なるほど情報ウェブマガジン【週刊コラナビ北海道】毎週木曜日更新

週刊コラナビトップディレクターズ・カット

ディレクターズ・カット

第65回 ぼくの、代官山物語 ②

北海道のみなさん、こんにちは。

代官山東急アパートメントというのは、ぼくが生まれた翌年、1955年(昭和30年)に、日本で最初の外国人向け高級賃貸アパートとして、東急不動産によって建てられました。戦後の社会状況が落ち着き、海外から来日する経済人が急増して、彼らを受け入れる長期滞在型ホテルのようなアパートが求められたのでしょう。渋谷からひとつめ、代官山駅のすぐそば。大きな敷地に、駐車場を囲むように建てられた、L字型の7階建てのアパートでした。

こうして、書きながら、何度もつい「マンション」と言ってしまいそうになります。でも、ご存知のように、マンションというのは、あくまでも「日本語」。正しくは、イギリスなら「フラット」、アメリカなら「アパートメント」。この、律儀に「アパートメント」と言う呼び方が、ぼくはとても気に入っていました。
フロントでは小包や荷物を預かってくれたし、地下にはトランクルームや、そこに入れておけば、クリーニング屋が勝手に洗濯物を取りにきてくれるロッカーがありました。かつては、レストランまであったと聞いています。最上階にはランドリー室があり、洗濯機や乾燥機がズラリ並んでいて、屋上には、広い物干し場がありました。各階に、ダストシュートがあって、すべてのゴミは、そこに放り込むだけ。管理、清掃、すべてに行き届いたところでした。
昭和30年代に、外国式のサービスを提供しようと、ずいぶんがんばったのでしょう。構造といい、サービスといい、まさに海外のアパートメント、いや、むしろホテルかコンドミニアムのようでした。建築から30年後、ぼくが入った当時は、すでに建物は老朽化しつつあり、もう「外人向け」と呼べる高級感はありませんでしたが、それでも、十分にその名残があったのです。

でも、ぼくがそこに入居したのは、まったくの偶然。
30歳になったばかりの頃、当時よく仕事をするようになった、あるコピーライターが、ぼくが引っ越す先を探している、と言うと、「うちのマンションはいいよ。空き待ちだけど、リストに入れておいてもらうよ」と言ってくれました。別に、たいして期待もしていなかったのですが、それからあまり日を開けずに、思いがけず、空き部屋が出たという連絡が入りました。
見に行って、即決で入居を決めました。そして、その時、どういうか、ぼくはこう思ったことをはっきり覚えています。

「ここなら、独立したときに、事務所として使えるな。」

36㎡のワンルーム。駐車場に面した1階。バスルームは、まるで外国の、古いホテルのよう。使い勝手のいい、コンパクトなキッチン。白い漆喰塗りの、コンクリートの壁。備え付けの電話や収納家具。古くさいドアノブやタイル、玄関のドアについた網戸、高い天井、上がりかまちのないフラットな玄関。カーペット敷きの床。レトロで、モダン。あまり生活感がないので、確かに、事務所としても十分に機能しそうでした。

でも、家賃12万は、当時のぼくからしたら、かなりの背伸び。毎月手にする給料が、20万あったかどうか、という時代。会社の上司に、「君、そんなところによく住めるね」と言われて、ぼくは返答に困りました。実は、会社以外の仕事(要するに、アルバイト)をちょくちょくするようになって、当時のぼくには、副収入がけっこうあったのです。また、別の上司には、こう言われました。「いいところに引っ越したな。君、そこは、いいよ。亀ちゃんや、公ちゃんがいるしな。」亀ちゃんとは、会社の大先輩で、フリーランスとして活躍されていたアーチストの、亀井武彦さん。公ちゃんと言うのは、当時、ぼくも仕事をお願いするようになっていたカメラマンの大西公平さん。確かに、当時の代官山東急アパートには、数多くの役者やミュージシャン、文化人や業界人が、住んだり、事務所として使ったりしていました。
「君、そこは、いいよ。」
その言葉は、こんな風に、ぼくには聞こえました。

「君、そこは、君の運が開けるところだよ。」


(2009年01月15日)

コメントする


画像の中に見える文字を入力してください。

(画像が表示されない場合、画像のところでマウス右クリック-[画像の表示]を実行してみてください[Windows InternetExplorer, FireFoxの場合])

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 第65回 ぼくの、代官山物語 ②

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://spiritlink.80code.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1513