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第19回 CMができるまで(1) CMはだれが作る?

北海道のみなさん、こんにちは。

このコラム、ふと気がつくと、CM裏話のようなものになりつつあります(笑)。
みなさんにとって、それが興味のあるものかどうか、いまひとつ自信がありません。
でも、ここに書いたことがヒントになって、みなさんに、テレビCMを、いままでとは少し違った目で、見ていただけるということもあるかもしれない。
そう願って、もう少し、がんばって書いてみます。

そこで、今回から数回にわたって、CM撮影の裏話ではなく、そもそもテレビCMというものがどういうプロセスでできていくのかについて、お話ししてみようと思います。
ただし、一CMディレクターの目を通してですから、ちょっと偏った見方になるかもしれません。が、ぼくらはCM制作の現状を肌で知っている立場ですから、それもたぶん、おもしろいのではないかと思います。

ぼくがCMディレクターであることを知る、業界にまったく縁のない人からよく聞かれる質問に、「CMの企画を考えたり、タレントさんを選んだりするのは、あなたなのか?」というのがあります。
答えは、現状で言うなら、ノー。
いまのぼくの場合、ほとんどの仕事は、広告代理店がクライアントにプレゼンテーションして決まった企画の演出を依頼される形で、スタートします。
タレントさんが出演するCMであれば、すでにクライアントとの間で決定済み。
それどころか、時にはタレントさんとの相性なども考慮に入れて、ぼくらCMディレクターが選ばれます。
でも、CMディレクターが、最初からCM企画に関わって、タレント選考もするというケースがないわけではありません。

CM創成期(1950年代後半から60年代)にさかのぼれば、電通、博報堂などの広告代理店は、やっとテレビのCM放送枠を買って売る、「代理業務」をスタートさせたばかりで、いまのようにCM企画まで売り込んで仕事を取っていたわけではありません。
逆に、花形CMディレクターに、直接クライアントが企画を依頼して、CM制作をするケースの方が多かったようです。
1960年代に、資生堂のCMを量産して、そのイメージを決定付けた杉山登志(日本天然色映画に所属)などが、その好例。
1960年代の寿屋(その後サントリー)のように、自社に、CMを企画したり演出したりする人材がいた会社もあります。
開高健、山口瞳、柳原良平、酒井睦夫などが所属したサントリー宣伝部がそれで、その後、サン・アドという、他社の企画宣伝まで請け負う会社を立ち上げてしまいました。
(実は、ぼくもしばらくその会社に在籍したのですが。)
やがて、広告代理店にも、CM企画を専門とするクリエーターが数多く育ち、ぼくがこの業界に飛び込んだ1970年代後半には、すでにほとんどのCMは、広告代理店がプランニングするものになっていました。
つまり、CMディレクターがクライアントと差しで企画するケースは、稀なことになっていたのです。

でも、まだいくつかの例外がありました。
その代表が、やっぱり資生堂とサントリー。
宣伝巧者と言われ、自社に強力な宣伝部を持ち、どちらもCMディレクターこそいないものの、優れたデザイナー、コピーライターが数多く在籍した会社です。
そして、そんな土壌のなかで、1983年に、前出のサン・アドという会社に入ったぼくは、自分で企画して、自分でクライアントにプレゼンテーションして、決まった企画を演出するというスタイルで、CMディレクターとしてデビューしました。
つまり、ぼくの場合で言うなら、もともとは、自分でCMの企画を考え、必要があればタレントを選び、自分で演出までしていたけれど、年々、その割合が減り、いまではほとんど演出だけをするようになった、ということになります。

次回は、どのようにしてCMの企画が決まるか、そしてなぜCMディレクターがCMの企画に関わりにくくなったかについて、お話ししたいと思います。


(2007年11月01日)

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