
1954年岐阜県生まれ。上智大学新聞学科卒業後、テレコム・ジャパン、サン・アドを経て、フリーランスに。
現在、今村直樹事務所、CM制作者集団・ライブラリーを主催。
サントリー、資生堂、トヨタ自動車、日産自動車、メルセデス・べンツ、味の素、日本通運、ソニー生命、NTTコミュニケーションズ、NTTドコモ、KDDI、大塚製薬、ダイワハウスなど、20数年のディレクター歴の間に、数多くのクライアントのCMを、企画・演出してきました。
代表作に、JR東日本「房総ビュー・エクスプレス」「故郷になってください」
JR東海「のぞみ大通り」「ワイドビューで行こう」
松下電工「きれいなおねいさんは好きですか?」
大和ハウスの企業広告「共創共生・郡上八幡」「奈良・通り庭」など。
the catcher in the LIVERARY
今村直樹となかまたちのブログ
北海道のみなさん、こんにちは。
前回の、武藤英生先生に続いて、
ぼくのコラムも、
今日で100回を迎えることができました。
それにしても、週刊コラナビ北海道という名の
このサイトに、どうして、北海道在住でも、出身でもない、
このぼくがコラムを持っているのか?と、
不思議に思われる方も多いでしょう。
その理由は、正直言って、ぼくにもよくわかりません。(笑)
編集長の渡邊光一さんとは、数年前に、確か、
60年代から70年代はじめにかけて活躍した、
CMディレクターの故・杉山登志のことを、
ぼくがブログに書き、それがきっかけで知り合いました。
でも、たった、それだけの縁。
何度か、メールの行き来があり、どういうわけか、
週刊コラナビがスタートする際に、
コラムの担当を依頼されたのでした。
(確か、外からの風が欲しい、というようなことを、
おっしゃっていたと思います。)
編集長の渡邊さんご自身は、
以前、広告代理店で営業をしていらしたという
経歴の持ち主ですが、
ぼくの仕事である広告に、縁もゆかりもない、
それも北海道という特定の場所で暮らす人たちに、
さて、ぼくは何をお話しできるだろう?
撮影という仕事を通して、北海道について感じてきたこと。
広告の世界で、日々起っていることや、ぼくの問題意識。
バブルや、その後の「失われた10年」を経てきた、
広告マンの端くれとしての、ぼくの昔話。
いつの間にか100回を数えたコラムには、
この場がなかったら、書かなかったこと、
振り返らなかったことばかり。
退屈な話が多かったことと思いますが、これはこれなりに、
ぼくの、ちょっとした財産になったかもしれません。
それにしても、不思議な縁。
もし、これが週刊コラナビ埼玉とか、
大阪とか、九州とかだったら、どうだっただろう?
と考えます。
まず、その方面の人からは、頼まれなかったと思うし、
頼まれても、気乗りがしなかっただろうとも思うんです。
北海道だったから、できた。
なぜなら、そこには、「軽さ」があるから。
そこには、「自由」があるから。
そしてそこには、人と人を結ぶ、
自然という財産があるから。
「軽さ」と言っても、
もちろん軽薄という意味で言っているのではありません。
とらわれることのない感じ、とでも言えばいいか。
自分の出身地にも、いま住んでいる場所にも、
どこか根を張る感じが持てない、ぼくの軽さ。
あるいは、広告の世界に長くいる人間に染み付いた、
時勢と共に移ろう軽さ。
それって、もしかすると、北海道の人たちにも
通じるものがあるんじゃないか?
世界規模で言うなら、アメリカやオーストラリアのように、
外から入ってくる人や文化にオープンな、
北海道の人たちの、開かれた、自由を愛する気質抜きに、
こんな小さな縁もまた、生まれなかったような気がします。
そして、このコラムを書きはじめた頃に比べると、
ぼく自身、地域のブランドやコミュニケーションの活性化
というテーマに、強く関心を持ちはじめています。
メジャーな全国ブランドの、何億もの予算をかけて
展開される広告ばかりを、手がけてきたぼく。
企業や広告の、スケールが大きければ大きいほど、
仕事がおもしろく、達成感がある時代が長く続きました。
いや、それこそが、「広告」だったのです。
しかし、むしろこれからは、スケールが小さくて、
全国と言うよりは、地域に根ざした企業やブランドの
広告の方が、「おもしろく、達成感がある」ように
なっていくのではないか。
「広く告げる」から、「狭く、深く伝える」へ。
そんな時代の変化を感じています。
武藤先生の背中を見ながら、
(先生、よそ者に抜かれないようにがんばって!)
ぼちぼち、ぼく自身と広告の、次のステージに向かって、
投稿を続けていきたいと思っています。
北海道のみなさん、これからもよろしくお願いします。
北海道のみなさん、こんにちは。
文章を書いたり、仕事の企画をしたりする
ことに関しては、朝型のぼく。
おまけに、何ごとも、ギリギリにならないと
動き出さない性分も手伝って、
このコラムは、毎週木曜日の更新日の朝書いて、
編集長の渡邊光一さんに送ります。
すると、しばらくして、渡邊さんから、
受け取った旨の返信メールがあり、そこには、
その日のコラムへの感想が書き添えてあります。
それが、いつも楽しみなのです。
なかなか鋭く、かつ的確で、
書いたぼくの方が、「そうなんだよなぁ」
「なるほど」などと、感心することもしばしば。
カメラマンの操上和美さんについて書いた
コラムにも、最初にまず、
「日本中が自信をなくしつつある今の時代の
『ていたらく』を見ていて、
『情けないなあ...、どれ、僕が喝を入れてやろうか』
という気概を感じます。」
との感想が送られてきて、
2回目のコラムには、
「カッコイイということが、
妙に敬遠されている時代のような気がします。
なぜなんだろう?
景気のせいにするのは簡単ですが、
それだけでもないと思います。
(中略)
「カッコイイ」は「楽しい」と
声を挙げにくいのはなぜなんだろう?
最近、そんなことを考えます。」
という感想をいただきました。
どちらも、「そう、それなんだよ、
ぼくが言いたかったのは」と、うなる的確さです。
「カッコイイということが、敬遠されている時代」、
逆に言えば、「カッコイイ」が、
広告や写真の原動力になっていた時代が
遠ざかっているのではないか。
操上さんが出された写真雑誌「CAMEL」を見て、
彼の「気概」と共に、
ぼくが感じたことのひとつは、そんなことでした。
操上さんのかつて出された写真集に、
「NORTHERN・北の風景」というのがあることは、
このコラムの22回目にも書きました。
少年時代を送った富良野を離れて、
東京を拠点に、まさに世界を股にかけて
広告写真の最先端を疾走してきた操上さんが、
自身のルーツに回帰した写真集。
それは、不況とデジタル化の波の中で、
広告写真そのものが、沈みかけていた
2002年に出版されものでした。
撮る対象への、厳しく、澄んだ眼差し。
操上さんが、常に広告写真の中で見せてきたその姿勢は、
カメラを、故郷の自然や人に向けた時にも
変わることがありません。
いささか乱暴な言い方ですが、
カッコイイを、無条件に憧れて仕事をしてきた人には、
操上さんならずとも、独特の少年性と
時代を浮遊する軽さがあるような気がします。
少年性は、感性の透明感となって、
時代を浮遊する軽さは、広告へのするどい視線となって現れ、
どちらも、「広告写真の時代」に
なくてはならないものだった気がします。
言ってみれば、その「広告写真の時代」が
終わろうとしています。
いま、北海道の地に、かつての操上さんのように、
鋭く澄んだ眼差しを持った、
カメラと写真に憧れる少年がいたとして、
彼は、何をカッコイイと思うのだろう?
彼の目に、いま、カッコイイ広告写真が
触れることは、あるだろうか?
いや。
彼の心をとらえるのは、きっと、もっと違う何か、
もっと「真実」に向かっている何か、
商業の流れに乗らない何かではないか。
そして、渡邊さんのおっしゃるように、
敬遠はされないまでも、「カッコイイ」は、
いまの世代を気持ちの上で牽引する原動力に
ならないのではないか。
そんなことも思います。
写真は、広告を離れて、
どこまで時代に切り込むことができるか?
広告や雑誌の活力が失われたいま、
ぼくらを突き動かす原動力の源は、どこにあるのか?
操上さんの新たな挑戦、写真雑誌「CAMEL」には、
おおげさに言えば、
そんなメッセージが込められている気がします。
そして、その挑戦は、おそらく、
いまどの世代にも必要なこと。
これからのクリエーティブは、先が見通せない分、
世代を超えて、横一線だという気がしています。
操上さんは、まだまだ少年のように見える理由も、
きっとそこにあるのでしょう。
カッコイイを追い求める人たちの背中を見ながら
ここまで来たぼくたちも、例外ではありません。
次のカッコイイは何か?
ホンモノのカッコイイは何か?
横一線で、いまは、模索の時代です。
北海道のみなさん、こんにちは。
カメラマンの操上和美さんに、初めてお会いしたのは、
1984年、ニューヨークの和食店でのこと。
ぼくは、ちょうど30歳になったばかり。
サン・アドという会社に入ってやっとつかんだ大仕事で、
ニューヨークへ、モデルをオーディションしに
行った時のことでした。
向こうのテーブルに、やけに視線のするどい人がいるな、
と思ったら、それが操上さんでした。
たったそれだけのことなのに、
広告界でももっとも著名なカメラマンに
ニューヨークで遭遇しているというシチュエーションに、
自分が少しメジャーな世界に近づけたような気持ちになって、
誇らしく思ったことを覚えています。
その次に操上さんに出会ったのは、北海道の富良野でした。
いや、操上さんがそこにいたわけではありません。
ぼくは、会社を辞めてフリーランスの
CMディレクターとして仕事をするようになっていました。
次々に仕事が舞い込むようになり、
その時は、チーズをテーマにした雪印の企業広告で、
初めて北海道にロケしていました。
雪に埋もれた富良野の丘にカメラを向けて、
しんしんと雪が降ってくるのを待っていて、
ふと後ろを見ると「操上牧場(くりがみぼくじょう)」と
書かれた看板があります。
「あ、操上って、
あの操上さんともしかして関係あったりして」
と言うと、その時もご一緒していたカメラマンの
鋤田正義さんがこう言うのです。
「そうかもしれませんよ、
くりちゃんは、北海道出身ですからね。」
後々、わかったことなのですが、
実際、そこが操上さんの生家のある場所でした。
あの、ナイフで切り込んだようにシャープな写真を撮る操上さん。
いつも時代の先頭を行くファッション写真を撮る操上さん。
そして、広い空と大地の間に、
人と自然の営みが点在するだけのこの雄大な自然、
いや、はっきり言って、その自然以外に、何もないただの田舎。
両者の、鮮やかすぎるコントラスト。
それに、ぼくは軽いショックを受け、
そして、何かがわかったような気持ちになったものでした。
その後、一年か二年の間に、
ぼくは操上さんが立ち上げ、社長をされていた会社、
ピラミッドフィルムで盛んに仕事をするようになりました。
殺風景な東京湾の倉庫街、竹芝桟橋の、
まさに倉庫会社ばかりが入っている古いビル。
でも、一歩中に入ると、
そこは、まるでニューヨークのロフトでした。
無機質な空間が、広告業界のどの会社よりも、
オシャレなオフィスに生まれ変わっていました。
大きな吹き抜けのワンフロアーを、ゆったりと仕切り、
ロビーには超モダンな家具や卓球台が置かれ、
壁には、有名作家の絵や操上さんの写真がかかっています。
会議室の大テーブルは特注、
スタッフが座る椅子も、バウハウスの名作家具。
トイレの石けんボトル、ペーパーにまで神経が行き届いています。
仕切りの向こうには、操上さんの個人事務所、キャメルがあり、
社長室も垣間見えるのですが、そこは、
インテリア雑誌に出てきてもおかしくないくらい、
一分の隙もなく、モダンでハイセンスでした。
どうだ、日本を代表するような広告写真やコマーシャルが、
ここで生まれているんだぞ!と、
世界の誰にも誇れる空間がそこにありました。
カッコイイな。
広告写真や広告制作というビジネスを、
こんなに高いステージにまで牽引してきた
操上さんもカッコイイけれど、
その操上さんを支えていたのだって、
「カッコイイ」なんじゃないか。
カッコイイ。カッコよくありたい。
その、シンプルで、何にも負けない強い欲望に支えられ、
60年代を、70年代を駆け抜けて、
ひとりのカメラマンが、
そして、日本の広告ビジネスが、
たどり着いたひとつの頂点が、そこにあった気がします。
それは、あの、何もない富良野の自然からは、
あまりにも遠く離れた「景色」でした。
北海道のみなさん、こんにちは。
先日、東京都内で、アートやファッション関係の本を
置いているような「おしゃれな本屋」を探している時のこと。
立ち寄った本屋で、ある一冊の写真雑誌を見つけました。
「CAMEL」というタイトル。
その下に「No.1 KAZUHIRO KIYOHARA」とあり、
さらに「KAZUMI KURIGAMI」と広告業界では、
誰ひとりとして知らない人のいない、
有名な写真家の名前がありました。
すぐに、そばにいた、これまた、
有名な写真家である鋤田正義さんが言いました。
「ああ、操上さんが、最近自分で出した写真雑誌ですよ。」
操上和美さん、ウィキペディアによれば、
1936年1月16日生まれだそうですから、
つい先日、現在74歳になられたばかり。
昨年には、宮沢りえ主演の、初の監督作品(もちろん撮影も)
「ゼラチンシルバーLOVE」が公開されて、話題になりました。
ぼくが、CM業界に入ったのが、1977年。
その当時から、操上さんは、
「先頭を走っているカメラマン」でした。
写真家が、CMでムービー(動画)を回すようになった先駆け。
成功したカメラマンが、制作会社を持つようになったのも、
操上さんが最初。
80年代後半には、業界でも五本の指に入るくらいの
規模になったその会社、ピラミッド・フィルムでは、
ぼくもさんざんお世話になってきました。
みなさんは、広告写真家にどんなイメージを持たれますか?
もし、それが、超多忙で、
常にかっこいいファッションを身にまとっていて、
カメラを構える、撮影のスタイルも決まっていて、
インテリアや食には最高を求め、
趣味の良いオフィスを構えている、
などというものだとしたら、そのすべてが当てはまり、
そのすべてにおいて、ナンバーワンだったのが、
操上和美というカメラマンだったかもしれません。
話題になった広告写真やCM、
広告賞を受賞された作品は、数えきれませんが、
とりわけ、VANやWRANGLER、SANYOコートなど、
操上さんが撮るファッションの広告は、どれも鮮烈なものでした。
その点でも、まさに「時代の先頭を走っていた人」だと思います。
その操上さんが、自分で写真雑誌を出した!?
また、時代の先を行くことをはじめな。
本屋でCAMELという写真雑誌を見つけたその瞬間、
ぼくは、そう思いました。
ああ、もう少し、操上さんのことを書きたいのですが、
時間がなくなってしまいました。
そうそう、ひとつだけ言い添えるなら、
ぼくが操上さんのことをここに書こうと思ったのは、
彼が、北海道出身者だからです。
この続きは、また、来週。
北海道のみなさん、
新年、明けましておめでとうございます。
ぼくは、元旦の朝を東京で迎え、
その後、別荘がある蓼科に移動して、
お正月をゆっくりと過ごしました。
年末年始は、長い間、母と温泉旅行などして、
過ごしてきましたが、
今回は、とうとう、その習慣が途切れてしまいました。
振り返ってみると、
ここ何年かは、母といっしょに過ごすたびに、
痴呆の進行を、思い知らされていたようなものでした。
まず、話したことをすぐに忘れて、
何度も同じ話を繰り返す、
それも、徐々に、昔の思い出話ばかりを
しつこく繰り返すようになっていきました。
でも、そんなことは、
こちらが我慢して付き合えばいいだけの話。
その後、ひとりで東京に来ることが
難しくなってきました。
何日間かをいっしょに過ごし、
東京駅の新幹線ホームで、
正直、やれやれという気持ちで母を見送っていたら、
車窓の向こうで、
「切符がない」と焦っている母の姿が見えました。
思わず、新幹線車内に駆け込んで、
いっしょに切符を探している間に、
電車が、走り出してしまったこともありました。
今朝、ちゃんと着替えをしただろうか?
財布がない、薬がない、切符がない・・・、
痴呆の初期段階でしょうか、
「忘れっぽい」が、日常生活に
影響が出るまでになりはじめていたのです。
その後は、送り迎えを
ちゃんとするようになったものの、
いっしょに温泉宿に泊まっても、
ひとりで風呂に入ることが難しくなり、
いっしょに行った場所さえ、
すぐに忘れるようになりました。
4年前、実家を離れて、
母が、グループホームで暮らすようになってからも、
母を送り迎えして、相変わらず、温泉旅行をしたり、
東京のぼくの家に泊まるなどしていたのです。
しかし、夜になると、きまって、
自分の居場所がわからなくなって、
ちょっとしたパニックを起こすようになっていました。
こうなると、もう、遠出は無理。
それでも、なんとか母を
グループホームから連れ出してやりたくて、
近くのホテルにいっしょに泊まってみたり、
姉を誘って、三人で下呂(岐阜県のもっとも有名な温泉地)
へ出かけたりしたのは、一昨年末のこと。
ああ、もうグループホームを離れて、
いっしょに外泊することが難しいのだな、
と思いはじめていた矢先、
母が、昨年末に、ちょっとした怪我をしたこともあり、
とうとう、何年も続いていた
「年末年始をいっしょに過ごす」という習慣を、
止めてしまった、というわけです。
ぼくにとって、
すでに、故郷は場所ではなくなっています。
故郷、イコール、母。
故郷に帰ることは、母に会うこと。
その母に会うことを止めてしまったから、
とうとう、今回は、
故郷に帰ることもなくお正月を迎えてしまったなぁ、
という気持ちです。
ああ、こんな話を、なんでここに書いているのだろう?
自分のブログにも書かないような、超プライベートなことを。
気がつけば、ぼくの蓼科暮らしも、
16年目に入りました。
冬は冬なりに、澄んだ空気が気持ちよくて、
蓼科に行きたくなります。
四季折々で、自然に会いに行きたくなるのです。
そう、ちょっとずつ、年に何回か行くだけではあるけれど、
蓼科が、ぼくの「もうひとつの故郷」に
なっているということかもしれません。
ぼくの勝手な想像ですが、
北海道のみなさんにとって、
故郷とは、「自然」ではないですか?
もちろん、自分が生まれ育ったところ、
両親が住むところでもあるでしょうが、
その奥、その向こう側に、
北海道の大地、空と空気、自然が、
故郷だっていう感覚は、ありませんか?
いや、なんとなく、そんな気がするのです。
それだけの、話です。
さて、このサイトに投稿させていただくのも、
とうとう100回近くになってきました。
不思議なもので、北海道に、
何人も友人がいるような、気持ちになっています。
暮らしたことがあるわけではない。
しょっちゅう行くわけでもない。
でも、どことなく、友だちがたくさんいて、
懐かしいような、いつの日か、そこが帰る場所であるような、
そんな気持ちが湧いてくるから不思議です。
というわけで、北海道のみなさん、
今年も、ここ東京から、気まぐれに投稿させていただきます。
よろしく、お願いします。
北海道のみなさん、メリー・クリスマス!
ぼくは、先日、久しぶりで
オーストラリアはシドニーへ、撮影に行きました。
いまは、その仕事の仕上げ作業の、真っ最中。
それと平行して、来年撮影する仕事の
打ち合わせなどしながら、ぼちぼち、仕事納めです。
仕事で行くばかりで、個人の旅行では、
一度も訪れたことがないオーストラリアですが、
30代のはじめから、かれこれ、
20数年間の「お付き合い」になります。
お隣の、ニュージーランドの方に、
より頻繁にロケに行っていますが、
たとえば、シドニーでモデルのオーディションをして、
撮影はニュージーランドで、とか、
オーストラリアでの撮影のために、
ニュージーランド在住のスタッフが参加する
(今回もそうでした)、あるいは、その逆のことも多く、
とても緊密な関係にある両国です。
数えたことはありませんが、
オーストラリア(オージー)と
ニュージーランド(ニュージー)を併せたら、
過去、北海道よりも頻繁に、
ロケに行っていることは間違いありません。
それはともかく、今回のロケで、
「オーストラリアは、変わったなぁ」と、実感しました。
もっとも、寝るときと、食事に行く時以外は、
ほとんど自由時間もなかったので、
もっぱら、移動や食事時に、
ふと感じるというレベルの話ですが。
なによりも、食事の、おいしかったこと!
かつては、ビーフや羊肉は、
豊富でも、決しておいしいものではなく、
海の幸は、鮮度がいいのに、調理法がイマイチ、
生牡蠣なら申し分ない。
もともとは、「料理後進国」の
イギリス文化の影響だから、仕方がない。
味については、そんなお国柄だった気がします。
もちろん、すでに、おいしいイタリアンや
和食店は誕生していましたし、
80年代に興ったパシフィック・リム
(環太平洋料理とでも言えばいいか?)の勢いは、
シドニーにも達していました。
ロスアンゼルスや、ハワイ、シドニーやオークランド。
環太平洋の、主要な都市なら、どこに行っても、
食材の味を生かしながら、フレンチ、イタリアン、
そしてアジアンフードの調理法を混ぜ合わせて、
ライトな食事を作ろうとする動きが、活発でした。
つまり、ぼくがオーストラリアに行くようになった時期
(80年代中頃)は、食の文化の、
大きな変わり目だったのかもしれません。
80年代、すでにオーストラリア・ワインには、
「名作」が登場していましたが、ますます充実して、
近年、世界的な評価もうなぎ上りのようです。
レストランのワインリストには、
フランスやイタリアのワインもありますが、
コスト・パフォーマンスを考えたら、
地元、オージーのワインを(時には、ニュージーのワインを)
飲まない手はありません。
ビールも、ぼくは、オーストラリア最南端の島、
タスマニアのものが好みですが、全般的にとてもおいしい。
日本のビールのように、
大手ビールメーカーが作る平均的な味ではなく、
産地も規模も、さまざまなビールメーカーが、
ラガーはもちろんのこと、
エール、スタウト、ピルスナーなど、
バリエーションの豊富なビールを作っています。
そして、今回のサプライズは、オリーブ・オイル。
そのおいしさには、舌を巻きました。
おいしいワインができるのですから、
おいしいオリーブ・オイルができて当然なのですが、
未知のものでした。
この時代ですから、オーガニックにも
積極的に取り組んでいるようですし、
おそらく近い将来、ワイン同様、
世界で高い評価を得て行くのではないでしょうか?
相変わらず、牡蠣は、日本のものにはない濃厚さで、
この上なく美味で、
もともと海産物のおいしいお国柄ですから、
味付けさえ「進化」すれば、自ずとレベルアップする。
イタリアン、タイやベトナムやインド、そして、和食。
その、どれにも属さない、強いて言うなら、
うんとライトな感覚のフレンチのような、
オージー料理のレストラン。
食材も、ワインやビールも、
旬の野菜(この時期ならアスパラガス)や海の幸も、
オーストラリアならではの、楽しさとおいしさ
(つまり、食のアイデンティティー)を、
獲得しつつあることを、肌で感じました。
アジアでも、もちろん、欧米でもなく、
どちらの文化の影響も受けたオセアニアならではの味が、
しっかり育っていることは、間違いありません。
ラップ・パーティー(撮影が終わった後の
打ち上げの食事)をしながら、
ニュージーランドからシドニーに来てくれた
カメラマン氏に聞きました。
バカンスの予定は?と。
そうだね、来年の一月中旬にでも、
家族で、北海道へスキー旅行するつもりだよ、との答え。
そうでした、そうでした。
ここに来て、オージーの人たちに、
「北海道でスキー」は、すっかりおなじみになりました。
雪質以外の、何に、彼らが感動してくれるか?
北と南の違いこそあれ、
多くの共通点を持った土地柄だけに、
オージーから訪れる人たちにとって、
北海道の味や文化には、親しみやすい何かが、
たくさんありそうな気がします。
北海道のみなさん、こんにちは。
「ビートルズを聴きながら、いまを考える」という連載、
きっかけは、先頃発売されたビートルズ・ボックスを
聴いたことでした。
そして、思ったことは、こうです。
ビートルズとは、アナログの音楽録音技術と、
レコード産業と一体化したポップミュージックが、
劇的な成熟を遂げた時代に、
それを、もっともクリエーティブなかたちで、
自身の音楽に取り込むことに成功し、
世界に発信したバンドだった。
そして、いま。
音楽産業や映像産業は、ビートルズの時代に、
勝るとも劣らぬ、いや、それ以上に劇的な「変化の時代」、
アナログからデジタルへの、おおきなうねりのなかにいる。
でも、そこには、
ビートルズの時代のような、ワクワク感がなく、
不安と混乱、そしてアナログ技術への
執着やノスタルジーがあるのは、
一体、どうしてなんだろう?
そんなことを、考えてみたかったのでした。
いま、ぼくのなかには、
ひとつの仮説が生まれてようとしています。
それは、デジタル技術主導の時代には、
クリエーティブそのものが、
よく言えば、とてもパーソナルに、
ある意味、孤立したものになっていくのではないか、
というものです。
音楽や映像を、産業として、
つまり、多くの人に伝え、共有する一形態として見る時、
個人の力では何も生まれないことは明らかです。
ビートルズがそうであったように、
その中心には、個人の才能=オリジンが
なければならないのですが、
その一方で、テクニカル、クリエーティブ、
両面でそれを理解し、イメージを共有する
スタッフの存在が不可欠です。
その、「共有と理解」が、どんどん難しくなって、
「個人の才能=オリジン」が、孤立してしまう。
それが、デジタル技術主導の時代に
起っていることなのではないか?
ぼくはいま、そんなことを、ぼんやり考えています。
アナログは、もどかしい。
そこには、データではなく、
実体としての音(たとえば録音テープ)が、
モノとしての映像(フィルム)が、存在して、
それを扱い、動かすだけでも、
もどかしいほど時間がかかります。
デジタルに慣らされた感覚では、
なおさらそう感じるでしょう。
アナログには、かならず、ノイズがある。
音や映像が、モノとして、そこにあるのですから、
雑音やキズがつきものです。
そして、アナログは、操作する時に、
人の手の動きと感覚が間に入るので、
必ず、なにがしかの誤差が生じます。
しかし、そのもどかしさ、そのノイズこそが、
実は、クリエーティブの実体、
そうは言わないまでも、
モノを作る楽しさなのではないか?
ぼくは、そんな風に思います。
テープを逆回転させたり、切り刻んだり、
ノイズが入ったり、あるいは、
プロデューサーのジョージ・マーチンが
「思いがけない実験」をする。
そもそも、音をダビングして行くことそのものが、
楽しくて仕方がない。
そんな、発見とクリエーションの連続、
もどかしいほどの、膨大な時間と、
アナログ技術のノイズから生まれた、
奇跡のような音楽。
それが、ビートルズだったような気がします。
デジタル技術は、
アナログ技術のもどかしさやノイズを、
徹底して排除して行きます。
その結果、モノ作りのスピードを極限まで早くし、
誤差をなくします。
つまり、「個人の才能=オリジン」が欲することを、
瞬時に、そのまま、アウトプットしてくれるのです。
でも、それがおもしろいことだろうか?
時間がかかること、ノイズが生まれることにこそ、
大勢のスタッフが関わり、
いっしょにモノ作りをする楽しさだったのではないか?
だからと言って、もう、アナログに戻ることも、
産業としての音楽や映像の制作現場から
デジタルを排除することも不可能、あり得ないことです。
もしかしたら、アナログ時代の楽しさを
知っているぼくたちだからこそ、こんな、
ノスタルジックなことを言っているのかもしれません。
それに、ビートルズがそうであったように、
時代を切り開くのは、新しい技術それ自体ではなく、
未知の何かを表現したいという、ドロドロ、モヤモヤした、
欲求そのものなのだと思います。
モノ作りをする人が、楽しいのなら、
聴く人、見る人が幸福になれたのなら、
デジタルであれ、アナログであれ、どうでもいいこと。
そんな風にも思います。
この時代、デジタルであることが、
コストカットの手段にもなっていて、
ぼくらの業界では、余計、混乱している気がします。
そのせいかどうかはわからないけれど、
ビートルズの時代のような、技術革新と一体になった
気持ちの高揚感には、ほど遠い。
でも。
少なくてもいまは、アナログ技術に軸足を置いて、
いっしょにモノ作りをするおもしろさ、
後輩たちへの技術の伝承、それを大切にしないと、
それこそ、未来はないな、とぼくは思っています。
ビートルズを聴きながら、いやいや、長い話になりました。
(おわり)
北海道のみなさん、こんにちは。
先週は、いま、CM業界で、
従来の35ミリカメラから、
ハイビジョン・デジタルビデオカメラへの移行が
進んでいる様子をお伝えしましたが、
写真を使ったグラフィック広告の制作の現場では、
事態は、もっと「深刻」です。
広告写真の世界(スティール)では、
CMの世界(ムービー)とは、比べ物にならないほど、
撮影のデジタル化が、進んでいます。
いまや、広告写真の撮影で、
デジタルカメラを使わないカメラマンは稀でしょうし、
撮った画像をデジタル処理しないことなど、
あり得ないでしょう。
いや、それどころか、フィルムや印画紙の存続が
危ぶまれていると言っても、過言ではありません。
(すでに、あれほど広告写真の世界に
なくてはならないものだったポラロイドが、
姿を消したのですから。)
それでも、ぼくの知る限り、
ベテラン、若手を問わず、多くのカメラマンは、
フィルムで撮影して、好みのトーンにプリントする作業が、
大好きで、それを、大切に考えています。
数年前から、銀塩写真の存続と、
その素晴らしさを伝えようと、
いま、もっとも活躍するプロ写真家が集まって、
トークイベントやワークショップ、展覧会などをする、
ゼラチン・シルバー・セッション(GSS)なる活動も、
積極的に行われています。
そう言えば、先日、
テレビ(BS)で、故・市川崑監督の「おとうと」という映画が、
ニュープリントされて、オンエアーされましたね。
その時、ちょっとしたドキュメンタリー番組があって、
とても興味深く見ました。
「おとうと」は、世界で初めて、
「銀残し」という手法で現像された映画なのだそうです。
ぼくがCM撮影で組むカメラマンも、よくこの手法を使います。
撮影したフィルムを現像する際、取りはぶいてしまう銀を、
あえて残すことで、コントラストの強い、
ややモノクロがかった渋い色調の映像が生まれる
技法なのだそうです。
それが、市川崑監督と、宮川一夫カメラマンによって
生み出されたとは、ぼくも知りませんでした。
それはともかく、
その技法について、東京現像所というところの技師が
インタビューに答えている姿を見て、
「ああ、こういうフィルム現像の技術そのものが、
まるで伝統工芸の世界の話のようになっていくのだな」
と、ぼくは思いました。
ぼくらが、35ミリカメラから、
ハイビジョン・デジタルカメラへの移行に、
危機感を持っているとするなら、
フィルムを生産する、コダックやフジフィルム、
フィルムを現像するイマジカや、東京現像所
などというところが抱く危機感は、それ以上でしょう。
まだまだ、消えてなくなることはないけれど、
ますます伝統工芸のように「特殊なもの」として、
保護と保存の対象になって行くのかもしれません。
あ、不用意に、
「危機感」という言葉を使ってしまいましたね。
でも、そうなんです。
撮影をめぐる、技術とテクノロジーの、大変革の時代に、
どうやらぼくらは、期待感よりも、
不安感や危機感をより強く持っているような気がします。
少なくても、自ら進んでそれを押し進めると言うより、
なんとか、現状にアジャストして行かなければ、
という気持ちの方が強い。
「技術とテクノロジーの、大変革」は、
この大不況によるコストカットとセットになって、
ぼくらの目の前に突きつけられている現実である
という側面を持っています。
そして、何より、ぼくが危機感を抱くのは、
撮影や現像の、アナログからデジタルへの移行は、
「いっしょにモノ作りをする喜び」を失わせると思うからです。
いや、それはすでに、モノ作りですらないのかもしれない。
ビートルズの音楽にあって、
いま、CMをはじめとする映像産業に
なくなろうとしているものか何か?
そろそろ、結論を考えるべき時ですね。
北海道のみなさん、こんにちは。
いま、ぼくたちテレビCMを制作する現場にいる人間は、
撮影方法をめぐって、大きな変革期にあります。
従来なら(少なくても10年も前なら)、
CM撮影と言えば、よほどのことがない限り、
35ミリカメラを使うのがあたり前でした。
撮影時に録音があれば、サイレントカメラを、
そうでなければ、フィルムの回る音がするカメラを
(こちらの方が安価なので)、機材屋でレンタルする。
ほとんどの場合は、
ドイツ製のアリフレックス社のカメラを使いますが、
一時期、アメリカ製のパナビジョンというカメラが
流行ったこともありました。
そして、35ミリカメラなら、
当然、35ミリフィルムを使用します。
圧倒的に多いのが、コダック社製のフィルム。
多少のトーンの違いを求めて、
フジフィルム社製のフィルムを使うカメラマンもいます。
撮影の狙いによっては、好感度フィルムを使ったり、
通常、400フィートのフィルムを、
1000フィートにして、フィルム交換の頻度を
少なくする(長くカメラを回しっぱなしにする場合などに)。
それくらいの選択肢が、撮影というものの常道でした。
もちろん、すでに70年代後半から、
ビデオカメラというものがあり、
通常、テレビ局の番組制作でよく使われるカメラを、
あえてCMに使うケースも、ないわけでありませんでした。
たとえば、「ピカピカの一年生」という、
小学館のCMを、みなさんは、覚えていらっしゃいますか?
いろんな地方の小学生が、カメラ目線で、
「小学校に入ったら」と抱負を語る、
なんとも微笑ましいCM。
あれなどは、ビデオにしか出せない「臨場感」を
ビデオカメラで狙って、大成功した例だと思います。
が、多くの場合、CM撮影でビデオカメラを使うことは、
よほど予算がない時の「特例」に過ぎませんでした。
カメラのレンタル料が安い上に、
フィルム代やその現像費もかからないのですから、
うなずけます。
それが、ここ数年の間に、フィルムからビデオへ、
35ミリカメラから、ハイビジョン・デジタルビデオカメラ
(通称HDカメラ)へと急速に移行している。
それが、CM業界の現状のようです。
「ようです」と、他人事のように言うには、訳があります。
ディレクターやカメラマンによって、
大きな「個人差」があり、ぼくなどは、いまだに、
ほとんどHDカメラを使うことがないからです。
どうやら、若いカメラマンやCMディレクターになるほど、
HDカメラを使う頻度が高いというのが、
一般的な傾向のようです。
理由は、簡単。HDカメラの方が、安く上がるから。
そもそもレンタル料が安い上に、
フィルムやその現像費にかかるコストが
要らないのですから、当然のことでしょう。
先日、40代半ばの、中堅のカメラマンと話をしていて、
彼の場合で、35ミリカメラとHDカメラが、半々。
もっと若いカメラマンなら、ほとんど場合、HDカメラに
ならざるを得ないというのが現状だと聞きました。
CMの制作会社によっても、
HDカメラの導入には温度差があるのですが、
昨年あたりから、特例以外は、
従来の35ミリカメラを使ってはならないことを、
会社の方針にしているところも出てきたようです。
いずれにしても、撮影の打ち合わせになると、
いまや、必ず出る話題のひとつが、
HDカメラを使うか否か。
それも、何か、ネライがあっての話ではなく、
予算削減のために、なんとかHDカメラにならないものか、
と相談されることが多くなりました。
いや、もうその話題を避けて、
撮影というものが成り立たなくなっている
と言っても過言ではありません。
そして、ついに、HDカメラへの移行を
加速させるようなカメラが登場しました。
レッド・ワンと呼ばれる、機能も仕上がりも、
たいへんフィルム・ルック(フィルムに近い感覚)
のカメラが登場しました。
キャノンからも、動画が撮れる
高性能デジタル一眼レフカメラ、7Dが出て、
これも戦列に加わろうとしています。
実際使ってみましたが、テレビで見たら、
35ミリのムービーカメラを使ったCMと、
見分けがつかないほどのニュアンスを持っています。
ますます、ビートルズから遠く離れた、
込み入った話になってきましたね。
それでも、ビートルズを聴きながら、
この業界大変革の話は、また来週続けたいと思います。
北海道のみなさん、こんにちは。
最近のCM業界の大手制作会社なら、
たいていどこにも、企業のHPなどのコンテンツを
制作するセクションがあります。
テレビCMに連動してウェブ広告を作る、
逆にウェブ広告から発展してテレビCMを作る。
後者はまれですが、そんなことも起るようになっています。
かつては、テレビCMの制作に関わっていた人が、
ウェブ制作のセクションに移動するケースも
増えてきました。
先日、久しぶりで会ったHさんも、そのひとり。
なかなかいい声の持ち主なので、
ある仕事で、ナレーションをお願いして、
スタジオに来てくれました。
5〜6年前、レギュラーで演出させていただいていた
仕事の、アシスタント・プロデューサーだった
Hさんとは、よく仕事をした仲です。
「明日、プレゼンがあって、その準備があるので」
と、深夜、名残惜しそうにスタジオを後にした
Hさんから、翌日、メールが来ました。
久しぶりに、現場の空気に触れて楽しかったと。
ウェブの仕事と違って、CMには、
「終着点」がはっきりしていて、
そこがうらやましく思うこと。
そして、自分が関わっているウェブ広告が、
ちゃんと効果的にユーザーに届いているのかへの、
疑問や迷い。そんなことが書いてありました。
ウェブ広告を作っていても、その「現場」の空気は、
テレビCM制作とは、比較にならないほど、
淡白なものだろうと、と想像します。
多くの場合、そこには、
「撮影現場」も存在しないでしょうし、
編集や音作りも、個人がパソコンに向き合って作って、
スタッフやクライアントと、データのやりとりをすれば、
済んでしまうでしょう。
テレビCMのように、「いついつからオンエアー」という、
はっきりしたゴールもありません。
ゴールに向かって、スタッフが一丸になって進む。
そこでの気持ちの高揚感も、ないに等しいのだと想像します。
広告界では、当然のように
「これからは、ウェブだ!」と言われてきました。
それを無視して「広告の未来」などないことは自明です。
しかし、実際、ウェブ広告を作る現場にいる人たちと話すと、
可能性と同じくらい、悩みや疑問を感じている人が多い。
Hさんがそうであるように、
かつてCM制作の現場を経験した人ほど、
その傾向が強いような気がします。
ああ、こんな話は、ビートルズと、何の関係もありませんね。
いや、でも違うのです。
ビートルズの音楽は、産業としての、
ポップミュージックの成熟と共にありました。
レコードというものが、メディアとしても産業としても、
飛躍的に成長を遂げてこそ、
「ライブをやらなくなったビートルズ」の成功がありました。
録音技術の飛躍的進化がなければ、
サージェント・ペッパーズは生まれなかったのです。
そして、そこからは、ビートルズのメンバーや、
ジョージ・マーチンはじめ、
制作に関わるすべてのスタッフの、
気持ちの高揚感がはっきりと伝わってきます。
レコードでどんな音がクリエイトできるか、
ワクワクしながら音作りをしていた姿が目に浮かんできます。
テクノロジーと人の感性との、
なんとも幸福な一体感が感じられます。
音が、飛躍的にクリアーになったせいでしょう。
ビートルズ・ボックスで、数々の名盤を聴き直して、
ぼくは、そんなことを、思ったり、感じたりしたんです。
インターネットの登場で、
さまざまなコミュニケーション・メディアは、
岐路に立たされています。
何もかもが、根本的に変わろうとする、
人類史上かつてない変革の時を迎えている。
そうまで言う人もいます。
でも、そうは言っても、所詮、人が作り、人が受け止めるもの。
たとえば、コマーシャルひとつとっても、
それがテレビであれ、インターネットであれ、
人がおもしろいと思うものに、そう違いがあるとは思えません。
そして、それがなんであれ、
モノ作りの熱気がないところに、
テクノロジーと人の感性との一体感のないところに、
人が感動する表現が生まれるとは、
ぼくには、とうてい思えないのです。
ビートルズのように、とまでは言わないまでも、ね。
(つづく)
北海道のみなさん、こんにちは。
最近、またビートルズを聴いています。
もう、ビートルズ・ボックスが、楽しくて、楽しくて。
ビートルズがスタジオ録音した、全13枚のアルバムを、
デジタルで録音し直した、あれです、あれ。
どのアルバムが好きか?
なんて話をしはじめると切りがないのですが、
やっぱりサージェント・ペッパーズが、際立っています。
時を経て聴いてみると、何よりも、
「楽しかっただろうな」と思うのです。
この頃、すでにバンドとして
ステージに立つことを止めていたビートルズが、
「ステージで演奏できる曲」という呪縛から離れて、
スタジオ・レコーディングに専念する。
思う存分、スタジオにこもって、
とにかく、かつて誰もやったことがない音作りをする。
ライブで演奏できなくたっていい。
マルチレコーディングや(と言っても、
まだ当時は4トラックしかなかったようですが)、
音の逆回転や、テープ編集や、
アルバム自体にテーマ性を持たせること
(つまり、コンセプト・アルバムにすること)。
あっという間に「常識」になった、
そのひとつひとつのことを「発見」して行ったプロセス。
それが、サージェント・ペッパーというアルバム。
そして、そのアルバムを作ることに、
だれよりもビートルズのメンバー自身が、
ワクワクして楽しんでいた様子が、目に浮かぶのです。
その結果として、LPレコードという
音楽メディアとスタジオ録音の可能性が、
これ以上画期的で、幸福な結果をもたらした例は、
音楽史上、ないと思うのです。
テクノロジーと創造性が、
うまく結びついて、新しい表現を生み出す。
それこそが、20世紀の音楽産業で成功するということ。
そして、ビートルズのサージェント・ペッパーズは、
もっとも華やかな成功例だったのではないでしょうか?
ビートルズを聴きながら、
(つまり、20世紀のポップミュージックと
録音技術の、進化の過程を追いかけながら)
いまはどうなのかなぁ?
と、ぼんやり考えてしまいます。
テクノロジーと創造性が、うまく結びついて、
新しい表現を生み出しているだろうか?と。
ある部分、答えは、イエス。
やっぱり、通信技術でしょう。
インターネットでしょう。
そして、そう・・・時代は、デジタルですよ、デジタル。
その進化が、確かに、新しい表現を生み出しています。
たとえば、音楽で言うなら、いまや、多重録音どころか、
無限に音を重ねて行くことが可能です。
楽器ひとつ鳴らさなくても、
コンピューターだけで音楽はできるし、
どんなに下手な歌や演奏でも、
後でなんとでもなってしまいます。
テクノロジーという面だけで言うなら、
表現の可能性は飛躍的に拡張しました。
音楽を聴くことは、コンピューター抜きに、
考えられなくなりました。
インターネットで音楽を「買う」ことも、いまや日常です。
でも、そのことに、ぼくら、ワクワクしているだろうか?
それは、ミュージシャンの創造性を刺激しているだろうか?
いや、音楽界だけの問題ではありません。
映像産業、そのなかのCM制作にだって、
同じ問いは、向けられるべきでしょう。
テクノロジーと創造性が、うまく結びついて、
新しい表現を生み出しているだろうか?と。
う〜ん、楽しくビートルズのことを書きはじめたのに、
難しい話になっちゃいました。
でも、もうちょっと、しつこく考えてみたいと思います。
ビートルズを、聴きながら。
北海道のみなさん、こんにちは。
先月の末に、取材を兼ねて行った、
石川県・輪島市は、言うまでもなく、
輪島塗で有名なところ。
古くから漆器を製造・販売されている方が、
こうおっしゃったのが、まだ耳に残っています。
「輪島という土地柄と、
輪島の人たちの気質がなかったら、
輪島塗は生まれなかったでしょうね。」
能登半島にある輪島は、交通の便が悪く、
金沢や七尾に比べても、電車、電気が通じるのに、
かなり遅れをとった「閉ざされた町」だったようです。
そして、辛抱強い輪島人の気質があって、
丈夫で完成度の高い輪島塗は、
早くから全国的に有名になっていったようです。
つい数日前、山梨県・北杜市で見たのは、
故・木村二郎さんの回顧展。
木村さんは、1989年に、
大阪から山梨県・長坂に移り住んで、
主に古材で、多くの家具やオブジェを制作しましたが、
惜しくも2005年、膵臓癌でなくなりました。
それ以前に住んでいた大阪を離れ、
バブル経済に湧く都会に一定の距離を置き、
縄文土器のかけらを集めながら、
古民家から出る廃材で、
作品とも家具とも言いがたいモノを作る。
廃園になった幼稚園を改造して作ったギャラリーには、
都会から、多くのアーチストが引き寄せられて、
作品を発表する場になりました。
東京から長坂までは、電車でも車でも、一時間半。
絶妙な距離感だった気がします。
先日、札幌のハンズビーで、
ぼくが制作したシャボン玉石けんのCMを
流してくださった大垣郁子さんにお会いしました。
お土産にいただいたのが、なんと、石けん。
「北海道で生まれた石けんもあるんですよ」と、
言ってくださったのは、
アズキ石けんと、ヤギのミルク石けんでした。
製造販売元には「GEL-Design」とあり、
後で調べてみたら、「北海道大学の研究成果をもとに
商品開発するベンチャー企業」とわかりました。
アズキに、ヤギのミルク。
北海道ならではの素材を生かした石けんに、
ちょっと、うれしくなりました。
輪島塗、木村二郎、GEL-Designの石けん。
この2、3週間の間に、何の脈絡もなく、
ぼくが出会ったものと出来事を書き並べたに過ぎません。
でも、ひとつの共通点がある気がします。
それは、土地の力。
あたり前のことかもしれませんが、
人が作るモノには、その土地と強いつながりがあります。
その土地でなければ、生まれなかった何かが、必ずあります。
あらゆるモノは、風土や気候、そこに住む人たちの気質など、
その土地の磁力に影響されて、生産される。
そして、その磁力から生まれたものが、
これからのぼくらの暮らしに強い影響力を持つのではないか。
漠然と、そんなことを考えています。
いや、そう考えざるを得ないことが、
いま、ぼくの周りにたてつづけに起こり、
気になって仕方がないのです。
かつては、土地の磁力から離れたモノが、
圧倒的に支持されていました。
その代表が、巨大メーカーが作る、大量生産品です。
ぼくら、昭和20年代や30年代に生まれた人間も、
土地の磁力から離れる生き方を目指してきました。
遠くへ、少しでも遠くへ。
遠くから、もっと遠くから、少しでも高性能なモノを。
そして、いま。
帰るべき場所に帰ろう。
近くで、いや、自分が立っている足元で、
生まれるモノを、見つめ直そう。
一見、バラバラに起っていることが、
指し示すのは、大きな時代の転換点。
土地の力に根ざしたモノ作り。
土地の力に呼応する生き方。
それを無視して、
これからのぼくの仕事や暮らし方は、ありえない。
そんな気がしています。
北海道のみなさん、こんにちは。
つい先日、ぼくのブログに書いたのですが、
今年の春、やっと公開にこぎつけた
北九州にある石けんメーカー、シャボン玉石けんのCMが、
いま、ある札幌のお店で、店頭公開中です。
その店は、ハンズビーと言います。
全国的に有名な、あの東急ハンズが、
札幌に実験的に作ってみた店舗のようです。
昔から、ヒット曲やヒット商品は、
札幌から動き始める、と言われます。
ぼくも、長いCMディレクター歴の中で、何度か、
まず、札幌で実験的に新発売してみるという商品のための
コマーシャルを手がけたことがあります。
詳しくはわかりませんが、ハンズビーも、
いずれ全国展開する可能性のある、
化粧品や雑貨に特化して、比較的感度の高い顧客を狙った
ショップなのではないか、と想像しています。
ブログに、そのハンズビーで、
ぼくの作ったコマーシャルが流れるようになった話を
書いたところ(まだ数日しかたっていないのですが)、
何人かの人に、「すごいことだねぇ」という言葉をいただきました。
それも、「その世界」で、たいへんな実績のある人たちから。
実験店とは言え、あの、東急ハンズ。
そこを動かしたこと。
そして、そのために奔走してくださった人がいること。
流通関係の世界に疎いぼくなどが思う以上に、
それは「すごい」ことのようです。
それも、これも、インターネットという文明の利器
(最近、あまり聞かない言い方ですね)のおかげです。
この、インターネットという通信手段。
まだまだ、多くの可能性を秘めた、
過渡期にあるものだと思うのですが、
印刷、電話、ファクシミリ、テレビやラジオ、
過去さまざま出てきた通信やコミュニケーションの
手段の中でも、どうやら、人と人を、
それも、気持ち込みで、ダイレクトにつなげる
可能性を秘めたものだという気がしてきます。
ハンズビーという、行ったこともない札幌のお店で、
ぼくの作ったCMが流される。
それは、インターネットで、たまたま、
ハンズビーで働くある女性に、CMが出会ったから。
彼女が、そのCMを、「いいな」と思ってくださった
こともあるとは思うのですが、
それ以上に、ぼくがなぜそのCMを作ったのか、
ブログにしつこく書いてきたことが、少しは、
彼女の気持ちを動かすことに役立ったのだと思っています。
「インターネットがつなげた縁と気持ち」と言う他ありません。
ハンズビーというショップ、
おそらく札幌に住んでいらっしゃる方なら、
しょっちゅう通りかかるエリアにあるんですよね?
ずいぶん目立つところにモニターを置いて
コマーシャルを流していただいているようですので、
ぜひ、ぶらりと見に行ってみてください。
ハンズビーが実験店なら、ぼくの作ったCMも、
規模はもっともっと小さいけれど、実験的なもの。
CMは、人と、人の気持ち(購買意欲)と、
商品を動かすためのもの。
インターネットや、それを使ったCM制作に、
どんな可能性があるのか?
規模は小さくても、おもしろい実験になってきた気がします。
忘れがちなので、何度でも確認しておく必要が
あると思うのですが、大事なことは、
人と人の気持ちをつなぐこと。
インターネットには、その可能性があり、
それを信じて、モノ作りをすることだと、
あらためて、強く思います。
北海道のみなさん、こんにちは。
先週から今週にかけて、
ぼくは、5日間の夏休みを取りました。
夏休み、と言っても、
気がついたら仕事が一段落したので、
そこにスケジュールを入れないようにして、
別荘のある蓼科に行っただけ。
たまたま夏休みになった、と言ったところでしょうか?
フリーランスで仕事をしていると、こんなものです。
その蓼科では、この10年ほどの間に、
野菜の流通をめぐって大きな変化がありました。
農協などの、従来の流通経路を通さず、
また、個々の農家が軒先で勝手に野菜を売るというのでもない、
余剰野菜、規格外野菜の流通が、すっかり定着してきました。
もっとも大規模なものは、
「自由農園」という名前のチェーン店。
蓼科周辺に3店舗あって、どこも、
別荘族、都会から来た観光客で、大繁盛しています。
「道の駅」のような、
街道沿いの市町村が運営する施設も点在して、
地元野菜のコーナーが、必ずあります。
次々にできる温泉施設にも、
その土地の野菜や加工食品が置いてあります。
パン屋さんやレストランが、
自分のうちやご近所の農家の「余り野菜」を
売っているのも、見慣れた光景です。
農業大学で、学生たちが作った野菜を売るコーナーが大人気。
それが、いつの間にか、農家の人が作る野菜まで仕入れて売る
「ビジネス」に成長しています。
大手のスーパーや、農協がやっているスーパーも、
それに追従する格好で、コーナーを作って、
農家の人が持ち寄る野菜を積極的に置くようになりました。
そんな話を料理研究家の友人としていたら、
「ネット社会はもっとすごいことになっている」とのこと。
規格外野菜などを売るマーケットが、
すっかり定着して、おそろしいほどだ、と、
歓迎を通り越して、むしろ、すでに警戒気味。
「規格外」は、基準も規則もない、
一歩間違えば、闇のマーケットです。
自主流通と言えば聞こえがいいのですが、
むしろ「勝手流通」と言うべきマーケットでしょう。
農家の人たちが集まって、あるいは、
業者が入ったり、町や村の行政が主導してなら、
そこには、暗黙のルールや監視の目を期待できそうです。
でも、個々が「勝手に流通させる」となると、
規格外をいいことに、品質と安全性が
おろそかにされそうで、ちょっと怖い。
実際、蓼科で売られている「規格外野菜」を買って、
時々ふと、これってほんとうに安いのだろうか?と、
疑問に思うことがあります。
たしかに、短かったり曲がっていたりするニンジンが、
5〜6本入って100円は安い。
味も、まったく劣りません。
でも、もともと捨てていたものでしょう。
なかには、傷んでいるものが混じっていることもあります。
「地元」「採れたて」に、
ついつい踊らされて買ってしまった後で、
スーパーや農協で、産地は「遠いところ」だけれど、
大して変わらない値段で売られている、
色、形の安定した野菜を見て、
思わず後悔したことも何度かあります。
ぼくは、ご存知のように、
仕事柄海外によく出かけるのですが、
アジアやヨーロッパ、オセアニア、どこに行っても、
空き時間に、市場を、ちょっとのぞいてみます。
みなさんも、そんな経験、ありますよね?
そして、思いませんか?
日本のように、形が整って、きれいに袋詰めなどされて
野菜を売っている国なんて、ほとんど、どこにもないと。
多少カタチが悪くても、ちょっとばかりしなびていても、
力強くて、なんともおいしそうな野菜が並んでいるものだと。
ぼくは、日本の農業、とりわけ野菜をめぐる
流通のあり方やその問題点、行政の関与の仕方などが、
不勉強で、いまひとつよくわかりません。
でも、野菜の見栄えや形にこだわる、日本独特の文化、
農協での徹底した「規格管理」による価格コントロールが、
「行き過ぎ」であることは、明らかです。
そして、ここにきて、天候不順による野菜で、
「規格外野菜の流通」が本格的に取りざたされているようです。
規格外野菜は、もともとルールとレールから外れた野菜なので、
そこに新たなガイドライン(品質と安全性の基準)を
設けることは難しいでしょう。
ここはひとつ、農家の人のプライドに委ねるしかない。
規格外であっても、ほんとうに新鮮で安全で、
おいしい野菜だけを、流通させて欲しい。
そして、いくら安くても、農薬まみれの野菜はゴメンです。
規格外野菜が売れまくる一方で、多少高くても、
低農薬、無農薬の野菜を食べたいという
「こだわり派」も存在するのです。
しかし、蓼科あたりでも、
地元、採れたて、規格外ばかりが流行って、
低農薬や無農薬の野菜をみかけることはほとんどありません。
こちらはこちらで、また、独自の流通ルートがあるようです。
従来の規格や常識をいったんはずして、
「とにかく安い」から、「ほんとうのおいしさ」へ。
ルール無視ではなく、あやまった基準を見直して、
野菜が、ほんとうにレベルアップするべきときなのです。
いまは、その過渡期。
チャンスと危険性が、混在している気がしています。
北海道のみなさん、こんにちは。
今年は、いつが梅雨明けだったのか、
はっきりしない不順な天候のまま、
暦の上では、もう立秋を迎えようとしています。
そんななか、激しい暴風雨の被害があったばかりの
山口県で2日間、
その後、群馬、茨城、埼玉と移動しながら4日間、
CMとしては、比較的長い撮影が続きました。
そう、ぼくは、若い頃から、
CMとしては、どうも「大作」が多い。
笑いや、オチのあるCMより、
ドラマや、企業イメージを伝えるCMが、
どういうわけか、とても多いのです。
あえて言うなら、映画のようなCMも、
たくさん手がけてきました。
そんなわけで、CMディレクターとして、
ちょっとは名が知れるようになった頃から、
この質問が、ついてまわりました。
「映画は、作らないの?」
実際、CMディレクター出身の映画監督も、少なくありません。
惜しくも今年亡くなられた市川準さんが、その代表格でしょうか?
CMディレクターとしても、ぼくなどが足元にも及ばない
「多作」な方でしたが、残された映画も、数知れず。
低予算、最小スタッフで、なくなられる直前まで
短編映画を撮られていたほどです。
市川さんを支えていたのは、
「映画への情熱」だったようにさえ思えます。
ぼくが、もう20年来、「映画は、作らないの?」
という質問を、どんなに浴びせられても、
実際、それに向かって突き進まなかった理由は、
なによりもまず、その「映画への情熱」が
足りないからだと思っています。
でも、それがあればいいというものでもない。
映画のようなCMを作ることと、
映画を作ることとは、まるで違うのです。
いくら情熱があっても、その違いを、
ほんとうの意味でわかっていないために、
CMを寄せ集めたような映画を作ってしまう「失敗例」も、
数多く目にしてきました。
逆に、CMにはあったメリハリをすっかり失って、
映画の長さに酔いしれてしまった「意欲作」も、
いくつか思い浮かびます。
難しいものです。
でも、わかっていることは、
15秒や30秒の話を得意としてきた者が、
そう簡単に、2時間、退屈させず、引きつけ、
人をその世界へ誘う「語り部」になることは
できないということです。
逆に、15秒や30秒で
「映画のようなCM」を作ることなら、
ぼくは、どんな映画監督にも負けない自信があります。
最近になって、歳も歳だからか(笑)、一段と、
映画的なCMを多く手がけるようになってきたせいか、
また、よく聞かれるようになってきました。
「今村さんは、映画を作らないんですか?」
最近のぼくの答えは、こうです。
「それはね、長年、ぼくの重い宿題のようなものだね。」
ウソではないのです。
ほんとうに、いつまでも夏休みの宿題に
手をつけない子どものような気持ちです。
そんなぼくが、もし映画を作ることがあったら、
これだけは忘れないでおこうと思うことが、ひとつ、あります。
CMが成功するためには、言いたいことをシンプルに、
できることなら、ひとつにすることが大切です。
映画を作る時も、同じように、
シンプルなこと、たったひとつのことを語るようにしよう。
長い分、より深く、ていねいに。
でも、その「語りたいこと」って、何なのか?
そんなものが、あるのか?
ぼくは、長年、その呪縛にとらわれてきた気がします。
数ヶ月前、若い頃からの仕事仲間で、
ぼくがもっとも信頼と尊敬を寄せる、あるコピーライターは、
こんなことを言いました。
「あの、シャボン玉石けんのオフ・コマーシャルのように、
監督(ぼくのことです)は、CMがドキュメンタリーになり、
ドキュメンタリーが映画になる。その道でいいんじゃないかな?」
これには、ちょっと、心の中で泣きました。
無理をしなくていい。
道は、自然と映画に続いている。
いや、続いていなくても、それでいいじゃないか。
あなたは、CMディレクターなんだから。
そのコピーライターの言葉は、
そんな風に、ぼくには聞こえました。
さて。
いまぼくは、その「映画への道」が、
自然と目の前に開けてきそうな予感がしています。
そして、「語りたいこと」があるとか、ないとか考える前に、
ある強い気持ちが、心の底にあることに気づきました。
ドップリと、長く撮影が続く日々というのを、経験してみたい。
その日常に浸ってみたい。
そんな、なんとも単純な「強い気持ち」です。
そう言えば、ぼくは、40を過ぎた頃から、
こんなことをよく人に言ってきました。
「こんな、遊んでいるみたいな仕事を長くやってこられて、
ほんとうにラッキーだった」と。
その言い方を借りるなら、こうなります。
もっと、長く遊びたい。心行くまで。
甘いと言われようが、バカだと言われようが、
そんな単純な気持ちが、ぼくの中にあり、
それこそが、「映画への道」のような気がしてきました。
ちょっと、長くCMの撮影が続いたせいで、
その気になっているだけなのかなぁ?(笑)
北海道のみなさん、こんにちは。
CMディレクターとして、ぼくはどちらかと言うと、
「人間ドラマ」が得意に思われがちです。
でも、実は、人間も、風景も出てこない、
真っ向から商品と向き合うCMも大好きです。
ほんとうに力のあるクリエーターなら、
堂々と、シンプルに商品だけを写し、
それでも、ハッとしたり、笑ったり、
なるほどなぁ、と思わず唸るようなCMが
できなければいけない。
よくそう思いますし、実際、それでうまくいったら、
なんだかとても正しいことをしたような、
すがすがしい達成感があるものです。
それに、たとえば、グラスの中でビールが踊ったり、
石鹸の泡が水に洗い流されたり、
フライパンの上でオイルが飛びはねたりするのを撮ること、
いわゆるシズル撮影は、それ自体が、ドラマなんです。
思ったように、うまく行かない。
ハプニングがつきもの。
果てしなく撮影時間がかかる。
でも、うまく行ったら、
その商品が、とても素敵に見えてくる。
商品の、「生きた姿」を捉えることができる。
風景や人を撮ることは、映画やテレビドラマと、同じ。
短い時間で、人をハッとさせたり、
感動させたりしなければならないところが、違うだけ。
でも、大の大人が、せいぜい、カメラ前の、
一メートル四方の世界に繰り広げられる「できごと」に
集中して、商品やそのシズルと格闘している姿は、
他ではないものです。
それこそ広告、王道です。
おもしろくないわけがないのです。
このコマーシャルも、そうでした。

サントリーが、東京でとびきりいい果物を買うなら
ここしかないと言われる千疋屋とコラボして作った
「銀座カクテル」という商品のCM。
カクテルに入っている、マンゴーやメロン、桃などを、
いかにおいしそうに見せるか。
果物が、微発泡のお酒と、
シェーカーの中で混じりあうときのシズル感。
缶に入った商品を、どうしたら、
よく冷えたカクテルのように、
魅力的に見せることができるか。
撮影で挑戦したのは、そんな、
まさに商品と真っ向勝負の画作りでした。
さて、そこからが、大変。
最高においしそうな、マンゴーやメロンや桃、
そのものを手に入れなければなりません。
撮影が、果物の収穫期と一致するとは限りません。
場合によっては、海外から取り寄せる、
ということも視野に入れておかなければ。
(実際、そんなことが起ったのですが。)
そうだ、フルーツをカットする専門家を見つけよう!
スタジオには、フルーツをカットして30年、
その道の第一人者に来てもらいました。
フルーツをもっとジューシーに見せたい。
果汁が、カットした時、飛び散ったり、
皮をむいた時、たっぷり垂れてくるようにしたい。
特撮スタッフの出番です。
詳しくは言えませんが、あの手この手で、仕掛けを考えます。
シェーカーを振る手にだって、こだわりたい。
最高のバーテンダーを見つけなくちゃ。
いや、その前に、まず、ぼく自身が、
フルーツカクテルの、ホンモノのおいしさを知っておきたい。
そこで、カクテルの名手がいる、銀座のバーをはしごします。
商品の見せ方にも、ひと工夫。
水を張った床を、しずくを飛ばしながら、
缶が滑っているというのは、どうだろう?
そこまで準備して、いい画が撮れました。
でも、もう一息。
だれにもわからないように、
ちょっとだけ、CGの力を借りようか・・・
そうやって生まれたのが、
サントリー・銀座カクテルのCMでした。
でも、そのCMの、人を引きつけるアイデアは、
もっと他にありました。
おいしそうな画を見ながらしゃべっているような、
吉田日出子さんの、なんとも「味のある」ナレーション。
そのキャスチングと、コピーに、勝因があったと思います。
(実際、CMがオンエアーされるや否や、
「飛ぶように売れた」と聞いています。)
アイデアが試される。
実力が試される。
おいしいを、CMで表現して、
それで商品を動かすのは、
まさに、ぼくたちクリエーターの腕の見せどころ。
もう一度言います。
それでうまくいったら、
なんだかとても正しいことをしたような、
すがすがしい達成感があるものなんです。
北海道のみなさん、こんにちは。
いよいよ、ビールのおいしい季節になりました。
札幌の、カラッと乾いた空気の中、
ビヤガーデンで、よく冷えた生ビールを飲みたいものです。
そう言えば、今年、
ぼくはビールのCMを手がけませんでしたが、
この時期、盛んにビールのCMがオンエアーされているはず。
でも、どうなんでしょう?
もうひとつ、元気がない気もしますね。
ところで、みなさんは、
CMに写る、ビールのグラスや缶を、
おいしそうに見せるためだけに働く人がいるのを、
ご存知ですか?
たとえば、タレントさんがビールを飲む、
グラスや、缶(瓶の場合もある)を片手に演技する、
なんていうシーンがあると、
いくつも同じものを用意しておいて、
グラスにはちょうどいい高さの泡が、
缶や瓶には、いい感じで水滴が
ついているようにスタンバイする。
そして、ワンテイクごとに、サッと、
それをタレントさんに手渡す。
そのためのスタッフ(ぼくらはズバリ、
「シズル」と呼んでいます)が、いるんです。
もっとも、1980年代中頃までは、そんなスタッフは存在せず、
もっぱら、プロダクション・マネージャーと呼ばれる
若い人たちの仕事でした。
彼らが、慣れない手つきでグラスにビールを注ぎ、
「泡が少ない!」だの、
「もっとグラスを冷えた感じに!」などと言われて、
東急ハンズあたりで買ってきた霧吹きでグラスに水滴をつける。
やっている本人の額に、
ちょうどいい感じで、汗のしずくが・・・
憧れの女性タレントに、
「いいのよ、落ち着いてしっかりやりなさい!」
なんて声をかけられたら、一生の宝。
ビールのCMと言えば、毎回、
そんな光景が繰り広げられていたのです。
でも、そんな具合だから、なかなかうまく行きません。
時間もかかるし、まして、屋外での撮影なら、
刻々と光が変わり、強風が吹くことだってある
ぼくの場合、フランスのニースで撮影したけれど、
どうしてもいいビールグラスの表情が撮れなくて、
帰国後、今度はサイパンに行って、
もう一度撮り直したということがありました。
いいタイミングで、おいしそうに写るビールを用意する。
それだけでも、実は、大変な(お金もかかる)仕事なのです。
プロが登場してから、環境は、激変しました。
グラスの汗(水滴)が、すぐなくならないよう、
あらかじめシリコンを塗っておく。
グラスに水滴を付けるための霧吹きも、
きめ細かいのと荒いのを使い分けて。
仕上げに、注射器で、いい位置に大きめの水滴をつける。
グラスの中の泡が、いい感じで「踊る」ように、
カメラが回る直前に、空の注射器で空気を入れる。
そんな工夫を、見事にやってくれるようになりました。
実はこの、シズルのプロというのが、
そう何人もいないため、
(あまり大きな声では言えませんが)
いろんなビール会社のCMを、同じ人が掛け持ちで、
ということだってあるんです。
慎重な人、大胆な人、
繊細な仕事をする人、
格好から入る人(注射器や霧吹きを
高価で格好いいケースに入れて現れるというような)、
シズルひとつ、なかなかどうして、
個性が現れるので、だれでもいいというわけには行きません。
ビール各社、シズルはこの人で!と決めていて、
撮影のハイシーズンになると、みんな大忙しです。
前にお話ししたように、日本のCMは、
おいしそうに見せる工夫、いわゆるシズルの表現に
あまり積極的ではありませんでした。
1990年前後になると、ビール各社が海外のCMを集めて、
いかにビールをおいしそうに見せているか、
研究するようになってきました。
いま思い返せば、キリンも、サントリーも、サッポロも、
同じような時期に、ビールのシズル表現に積極的になり、
(アサヒビールは、海外にまで行って撮影するようになり)
そしてそんな時期に、シズル専門のスタッフが登場しました。
おかげで、以前は、あんなに大変だった
ビールのシズル撮影が、
いまでは、とてもスマートに、短時間で
うまく行くようになりました。
CMなんだから、
ビールをおいしそうに見せることはあたり前。
でも、よく見ると、どこも、どのCMも、
同じようなことをしているように思えなくもありません。
つまり、もうやりつくされ、
個性がなくなってきたのかもしれません。
カメラのそばで、若い人が、
汗だくになって慣れない手つきでビールを注いでいた時代が、
いまとなっては懐かしい。
見るに見かねたカメラマンが、
「ダメだなぁ!おれに貸してみろ!」
なんて、自分でグラスにビールを注ぎ始める。
スタジオでなら、それだけで深夜まで延々時間がかかる。
でも、それは、自分が担当したビールのCMを、
おいしそうに見せたい。ただ、その一念。
そんな「手作り」の現場にこそ、実は、
大切な何かがあった気がしないでもありません。
北海道のみなさん、こんにちは。
CMを作っていると、ごく日常的に、
「シズル感」という言葉を使います。
シズル感とは、食べ物、飲み物などの商品を、
映像でいかにおいしそうに見せるかの表現のこと。
英語でsizzle、本来の意味は、
揚げ物がジュージューいっている様の擬音語だそうです。
日本のコマーシャルは、そのシズル感の表現が苦手だと、
ずっと言われていました。
でも、80年代も後半になると、
自社の商品をいかにおいしそうに見せるか、
そこにこだわり、「シズル感のある表現」を
コマーシャルの主役にすえることで成功を収める
クライアントが現れるようになっていきました。
その代表が、アサヒビールと味の素です。
当時、頻繁に海外ロケに行くようになっていたので、
外国、特にアメリカで見るビールのコマーシャルには、
日本にはないシズル感があることに気がつきはじめていました。
ぼくも、そして多くのクリエーターたち、
おそらくクライアントも。
ビールの泡とか、冷えたグラスの水滴、
ビールの瓶や缶から水や氷が滴り落ちる。
そんな、まさに「シズル感」あふれる表現のオンパレード。
でも、これには、理由がありました。
アメリカのCMでは、人がビールを飲むシーンを
写してはいけないという規制があったのです。
未成年への配慮や、アルコール依存症が
深刻な社会問題になっていたこともあるでしょう。
なるほど、よく見ると、人は出ていても、
ビールを持っていたり、乾杯したりしているだけ。
ビールに、一切、口をつけていない。
でもまるで、おいしそうに飲んでいるように、思える。
そのために、しつこいくらいの工夫が施されていたのです。
それに対して、日本のコマーシャルは、
タレントがいかにおいしそうにビールを飲むかに、
表現のポイントがありました。
(基本的に、それはいまも変わっていませんが。)
でも、タレントよりも、ビールそのもの、
ビールのおいしそうな感じを、
コマーシャルの主役にしてもいいのではないか、
そう思うクライアントが登場したのです。
それが、アサヒビールでした。
アサヒスーパードライの登場と共に、
アサヒビールは、シズル感の表現に力を注ぐようになります。
一方、食品でも、もっと商品のおいしそうな表情を
真正面から表現した方がいいと考えるクライアントが
現れました。
味の素です。
ぼくも、当時、盛んに味の素のコマーシャルを手がけていました。
そして、ある日、宣伝部長が
こんなことを言ったのをよく覚えています。
「タレントの撮影が終わると、スタジオの隅っこで、
商品やシズルを撮る。ほんとうは、商品が主役なはずなのに、
ついでに撮るみたいに。おれは、あれが許せないんだよ。」
確かに、そうでした。
有名タレントに、何をさせ、何を言わせるか。
表現のポイントはそこにあり、
スタッフ一丸になって、それに集中する。
そして、タレントが「お疲れさま」と言って出て行った後、
急にスタジオが暗くなり、
商品を置く台の周辺にスタッフが集まり、
小さな商品を取り囲んでいる。
ぼくらは、別に、気を抜いているのでも、
いいかげんに撮影しているのでもなかったのですが、
タレントを撮る時に比べたら、いかにも地味。
もっと、商品そのものを主人公に!
クライアントがそう思うのも
無理もない光景だったかもしれません。
そして、その後、味の素は、
アメリカのスタッフを起用して自社の商品のシズルを、
撮影するようになります。
たとえば、冷凍食品の食材を「炒める・揚げる」、
ドレッシングやマヨネーズの
「みずみずしさ・とろみ感」を出す、という具合に。
アメリカの、食品のシズル専門のスタッフに
自社の商品を撮影してもらうため、
クライアントや日本のプロダクションが、
ニューヨークまで頻繁にでかけているのを、
ぼくも身近に見ていました。
確か、アサヒビールでも、同様に、しばしば
アメリカのスタッフを起用してシズルを撮っていたはずです。
もちろん、それには多額の費用がかかります。
でも、味の素もアサヒビールも、
シズル感をコマーシャルの中心にすえ、
それに力を注ぐことで、めざましく業績を上げたのですから、
その甲斐は、十分にあったのだと思います。
北海道のみなさん、こんにちは。
わが家のキッチンには、食器棚の端っこに、
料理本コーナーがあります。
いつの間にか、かなりのスペースを取るように
なってしまったので、最近、整理しました。
気がついたら、料理本が増えに増えていたわけですが、
かつて大活躍して、最近ではまったく開かなくなった
本も、たくさんあります。
いまでも時々手に取る本、残したい本、処分していい本・・・
と選り分けていて、思いました。
日本の料理本、ずいぶんがんばってきたんだなぁ、と。
この本あたりが、きっかけになったのかな?と思いました。
『ごちそうさまが、ききたくて。』
栗原はるみさんが1992年に出した、初めての本。
素人目線の家庭料理の本ということ自体が、
当時はまだ新鮮でした。
そして、趣味のいい、食べることに目がない家庭に
ありそうな器、スタジオではなく、家のダイニングで、
時にはテーブルを外に持ち出して、
自然な光で撮った写真に、新しさを感じました。
最初に本屋で見た時、
「ああ、これで日本の料理本の流れが変わるかもしれない」
と思ったものです。
その後、ご存知のように、
大勢の「素人料理研究家」がデビューしました。
何人かのスターも生まれ、
ついには国会議員になる人まで現れて、
カリスマ主婦ブームを引き起こしましたね。
こうなると、お金の匂いがプンプンする、
ビジネスの世界のできごとです。
イタリアンや和食の世界から、プロならではの
「極意本」も数えきれないくらい登場しました。
テレビ番組「料理の鉄人」の影響もあったでしょう。
スター料理人が、大勢誕生しました。
(もちろん、CMにも引っ張りダコでした。)
本屋の料理本コーナーは、
隅っこにある実用本コーナーを離れて、
どんどんレジに近づいてきました。
目立つ場所に置かれた新刊で、いつもにぎわっています。
振り返ってみると、ぼくの若い頃、
「日本にはいい料理本がない」というのが定説でした。
専門書的、教科書的すぎて、つまらない、というわけです。
雑誌の料理特集などでも、海外の雑誌で見るような、
ウキウキする感じや華やかさがない、と言われていました。
とりわけ、写真が見劣りする。
外国の本や雑誌にあるような、おいしいものの表情を
つかまえようとする迫力に欠けることは、
素人目にもよくわかりました。
「日本には、いい料理写真家がいないからな」
という先輩の発言を、よく聞いたものです。
カメラマンのみならず、
テーブル・トップをコーディネートする、
フード・スタイリストなどの専門家が、
まったく育っていなかったのだと思います。
そして、コマーシャルでも、
海外のCMに見られるような、おいしさの表現が、足りない。
誰もがそう言い、ぼくもそう思っていました。
業界用語で、シズル感、と言います。
たとえば・・・
ビールを注ぐ、グラスから泡がこぼれる。
ビール瓶の上を、水滴がすべり落ちる。
クーラーボックスから、ビールのボトルや缶を
取り出すときの、しずく。
飛び散る氷。
フライパンの上で踊るハンバーグ。
跳ねる、オイル。
焼き上がったハンバーグの上に落ちて行く、
チーズやレタスの「表情」。
チキンとチキンをぶつけて、そこから舞い上がる粉。
静かにオイルの海に沈められるときに起る、泡や蒸気。
超スローモーション撮影で、
シリアルに注がれるミルクさえ、ドラマチックに。
特にアメリカのテレビには、
そんなシズル感たっぷりのコマーシャルがあふれていました。
それに比べると、日本のコマーシャルの「おいしさ表現」は、
実におとなしく感じられたものです。
クライアントも、どちらかと言えば、
タレントがおいしそうに食べてくれることに期待して、
いわゆるシズルカットは、お約束で
CMに入っていればいいものでした。
「日本人に、シズルは向いていないんだよ」とさえ、
堂々と言われていましたっけ。
本や雑誌の料理写真のつまらなさ、
広告写真やコマーシャルでも見劣りするおいしさ表現。
「これはもう、民族性の違いだよ。」
そう言われて、素直に、ぼくもうなずいていました。
北海道のみなさん、こんにちは。
東京は、昨日、「梅雨入りしたと見られる」と報道されました。
でも、もう先週あたりからまるで梅雨のような不安定な天候。
そんななか、なんとしても日差しが欲しい撮影を、
先週から今週にかけて、埼玉・越谷でやっていました。
久しぶりに会うスタッフ、
初めてご一緒するスタッフ、
10年来、20年来の仕事仲間、
今日が初めての撮影現場だと言う新人の撮影助手君、
いろんなスタッフが、総勢40人もいたでしょうか?
ぼくの仕事の現場には、必ずと言っていいほど来てくれて、
なんとなく身内意識を持つ、スタッフもいます。
この大不況の中、元気でやっているかな?
ちゃんと仕事はあるのだろうか?
そんなことも、思います。
たとえば、親しい小道具スタイリストの女性に声をかけます。
「どう、最近?」
そう言えば、なんとなく気持ちが通じて、
うちで食事をするようになったとか、
服は買っていないとか、旅行も近くですませて、
安くて良さそうな宿を探すのだとか、
そんなことを言ってくれます。
ここに来て、CM業界の仕事量が、
相当落ち込んでいるんだな、ということが肌で感じられます。
「今度、ご飯でも食べに行こうよ。」
ぼくにできることは、そんなことぐらいしかありません。
撮影とは、つくづく、「待つ仕事」なのだな、と思います。
それがネライであれば、予算の続く限り、天気を待ちます。
役者は、自分の出番をひたすら待つ精神力を、
持ち続けなければならない仕事です。
そして、ぼくらだって、仕事が来るのを、
ただ待つ以外に、ほとんど手だてがありません。
つまり、営業のない仕事、営業のできない仕事。
そこが、撮影という仕事と他の職種との、
決定的な違いかも知れません。
自慢ではありませんが、ぼくは冗談でも
「仕事を下さい」と言ったことは一度もありません。
と言うのも、かつて自分が会社にいた頃、
盛んに営業をかけてくる人がいて、
ずいぶん嫌な思いをしたという経験があるからです。
何度も電話をかけて会いにきてくれる彼を、
ぼくは、そのうち避けるようになっていきました。
この仕事で、営業はするものではない。
ぼくは、肝に銘じました。
撮影、美術、衣装、音楽など、
それぞれの持ち場はあるけれど、
現場を共有するスタッフである限り、
営業されたからと言って、
その人にお願いしてみようとは思わない。
むしろ、余計なプレッシャーを感じてしまうくらいです。
クリエーター同士、のびのびと、対等でなければいけない。
自分が興味を持つ相手であれば、なおさら、
凛とした距離感を持っていて欲しい。
そう思うのです。
(恋愛にも、それに似たことがありますね。)
では、そんなぼくに、
どうして仕事が来るようになったのか?
もちろん、営業など一切しません。
テレビで目立った、「これは誰がやったのだろう?」
と気になるCMがあって、それをやったのがぼくだとわかり、
いつかこの人とやってみたいと思ってくれる人がいて、
それが徐々に増えて行ったのだと思います。
目立つ。気になる。
それ以上の、と言うより、
それ以外の営業は、ないのかもしれません。
最近、新人が登場しにくいと言われています。
目立つ、気になるCMが少なくなれば、
それに比例して、新人の「営業チャンス」も減ってしまう
のだから、無理もないでしょう。
よく、独立して一本立ちしたカメラマンの方から、
作品集をいただくことがあります。
他に、営業する手段があるかと言われれば、確かに難しい。
でも、ここだけの話、ほとんど場合、
ぼくはそれを見ることがありません。
「自分で、目立ってこい。」
そう思うからです。
新人なのだから、作品集を見ても、
たいした作品があるわけではないことはわかっているのです。
それで、その人の力を推し量ることの方が、間違えやすい。
パワーのある人なら、時間はかかるけれど、
出会うべき人には出会う。
ぼくは、そう信じています。
そのパワーを感じて受け止める力が、
ぼくら、業界の先輩たちになければいけないのですが。
待つ仕事。
営業のない仕事。
どうです?
撮影という仕事、なかなか特殊でしょう?
タフでなければできない仕事だと、つくづく思います。