北海道のみなさん、こんにちは。
先日、ぼくの郷里である岐阜へ帰省した時のこと。
ちょっと紅葉でも見に行こうと、甥がドライブに誘ってくれました。小一時間川沿いの道の走って山を登り、恵那峡という観光スポットを目指します。10月も下旬になって、ようやく山も色づいてきましたが、紅葉の盛りには、まだ一二週間早いようでした。それに、生憎の小雨が降る天気。じゃ、ちょっと最近評判のカフェにでも行こうと、さらに山を登りました。もう民家や畑さえなくなりかけたひっそりした場所に、目指すカフェがやっと現れました。
100年は経っていそうな、古い民家を移築したようです。それにしても、なんとも辺鄙な場所にあり、悪天候にも関わらず、岐阜や愛知県ナンバーの車が、2~30台駐車場に並んでいるのに、びっくり。カフェに一歩足を踏み入れると、まだ火の入っていない囲炉裏を、ぐるり囲んで何組ものカップルが静かに座っています。その奥に、広いキッチン。思い思いの格好に、エプロンをした、いかにもカフェスタイルの若い人たちが、ゆっくり仕事をしている様子。かつて居間であっただろう広い畳の部屋には、卓袱台ほどの高さの テーブルが7~8卓あり、直に座ったり、低い椅子に座ったりして、家族連れ田カップルが、軽食やお茶やケーキを楽しんでいるようでした。
ポカンとそれを見渡している間にも、次々と客が入ってきます。やっと、囲炉裏を囲んでいる人たちは、順番待ちをしているのだと気づき、ノートに名前を書くと、「2階にも、陶器のショールームがありますから」と、初めて店の人が声をかけてくれました。案内されるままに2階に上がってみたものの、ほぼすべて白一色の今どきのデザイン陶磁器は、なんとも中途半端な大量生産品。下に降りて、待つこと、小一時間。囲炉裏端には、外国の絵本や、料理本、このカフェが取り上げられた雑誌などが並んでいます。雑誌をぱらぱらとめくって、ここの店主は、まだ30手前の、若いカップルであること、この地に住み、家の周囲には、ハーブやちょっとした野菜などを育てながら、パンやお菓子を焼いて、週末だけこのカフェをオープンしていることがわかりました。とにかく、スタッフが、みんな若い。
後から来た客が次々と案内されていくので、「ちょっと、すみません!」ぼくは、声を荒げてしまいました。場違いな大声にも、だれも、なにも反応しないので、仕方なく、席を立って順番待ちノートを確認すると、確かに、ぼくたちの順番は次。そうでした、そうでした。店に入っても、順番待ちのシステムがわからずポカンとしているうちに、後から来た客に、次々と先を越されたのでした。
やっとありついた、コーヒーと、厚切りトーストや栗を使ったケーキは、そこそこの味。「もうここに来ることは、ないだろうな」と思いながら、店を後にして、それにしても、と思いました。
わざわざ、こんな山奥にカフェを出す若者。そこに集まる、大勢の人たち。おそらく、駅前の便利な場所にある喫茶店なら、閑古鳥でしょう。
ぼくは、豊かな自然がありながら、土建屋体質が染み込んだ、開発王国の岐阜が、自分の郷里でありながらどうにも好きになれないでいました。小さい頃親しんだ、山里の風景や小川や田んぼがなくなり、そこに幹線道路が張り巡らされ、パチンコ屋や大型小売店や外 食産業大手のチェーン店が建ち並ぶ郊外の風景は、そこに住む人にいくら便利でも、醜いと思っています。どんなに田舎暮らしに憧れても、岐阜、とりわけ美濃地方は、一番最初に選択肢から除外したい。そう思っているくらいです。でも、最近、帰るたびに、何か、変化の兆しを見つける。
キーワードは、再生。
さらに言うなら、農。そして、自給自足的な生活。
もっとも、サービスの基本さえ身に付いていない接客に、インテリア、メニュー、すべてにおいて中途半端だった山奥のカフェのように、それは、まだ、チグハグな憧れでしかない。自給自足的な暮らし「ごっこ」のようでさえありました。でも、確かに、若い人が、何かを始めようとし、そこにあれだけ大勢の人たちが集まってくる。いま、何かが変わろうとしている。それも、思いがけないスピードで。そんなことを思った、今回の帰省でした。
北海道では、どうですか?
開発を止めて、再生に向かう兆しは、ありますか?
若い人が、農や、自給自足的な生活に憧れる傾向は、見えますか?
いちど、ゆっくり北海道を旅行したいな。新しい北海道を、発見したい。ずっとそう思っています。
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 第58回 岐阜で見つけた、変化の兆し
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