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第67回 ぼくの、代官山物語 ④

北海道のみなさん、こんにちは。

ぼくが住むことになった代官山東急アパートメントの部屋は、広さ36㎡のワンルーム。それまで住んでいたのは、6畳一間の和室にキッチンがついた、典型的な独身者向けアパートでした。家具は学生時代から使っていたものに、ちょっとずつ買い足し、畳の上に布団を敷いて寝る生活。外人向け住宅として建てられたアパートに似合うものは、何ひとつありませんでした。

ぼくは、すべての家具、家財道具を捨てて、買い替えることにしました。でも、気に入った家具を見つけることができるインテリアショップは、当時の東京には、ひとつもありません。ぼくの財力でも買える、ミッドセンチュリーや北欧の、リーズナブルな中古家具を扱う店など、まだ一軒もなかったのです。デパートの高級家具は趣味じゃないし、かと言って、20世紀の名作家具を買うには、知識も財力も足りない。そこで、ぼくは、すべての家具を作ってしまおう、と思い立ちました。

スタイリストの友人に紹介してもらったのは、コム・デ・ギャルソンのショップの内装を手がける会社の人でした。買ったのは、ベッドのマットと、ダイニング用の椅子、二脚だけ。本や食器、オーディオ、洋服以外のほとんどすべてのものを収納して、小物を入れる引き出しまで付いた、大きな棚。収納付きのベッドの台、テスクと、ローテーブル。それらすべてを、デザインと言うほどのこともないけれど、自分で、形や大きさを考え、作ってもらいました。それも、まるで当時のコム・デ・ギャルソンのショップのような、グレー一色で。その結果、36㎡の部屋は、ちょっとしたブティックのようになってしまいました。

やがて、会社の同僚が、こう呼ぶようになりました。「バー19号」。
たとえば、会社で遅くまで仕事をした後、深夜まで六本木で飲んだ帰り道、だれかが言ったものです。
「じゃあ、バー19号に行こうか!?」
代官山東急アパートメント1階の19号室。
それが、ぼくが住む、どことなく生活感のない、ブティックのような部屋でした。

何も、ぼくの部屋でなくても、すぐとなりのビルの地下には、ジャズがかかっているバーがあり、横断歩道を渡れば、定食屋も八百屋も薬局も(それも同じ姓の一族が営んでいる店が)ありました。
おいしいコーヒーが飲める喫茶店、
小さくて汚くて愛想が悪くてけっこうおいしいラーメン屋、
いつも揚げたてコロッケがある肉屋、
そこそこの高級寿司店に、まずい蕎麦屋、
冴えない床屋、酒屋、パン屋、郵便局、写真館、駅前の本屋。
要するに、街にあるべきものが、小さなエリアにほとんど揃っている。
それに、アンティークを扱うギャラリーや、オシャレな美容室やファッションの店があり、ヒルサイドテラスのようなところには、評判のサンドイッチ屋や、イタリアンや中華の店もある。

休日に、部屋着にサンダルで外に出ても、OKだった街。
一歩入れば、静かな民家が軒を連ねる街。
古い住宅と、古い集合住宅とが、共存する街。
隣りから、子どもがピアノを練習する音が聞こえ、
ふと気がつくと、日向に猫が寝そべっている街。
夜になれば、静まり返る街。
多くの芸能人、クリエーターたちが住む街。
大人の住む街。
「オシャレな街」と騒がれはじめた街。
不思議なバランスが、取れていた街。
そして、どこに行くにもアクセスのいい街。

そんな街に住み、やっと思うような仕事が来るようになった、30歳のぼくは、代官山東急アパート19号室を、いつか独立したら事務所にしようと心に決めていました。まだ、たいした実績もなく、何の根拠もないけれど、いつかそうなる。そう、信じていました。
ぼくも、時代も、前に向かってひた走っていた、1980年代、半ばのことです。


(2009年01月29日)

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