北海道のみなさん、こんにちは。
また、ニュージーランドと北海道の共通点の話に戻ります。
「しつこい」と思われるかもしれませんが、もう少しだけ、話をさせてください。
ニュージーランドへ初めてロケに行った時のこと。
撮影準備中に、後にも先にも経験のない大事故がありました。
現地で用意した撮影用に使うクレーンが壊れ、そこに乗っていたカメラマンとその助手が、地上にたたきつけられて大怪我を負ったのです。
幸い、ふたりとも、ニュージーランドと日本での、数ヶ月に及ぶ入院治療と、リハビリの結果、大した後遺症もなく社会復帰することができたのですが、いろいろな意味で、ぼくに多くの教訓をもたらした事故でした。
後日談として、現地のスタッフ(イギリスをルーツとする白人)から、こんなことを言われました。
「ぼくらは、ロケハンの時、マオリの聖地にづかづかと踏み込んでしまった。それが災いした事故だったかもしれない」と。
もちろん、真偽のほどは、確かめようもありません。
が、「そういうこともあるかもしれない」と、その時、ぼくは感じました。
「そこに神がいる」と言ってもいいような、澄んだ、透明感のある気配が、あたり一面を支配している。そんな場所が、確かに、ニュージーランドにはあるのです。
と言っても、一見したところ、それは、特別な場所ではありません。
湖のほとりや、大きな木の下や、森や、山の中のちょっと開けた場所などです。
開墾したり、植林したりした形跡のない、なんでもないけれど、何千年も前から何も変わっていない、そんな場所です。
同じようなことを、ぼくはアメリカのいくつかの場所(たとえば、ヨセミテ国立公園やインディアン居留地区が数多くあるニューメキシコ州アルバカーキ)や、北海道(たとえば先日のロケで行った支笏湖周辺)で感じることがあります。
と言っても、ぼくに霊感があるとか、神秘主義的なことを言おうとしているのではありません。
自然との共存・共生を大切にしてきた(自然信仰を持っていたと思われる)原住民が、開墾や開発で、自然を大改造してしまうことなく暮らしてきた場所。
崇拝せずにはいられないほど、奇跡的に美しい、あるいは、ダイナミックで厳しい自然環境のある場所。
その結果、どことなく精霊が宿るような気配を色濃く持っている場所。
世界には、そんなところがあるのだと思います。
先日、北海道で撮影した際知り合ったSさんから、こんなメールをもらいました。
「北海道が人を牽きつけるのは、北海道がアイヌという先住民族の土地であり、彼らの真理としているものが、顕在的にも潜在的にも、脈々と流れていることが大きのではと私は考えています。山の中でヒグマと遭遇し、なぜアイヌが神と崇めるかということが私なりにわかった、ということや、信心深くない私が、原生林の中で生まれて初めて膝まずいて神に感謝したことなどが、私に新たな精神世界を築くことになりました。まるでお伽話や民話の世界でした。」
Sさんのこの話に、かねてから思っていたことを重ね合わせ、ぼくは、すっかり共感してしまいました。
みなさんは、どう思われますか?
いずれにしても、北海道の透明感のある美しさ、日本でありながら日本的ではない、ニュートラルな風景は、ただの偶然ではないと、ぼくは思います。
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 第11回 神の宿る場所
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