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ディレクターズ・カット

今村直樹プロフィール

今村直樹

1954年岐阜県生まれ。上智大学新聞学科卒業後、テレコム・ジャパン、サン・アドを経て、フリーランスに。
現在、今村直樹事務所、CM制作者集団・ライブラリーを主催。
サントリー、資生堂、トヨタ自動車、日産自動車、メルセデス・べンツ、味の素、日本通運、ソニー生命、NTTコミュニケーションズ、NTTドコモ、KDDI、大塚製薬、ダイワハウスなど、20数年のディレクター歴の間に、数多くのクライアントのCMを、企画・演出してきました。
代表作に、JR東日本「房総ビュー・エクスプレス」「故郷になってください」
JR東海「のぞみ大通り」「ワイドビューで行こう」
松下電工「きれいなおねいさんは好きですか?」
大和ハウスの企業広告「共創共生・郡上八幡」「奈良・通り庭」など。

the catcher in the LIVERARY
今村直樹となかまたちのブログ



第45回 CM業界とぼくのカー・ライフ(3)

北海道のみなさん、こんにちは。

ぼくの2台目の車、BMW320カブリオレを乗っていた時代は、バブル絶頂期から崩壊にかけて。相変わらず、どこに行くにも車が手放せな生活が続いていました。景気の良かった時代、都心の駐車場は、毎月の契約料が6万を突破し、8万出しても、なかなか見つからいとこぼす仕事仲間がいました。深夜の六本木あたりだと、タクシーをつかまえようにも、空車は走っていない。まれに空車をつかまえても、当時住んでいた代官山までは、千円するかしないか。運転手に嫌な顔をされるか、あからさまな乗車拒否にあったりしたものです。相変わらず、海外ロケは多く、成田から千葉ナンバーのタクシーに乗ると、降り際に、帰りの高速料金を要求されたり、都心に入ったところで、「具合が悪くなった」、「うちの大事な用事を思い出した」などと言って、途中で降ろされてしまう(都心まで来れば、すでに2万円以上の上がりが出るから)などいうことが何度か起りました。そこで、都内のタクシー会社に、運転手指名で東京~成田の送り迎えを予約するようになったぼくは、そのタクシー運転手個人から、お中元・お歳暮をもらっていたほどでした。ちょっとした、居酒屋タクシー状態ですね。

仕事でも、おそらくもっともストレスを感じていた時代。その上、あまりにも車に乗りすぎて、極度の肩こりや足腰にしびれを感じるようになって、気功や針治療、マッサージなどに通院していたのも、その時代です。運動不足を補うために、スポーツクラブにも通うようになりました。それも、スポーツクラブに行くまでの、ほんのわずかな距離を車に乗って。
(余談ですが、ただのスポーツクラブの会員権が、100万もするところが、ごく普通にありました。400万円出して会員になり、その直後に、クラブを経営する不動産会社が倒産してしまった、スタイリストの友人がいたほどです。)

あふれるように仕事があった時代。
たとえば、当時一番の売れっ子だった照明技師さんなどは、色、ホイール、エンジン、すべてにおいて特注の、ベンツEクラスのワゴンに乗ってスタジオに現れました。
「Iさん、すごいねぇ、その車。ずいぶん高かったでしょう?」
「1200万くらいしたかな? でも、もう、これを一生乗るつもりだから。」
そんなわけないじゃん。ぼくは、心の中でそう思いました。ぼくもそうでしたが、「一生もの」とうそぶきながら、誰もが散財していた時代なのですから。
バブルが崩壊したと言われるようになって、「あの頃は、あめ玉を買うように、ゴルフ会員権を買っていたなぁ」とつぶやいた、ジャガー好きの有名コピーライターの言葉が、まだ記憶に焼き付いています。

そんな頃、たまに、電車に乗って打ち合わせに行くと、それ自体が、新鮮に感じられました。広告も、元気いっぱいだった時代。車内吊りや、駅のポスターを見るのもおもしろかったし、なんと言うことはない街や人の気配から、いろいろな情報が染み込むように入ってくるような気がしたものです。

人は、移動の速度を上げれば上げるほど、情報を失っていく。

電車よりバス、バスより徒歩、そして究極はじっと立ち止まって、足下を見つめること。その方が、ずっと豊かに情報を得ることができる。バブル崩壊と、どれほど関係があったかは、定かではありま せんが、そんな単純な定理に、やっとぼくは気がつき始めていました。

第44回 CM業界とぼくのカー・ライフ(2)

北海道のみなさん、こんにちは。

初めての車、VWゴルフ・カブリオレに乗るようになってからと言うもの、ぼくは、どこへでも、車で出かけるようになりました。CM業界で は、もっとも働き盛りと言われる30代半ば。時代は、バブル絶頂期。川崎や横浜のスタジオへはもちろんのこと、何時間もかかる遠方のロケにも、電車なら一駅のところへ打ち合わせに行くのにも、車、車、車。車を運転しない時は、タクシー。家を一歩出たら、手を挙げてタクシーを止めていた、と言ってもいいくらい。車漬けの 毎日でした。

打ち合わせから、打ち合わせへ。めまぐるしい移動。ハンドルを握りながら、考えること。気持ちの切り替え。撮影を終えた後、車の中で一人きりになる時の安堵感。「いやー、渋滞しちゃって」と、繰り返す言い訳。時間ができると、衝動的にする遠出(ドライブ)。いつしか、車が、ぼくの仕事と生活のリズムを作っていました。

打ち合わせや撮影ともなれば、高級車、とりわけベンツがズラリと並んだ時代です。ある時、こんなことがありました。いつものように、ぼくがゴルフに乗ってクライアントに行くと、すでに到着していた有名コピーライターとアート・ディレクターの大型ベンツ(シルバーとゴールドのメタリック)、そして、プロデューサーのポルシェが、並んでいました。その会社(押しも押される大会社)の社長用の、黒塗りのトヨタの隣に。打ち合わせが始まると、社長が開口一番、皮肉まじりにこう言ったのを思い出します。「みなさん、立派な車に乗っていらっしゃいますね。あのベンツはどなたのですか?」

有名クリエーターともなれば、高級車に乗るのはあたり前。ジャガーにBMW、わざわざサーブやマセラッティに乗る、へそ曲がり、中には、ベントレーやフェラーリを所有する売れっ子カメラマンもいましたっけ。

自分の個性を貫く人も、もちろん、いました。スズキの軽自動車に乗って(それも、破れた幌にガムテームを張って)、エルメスのバーキン片手に現れるスタイリスト。ルノー・サンクを2台持っていたヘアメイク。わざわざ、黒塗りのトヨタ・センチュリーを自分で運転するカメラマンや、旧式の三菱デボネアをアメ車のような色に塗って乗っているプロデューサー。50年代のボルボにずっと乗り続けるデザイナーもいました。でも、ふと気がつくと、たいていの人が、いつの間にか、ピカピカの高級車に乗り換えている。そして、撮影や打ち合わせが終われば、みんな、忙しそうに車に乗り込んで、帰って行く。あふれるように仕事があり、会えば、挨拶代わりに、「いま、何に乗ってるの?」なんて会話を交わす。バブルって、そんな時代だったのです。

ゴルフに3年近く乗った後、当然のことのように、ぼくは車を買い替えました。車検の前に買い替えるのが、あたり前。そんな空気があったから。税理士が、「そろそろ車を買い替えましょう。手っ取り早く、経費になるんですから」なんて、平然と言っていたくらいです。

そして、やってきた、ぼくの二台目の車は、BMW3シリーズ・カブリオレ、ダーク・グリーン。やっぱりカブリオレと小型車が好きで、マニュアル車はダメ、メンテナンスが楽で、キラリと光るチョイス。考えに考えた結果でしたが、いま思えば、大好きだったゴルフ・カブリオレから乗り換える必要があったのかどうか。

ぼくも、時代も、広告も、元気で、調子がよく、そして、どことなく浮き足立っていました。

第43回 CM業界とぼくのカー・ライフ(1)

北海道のみなさん、こんにちは。

ちょっと、車の話をしましょうか?
断っておきますが、ぼくは、たいして車好きではありません。でも、東京の広告業界で働く人間が、どんなカー・ライフを送っているかをお話しすれば、けっこう、その暮らしぶりかが見えてくるかもしれません。

ぼくが運転免許を取ったのは、34歳のこと。
会社勤めをやめて、フリーランスとして仕事をしはじめたのをきっかけに、自動車教習所に通い始めました。当時は、海外ロケがもっとも多かった頃。長く不在がちな日が多く、やっとのことで運転免許を手にしたのは、半年後のことでした。

そして、仕事で海外の国に行っては、あの車がいい、この車は何?と、目を凝らしていたものです。
いまから、ちょうど20年前。フランスだったら、往年の大衆車2CVやドゴール大統領が乗ったことで有名なシトロエンDSを、まだ、ごく普通に見かけました。もっとも人気があったのが、当時出たばかりだった、ルノー・サンクや、フィアット・アウトビアンキ。もちろんミニも。いつの時代でも、パリの街には、個性豊かな小さな車がよく似合います。イギリスに行って、気になったのが、レンジ・ローバー。まだ、日本ではほとんど見たことがありませんでした。「あの大きな、かっこいい車は何?」と見ていると、たいてい、いかにも上流階級という人たちが、ハンティングにでも行きそうなラフな格好をして車から降りてきたものです。ブリティッシュ・グリーンや、オフ・ホワイト。イギリス車の色の美しさには、目を奪われました。ニュージーランドでは、古いものを大切に使うお国柄もあって、イギリスの60年代の車が、よく走っていました。ミニはもちろんのこと、ポンコツのオースチン、モーリス、ライレー、MGなどが、のんびりと走っていました。オーストラリアで、一風変わった車が走っていると思うと、ホールデンというアメ車のようなオーストラリア製の車でした。いまは、もうないと思います。アメリカは、日本車が席巻した時代。カリフォルニアでは、ホンダのシビックやアコードをよくみかけたものです。最初のうちこそ、誇らしかったのですが、日本車が流行る=車の個性がなくなっていく。まさに、絵に描いたような、それでした。アメ車が、大きな身体を持て余しているようで、少し寂しくもありました。
もちろん、どの国に行っても、メルセデス・ベンツ、BMWは、ステータス・カーとして、安定した人気を誇っていました。と言うか、どの国でも、人々は分をわきまえた車選びをしているので、ステータスある車には、しかるべき人が乗っている。アメリカ人だけが、金にモノを言わせて、乗りたがる。そんな印象でした。

さて、免許を取ったはいいけれど、初めて乗る車は何にしよう?
悩みに悩みました。日本車は、一切、眼中になし。はは~ん、さすがは業界人だな!なんて、言わないでください。あれだけ海外でいろんな車を見ていたら、車好きじゃなくても、目が肥えてきます。世界には、個性のある車があふれているのです。その中にあって、日本車は、経済性優先の凡庸な車にしか見えませんでした。そして、誰が、どの車に乗っているかを、とにかくみんながよく気にした時代です。人の目を、意識しなかったと言えば、ウソになります。

当時、ぼくが住んでいた代官山のマンションには、カメラマンやコピーライター、マスコミ関係者やタレントさんが、数多く住んでいました。1960年代、東京オリンピックの頃に、東京在住の外国人を意識して建てられた賃貸マンション。広い敷地に、露天の駐車場を囲むようにして建っていました。個性豊かな、業界系の人々が住むマンションには、さまざまな国の個性ある車が並んでいたものです。その中で、ぼくの目を引いたのが、ボルボのエステート・ワゴンとVWゴルフのカブリオレ。

その影響もあったでしょうし、小さくて、オートマで、外車で、ちょっと変わっていて、ぼくらしいと思われ、いくらか見栄を張れて、新車で買いたいとなれば、もうこの車しかなかったのです。そう、ぼくが最初に買った車は、VWゴルフ・カブリオレ、1988年型グレーメタリックでした。

第42回 クレーム社会のCM(4)子犬とこども

北海道のみなさん、こんにちは。

以前、ある食品メーカーで、こんなCMを作ったことがあります。
お母さんが、何やら、子どもに向かって小言を言いながら台所に立っています。
「まっすぐ帰ってくるのよ」、「犬と遊んだりしちゃダメよ」、「道草しちゃダメよ」などと。
お母さんの言葉とは裏腹に、帰り道、たまたま子犬と出会った子どもは、河原で子犬と遊んだりして、道草します。
そして、家に帰ろうとする頃には、もう日が暮れかけています。
泣きべそをかきながら、走る男の子。
やっと家の近くまで来たら、お母さんが迎えに出てくれていました。
「おかえり」とお母さん。家では、あったかいシチューが待っている。そんな、CMでした。

道草、台所で小言を言うお母さん、子犬、河原の土管、夢中で遊んだ後の夕暮れ、その不安感。いまの子どもには、ピンと来ないかもしれませんが、少なくても昭和に子ども時代を送った人なら、どことなく思い当たるところのある光景ではないでしょうか?
少しノスタルジーを感じさせる、なかなかいい出来上がりのCMだったと思います。

ところが・・・。
「犬といっしょに遊んじゃダメよ」というお母さんの台詞や、「バイバイ」と言って、男の子が子犬と別れるシーンが、捨て犬を想起させるというクレームがクライアントに寄せられました。ペットを捨てる風潮を助長することにつながる。ある動物愛好家の方には、そう写ったようでした。
そこで、お母さんの台詞を「暗くなるまで遊んじゃダメよ」に、子どもの台詞を「またね」に変えて、再びオンエアーしたということがありました。
  
いまのぼくなら、もしかしたら事前に「この表現はマズイ」と思うかもしれません。そうでなくても、打ち合わせで、だれかがこう言い出すでしょう。「犬を捨てたみたいにとられられないかなぁ?」と。すぐさま、営業の人あたりが、広告代理店やテレビ局の考査機関に問い合わせます。そうすれば、間違いなく、やめた方がいいという結論が出るに違いありません。子どもが、子犬に出会ったり、遊んだりすることは、NGである。いや、そもそも、夕暮れに子どもが一人で遊んでいること自体、危険なので、そういう表現は避けた方がいい、と言われる確率が高いと思います。
つまり、いまなら、子どもが暗がりを一人で歩いているシーンは、世に出にくい。まして、誰かが捨てたような子犬と子どもが遊ぶシーンなど、ありえないということになります。
  
広告業界やテレビ局は、過去、さまざまな経験をした結果、すっかりクレームに対して敏感になり、チェック機関がずいぶんと整備されてきました。そうこうするうちに、ぼくらクリエーターでさえ、クレームがつきやすい刺激的な表現を避けて通る癖が、自然と身に付いてきています。困ったことに、どういう表現がいけないのか、はっきりとしたガイドラインもないまま、ただ、さまざまな憶測や詮索から、クレームを避けて通る傾向だけが、助長されて行きます。その結果、どういう表現が、人を傷つけたり、子どもに悪影響を与えたりするのかの、本質的な判断が、かえって置き去りにされているような気がします。

第41回 クレーム社会のCM(3)オンエアー中止になったCM

北海道のみなさん、こんにちは。

前回お話しした、「最初から予想していたクレーム」とは対照的に、思いもよらないクレームで、CMがオンエアー中止に追い込まれる、あるいは、改訂してオンエアーするというというケースがあります。

1996年に発売になった、「大地と水の恵み」という名前のビールを覚えていらっしゃるでしょうか?
その新発売CMを、企画から担当することになったぼくは、いま考えてもなかなかおもしろいアイデアを思いつきました。
主人公は、都会を離れて田舎暮らしをはじめるようになった、男女三人組。木の上に「ツリー・ハウス」を作って、そこでビールを味わったり、ペットに子豚を飼ったり、となりのおじさんに採れたてのタケノコをもらって、そのお礼にビールをあげたり、農業を始めたり、慣れない手つきで鋤や鍬を振った後、土手に座ってビールとおにぎりでひと休みしたり。彼らの、そんな暮らしぶりや、ビールを飲むシーンを描くCM。
どうです?「癒し」なんて言葉がささやかれ始めた当時、まさに時代を先取りした企画だったと、ぼくはいまでも思っているのですが。

さて、その第一弾CMが完成して、オンエアーが始まりました。
ツリー・ハウスの上で、ビールを飲む若者たちを題材に、なかなか気持ちのいい出来上がりでした。


♪ああ、父よ、母よ、やすらぎよ。
ああ、美しい大地よ、水の恵みよ。

演歌歌手、山本譲二が歌うCMソングも、話題を呼びそうでした。
同じシチュエーションで、新聞広告や車内吊りも大量に露出しました。
ところが・・・。

木の上に、家を造ること。
そのために、木に釘を打ち込むこと。
そんなことが許されるのか!?というクレームが、クライアントに寄せられました。それも数十件、かなりの量でした。
そして、即刻、オンエアー中止が決まりました。次に流す予定だったCMに入れ替えたり、急遽、別の設定でCMを撮り直したりと、しばらく、制作関係者はその対応に追われました。

クレームが寄せられたのは、主に、近畿地方以西の地域から、それも九州からのものが多かったと、その後聞きました。なぜなら、その地域こそ、日本古来の木にまつわる信仰が深いのだそうです。それが大木であればあるほど、樹齢の古い木であればあるほど、信仰の対象になるようです。確かに、その地域には、御神木というものが数多くあります。
木に打ち込んだ釘、大木の上に作られた家が、そんな人たちの神経を逆撫でしてしまったようでした。
もしかしたら、北海道のみなさんなら、なぜいけないの?と思われるかもしれません。ぼくがそうであったように。

実を言うと、作り手としては、これほどおもしろい設定のCMは、そうそうあるものではありません。
撮影したニュージーランドでは、日本からのスタッフと、オーストラリアとニュージーランドのスタッフが一丸となって、まさに子どもに帰ったように楽しんで、そのツリー・ハウスを作っていました。
そして、実際出来上がったツリー・ハウスの、気持ちのよかったこと!忘れられない体験でした。
明から、一転して、暗へ。
相手が無邪気に楽しんでいればいるほど、それを快く思わないひとの神経を刺激してしまう。クレームとは、そういうもののようです。

第40回 クレーム社会のCM(2)たった3日間のCM

北海道のみなさん、こんにちは。

もうずいぶん前(1991年)のことですが、撮影する前から、クレームを予想していた仕事があります。
このシーンを見て、ピンと来る方もいらっしゃるかもしれません。

桃井かおりさんが、カメラに向かってこんな台詞をしゃべった、チョコラBB(エーザイ)のCMです。

世の中、バカが多くて、困りません?


このCM、予想通り?クレームが入り、たった3日で打ち切りになりました。
そして、あらかじめ用意していたこのバージョンに切り替わったのです。


世の中、おりこうが多くて、困りません?


クレーム、と言っても、「3件、抗議の電話があった」と、広告代理店の担当営業の人から聞いた記憶があります。
たったの3件です。そして、オンエアーしたのは、3日間。それでも、社会面に小さな新聞記事が載り、よほど言葉のインパクトが強かったのか、多くの人の記憶に残るCMだったようです。
このコピーを書いたのは、仲畑貴志さん。
「バカが多くて」なんて、視聴者(クライアントにとっては、潜在的なお客さん)に向かって、言っていいものか?
当然、クライアントからも、事前に危惧する声が上がったと思います。
それに対する仲畑さんの答えは、「一応、こういうバージョンも押さえておきましょう」だったのです。
その切り返しは、見事、と言う他ありません。
案の定、「バカ」という言葉にネガティブな反応をする人がいて、ある意味、予定通りの展開になったわけですが、だれもそれを喜んだわけではありません。あまりの反応の早さと、それに対するクライアントの過敏さに驚きました。しかとして、もう少しオンエアーしていたらいいのに。クライアントとは、何とクレームに弱いものか。残念でならない、と言うのが、当事者だったぼくの偽らざる気持ちでした。


仲畑貴志さん、と言えば、誇張抜きで、日本の広告界の中でも、もっとも数多く、人々の記憶に残る言葉(コピー)を書いてきた人です。


いろんな命が生きているんだなぁ。
元気で、みんな元気で、とりあえず元気で。


というナレーションが流れる、サントリー・トリスのCM「雨と子犬」篇を知らない人は、ある程度の年代ならいないかもしれません。
その仲畑さんの言葉に、「広告は、喧嘩だ」というのがあります。
もっとも、大声を張り上げ、相手に強くものを言うのだけが喧嘩ではありません。時には小声で、時にはやさしく、ときには笑みさえ浮かべながら。とにかく、相手を黙らせる。それが、喧嘩巧者というもの。
そんな仲畑さんの書くコピーには、インパクトの強さの裏側に、なんとも言えないやさしさ、人間の弱さや寂しさ、そして本音が見え隠れします。
「バカが多くて、困りません?」と言われて、腹を立ててしまった人が、もしいたとするなら、仲畑さんの挑発に思わず乗って、喧嘩を買ってしまったことになるのかもしれません。
バカだなぁ(笑)。

第39回 クレーム社会のCM(1)

北海道のみなさん、こんにちは。

最近、CMを作る現場で、けっこうピリピリしたムードのなるのが、クレーム対策。

たとえば、つい最近、表参道で撮影したときのこと。ここは、歩道の道幅が広く、街路樹に囲まれたまっすぐに伸びる道に、高級ブランド店が立ち並ぶ、東京でももっとも美しい繁華街です。昔から、撮影も多いのですが、最近、ここは写せない、ここは許可が必要などと、すっかり撮影しにくい場所になってしまいました。「うちのビル(店)は写さないでくれ」というクレームを恐れてです。なんとか、撮影はできましたが、希望通りには行きませんでした。あるビルのオーナーの許可が得られなかったからです。

建物に、そんな肖像権があるのか、法律的には判断が微妙なはず。パリのエッフェル塔のように、ちゃんと肖像権が認められていて、撮影時には財団に著作権料を支払わなければならない例外もありますが、それ以外には、世界的にも、公共の建物を「写すな」と主張できる権利は、あまり聞いたことがありません。

以前、あるCMで、東京の住宅街を空撮した時のこと。広告代理店の担当者が「うちは写さないでくれと、クレームをつける人がいたら、どうするんだ?」と言い始めた時には、お手上げでした。空から住宅を写して、「うちの屋根が写っている。どうしてくれるんだ!」とクレームをつけてくる人が、果たしているのかどうか。(実際には、ちゃんと写して、何のクレームもなかったのですが。)

去年、クレームがついた結果、わざわざそのシーンを撮影し直したCMもあります。道路で、女子高生が乗る自転車が横並びになって走っているシーンを見て、「道交法違反ではないか?」というクレームが数件寄せられたためです。クライアントの指示で、同じ場所で、今度は道の左側を、縦並びで、自転車が走るシーンを撮り直しました。でも、そこは、普段、住宅街の中の、ほとんど車も通らない細い道。そんな場所なら、通勤や通学で、自転車が横に並んで走って、ちょっと挨拶を交わす程度のことは、よくあることでしょう。地元の方々も、どうしてわざわざ撮影し直すのか?と、笑っていましたっけ。

あまり大きな声では言えませんが、東京近郊の、あるエリアには、有名なクレーマーという人も存在して、その人の「告発」で、撮影中止や、撮り直しが、過去何度も起っているというケースもあります。クレーマーは、もちろん、正論を言ってきます。あまり人の通らない場所に、カメラの三脚を立てて風景を撮るだけでも、そこが私有地や私道でない限り,警察の撮影許可証が必要です。海岸で犬を散歩させる時、リード(引き綱)なしで散歩させてはいけないという条例も、地域によってはあるようです。でも、実際には、ほんの数分の撮影だからと、許可を取らなかったり、映像になった時「うるさいから」と、リードなしで散歩するするシーンを撮ったりする、いや、撮ったりしたものです。でも、人に何ら迷惑がかからないと思われる撮影でも、CMを見て、許可は取ったのか、条例違反はしていないかと、いちいちチェックして、告発する人というのも、世の中には存在するんですね。告発されれば、もちろん、無許可や条例違反している方に、分があるはずはありません。

いま、製作中のCMに、がん患者が出てくるものがあります。と言っても、俳優さんが演じるがん患者なのですが、車の運転をしている最中に、病気のことを気にして、信号が変わったことに気がつかないというシーンを撮影しました。編集したそのシーンを見て、クライアントの方が、心配し始めました。「がんの患者さんや、団体からクレームがつくかもしれない」と。さすがに、これは特殊なケースですが、がん患者じゃなくても、心配事があって、ほんの数秒、信号が変わったことに気がつかないなんてことは、よく起りがちなこと。一体、どんなクレームが予想されるのか、想像もつきません。

世の中、どんどんクレーム社会になっているなぁと、つくづく思います。このままでは、ほんとうに息苦しくて、撮影できなくなるのでは?と思うほどです。

でも、ずいぶん以前のことですが、「きっとこれは、クレームがつくに違いない」と予想して、あえてそのCMをオンエアーしたところ、予定通り?にクレームがつき、話題になったCMというのもありました。次回は、そのCMのお話などもしてみたいと思います。

第38回 小さな主人公~トンボ鉛筆のCM

北海道のみなさん、こんにちは。

最近ぼくが手がけて、オンエアーが始まったばかりのCMに、トンボ鉛筆のボールペン「エアプレス」があります。
ボールペンを横にしても、逆さにしても書けるように、特殊加工されたこのボールペンは、「あ、書けなかった」ではすまされない、緊迫した現場向き。というわけで、工事現場、それも地上50階建てのビルの工事現場をお借りしての撮影になりました。
CMは、こちらでご覧になれます。http://www.tombow.com/
(サイト更新のお知らせ、アドギャラリーから入ってください。)

過去30年近くの間に、いろんな商品のCMを作ってきたぼくですが、もっとも小さな商品のCM。文房具のCMを手がけるのも初めての体験でした。
ぼくと同世代の広告代理店担当者が、おもしろいことを言いました。「この仕事を、ぼくは『お礼CM』だと思っている」と。子どもの頃に、お世話になった商品とクライアントに、お礼の気持ちをこめて広告を作りたい、そんな意味で彼は言ったのです。

鉛筆、消しゴム、はさみ、のり。
文房具は、いつも子供のすぐそばにありました。そして、ぼくらが子どもの頃、そんな文房具のコマーシャルも、とても身近なものだった気がします。
「見える、見える」というナレーションがいまも耳に残っているゼブラのボールペンのCM。「像が踏んでも壊れない」と、実際に像が踏んでみせて、子供たちを驚かせたサンスターの筆箱のCM。中学生になる子供たちに向けて「はっぱふみふみ」と大橋巨泉がカメラ目線で言った、パイロット万年筆のCM・・・などなど。
最近、そんな文房具のCMを、テレビでほとんど見かけなくなりました。今回制作したCMは、子供向けではありませんでしたが、それを作るぼくたちは、子供のように夢中でした。撮影をさせてくれる工事現場を探すだけでも大変なこと。場所が場所だけに、モデルや役者というわけには行きません。実際、親子二代、鳶職をしているというホンモノに出ていただきました。スタッフみんなでヘルメットをかぶって、手の中の小さな主人公をなんとかかっこうよく見せようと、真剣そのものの撮影でした。

そしていま、今度は、スティックのり、消しゴム、ボールペン、色鉛筆が登場するCMを制作中です。どれも、有名なタレントが出るわけでも、凝ったアイデアがあるわけでもなく、ただただストレートに、人が、それぞれの生活や仕事の場面で、それらを使っている姿をストレートに撮っているだけです。でも、おそらく、それだけで十分に目立つCMができるはず。
なぜなら、いま、テレビで、文房具のCMは、他にほとんどないから。
だれもが毎日、使わない日がないモノなのに、ちゃんと見たり、テレビで大写しになったりすることなんて、ないから。
そして、ああ、そう言えば、文房具にはずいぶんお世話になているなぁと、ちょっぴり感謝したい気持ちになるから。

第37回 コンビニと広告の関係

北海道のみなさん、こんにちは。

確か、1982年、ぼくが28歳の頃の話。
まだまだ駆け出しのCMディレクターだったぼくは、ゴルフウエアーのCM撮影のために、約一ヶ月の間、デンバー、フロリダ、テキサスなどを転々としながら、アメリカ人のプロ選手を追いかけて、撮影していたことがあります。
その時、初めて知ったのが、マクドナルドのチキンナゲットとセブンイレブン。
まだ、日本で発売前だったチキンナゲットを、飽きずに、よく食べたものです。
そして、ホテルからぶらぶら歩いて、アメリカの片田舎の町にあるセブンイレブンへ、飲み物や軽食を買いにも行きました。
「アメリカには、深夜までやっているスーパーがあるんだな。7-ELEVENなんて、うまいネーミングを考えたものだ」と、思っていました。

その、ほんの数年後には、日本でも、盛んにCMが流れるようになったのですから、いかに日本でコンビニエンスストアーが急成長したかがわかります。
♪セブンイレブン、いい気分♪ というサウンドロゴや、「開いててよかった」というキャッチフレーズが、使われていた時代です。

1980年代の半ばから、90年代にかけて、コンビニエンスストアーと言えば、セブンイレブンとローソンを筆頭に、広告業界を席巻する、花形クライアントでした。新しい都会のライフスタイルを描いて、多くの名作CMが生まれ、有名クリエーターが手がけるようになり、若手CMディレクターの登竜門だった時期もありました。
ぼくも、90年頃に、ローソンのCMをレギュラーでやっていましたが、その忙しさったら、なかった。何しろ、次々と、クライアントがCMを制作するので、そのおかげで、制作会社はじめ、広告業界はずいぶんと潤ったはずです。
流通会社のことですから、ギリギリまで、CMで取り上げる商品が決まらない。広告担当者は、多忙を極めていて、CMの企画も、直前まで決まらない。
結果、短時間で、バタバタと撮影して、仕上げる。すぐにオンエアーする。
制作本数が多いから、一本あたりの制作費は、少なくなる。
いま思えば、コンビニのCMが主流だった時代以降、CM制作の環境が激変(CM制作の低価格化とスケジュールの短縮)したような気がしてきます。

コンビニが世の中に定着するに従って、その存在は、広告の流れを変えてしまいました。
先週のコラム(お茶とCMの話)でも書いたことですが、主に飲料製品がコンビニで、化粧品やシャンプー、洗剤などの生活雑貨が、ドラッグストアー系の量販店で、売れる・売れないが、即、広告に跳ね返ってくるようになってしまいました。
ふと気がつけば、コンビニや量販店の動向に、広告が振り回されているような状態になってしまっていたのです。

そして、いま、ぼくらは、コンビニ的なるものを、見直すべき時代に来ているような気がします。
コンビニでの売り上げに、広告が振り回されることを。
コンビニ中心に、商品が開発されることを。
コンビニに依存しすぎるライフスタイルを。
コンビニの蛍光灯が、時間も環境もおかまいなしに、あたりを照らす環境を。
コンビニが、地方の町の景観を破壊してしまうことを。
コンビニ中心になりがちな、子供や若者の食育を。

第36回 お茶のCM、その周辺のこと。

北海道のみなさん、こんにちは。

何年かおきに巡ってくる仕事のひとつに、お茶のCMがあります。
主に、コンビニで売られるペットボトル入りのお茶です。

緑茶、ウーロン茶、紅茶がまず思い浮かびますが、玄米茶や麦茶にブレンド茶など、さまざまな、数えきれないくらいのお茶が売られています。
そして、最近では俗に「トクホ」と呼ばれる、厚生労働省で特別健康用食品として認可された健康茶がブームです。


ぼくも、振り返ってみると、いろんなお茶のCMを手がけてきました。

お茶のCMを作る現場には、独特の雰囲気があります。
最近では、広告代理店やクリエーターが、商品開発やネーミングから深く関わっている場合が多く、何ヶ月、時には一年以上もかけてやっとCM制作にたどりつくのですから、意気込みが違うのです。

CMのアイデアやトーン、タレントや音楽で、ある程度、売り上げも左右されるので、広告の制作現場にも、クライアントと一体になった独特の緊張感が漂います。


お茶の広告の世界で、商品が売れないことを、「コンビニの棚から消える」という言い方を、よくします。
どんなにCMに広告予算をかけても、コンビニでの売り上げが伸びないとなると、あっという間に(早い時にはわずか一二週間で)、棚から姿を消します。

みなさんがすぐに思い浮かぶような代表的なお茶(お~いお茶、伊右衛門、壮健美茶、生茶、ウーロン茶、午後の紅茶など)が、まず、定番商品としてあり、コンビニに新製品が並ぶスペースは、ほんのわずかしか残っていません。
そこに、各メーカーが力を入れて開発した商品を置いてもらおうと、しのぎを削っている状態なのです。

最近では、コンビニで売られないことがわかっていても、なんとか実績を作ろうと、CM制作に踏みきるケースもあるくらいです。

そんな、熾烈で、涙ぐましいまでの、お茶を巡る広告制作の状況があるにもかかわらず、ぼくのようなCMディレクターが広告制作に関わる頃には、実を言うと、「これは売れそうだな」とか「ダメなんじゃないか」ということを肌で感じてしまいます。それでも、商品 が売れる・売れないに関わらず、制作に関わるうちに、なんとか商品が売れないものかという思い入れも強くなってきます。
だから、CMがオンエアーされる頃には、コンビニに立ち寄ると、売れているかどうか、棚に並んだ商品の動きが気になったり、店員さんに 「どうですか?」と思わず、聞いてしまうのです。


この、お茶がコンビニで売れる・売れないという状況は、ダイレクトに広告制作に返ってきます。すぐに第2弾のCMを、と準備していたのが中止になったり、タレントやスタッフが入れ替えになったり、激しく状況が変化します。

さらに、思い返せば、コンビニを中心に商品が動くようになってから、CM制作の現場の雰囲気が、がらっと変わってしまいました。
売れる・売れないが、一週間単位、いや、その日のうちにわかってしまうのですから、それに振り回されることもしばしば。

そんなわけで、お茶のCMに関わると、なんとも独特な緊張感のなかで仕事をすることになるのです。

第35回 日本のCMは、グローバルか?

北海道のみなさん、こんにちは。

先週の宮崎、鹿児島でのロケを終えて、今度は東京周辺で撮影し、そして昨日、サンフランシスコに入りました。
着くなり、ロケハンとオーディション(現地のこどもたち)をして、明日、ロケハンで決めたお宅をお借りして撮影します。
これ、全部、ひとつのCM(それもたった30秒の)のためのもの。
なんと延べ2週間かけて、10数人の人たちを撮影しました。
ぼくの長いディレクター生活のなかでも、一本のCMに費やした時間としては新記録かもしれません。

それにしても、久しぶりのサンフランシスコ。
こうして海外ロケが続くのも、久しぶりのことです。
80年代から90年代にかけて、日本のCM業界が海外ロケを頻繁にしていた頃、アメリカでは、ロス・アンゼルズが、撮影隊の一大拠点でした。
日本からの撮影隊をアテンドする、いわゆるコーディネーターの、大小さまざまな会社が、ロスにはひしめいていました。(いまではほんの数社を残すのみ。)
スタッフに人気の和食屋に行けば、たいてい、他の撮影隊に出くわし、お互いに近況報告や情報交換などしあったものです。
なにしろ、2~30人規模の撮影隊が、何班もロスに入っている時代があったのですから、いまとは隔世の感があります。

こうして、頻繁に海外ロケを経験してきた日本のCM業界。
その話だけ聞けば、まさにグローバル。世界を股にかけてきたのですが、実際には、日本のCM業界は、日本のさまざまな産業のなかでは、完全にグローバル化に失敗した一例だと思っています。
車や家電製品を筆頭に、世界(とりわけアメリカ)で華々しい業績を上げた80年代から90年代にかけての日本の産業。確かに、その時期、ぼくらも海外ロケに頻繁に行っていたのですが、それは日本の国内向けのCM。海外進出した日本の企業は、日本の広告代理店とではなく、現地の広告代理店にCMを作らせてきたのです。あの、世界最大手と言われる電通が、トヨタやソニーと組んで、海外進出を果たし、広告で販売促進に貢献したという話は、ほとんど聞いたことがありません。
片や、同じ時期に、日本に進出し始めていたアメリカの家庭用品(P&Gやユニリバーなど)や、生命保険、損害保険の会社などは、アメリカ本国の広告代理店と共に、日本上陸を果たし、良くも悪くも、アメリカ国内と同じやりかたで広告を展開してきました。
その結果、いまではアメリカ資本の広告代理店がしっかり日本に根付いています。

そして、ぼくら映像産業の方に目を向けても、アメリカやヨーロッパに多くの撮影隊が押し寄せていた時代に、現地に住む日本人コーディネーターに頼りっきりで、その国の映像産業から多くを学んできたとは言いがたいのです。
今のように、現地の撮影スタッフと組んで、もっとそのノーハウを学んでいたら。あるいは、現地の制作プロダクションに仕事を依頼して、もっと合理的な撮影をしていれば。逆に、優れた日本のCMディレクターやカメラマンが海外進出を果たすチャンスになったかもしれません。

制作費が潤沢にあり、海外に大勢の撮影隊がおしかけていた、あの時代。
もしかしたら、ぼくらはとんでもない損失をしていたのかもしれない。
最近では、そう思えて仕方がありません。
日本の広告・CM業界は、実のところ、けっこう内弁慶なんだと思います。

第34回 CM業界は、高齢化社会?

北海道のみなさん、こんにちは。

いま、九州は宮崎にいます。
今日と明日は宮崎県内で、明後日は鹿児島に移動して、延べ10人近くの人を、その人の家や職場で撮影します。

よく、ごく一般の方のところにお邪魔して撮影させていただくと、撮影隊の、あまりの人数の多さにびっくりされます。
ロケハンでお邪魔するときは、ほんの数人。
「では、よろしくお願いします」と言って帰って、本番で戻ってくる時には、いきなりその人数が、30人くらいに膨れ上がっているのですから、驚かれるのも、無理はありません。

カメラマンやディレクター、ヘアーメイクやスタイリストが来ることは、それが撮影である以上、理解しやすい。
それに、何かと連絡を取らせていただき、制作を取り仕切る若い人がいることもわかる。
さらに、偉い人(プロデューサーやクライアント)が加わって、みなさん、せいぜい、7~8人で撮影に来るのかな?と思われるようです。
でも、それは、広告で言えば、グラフィック写真を撮る規模。

ちなみに、今日、宮崎行きの朝一の飛行機に乗るために集まった人数が、約20人。
カメラマンに、アシスタントがふたり、照明技師に、アシスタントが3人、ヘアーメイクにスタイリスト、美術は小道具と大道具、録音に2名、制作会社のスタッフが4名、広告代理店からクリエーティブと営業4名、そしてぼく。
それに、ロケーション・コーディネーターや、車両のドライバー、地元九州の照明と機材のスタッフが、宮崎で合流して、約30人。
今回の撮影のように、カメラにまったく慣れていない、モデルでも役者でもない人を撮るのだから、こじんまりと、小規模で撮影したいと思うのですが、気がつくと、この人数。
カメラをかついで、テレビの取材のように、ぱらぱらと人がやってくることを想像される一般の方が驚かれるのは、無理もありません。

さて、30人も集まった撮影スタッフのなかで、誰が最年長か?と言えば、このぼく。
最近、そういうことが増えました。クライアントや、広告代理店、つまり大きな組織の会社だと、ぼくの歳になれば(今年54歳になったばかり)、もう現場には来ない管理職です。
でも、いつもの撮影現場だと、ぼくより上の世代の、ベテランカメラマンと組むことはしょっちゅう。
60や70を過ぎても、まだ誰よりも忙しく仕事をされているカメラマンが、この業界には何人もいます。と言うより、50歳以上の、経験豊富なベテランカメラマンに仕事が集中する傾向が、いまのCM業界には、あるのだと思います。(ちなみに、今回のロケのカメラマンは、ぼくとほぼ同世代です。)
ぼくが業界に入った頃、すでに第一線だったスタイリストやヘアーメイク、コピーライター、アートディレクターなどで、まだまったく衰えることのないエネルギーをみなぎらせて仕事をしている人とも、相変わらず、よく仕事させてもらっています。逆に言えば、本来ならもっとも忙しいはずの30代くらいの世代に、彼らを脅かす存在が、なかなか現れてこないのだと思います。
時間がない、予算がない、それなのに、クリエーティブで要求されることは、複雑かつ高レベル。そんないまの広告業界で、のびのびと若いクリエーターが育つのは、確かに難しいのかもしれません。

さて、宮崎県の、とある漁港で、年輪を感じさせる、いい顔をした漁師さんに出演してもらい、無事に今日の撮影を終えました。
「オレで、ほんとに、えんかなぁ?テレビに映ったら、どこのじいさんかと思われるんじゃなかね?」と、その漁師さん。
ぼくより2歳下の51歳。
地方で撮影して、ぼくと同世代の人に会うと、いつも、みなさんがあまりに老け込んでいるように見えて、驚かされます。
いや、50も半ばにさしかかったぼくが、老け込む暇もないこの忙しさなのですから、CM業界が、ちょっと異常なのかもしれませんね。

第33回 海外と日本、映像のトーンの違い

北海道のみなさん、こんにちは。

イタリア・ロケから帰ってきて、さっそく編集室に入って、仕上げの作業がスタートしました。
イタリアでは、ローマからミラノに移動してフィルムを現像し、トーンを調整しながらフィルムからビデオに収録する作業(これをテレシネと言います)をしてきました。
それにしても、毎回、日本でするテレシネと、海外でするテレシネとの違いに、驚かされます。映像は、光なくして写すことができません。その光に対する感覚が、どうやら、大きく異なるようなのです。
今日は、その感覚の違いについてお話ししてみたいと思います。

フィルムからビデオに収録する、と言っても、ただ収録するだけの作業ではありません。カメラマン(前回お話ししたように海外ではDPと言います)と一緒に、撮影したフィルムをテレビ画面で見ながら、どのような調子にして行くか、意見を交わします。そこには、その意見を聞きながら、コントロールパネルを操作してトーンの調整をする、カラリストという技術者がいます。
調整できるトーンの幅は大変広く、優秀なカラリストでなければ、せっかくのフィルムも台無しになってしまいます。
たとえば、片言の英語や、通訳を交えながら、「ここはもう少し明るく」とか、「もっと青みがかった調子がいい」、などとぼくがDPに注文を出すと、カラリストが、DPと相談しながら、自分の技術と想像力をも駆使して、ネライのトーンに近づけて行ってくれる、という具合に。

もちろん、納得行くまでテレシネして、それなりに満足して帰ってくるのですが、たいていの場合、日本の編集室でそれを見直すと、愕然とします。
それが、何であれ、とても極端なトーンに上がっている場合が多いから。
暗い画面は、極端に暗く、コントラストが強い画面は、極端にコントラストが強い。赤みがかった画面は、極端に赤く、青みがかったトーンは、極端に青くなる。なにもかも、極端に振れているのです。

気になって、もう一度、日本のスタジオに入り直して、テレシネしてみることもあります。そうすると、今度は、元は同じフィルムなのに、こうも違うか、というトーンに仕上がります。海外でテレシネした時の、何であれ極端な部分が失われ、なんとも柔らかい調子になるのです。
海外(欧米とオセアニア)でテレシネした時には、光のいちばん強いところと、弱いところとが強調されるのに比べて、日本でテレシネした時には、暗くも明るくもない、中間の、光のやわらかい部分が強調される傾向にあります。その結果、海外でテレシネした時の、力強さが、失われてしまうのです。

これはもう、光の文化の違い、としか言いようがありません。
明暗のコントラストを力強く表現する、欧米の光の文化。
光の中間のトーンを大切にする、日本の光の文化。
前者は、シャンデリアの輝きを、後者は障子越しの光を思い浮かべていただけたらわかっていただけるかもしれません。
もうシャンデリアも、障子もない生活をしているにもかかわらず、幼い頃から生活環境のなかで育まれた感覚というものは、なんとも根強いものがあるのですね。

ちなみに、映像のトーンを調整する職業であるカラリストは、日本より欧米に、優れた人が多いと言われています。
何でも極端を嫌う日本人。中間のトーンを大切にする日本人。
極端にネライを表現する欧米人。強く、幅のあるトーンを大切にする欧米人。
どちらに、映像のトーンを調整する技量が、より発揮できるかは、言うまでもありませんね。

ローマ、サンタンジェロ橋 撮影中


ローマ、サンタンジェロ橋 撮影後
ローマ、サンタンジェロ橋にて。
撮影準備風景と、撮影が終わった直後に。
右奥に見えるのは、バチカン、サン・ピエトロ寺院。


第32回 海外と日本、撮影スタッフの違い

北海道のみなさん、こんにちは。

いまぼくはミラノにいて(現地時間27日午前9時)、この原稿を書いています。
21日に東京を発ち、ローマで2日間CM撮影をし、昨日はミラノ に入ってテレシネ(現像済みのフィルムをトーンの調整をしながらビデオに入れていく作業)をしました。
そして、あと数時間したら、東京に戻るフライトに乗ります。

今回は、あるクレジット会社のためのCM。
日本からは、CMディレクターとしてぼく、某有名女優、その夫役にオーディションして決めた男性タレント、スタイリスト、ヘアーメイク、日本の制作会社のプロデューサーとプロダクション・マネージャー、広告代理店のクリエーティブ・スタッフやクライアントの担当者など、総勢13名でイタリアに来ました。
その他の、カメラマンや照明をはじめとする、直接撮影に関わるスタッフは、すべて現地、イタリア人スタッフです。

今日は、日本と海外(主にヨーロッパ)の撮影スタッフの違いについて、お話ししてみることにしましょう。

フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、最近撮影の増えているチェコなど、どこの国に行っても、ほとんどスタッフが大変流暢な英語を話します。
カメラマンともなると、いつ、どの国から仕事のオファーがくるかわからないので、英語を話せて当然と言えば当然なのですが。
それに比べて、日本のスタッフの英語力は惨憺たるものがあります。
(ちなみに、ぼくは多少の英語を話しますが、それで仕事ができるというほどではありません。)

日本以外の、ほとんどすべての国で、カメラマンはDP(Director of Photography)と呼ばれ、撮影に関するほとんどすべてを取り仕切る、マエストロ(棟梁)的存在。それに対して、日本では、カメラマンを基本的にDPと呼ぶことはなく、いちばん大きな違いは、照明は照明技師に任せるというスタンスをとることです。

そして、もうひとつ興味深い違いは、海外の撮影クルーには、カメラ・アシスタントやフォーカスを送ることだけを専門とするベテランのスタッフ(カメラマンよりキャリアがあることも多い)がいること。今回のイタリア人DPに至っては、カメラをのぞいたり動かしたりすることさえ、自分ではせず、カメラ・オペレーターに任せていました。
それに対して、日本では、フォーカスを送ることやフィルムを交換することを含め、機材周りのことはすべて、将来カメラマンとして独立することを夢見る若いアシスタントがやります。

そして、毎回海外の撮影スタッフと仕事して思うことなのですが、彼らは大変にタフです。
寒さに強く、力仕事に向く体つきということもありますが、とにかく精神的にタフ。なぜなら、現場はDPがすべてを取り仕切るので、彼の指示が絶対。そのDPは、監督が何を望んでいるかに意識を集中させていて、そのために技術を提供するという姿勢が明快なのです。
日本人スタッフは、どちらかと言えば、横並びの仲間意識が強く、それぞれが自分のイメージを強く持って仕事をするので、監督がそれと違うことを言い出すとか、CMだからクライアントや代理店の人の意見が入ることもあって、そんな時の対応能力は、あまり高くない気がします。

監督であるぼくにとって、自分のイメージやCMで伝えたいことが明快である限り、海外スタッフほど心強い味方はいません。そして、技術的にも、はっきり言って日本より数段優れていると思います。ただ、繊細でデリケートな表現、ニュアンスを大切にする映像を撮りたいときには、やっぱり日本のスタッフには敵いません。
と言っても、それは一般論。
言葉など伝わらなくても、映像産業の歴史的な仕組みの違いはあっても、演出家が描くコンテから、態度から、表情から、瞬時に、何を望んでいるかがわかる。ぼくからすれば、撮影が始まればあっという間に、カメラマンはじめ、そのスタッフの持っている色合いがわかる。ぼくらには、そんな映像言語とも言うべきものがある気がします。
そして、どこの国であっても、優れたスタッフとは、何とも言えない優しさや、相手が何を望んでいるかを知りたがる思いやりのある人であり、時に、自分の好みを捨てる勇気もあれば、どこまで行っても、彼らしさを捨てない頑固さもある人のことなのだと思うのです。

今回ローマで撮影したCMは、6月頃からテレビで流れる予定です。
その時は、またここでお知らせしようと思います。

第31回 最近のCM事情(4)CMに夢がなくなった理由

北海道のみなさん、こんにちは。

最近のCMには夢がなくなっている、ぼくはそう思います。
その原因のひとつは、CMの描く世界に、日常的な設定が、とても多くなっているからだと思っています。

撮影は、スタジオにセットを組む場合と、ネライの風景や設定の場所を探して、ロケする場合とがあります。気がついてみると、最近は、もっぱら後者、ロケで撮影していることがほんとうに増えました。
家のなかの、リビングやキッチンなどの設定でさえ、家をお借りして(実際に住んでいらっしゃる家、空き家、撮影用にレンタルしている家などさまざまですが)撮影する機会が増えました。
スタジオに大掛かりなセットを組む予算がない仕事が増えている、という現実もあります。が、そうでなくても、作り手自ら、できるだけリアルな雰囲気、自然の光を求めて、予算に関わらずロケで撮影したいと考える傾向にあるのだと思います。

以前は、あれほど頻繁に(多い時で10回以上)海外ロケに行っていたぼくですが、その機会も、ここ10数年の間に徐々に減り、いまでは年に2~3回になりました。
かつては、同じ日常的な設定でも、それを外国に置き換えてみようとか、同じ風景を撮るなら、少しでもインパクトのある、見たこともない風景にしようという意気込みが、暗黙のうちにクライアントにも伝わったものです。しかし、それも、ここに来て、もっと日常的で、ごくありふれた設定や親しみやすい企画が歓迎される傾向にあります。その代わりに、有名タレントを起用して注目度をアップしよう、そのために必要な費用なら惜しみなく出す。そんなクライアントが増えました。有名タレントが出ている以外は、平凡な企画という場合が、案外多いのです。

ここ数年、ぼくがCMの演出を依頼されるとき、いちばんよく聞かされる言葉は、「エモーショナル」です。「これは、エモーショナルなCMにしてください」と、よく言われるのです。日常、あまり使わない言葉ですが、どういうわけか多くのクライアントが好んで使うようになりました。
以前よく使われた言葉に「スライス・オブ・ライフ」というのがありますが、ちょっとそれに近いかもしれません。だれでも思い当たるところのある、生活の一場面を切り取って、消費者の共感を得たい。そんな思いを込めて、使われる言葉です。
まぁ、同じ「エモーショナル」や「スライス・オブ・ライフ」でも、それが、ごくあたり前に見える登場人物が宇宙人だったり(サントリー・ボス)、お父さんが話をする白い犬だったり(ソフトバンク)、豪華なタレントが束になって出ていたり(資生堂・TSUBSAKI)すれば、まだおもしろいのですが、よほど、ドキッとする、するどい切り口でもない限り、平凡で、ただのわかりやすいCMになりがちです。

もっと直接的に、クライアントから、「泣かせて欲しい」と言われることも、よくあります。最初のうちは、「泣かせるって、15秒や30秒で、それが無理だろう」と戸惑いましたが、実はこの言葉、CMを見る人をではなく、当のクライアント自身が泣きたい、そんな気持ちで出来上がったCMを見たいという意味があることに気がつきましした。笑いや、インパクトの強い表現より、ありふれた設定だけど、思わずほろっとするような共感のある表現が見たい。消費者と同じ目線で、ものを見ている。消費者の気持ちがよくわかるクライアントだと思われたい。消費者からだけでなく、自社の社員たちからもそう思われたい。どうやら、そんな強い欲求があるようなのです。

出す商品に、強いニュースがあることは少なく、消費者の手が届きにくい商品やあこがれの商品が少なくなった、この時代。環境や自然との共生、商品の安全性にも、強く配慮しなければならない、この時代。
親しみやすい、身の丈にあった、消費者だけでなくクライアントにとっても、わかりやすい、共感のできる表現が求められているようです。
その一方、予算や時間をかけて、クリエーターの力に賭けてみようという余裕を、クライアントがなくしています。(制作者にとって、これがいちばん深刻な問題なのですが。)
最近のCMに夢がなくなった原因は、そんなあたりにありそうです。

第30回 最近のCM事情(3)CM離れ

北海道のみなさん、こんにちは。

「最近、どんなCMを作っているの?」
CMディレクターであるぼくにとって、友人知人から、もっともよくされる質問です。
でも、苦手な質問でもあります。
なぜなら、たいていの人は、興味津々という表情でそれを聞いておきながら、最後にこう言うからです。
「ふ~ん、でも最近、CMあまり見てないんだよね。」

ぼくが作るCMが、地味なせいもあるかもしれません。
同じCMでも、よほどインパクトが強いか、何度も繰り返しテレビで目にするか、どちらかでないと記憶に残らないのは確かです。
でも、ぼくの若い頃は、違ったのです。
あまり頻繁にテレビで見なくても、それが印象に残る出来のいいCMであれば、「あ~、見たことあるよ」とか、
「あのCMいいねぇ」なんて、もう少し愛情のある答えが返ってきたものです。
こちらが、恐縮するくらいに。よく見てくれているなぁと、感心することさえありました。

はっきりとしたデータは何もありませんが、どうやらCM離れの傾向は、
生活のなかでパソコンの重要度が増すことに比例しているようです。
それがテレビであれ、パソコンであれ、「モニターを見ている時間」は、人の生活のなかで限られたものです。
パソコンを集中して見ている時間が増えれば、テレビから流れてくる情報に注意が行かないのは、ごく自然なこと。
それでも、テレビ自体はつけていたりするので、どうやらみんな「テレビを見ている気になっている」だけで、
実際には、どんどんテレビ離れ(=CM離れ)が進行しているのだろうと思います。
でも、人を「最近、あまりCMを見ていない」気にさせる理由が、もうひとつあるような気がします。
制作者からすれば、より深刻な理由が。

CMから夢がなくなっている。

そんな気がするのです。
CMを作る仕事自体は、とても面白いものです。
笑いあり、涙あり、ひねったアイデアあり、美しい絵作りあり。
毎回、まったく違うアプローチをするのですから、おもしろくないはずがありません。
でも、おしなべて言えることは、最近のCMには、現実的な設定が多くて、日常から離れた設定がとても少なくなっています。
思い切ったアイデア、わけもなく美しい映像、とにかく笑ってしまうCM。
そんなCMがお茶の間から少なくなっていると思いませんか?
ぼくら制作者の側から言っても、非日常的なユニークな設定、よくこれをクライアントがOKしてくれたと思う意外性のあるアイデア、
大掛かりなセットを組む仕事、海外まで出かけて撮る美しい映像、そんな「夢のある仕事」がとても少なくなっている気がします。
次回は、なぜ、CMから夢がなくなっているのか、制作者の側から見た意見を、もう少しお話ししてみたいと思います。

第29回 最近のCM制作事情(2)厳しいCM制作費

北海道のみなさん、こんにちは。

最近のCM事情をめぐるお話の二回目は、きびしいCM制作費について。
どこの業界も同じだと思いますが、いま(いや、もう10年以上前から)、CM業界では、「予算がない」という言葉を聞かない仕事がない、といっていい状況が続いています。
いわゆる「バブル崩壊」は、CM業界にとっても大きな意味を持っていました。
企業の業績が悪化すれば、まっさきに予算縮小の憂き目に遭うのは、広告宣伝費です。だからと言って、宣伝しないでモノは動かない。
企業は、予算を切り詰めるだけ切り詰めて、少しでも効率のいい広告作りをしたいと考えます。
おかげで、長いこと、CM制作の現場では、クライアントから、きびしい予算を提示される傾向が続いています。

広告全体から見れば、テレビCMの制作費は、一部分でしかありません。
CMを作っても、テレビで流さなければ意味がないわけで、放送の枠を買う、いわゆる媒体費に、大きなクライアントになれば、制作費の何倍もの費用を投じることになります。
かつて、CM業界に勢いがあった頃は、この「テレビでCMを流す費用」で、業界全体が潤っていたと言ってもいいかもしれません。
ぼくが、この業界に入って間もない頃(70年代の終わりから80年代のはじめにかけて)は、テレビでCMを流すために、大量のオンエアー・プリントを納品していました。
まだ、CMが16ミリのフィルムにプリントされ、オンエアー一回につき一本のフィルムを納品していた時代です。
大きなクライアントのメイン商品になれば、それこそ、何百回とオンエアーされるのですから、その分、つまり何百本ものオンエアー・プリントが必要になり、そのプリント料金で、制作会社も潤っていました。
それが、80年代半ばには、ビデオテープでCMを納品するようになる。
オンエアー・プリントは、テレビ各局に一本、極端な場合、ほんの数本、納品するだけになりました。
制作会社の利益は激減です。

そして、バブル崩壊をはさんで、テレビ各局も、オンエアー料金をつりあげ、媒体費で潤っていた広告代理店も、なかなか利潤をあげにくくなってきました。
以前は、CM制作費の利益は度外視して、媒体費で稼ぐという余裕が、大手広告代理店にはあり、制作会社が無理を言えば、代理店からある程度の予算を引き出すことができたのです。
CM制作における、きびしい予算という傾向は、業界全体の、利潤を生む構造そのものが変わってきたことにもよります。

その結果、広告代理店も、制作会社も、CM制作そのもので利益を上げなければならない時代になってしまいました。
でも、制作費が少なくなったからと言って、CMのクオリティーを落としていいわけではありません。
むしろ逆に、思うようにモノが売れない時代になると、どんな宣伝が効果的か、企業にも迷いが生じるため、なかなか企画が決まらない。決まらないから、広告代理店やクリエーターも、つい予算を度外視した企画を出してしまう。
ぼくら制作の現場の人間が関わる頃には、予算はない、だけどすごい企画を考えてしまった、いいCMを作らなければ後がない、そんな負のスパイラルのなかで仕事をせざるを得ない環境ができあがってしまっているというわけです。

第28回 最近のCM事情(1)CMの保守化?

北海道のみなさん、こんにちは。

ぼくもそうでしたが、年末年始ってけっこうテレビを見る機会が多いですね。
新年を境に、衣替えするCMもたくさんあります。
最近のCMについて、みなさんはどんな感想をお持ちでしょうか?
ぜひご意見を伺いたいものだと思いますが、今日は、一CM制作者から見た最近のCMについて、ちょっとお話しさせてください。

昨年、自分が手がけたCMを振り返ってみると、いわゆるヒューマンなタッチのCM、心のひだを描いたり、それに触れようとするCMが多かったなぁと思います。
家庭内や行きずりの殺人事件なども多く報道され、まさに殺伐とした世相です。
政局は混沌として、強く、信頼に足るリーダーが不在のまま、迷走しています。
そんななか、どこか気持ちが安らぐCM、見る人を懐かしい気持ちにさせるCM、家族を描いたCMなどがとても増えている気がします。

昨年後半から、郵政民営化を受けて、日本郵便のCMがものすごい量で流れていました。
年末からは、年賀状のCMもいろいろなタイプのものを見かけましたね。
郵便局が、JPと変わり、郵政事業始まって以来の大変革である割に、CMはむしろ、誰の心にもある、懐かしい郵便局や年賀状のイメージに戻ろうとしているかのようです。

ちなみに、昨年ぼくが演出したこのCMを見てみてください。
いま、企業が、どんな風に商品と人との関係を捉えようとしているかがよくわかる、普遍的なのだけれど、かつてなかった、まさに「今どきのCM」だと思います。

世界的に進行する環境破壊と地球温暖化の影響も、ますます深刻さを増しています。
企業が商品を離れて、企業活動のポリシーを語る、いわゆる企業CMで、エコロジーをテーマにしたCMも多く見受けられます。
例えば、トヨタ自動車のタモリこと森田一義さん出演の「エコ・プロジェクト、あしたのハーモニー」などがいい例です。
直接エコロジーをテーマにしていなくても、環境や自然との共生をうたうことは、いまや「企業の常識」と言っていいと思います。
ぼくが手がけたものでは、昨年末にできあがったばかりで、今年になって盛んに流れているこのCMなどは、その好例です。

どれも、正しいことを語ろうとし、そこには、環境に配慮したり、消費者の生活感に寄り添ったCMを作ろうとする企業姿勢が見えます。
それはいいのだけれど、そんなCMがたくさんテレビから流れてくる時、消極的な感じや元気のない感じを受けるということはないでしょうか?
一言で言うと「CMの保守化」という傾向を、ぼくは強く感じています。

CMは、本来、新しい商品と企業の情報を知らせる「ニュース」なのだと思います。
ニュースの鮮度は、確実に落ちています。
そして、たとえば企業が、環境や自然との共生、エコロジーに取り組むのなら、CMが実際のそれに勝ることがあってはなりません。
下手をすると、イメージばかりが先行して、「免罪符」の役割をCMが担ってしまうことになりかねません。
実を言うと、ヒューマンなタッチのCM、エコロジーやノスタルジーを感じさせるCMは、ぼくの得意とするところです。
でも、それだけに、そんな危惧もしてしまうのです。
実際の商品や企業活動を消費者の目線(自分もそのひとりだとして)で語る、節度や身近さは必要だと思うけれど、CMが新しい時代を切り開くパワーになるのではなく、保守化しているのだとしたら、ヒューマンだ、エコロジーだと、喜んでばかりはいられないなぁと思う、今日この頃です。

来週は、CM制作の現場が、いまどんな状況かについてお話ししてみようと思います。

第27回 JR SKISKI~雪と恋とCM

北海道のみなさん、明けましておめでとうございます。
今年も、遠く、北海道に思いを馳せながら、
東京からCMにまつわる話題をお届けしたいと思います。
よろしくお願いします。

さて、北海道はいよいよ、本格的な雪とスキーのシーズン、
到来ですね。
そして、東京では、数年前まで、この季節になると、
雪は降らなくても、必ずテレビから流れ、
毎回話題になった、雪とスキーの定番CMがありました。
JR東日本がクライアントのCM、JR SKISKIです。
1998に制作して、1999年の今頃から流れたのが、このCM
でした。




残念ながら、東京を中心とする関東エリアだけのオンエアーなので、
北海道のみなさんには馴染みがないCMかもしれません。
出演は、このCMを撮影した1998年当時、
人気絶頂だった、吉川ひなのさん。
音楽を担当したのが、北海道出身バンドとして、
人気が最高潮に達していたGLAY。

このCMを撮影したのは、9月初旬のオーストラリアのスキー場でし
た。
名前を忘れてしまいましたが、オーストラリアにも、
こんなに規模の大きなスキー場があるのかと驚く、広さと設備でした。
でも、スキーをやらないぼくでもわかる雪質の悪さ。
もっとも、ひなのさんもスキーができなかったので、雪質は問題なし。
スキー場として、絵になればそれでよかったのです。
いや、雪さえあればよかった、と言っても過言ではないかもしれません。

ぼくにとって、いちばんの問題は音楽でした。
CMのトーンにふさわしい曲がGLAYから上がってくるのか
どうかが、まず、不安でした。
打ち合わせはしたけれど、彼らが作ってきた曲に
NOと言える状況ではなかったのです。
作り直しなしの一発勝負。
最低限の保険に、と出した注文は、
ミディアム・テンポの曲であることと、
雪と恋愛をテーマにした歌詞であることでした。
そして、撮影が終わり、編集しなければならない頃、
上がってきたデモテープを聴いて、ぼくは驚きました。
CMに使うサビの部分こそ、

「逢いたいから 恋しくて あなたを想うほど
寒い夜は 未だ胸の奥 鐘の音が聞こえる」

というものでしたが、
歌い出しは、

「無口な群衆(ひと) 息は白く 歴史の深い手に引かれて
幼い日の帰り道 凛と鳴る雪路を急ぐ」

という、ロック・バンドに似つかわしくない、
なんとも叙情的で、文学調とさえ言える歌詞だったのです。
そして、TAKUROの書く詩の世界には、雪国に生まれ育った
人でなければわからないシズル感がありました。
こんな難解な歌詞で売れるのだろうか?というぼくの不安をよそに、
その曲、「Winter,again」は、1999年2月、発売と同
時に売れまくり、
爆発的なヒット(GLAY最大のヒット曲)となりました。

この曲の前にも、ZOOのChoo Choo TRAINや
gloveのDEPARTURESが、このCMで大ヒットしました。
ぼくとしても、いわば「お祭り的なCM」と割り切って、
メジャーなタレント、メジャーな曲で、確実な話題性をねらったCMで
した。
いまでは、業績不振からか、冬の定番だったJR SKISKIの
CMは、
もうテレビで見ることができなくなりました。
まだまだ景気が良かった頃の、ぼくとしてはめずらしいタイプの
CMのお話しでした。

第26回 明治ミルティーキッスの撮影~一発撮りの光の道

北海道のみなさん、こんにちは。

今年も、いよいよ残すところあとわずか。
冬の寒さも本格的になってきました。
北海道は、雪、また雪の毎日でしょうか?

先週お話しした、メルティーキッスという冬限定チョコレートのCM
は、
雪がまったくないところに作り上げた、人工の雪景色でした。
その前年に撮ったこのCMの場合は、どうでしょう?


雪原に、ずっと続く、ろうそくの光の道。
さすがにこれは、現実には不可能、CG合成でもしたかに見え
ますか?
正解は、すべて実写。
何時間もかけて、雪の中にろうそくを並べ、
撮影前に、ひとつひとつに灯をともしています。
たったひとつ、あとで合成したのは、遠くに見える家と並木でした。

でも、普通のろうそくでは、少し風が吹くだけで、
あっという間に火が消えてしまいます。
これは、多少の風では消えないように工夫された、特製のろうそく。
雪景色の中のイベントなどで「光のアート」をされている方にお願
いして、
特製ろうそくを作ってもらい、日本は真夏の8月、
冬のニュージーランドまで、それを大量に持ち込んで、撮影しました。

日が沈んだあと、まだ残照であたりの景色がちゃんと見えている、
時間にして30分くらいの間。
これを、ぼくらは「マジック・タイム」と呼んでいます。
雪の撮影には、「太陽が出ている時間は撮影しない」という鉄則が
あります。
よほど、何か特別なネライか事情がなければ、
曇りか、マジック・タイムを待ちます。
晴天だった、このCMの撮影当日は、日が沈むのを待って、
(それ以前に入念なリハーサルを繰り返し)、
わずか20分くらいの間に、ほとんどのカットを撮り終えました。

それがどんな景色であれ、一日のうちでもっとも美しいマジック・
タイム。
ほのかに明るい雪原の中に、暖かいろうそくの光の道。
限られた時間の中で、トリックなしの、実写。
そんな時の撮影は、興奮もするし、この上なく心地いいものです。
おかげで、美しいCMになったと思うのですが、
北海道のみなさんの印象に残っていたでしょうか?

この当時、森高千里さんは、盛んにCMに登場していました。
このCMでは、『SNOW AGAIN』という曲が流れていましたが、
彼女が撮影後に書き下ろした曲でした。

♪~逢いたい、もう一度だけ。この雪が降り止む前に~♪

素直でシンプルな歌詞ですが、テレビで流れた時、
パッと人のこころをつかむ力があります。
森高千里さんというアーチスト、ある意味で、とてもCM向きの、
企画力のある曲を書く人でした。ちょっと(いや、かなりの)、天才。
今は、音楽活動を封印しているようですが、ママになった彼女の、
彼女にしか書けない曲を聴いてみたいと思うのはぼくだけでしょうか?