ようやく自分だけの「オーストラリア」を満喫することができました。
まず観光案内へ行きました。そこで日本語が話せるスタッフに伝えました。あなたが普段利用しているような、普通の図書館へ行きたいのだと。日本人に、オパールと免税店とコアラ以外のことを聞かれたのは久しぶりだと張り切ったスタッフの紹介で15分ほどバスに乗り、大型スーパーへ
行きました。そこのワンフロアが図書館になっているというのです。
はたしてエレベーターのドアが開くと、そこはもう図書館でした。
日本から来た観光客だが自由に見て歩いてもかまわないかと聞いてみると、ちょうど日本語を勉強中の者がいるからガイドにつけようとの申し出。カタコトの日本語を話す黒ぶち眼鏡をかけた化粧っけのない若い女の子と、たどたどしく英語の単語を並べる小生とで館内を歩きました。
まさに「普通の」図書館でした。書架に並んでいる本の分量も、本を保護
するために表紙にかけられたフィルムの手触りも、当時、小生が勤務して
いた図書館と、そんなにかけはなれた印象はありませんでした。
日本語の本もあるのか聞いてみると、文庫本なら少しあるとのこと。見せ
てもらうと遠藤周作、開高健、田辺聖子、山口瞳などでした。現地勤務の
サラリーマンが日本へ帰ることになったので寄贈しました、というような
風情です。
目新しかったのはスチールの引き出しに仕まわれていたパンフレット類。
ざっくりと項目別(たぶん)に、ファイリングされていました。
実は、短いこの見学でいちばん印象的だったのは、カウンターにすわって
いた女性です。彼女はカウンターよりも一段高い椅子にすわっていました。君臨し、睥睨(?)しているかのような、白髪まじりの強面のご婦人です。
ふと、ある予感があり、案内をしてくれた眼鏡ちゃんに聞いてみました。
「あなたは、ライブラリアンですか?」
すると眼鏡ちゃんはブンブンと首を振りました。
「ライブラリアンなんてとんでもない。あの椅子にすわっている女性が、
うちのライブラリアンです」
「では、あなたは何と呼ばれるのですか?」
すると眼鏡ちゃんは、ちょっと恥いるように、こう応えたのです。
「私は、ライブラリアン・テクニシャンです」と―。
ライブラリアン・テクニシャン(図書専門員)。
それがシドニーだけの呼称なのか、オーストラリアという国の取り決めな
のか分かりません。ただ、強烈な印象を小生に与えた言葉であったことは
間違いありません。図書館の「専門員」ではあるけれど「司書」とは違う
カテゴリー、が、ここにもあったのです。
「私もそのような身分の者ですよ」と、小生は云い、眼鏡ちゃんと寂しい
微笑みを交わしました。
これよりさらに遡ること10数年前―。
イギリスが世界に誇る児童文学作家、フィリッパ・ピアスさんをわが街に
お呼びしたことがあります。
小生も、ピアスさんを接待する一行の末席にいました。やはりこのときも
カタコトの英語で、身の程知らずにもピアスさんに同行していたお嬢さん
のお相手をしていたのです。
せっかくだからと通訳の方が、『ふたりのジム』という短編について語る
小生の感想をピアスさんに伝えてくださったのですが、わが身はそのとき、「パートタイマー」と、紹介されました―。軽く、ショックでした。
【非常勤】。小生愛用の『広辞苑』第四版を引くと、<常勤でないこと>
と出ています。ではと、【常勤】を引くと、<毎日一定の時間、常時勤務
すること。また、本務として専任であること。>という解説。
つまり『広辞苑』に照らせば、小生の仕事は【常勤】のそれとかわらない
はずなのです。けれど英訳すると、パートタイマーということになる―。
何だか釈然としませんが、そういうことなのです。
冒頭で小生、小さな、街の図書室を覗くのが好きだと云いました。
それはどうしてなのかというと、普段使いの図書館だからこそ、居心地の
よい場所にしようと頑張っている世界中の眼鏡ちゃんのような人へ、同志
としてのエールを送りたいからなのかもしれません。
眼鏡ちゃんは、突然あらわれた日本人の小生にも、その辺で絵本を読んで
いた小学生にも、同じ態度で「普通」に、親切に、接してくれました。
だからライブラリアンでも、ライブラリアン・テクニシャンでも、呼称は
どうでもいいことなのかもしれません。
しかし、そうだとしてもやはり―
ライブラリアン(司書)をパートタイマー(非常勤)で?と、言いた気に動いたピアスさんの眉のかたちを、小生は、いまも忘れられないのです。
「ちゃんと食べてるの?」と先週はよく聞かれました。下ごしらえが面倒
くさくて野菜の料理を避けていたら、そのせいかどうか二の腕の毛細血管
があちこち切れて内出血を起こしてしまったのです。小生、没頭する事が
あると本当に寝食を忘れます。
これでも普段はわりあいちゃんと作る方です。一汁一菜が基本で、あまり
凝ったものは作りませんが―。
弟がイタリア料理人なのでオリーヴ油もバルサミコ酢も、かなり早くから
台所にはありました。が、これも、かなりいい加減に使っています。
たとえば、バルサミコ酢をカレーライスに入れるとか―。ウスターソース
を入れると甘くなりすぎると思う方なら、お口に合うかと思います。
血でしょうか?料理に関しては、母方の祖母がチャレンジャーでした。
村で最初に「ライスカレー」を作った人物だと聞いています。
昭和も10年代の...戦争が始まる少し前の話かと思います。
肉は主に農家で絞めたウサギだったそうですが、父の家では肉の代わりに
「ちくわ」を使ったということです。
「ウサギなんて贅沢の部類」だったそうで...。
実は小生、この「代用する」という発想が好きなのです。今、ここにある
もので、どうにか工夫していた昭和の食卓―。
くだんの祖母はロシア総領事館に勤めていたとかいう友人のお父さんから
「ボルシチ」を習い、得意料理としていました。しかし一般家庭でビーツ
の缶詰が手に入るようになったのはつい最近のこと。祖母の作るボルシチ
には、代わりにトマトが入っていました。赤蕪の代用品としては、かなり
ストライクゾーンを外していると思われますが...。
小生、祖母の作るこの酸っぱいスープが案外好きでした。
それは、たいそう「エキゾチック」な味がしました。
ビーツを使った本当の「ボルシチ」がどんな味の物なのか、小生はいまだ
に知りません。
だからでしょうか。豪華なカラー写真を随所に使って、一から十まで懇切
丁寧に詳細を解説してある料理本は、小生ちょっと苦手です。
それなら物語やエッセイ、小説の中の登場人物が作る、申し訳程度にしか
調理手順が書かれていない料理の方が、よっぽどそそられます。
赤毛のアンもいってたじゃないですか。「想像の余地」が楽しいのだと。
そんな小生、最近わが意を得たりの料理本を読みました。上橋菜穂子さん
が描く異世界物語に出てくる料理を再現した『バルサの食卓』です。
料理を担当したのは、チーム北海道。あの<南極料理人>の西村淳さんと
そのご友人らが、「いまの日本で手に入る食材で作ってみたら、あの料理
はきっとこういう味...」と創意工夫されたレシピが満載の一冊です。
上橋さんは、作家とは別に、アボリジニの研究者という顔もお持ちの方。
『バルサの食卓』を読むと、オーストラリアでフィールドワークをされた
時の実体験が『守り人』シリーズを始めとする異世界の構築には生かされ
ているのだなぁと解ります。本当にこんな食べ物がある!と思わせる記述
なのです。それをまた、現実の料理にしてしまうチーム北海道の手腕!
さすがです。
どれもこれも実に美味しそうなのですが、手始めに小生『守り人』ファン
の間でも一番人気だという「ノギ屋の弁当風鳥飯」を、作ってみました。
材料は、ご飯・鶏モモ肉・リンゴ・日本酒・醤油・みりん・山椒の実。
「これだけで出来る!」と帯にも書いてありますが、本当です。
小生はモモ肉をムネ肉に代え、山椒の実はいただきもののちりめん山椒の
佃煮から20粒ほど選りました。リンゴはあかね。これを擦りおろして調味
料と合わせ、焦げ目をつけた肉にからめて焼くのです。みりんは仕上げに
照りを出すため、お玉に半分。
そう。計量の基準が「お玉」というざっくりした感じがまた、実に小生の
好みでして―。
次に作るべきは、チーム北海道の面々が「上品なザンギ」と評したという
「鳥のから揚げ宮廷風」でしょうか。
さて、こんなすばらしいレシピ集にも、一つだけ注意しなくてはならない
点があります。それは、残念ながら小生はバルサではないということです。
馬を乗りこなす短槍の達人という用心棒と、一日、館内を出ることもない
事務職とが、まるで同じカロリーを摂取するわけにはいきません。
前述のモモ肉をささやかにもムネ肉に代えたのは、そんな事情によります。
※ 『バルサの食卓』上橋菜穂子/チーム北海道 著(新潮文庫)¥552
※ チーム北海道:イデ妙子~江別市《カフェ・ド・サンレモ》オーナー
西村淳~<南極料理人>
渋谷文廣~こだわりのカメラマン
上野淳美~札幌市《oteshio》オーナー
高阪美子~札幌市《バンドカフェ》オーナー
西村みゆき~西村淳の妻。料理愛好家。
西村美子~西村淳の妹。テレビ局勤務。
―以上『バルサの食卓』より―
※ <南極料理人>については、「コラナビがオススメするこの一冊」
2009.8.6投稿 『面白南極料理人』シリーズ(タケダフミト記) を参照されたし。
145センチだそうです。朝倉かすみさん。
自称「日本一小さな小説家」
2003年11月6日の北海道新聞には
「小樽市生まれ。札幌で故三遊亭円生の高座を聞いて感動し、道武蔵女子短大では落語研究会に。」
と紹介されています。
実は小生の友人に朝倉さんの同窓がいまして、落研時代の活躍等についても少々聞いています。教育文化会館小ホールで催された卒業高座では、「ガラスのコップで牛乳を飲んだ時、その内側に残る丸い輪じみがどうにも気に入らない噺」を枕に、随分会場を沸かせたそうです。
友人の記憶では...
朝倉さんは、ちんまり座った座布団からお尻を浮かせて、いちいち前かがみになってはマイクに「オチ」をきめていたとかで...。
小柄な姿が目に浮かびます。
この小柄な体型(ご本人曰く「ちび」)というのが、実は朝倉作品に少なからぬ影響を与えているのではないか、と小生は考えています。
ヘンな言い方かもしれませんが、どんな登場人物を描写するのにも朝倉かすみは「下から目線」なのです。
「下から目線」とは、相手を見下さない視線、です。
薄情な人物、軽薄な人物にすら、筆を尽くすのです。
こんな人物...と、先入観が邪魔をする登場人物ほど、朝倉作品では詳細に「読まれる機会」を与えられている気がします。
たとえば...『ロコモーション』のヒロイン、首藤アカリです。
地味な性格とは裏はらに、「むんむんちゃん」などと呼ばれてしまうような体躯の持ち主です。女性からは軽蔑されやすく、男性からは下種な視線を集めやすい...。
しかし朝倉かすみという小説家はずっと寄り添い続けるのです。
このヒロインの抱える空ろに...。
トイレ掃除がおざなりになっていたとして、汚れが落ちない小水のしみを素手で落とそうとするような主人公です。
自らの手を汚しても、便器がきれいになる方を選ぶというのは、何だか小生には生きていくためのバランスを決定的に欠いている人物のように思えます。
そんな、【共感】よりも【驚き】の方が勝る問題ありの重たい女性を、朝倉さんは主人公に据えるのです。
万人に喝采を浴び、好評をはくした『田村はまだか』のその直後にです。
書くに値しない人間などいない。
朝倉さんは、そう云いたいのかもしれません。
イタ過ぎて、なかなか【共感】できない主人公らに向き合うたびに、小生はその確信を深めつつあります。
とはいえ、朝倉作品には、むろん素直に【共感】できる主人公だっています。
七つ年下の恋人を追って、東京から稚内まで来てしまった真穂子さんのこの独白には、ホロリときます。
<虫眼鏡で日ざしをあつめ、黒紙を焦がしたみたいだよ、御堂くん。焼かれる黒紙の気持ちがきみにわかるかね。ちっさい穴があくんだよ。その前に薄いけむりが立つんだよ。けむりが目にしみるってやつだよ、御堂くん。>
『肝、焼ける』より
また、四十八歳の胃弱な山崎さんと、四十五歳のふうちゃん(初婚)のやりとりも...ほろにがくて、でもなんだかいいです...。
<お酒が入ると、モテた話もした。過去の栄光は獲れたてのニシンのうろこみたいに輝いている。しつこくされただの泣かれただの、ふたりともたいへんなモテっぷりをなんでもなさそうに白状し合った。>
「やっこさんがいっぱい」→『静かにしなさい、でないと』(集英社)収録より引用
【共感】と、えっ?!という【驚き】と...朝倉さんの小説には両方あるのです。
今週末、そんな朝倉さんが講師のお一人となる『三つの読書』と題されたトークショーが、札幌市中央図書館で開催されます。
朝倉さんが小説の『外』で何を語るのか、とても興味があります。
また、前述の『ロコモーション』(光文社)が、Amazonで
「公衆便所の落書きで感動出来る人なら読むのもいいかもしれない」等とえげつないレヴュアーに評された時、
「批判は返り血を浴びる覚悟があって初めて成立するんです」と、鋭く反撃した書評家豊﨑由美さんのお話もぜひ聴いてみたい。(豊﨑さんも講師のお一人です。因みにもう一人の講師は『yom yom』編集長の木村由花さん)
書評家といえば、豊﨑さんと並ぶ毒舌家(?)斎藤美奈子さんが、かつて『肝、焼ける』の書評でこんなことを書いています。
文芸予報というページです。
<この作家を敬遠する男性は、しかし、かなり「つまんない男」だな。>2005年12月30日号『週刊朝日』より
これは『肝、焼ける』が小説現代新人賞を受賞した際の、山田詠美さんの今ではあまりに有名な選評「この作者は、ある種の男性から敬遠され、ある種の女性から熱烈に愛される小説を書いていく人だと思う」
にからむものなのですが...
いまのところ小生、
「つまんない男」免れています。
.............................................
●『三つの読書』トークショー(札幌市中央図書館開催)については、こちらをご参照ください。
http://www.city.sapporo.jp/tosyokan/ht/oshirase.html#mojikanren
●朝倉かすみ受賞歴
2003年 北海道新聞文学賞「コマドリさんのこと」→『肝、焼ける』に収録
2004年 小説現代新人賞
『肝、焼ける』(講談社)
2008年 吉川英治文学新人賞『田村はまだか』(光文社)
そのむかし...
札幌の小学校の一部地域では、
「ソーラン節」が運動会の演目にありました。いわゆる『群舞』です。揃いの豆絞りに白足袋姿で、先生が振り付ける通りに踊らなくてはなりませんでした。
小生、コレが苦手で...。
櫓を漕ぐ動作とか、汗を拭う仕草とかを、一糸乱れずみんなで舞うだなんて...照れくさくて困りました。演目が変わった時には、やれやれと思ったことを覚えてます。
しかし、開拓移民の三代目である小生にとって、「ソーラン節」にまつわる思い出はそれだけではないのです。
ふだんは無口で物静かだった母方の祖父が、お酒の席では手拍子を取ってこの「ソーラン節」だけは歌いました。祖父は元教師です。主に小学校と中学校が併設された海岸部の僻地校ばかりを転々として、その生涯を終えました。
祖父が歌う「ソーラン節」のテープ(オープンリール!)を、小生は彼の死後に発見し、おりにふれ聴きかえしては一人で祖父を偲びました。
また、漁村の出身だと聞く父方の伯母が若い頃に、浜でニシン漁の「もっこ担ぎ」をしたという話もよく憶えています。
大漁船が沖から戻ると、浜で待機していた娘らが背に負ったかごの中にニシンを入れて運んだそうです。スコップでニシンを投げ入れるやん衆は、かわいい娘には加減して、そうでない娘には無造作に掬い入れたと云います。何度も何度も船を往復するうち、伯母は自分に手加減してくれる若者を意識したということです。
恥ずかしくて顔もろくに見られなかった娘はただ、背中のニシンの重みにのみ相手の思慕を感じつつ黙々働いたというのです。ちょっと切ない、いい話だと思います。
「ソーラン節」とは、このニシン漁の作業手順を伝承した労働歌の一部です。
枠網を起こす歌があり、
豊漁で網を起こし切れない時には舟子(せこ)の士気を煽る「切り声音頭」があり、
網のニシンを沖合いで汲み上げる際には「沖揚げ音頭」があり、
網に付着した数の子を叩き落とすには「いやさか音頭」が歌われ...などなど。
調べてみると実に興味深い。
伝承歌ですから、歌詞もさまざまあります。現に伯母が恥ずかしそうに口ずさんでくれた「ソーラン節」には、小生がいやいや踊らされたそれにはない歌詞がありました。
6月、札幌の街はYOSAKOIソーラン祭りで騒然となります。
個人的な感慨ですがその陶酔は...
小生をひざにのせて素朴な歌声を聴かせてくれた祖父や、乙女心を垣間見せてくれた伯母の思い出とはうまく結びつかないものです。
勇壮な踊り手たちには、気圧され気味のそんな小生。先日、思わぬところで再会してしまいました。伯母の静かな「ソーラン節」に。
それは「おきあげのうた」と紹介されました。沖合いでニシンと格闘する男衆を陸で待つ、妻や娘や恋人の立場から歌われるもう一つの「ソーラン節」です。
歌っていたのは、
ロケット姉妹(シスターズ)。
アコーディオンを弾きながら美しいおんな唄を歌ってくれたタテヤマユキさんと、ギター一本で夜の浜辺に寄せては返す女心の不安を表現してくれた扇柳トールさんの二人ユニットでした。
友人の司書に誘われたライヴで、初めてお二人のこの歌を聴いて、小生、鳥肌が立ちました。恥ずかしながら、泣くかと思いました。
伯母が口ずさんでくれた歌に再会したからです。
「乙女心のハマナス咲いて今宵出船の色添えるチョイ」
ロケット姉?こと扇柳トールさんは、色んな歌詞が伝わる「ソーラン節」の中からいちばん美しいと思うものを採ったと云います。
小生も少し、図書館で調べてみました。日本放送出版協会から刊行されている『日本民謡大観』の北海道篇のページに、道内各地で採取された「沖揚げ音頭」の歌詞が掲載されています。採取地には、祖父がかつて勤めた古平町の名もあります。
とはいえ...
ロケット姉妹が奏でる「おきあげのうた」は、オリジナルです。
アコーディオンとギター(CDでは笛も)という実にシンプルな構成で、「ソーラン節」ってこんなに美しいメロディだったのかぁ、とあらためて出会わせてくれる、オリジナル...。
その音楽は、澄んだ真水のような味わいです。どんな美味しい味つけも一杯の透明な水には敵わないことがある...。姉妹にはきっと、そのことがよぉく解っているのでしょう。
だからそれぞれが凄いテクニックを持ちながら、敢えて見せびらかすようなアレンジはしない。ただ二人が汲みとった歌そのものの心を、聴く者の胸の裡にそのまんま届けようとする演奏です。
「おきあげのうた」は、風が力を増す夜の浜辺に踏みとどまって祈る者の願いを、こんなふうに歌った歌詞もまた採用しています。
「吹いてくれるな夜中の嵐 主は今夜も沖泊りチョイ」
だからタテヤマユキさんの澄んだ声音が囃す「ヤサエーエンヤー」のリフレインは、荒れはじめた海を鎮めようとする子守り唄なんだ、と小生は思います。
遠い沖合いで歌われた「沖揚げ音頭」とロケット姉妹の歌う「おきあげのうた」とは、その心根が響き合うのです。
それは、祖父や伯母が幼かった小生に聞かせてくれた「ソーラン節」とも、確かに呼応しています。
(編集部より)
『おきあげのうた』はこちらで聴くことができます。
ロケット姉妹 「ロケット記念日ライブ」より(21年10月25日)
*ロケット姉妹の許可を得てアップしています
前回はかつて暮らした札幌北大通(キタオオドオリ)団地について書きました。所在地大通西10丁目、今はもう無い建物です。
そこから歩いて5分とかからない北1条西5丁目の角に、これまたかつては美術館がありました。
故・三岸好太郎の作品220点を収蔵する北海道立美術館です。
昭和42年開館の壁式レンガ造り3階建(1部4階)で、近代美術館が誕生した昭和52年に、北海道立三岸好太郎美術館と改称されました。(ちなみにここ、美術館になる前は、道立図書館でした。意外と知られていない...)
さて小生、この三岸好太郎美術館には格別の思い入れがあります。高校2年の夏から卒業するまでの放課後、よく訪れていたのです。
いわゆる「部活」は美術部ではありませんでしたが、熱心にしていた別の部活動での人間関係があまりに濃密で、ときに息苦しくて、疲弊もして...。
普通の高校生の顔と頭に戻って帰宅するには、少しクール・ダウンの時間が必要でした。
そんな時間かせぎにと、ふと立ち寄った美術館で出あってしまったのが、三岸好太郎だったのです。
当時、入館料は無料でした。
小生が通った頃は、1階と2階が展示室だったと記憶しています。入り口を入ってすぐの階段の手摺を、いつも左手で撫でながらまず2階へ上がりました。
仕合わせなことに、高校生が一人でぶらぶらしていても学芸員さんは放っておいてくれた...。
だから自由に、存分に逢えたのです。
31歳で夭逝した、南7条西4丁目生まれのモダンな道産子画家、三岸好太郎に。
あの夏から、現在に至るまで...。何度衝撃を受けたかしれないのが「飛ぶ蝶」です。
虫ピンで止められた蝶が並ぶ標本から、真昼間、いままさに一匹が脱け出し、飛びたとうとしている一瞬をひっそりと、しかし真正面から捕えた一枚。
時間がないときでも、この画の前では必ず立ちどまりました。打たれた虫ピンをどうかして外すことに成功した1匹の蝶の姿を、目に焼きつけたかったからかもしれません。
「道化役者」も飽かず眺めた作品です。ぴんと張られた1本の綱の上に片足をのせ、両手を掲げ、バランスをとっている三角帽子の一人の道化と...固唾をのんでいるかのような背景の観客...。自分が危うい高校生だということを、途方に暮れた17歳だということを、小生はきっとその道化に観ていたのでしょう。
小品ですが「横向少年」という画も好きでした。坊主頭で、頬が赤い横を向いた少年の心は、まさに小生だと思われました。
三岸好太郎の絵画を通して、小生は学校では気づけない小さな発見を、いくつもいくつもしたような気になっていたのです。
(「兄および彼の長女」に描かれている「兄」が、時代小説作家、子母沢寛その人であると知ったのは、ずっと後のことでしたが...)
そんなわけで、美術館が知事公館裏に移転してしまった今でも、北1条西5丁目に現存する建物は、小生には特別な建物です。
そばを通るたび、あの手摺にもう一度さわれたら、きっと17歳にタイムスリップできるのになぁと夢想します。
現在は道の文書の保管庫だとかいうことで一般人は入れないのですが、もったいない気がしてなりません。それこそ耐震強度が足りているのなら、もっと建物を生かす余生があってもいいじゃないか、と感じるのです。
ノスタルジーが過ぎるでしょうか?
「オーケストラ」「コンポジション」など、音楽に題材を求めた作品も多く遺している三岸好太郎ですが、当時の美術館では小さな音楽会も開催されていました。
後年『北海道立美術館報』を紐解いた小生は、行きたくて行けなかったその音楽会「第3回弦楽三重奏の夕べ」の曲目を確認することができました。
富岡雅美(ヴァイオリン)
馬場順子(ビオラ)
土田英順(チェロ)
若かりし頃の札響の皆さんの演奏...分けても英順氏のチェロを聴けなかったことが悔やまれます。
いまでも英順氏の演奏を聴くと、「飛ぶ蝶」と「道化役者」をみつめていた17歳の横顔が、瞬時に胸によみがえる小生です。
ご存じでしょうか。
札幌の大通西10丁目には、公団があったことを...。
札幌北大通団地とも、北大通りアパートとも呼ばれた鉄筋コンクリート造の10階建て。(ホクダイではありません。キタオオドオリ)
1階、2階はホテルの客室で3階が従業員休憩室。4階より上の階が、いわゆる公団だったのです。
国勢調査の折りに知った小生の部屋の床面積は9坪。台所、トイレとお風呂、6畳の和室、2畳分のサンルームという間取りでした。
小生、そこに死ぬまで住むつもりで暮らしていました。
台所にはお湯が出なかったり...、卓袱台に座ると窓の向こうの合同庁舎で働く人と目が合ったり...、ビル風に煽られ、ガタガタする窓ガラスが落ちやしないかと心配したり...。
不便はあったけれど、昭和のこの集合住宅は、概ね快適でした。
屋上には物干し場があって、布団も干せました。休みの日、洗濯物が乾くまでのひとときを、よくこの屋上で過ごしたものです。
読みさしの文庫本から目をあげ、ぐるりを見回せば、そこは都会のど真ん中なのです。近くのビルの屋上で産まれたとかいう、カモメも頭上を飛んでいました。
愉快でした。
ここは終の棲みかだと、心に決めていたのですが...。
やあ、叶いませんでした。
平成17年に改正された耐震改修促進法(建築物の耐震改修の促進に関する法律)。
この法律により、愛すべきわが公団は耐震強度不足を指摘されたのですが、改修工事を断念し、賃貸住宅としての用途を廃止したからです。
平成21年の今夏、建物は除却されました。
「対応方針:平成21年度までに耐震改修等を実施すべく、区分所有者と協議をいたします。」
という旨の文書が、都市再生機構から住人に配布された平成18年8月から、3年が経っていました。
エレベーターに乗り合わせると、「どの階に行きますか?」と、いつもボタンを押してくれたバングラデシュ人のちいさな女の子は、どうしているでしょう?
ビアガーデンの賑わいも、雪祭りも、ヨサコイも見た屋上...。
今は無いその中空を見上げようと出かけてみたら、心淋しい秋風が吹きました。
思いの深さに今ごろ気づいても、伝える相手はもういないのです。
札幌は、自分のカオが変えられることに無頓着すぎやしないか?...と小生は思うのですが、どうでしょうか?
立ち退きが決まってから引越しをする当日まで、時おり写真を撮っていました。性能の悪い携帯のカメラで無造作に。
ちゃんと撮ろうとしなかったのは、そんなことをするといよいよ立ち退き感が増すようで苦しかったからです。
なお、密かに同潤会アパート札幌バージョンだ、と小生が吹聴していた北大通団地の跡地には、現在マンションが建設中です。

「区分所有者」であるホテル移転の告知文。

バングラデシュ人の女の子が押してくれたエレベーターのボタン。

玄関ドアの覗き窓の目隠しにしていたローリング・ストーンズの絵葉書。

玄関ドアの内側。取り壊しが決まってから、なぜか白く塗られた。

下駄箱。

台所から6畳間を眺める。窓の向こうは道庁第2合同庁舎。

シンプルな洗面台。

トイレ。この床の小さな青いタイルの愛しさよ...。

簡易シャワー。

台所。コンロは一口。

冬。窓から合同庁舎の駐車場を見下ろす。

毎朝、カーテンを開けると大通西10丁目の交差点が見えた。