北海道のみなさん、こんにちは。
思いがけず、長くなってしまいましたが、
もう少し、代官山物語のつづきをお話させてください。
新しくなった代官山東急アパートメントに移ったのは、
確か、1993年だったと思います。
ということは、長い裁判や立ち退きをめぐる交渉を経て、
やっと施主、不動産会社の思惑通り一期工事が終わった頃、
すでにバブル景気は終わっていたのです。
東急不動産のプランは、こうでした。
古い代官山東急アパートメントはそのままにして、
駐車場の敷地と買収した隣接する土地に、
まず居住部分の一期工事をする。
その後、アパートメントを取り壊し、
そこに1、2階が、ショッピングフロアーで、
その上が、オフィスビルの二期工事をする。
それで、7階建ての、代官山東急ビルが完成するというプランでした。
しかし、予定通りに二期工事を進める勢いは、
もう、時代にも、施主にもありませんでした。
結局、取り壊しの後の、がらんとしたその敷地には、
5〜6年の期限付きで、いかにも間に合わせの、
2階建てのショッピイングアーケードが建ちました。
そして、結果からいえば、すでに10数年たったいまも、
相変わらず、そこには「間に合わせのショッピングアーケード」
があるだけで、一期工事で建った居住部分のビルが、
未完成のまま、空しい姿をさらけ出しています。
つまり、代官山東急アパートメントのあった場所は、
商業的にも生かされることのまないまま、
まるで、バブル景気の夢の後さながら、
いまだに「空っぽ」なのです。
30数年の、さまざまな人や家族の思い出と歴史、
そして、やっと育ちかけていた代官山の「文化」は、
東急アパートといっしょに「解体」されただけに終わりました。
ぼくは、新築になった代官山東急アパートメントに住みはじめ、
向かいにあった事務所は、
近くに新築されたマンションに移転したけれど、
仕事と生活、相変わらず、すべてにおいて代官山がぼくの基地でした。
東急アパートメントの建替え計画は、「破綻」したけれど、
代官山自体は、バブル崩壊後も、着々と姿を変えていきました。
1997年頃から、歴史的な建造物である、
同潤会アパートの解体工事が始まり、
2000年8月、代官山アドレスが竣工。
タレントか、当時頭角を現してきたIT関係の成功者くらいしか
手が出ない2億、3億の物件を含むマンションや、
流行りのお店で埋め尽くされたショッピングフロアーで、
ずいぶん話題にもなりました。
しかし、2001年の暮れに、
ぼくはとうとう、代官山を「脱出」しました。
新しい東急アパートメントに住んでいた約8年間、
ぼくはずっと解体と建築の工事音を聞かされ続け、
次々にできるファッションの店、美容院、飲食店で、
代官山の人口は膨れ上がり、
街は、DAIKANYAMAの雰囲気に引き寄せられた人々で
あふれるようになりました。
こんな街からは、早く脱出したい。
かつては、「一生ここに住んでもいい」と思った代官山は、
完全にバランスを失った、落ち着かない街に変貌していました。
バブルの頃、新しい商業地区として生まれ変わることを夢見た
代官山は、バブルがはじけた後も、夢を追い続けるしかなかった。
いま思い返してみると、代官山が変わってしまったのは、
むしろバブル崩壊後のような気がします。
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 第72回 ぼくの、代官山物語 ⑨
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