幼い頃から日本全国を転々として過ごす。現在は北海道在住。
アジアが大好きで、中国・韓国に留学経験あり。
中国では韓国人と、韓国では中国人と主に生活していた。
輸入代行・通訳・翻訳業務。
以前勤めていた会社には、よく取引先の中国人から電話がかかってきた。中国人はたいてい名乗らない。(日本に慣れている中国人は別。)
「●●さんいる?」
などと突然切り出す。こちらからどちら様ですか?と聞くまで名前を言わない。そして電話をつなぐと、挨拶もほどほどに用件だけを手短に言う。その用件についてこちらが説明しているのに、こちらの話を聞かないで自分の要望をまくし立てる人もいる。そして早口の人が多い。
中国人同士の電話での会話で、
「まず聞けって!今説明してるんだから、俺の話聞いてからしゃべれ。」
などと言っていることも度々・・・。
日本で、会社にかかってくる普通の電話はといえば、
「●●会社の●●と申しますけれども、いつも大変お世話になっております。●●のことで少々お伺いしたいのですが、ご担当の●●さんはいらっしゃいますでしょうか・・・」
比べると長っ!そして、話し終わったあとに、
「では確認ですけれども、●●は●●でいいということですね。●●の場合は●●で・・・、はい、どうもご丁寧にありがとうございました。では失礼いたします。」
などというときがあるが・・・、やっぱり長っ!!しかも口調はかなりゆっくり。(同じことを中国人が問い合わせてきた場合、内容をあまり確認しないで切ることが多い。忘れてしまったり分からなくなった場合は、再度電話が来る。)
取引先の中国人が言った。
「日本人の電話はまどろっこしい。ちゃちゃっと用件だけを言って切ればいいのに。長く話すとそれだけ電話代もかかるでしょう」
最初はこの意見に納得できず、やっぱり電話は丁寧に挨拶して、確認してお礼を言うほうが失礼にあたらないし・・・などと考えていた私だったが、電話がじゃんじゃん鳴って、いくつもの電話に出なければいけないとき、超多忙なときは、はっきり言って中国人からの電話のほうが助かることに気づいた。電話の内容は短いし、こちらが焦って早口でまくし立てても相手は気にしない。日本の取引先にそんな対応をしたら大変なことになるが。取引先の中国人が言うことも理解できるような気がするのだった。
また、中国人からの電話でいつも笑ってしまうのが、こちらが電話に出られないと「何で電話に出ないの!」と怒られることだ。親しければ親しいほどそう言われる。日本で友達が電話してきて、何かの理由で出られなくてもそう怒られることはない。相手には相手の予定があるので仕方ないと考えるだろう。恋人とか家族くらい近い関係だったら、人によっては怒る人もいるかもしれないが・・・。あくまで自分の都合を優先する中国の友達にいつも苦笑い。まぁ、それだけ近い関係だと思ってくれているととるべきなのだろう。

日本では銀行や役所の手続きから宅急便の荷物の受け取りまで、何をするにも印鑑が必要だ。何かの申し込みや解約・・・書類には必ず印鑑を押す部分がある。が、これだけ日本で使われている印鑑は、中国ではこのような個人の手続きの場合にはまったく使われない。(会社の社印は日本と同じように使用されているが)印鑑は、もともと中国から日本に伝わってきたものなのではあるのだが。
中国では役所や銀行の手続きの場合、サインでOK。画や書をやる人は作品に印を押すこともあるが、それ以外の人は、印鑑を持っていない場合もある。来日した中国人は、日本で生活しているとやはり印鑑が必要な場面も出てくるらしく、仕方なく作ったという人もいる。私の友達は、まさかこれほど印鑑を使うとは思っていなかった、中国で作ってくれば安かったのにと愚痴をこぼしている。(中国ではさほど印鑑を使う機会はないのに、作るお店はかなりある。特にお土産を売る場所でよく見かける)
以前、ある手続きの書類に私が書いた名前を見た中国人が、
「日本人は、サインするとき一画一画丁寧に書くよねぇ。でもそれじゃあ、誰かが筆跡を真似しようと思ってもすぐできちゃうよね?あぁ、そうか、そうされても困らないように、日本では印鑑を使っているんだね」
と、自分で言って納得していた。中国人には、誰にも真似できないように一人一人独自のサインがあるんだよと彼は言った。
「普通は、流れるようにくずして書くの。」
と、彼はさっと書いて見せたが、それはまるでタレントが色紙に書くサインのようだった。もとの漢字が何なのか全く分からない。日本でこういうふうに書類に名前を書く人はまずいないだろう・・・。彼は随分考えてこのサインを編み出したと言い、中国で書くときのために、私もサインを考えておいたほうがいいよとアドバイスをくれた。そうかなぁ、と、私がなんとなく自分の名前をくずして書いてみていると、
「だめだめ、もっと大胆にくずさなきゃ」
と言って、私のためにサインを作ってくれた。これは文字なのか?というような形状。一筆書きできるよと彼は言ったが、どこから書き始めればいいのかわからない。が、よく練習しなさいよ、と彼は満足気だった。
昔はみな自分でサインを考えたようだが、今はサインを考えてくれる企業があるのだそうで、ネットで気軽に申し込めると教えてくれた。より美しく、書きやすいものを提供してくれるそうだ。

中国人数人と住んでいたときのこと。遊びに来た友達がノートパソコンを置いて帰ってしまった。机の上に置いておこうとすると、ルームメイトに寝室にしまうように言われた。住んでいたのがあまり治安のいい街ではなかったので、盗難を心配したのかと思ったら、
「パソコンとか携帯電話の電磁波って体に良くないんだよ。知らないの?なるべく身体から離しておいたほうがいいよ」
とのこと。
中国の友達からこのようなことを言われることは度々あった。ルームメイトの玲燕(リンイエン)は、常に携帯電話を身から離して、ベッドの上や机の上に置いていて、彼氏にも携帯を胸や腰のポケットに長時間入れたままにしないようにといつも注意していた。私が、日本ではそんなことをしている人は見たことがない、と言ったら、
「これは常識よ。知らないなんて遅れているね~。カコも気をつけないとだめよ!」
と言われてしまった。
電化製品の電磁波が健康に影響を及ぼす可能性がある、という記事をインターネットや新聞で読んだことはあることはあるが、日本にいてそれほど気にしているひとがいるようには思えなかった。それに、自分の生活を振り返ってみても、私の家のキッチンではIHを使っていたし、仕事で一日中パソコンや携帯を使っていたので、それを避けるというのは不可能なように思われた。が、私が一緒に暮らしている中国の友人たちは、それに関して、かなり神経質になっているように見えた。
数年後に玲燕が妊婦になったときには、彼女は更に気を使うようになっていた。そのとき私は日本に帰国していて、彼女とはメッセンジャーでやりとりするようになっていたが、いつも30分くらい経つと、
「今日はここまで。」
と言って、彼女はオフラインになる。理由は、妊婦なのでパソコンの前で長時間電磁波を浴びるのはよくないから・・・なのだそうだ。パソコンをするのは一日30分以内、と決めてしっかり守っているのだった。更に彼女は、電磁波を防ぐ「防輻射服」まで数着購入していた。これは彼女に限ったことではなく、他の中国人の妊婦の友達も家の中でそういった服を着ているのを見たことがある。この友達の家にはパソコンが数台あったので、お腹の子供のために、気休めでもそれを着て少しでも安心したいと言っていた。
これ以外にも、自分が身体に悪いと思うことを徹底して避けるストイックなまでの彼女たちの姿勢に、驚かされることがたびたびあった。冷たい料理やご飯は胃に悪いので絶対口にしない、怪我や手術をしたときは肉類(とくに鶏肉)を避ける、出産後一ヶ月は冷たい水を触らない・・・などなど。
あるとき、玲燕が言った。
「妊娠中に醤油を食べ過ぎると、肌の黒い子が生まれてくるの。だから醤油を控えなきゃ」
これにはふきだした。それなら醤油をふんだんにつかう料理をいつも食べている日本人の子供は黒い子ばかりではないか・・・。彼女たちが信じている「健康の秘訣」にはなるほどと感心させられることもあるが、迷信もたくさんあるように思うのだった。

仕事で知り合った台湾人がいるが、どうしても私の言葉を台湾中国語に直したいらしく、会うたびに私の中国語を細かくチェック、指導してくる。
「舌をまかない!口を開けすぎない!柔らかく話すようにして!」
など。なぜそんなに直したいのかと聞くと、
「台湾人が聞くと、あまりにも直接的だったり、丁寧な表現じゃなかったり、場合によっては失礼に聞こえるから。」
と。私のためを思って言ってくれているのはよくわかるのだけど・・・。
「悪いけど、私は直すつもりはないよ。私は中国で中国語を身につけたのだから、これしかしゃべれないの。あなたの話だと、中国の中国語は失礼だということになるけど、直接的でも、敬語じゃなくても、私は別に失礼だとは思わないよ。失礼かどうかって、話している言葉自体じゃなくて、その人の態度によると思うんだよね。」
これが私の意見だ。
中国人が台湾人に、私が言われたようなことを言われることもあるだろうが、逆に台湾人が中国人に、
「台湾人の中国語は標準じゃない。非常に聞き取りにくい。」
と言われることのほうが実際には多いのではないかと思う。あまりに何度も言われるので台湾の友達が気分を害したこともあったくらいだ。
それにしても「言葉の標準」ってなんなのだろう?誰が決めるんだろう?と、考えてしまう。日本にいる留学生で、中国の朝鮮族(中国国籍だが、祖先が朝鮮または韓国人。中国東北地方に非常に多い。)の友達がいるが、彼女は韓国人留学生と話すときに、相手が韓国語で話しかけてきても必ず日本語で返す。なぜかと聞いたら、
「韓国人に、朝鮮族なまりだねと言われるのが嫌だから」
と言った。韓国人が言うには、朝鮮族が話す言葉は、韓国語より北朝鮮の言葉に近いのだそうだ。
「朝鮮語のクセを口真似されると、なんか嫌ぁな気分になるのよね。だいたい韓国人は自分たちが標準だと思って『韓国語』って言ってるけど、別に『朝鮮語』って言ったっていいんだよね。どっちが標準かなんてほんとはわからないよ」
私の日本語も本州の中部地方のなまりがある。北海道の人には聞きなれないところにアクセントがくるらしく、よく外国人ですかと言われる。標準のアクセントが分からなくて、日本語を教えるときにアクセント辞典を引いたこともある。面白い方言だねと、どこの星から来たの?と、真似されることもあった。でも私は気にせずにしゃべる。これが私だから。
「標準語」というのは、どこの国でも国が目安にしているだけで、それが完璧にしゃべれるからと言って、どうとうことはないと私は思っている。たとえ誰かに標準じゃないねと言われても、別に恥じることはない。その人が話す言葉は、その人の一部、いや、その人そのものを表している。どこで生まれて、どのように育って、どこで暮らして・・・、その人の生きてきた軌跡であり、親や祖先から受け継いだその土地の風習や歴史の染み付いた文化の一つであると思う。朝鮮族の友達にも台湾の友達にも、日本の方言を話す人にも自分の言葉に誇りを持って堂々と話してもらいたい。皆、自分の言葉で話しているときが、一番生き生きしていると思う。

前の勤め先の出張で、台湾にもよく行ったが、台湾人に会うと必ず、
「大陸の中国語ですね。大陸人かと思いました」
と言われる。大陸の中国語と台湾の中国語は違う。大陸では拼音(ピンイン)を使って漢字の読みを表すが、台湾では注音(ジュウイン)を使う。文字も大陸では簡体字、台湾では繁体字。繁体と簡体で同じ字を書いているのに、お互いに同じ字だということが分からないときがあるという。発音も違う。初めて台湾人に接触したとき、私が中国東北地方で日常的に聞いていた発音とあまりにもかけ離れていて、慣れるまで何度も聞き返すということがあった。(発音に関しては、台湾と大陸の違いというわけではなく、南と北の違いであると思う。福建省やその付近の人の発音と台湾人の発音は酷似している。)また、大陸の標準語には四声のほかに声調をつけずに読む軽声という音があるが、台湾には軽声がないので全てにしっかり声調をつけて話すので、語尾がはっきりと耳に残る。単語も意味が違ったり読み方が違ったりする。例えば大陸では奥さんのことを「愛人」というが、台湾では「愛人」は日本語と同じで愛人の意味だったり、「1」のことを大陸では「ヤオ」と読むことがあるが、台湾人には通じなかったりする。
これらは形式的な違いだが、そのほかに大きな違いを感じたのは、大陸の中国語のほうが表現が直接的だということだった。台湾人に言わせると、「きつい、はっきり言い過ぎる」のだそうで。例えば大陸では物事を決めるとき、「随便(スイビェン/あなたの好きにしな)」という言葉は日常的によく使うのだが、台湾人曰く、台湾ではさほど気軽に使わず、かなりきつい表現になるという。(日本語で考えてもきついが・・・)取引先の台湾人と普通に中国人の友達と話すように話していたら、「まるで大陸人だね、もう少しやわらかく話せないの?」と言われてしまったが、私は大陸のハルビンで中国語を学んでおり、それしか知らないので彼らの言う「やわらかい中国語」というのがどのようなものなのかよく分からなかった。確かに中国語は日本語と比べると非常に直接的な表現をする。好きだとか嫌いだとかはっきり言うし、断るときも日本人のように「今日はちょっと・・・」など濁して言うことはない。行けないなら行けないとはっきり言う。私は長く中国人と接してきて、中国語とはそういうもだと思っていたので、台湾人からそう言われて、初めて台湾人との違いを認識した。
数年前、台湾に出張し、レストランで取引先の社員と鍋を食べていたときのこと、鍋の中のお湯が少ないようだったので、私はそばにいたウェイトレスに
「阿姨,加点儿开水(アーイー、ジアディアルカイシュイ/お姉さん、お湯を足してほしいんだけど)」
と言うと、そばにいた台湾人が慌てた。
「阿姨(アーイー)なんて言わないの!失礼でしょう!小姐(シャオジエ)と言わないと。それに、頼むなら『請(チン)』をつけないと。『おばさん、お湯足しな』って言ってるようなもんだよ。きっと大陸人だと思われたよ」
「阿姨(アーイー)」は本当の意味は「おばさん」だが、中国東北部では自分より年上の女性に普通に使う言葉だ。小さな子供が、高校生~20前後の女性を呼ぶときにも使う。なので、台湾の「阿姨(アーイー)」に、私はそこまで日本の「おばさん」のような意味があるとは思っていなかった。逆に小姐(シャオジエ)だと、若い女性というイメージがあり、そのウェイトレスはあきらかに私より年上だったので、小姐(シャオジエ)と呼ぶのをためらったのだった。
また、中国語には日本語のような敬語というのは、あまりなく、一応「請(チン)」をつければ「請加点儿开水(水を足してください)」のように丁寧な言い方になると学校でも習っていたが、ハルビンにいたときにこの「請(チン)」をつけた会話をほとんど聞いたことがなかった。中国人は年上や見知らぬ人話すときでも、この「請(チン)」を使わないことが多い。中国語の敬語はあってないようなものだ・・・と思っていた私には、台湾人が「請(チン)」を駆使するということが衝撃だった。
②に続く

以前、中国人男性とつきあっている日本人の友達から習慣の違いについて相談を受けたことがある。いろいろ話を聞いていて、やっぱり違いって多いんだなとつくづく思った。
※その友達と彼氏は日本に住んでいます。
彼氏が彼女の実家に遊びに行ったら、彼女の妹がいた。彼氏と妹は一度しか会ったことがないのに、彼氏は妹を「サオリ」と呼び捨てに。これには彼女が怒る。彼氏の言い分としては、中国ではこのような場合敬称を使って呼ばないので、呼び捨てでいいと思ったのだそうだ。更に彼は両親の前で彼女の名前も呼び捨てに。まだ結婚しているわけではないので、こういうときは後ろに「さん」をつけたほうがいいということを彼は知らなかった。逆に、彼女が彼の実家に行ったときに、彼の両親の前で彼を「○○先生」と敬称をつけて呼んでしまい、彼の両親に変な顔をされたという。彼女は、両親の前なので呼び捨てにするのは失礼かと思って・・・という考えなのだ。
彼氏は友達と約束しているときはもちろんのこと、自分の職場の同僚と遊ぶときや、取引先のお客さんに会うときは、よく彼女を連れて行こうとする。(職場の同僚やお客さんは中国人)中国人は自分の親しい人には、配偶者や恋人をどんどん紹介する。会うほうも連れてくれば?と言う事が多く、連れて行ったら相手が気を使うから・・・という考えはあまりない。(また、日本に比べるとカップル同士で遊ぶ機会も多い。)中国では、日本ほどプライベートと仕事は別、というふうにきっちり分かれているわけではないので、(彼はIT企業に勤めているが、取引先に行くと、一緒にパソコンでゲームをやって、その後食事しながら仕事の話をするのが普通)会社にもよると思うが、取引先の人と親しくなれば会うときに、彼女を連れて行っても問題ないケースが多い。(職場に子供を連れてくる人もいるくらいだし・・・)彼女は取引先の人に恋人を会わせるとういう習慣は日本にはない、と戸惑っており、彼氏は彼氏で、彼女がなぜ彼女の友達や知り合いに彼をあまり会わせないのか、何かまずいことでもあるのかといぶかしく思うこともあるという。
また、あるとき彼は、会社に出入りしている業者(日本人)に誘われて一緒にスナックに行ったそうで。翌日、彼女におそるおそる
「昨日、女の人のいる店に行った」
と言ったら、
「あ、そう」
という反応。拍子抜けした彼に
「なんで怒らないの?中国人の女性だったら、女の人がいるお店に行って一緒にカラオケして酒飲んだって行ったら、すごく怒るよ!僕を愛していないんじゃないの!?」
と逆に怒られてしまったという。中国では一般の男性が、女の人がお酌してくれて一緒に歌ったり話をするようなお店におおっぴらに出入りしないし、その店に通っていることを堂々と人に話したりはしない。(そういう店は女性が体を売るというイメージが強いため。実際にそういうことがあるないに関わらず。)私は以前取引先の台湾人から、「あなたの会社の人たちはなぜ、台湾や中国に来るとそのような店に行くのか?台湾人や中国人なら恥ずかしくてそのようなところを歩くこともできない」と言われたことがある。そのことを知らなかった彼女は驚き、日本では男性がつきあいでスナックに行くのは普通のことで、そのたびにいちいち怒ったりはしないと慌てて説明したが、彼は憮然としたままだったという。
彼女がいうには、日本人男性より中国人男性のほうが束縛が厳しいという。(人にもよるだろうけど。)携帯電話は断りなしに見るし、彼が電話してきたときに電話に出ないと怒る。どこにでもついてきたがるし、どんな人と遊んでいるのか、彼女との友達に会いたがる。中国人の女性が恋人に女の子のお店に行かないでというのの逆で、男の子がいるようなところに行くなと言う...のだそうで。前にこのコラムにも書いたことがあるが、中国では仲がよければ携帯電話を見るのは普通のことだし、あまり相手の都合を考えないので、自分が話したいときに電話に出てくれないと怒る、というのもよくあることだ。また、中国人は付き合ったらすぐ家族のような関係になる。中国の家族、親戚関係はというのは日本より濃く、近い関係なので、それと比べると個人主義な日本人には、束縛が厳しいと感じられるというのもわかる。
こんなのは違いの一部分で、ここには書けないけれどまだまだある。日本人同士でも、出身地や家庭環境によりいろいろな違いがあるのだから、国際恋愛ならもっと違ってくるだろう。彼はまだ日本に来て間もないので、時間が経てば徐々に日本の習慣にも慣れていき、彼女との摩擦も小さくなっていくと思うのだが・・・。国際恋愛は、相手の習慣を深く理解していないとストレスだらけになる。お互いに歩み寄り、受け入れることも大切だ。
彼女に
「大事にされているんだと思ったら?そのうち彼もすっかり慣れて、スナック行っても怒らないなんて日本の女性は心が広いねって、毎週行くようになったりして・・・ね。」
と言ったら、
それはそれで寂しいという。相談と言っていたが、やっぱりおのろけだったのかな?ごちそうさまでした・・・。

以前勤めていた会社で、12月中旬頃に中国の取引先に年末年始の休みを聞こうと電話したときのことだった。
「年末年始の休みはいつからですか?」
「上が決めるからまだ分からない。一週間くらい前になったら分かると思うけど。」
「え、まだ分からないんですか。もうすぐ20日ですよね」
「ぎりぎりにならないとわかんないよ。2、3日前に分かる年だってあるんだから。」
中国では、なんでも日本のように前々から決めてはおかない。例えば、日本の会社が、中国の取引先に来月の○日にそちらにうかがいたいと思いますが・・・などとアポを取ろうとしても、そんな先のことは分からない、と言われることがある。「とりあえず今のところは大丈夫です」と言われてアポが取れたとしても、二、三日前になってから「やっぱりだめでした」と、言われることもある。最悪なケースでは中国側から何の連絡もなく、中国の取引先の会社に着いてから、担当者不在のため会えないと言われることもある。日本側は、前からアポとっているのに何で?と思うかもしれないが、中国側はどうして一ヶ月も二ヶ月も先に予定を組むのかが理解できない。予定は何でも直前に決まるものであり、一日~三日前に出張とか会議とかの予定が入るのが当たり前(ひどいときは当日)で、できれば直前(数日前くらい)に連絡してほしいというのが中国側の考えだ。なので、こちらもアポをとった日が近づいたら、改めて中国側に確認する必要がある。
そういうわけで、長期休暇の日程もぎりぎりに決まるというのは理解できる。
「日本人は何でも早く決めすぎるんだよ。もっとあとに分かっても別にこまらないでしょ。先のことは、何があるかわからないんだから。」
と、電話の相手は言った。こちらの予定が立てられず、困るから聞いているんだけど、と苦笑い。
以前この会社の社員が、私が勤めていた会社を訪問したいと言ってきたことがあった。連絡は2日前に来て、急だったので私と同僚は準備に追われた。が、当日の朝、行かないことになったと電話が。中国側の予定は本当にコロコロ変わる・・・。日本人は用意周到に準備したがるが、あまり前からなんでも準備すると無駄になることもよくあるので、その予定日よりかなり時間が空くときは(そんなに前に連絡があることはあまりないけれど)、様子を見たほうがいい。
「日本人て怖いくらい約束を守るよね」
と、中国人に言われたことがある。一度決めたことを何度も変更したり、急にキャンセルしたりすることは、特にビジネス上では信用問題になるので、日本ではあまりしないが、中国ではそこまで神経質にならない。それと、日本人は事前に計画して周到に準備し、ことを運びたがるが、中国ではとりあえずやってみて何か問題があったらその場で考えればいい、という臨機応変さが重視されるところが、一緒に仕事してみると違うなと思う。今は日中間のビジネス取引も以前に比べると増加しているので、各現場では、お互いに歩み寄る努力をしていることだろう。

街中にある公園のベンチに座って一休みしていたら、隣のベンチに腰掛けている3人の話が耳に入ってきた。彼女たちは韓国人で留学生らしかった。誰も分からないだろうと思っているのか、とっても大きな声でおしゃべりは続く。
「あの人のカッコ見て!日本人は奇抜な服装の人が多いよね。それに、あの女子高生たちのスカートの短さは何?」
「冬もあのままなんでしょ?韓国なら考えられないよね」
「ところで、こっちの食事に慣れた?口に合わないっていうか、まずくない?」
「何でも変に甘いよねー」
などと、とっても楽しそう。
まさか、隣のベンチに座っている人が盗み聞き(彼女たちの声がでかすぎて、自然に聞こえてくるのだが・・・)しているとは思ってもいない様子。
外国にいるので、母国語で話せば何を話しているか誰も分からないだろう・・・ところが、そういうわけでもないのだ。言葉の分かる人はどこに潜んでいるかわからない。自国の言葉が分かるのは、自国人だけとは限らないのだ。
韓国にいるとき、私はドイツ人留学生の女の子と仲良くしていた。あるとき、私は彼女と彼女の友達のドイツの女の子と一緒に地下鉄に乗った。私たちが座った座席の向かい側には、髪の毛を緑色に染めた若い男性が座っていた。ドイツ人二人は、彼と目が合わないようにチラチラ眺め、クスッと笑いながら、
「見て、あの頭。変な色だね~」
「東洋人に緑って似合わないわよね」
(私はドイツ語が分からないので、この会話の内容はあとで聞いたのだが)などと話していたら、その緑頭の男性が突然こちらをじろりと見て、
「そう笑わないで下さいよ。私は気に入っているんです」
と、流暢なドイツ語で答えた。彼女たちは飛び上がって驚いた。その男性は、親の仕事で中学生までドイツで過ごしたのだと言った。彼女たちが赤い顔をしてきまりわるそうに彼に謝るのを私は笑いながら見ていたが、その後私の身にも同じことが起こる。
学校近くの食堂でご飯を食べていたときのこと。そこは中国人留学生がたくさん来る店だった。私は中国人留学生の男の子と日本人留学生の女の子と三人で食事していたが、そこに中国人の団体が入ってきた。一緒に食べていた男の子が、その人たちの方を指差して中国語で、
「あのデブは、俺の友達。同じクラスの面白いヤツでさ。」
と言った。彼の指の先には、かなりいい体格をした3人の男子が。
私は、それを日本人留学生に通訳しようとして、
「あの太った人、彼の友達で面白い人なんだってさ。だけどどの人かわかんないよね。同じような人が3人いるもん」
と言ってしまった。数日後、他のクラスとの合同授業で、その三人の中の一人が日本人だったことを知る。数日前、食堂で私が言った言葉はしっかり聞こえていただろう。なんと失礼なことを言ってしまったのだろう・・・。私は彼とは目をあわせられず、穴があったら入りたかった。
まさか、こんなところに言葉が分かる人がいるはずが・・・しかし、いるときはいるのだ。やはりどんな言葉でも、その人を目の前に失礼なことを言うべきではないし、どうしても言わなければいけないときは、小声で話すべきだ。
隣のベンチの三人の一人が、スカートにアイスクリームを落とした。ティッシュを探しているようだったので、
「이거 쓰세요(イゴ スセヨ/これ使ってください)」と差し出す。(以下韓国語で会話。)
「韓国人ですか?!」と三人が驚く。
「いえ・・・違いますが。以前、韓国に住んでました。」
すぐに、
「・・・言葉に注意しなきゃ」
と、一人が言い、三人のおしゃべりはぴたりと止んだ。

中国に留学していたときのこと。教材の中に、「王さんの一日(タイトルはうろ覚え)」というのがあって、「今日は仕事から帰ってきて、夕食を作り、掃除をして、子供を迎えに行った」という絵つきの文章があった。王さんは男性だった。なんとなく違和感を感じて何度も読みなおしてしまった。日本語の教科書にこのような文章が載るのはちょっと考えにくい。主人公が女性ならともかく・・・。中国のドラマを見ていても、男性が厨房に立っているシーンは多い。中国で男性が結婚後、家事をするのは普通のことなのだ。
中国で友達の家に遊びに行っても、料理をしてくれるのはお父さんやお兄さんということがよくあった。友達は「お父さんが作ってくれる料理は、お母さんや自分が作るより美味しい」と言う。お客さんが来たらたいていお父さんが料理するということだったが、日本ではあまり聞いたことがないな・・・と思った。アモイに滞在したときは、友達のお兄さんと友達の旦那さんの弟が、よく料理を作ってくれた。地元で獲れる豊富な海鮮とゴーヤやサトイモなどの南方特産の野菜を使った料理は絶品だった。男性が毎回厨房(中国の家はキッチンというより厨房といったほうが似合っている。ドアが閉められるようになっていて、個室のようになっている。)に立つ姿が珍しくて、私はよく後ろに立ってその立ち振る舞いをじっと眺めた。やっぱり中華包丁も中華鍋も大きいからか、男性が使ったほうがサマになる。強い火力で豪快に炒め物をする姿に思わず見とれてしまう。彼らはじろじろ見られるのを恥ずかしがり、あっちに行けと私を追い払うのだったが。
うちは母が専業主婦で、父は家でほとんど料理をしない。今までに数えるくらいしかキッチンに立っているのを見たことがない。だから、というのもあるのだけど、料理も作って後片付けまですすんでやる中国人男性を珍獣を見るような目で見てしまうのだった。私の中国人男性の知り合いの中で、料理ができないという人は誰もいない。(探せばきっといるのだろうけど)私は韓国で中国人と暮らしていたが、誰かの誕生日とか旧正月や中秋にパーティをするときには、ほとんど男の子が料理していた。手際よく準備をしている男の子たちの後ろで、女の子たちはどっかりベッドに座ったり寝転んだりして料理ができあがるのを待っていた。
私は落ち着かなくて、何か手伝うことはないかとたずねながら部屋の中をウロウロしていたが、
「座っときな。ここは日本じゃないんだから。彼らに任せとけば大丈夫よ」
と、笑われた。
中国の男性は家事だけじゃなく、育児も積極的にやっていた。(少なくとも私の目にはそう映った。)韓国滞在中、ある若い中国人カップルに赤ちゃんが生まれた。だんなさんは、産後で動けない奥さんのために料理を作り、洗濯、掃除をして、更には赤ちゃんにミルクをあげて、オムツまで代えていた。なんてかいがいしいだんなさんなんだろう!と、私は目を潤ませて見ていたが、「何も驚くことじゃないよ~、中国では普通だよ。」とまたまた言われてしまった。
中国では基本的に夫婦共働きなのもあって、男性が家事、育児に非常に協力的だと感じた。いや、「協力的」というか、家事は「女性がやるもの」という考え自体がもともとないような気がする。「女性に協力する」というのではなくて、「家事は夫婦の共同作業。分担して平等にやる」という考えのように感じた。中国は男女平等の先進国であり、それは家庭の中でもそうなのだ・・・とつくづく思った。最近は日本でも共働きが増加し、男性も家事をやることが昔より増えているとは思うが、あくまで「奥さんの家事を手伝う」という形が多いと思う。日本人男性と結婚した中国人の友達が「うちの旦那は家事を一切しない!私が忙しくしているのに、新聞を読んでいる」と怒っていたが、中国の男性と同じようにしろと日本人男性に求めるのは厳しいように思う。今までの伝統とか習慣的なものもあるし、急に変わるのはなかなか難しいだろう。
ところで最近の中国では、経済成長に伴い、専業主婦が増えているのだという。今後、中国の家庭内の家事分担は大きく変わってくるかもしれない。それでも、夫婦がお互いに尊重しあい、助け合う平等の精神を忘れてほしくないと思った。

先日中国人の友達Tの家に遊びに行ったときのこと。家に入ると早速Tがお茶を入れてくれたが、抹茶かと思うくらいの濃いお茶が出てきた。彼女が入れてくれるお茶はいつもめちゃくちゃ濃いのだ。お湯を入れてから、5分くらい放置しているのが気になってはいたのだが・・・。彼女は濃いのが好きなのかなと思っていたが、そうではないことがこの後分かった。
「日本のお茶って濃いよね~」
「濃いのは時間置いたからじゃない?Tが入れてくれるのはいつもすごく濃いよね。濃いのが好きなんじゃないの?」
「そんなことないよ。中国のお茶と同じように入れてるのに、日本のお茶って濃いなって思ってたの」
中国のお茶はお湯を入れてしばらく待たないと出ない。乾燥して小さくなっている葉が時間をかけてお湯の中でゆっくりと開く。5分以上待たないとしっかりした味が出ないこともある。Tはそういうお茶を日本にくるまでずっと飲んでいたので、お湯を入れればすぐに飲める日本のお茶の葉も同じように扱ってしまうのだ。しかも、日本の茶葉は少量でも、濃い色でしっかりした味のお茶が出る。中国のお茶(ジャスミン、緑茶、ウーロン茶等)は、大量に葉を入れても日本のお茶ほど色がつかない。それを知らずに彼女は毎回大量に中国茶の要領で、お茶の葉を入れていたのだった。私が中国に行ったばかりのときに、お湯を入れてすぐに飲んで、味がない!と驚いたのを思い出す。
中国人は、基本的に冷めた食べ物や冷蔵庫で冷やした飲み物を胃腸を悪くするといってすすんでは食べない。(若い人の中には、夏の暑いときに、冷たい炭酸飲料水を好んで飲む人も最近は増えているけれど)私が中国のハルビンにいたころは、マイボトル(今日本で流行っているようなおしゃれなものではないけれど。プラスチックやガラスでできたものが多く、保温性はない。でも、常に職場や外出先でお湯をもらって注ぎ足すので問題ない。)でお茶を持ち歩いているひとをよく見かけた。中国の人はとてもよくお茶を飲むのだ。当時、紅茶やジャスミン茶(砂糖入り)はパックになってよく売っていたけど、日本でよく見かけるペットボトルなどに入った普通のお茶は売っていなかったし、あったかい飲み物が売っているのはまず見なかった。お茶を持ち歩くというのは、節約にもなるし、体にもいいし、とてもいい習慣だと思った。
日本でお茶を水筒に入れるときは、まず急須にお茶の葉とお湯を入れ、急須から水筒にお茶を入れるが、中国ではお茶の葉を直接水筒に入れる。その葉っぱは入れっぱなし。少し飲んでお湯を注ぎ足すときも、たいてい葉っぱは変えない。日本のお茶のように長時間お湯に入れると出過ぎて濃くなり、しまいには時間がたって変色したり・・・ということはないのだ。
私がいた中国東北部のハルビンでは、食後などにお茶を飲むときも、お茶の葉をコップにじかに入れて、お湯を注いで飲んでいた。 (地方によってお茶の作法も種類も違う。福建省にも滞在したことがあるが、そこでのお茶の飲み方は、急須を使い、お猪口のように小さい湯飲みに入れて飲む。福建省では鉄観音などのウーロン茶が好まれていたが、東北部ではジャスミン茶や緑茶が一般的だった。)たいてい蓋つきの湯のみなので、蓋で葉っぱを押さえながら飲む。お茶の葉は日本のより大きいので押さえやすいけど、それでも口の中に入ってくる・・・。やっぱり日本人としては、急須を使いたいのだった。
そんなわけで、日本と中国のお茶の入れ方は違う。私は、まだ半分くらいお湯を入れっぱなしの状態になっている急須を指差してTに言った。
「日本のお茶はお湯を入れた後すぐに出るから、ああやって、お湯入れっぱなしにしておくとどんどん苦くなるよ。全部出ちゃって二回目が飲めなくなっちゃうわ。あと、日本の茶葉は細かいから、直接湯飲みに入れないで(彼女の家でもたまに、湯飲みにじかにお茶の葉を入れた状態で出てくる。)、急須使ったほうがいいかもね。」
小さなことだけど、頭で理解するまで、今までの習慣を変えるというのはなかなか難しいのかもしれない。

私たち留学生の部屋には50㎥くらいの小さな冷蔵庫がついていたが、小さすぎてたくさん料理したときなどは、入りきらなかった。が、冬は外が氷点下になるので、みんな窓の外や、二重窓になっている窓と窓の間を活用して食品を保存していた。韓国人は、そこにキムチや佃煮を保存していた。
それほど寒いハルビンでも、人々は普通に外で仕事をしている。食べ物を売ったり、道を掃除したり。子供たちも外で元気に遊んでいる。面白かったのは、自転車に大きな荷台をつけたみかん売りが、みかんに布団をかけて凍らないようにして売っていたり(凍っていなくて、ほどよく冷たいので食べやすい。)、アイスクリームを地べたに置いて売っていたり(氷点下15度以下なので、アイスが溶ける心配がない。)したことだ。この寒さで、食べる人がいるのか?と思ったが、暖房完備で部屋の中は南の地域より暖かいので、北海道と同じで、冬は温かい部屋の中で、アイスクリームを食べるのが美味しいのだそうだ・・・。
果物屋では、他の果物は凍らないように中で売っているのだけど、柿や梨は外に出して売っていた。中国東北部の人たちは、柿や梨をがちがちに凍らせて食べ、この二つは冬の代表的なデザートとなっている。柿は熟れて柔らかすぎるくらいのものを凍らせる。梨は、長時間氷点下に置いておくので皮が真っ黒になる。私は梨は食べたことがないが、柿は韓国の留学生からもらったりして、何度か食べた。脂っこい中華料理のあとには、甘くひんやりとした触感が癖になる。凍っているので、あまりどろどろしていなくて食べやすい。私は、本来は人参くらい硬い柿が好きだが、このハルビンで食べた凍った柿を今もたまに食べたくなるのだった。
冬に売っている食べ物で、もうひとつ思い出すのが糖葫芦(tanghuluタンフール)と呼ばれる、長い串にミカンやサンザシ(山楂shanzha)、イチゴなどの果物を刺し、日本のりんご飴のように飴をかけて売っているものだ。大学の近くに、自転車に乗って売りに来ていて、一本2~3元くらい。これもガチガチに凍っている。安いのでおやつ代わりにいつも食べていた。これは東北地方の名物だと聞いていたが、旅行で南に行っても売っていた。ちょっと違うのは、南のは凍っていないということだ。日本の縁日でたまに見かける「イチゴ飴」「ミカン飴」という感じ。慣れていないからか、凍っていないと美味しさが半減するような気がした。
ハルビンでは、市内を流れる松花江という大きな川(冬は厚い氷が張るので歩いて渡れる。)の南側にある公園で、毎年12月下旬~2月末まで冰灯(ビンドン)という氷祭りが開かれる。広い敷地内にいくつもの氷で作られた氷像や、建築物が並ぶ。大きな滑り台もある。ライトアップされる夜は、特に幻想的で美しい。・・・が、寒い。なるべく気温が低くない日を選んで見に行ったが、それでも長時間外にいるのでとにかく寒かった。寒さのあまりカメラのシャッターが固まって動かなくなるという事態に。この寒さの中来たからには写真をとらなくては。カメラを生き返らせるために、自分の体温で必死に温める(笑)生還したカメラで写した写真は、ぶくぶくに着膨れ、帽子とぐるぐるに巻いたマフラーの間から、薄く開けた目と真っ赤になった鼻だけを出した、よく見ないと誰だかわからない写りになっていた。
入場券は当時で20元くらい。当時の物価で考えると、かなり高い入場料に思える。(旧正月になると50元に値上げ)札幌の雪祭りは、雪像維持の関係で1週間くらいで終了するが、冰灯は二ヶ月近く開催されている。だんだん暖かくなってきたら日中の太陽の光で氷が溶けてしまう。氷像の虎や龍が汗をかいて徐々にやせ細っていくのを見て、かわいそうに思った。しかも埃で少しずつ汚れてくるので、やはり冰灯は寒さが厳しくても開催されて間もないころに見に行ったほうがいい。
今頃ハルビンは氷に閉ざされていることだろう。ハルビンは寒かったが人々は温かく、私にとっては思い出深い、第二の故郷のような街だ。ハルビンの言葉は、中国では最も標準語に近い言われているし、留学先がハルビンでよかったと心から思う。が、あれより寒い思いをすることはもうないことを祈りたい。

留学生たちはさんざん探し回ったが、日本に売っているようなデザインと色のダウンジャケットをハルビンではなかなか見つけることはできなかった。百貨店でも小売店でも、派手な色で、おばさんジャンバーのようなデザインのものしか売っていない。そのジャンバーを着たマネキンがずらりとショウウィンドウに並べられていた。日本から持ってくるべきだった・・・と後悔しながら、仕方がないのでみなそのジャンバーを買った。上から下まで全て中国で買ったもので寒さから身を守る私たちは、どこからみても中国人だった。
靴は、靴城という靴専門の大きな市場で購入した。私の買ったのは茶色い皮の編み上げのブーツで靴の底は厚く、中はモコモコと起毛になっており、価格は160元(当時2600円くらい)くらいだった。300元を160元に値切って買った。当時、中国では驚くほど皮製品が安かった。靴はよく探せば、日本のデザインに近いようなものもあった。が、冬に履くものは、デザインよりやはり機能性を重視した。暖かくないと意味がないのだ・・・。
毛裤(maokuマオクー)には、ハルビンに来て初めてお目にかかった。毛糸で編み上げられたももひき。綿でできた棉裤(miankuミェンクー)というのもあるのだけど、やはり毛裤のほうが暖かい。毛裤は、百貨店や市場でも購入することができるが、厚手で質のよいものは100元(1600円くらい)以上する。ハルビンの女性たちは、よく仕事をしながらこの毛裤を編んでいた。彼女たちの中には、手間をかけて、より暖かくするために二重構造に編んでいる人もいて、手先の器用さに驚かされるのだった。細かく、規則正しく編み上げられたさまざまな色の毛裤は、手触りもよく、丈夫でとても美しいのだった。毛裤をジーンズの下に履くには、ジーンズに一回りくらいゆとりがないといけないので、私が日本から持って行った細身のジーンズは、冬は着用することはできなかった。厚着するのが嫌で、最初は厚手のタイツで代用できないものかと考えたが、それでは凍え死ぬということにすぐに気づかされたのだった。
当時大学の教室は、暖房もあまりしっかり入っておらず、教室の中でも息が白くなる日もあった。ダウンは絶対に脱げない。が、留学生の中で、ロシア人だけが比較的薄着だった。ロシア人の中には毛皮を着ている人も何人かいたが、女の子の中には、上はダウンジャケットを着ているが、下はミニスカートにタイツにブーツという子もいた。彼女たちが、
「ロシアより全然寒くないよ。ロシアはマイナス40度超えることもあるんだから!」
などというのを聞くと、恐れ入りました・・・とひれ伏したくなる。日本人留学生の中では、北海道の旭川や富良野出身の子たちは、本州組に比べると薄着で、「寒い、寒い」と口にすることもあまりなかった。「どんな寒さにも、慣れってあるんだよ」と、その中の一人が言った。が、彼らもロシア人も暑さには弱いのだった。ハルビンでは30度を越えることは、私が過ごした2回の夏では、数えるくらいしかなかったが、27度くらいになると、彼らは暑い・・・とふうふう言っていた。「どんな暑さにも、慣れってあるんだよ」と、本州育ちの私は心の中で思うのだった。

今は北海道に住んでいるが、私は本州育ち。寒いところが大の苦手。なのに、なぜか寒いところに縁がある。留学先のソウルは、今住んでいる札幌より寒かった。雪はあまり降らなかったが、冬の寒いときには零下15度にもなった。だが、それより寒かったのは、中国の留学先。ロシアに隣接し、中国では最北にある黒龍江省の省都、ハルビン市だ。
私の母校は、今は中国の南方の大学とも交換留学制度があるらしいが、当時は北にあるハルビンか瀋陽しか選べなかった。私は申請したのが遅く、瀋陽の枠が空いておらず、ハルビンに行くことになった。かなり寒いところらしいよ、というのは先輩から聞いていて、それなりに覚悟していたつもりだった。
ハルビンに着いたのは4月末。薄手の長袖とコートを着ていたが、特に寒くはなく札幌とあまり変わらない気候のように思えた。7月になり夏を迎えると、札幌より暑いくらいだった。札幌ではあまり活躍しなかった、本州から持ってきた半袖も十分に活用できた。なんだあまり寒くないじゃないか、そう思っていたら・・・10月に入ると、気温は急激に下降。11月になるとあっというまにマイナスの日々。
ハルビンで初めて冬を越す留学生たちは、慌しく冬支度をすることになった。滞在二年目の先輩たちに聞きながら、必要なものを調達しに街に出かける。先輩からのアドバイスは以下のとおり。
① 毛糸の帽子、マフラー、手袋は必需品。手袋は布や毛糸のもは冷えるためやめたほうがいい。皮のものをはめた方が暖かい。
② ダウンジャケットは必需品。できれば膝くらいまである長い物を着用したほうがいい。
③ 靴は、もちろんブーツ。ちょっと上げ底のほうがいい。地面からなるべく遠いほうが寒さを感じないため。中が起毛になっているのを履いたほうが暖かい。
④ 毛裤(maokuマオクー)とよばれる、毛糸で編んだももひきを履いたほうがいい。履かないと後々冷えがもとで関節炎になる・・・らしい。(←中国人に耳にタコができるくらいよく言われることだった。先輩たちも何度も周りの中国人に言われるので、ついつい新しく来た人に言ってしまうのだろう。)
ハルビン市内にはロシアの雑貨やお酒、中国産の洋服などを売る市場(私たちはロシア市場と呼んでいた)があり、私たちはそこで手袋などの小物を調達した。皮の手袋が25元(当時で400円)くらいで買えたので、今考えると激安だ。手袋は縫製は日本のものに比べると荒かったが、かなり厚手で中が起毛になっていた。こんなに厚手の必要があるのか?と思ったが、マイナス20度以下になったとき、そのありがたみがわかるのだった。
12月中旬の真冬になると、実際、帽子、マフラー、手袋をしないで外にいる人はいなかった。一番寒いときで、マイナス30度まで体験したが、マイナス30度のときに外に出ると・・・、帽子をすっぽり目の上まで被り、首と顔半分をマフラーでぐるぐる巻きにしていたが、わずかに露出した目の周りが激しく痛い。もう寒いというより、激痛なのだ。北海道でも寒くて鼻水が凍るということはあったけど、そんなレベルじゃない。ダウンを着て、中は毛100%のセーターその下にまだ着ているのに、外に出ると一瞬で体中の熱を奪われる感覚に襲われた。正に体の芯まで冷えるという感じ。そんな気候の中、(風も強かった・・・)急用があり、ルームメイトと出かけたのだが、とにかく早く目的地に着いてくれ~と願いながら歩く。到着して中に入っても20分くらいは生きているという感覚が戻ってこなかった。
ハルビンにはインフルエンザはない、寒すぎて、インフルエンザの菌も死んでしまうからだ、という話を中国人からよく聞いたが、本当か嘘かわからない。

留学中、香港に旅行に行こうと思い立った。当時香港は中国に返還されたばかりで、日本人が香港に行き、また中国に戻るには「リターンビザ(中国語では『再入境签证』と言った。)」というものが必要だった。外国人のビザは中国では公安局(警察)が担当していて、私たち留学生は、大学の「外事処」と呼ばれる留学生担当の課に言えば、ビザの申請は代行してもらえることになっていた(外事処はそれが主な仕事)。そこで外事処を訪れ、リターンビザを取ってくれるよう頼むと、暇そうにしていた顔見知りの係の女性が「分かった、やっておく」と言ったので、必要書類とパスポートを預けた。
ビザは一週間かからないで下りると他の留学生に聞いていたが、中国なので何が起きるかわからない・・・と、余裕を持って二週間ほど前に頼んでおいたのだった。が、一週間が過ぎ、10日近く過ぎても外事処からは何も言って来ない。不安になり外事処に行って例の女性に聞いてみると、「まだ公安には行っていない」と。驚いてどういうことか尋ねると、「ここ数日忙しかった。行けるわけないだろう」と逆切れ。さっきまでトランプしていたようだけど・・・。しまいには「あんた自分で行ってきな」とパスポートを付き返されてしまった。むっとしたが、中国ではこういうことはよくあること。時間もないし、怒ったりため息をついていても仕方がないので、自分で公安局に行くことにした。
公安の窓口で。緑色の制服を着た、恐ろしく無愛想なお姉さんにリターンビザの申請に来たことを告げる。申請書を渡され、記入。ビザがいつできるのか尋ねると、3日後だという。出発が4日後に迫っていたので、再度確認すると「3日後って言ったでしょう!3日後に来な!」とつっけんどんに答えられる。
3日後に行き、お姉さんにビザを取りに来たと伝えると「まだできてない」と無表情に答える。「3日後って聞いたんだけど・・・」と言うと、めんどくさそうに「明後日ならできてるから明後日来な。」と。仕方がないので出発を2日延ばして、翌々日また公安局へ。なんとその日もまたお姉さんに仏頂面で、「係の人が忙しくて、まだできてない」と言われる。途方にくれる私。こういう「明日、明後日・・・」とどんどん延びるケースは当時、手続き等でよくあったのだが・・・。この分ならまだ先になる。急いでいるのにどうしよう。事務所の中にいる人たちがトランプしているのが見えた。(当時、トランプは民衆の娯楽で、お金を賭けている人も多かった。)白熱して、時折大きな声が上がっていた。ほんとに忙しいのか!?と聞きたくなる。一体いつになったらビザがもらえるのだ・・・。
放心状態で、入り口近くで立ち尽くしていると、一人の公安のおじさんが近寄ってきた。
「おじょうちゃん、外国人かい?どうしたの?」
「ビ、ビザが・・・リターンビザがとれないんです~~」
私は半泣きになって、おじさんに訴えた。
「なに、どういうことだ?」
「5日前に出したのにまだできていないんです~。3日でできるって聞いたから、一昨日も来たのに・・・急いでいるんです~」
「なにか事情でもあるのかい?」
「ええと、じ、事情は・・・あ、姉が病気なんです~日本に帰らないと・・・」
まさか旅行に行くとは言いにくく、とっさにそう言ってしまった。(日本に一時帰国する場合もリターンビザが必要。)
「なにっ、そうか。ちょっとここで待ってな。おじさんがなんとかしてやる。」
10分後、おじさんは私のパスポートを持って現われた。パスポートには私が欲しくてたまならなかったビザの印が押されていた。(当時のビザは今のようにシールではなく、大きなスタンプの印だった。)二週間待ったのに、10分で出た・・・。私は深々とおじさんに頭を下げて公安局を後にした。翌日私は無事、香港に向けて出発することができたのだった。
おじさんあのとき、嘘ついてごめんなさい。私には姉はいません。でも本当に助かりました。ありがとうございました。
昔に比べると、中国の郵便局や銀行の対応はずっとよくなった。私が直接公安にお世話になったのは、後にも先にもあのときだけなのだけど、今はきっと外国人も増えて、公安の対応もだいぶよくなっているだろう。

それまで、物乞いの子供を逃げるように避けていた私は、何となく彼女たちと話をしてみたくなった。
「あなたたち、いくつなの?」
「10歳だよ」
おかっぱ頭の子が答えた。中国では年を数えで言うので、満9歳ということだろう。
「近くに住んでいるの?学校は?」
「ほんとの家は遠いの。汽車でお母さんと来た。」
「学校は前は行ってたけど、今は行ってない」
髪を結んでいる子と交互に答える。二人ともよく日に焼けていて、それほど汚れた格好はしていなかった。
物乞いの子供が寄ってくると、逃げる人、しっしっと追い払う人、ひどいときは暴力をふるう人もいた。特に公安(警察)は、治安を守る必要もあるので、子供相手でも目をおおうような厳しい態度で接していることが多かった。子供たちは、公安の姿を見ると、蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。
子供たちは、そういういう態度をとられることに慣れているからか、私がいろいろと話しかけるのが新鮮なようで、本来の目的を忘れたように、だんだん目をきらきらさせながら生き生きと話をするのだった。
「あなたと一緒にいるその男の人はどこの国の人なの?」
今度は少女が私に尋ねた。私と一緒にいた日本人男性は、旅行中ひげも剃っていないし髪も切っていなくて、長髪でひげもじゃになっていたのだ。何人かと聞いているよ、と彼に笑いながら伝えると、
「タイ人って言っておいて」
彼の要望通り伝えると、彼女たちは
「やっぱりその人、外国人なんだ。じゃああなたたちはタイ語で話しているのね。」
ときゃっきゃっと明るく笑った。彼女たちは私が外国人だとは全く気づかないようだった。広州を含む広東省では地元の人同士の会話には広東語が使われていて、北京語(標準語)を話す機会はあまりなく、広東人のしゃべる北京語もなまっているため、留学して間もない私が話す外国人なまりの北京語でも不思議に思っていないのだ。
日本人男性が、煙草を取り出して吸おうとすると、
「あっ!だめよ、駅の近くは禁煙なの。罰金おばさんが来るよ!」
と教えてくれた。教えてくれなかったら、つばをはいたり、ゴミを捨てたり、煙草を吸ったりする人がいないか常に目を光らせている見張りのおばさんたちがたちまち寄ってきて、○○元払えと言ってくるに違いない。当時、大きな駅や街の中心部の通りには、そういう見張りの人が配置されていたのだ。
ありがとうね、と私がお礼を言うと、彼女たちは嬉しそうににこにこした。私はパンを持っていたので、彼女たちと一緒に食べることにした。二人組の公安が、私たちの方をじろじろ見ながら通って行ったので、私は彼女たちの方に身体を寄せた。話してみると、彼女たちはそのへんにいる普通の子供だった。素直で可愛くて明るい女の子。彼女たちは物乞いをしながらも都会の片隅でたくましく生きていた。当時私がいつも思っていたのは、中国の人たちは、「生」のエネルギーに満ちあふれているということだった。どんな環境にいても常に明るく、物乞いをしてでも、ゴミを拾ってでも生きる。人々を見ていると、生きることへの強い執着とたくましさ、しなやかさを感じずにはいられなかった。
その翌日、私はまた彼女たちに会いたくなり、同じ時間帯に広州駅に出かけていった。彼女たちは前日に会った場所の近くの売店の側に座っていて、私の姿をみると駆け寄ってきた。
「今日は赤いピンをしているのね。そのピンちょうだい!」
全くちゃっかりしている(笑)このピンはもらい物だからあげられないよ、といってその代わりにチョコレートクッキーでもいい?と、私たちはまた一緒にそれを食べた。彼女たちの田舎のこと、家族のこと、二人はいろいろな話を聞かせてくれた。私は中国に来てから初めて、この国の小さな友達と一緒に長い時間を過ごした。
広州を離れる日、またいくつかお菓子を買って駅に向かった。彼女たちにお別れを言ってから汽車に乗ろうと思っていた。が、駅に向かうバスの中で気づいた。私の切符は広州駅発ではなく、「広州東駅」発だったのだ。広州駅を目の前にバスを飛び降り、慌ててタクシーを拾う。「到火車東站!(東駅まで!)」と叫んで、遠ざかる広州駅を眺めた。結局彼女たちに会うことはできなかった。
あれから9年近く経つ。現在の広州駅の映像を眺めて、二人の少女は今どうしているだろうと思った。20歳になる二人は、経済成長の波に乗り、前とは違った生活をしているだろうか。それとも・・・。去年北京を訪れた際、9年前に徒党を組んで追いかけてきた子供の物乞いを見かけることは、一度もなかった。

話を聞かなくても、彼女たちが何を求めているかは知っている。駅で子供が寄ってくる。それは物乞いの子供以外のなにものでもない。この旅で大都市に滞在すると、必ずといってよいほど、駅や大きな通りでは物乞いの子供達に追いかけられた。彼らは大人の物乞いとは違いなかなかあきらめず、何か渡すまでひたすらついてくることもあった。私たち留学生が何人かで行動しているときはいいが、一人でいるときに徒党を組んだ子供たちに追いかけられるというのに恐怖を感じることもあった。一人に渡すと、他のところから違うグループの子供たちが現れ、我も我もと手をだしてきてきりがない、とカナダからのバックパッカーがため息をついていた。
子供たちは、服装や持ち物(とくに大きなリュックやスーツケース)から私たちが外国人だと判断してついてくる(中国人にも寄っていくが、そこまでしつこくしない)のだが、それでも私たち日本人はまだ顔かたちが中国人と似ているので、荷物のないときは、さっと中国人の波に紛れることもできたが、これが白人や黒人だとそうはいかない。人ごみにいても、平均的に東洋人より身長の高い彼らをぱっと見つけると、突進してくる。どうしても目立ってしまう彼らは隠れようがないので、半ばあきらめた様子で子供たちと根比べをするのだった。
子供たちは、歩き始めたばかりというような小さな子から(こういう小さな子に物乞いをさせる場合はすぐ近くに親がいる場合が多い。また、親がこのくらいの子供を抱いて施しを乞うこともある。)、声変わりしているような中学生くらいの子までいた。ぼろぼろで汚れた格好をしている子もいれば、身ぎれいにしているので違うだろうと思ったら、近くに寄ってきて手を出されることもある。
上海のバス停でバスを待っていたら、3歳と6歳くらいの男の子が手を出してきた。お金が欲しいのかと思ったら、小さな子は私が持っているジュースが欲しいのだという。「これもう飲んだよ(口をつけたよ)?」と言ってもどうしても欲しいというので、あげることにした。バスに乗って、もう一度彼らの方を振り向いたら、大きい子がそのジュースを取り上げて飲み干してしまった。小さな子が泣いているのが私の目に焼き付いて離れなかった。「物乞いをしている人たちは、本当はお金があって、あれは楽に稼ごうとする演技だから信じてはいけないよ。」と中国の友達はよく言うのだけど、そんな人ばかりではないといつも思っていた。ハルビンで、真冬にマイナス20度以下の中、小学生低学年くらいの子供が繁華街の路上で、上半身裸になってガタガタ震えながら冷たい道の上に座り、前には帽子を置いて「お金をください」と言っていたのも忘れられなかった。
日本で子供が物乞いをしなければいけないような環境に置かれたら、その子供は政府が保護し、学校にも行けて、屋根のあるところで眠れて、食事をすることもできる。日本にいるときは子供だけでなく、大人の物乞いすら見たことがなかった。日本は物乞いの存在しない数少ない国の一つなのだと、中国や韓国に住み、またいろいろな国の留学生から話しを聞いて後に確信することになった。そして、自分がどれだけ恵まれた環境で育ったかを思い知らされるのだった。
手を差し出して私たちの前から動かない二人の少女を、改めてよく見てみた。年は10歳くらいだろうか。中国に来る前の教育実習で受け持った子供たちと重なった。
④へ続く

もう一つ、広州駅を見て思い出すのは、駅で出会った二人の物乞いの女の子だ。
私が泊まっていた招待所(安い宿泊所。企業や組織のための宿泊施設なので、当時は外国人が泊まれない招待所もあった。)には、私の他にもう一人日本人の男性が泊まっていた。彼は私より後にその招待所に来たが、(当時は、ホテルや招待所の客引きが駅で旅行者に声をかけて連れてくるのが主流で、私も彼も招待所の客引きのおじさんにひっぱられて来たのだった。中国のホテルは1つ~5つ星に等級が分かれていて、3つ星以上が外資系ホテルや高級ホテルになる。私は留学生の貧乏旅行だったので、いつも2つ星以下か、大学の留学生寮、又は招待所に泊まっていた。ちなみに、男女は結婚証明書がないと基本的には同じ部屋には泊まれず、他の留学生が中国人の恋人と旅行したときに、部屋を別々に取らされたという話も聞くことがあった。外国人同士のカップルは、大目に見てくれることもあったが。)大きなリュックをしょって旅行をしているのはたいてい外国人。すぐに日本人とわかり、挨拶を交わし、情報交換をした。
彼は、英語はできるようだったが、中国語を全く話せなかった。当時の中国は今より更に英語が通じなかったので、
「バスに乗って『How much?』と聞いたら怒鳴られたけど、なんで?中国人て、ハウマッチも知らないの?」
と驚いていた。当時は鉄道が通っておらず、長距離バスでしか行けない場所がたくさんあった。田舎に行けば道も舗装されていなかったし、お店や宿泊所の対応も今よりずっと良くなかったので、留学生でさえも疲れることが多かったのに、旅行で出会った彼のようなバックパッカーの中には、全く中国語ができないという人も多く、それでも不便を感じながらも一人旅を満喫していて、勇気あるなぁ・・・と感心した。彼らは、中国を回ったらネパールのほうに行くとか、インドから続いて二カ国目に中国に来たとか、これからモンゴルに行くとか言っていて、そういう人たちの話を聞いたら、私もどちらかというとそちら側の人間で、一人で中国を旅していたし、他の国にもいつか行ってみたい(中国語ができなくても旅している人がいるくらいだから、英語ができなくても何とかなるだろうと思った。)と、わくわくした。
周りの日本人留学生たちは、留学生仲間数人で旅行することもたまにあったけど、基本的には私のように一人で行動していた。中国は広く、歴史的名所や世界自然遺産がたくさんあり、それぞれ行きたい場所が違ったからだ。旅行で出会った中国人には、一人で旅行していると言ったら、たいてい驚かれて、「中国はあんたの国より治安が悪いんだよ、危ないから気をつけなさい。」と言われることが多かった。留学していた人なら一度は言われたことがあると思うのだが、「中国人には悪い人が多いんだからね」と、中国人に言われると、どういう反応をすればいいのかわからなくなる(笑)それでも、用心していたからか、命の危険を感じるような危ない目にはほとんど遭遇しなかった。たま~におつりをごまかそうとする人や、お財布をすろうとする「悪い人」もいたけど、助けてくれる人のほうが多かった。みんな外国人の私にとても親切だった印象の方が強い。
招待所で出会った日本人の彼は、広州には3日ほどしかいる予定がなく、早めに切符を買っておきたいという。第73回「北京レポート⑧ 北京から内モンゴルへⅡ」にも書いたが、中国の駅で中国人に混じりながら、言葉のできない外国人が切符を買うのは至難の業だ。招待所でも手数料を払えば買ってくれるけどふっかけられると面倒なので、私は彼を連れて広州駅まで切符を買いに行くことにした。
案の定、駅の窓口は長蛇の列・・・。いや、きちんと並んでいないので、列にはなっていない。切符を求める人々が、押し合いへし合い、数カ所ある窓口の前でだんご状態になっている。それを眺めながら、さて、どこに並ぶのが(飛び込んでいくのが)一番効率的か・・・と考えていると、目の前にぬっとかわいらしい2つの小さな手が差し出され、なにやら話しかけられた。
③へ続く。

何の番組かは忘れたが、TVをつけていたら画面いっぱいに広東省の広州駅が映った。私が留学中に広州を訪れたのは、8年も9年も前になる。以前に比べ、駅の周りには高層ビルが建ち並んでいるようだったが、正面から見た駅自体はその当時と何ら変わらないようであった。
留学中に汽車で訪れた広州には一週間ほど滞在したのだが、広州で印象に残っているのは、「清水市場」で、様々な動物が食用として売られていたことだった。(今の清水市場でも売られているかどうかは分からないが。)「食は広州にあり」というだけのことはあり、食材の種類が豊富で、「四つ足は机と椅子以外、空を飛ぶ物は飛行機以外、全て食べる」という言葉を聞いたことがある人も多いと思うが、広州では様々な野生動物を様々な調理法で調理する。(もちろん、全ての中国人がこの料理を食べるというわけではなく、好んで食べる人もいる、というくらいに考えたほうがいい。)
市場には、兎、猫、犬、鳩、蛇、鼠(に見えたが違うかも?)その他には、蠍が大きなたらいの中でうねうねしていて、蛙がネットの中でぴょんこぴょんこ元気よく跳ねていて・・・、近寄りたくないけど、あれ絶対虫やろ・・・っていうのとか。(ゲンゴロウの一種で、中国語では「水蟑螂/水ゴキブリ」というそうです)見たことのない鳥が檻の中で鳴いていて、蛇なのか魚なのか分からないようなものが、水の中を泳いでいたりした。まるで小さな動物園・・・というような感じ。ここを訪れる外国人観光客は珍しがって、写真を撮りまくる。
動物は頼めばその場でさばいてもらえるが・・・、運良くその日はさばいている場面には遭遇しなかった。日本にも鯨や馬や鹿を食べる文化があるので、他の国の食文化をとやかく言うつもりはないが、さばいているところを見てしまったら、しばらく夢に出てきそうな気がする。(さばいた直後に放置されている状態なら見たことがあるが・・・)しかしながら中国の市場は、この市場ではなくても鶏をさばいていたり、牛肉や豚肉が半分原型をとどめたままぶらさがっていたり、頭が置いてあったり(市場では日本のようには綺麗にパッキングされていないので。最近スーパーでは日本のようになってきた。)私たちは命をいただいているのだと、はっきり理解できる場所でもある。
水ゴキブリで思い出したけど、広州は暑く湿度が高いので、ゴキブリがとっても元気なのだった・・・。ホテルで何匹見たかわからない。しかもとてつもなく大きい。大学時代を北海道で過ごし、留学先も極寒地ハルビンだった私はしばらくゴキブリとは無縁の生活を送っていたが、夏といえばゴキブリ!というのを思い出さざるを得ないのだった。安宿だったからか、死骸がたくさん落ちているし。(部屋にも)生きているゴキブリは嫌いだけど、死骸も嫌いなのに・・・。そういうわけで、夜中に枕もとでカサっと言ったら、何度も飛び上がる連日睡眠不足な私だった。

コンピューター関係の翻訳作業に追われていたときに、専門用語が多すぎて、数日かけてもどうしても自分では調べきれない単語がいくつかあった。そこで仕方なく、天津にいるパソコンに詳しい中国人の友達に助けを求めることにした。彼は自分で会社をやっていて普段から超多忙。そのときは丁度旧正月前で、一年で一番忙しい時期に面倒な頼みごとをするなんて申し訳ないな~・・・と思いながら連絡をとる。おそるおそる分からないところを教えて欲しいのと、全体的なチェックをお願いすると、彼は快く引き受けてくれ、嬉しそうに、
「やっと、僕に頼んでくれたね!」
という。わけがわからずにいると、
「今まで僕のほうがいろいろ頼んでばかりだったでしょう。お互いに助け合わないとね!」
そういえば今まで私は、彼に頼まれて彼の会社のWEBサイトを日本語に訳したり、彼のサイドビジネスの取引先になりそうな日本の業者を探したり、日本から彼が必要なものを探して送ったり等等してきたのだった。このコラムで何度も書いているが、中国人は親しくなると、遠慮せずに何でも頼んでくる。それがちょっと頑張れば自分でできることでも。相手の迷惑になるから・・・という遠慮はしない。親しければ親しいほど頼む頻度も多くなり、内容も複雑で重みのあるものになる。仲がいいなら自分のために何かしてもらうのは当然で、逆に親しくしているのに相手が何も頼んでこないというのは「なぜ私を頼らないのだろう。私は相手に心を開いているが、この人は自分に距離をおいているのではないか?」と思う。
中国人との付き合いに慣れていたので、頼まれることはなんとも思わずにやっていたが、こちらから何でも頼む、というのは「他人に迷惑をかけるのはいけないことだ」と小さい頃からインプットされている日本人の私にはスムーズにできることではないのだった。まず、人に頼むということが最初から頭にない。自分でできるだけやって、どうしてもだめなら、頼む・・・という形になる。
以前、中国の書店で見かけた日本語教材の本の中で、日本の習慣が紹介されており、「『迷惑をかける』とは日本独特の考え方である。日本人は親しい人にも遠慮をする。」と説明があったことを思い出す。これを読んだだけでは、もともと「迷惑をかける」という考えがない中国人にはどういうことなのかはっきりとはわからないだろう。日本に来て、日本人に囲まれたときに私のように違いに気づくはずだ。
以前、ルームメイトの中国人、玲燕(リンイエン)に、
「髪を切りたいんだけど、前にあなたが行った美容院に連れて行ってくれない?」
と言ったときに、彼女が妙に喜んで、
「もちろんだよ!カコの初めての頼みごとだね。何があっても連れて行くよ!」
とうきうきしていたことが頭に浮かんだ。いつもは玲燕が私に頼みごとをすることがほとんどだったのだ。(その頼みごとの内容は宿題をやってほしい、○○を探して買ってきてほしい、彼氏への贈り物を選んでほしい、手術の通訳をしてほしいなどなど様々。最初はあまりに多くて驚いた。)彼女が喜んだのは、なかなか自分を頼ってくれなかった仲のいい友達がやっと自分を頼ってくれたという、天津の彼と同じ理由からだった。
頼みごとをして喜ばれる、というのはなかなか日本ではないことなので戸惑ってしまった。(笑)玲燕には、「日本では気軽になんでも頼まないし、そこまで人を頼らない。」と言ったことがある。そしたら彼女は不思議そうに、
「頼らないでどうやって生きていくの?人は助けあって生きていくものでしょう?」
と言った。そうだね、その通りなんだけど・・・。やっぱり私は宿題をやってとか、彼氏へのプレゼントなんでもいいから適当に買ってきて・・・とかは頼めないな~と思うのだった。

前回、空港での荷物について書いていて、一昨年、アモイ空港でのなんとも中国らしい出来事を思い出した。
福建省のアモイに一ヶ月半ほど滞在して、日本へ帰国する日のこと。楽しかったアモイでの思い出と、またしばらく会えなくなるアモイの大親友のことを思い、感傷に浸りながら搭乗手続きの列に並んでいると、後ろから中国人のおばちゃんに大きな声で話しかけられた。
「おじょうちゃん、あんたの荷物少ないねぇ。私と同行ってことにして、一緒に荷物預けてくれない?あたしの荷物ちょっとオーバーしそうなのよ」
おばちゃんのカートには大きなスーツケースと、これまた大きな幅1メートル以上はあるぱんぱんに膨れ上がった黒い鞄。
国際線のエコノミークラスで預けられる荷物は20キロまで。20KGを超えても3~4KGくらいなら大目に見てくれることが多いが、かなりオーバーしていたら、高額な超過料金を徴収されてしまう。(中国の場合、航空会社に知り合いがいれば、何キロオーバーしていてもOKだったりもするが・・・。)おばちゃんはそれを怖れているのだ。彼女の荷物は、見た目でも20KGは超えてるでしょ、それ・・・という大きさだった。
中国では荷物の多い人が、同じ便に乗る人にこういうことを頼むことがたまにあるが、面倒なことになるのが嫌だったので、私はへったくそな英語で、
「私は外国人です。中国語わかりません」
と言って断ろうとしたが、おばちゃんは全く引き下がらず、私の英語と同じくらいカタコトの日本語で、
「アナタニモツスクナイ、ワタシオオイ、イショニオネガイシマス」
と訴えてくる。
「オネガイシマス、オネガイシマス」
と、私の顔をのぞき込み、袖を引っ張りながら言ってくるので、しょうがないな~と、結局一緒に搭乗手続きすることにした。
案の定、彼女の荷物は私の余り分7KGを引いても制限を15KG以上超えていた。
彼女はカウンターに喧嘩腰で、
「ちょっとくらいだめなの!?あと何キロならいいのよ。超えてる分をこのかばんから抜けばいいんでしょ!?」
と言い、鞄を開け中身を取り出し始めた。
カウンターのお姉さんも怒った。
「ちょっと~、ここで開けないでよ!あなた一人に時間割けないわよ。後ろにたくさんお客さんがならんでるのよ。やるなら最後尾に回りなさい!」
全くお客さんと話しているような口調ではないが、中国のカウンターはこんなものだ・・・。悪いのはおばちゃんの方だし。
おばちゃんは列から離れると、側でため息をついている私には目もくれず、どっかから大きなビニールの手提げを持ってきて、せっせとかばんから荷物を取り出しては詰めまくる。その後、長~い列の最後尾に並び直し、なんとか荷物を預けることはできたが、今度はおばちゃんの手提げが機内に持ち込むには重すぎると注意される。またキレるおばちゃん。もう知らない・・・。
おばちゃんからは、「ありがとう」とか「すみません」という言葉は、一度もなかった。なんだかどっと疲れたので、搭乗手続後、そこでおばちゃんと別れ、ロビーでお茶を飲みながら一息。どうして中国では、こういう予想外のことが起きるんだろう。まぁそれが中国の面白さでもあるんだけど。一ヶ月半の滞在で実にいろいろなハプニングがあったけど、最後の最後まで油断できないな~などと考える。
飛行機に乗り込み、席の近くまで来ると、そのおばちゃんがニヤリと笑って手を振った。あぁ、そうだ、一緒に手続きしたから席、隣なんだっけ・・・。
帰国後、友達にその話をしたら、
「それって、そのおばさんの荷物の中に麻薬とか刃物とか変なもの入ってたら、カコも大変なことになるんじゃないの?国際線だし、気をつけた方がいいよ。」
と言われて、それもそうだと気が付いた。中国でしばらく過ごして、感覚が麻痺して、そこまで深く考えなかった。次回は丁重にお断りする・・・つもりだ。
最後におばちゃんが携帯で「着いたよ、問題ないよ、荷物全部持ってきた!」と大きな声で話しながら、大きな荷物をずるずると引きずって元気よく歩いて去って行く後ろ姿が、昨日のことのように脳裏に浮かぶ。忘れたくても、忘れられない。(笑)
