北海道のみなさん、こんにちは。
代官山と原宿には、多くの共通点があります。
どちらも、渋谷からひとつめの駅。
どちらにも、関東大震災の後建てられた同潤会アパートがあり、
どちらも閑静な住宅街と古くからの商店が混在する、
落ち着いた街だったのに、
原宿は1970年代、代官山は80年代に、再開発の波が押し寄せて、
どちらも若者が押し寄せるファッションの街へと変貌を遂げました。
そして、どちらにも、広告、ファッション、音楽などの、
いわゆる「業界人」が住んだり、事務所にしたりするアパートが存在しました。
原宿には、セントラルアパートが、
そして、代官山には東急アパートが。
1970年代、原宿のセントラルアパートには、
多くのクリエーターが集結していました。
浅井慎平さん、繰上和美さんや、鋤田正義さんなどのカメラマン、
若き日の糸井重里さんがいて、多くのデザイン、ファッション、
マスコミ関係の事務所がありました。
それに比べると、スケールにしたら小さなものですが、
代官山東急アパートにも、ぼくが入居した当時には、
芸能人、ミュージシャン、広告・マスコミ関係者が住み、
多くのカメラマンの方がいました。
そうそう、CMディレクターも、ぼくを入れて3人。
いまだからこそ、こんな風に比較もできますが、
ぼくも含めて、ひとりひとりの人が、自分のライフスタイルに合っているからと、ごく自然に集まってきたまでで、結果、「業界人」が多く集まり、結果、原宿のセントラルアパートに似ていた、に過ぎません。
でも、不思議なものです。
時代は少しズレているけれど、流行に敏感で、サブカルチャーにかかわる仕事をする人々が、蜂が巣を求めるようにひとつの場所に集まってくる。
その嗅覚って、一体、何なのでしょう?
それはよくわからないけれど、原宿も、代官山も、ある時代に、独特のバランスの上にあった街、ということが言えるかもしれません。
住宅と商店。飲食とファッション。古い東京と新しい東京。和風建築と洋風建築。コンクリートと森。暮らす人と働く人。どの視点に立っても、どちらの要素もあり、その境界線であり、原宿は70年代に、代官山は80年代に、いちばん危うくておもしろい時代を迎えたのだと思います。
ぼくが、住みはじめた1980年代の代官山は、「第二の原宿」化する前夜でした。同潤会アパートには、オシャレなお店や美容院ができはじめていたけれど、まだ銭湯もあれば、食堂もありました。カブトムシが取れそうな、鬱蒼とした森もありました。
70年代風カジュアルウエアーのハリウッド・ランチマーケットや、イギリスからアンティークとファッションを仕入れていたロイドがあり、ぽつぽつと、安い家賃と静けさを求めて、感度のいいファッションの店がオープンしはじめていました。
そして、旧山手通りをはさんで、代官山には、ヒルサイドテラスがあります。住宅と店舗とオフィスが混在し、環境とも、古い住宅ともバランスよく共存している、モダン建築。それは、まさに、代官山。そして、代官山が目指すべき姿のお手本のようなものだと言えるでしょう。いや、もうそれは過去形でしか語れない。代官山は、バブルの時代に、ものすごいスピードで崩れていったから。
原宿も、代官山も、偶然に、自然発生的に、おもしろいバランスで、時代の先端を行っていた街だとするなら。
そのバランスが何かを、もっと自覚して、保ち、再開発していたなら。
東京も、今ごろ、少しは、マシな街になっていたはず。
業界人の嗅覚の後を追うように、時代は、まるでブルドーザーのように、原宿を、代官山を、踏みつぶし、変えていきました。
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 第66回 ぼくの、代官山物語 ③
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