北海道のみなさん、こんにちは。
代官山東急アパートメントの部屋から、トランクを持って、
ぼくは、ひっきりなしに海外へロケに行くうようになりました。
帰りには、トランクには入りきらないくらい、
たくさんの写真集、美術書、ワイン、アンティークの陶器や置物、
時には、家具まで買って帰るようになっていきました。
少しずつ、ぼくは、「代官山に住む大人たち」の趣味や、
暮らしぶりに近づいていた。
少なくとも、自分では、そう思っていました。
演出はもちろんのこと、自分で、企画から
クライアントへのプレゼンテーションまでこなしていた時代。
ぼくは、日本人タレントよりも外人のモデルや役者を
使うような仕事が、とても多かったのです。
そして、ぼくにもクライアントにも、何の躊躇もなく、
海外で撮影することを前提に企画を考える「勢い」がありました。
そんなぼくが、ある時、
若くて、親しみやすいキャラクターの、日本人モデルを使って、
ごく身近なシチュエーションで撮影する企画を立てたことがありました。
撮影場所に選んだのは、ほとんどが代官山。
何気ない住宅街や、代官山にあるレストランの中でした。
うちから、歩いて5分も、かかるか、かからないかの、近さ。
朝、シャワーを浴びながら、DAIKANYAMAという、
外国のどこかの街に住んでいるような、
不思議な感覚に襲われたことを、いまでも思い出します。
ぼくの代官山での暮らしは、そんな風に、
ベッタリとしたリアルな日常性より、
外国の街のホテルに暮らしているような非日常性、
浮遊感のようなものが、少し、あった気がします。
そんな暮らしが3年も過ぎた頃、
ぼくは、いよいよ会社を辞めて、独立しました。
昨日まで、プライベートにしか使っていなかった電話に、
仕事の依頼やスケジュールを問い合わせる電話が、
ひっきりなしにかかるようになり、
オーダーして作ったグレーのデスクは、仕事机に変わりました。
仕事と暮らしが、まるごと、
代官山東急アパートメント19号室に詰め込まれた。そんな感じ。
それから一年もたった頃、独立する前にいた会社で
もっとも優秀な営業だった女性をマネージャーに迎えることになり、
ぼくは、そこを事務所にしようと考えました。
いや、それは、「考えた」というより、
かねて想像し、予定した通りの、ごく自然な流れでした。
ベッドやテーブルは処分し、そんな時が来るのを
どこかで意識しながら作った大きな棚はそのままにして、
生活道具を持ち出し、代わりに、大きな打ち合わせ用のテーブルと、
マネージャーのためのデスクを置いたら、
19号室は、あっという間に事務所に変身しました。
ぼくは、代官山から車で、10分かかるか、
かからないかのところに、ワンルームのマンションを借り、
そこで暮らすようにはなったのですが、寝に帰るだけ。
ぼくの暮らしぶりは、仕事中心、そして、代官山中心でした。
ぼくのように、代官山東急アパートメントを
オフィス代わりに使っている人は、大勢いました。
会社というより、あくまでも個人事務所の規模ですが、
多くのオフィスと住宅と混在する集合住宅になっていました。
他に自分の住むスペースを得たことで、
ぼくは「一生もの」の家具を少しずつ買いそろえるようになり、
海外から持ち込む荷物にも、ますます拍車がかかりました。
ぼくは、ちょっとした、アンティークの器や壷の
コレクターになっていました。
インテリアの本や雑誌を読みあさり、
和のことも少しは知らなければと、お茶の教室にも通いました。
ぼくは、一生、代官山に暮らすだろう。
いまは、代官山のアパートを、自分の事務所にしているけれど、
来るべきときが来たら、またそこに暮らしてもいい。
そう思っていました。
けれど、1990年代に入った頃、
時代は、あっという間にバランスを崩しはじめ、
いつしか、こんな声がささやかれはじめました。
「代官山東急アパートの、建替え計画があるらしい。」
時代は、バブル絶頂期。
築年数30年以上も経過していれば、どんな建物でも、
地上げや建替えの話が持ち上がった、そんな時代でした。
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 第69回 ぼくの、代官山物語 ⑥
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