北海道のみなさん、こんにちは。
ぼくの2台目の車、BMW320カブリオレを乗っていた時代は、バブル絶頂期から崩壊にかけて。相変わらず、どこに行くにも車が手放せな生活が続いていました。景気の良かった時代、都心の駐車場は、毎月の契約料が6万を突破し、8万出しても、なかなか見つからいとこぼす仕事仲間がいました。深夜の六本木あたりだと、タクシーをつかまえようにも、空車は走っていない。まれに空車をつかまえても、当時住んでいた代官山までは、千円するかしないか。運転手に嫌な顔をされるか、あからさまな乗車拒否にあったりしたものです。相変わらず、海外ロケは多く、成田から千葉ナンバーのタクシーに乗ると、降り際に、帰りの高速料金を要求されたり、都心に入ったところで、「具合が悪くなった」、「うちの大事な用事を思い出した」などと言って、途中で降ろされてしまう(都心まで来れば、すでに2万円以上の上がりが出るから)などいうことが何度か起りました。そこで、都内のタクシー会社に、運転手指名で東京~成田の送り迎えを予約するようになったぼくは、そのタクシー運転手個人から、お中元・お歳暮をもらっていたほどでした。ちょっとした、居酒屋タクシー状態ですね。
仕事でも、おそらくもっともストレスを感じていた時代。その上、あまりにも車に乗りすぎて、極度の肩こりや足腰にしびれを感じるようになって、気功や針治療、マッサージなどに通院していたのも、その時代です。運動不足を補うために、スポーツクラブにも通うようになりました。それも、スポーツクラブに行くまでの、ほんのわずかな距離を車に乗って。
(余談ですが、ただのスポーツクラブの会員権が、100万もするところが、ごく普通にありました。400万円出して会員になり、その直後に、クラブを経営する不動産会社が倒産してしまった、スタイリストの友人がいたほどです。)
あふれるように仕事があった時代。
たとえば、当時一番の売れっ子だった照明技師さんなどは、色、ホイール、エンジン、すべてにおいて特注の、ベンツEクラスのワゴンに乗ってスタジオに現れました。
「Iさん、すごいねぇ、その車。ずいぶん高かったでしょう?」
「1200万くらいしたかな? でも、もう、これを一生乗るつもりだから。」
そんなわけないじゃん。ぼくは、心の中でそう思いました。ぼくもそうでしたが、「一生もの」とうそぶきながら、誰もが散財していた時代なのですから。
バブルが崩壊したと言われるようになって、「あの頃は、あめ玉を買うように、ゴルフ会員権を買っていたなぁ」とつぶやいた、ジャガー好きの有名コピーライターの言葉が、まだ記憶に焼き付いています。
そんな頃、たまに、電車に乗って打ち合わせに行くと、それ自体が、新鮮に感じられました。広告も、元気いっぱいだった時代。車内吊りや、駅のポスターを見るのもおもしろかったし、なんと言うことはない街や人の気配から、いろいろな情報が染み込むように入ってくるような気がしたものです。
人は、移動の速度を上げれば上げるほど、情報を失っていく。
電車よりバス、バスより徒歩、そして究極はじっと立ち止まって、足下を見つめること。その方が、ずっと豊かに情報を得ることができる。バブル崩壊と、どれほど関係があったかは、定かではありま せんが、そんな単純な定理に、やっとぼくは気がつき始めていました。
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 第45回 CM業界とぼくのカー・ライフ(3)
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バブルの頃って、いったいなんだったのでしょうね。
僕はバブルの恩恵を受けた記憶はあまりないのですが、
それでも、世間全体が
よく言えば「前向き、楽観的」
悪く言えば「勘違いばかり」
だったような気がします。
バブルを知らない世代から見たら
竜宮城のようなものかもしれませんね。